1923年(大正12年)に関東大震災が起きた後、同じ日本人の安否よりも、別の思惑で京都人は心躍らせました。
関東大震災をチャンスにして天皇陛下を東京から京都へ取り返せると京都人は思ったのです。

京都人は、関東大震災という未曽有の震災を利用して、京都内で天皇陛下がお戻りになるというデマを風潮しました。
同じ日本人が未曽有の震災被害に合っている真っ只中に、京都人は、あろうことか震災を利用してデマを風潮しました。

その京都人の動きに対して最も危機意識を感じたのが昭和天皇でした。
昭和天皇(当時摂政)は日本国民に向けて「東京は帝都の首都」という詔書を布告されました。

明治2年に京都から東京遷都がされ、東京が名実ともに帝都の首都になった事は昭和天皇にとっては常識であり周知の事実でありました。
昭和天皇にとっては東京遷都も、明治2年以降東京が首都である事も、当然の常識であり、規定事実でしたが、京都人だけは認めていませんでした。

京都人が震災に乗じて偽りのデマを風潮するという行為は、昭和天皇も想像できない京都人の悲しい愚行でした。
既に昭和天皇にとっては当然で常識で既定事実である事を京都人に分からせる為に、わざわざ改めて詔書で「東京は帝都の首都」と布告されました。

1923年(大正12年)に、昭和天皇は詔書で「東京は帝都の首都」と布告されています。
京都人の首都コンプレックスと東京遷都コンプレックスが、ここまで陰湿で酷いモノだとは昭和天皇も想像できなかったのでしょう。