近代合理性の尺度であらゆる文化を合理・不合理で仕分けすれば、伝統という名のもとに囲い込まれた文化が
元々持っていた内実を失い平板化・形骸化するのは避けようがない。
原理主義的に伝統を守れと訴えたところで時代の空気に支えられてきた内実を取り戻せるわけではない。
あらゆるものが消費者目線で等価に消費される現代において、伝統を掘り起こす意味があるとすれば
我々にとっての日本の何が過去と連続しており、何が断絶しているかを変容も含めて確認することだろう。
それは現代の我々にとっての日本とは何かを確認する作業でもある。