>>141
>当時の価値観に当てはめても侵略だよ。

そもそも、北満にいた中村震太郎大尉一行4名をシナ軍(張学良軍)の関玉衛
が拉致して凄惨な仕打ちを行なった上で焼いて殺害したのが、満州事変の発端。

中村大尉一行が泊まっていた旅館「昂栄館」の女将が日本人で(主人は満人)、
シナ軍に拉致されて行く中村大尉一行を目撃していたので、シナ軍は直ぐに
犯行を認めるかと思いきや、現在に続く尊大さと傲慢さとウソつきで
シナ軍は「知らん存ぜぬ」を押し通したので、まず朝日新聞・毎日新聞などの
日本の右翼新聞が「暴虐支那を膺懲せよ!」と狂ったように反シナキャンペーン
を実施して、それに煽られた満州在住の日本人達が関東軍本営に詰めかけて
「帝国の象徴たる軍人を殺戮されて何もできないとは、腰の刀は武光か!」と
応対した石原莞爾などの関東軍参謀を罵倒した。

日本軍は中村大尉一行がシナ軍に拉致された目撃はあるものの、シナ軍に
中村大尉が殺された証拠はなく、張学良に対して善処を求めたが、
張学良軍は相変わらず尊大に「知らぬ存ぜぬ」で真相解明の気は全くない。

現場である「昂栄館」の女将は身の危険を感じて関東軍に保護されていたが、
主人の満人はシナ軍に殺される。

業を煮やした関東軍は、奉天の張学良軍の拠点となっている北大営を攻撃する
と見せかけて恫喝することに決定し、北大営周辺に10サンチ砲を並べて
真相解明と犯人の関玉衛の引渡しを要求した。

関東軍の強硬姿勢にビビッた張学良はようやく交渉の場に臨んだが
「関玉衛は逃亡中でどうにもならない」と逃げ続けた。関東軍は「支那軍人が
やったことは認めるんだな、一体誰の命令だ」と自供を求めたが、また
「関玉衛は逃亡中で全くわからない」をくり返す。関東軍は奉天特務機関の
調査により、関玉衛らが残虐に中村大尉一行を殺戮したことを報告。
日本のマスコミと世論はさらに沸騰する。

シナ軍側が関玉衛の犯行であるとを認めたのは関東軍の北大営攻撃当日の
9月18日午後。しかも「中村大尉が逃げようとしたから後ろから撃った
だけで焼却や残虐行為などはしていない」という現場の証拠とは相容れない
もので、これで関東軍は北大営の攻撃を決定し、満州事変が始まり、日中戦争、
太平洋戦争へとつながる。まるで9.11テロからアフガン戦争・イラク戦争への
流れにそっくりだ。

「とにかく何でもかんでもウソをつく」「シラを切れるまで切り通す」という
現在の共産シナと全く同じシナ人のウソつき体質が、戦争の原因になっている
としか言いようがない。また日本の朝日新聞や毎日新聞などの全体主義新聞が
戦争開始と軍国主義の進展に大きく関わっている