アジア・太平洋戦争のことを大東亜戦争と言ってる奴w [無断転載禁止]©2ch.net
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右翼「『大東亜戦争』の『大東亜』はイデオロギー面とは無関係であり、戦争の範囲をあらわす名称(キリッ」
アラスカ・アメリカ西海岸も大東亜って言うの無理があるだろ
この言い訳、完全に破綻してるんだよなぁ… 暴走したのは関東軍だけではなくこの親父も罪深い。
森 恪
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%81%AA
当時のマスコミも「満蒙、マンモー」一色だったしな。マスコミも罪深い。
俺はパヨクの日本悪玉説と正反対の立場なんだが、学術的な見地からみて、
世界恐慌主犯説も全く同意できない。軍需関連生産が一時的な需要喚起を迎えるのはあたりまえの話であって、
満州事変はそれが目的とは思えないし、実際に満州開発が日本内地に多くの富をもたらしたとも思えない。ここんところの数字を拝ませてくれんことには
俺の長年の疑問は払拭されない。
シナ事変や対米英戦争の件は少し脇において、「そもそも満州事変は成功だったのか?」を議論するのは面白いね。 >>133
個人的解釈でソースはないのだが、満州事変の主因は張学良が国民党政府に走ったからではないのかと考えている。
これまでの既得権益保持に危機感が関東軍にはあった。ついでにこの権益を拡大もさせたい野心もある。
幣原らの国際協調外交路線が崩れたことが張作霖爆殺や柳条湖事件のトリガーとなったと。 当時の日本は本当に気が狂っていたからね。ある意味ドイツよりも罪深いよ。
ドイツは少なくとも蜂起に追い込まれた点は同情に値する。(だからと言って
ユダヤ人組織的絶滅政策などの非人道的行為が許されるわけではないが。)
日本は連合軍は蜂起に追い込むようなことはしなかったし、ABCD包囲網
だって、日本が仏印インドシナに進出したことで、アメリカ、イギリス、
オランダが侵略の脅威に晒された結果だからな。 >>136
俺が世界恐慌主犯説に同意できないのはむしろドイツの方なんだよ実は。
ナチスは公共事業ばんばんやって、1939年までに恐慌からの危機を完全に脱した。
アメリカのニューディール政策とナチス経済はよく比較研究の対象となるが、アメさんの「脱世界恐慌」は
結局第二次大戦への参戦でしか完遂できなかった。ドイツが世界大戦おっぱじめる理由は「脱世界恐慌」でないことは明らかだ。
満州事変とポーランド侵攻が日独にとって、世界恐慌対策である根拠について、
論理的な説明にお目にかかったことが無い。理由は他にあると考える方が論理的だ。 >>137
すまん。説明不足だった。
ドイツがボロボロに破壊されたのは1920年代。ハイパーインフレとか、
それに伴うフランス、ベルギーのルール占領とか、あれで恨みを持つな
とか蜂起するなとかいう方が無理。
日本はそれほどの地獄も苦痛も味わっていない。だから、日本の方が
その点では救えない、というわけ。 >>135
>張学良が国民党政府に走ったから
その主因は張作霖爆殺事件だから因果応報、自業自得
>幣原らの国際協調外交路線が崩れたことが張作霖爆殺や柳条湖事件のトリガーとなったと。
逆だ。張作霖爆殺や満州事変で国際協調路線が潰されたんだ。
それまでは国際協調路線で進んでいた。
満州事変勃発時の外相は幣原だよ。
一夕会は、国際協調路線を潰して軍拡に転じて国家総動員体制を作ることを企んでいたんだよ。 >>139
>張作霖爆殺や満州事変で国際協調路線が潰されたんだ。 それまでは国際協調路線で進んでいた
たぶん、浜口内閣までを国際協調路線としているんだろうけど、若槻と浜口の間、つまり田中義一内閣の外交は、
別にみるべきだろう。 参照>森恪 (田中内閣外務政務次官>>134)
第2次山東出兵で、国際協調路線は転換したね。で、浜口がまた元に戻した。
ちなみに山東出兵と東方会議は張作霖爆殺前ね。
参照:東方会議(ウィキぺディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(1927%E5%B9%B4) 大東亜戦争とは、資源獲得のための戦争を植民地解放という口実で正当化するために生まれた言葉だと思います。
戦後東アジアは独立を遂げましたが、それは、抗日運動が独立運動に転化したことで達成されたものであるに過ぎないので、その独立を以って太平洋戦争を大東亜戦争とするのは、結果論だと思います。 あー、アンカーミス ちゅうか相手氏のレス番間違ってた。訂正
「129氏に同意」ではなく、123−126氏に同意だ。128氏と延々論争している人。
ようするに
@満州事変は世界恐慌以前から計画されていた事実
A満州事変による短期的な軍需喚起より高橋財政の方に、より「恐慌克服」の効果があったこと。
B満洲の産業開発が日本内地の国富にあまり繋がらなかった事。
まあ、@の時点で時系列的に世界恐慌と満州事変は無関係なのだが、これによって第二次世界大戦の原因に世界恐慌を挙げるのは無理筋。 そういや横レスだった 明記せず失礼
>>140
1930年にロンドン海軍軍縮条約が締結され、日本でも批准されている。
山東出兵と言っても一時的で撤兵してるから、国際協調路線を転換したとは言えんよ。
田中義一も口では何といっても張作霖爆殺事件が起きると腰砕けになるなど、具体的行動はしていない。
転換しようと掛け声だけ出したが実行に移せずに終わった。
ベルサイユ-ワシントン体制に留まっている内は国際協調路線と言えると思う。 >>145
あー、横レスは解ってる。おれが単に128氏のコテハン見逃して人違いしただけ。
>>62>>65の中の人に概ね同意しただけ。
で、>>140も俺だが「国際協調路線から転換」という語句が気に入らなければ、
「従来の対中政策からの転換」でいいよ。俺の文章も正確さに欠けていた。
森恪や一夕会の連中が機を一にして「満蒙問題」の解決に取り掛かった。これらが満州事変の淵源だということ。
第二次世界大戦の原因を世界恐慌やブロック経済に求めだしたのは一体誰が最初に主唱したんだろうか?
資本主義の暴走が戦争を引き起こすーーことにしたい経済学者や歴史学者が多いのだろうね >>146
国際協調路線でも対中政策でも同じことただよ。
満州事変当時にそれらが転換しきっていたわけではないでしょ。
転換させようと言う動きの一環として張作霖爆殺や満州事変が企画実行されたわけで、
「幣原らの国際協調外交路線が崩れたことが張作霖爆殺や柳条湖事件のトリガーとなった」
とは言えない、と言うのが私の論旨。
>森恪や一夕会の連中が機を一にして「満蒙問題」の解決に取り掛かった。これらが満州事変の淵源だということ。
これも、転換したから取り掛かったんじゃなく、転換させるために取り掛かったんだよ。
国際協調路線が崩れたからではなく、崩すために張作霖爆殺や満州事変が起こされたんだ。
因果関係が逆なんだよ。 >>148
>国際協調路線でも対中政策でも同じことただよ
田中内閣は英米との協調路線は維持したという意味では第1次若槻内閣の路線を継承している。そこは同意できるので
転換した範囲を正確に限定する意味で「国際協調路線」を「対中政策」とした。
君と俺の違いは田中内閣と当時の国民世論・マスコミ論調に対する歴史評価が違うわけだが、
田中内閣の対中政策は転換している。ここを「転換しきってない」なんちゅうフレーズで田中内閣の外交政策を語られても、
それこそ「因果関係が逆でっせ兄貴」としか答えようがない
田中内閣による対中政策の転換と満州事変が無関係とする解釈には賛成できない。
当時のマスコミの論調に対する視点も欠けているように思える。
俺の文章の枝葉末節に気に食わないレトリックがあるなら適当に脳内補正してもらっても構わない。
田中内閣は対中政策を転換した。(東宝会議や山東出兵など) それを第二次若槻内閣が再転換しようとした。
そして満州事変が起こった。
時系列的に逆なことを「因果関係が逆。こっちが正論」と言われましても永遠に噛み合わんな。 謹賀新年のことよろ。
各自議論するなら仮hnでもしたほうが判りやすいかと。
で、拙>>129補遺 「世界恐慌と身売り」について
戦前日本の最大の主力輸出品は錦糸など繊維系。
しかし世界恐慌以降、錦糸関連は贅沢品で売れなくなった。
そのため養蚕営む農家は大打撃。そこへ連年の大凶作が重なり……の構図。
(※満州事変以後は、さらに売れなくなる……)
ついでに戦後サヨクの視点から↓ >>148-149両氏へ「満州事変の背景」について
満洲は日露戦役で得た貴重な先人の血の贈り物と軍もマスも考えてた。
それが中国の主権回復で「特殊権益」は風前の灯火となってきた。
産業の核の満鉄の経営圧迫と、「特殊権益=特殊貿易=雑貨、繊維品、
アヘン麻薬の密輸/密売」が不可能にされかけ、その動揺は関東軍・
居留地から本国へも広がった。>マスコミ世論の背景
(※↓事情は当方の以下など参照)
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1439524235/29-45
そこで将来の「人種戦争」を妄想する石原莞爾氏らが満蒙の大日本
「帝国」による「直接統治」を企図して事変をおこす。>非協調路線
が、「直接統治〜占領」は対外的に不利と「満洲国独立」路線へ後退。
(※この件は旺文社文庫『証言 私の昭和史〈1〉』の片倉衷や田中隆吉の
TV証言記録など参照のこと)
政府は軍の暴走を容認しつつ、再度「協調路線」へ軌道修正させたわけだ。
(※路線転換というより政府の軍へのことなかれ主義とみる方が適切かも?)
しかし国連の「満洲国承認=協調路線」は難しかった。
国連で審議がすすむ中、日本軍は熱河省へ侵攻してしまい、このままだと
国連規約違反で除名までありえる事態となり、ついに国連脱退を選択。
孤立化=非協調の道を歩むことに。
(※上は加藤陽子氏らの解釈だが一番合理的と当方は思ってる) 第二次大戦中の書籍は好事家や素人の「元兵士」「元官僚」なんかが好き勝手に垂れ流してる
エッセイばっかだから慎重に読み解かなきゃだめだよ。まともな歴史研究の対象になってる
領域なんてほんと少ない。南京事件なんかその最たるものであって小説家やえせジャーナリスト
自称元兵士とかそんなのばっかだもの。 あへんビジネスの里見機関なんかもまともな研究などいっさいなく風聞と証言だけで
史実あつかいされてるわけで。しかもあれ、もとは蒋介石のあへんビジネスを仲介
してるという話しなのに、いつのまにか関東軍があへん栽培して上海でうりさばいてた
みたいな話しに変えられてるし。ことほどさように玉石混交 >>151
>孤立化=非協調の道を歩むことに。
それもせいぜい、ロシア制裁って次元だろ? >>153
>もとは蒋介石のあへんビジネスを仲介してるという話しなのに
またしても責任転嫁ですか? いい加減にしましょうよ。
戦前日本は、対外的に麻薬密売を「朝鮮人の仕業」と言い張ってました。
それが今度は、「蒋介石の仕業」でしょうか??
蒋介石が阿片戦争のサッスーン財団や黒社会の杜月笙とつながり、
アヘン益を財源としてたのは事実だし、三井物産などが密輸したアヘンの
1/3を里見甫が裁判で証言したように杜月笙の黒社会に流したのも確実。
しかし日本の民間商社や日本軍が実体の「昭和通称」は、蒋介石のために
条約違反のアヘン密輸を実行したのでしょうか? ヘンでしょ?
拙>>150のとおり戦前日本は繊維業中心の貧乏国。本来、経済面からは
戦争などできなかったんです。以下(↓)に解説。 拙>>103-104&
拙>>129&
拙>>150-151のつづき
戦前日本の最大の輸出品は「生糸」で主に米国向けでした。
それが恐慌によるデフレで生糸価格は前年(1929)の半値以上に下落。
《「日本の二大産業である紡績と製糸業は、本月に入り殆ど行詰まりの姿」(昭和五年五月、日銀調査月報)……》を呈します。
(*NHK取材班『金融小国ニッポンの悲劇』角川文庫)1995 頁203)
当然女工は仕事なく、そこへ大凶作……が満洲事変後の「身売り」の構造。
なお恐慌でドイツは外資が本国へ引き揚げ、そのドイツからの賠償金を
得られなくなった戦勝国もカネの循環が途絶え……世界が大不況となる。
これで資本主義への不信が高まりイライラ募らせたマスはナチのような
排外主義の台頭を許してしまい、そのナチスが日本の選択に影響していく
のですが……その話はともかく。(↓)つづく 一次大戦の空前の特需で、日本はどんな粗悪品も輸出でき(※占領青島での
日本軍の麻薬密輸もふくめ)やっと債務国から債権国に転じました。
しかしww1が終わると、粗悪品メーカは一斉に不良債権化≠オます。
麻薬でいえば、朝鮮に建てたモルヒネ企業は在庫をかかえ、そのため半島
ではモルヒネ吸引を合法化して捌き、10万人規模の中毒者をうみます。
そうした不況下に関東大震災が襲いかかり、さらに世界不況が追い打ちを
かけてきたんです。
大震災の復興資金は米英から借款できましたが、日中戦争の戦費となると
日露の頃のように米英は貸してはくれません。
だから満洲建国資金や、その後の戦費調達にも禁断のアヘン・麻薬は必須
だったんです。
繰り返しますが、本来、戦争なんてできる経済状況じゃなかったんです。では。 秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大氏は、明らかに冤罪
http://youtu.be/gj0X2qLNbUg&t=54s 関東軍の活動資金がアヘンだとかいうのは週刊実話読んで
これが史実だと言い出すのとおなじようなもんだよ。
どこから出たかもわからないような証言となにもない物証、
中国側のプロパガンダと日本人売文屋の存在という状況しか
確認できない。
関東軍とは大日本陸軍の総軍の1つの呼称であってその
活動資金は帝国政府の軍事予算から尋常に支出されています。
なに馬鹿なこといってんだか。 里見は東京裁判で関東軍のアヘンビジネスについて
証言しているよ。 >>159
う〜んと……
日中アヘン戦争を概括した拙「20世紀のアヘン戦争」シリーズの目次を
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1480227180/780-791
に散りばめときました。よろしければ辿ってみてくだされ。<(_ _)>
お代は無料^^
またアヘン/麻薬密売以外にも「尋常ではない」戦費調達の仕方を
日本軍がやっとった件は多田井喜生『朝鮮銀行』(PHP新書 2002)や
中山恒『戦争ができなかった日本』(角川書店 2009)などもご覧に
なられるとよろしいかと。では。 末端売上高が現在価格で年間100億円あったとしても関東軍(関東都督府)の
実収はずっと減るだろ。仕入れも販売も移送もタダじゃないんだぞ。しかも帝国内
および勢力圏内では阿片の需要に対して供給が足りてなかったからイラン産を
わざわざ輸入していたわけで。漸禁主義とってんだから違法性ないし。 著作者名すらまともに書けないのか
山中恒ってたしか児童文学の作家だったな 「中華民国」は戦勝国代表を自負していてもその実体は名実ともに亡命政府で国家主権がなく、
従って戦勝国代表であっても国連(戦勝国クラブ)からは問答無用で叩き出される。
○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html
1945年9月に日本政府が降伏文書に調印したとき、台湾を実効支配してたのは日本であって連合国では無かった。
実効支配が行き届かない以上、連合国としては台湾については帰属先を指定することは不可能だ。
対する2014年のクリミアはロシアが実効支配しているので、クリミアの帰属先はロシアと決まった。
ロシアは中華民国とは違い主権国家なので、国連の常任理事国として拒否権を発動できる。 太平洋戦争は日本とアメコの戦争
端役のチュンチョンを混ぜてやろうとひねり出したのがアジア太平洋戦争www 実効支配が領土の帰属を確定させるなどという法理は国際法にはないよ。
考慮されるだけ。そんな法理が原則になるなら侵略戦争を助長するだけって
簡単にわかるだろ。国際法は戦争をやめさせ講和をさせるために発展してきたんだよ。 講和外交のばあい、実効支配は交渉の材料になるから強い、ただそれだけのことであって
それ以上でもそれ以下でもない。領土を敵国に実行支配されてしまった側は講和外交で
劣位になるのは自明であって、だからといって実効支配していることが講和のさいの領土権の
確定にはならない。なぜなら被占領側が不服なら講和外交を蹴ってしまえばいいのだから。
その延長線上には永久にとまらない戦争しかなく、国際法が理念とする永久平和と戦争の
抑止とは真逆の世界観しか存在しないことになる。
★インドネシア モハメッド・ナチール元首相
「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だった
と思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったで
しょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」
大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかった。「侵略戦争」というのは、東京裁判という
インチキ茶番劇で貼られた嘘のレッテルに過ぎない。大東亜戦争の真の意義を知っている
東南アジアの人々はこう言う。「大東亜戦争によって独立できたのだ」と。
★インドネシア アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り
幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な
法律によって圧倒され壊滅されてしまった。」
「それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
これが、東南アジアの人々に衝撃を与えた大東亜戦争の真実なのだ。
大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。
インドネシアの人々は、植民地の呪縛を断ち切った日本と大東亜戦争に感謝している。
我々は、自虐の鎖を断ち切り、真に誇りある日本人になるべきであるし、東南アジア諸国
も、独裁国家・中国の台頭を恐れ、日本のリーダーシップを求めているのだ。
大東亜戦争は侵略戦争だった、というWGIPの悪の連鎖を断ち切り、大東亜戦争の真の
姿=植民地解放戦争を認識し、その結末を知れば、WGIPは消滅し、誇りある日本人が
生まれるのである。
大東亜戦争は神聖なる植民地解放戦争であり、その結果として東南アジア植民地諸国は
全て独立し、欧米植民地主義は崩壊した。日本人なら、この事実を誇りに思ってよいのだ。
これは、戦勝国であるはずの、欧米の歴史家や学者達も認める部分である。
アメリカは日本に勝ったが、何も得るものは無かった。
イギリスもフランスもオランダも、東南アジアやインド等、アジアの全ての植民地を失った。
そして得たものは何もなく、戦後没落していく。
まるで敗戦国のようではないか。
一方の日本は、戦後の焼け野原から復興し、朝鮮特需を経て大躍進する。
まるで戦勝国のようではないか。 結果論ではなく、大東亜戦争は植民地解放戦争だった。
大東亜戦争は白人中心の世界を根底から破壊してしまった。
1.欧米植民地主義の終焉
2.人種差別主義の終焉
3.ブロック経済の破壊
大東亜戦争はこれだけの大事業を成し遂げたのだ。
日本人は大東亜戦争をもっと誇りに思ってよい。
パヨクと韓国人は泣いて悔しがるだろうがこれが歴史の真実だ。 >>173
>結果論ではなく、大東亜戦争は植民地解放戦争だった。
1988(昭和63)年5月24日 第112回国会 参議院外務委員会 第10号議事録
政府委員(外務省条約局長):斉藤邦彦
参議院議員:吉岡吉典
政府委員:サンフランシスコ講和会議の際に日本より被害を受けたと述べた国は、
ラオス、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、オランダといった
諸国であると承知しております。
吉岡吉典:日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。
政府委員:そのような声明を行った国はなかったと承知しております。 【外務省「サンフランシスコ会議議事録」にみる 各国代表の発言】(抜粋)
パキスタン チャンドリイ・モハメッド・ザフルラ・カーン外相(1951年9月6日)
「四年になんなんとする間に、日本の侵略の潮はアジア各国に放火と殺戮とを齎したのであります。
(中略)
最も耐え難ったのは屈辱、人間の尊厳に対する暴行侮辱でありました。遂にその終末が参りました。
(中略)日本の占領すなわち死の苦しみに対する熾烈な記憶は依然として消えずしばしば悪夢となって
蘇ってくるのであります。」
インドネシア アーマド・スバルジョ外相(1951年9月7日)
「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の
人命の損害があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。」
フィリピン カルロス・P・ロムロ外相(1951年9月7日)
「私は、ここで、日本の最も近い隣国の一つであり、不釣合いに重大な破壊を受け、日本のために
損害を受けた国を代表して述べているのであります。千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の
生命を失いました。生命の損失の他に我が国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。
四年間に亘る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、我が国民経済は完全に破滅し去ったので
あります。」 >>173
>大東亜戦争は植民地解放戦争だった。
各国の代表的な歴史教科書における記述の抜粋
【台湾】
1937年中日戦争が勃発し、台湾は日本の南進政策の基地となった。
兵力の供給源問題を解決するため、日本は「皇民化運動」を実施した。
その後さらに台湾において徴兵制を実施し、日本軍の侵略性と暴力文化が存分に現れ出た。
【フィリピン】
経済は日本の戦争需要に対応させられ、教育もフィリピン人の考え方を日本人に合わせるよう
改変させられ、そして日本が後ろ盾になった共和国だけが政治を行った。その間に何千何万もの
フィリピン人が処刑・投獄されたが、反抗の精神は占領終結まで日本当局を苦しめ続けた。
【シンガポール】
●なぜ日本は東南アジアを攻撃したのか?
日本軍は、中国駐留軍に石油や鉄などの重要な原材料を供給するため、資源が豊富な東南アジアに
侵攻することに決めた。また、原材料を支障なく日本軍に送るため、この地域の重要な海路を
確保したかったのだ。
【インドネシア】
主に田舎の住民である「労務者」は、日本に強制的に働かされた。特に軍の施設や防衛のための
防壁や、列車の線路などをつくった。多くの「労務者」は現場で死んだ。
抗日運動は、インドネシアの独立の実現につながっていった。対日闘争を実施するのに、
インドネシアのリーダーたちは非常に慎重だった。日本の占領がとても冷酷だと知られていたからだ。
日本がやってきたことにより、オランダ植民地時代に受けた犠牲はなくなるどころか、むしろ、
事態は悪化したということである。 >>175
サンフランシスコ講和会議は、日本を罵倒して賠償金をせしめるのが
目的なんだから、日本に公式に感謝を表明する国などない。
日本に感謝していたビルマやインドは中国の不参加を理由にSF講和会議に
は参加しなかった。 >>176
なぜマレーシアの歴史教科書は外したのかね?
マレーシアの歴史教科書は大東亜戦争から始まるから、都合が悪いかね? ★インドネシア ブン・トモ 元情報相
「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが
全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が
米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶり
をみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。
そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、 我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」
インドネシアの植民地時代を生きた人々にとっては、独立の可能性が見えたのは
大きな光明であった。彼らは大東亜戦争に希望を見出した。
すなわち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならない。
馬鹿は必死で否定するが、これが歴史の真実なのである。
★インドネシア アリ・ムルトポ准将
「日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので
アジア人の誇りである。 今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が
一番困ると思う。もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は
容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。」
日本は、アジア諸国を代表して大東亜戦争を行い、欧米植民地主義を粉砕し、
東南アジア諸国を独立へと導いた。アジア諸国の人々は日本に感謝している。
すなわち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならない。
★ジャヤワルダナ(スリランカ元大統領) サンフランシスコ講和条約演説
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との
長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に
対して抱いている深い尊敬のゆえである。」
「当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシア
の指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。
(セイロンは日本への賠償請求権を放棄。セイロンに続き、インド、ラオス、カンボジア、も賠償請求権を
放棄)」
スリランカにとっても、日本は植民地解放の希望の星、白馬の騎士だったのである。
大東亜戦争がもたらしたものは、植民地主義の終焉と人種差別主義の終焉であった。
すなわち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。
ジョージ・S・カナへレ博士(ハワイ・日本経済協議会事務局長)
「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の訓練の中で、最も重要なものの一つは、
インドネシアに正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事であろう。この作業は、特に
ジャワ、バリ及びスマトラの各島で推し進められた。 後に、インドネシア独立軍の将校や下士官となった
者達は、殆ど全て、及び何万と言う兵士達は、この訓練を経て、軍事技術を身に付け、日本の敗戦後に
戻ってきたオランダ軍を相手に、独立戦争を戦ったのであった。
もし、この訓練が無かったなら、そして日本の降伏後、インドネシア人の手に入った日本軍の武器や
軍需資材が無かったなら、インドネシア独立戦争の行方は違った方向に進んでいたかも知れない。」
ジョージ・S・カナへレ『日本軍政とインドネシア独立』鳳出版社、1977年)
第三者的に分析しても、日本が植民地独立のためのタネをまいていたのは事実なのだ。
民族教育を施し、現地軍を組織して軍事教練を行った。これが独立のためでなく何なのだ?
即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならない。
泣きながら否定するのは馬鹿のみ。
>これが独立のためでなく何なのだ?
日本軍の補助兵力を得るため。 明治・大正には「欧米で勉強しましょう」と騙して
日本女性50万人を売却して、運んだ三井・三菱・麻生が儲けた
そして昭和になると「豊かなアメリカに移民しましょう」と言って
日本人を売春業者や奴隷商人に売却
それをルーズベルトが追い出したら昭和天皇は
「加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。
かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、
之を抑へることは容易な業ではない」
と人身売買を拒否したアメリカ側に真珠湾攻撃の遠因があったという
お気持ち表明
ジョイス・C・レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)
「大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、
独立精神を振起した点にある。 その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。 日本の敗戦、それはもちろん
東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。 今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、
西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。
民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の
植民地復帰に対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで
進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。
(中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配
は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。
東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる
意志に支えられていた。」(『東南アジアの開放と日本の遺産』秀英書房、256-257頁)
日本軍政は、東南アジア諸国の青年たちを教育し、民族意識と独立精神を植え付けた。
東南アジア諸国の人々は日本のおかげで独立への自信を手に入れた。
即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならない。
「大東亜戦争は侵略戦争アルヨ」と泣きながら否定するのは馬鹿のみ。
一部保守「インドネシアを見よ、日本はアジア解放が目的だったのだ」
インドネシアを指して「日本は侵略者では無く解放者」と言いたがる保守系も多い。
しかし当初は領土方針で、独立運動を押さえ、代表者の大東亜会議出席すら拒否。
インパール失敗、サイパン陥落の負け確定後に、独立容認の方が得策に。
敗戦後に日本兵の一部が現地協力したが、脱走兵扱いで恩給なし。
歴史の結果には光と影があるが、現地人を労務者や食糧管理などで苦しめたのも事実。
独立容認の前は、抗日感情も強くなってた。現在の教科書でも厳しく書かれてる。
軽々しく「侵略の要素なんて無かったよ」とか現地で言うなよ。
結果論で教育等を評価してくれてる面もあるが。(経済支援目的のリップサービスも含む)
あと「現地人を軍事訓練したのが解放の証」な意見もあるが、
イギリスもインド人を軍事訓練してる。元々は単なる補助戦力。 インドネシアを占領した日本は、スカルノ、ハッタ、といった独立運動家を解放した。
彼らに自由を与えたが、日本軍政への協力を要請し、将来の独立を確約した。
スカルノもハッタも、日本軍政への協力を受諾し、日本軍政の厳しい要求にも耐えた。
日本軍政はインドネシアに学校を沢山作り、民族教育を行って民族意識を高めた。
インドネシアに防衛軍PETAを設立し、日本式の厳しい軍事教練を課し、将来の指導者を育てた。
PETAからは、後のスハルト大統領も生まれている。
インドネシアの独立精神を育てたのは間違いなく日本軍政である。
大東亜会議にインドネシアが参加できなかったのは、まだ独立していなかったのだから当然であり、
インドネシア独立容認声明は、東條が総辞職したから小磯が声明しただけのこと。また、サイパン
陥落=負け確定は短絡的な見方であり、陸軍強硬派は負けるとは全く思っていなかった。
終戦後、インドネシアに残った日本兵がインドネシア独立戦争に参加し、インドネシア政府から英雄として叙勲
された。しかし戦後彼らは、日本政府から、脱走兵扱いされ冷遇された。しかし、独立戦争で亡くなった日本兵の
墓地に秋篠宮ご夫妻が献花し、更に小泉首相が献花したことで彼らの名誉は回復された。
馬鹿は何も知らない。
>>189
>大東亜会議にインドネシアが参加できなかったのは、まだ独立していなかったのだから当然
馬鹿確定。
大東亜会議には、まだ独立してない自由インド仮政府も参加してた。
インドネシアが参加出来なかったのは、当初は独立させる気が無かったから。 馬鹿保守「PETA(郷土防衛義勇軍)は、日本がインドネシア独立を主目的として設立」
現実は設立時に独立など確約しておらず、日本側も「反抗されるかも」など慎重論があった。 >>186
>即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならない。
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html >>190
自由インド仮政府は、日本は承認しなかったが、ビルマ、ドイツ、フィリピン、満州国、
南京国民政府(汪兆銘政権)、イタリア、タイ、クロアチアが国家承認した。
独立国として扱って構わなかったのだ。
当時インドネシアを国家承認していた国はあるかね?
馬鹿には難し過ぎるかな?
民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の
植民地復帰に対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで
進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。
さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配
は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。
大東亜戦争が植民地解放戦争だったのは間違いない歴史的事実である。 オランダはともかく、イギリスは第二次大戦中から
既に戦後植民地が独立してもいいように英連邦を
構想し、実現に向けて動いていたけどこれ。
東アジアや東南アジアはウイルソンの民族自決主義に
突き動かされ、独立の気運が高まっていた。 英連邦は第一次大戦とヴェルサイユ体制のたまものだろ。
ちょっと調べればわかる内容なのにテキトーにでっちあげんじゃないよ。
中学生相手の私塾ですら生徒に馬鹿にされんぞ。 そもそも「第二次大戦中から独立の用意をしていた」などという言説は
ガンジーたちの闘争をけがしてるということ気が付いてないんだね >>196
イギリスが本気で東南アジア植民地を独立させるつもりだったら、
終戦後に戻ってきて再び武力で支配しようとするはずないだろ。
しかも火事場泥棒みたいに、蘭印を盗み取って武力支配しようとした。
馬鹿も休み休み言え ★グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は
深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様
である。」
(1946年・デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶、
名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)
日本のおかげで、イギリスの植民地だったインドの独立は30年早まった。
つまり、侵略者は米英であり、日本は解放者だったのだ。
大東亜戦争が植民地解放戦争と言われる所以である。
馬鹿は必死で否定するが。
>>196
>東アジアや東南アジアはウイルソンの民族自決主義に突き動かされ、
ベトナムに関していえば、まさにファシスト・ドイツが無条件降伏したという知らせが入った後、ベトナム共産党は、
人民蜂起の準備を活発化し、その勝利がベトナムに自由をもたらしたのです。第二次世界大戦は、
人類の歴史に新しい時代を開いたと言ってよいでしょう。そして、その時代の特徴となったのは、ソ連の影響力の拡大と
アジア・アフリカ諸国民の独立を目指す戦いでした。」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_09_02/86931349/
旧ソ連の核開発
1949年 8.29. セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結させる
1953年 8.12. 水爆実験に成功
イギリスの核開発
1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される
1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加
1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進
1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功
1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html
ソ連邦の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連の核兵器は一人の人間も殺すことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。
ソ連の戦争は祖国防衛戦争で世界を変えたが、イギリスの戦争はただの植民地戦争で影響力ゼロ。
あ り が と う ソ 連 邦 ! ★スバス・チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「約40年前、小学校に通い始めていた頃に、アジアの人の国が世界の巨人、
白人帝国のロシアと戦いました。このアジアの国はロシアを大敗させました。
そしてその国が日本だったのです。このニュースがインド全土に伝わると、
興奮の波がインド全土を覆いました。インドのいたるところで、旅順攻撃や、
奉天大海戦、日本海海戦の勇壮な話によって、沸き立っていました。
インドの子供達は、東郷元帥や乃木大将を素直に慕いました。
親たちが競って、元帥や大将の写真を手に入れようとしましたが、できませんでした。
その代わりに市場で日本製の品物を買ってきて、家に飾りました。」
日本は、日露戦争に勝利し、植民地諸国に勇気を与えた。安倍談話は本当のこと
を言っているのだ。その後日本には独立運動家が多数集まり、日露戦争を研究した。
日本は植民地諸国にとって独立への希望の星だった。
即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争だったのである。馬鹿は必死で否定するが。
★クリシュナ・ボース(チャンドラ・ボースの姪)
「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるのなら、私たちインド人も、
ボースが英国の植民地支配に抵抗するためにインド国民軍を組織したことを
支援したのが、日本だったことを思い出すべきだ」
インド国民軍と日本軍は、ともにインパール作戦を戦い、インド解放を目指した。
大東亜戦争が植民地解放戦争であったのは紛れもない事実である。
馬鹿は否定するが。
★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「今から約四十年前、私がようやく小学校に通い始めた頃、一東洋民族である日本が、世界の強大国のロシアと戦い、
これを大敗させました。このニュースが全インドに伝わり、昂奮の波がインドを覆いました。いたるところで旅順攻撃や、
奉天大会戦や日本海海戦の勇壮な話で持ちきりでした。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬し
ました。元帥や大将の写真を手に入れようとしてもそれができず、その代りに市場から日本の品物を買ってきて、日本の
シンボルとして家に飾ったものでした。」
「そして、インドの革命家たちは、なぜ日本が強大国をやっつけることができたのか、それを知ろうと日本に来ました。
また日本からは岡倉天心のような先覚者がインドを訪れ、全アジアを救うべき精神を説きました。実に岡倉こそ
「アジアは一つ」と断言した大先覚者でした。」(NHKラジオ放送)
日露戦争における日本の勝利は、植民地の独立運動家たちに大いなる勇気と希望を与えた。そして、日本はアジア植民地
解放運動の拠点となっていく。日本政府は列強の顔色を窺っていい顔をしなかったが、頭山満らアジア主義者たちは陰に
陽に彼らを助けた。中村屋の婿になったビハーリー・ボースもまたインド独立運動家であった。中村屋は、今も有名な
カレー店として残っている。
「アジアは一つ」これこそが大東亜共栄圏構想の底流に流れていた思想である。
大東亜戦争が植民地解放戦争であるのは疑いのない真実である。
馬鹿は泣きながら否定するが。
自由インド仮政府はシンガポールで設立され、チャンドラ・ボースが主席に就任した。
ボースは大東亜会議にオブザーバーとして出席し、米英帝国主義からのアジア解放を訴えた。 ★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに
参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅
を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。」
「いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連
合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、
アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」
(1944.3.20自由インド放送より)
このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ
・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教え
られてきたからです。しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その
「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。
大東亜戦争が侵略者との戦い、植民地解放戦争だったのは疑いのない事実だ。
馬鹿と韓国人泣きながら否定するが。
>>196
>東アジアや東南アジアはウイルソンの民族自決主義に突き動かされ、
国連で演説するプーチン大統領(GettyImages)
(翻訳)
尊敬する代表の皆さん!尊敬する国連事務総長殿!尊敬する各国首脳の皆さん!紳士の皆さん!
国際連合の70周年は、歴史と我ら全員の将来を考えるのによい機会です。1945年、
ナチズムを打倒した諸国は、戦後世界の秩序を築くべく努力を結集しました。
思い起こしたいのは、国家間関係の原則に関する重要な決断と、国際連合の創設に関する決断は、
我が国のヤルタにおける反ヒトラー連合の首脳会談で採択されたということです。ヤルタ体制は、
この星で20世紀に起こった二度の世界大戦に出征した何千万という人々の生命に実際に敬意を払ったものであり、
過去70年間の過酷で劇的な出来事の中で客観的に人間性を保つ助けとなり、世界を巨大な波乱から救ったのです。
国際連合は、その正当性、代表性及び広範さにおいて比類なきものであります。たしかに過去、
国連の場においては少なからぬ批判がありました。これは効率性の不十分さを示すものであり、
特に国連安保理のメンバー国間では重要な決定に関して覆いがたい対立があります。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5458 馬鹿でも韓国人でもないが、アジア太平洋戦争は
紛れもなく日本の侵略戦争だったよ。 先ず初めに欧米宗主国から開放しなければ、
日本は侵略できない。
そして侵略を貫徹する前に日本は戦争に負けたから、
日本が開放した止まりで歴史を見る奴が居ても、何ら不思議ではない。 せやな。悪意にとってもフランスやアメリカやイギリスやオランダを侵略しただけの話し。 言葉遊びは小学生に任せるとして
問題は中国に100万の兵を送り込んで何をしたかだな
その目的は、金銀ダイヤの強奪だった
戦前から資産家の居所を探り
陸軍の後を略奪部隊がついて回った
中国人も、そうやすやすと金品を出すわけがないので
拷問して殺して略奪をしたわけ
結局、天皇家は英国王室と同じで盗賊の親分なのだ
中国のみなさん、盗まれたものの返還請求は宮内チョンまでお願いします
応じないなら人民解放軍を1億人くらい上陸させて交渉してみてください
骨董品はアメリカに売ってしまったのでアメリカに相談下さい
費用は宮内チョンまでお願いします >>215
>問題は中国に100万の兵を送り込んで何をしたかだな
南京大虐殺とは南京大勝利で、汪兆銘とかのナンキンゴキブリがわらわらと集まって南京維新政府が出来た。
それはゴキブリがゴキブリホイホイに吸い寄せられてゴキブリホイホイに入って死んでいくのと同じだ。
「子供から全てが始まる
生かしてはおけない
貴様らもみんな死ね
貴様らの民族に未来はない
共産主義は下等人種に宿る
絶滅させるべきだ
必ず遂行する
必ず遂行する!」
<炎628 かつて白ロシアで、628の村々がドイツ軍に焼き払われた>
http://wolf.adolf45d.com/eiga628.htm
「子供から全てが始まる
生かしてはおけない
中国人もみんな死ね
チャンコロに未来はない
チンピラゴロツキは下等人種に宿る
打通させるべきだ
必ず遂行する
必ず遂行する!」
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 大東亜戦争は紛れもない植民地解放戦争である。
東條が後に宣誓供述書で語るとおり、東條は全ての東南アジア植民地諸国を独立させるつもりだった。
この強い意志は、大東亜共同宣言によって世界に発表された。
大東亜共同宣言が、植民地諸国解放という日本の戦争目的を世界に知らしめたのだ。
大東亜戦争の終戦後、アジアの植民地は3年以内に独立したから、植民地解放戦争というのは嘘ではない。
https://goo.gl/CEXoRo
これが原因ってこと?本当?
ショックだわ。。 >>217
おい低能
ならば中国が、在日米軍を追い払ってあげますと言ったら
1億人の人民解放軍を受け入れるか
「いいえ、結構です」と言っても
中国からは米軍が敵に見えるんだから上陸してくるぞ >>221
「あり得ないたとえ話」を持ち出す典型的なパヨク
歴史と現代を混同するアホ 東條英機は、東南アジア植民地諸国を解放した英雄である。
その業績は織田信長をも凌ぐ。
東條こそ、靖国神社の英霊にふさわしい。 1937年、ナチスの暴挙を世界に喧伝するためにハルビンで開催された極東ユダヤ人大会。
ハルビン特務機関長だった樋口季一郎らが大会に出席したことに対し、当時、同盟国であったドイツが抗議。
その抗議を東條英機は握りつぶした。
ナチスの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に入国させたことに対するドイツ外務省の抗議を、
「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と東條英機は一蹴した。
東條英機こそ、ユダヤ人を助けた情の厚い英雄なのである。
東條英機は、植民地解放の英雄である。
インドやマレーシアでは、今でも東條英機は救国の英雄と崇められている。
東條を嫌うのは朝鮮人とシナ人とパヨクのみ。
>>225
東條は結果的には英雄だろうね。日本でも結構嫌われているけど。
逆に、日本やフィリピンではマッカーサーは英雄扱いで、神の如く崇められているけどね。 日本ではマーカーサーは「神聖にして侵すべからず」だからね。
マッカーサーといえば、大東亜戦争が自衛戦争であることを認めたことで有名。
東條英機も宣誓供述書で、大東亜戦争は自衛戦争だ、と出張しており、
両者の意見が一致した以上、大東亜戦争は自衛戦争であると言うのが正しい歴史認識である。
日本はGATT(→WTO)体制を勝ち取った点は、あの戦争をやった甲斐があったと思う。
その為にはあまりにも大きすぎる犠牲だったけどね。
それ以外のメリットは特にない。優秀な白人の啓蒙下にあった植民地を
土人に与えたのは、むしろ害の方が大きかった。 >>215
>問題は中国に100万の兵を送り込んで何をしたかだな
対日戦争はオマケで、日中戦争はオマケのそのまたオマケ? 自衛だよ。日本人を大虐殺する目的で真珠湾に戦闘艦隊を
集結した米国政府が悪い <結論>
なにもかも このバカが悪いw
自らの野望で日中戦争を勃発させたのは、このバカ↓
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 中国を空爆せよ!! r::- _
:::::::::'、 鬼畜蒋介石に 正義の鉄拳を!!! /:::::::: ´` '
::::::::':、 暴支膺懲!!! ,.:':::::::
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/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六 (日本のヒーローwww)
このバカが世界を無理やり全面戦争に引きずり込んだ
・第二次ロンドン軍縮会議の予備交渉で、無理な要求をして意図的に交渉を破綻させた
・自作自演の大山中尉事件で中国無差別爆撃を強行、計画的に侵略戦争を勃発させた
・米英不可分論でアメリカを無理やり戦争相手国にした
・ハワイをだまし討ち攻撃して、アメリカを無理やり全面戦争に引きずり込んだ
・捕虜になった陸攻隊員に自爆を強要
・ソロモン航空消耗戦で日本の航空兵力を壊滅させた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています