アジア・太平洋戦争のことを大東亜戦争と言ってる奴w [無断転載禁止]©2ch.net
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右翼「『大東亜戦争』の『大東亜』はイデオロギー面とは無関係であり、戦争の範囲をあらわす名称(キリッ」
アラスカ・アメリカ西海岸も大東亜って言うの無理があるだろ
この言い訳、完全に破綻してるんだよなぁ… >>4
私の場合、文章で書くときは
・「大東亜戦争」(日本中心の記述の時)
・「第二次世界大戦」
・「太平洋戦争」は日米戦に限定して使用する。
口で言うときは
・「戦争」、「第二次大戦」など
中学の歴史教科書でどう記載されているか?
・すべての教科書で「太平洋戦争」が使われている
・シェア約半分の教科書で「大東亜戦争」、「アジア太平洋戦争」も併用されている。
<資料>
平成24〜27年度中学校歴史教科書
http://tamatsunemi.at.webry.info/201107/article_40.html
平成24年度使用 中学校教科書シェア
http://blog.goo.ne.jp/project-justice/e/e7fbf5562ce5574dd7ea2f8e5fffd0c5
■主に使っている戦争名
出版社 シェア% [注釈などにおける戦争名]
■太平洋戦争
東京書籍 52.8% [ー]
教育出版 14.6% [大東亜戦争、アジア太平洋戦争]
帝国書院 14.1% [大東亜戦争、アジア太平洋戦争]
日本文教出版 12.6% [大東亜戦争、アジア太平洋戦争]
■太平洋戦争(大東亜戦争)
育鵬社 3.7% [ー]
■アジア太平洋戦争(太平洋戦争)
清水書院 2.1% [大東亜戦争]
■大東亜戦争(太平洋戦争)
自由社 ー% [ー] >>45
横レス失礼
>そもそも旧日本軍が暴走したのは、世界恐慌で日本がブロック経済で追い詰められていったのが原因。
ブロック経済が本格的に始まったのはオタワ協定で1932年8月。
満州事変の方が先なんだが。
旧軍の暴走の始まりは張作霖爆殺からとも言えるが、であれば世界恐慌よりも前からになる。
>世界恐慌が無ければ満州や朝鮮は堂々と日本から独立していたかもしれないし、
それはないな。
>日中戦争や太平洋戦争も無かったかもしれないからな・・・。
こちらは可能性はなくもないだろうけど、あのままだったら旧軍の暴走は止められなかった可能性の方が高い。
あなたも>>46で言ってるように、構造改革が必要だったわけだが、日本が自力でやれるか難しい。
日本の権威と実権が乖離した二重構造、派閥の連合体は根本的な改革は難しい。
加えて地主解体を主張してたのが社会主義、共産主義勢力だったからねえ… 世界恐慌で侵略に走った論は、日本はむろんドイツだって当てはまらないよ。
そもそも日本の場合は明治初年の台湾出兵から一貫して行われた民族拡張
政策の延長戦なわけだし、そもそも満州事変は新規国家の独立であって侵略
でもなんでもない。つーかすでに半植民地状態だったわけで。ドイツのばあいだって
ナチスが政権をとってラインラント進駐の36年までとってもすでに英米仏を先駆けて
恐慌以前の経済規模の回復してしまってるわけ。「なんとなーく」の進学塾の
学生アルバイトが考える程度の歴史観で近代史語っちゃダメだよ。 「恐慌で失業者があふれたから、新規の領土が必要になった」ってのは
まったく事実をみてない妄想にすぎない。1929年の大恐慌がなかったら
大東亜戦争がなかっただの第二次世界大戦がなかっただのといった立論は
まあありえないわけ。 恐慌の爪痕にいつまでも苦しんだのは英米仏の自由経済諸国
とりわけアメリカであってソ連、ドイツ、日本は生産の国家統制で
急速に回復したんだ。つーかソ連はそもそも5か年計画中だから
影響すらほとんど受けてない。まずこの前提を押さえてもらいたい。
恐慌から離脱し失業問題を解決するために侵略戦争が必要不可避で
あるなら、まっさきにアメリカこそがやらなきゃならなかった。 日本が爆発的な人口増加したのちの恐慌だったということ 大正期の人口ピラミッドを見たら、移民や領土拡張は
急激な人口増加の結果とわかる
日本の現在のすべての問題も人口ピラミッドでほとんどのことが
説明できるのと同じ 【ドイツ】
・世界恐慌→米国からの復興援助がなくなる→不況→ナチスの台頭&生存権(市場)の確保へ
【日本】
・世界恐慌→昭和恐慌→不況→経済圏の確保→大陸進出→満州事変
日本もドイツも世界恐慌後に急進的な勢力が台頭した。
それはなぜか?世界恐慌で市場がなくなったことが原因だ。
【米英仏】
・世界恐慌→ブロック経済を実施・米はスムート・ホーリー法で高関税率の実施→新興国(独・日・伊)が経済圏からはじき出された
新しい経済圏を求め国民はよりリスクが高い侵略を許すことになる。 世界恐慌の原因を総括したら3つにまとまる
第一の原因は、バブルがはじけて人々が株で大損をしたために、消費を極端に控えるようになったからである。
第二の原因は、アメリカが金本位制度をとっていたことと関連する。金本位制のもとにあっては、中央銀行は保有する金に見合った量の紙幣しか発行できない。
つまり、不景気になっても金融マネーサプライを増やすという緩和政策を実施することができないのである。
第三の原因は、国際経済制度に不備があったことと関連する。すなわち、不況に直面した先進資本主義諸国は為替切り下げ競争に走り、ブロック経済を実施したのだ。
世界恐慌の最大の教訓は経済制度に不備があったことである。
世界恐慌に直面した日本を含めた先進資本主義諸国は為替切り下げ競争に走り、ブロック経済を実施したのだ。
つまり、自国の輸出が増えれて輸入が減ればいい、今さえ良ければいい、自国さえ景気がよくなればよい、そして他国がどうなろうが知ったこっちゃないという近隣窮乏化政策を展開したのである。
それが世界貿易を急激に縮小させ、旧日本軍やナチス・ドイツ、ムッソリーニ政権のイタリアが歴史の表舞台に出た一因となったばかりではなく、
さらには北半球の多くが生きるか死ぬかという過酷な戦場へと化けた第二次世界大戦の原因ともなったのである。
このときの失敗を反省して第二次世界大戦後、為替切り下げ競争を回避するためにIMFを作り、 自由貿易を推進するためにWTOの前身であるGATTを作って
現在に至るまで世界経済のグローバル化・ボーダーレス化と自由貿易を貫いているのは世界恐慌や世界大戦を絶対に繰り返さないためなのである。
今度第三次世界大戦になったら・・・。
「リアルマッドマックス」「リアル北斗の拳」「リアル猿の惑星」「リアルFallout」「リアル攻殻機動隊」「リアルエンドオブザワールド」「リアル風の谷のナウシカ」「リアル未来少年コナン」の世界になるしか無いからね >>56 いや因果関係が混乱してるんだよ。日本の大陸進出は
明治初年から一貫した政策なんだから「大恐慌で侵略が〜」では
解説にならない。むしろ欺罔してるからタチがわるくて指摘せざるを
えなくなる。1929年以降に世界各国でおこったのは行政府による
議会権力の簒奪であって、これはアメリカでも明確に発生したこと
なんだ。日本やドイツだけの話ではない。ルーズベルトは33年の
就任直後の100日議会で修正対敵通商法を成立させて
国家の非常事態を戦争ととらえマーシャルロー(戒厳)の法理で
重要案件をどんどん成立させたんだよ。 それからドイツからアメリカ資本が撤退したから(一時撤退したのは事実だが)
ナチスが台頭してドイツが復興したというのも微妙に誤謬があって、ナチス
政権下でフォードやデュポンがドイツ復興に貢献したことはよく知られてる事実。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ J( 'ー`)し ┃
┃ ( ) ┃
┃ | | ┃
┃ 【カーチャン】 ┃
┃ ┃
┃. カーチャンを見た人はいつでもいいので ┃
┃ 生きている間に親孝行して下さい。 ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 大陸への侵略は明治維新政府の国是だよ。
昭和期になって俄かに日本は侵略的になったのではない。 なんで1929年の世界恐慌を脱するために侵略戦争を〜みたいな妄想を
いまだに熱弁するやつが多いんだろうな。学校でもそんなこと教えてない
はずなんだけど。仮に満州事変が1929恐慌を脱するための関東軍の謀略
だったと仮定しても(そんな馬鹿げた仮定自体無意味だが)、満州事変は
あっというまに収束して日中の全面衝突にはならなかったし、満州事変の
けっか日本が米英から経済制裁を受けたという事実もない(国際連盟は
中国の採決要請を拒否してる)わけで。1937年の日中戦争開始時点では
すでに恐慌前の水準に回復してむしろインフレ気味で歳出抑制しなきゃ
いけないくらいだったというのにだ。ましてや1941年開戦にいたっては
ABCD包囲による経済制裁が直接の開戦理由であって、すでに恐慌など
何の関係もなかった。 >>62
少なくとも満州事変以降、特需が起こった事は事実なのだから、それは認めないと。
満州事変は、日本が世界恐慌から脱するきっかけに成ったが、現地軍暴走という、悪弊を作り出した事が事実だろ。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/vX3ERl きっかけにはなってないよ。単に恐慌の底のタイミングで
発生しただけ。日本が恐慌を脱出したのはそれまで内地では
ほとんど行われてこなかった大規模投資を内地でおこなう
ようになったからだよ。高橋の積極財政の対象はほとんどが
内地。むろん満州事変により鞍山や撫順の権益がようやく
安定したというのもあるが、それは前後関係にすぎんよ。 それに「円ブロック獲得のために中国に侵略を〜」みたいな勘違いから
恐慌が侵略戦争につながったみたいな話しにしたがるヤツもいるが
そもそも円ブロックなんてものはなくて、ようはポンドやドル、フランから
締め出されて残った残余が円ブロックにすぎんわけで、日本はアメリカや
イギリスと交易したかったのに、「むこうが」一方的に関税をものすごく
引き上げたんだよ。そこ無視して「円ブロック拡大のため〜」とか論じるのは
ナンセンスそのもの。 むしろ、世界恐慌での列強のブロック経済を見て、次に同様事案が発生した場合の為の「対策」として
日満支での円通貨圏構築が必須だと痛感したんじゃないのか。
日本でもブロック経済で乗り切れる様にしておかないといけないと考えたならば
世界恐慌の経験が後々に影響を与えたのは否定出来無いだろう。 とはいえじっさい当時の交易品みてみると日中間で取引されてるものって
卵だとか乾燥野菜だとか木工品だとかタワシだとかそんなものばっかなんだよ。
日本が欲してた製造装置だとか電気機器、通信機やモーターなんかはほぼ
ぜんぶがアメリカから来てて、日本はそれを絹製品や茶やタバコなんかで支弁
してるような状況だったんだよ。満州からは鞍山から鉄鋼品がようやく入るように
なったけど恐慌の発生で中華民国が「輸出税」を課そうとしはじめたりしてた
ような状況。円ブロックなんてのは理屈の上だけの構想であって、現実には
そんなものはありえないし、日本帝国が必要としてたものがその中ではぜんぜん
自給できてなかった。 >>68
実際に欲していた資源を始め、確かに日満支だけでは難しかったんだろう。
だから
日満経済ブロック→日満支経済ブロック→大東亜新秩序→大東亜共栄圏
へと構想が拡大したんでしょ。
大東亜共栄圏では円通貨経済圏として域内コントロール出来る様に考えたんじゃないのか。
世界恐慌の不況脱却や次期対策として円通貨圏を構想し
域内での効果が希薄であるとして、更なる拡大を試みたとするならば
世界恐慌の経験が主因である事は否めないでしょう。 いやだからwバカはなんでそーやって空間的領土さえ拡張すれば
すべて解決すると考えるんだよwwいってんだろ日本帝国が必要な
ものはすべてアメリカから来てたんだってw南方行ったってとれるのは
せいぜい生ゴムと原油とわずかばかりの鉱石くらいだっての。 もっとも当時の学歴のない庶民が新聞読んでる程度だと、だいたいそういった
考え方じたい持っていたことまでは否定せんけどね。「円ブロック拡張のため
大陸や南方に侵略戦争を仕掛けた」なんてのは因果関係どころか前後関係で
すら間違ってますってお話し。 大東亜の解放を目的とした聖戦だとかぶっちゃけ後付けじゃん 勝ってりゃそれで通ったんだから戦争なら言ったらいいんだよ。
後付けとか関係ない。米英だってあとから侵略戦争だの日本国民の
開放だの好き勝手言ってたんだよ。 日本を普通の国にさせたくない反日研究者の「上から目線」
勝者の正義と偏見・無知
日本の近現代史研究で知られるジョン・ダワー氏は日本の近代化への歩みを「急速・果敢・順調」と
まずは肯定的にとらえながらも「最終的には狂気に駆られ、残忍となって自滅した」と結論づけています。
ダワー氏の論にくみする日本の研究者も大勢いますが。
http://ironna.jp/theme/133 >ダワー氏の論にくみする日本の研究者
むしろそういう研究者は平衡感覚があると思います
戦前の日本の「狂気」と「残忍」にも
無知な痛い日本人がまだいますから 中共や米国がいまげんざいもとらわれてる狂気や残忍には
触れないのが「平衡感覚のある学者」であるための資格 アメリカの狂気と残忍はネイティブを虐殺しながら西へ西へと進んでいた頃からの筋金もんだな
そいつ博士論文が森鴎外についてで、金沢の短大で英語の先生やってたんだよな
アメリカではハーバード卒のエリートが、日本では聞いた事もないような女子短大にしか就職できなかった事への恨みがあると見た 常識でみて今の日本ほど平和で公正な国なんかあるわけないのに
過去ほじくり返して「ダメだダメだ」と叩いてるヤツが中立なわけあらへん
そういうことやってるからトランプみたいなんが大統領になるんやで >>65
それは石原莞爾に対して失礼だ。
公共事業としての事変を世界恐慌脱失の要素があったことは間違いない。
そこが石原の天才たる由縁だよ。
しかし、独善という大失態をしているが。
>>68
満州事変以降の満州国建設の物資はどこから来たのか?
一国を作り出す特需が日本に恩恵が無かったのか?
そんな馬鹿な事は無い。 石原信者はそう思いたいんだろうけど、日本が恐慌を脱出したのは金本位離脱が理由。
ちょうどその直前に柳条湖事件おこしたから前後関係が錯綜してるだけだよ。恐慌の
悪化を天与の機会ととらえた可能性は十分あるだろうが、満州事変が日本経済に与えた
影響などなにもない。皆無。 金解禁が1930年で、それにより国内の準備金がいっせいに海外に流失(おもにフランス)
していったので、日銀は不況の真っただ中なのに公定歩合を6%にまで引き上げてたんだよ。
それは世界中のどの金本位制国でも似たような状況だった。で、31年12月に離脱して段階的に
3%代まで引き下げることでようやく恐慌から脱した。これが通説。石原の出る幕などない。 >一国を作り出す特需が日本に恩恵が無かったのか?
鮎川財閥さんがその恩恵とやらの大半をもっていきましたとさw アカの連中はもう「15年戦争」呼称定着作戦はやめたのかw >>81
は?
満州国建国で日本から人、金、モノが満州に大量に渡っているのだから、明らかに景気浮揚
なっている。
いったいどんな頭があれば、満州国建国が景気に影響しないなんて答えが出るのか?
世界で戦争になって戦勝国が不景気になった国があるのか?
知ったかぶりは、たいへんみっともない。 そういう感覚論はどうでもいい
右翼ですらもうちょっと勉強してる >>86
言っていることが分からない。
満州国建国で、日本から人金物が満州にいった事実は知らないのか?
こうゆうの戦争特需というんだよ。www
いったいこれのどこが感覚論なのか? 戦争特需というのは貿易が堅調じゃあなきゃ起きない。
当時満州利権にありつけたのは、一部の新興財閥だけ。 >>88
歴史を教科書や、インチキウヨク本しか読まないから、こうゆう馬鹿が蔓延る。
満州事変以降、日本からいわゆる満州ゴロと呼ばれた、一攫千金を目指した日本人がどれだけ渡満したのか知らないのか?
少なくとも、人の移動は確実にあった。 内地の景気にはいっこうに影響してないんだよ。満州国建国で
国内の金利とインフレが進んだくらい。日本人の富になってない。 日清戦争に勝ったから日本がゆたかになった ほんとう
日露戦争に勝ったから日本がゆたかになった うそでした
朝鮮併合したから日本がゆたかになった うそでした
満州国建国したから日本がゆたかになった うそでした 「満州国建国や中国侵略で日本経済は好転した」というパサヨの妄想は、じつは
戦前の「満州国建国や中国侵略で景気を回復させろ」というアホウヨクとおなじ
妄執の上に立ってるんだよ。当時の日本は国力の増強や対米戦略にとって必要な
すべてをアメリカから購入していて、その対価として支弁できるものは生糸や茶・タバコ
くらいしかなかった。当時の日本にとって必要なのは(欧米とはちがって)金塊そのもの
だったんだよ。金塊が必要だから中国を侵略して「金塊を獲得」できればよかった。
土地など必要なかった。ところが日清戦争とはことなりすでに植民化されつくした
中華民国には金塊などなく国際的な決済力のほとんどない銀と公益性のほとんど
ない木工製品やら美術品やらしかなかった。これが現実だよ。小日本主義をとなえて
いた東洋経済新報派こそが経済の側面から正確に日本の国益を把握していた。 1941年12月12日、大東亜戦争の呼称を閣議決定 >>92
おいおい、渡部昇一先生は、
>しかも日本が金解禁を止めた年と、満州事変が起きた年が同じであったために、
>満州事変が景気恢復の女神のように見えたのである。関東軍の暴走が国民的支持
>を得たのも、ここにその一因があった。
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/a292a14300710e571e76b0161970a5ff
と言っているぞ。
渡部昇一は信用できないのか?
また、満州事変が大戦景気のケースの一つだとしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%88%A6%E6%99%AF%E6%B0%97
満州事変が景気浮揚に役立たなっかたソースを出しなさい。 ちゃんと「〜女神のように見えた」って適切に書いてあるじゃん。満州事変は9月で
金本位離脱は12月だよ。国民には満州事変で景気がよくなったようにみえたんだろう。
後半のは31年末から高橋財政がはじまったからだよ。軍事費拡張もその一環だから
とうぜん財政支出増→総需要拡張につながる。そもそも軍事行動がすぐ納まった満州事変が
(熱河攻略まで含めたとしても)大戦景気なわけがないだろ。満州への投資で内地の景気が
よくなったんじゃなくて、内地でそれまで低調だった財政支出をばんばんやりだして、金本位
離脱で金利が6→3%になったことが景気回復の原因だよ。 >>95
満州事変の景気浮揚は、大戦景気だとのソースを張っているが?
俺は、金利を下げたことも景気浮揚の一要因であると思うが、満州事変が景気浮揚の
要因にならなかったというのは、明らかに恣意的だと断言する。
当時の景気の回復に満州事変が全く関わらなかったというソースを示せ。 >>95 追記
>高橋蔵相は,赤字公債を発行して日本銀行に引き受けさせ,それを財源とする積極財政
>を展開した。軍事費を増大して満州事変の戦費を確保するとともに,それによって軍需関連
>の民間需要を拡大させて景気を刺激したのだ。さらに円為替相場の下落を容認し,円を低い
>水準(1ドル≒3円強)で安定させる低為替政策をとって輸出に有利な条件を確保,他方では
>輸入関税を引き上げる保護政策も実施した。
当時の景気浮揚について、経済政策と共に満州事変による戦費調達も要因だと言っている。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/pre.htm
さぁ、当時の景気回復に満州事変が全く関係が無いと言うソースをだせ。
出せるよな? 不存在の証明なのでだせません。きみが納得するとはとうていおもわないが
参考までに過去の軍事予算についてデータは示してやろう1932年度予算が
1.5倍になったのが高橋財政がはじまったからだ。
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html 日露戦争が始まった1904年度や日中戦争のはじまった1937年度の急増も
ついでに確認したまえ。これが戦争特需というものだ。 >>98
あのさぁ〜、馬鹿か?
満州国建国が1932なんだぞ。満州国建国と共に関東軍の増強があったため軍事費が
増えたと言う解釈をどのような論理で全て否定できるのだ?
お前たちは、自分の思想で歴史を改ざんしようとする中国共産党のような輩だぞ」。
1931年以降の景気回復には、満州事変が関わっていたことは、否めない。
これが真実だ。 >>99
だから、日露役も満州事変でも勝ち戦なら特需が発生するんだよ。
少しは勉強しろ。 >>98
不存在じゃないだろ。
「満州事変が当時の景気回復には関与していない。」
というのは、しっかりとした”命題”であって、それを証明できななければ、その命題は
”偽”ということになる。
当たり前の話だが? >>85-102
一連の議論を斜め読みしたかぎりの戦後サヨクからの雑感。
両者、景気を長期で語るか短期で語るかの違いにみえた。
【長期】
長期視点でみれば「事変」で利益得るのは「軍需産業」ぐらい。
賠償金なしの戦争で真の「景気回復」は期待すべくもない。
ベトナム戦争で米国の軍需は儲かったが、トータルの国力は極端に低下。
(※日本にとり対岸火事的ww1、朝鮮戦争、ベトナム戦争は真正特需)
肝心の満洲国も「建国債」は禁じ手の「アヘン専売益を担保にする」と
公言しないことにはプロの銀行団は相手にしないリスキーなモノだった。
結局、「東洋経済=湛山〜グラッドストン路線」が長期的、総合的に
正論というのは同意。しかしその一方、↓ 【短期】
戦争は「超大型公共事業」。短期なら軍需中心に経済は動き、カネは廻る。
ツケはあとから来るにせよ、以前は極端にカネが廻らない景況だったゆえ、
当座のシゴトにありつけた国民は歓迎した。これを真の景気回復という
べきかは別にして。
なお「事変」は、中国の権利拡大にともない窮地にたたされてた日本の
関東州の「特殊権益=特殊貿易=密輸密売」が存続できることを意味した。
で、濡れ手に泡の麻薬密売などめざす「一旗組」も大挙して大陸へ。
その泡銭が邦人社会に流れ込み……の効果はじっさいにあった。
ということで、サヨク的視座もよければ眼をとおしておいていただきたし。
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1480227180/780-791 >>103
感想ありがとうございます。
私としましては、景気回復の要因として長期も短期も認めているのだが、
私の議論相手は、満州事変(短期要因)を完全に否定している。
これは、歴史を思想で捻じ曲げている行為だと解釈している。
だから、この思想に偏った事を指摘している。 >>100 現在の物価で軍事費6兆円くらいのが8兆円くらいに
ふえた程度だから日本経済を支えるほどの規模じゃないんよ。
たいした規模ではない。 >>106
俺は満州事変を軍事費増加だけの景気に対する効果だけではなく、満州事変から派生する
満州国建国を含んだ一連の動きが景気浮揚に繋がったと主張している。 朝鮮併合みたいに領土領民に対する課税権を得たのなら意味はあるが
満州国のばあい満州領土・領民に対する徴税権は満州国にあるんだから
満州が豊かになろうが日本の国庫には関係なかった。しかも主要な財源は
関税で、内国税は塩たばこ酒に対する消費税、出産税、営業税くらいしか
なかった。現代の視点での国の富(国富)とはまったく違うんだよ。 戦後のアメリカが日本やドイツの復興のために大量に資本投下して
日本やドイツの国民は豊かになったけど、アメリカ国家には直接は
関係なかったろ。おんなじこと。 >>109
やっぱり、お前か。相変わらず馬鹿だな。
満州鉄道はなんだ?株式会社だぞ。満州鉄道の利益はどこに行くのか?
その他日本の資本の会社が満州に渡ってないのか?
現在日本が、世界各国に現地法人を作ることで、日本企業が利益を得ることになるだろ。
関係あるだろ。おんなじこと。www 1932年には6100万円ほどの純利益あげてるけれども(現在価値で6100億ほど)これの
大部分は地方貸付債の利息の未収分を満州国から一括して回収したためで、翌年からは
4000万くらいに落ち込んでるよ。しかも回収したというのは帳簿上だけのはなしで、じっさいは
満州国への貸付という形で処理され、最終的には鉄道事業を満州国に移管する時点で
相殺されチャラにされてる。つうか、国策企業とはいえしょせん1企業だぞ。それの動向で
日本国家や国庫が維持されるわけないだろ。 なんかホント、期待しすぎなんだよ。「不況脱却のため満州事変をおこし中国侵略を
おこなった」っていう妄想は、戦前の「不況脱却のため中国を侵略しろ」というウヨクの
議論とおんなじで、計数上はなんの根拠もない。戦前ウヨクの論法に戦後サヨクが
検証せずのっかっただけ。事実は東洋経済新報がいうように日本国家および日本社会に
とって必要だったのは金塊であって、その金塊は満州なんかになかったんだよ。 >>111
で?
満州事変から満州国建国の一連の流れが、日本の景気の浮揚に関係がなかったと
する学者、研究家の書いたソースがあるのか?
お前のトンでも説はどこから来るのか?
満州国にいった日本企業はなかったのか?
なぜ、日本から国民が渡満したのか?
やはり馬鹿か? 満州に渡った日本企業の多くは新興財閥だよ。
日本国内は旧来の財閥が資本を占有していたから、
新興財閥にとって満州のビジネスは渡りに船だった。
それから、渡満した農民は退役軍人の関係者が
多かった。理由は日本が摂取した土地から立ち退いた
先住者らが不満を持って度々反乱を起こし、
武装を余儀なくされたから。 >>114
は?
その根拠は?
満州に行った日産は新興財閥か?
適当な事を言うな。
満州国建国が日本に対して景気回復に役立っていないソースを示せ。 ちな関東州に進出した日系企業の大半は赤字経営。南満州鉄道だけ例外的に黒字体質の
強企業だった。それでこの程度。 >>115 満州事変前後のGDP推移などちょっとぐぐったらいくらでも
落ちてるだろ。まともな恐慌分析論で「満州事変によって日本経済は
不況から脱却した」などと記述してる論文など無いんだから、証明の
しようがないっていってんの。
経済学の通説では金本位離脱と高橋財政で恐慌を脱した、とくに
為替は金本位離脱で対ドルで半減したため輸出産業が一気に息を
ふきかえし、公定歩合も3%まで下がった一方で、急激な輸出増は
イギリスのオタワ会議やアメリカの反発を招き貿易制限体制(関税
引き上げ・ブロック制作)を招いた、高橋財政は35年にはすでに顕著な
インフレ傾向をまねき財政縮小論をまねきこれが226につながった。
これが通説。石原や満州事変の出る幕なんかないんだよ。書いて
ないんだから。 ソース示せいうまえに「満州事変が日本経済にもたらした効果」について論文書いてくれよ。
むしろ興味あるわ。こっちの理解では顕著な影響などどの論文にも記述されてないし
客観的な数値みるかぎりべつに影響などみられなかったとしか評論できないんだよ。 >>117
渡部昇一著
”戦後七十年の真実”より
”満州国の建国がもたらした日本国内の好景気”
http://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1069555-84/
しっかりと書いてあるので読むように。
さて、お前の妄想以外で、満州国建国が日本国内の景気に関係が無かったという
ソースを示せ。 >>117
報知新聞 1933.8.31(昭和8)
>満洲事変以来我国にはいわゆる満蒙景気なるものが起った、満州国と我国との間
>の貿易額は躍進に躍進を重ね、
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00464242&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 ばかたれ。とんでもなく入超になっとるやないか。
ほんまこんなレベル相手に議論せなあかんのか・・・ まず、日本の経済学者、経済史学者には、日本において大恐慌は“軽微”だったという
認識がない。例えば、昭和恐慌期によって疲弊した日本の農村では、娘の身売りが相次ぎ、
それが現状を打破しなければならないという世論を強め、青年将校の憤激を招き、紆余曲
折のあげく、戦争にまで突き進んでしまったという議論がある。娘の身売りが相次いだと
いう話は、高校の日本史の教科書にも載っている。戦前、日本の貧しい時代に娘の身売り
−借金のかたに年季奉公で娼妓に売られる−ということはあった。しかし、昭和恐慌期に
それが急増し、しかも、継続的に増大していたという証拠はどこにもない。
ただし、最近の高校の日本史の教科書では、昭和恐慌だけでなく、それ以前からの米価
の低迷、アメリカ大恐慌による生糸輸出の激減、凶作、昭和恐慌により都市で仕事を失っ
た人々の帰農など、恐慌に関する要因と凶作による要因が相まって娘の身売りをもたらし
たと説明している7。教科書によって、これらの要因の強弱に多少のニュアンスの違いがあ
るが、ほとんどの教科書が複合要因説を採用しているようである。いずれの説も、これら
の要因が娘の身売りを発生させた(それまでほとんどゼロであったものを大きな数にさせ た)、
または増加させたということを前提としている。 しかし、このような関係を裏付けるデータは
存在しない。各社の教科書も、それが依拠したであろう経済史の文献も、いずれもデータを
示していない。これに対して、原田・安 中(2015)は、『警視庁統計書』を用いて、昭和恐慌に
よって娘の身売りが増加したという事 実はないと結論付けている。
ではなぜ、昭和恐慌によって娘の身売りが急増したという主張が今日においても残って いるの
だろうか。その理由は、第 1 に、日本の歴史家が、資本主義は邪悪なものであり、 特にそれが
もたらした恐慌は、経済社会を悲惨なものにしたと主張したいからであろう。 第 2 は、戦争は悲惨な
経済社会の状況から生まれたと結論づけたいからである。社会が安 定していたにもかかわらず、
日本が戦争に突き進んだのであれば、戦争を引き起こした人々の責任はより重い。ここには責任
回避の思想がある。本稿の分析範囲を逸脱する問題であ るが、私は、日本の歴史家は、このより
重い責任を追及すべきだと考える。
http://jshet.net/docs/conference/80th/harada_full.pdf 46年9月に大蔵省がまとめた「海外活動」報告は・・・満州事変を契機とした軍事費の増大が
景気回復の要因の一つであるとしていることや、正貨流出と金融政策の関係を分析して
いないことなど、石橋の分析と比べると不十分で、かつ、石橋の考えと 異なるところがある
http://jshet.net/docs/conference/80th/harada_full.pdf 満州事変で英貨公債が暴落
1931年9月18日、柳条湖事件が勃発し、9月20日にイギリスが金本位制から離脱した。
柳条湖事件に始まる満州事変の勃発は、海外の投資家から日本が国際協調路線を
伯耆し、中国侵略を本格化させる兆候と見られ、ロンドン市場の日本公債に大きなリスク
プレミアムが求められた。
イギリスの2.5%コンソル公債の市場価格が8月には額面の57.6%、9月55.6%、10月55.6%と
ほとんど暴落しなかったのに対して、日本の4%利付英貨公債のロンドンでの市場価格は、
8月平均79.56%、9月高値78.75%から、9月安値は額面の60%に急落した。
https://www.nri.com/jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050702.pdf >>123
>>124
>>125
>>126
あのさぁ〜、聞いてもないことをグジュグジュ書いているが、満州事変以降の満州国建国に伴った
日本経済への影響について、どこにも書いていないが?
娘の身売りと満州国と何の関係があるのか?
満州事変に伴う軍事費の増大だけではなく、満州国建国に伴う日本企業の進出、投資を
含めると書いているはずだが?
満州事変直後に日本の公債が下がることは当たり前、どうなったのか?
結局、満州事変以降の満州国建国に至るまでの要因が、日本経済に全く影響しなかった
というのは、全然書いてないな。
だいたい、満州国を日本の傀儡にしたことは、GDPを見ても明らか。
http://www.geocities.jp/kingo_chuunagon/kikaku/kokuryoku.html
残念でした。 えっと……、いろいろ混乱あるようなので事実関係を。
>>124
>昭和恐慌期によって疲弊した日本の農村では、娘の身売りが
東北の「身売り/出稼ぎ」が激増し出したのは事実ですが、
理由は「大恐慌」でなく「大凶作」。天明の大飢饉以来とか。
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』p33〜などにもデータありです。
'31年を頂点に連年の凶作で身売りの深刻化はむしろ事変後。
不況との関係でいえば好景気ならマシな仕事も……などかな。
こうした疲弊が'36年の226事件や満洲移民の背景となる。
ついでに雑感。
あなたの主張が「事変による庶民ミクロ視点の好景気感は幻。
長期、マクロでいえばみせかけ」「長期開発成功したとしても
いずれ軍事コストが利益を上回るから小日本主義が正論」と
いうなら、当方も他の方も異議はないのではないかと……。 「私の知る限りでは、中国側は繰り返し、ロシアに対し、非公式に契約を持ち掛けてきた。
ロシアが日本に対する紛争で中国を支持するかわり、中国はクリル諸島をめぐる紛争で
ロシアの支持を取る、と。中国は、実際には、今の日本とロシア間の紛争では、日本よりの姿勢だ。
しかし、ロシアは中立を原則としているため、これを否定している」
https://jp.sputniknews.com/opinion/201608232677302/
中露同盟は明らかにロシアが主導権を握っており、ロシアは中国の要求を拒否することができる。
ソ軍烈士記念塔
訪れた約1週間前、2010年9月26日にロシアのメドベージェフ大統領がこの場所を訪れています。
そのときに供えられた花輪が残っています。この記念塔の後に旅順陣歿露兵弔魂碑でも花を供えたようです。
上記の旅順陣歿露軍将卒之碑の写真では風で左側へ飛ばされていましたが、去るときに中央に戻しておきました。
http://www.dllocal.com/enjoy/595.html
逆に中国はロシアの要求を拒否することはできない。1945年夏のソ連参戦は中国抗日戦争への支援とも考えられるが、
1905年の日露戦争についてはそうではないはずだ。つまり外交条約というのは、締結国の力関係がそのまま反映される。
声明書 条約締結時の声明です。条約本文では有りません。
大日本帝国政府及ソヴィエト社会主義共和国連邦政府は 千九百四十一年四月十三日
大日本帝国及ソヴィエト社会主義共和国連邦間に締結せられたる中立条約の精神に基き両国間の平和及友好の関係を保障する為
大日本帝国が蒙古人民共和国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨
又ソヴィエト社会主義共和国連邦が満洲帝国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨 厳粛に声明す
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/NissoChuuritsujouyaku.htm
現在の尖閣諸島と北方四島は中露で交換条件にはならないのに、戦前のモンゴルと満州は日ソで交換条件になっている。 ★日中戦争は中国都市無差別爆撃を強行した
海軍と山本五十六によって計画的に引き起こされた。
■山本五十六海軍次官が牛耳る海軍は陸軍に対抗できる予算獲得を
最優先の目的に海軍を主導し、日中全面戦争を画策。
大山事件を企てて船津和平交渉を妨害阻止し国民に戦意を煽り
中国に対し無差別爆撃を強行。
陸軍参謀本部が進めていた日中停戦交渉を絶望的にさせた。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し、全中国人を抗日で一致団結させる結果を招く。
日中間は泥沼戦争状態になった。
海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果
・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。
以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して
徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。 今北産業
ざざっと、満州国論争読んだ。基本的には129氏に概ね同意するね。
昭和に高校・大学生時代を送った我々は「世界恐慌原因説」を授業で刷り込まれてきたが、当時から違和感を持っていた。
129氏の一連の書き込みですとんと腑に落ちた。数年前に「もういちど読みたい山川出版の日本近代史」を読んだら、
高橋財政で世界恐慌を脱したとの記述(満州事変の特需もプラス材料としていたが)があり、
あー 最近は世界恐慌主犯説を取らないんだなと感得した。
渡部昇一は真正のバカなので、昔から相手しないことにしており、挙げられたソースも熟読せずに書くのもあれだが、
満州国建国が短期的に景気浮揚につながったと主張している128氏も具体的な数字を出して反論するべきだと思うね。
>>128の資料では満州事変が景気浮揚につながったかどうかさっぱりわからない。
戦争が日本の重工業化を進めたのはそのとおりだが、「満州国論争」のポイントは
@ 世界恐慌が満州事変の主因なのか否か
A 満州事変及び満洲国建国が日本の景気浮揚につながったのか否か
B 「つながった」とすれば、それは第一要因(主因)なのか第二要因以下(副因)なのか
この3点を128氏は数字を以て反証すべきだろう。途中で誰かが指摘しているが、
景気浮揚の短期要因であるとすれば それはどの程度の効果なのかデータが必要だ。
学生時代からずーっと俺はここに不満を感じていたんだな>世界恐慌主犯説 軍部の暴走は満州事変からではなく張作霖爆発事件から始まっている。
これは1928年の事で、29年から始まる世界大恐慌とは無関係。
ブロック経済も本格化したのは32年のオタワ協定から。
31年の満州事変より後だ。
大恐慌やブロック経済は軍部の暴走の理由にはならんよ。
後出し的にこじつけた旧軍養護の言い逃れに過ぎない。
そもそも、満州事変自体は、国家総動員体制を確立するために自分たちが国家の主導権を握るという、永田鉄山ら一夕会の策動の一環として企画されたもの。
中国大陸の資源を抑えるという発想が恐慌前から彼らにはあったんだよ。 暴走したのは関東軍だけではなくこの親父も罪深い。
森 恪
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%81%AA
当時のマスコミも「満蒙、マンモー」一色だったしな。マスコミも罪深い。
俺はパヨクの日本悪玉説と正反対の立場なんだが、学術的な見地からみて、
世界恐慌主犯説も全く同意できない。軍需関連生産が一時的な需要喚起を迎えるのはあたりまえの話であって、
満州事変はそれが目的とは思えないし、実際に満州開発が日本内地に多くの富をもたらしたとも思えない。ここんところの数字を拝ませてくれんことには
俺の長年の疑問は払拭されない。
シナ事変や対米英戦争の件は少し脇において、「そもそも満州事変は成功だったのか?」を議論するのは面白いね。 >>133
個人的解釈でソースはないのだが、満州事変の主因は張学良が国民党政府に走ったからではないのかと考えている。
これまでの既得権益保持に危機感が関東軍にはあった。ついでにこの権益を拡大もさせたい野心もある。
幣原らの国際協調外交路線が崩れたことが張作霖爆殺や柳条湖事件のトリガーとなったと。 当時の日本は本当に気が狂っていたからね。ある意味ドイツよりも罪深いよ。
ドイツは少なくとも蜂起に追い込まれた点は同情に値する。(だからと言って
ユダヤ人組織的絶滅政策などの非人道的行為が許されるわけではないが。)
日本は連合軍は蜂起に追い込むようなことはしなかったし、ABCD包囲網
だって、日本が仏印インドシナに進出したことで、アメリカ、イギリス、
オランダが侵略の脅威に晒された結果だからな。 >>136
俺が世界恐慌主犯説に同意できないのはむしろドイツの方なんだよ実は。
ナチスは公共事業ばんばんやって、1939年までに恐慌からの危機を完全に脱した。
アメリカのニューディール政策とナチス経済はよく比較研究の対象となるが、アメさんの「脱世界恐慌」は
結局第二次大戦への参戦でしか完遂できなかった。ドイツが世界大戦おっぱじめる理由は「脱世界恐慌」でないことは明らかだ。
満州事変とポーランド侵攻が日独にとって、世界恐慌対策である根拠について、
論理的な説明にお目にかかったことが無い。理由は他にあると考える方が論理的だ。 >>137
すまん。説明不足だった。
ドイツがボロボロに破壊されたのは1920年代。ハイパーインフレとか、
それに伴うフランス、ベルギーのルール占領とか、あれで恨みを持つな
とか蜂起するなとかいう方が無理。
日本はそれほどの地獄も苦痛も味わっていない。だから、日本の方が
その点では救えない、というわけ。 >>135
>張学良が国民党政府に走ったから
その主因は張作霖爆殺事件だから因果応報、自業自得
>幣原らの国際協調外交路線が崩れたことが張作霖爆殺や柳条湖事件のトリガーとなったと。
逆だ。張作霖爆殺や満州事変で国際協調路線が潰されたんだ。
それまでは国際協調路線で進んでいた。
満州事変勃発時の外相は幣原だよ。
一夕会は、国際協調路線を潰して軍拡に転じて国家総動員体制を作ることを企んでいたんだよ。 >>139
>張作霖爆殺や満州事変で国際協調路線が潰されたんだ。 それまでは国際協調路線で進んでいた
たぶん、浜口内閣までを国際協調路線としているんだろうけど、若槻と浜口の間、つまり田中義一内閣の外交は、
別にみるべきだろう。 参照>森恪 (田中内閣外務政務次官>>134)
第2次山東出兵で、国際協調路線は転換したね。で、浜口がまた元に戻した。
ちなみに山東出兵と東方会議は張作霖爆殺前ね。
参照:東方会議(ウィキぺディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(1927%E5%B9%B4) 大東亜戦争とは、資源獲得のための戦争を植民地解放という口実で正当化するために生まれた言葉だと思います。
戦後東アジアは独立を遂げましたが、それは、抗日運動が独立運動に転化したことで達成されたものであるに過ぎないので、その独立を以って太平洋戦争を大東亜戦争とするのは、結果論だと思います。 あー、アンカーミス ちゅうか相手氏のレス番間違ってた。訂正
「129氏に同意」ではなく、123−126氏に同意だ。128氏と延々論争している人。
ようするに
@満州事変は世界恐慌以前から計画されていた事実
A満州事変による短期的な軍需喚起より高橋財政の方に、より「恐慌克服」の効果があったこと。
B満洲の産業開発が日本内地の国富にあまり繋がらなかった事。
まあ、@の時点で時系列的に世界恐慌と満州事変は無関係なのだが、これによって第二次世界大戦の原因に世界恐慌を挙げるのは無理筋。 そういや横レスだった 明記せず失礼
>>140
1930年にロンドン海軍軍縮条約が締結され、日本でも批准されている。
山東出兵と言っても一時的で撤兵してるから、国際協調路線を転換したとは言えんよ。
田中義一も口では何といっても張作霖爆殺事件が起きると腰砕けになるなど、具体的行動はしていない。
転換しようと掛け声だけ出したが実行に移せずに終わった。
ベルサイユ-ワシントン体制に留まっている内は国際協調路線と言えると思う。 >>145
あー、横レスは解ってる。おれが単に128氏のコテハン見逃して人違いしただけ。
>>62>>65の中の人に概ね同意しただけ。
で、>>140も俺だが「国際協調路線から転換」という語句が気に入らなければ、
「従来の対中政策からの転換」でいいよ。俺の文章も正確さに欠けていた。
森恪や一夕会の連中が機を一にして「満蒙問題」の解決に取り掛かった。これらが満州事変の淵源だということ。
第二次世界大戦の原因を世界恐慌やブロック経済に求めだしたのは一体誰が最初に主唱したんだろうか?
資本主義の暴走が戦争を引き起こすーーことにしたい経済学者や歴史学者が多いのだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています