雁屋哲・シュガー佐藤『マンガ まさかの福沢諭吉』(遊幻舎)は左派の立場から福沢諭吉を批判っつうか、
解剖しようとするマンガである。福沢諭吉を教壇で批判した高校教師・春野が父母会の有志から吊るし上げをくらい、
いっしょに学習会をやろうという、その風景を描いた、設定だけ聞くと「なんだそれは」という思いを禁じ得ない作品である。

 こちらは、『BEGIN』とは対照的に、主人公・春野が福沢批判の骨格を示すものの、
それに父母会有志が反論しつつ、時に論駁され、時に共感しあい、
しかもオーディエンスまでがその論争に加わって自分の合点したところをつぶやくように披露していく、
大論文のようなマンガである。実際、雁屋の主張を人格分裂のようにキャラクターに配置したのがこの作品なのだろう。

 下図を見てほしいのだが、福沢諭吉が「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」と書いたことをめぐって、
春野が長々と批判する。これは『BEGIN』にはない構図だ。しかし、やはり論敵(父母会有志)がここでも類型的な顔でたじろぐのである(下図)。

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 21世紀とは思えない高校生と父母のメンタリティー、そして、英雄的な風貌(下図)をした主人公・春野の主張を軸に、
反論や共感が予定調和のように配置されているこの構図に付き合っていると、酔っ払ったような、この世のものとは思えない感覚に襲われる。

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 論争をマンガにするのは、あまり分のいい戦いではない。

 まじめに論争を紹介すると、『まさかの福沢諭吉』のようになるし、グラフィックに頼ったコンパクトなやり方になると『BEGIN』のようになってしまう。

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20171114#20171114fn2