捕捉で【性の解放と儒教】

○儒教の忠孝の家族制度のもとでは「自由恋愛」はNG。
江戸期は公式には御法度。
1723年、親の反対を押し切り恋人のもとに走った娘を
親がお上に訴えた。結果、男は島送り。娘は人別帳から
外され、無期年季の奉公人として遊廓に送られ、死ぬまで
遊女にされました。「奴(やっこ)」の刑です。
    (*森永種生『犯科帳』岩波新書 100-101)
この刑は近松門左衛門『曽根崎心中』が著された時代に
処されたものがおおかったとか。
それも女性自身が罪を犯したのではなく、「縁座・連座」に
よって……。で、こうした文化を魯迅は……(略)

長文失礼しました。