最も効果的な執筆者の名義を使う ― 2018/01/22 07:19

 つづいて、一の「2 福沢による文書代作の例」である。 福沢には他者の 依頼に応じた代作、あるいは自らの意思で他名を借りて作成した文書がいくつ もある。 [長沼事件に関す

る願書案文](明治7年〜20年頃)、[西郷隆盛の 処分に関する建白書](明治10年7月24日)、[横浜瓦斯局事件関係文書](明 治11年〜12年)、[春日井事件に関する願書案文](

明治11年末頃)、[国会開 設の儀に付建言](明治13年6月7日)、[埋葬引払控訴補遺](明治14年)。

 これらは政治的な事件や裁判等に、福沢が名前を伏せて関与した事例である。  それは福沢自身に政治色がつくことを忌避しているともいえるが、国会開設な どは、福沢が書き手と

して名前を出さないことに積極的な意味があると考えた 可能性がある。 つまり、福沢個人が主張するのではなく、同時多発的に国内 から政府への穏健な手段による異論がわき起こる

ことこそ、『文明論之概略』に 福沢がいう多事争論、ないしは異説争論の状況であり、新しい政治体制を許容 する「時勢」を伴う民情なのであり、国会開設を実現してよい国民になり

得る ことを意味したからである。

 学校や結社関係の趣意書もあげる。 [慶應義塾之記](慶應4年4月)名 義はない、主語は「吾党」「吾曹」、[中津市学校之記](明治4年11月)旧中 津藩主奥平昌邁の名義、[旧

紀州藩士の為の義田結社の趣旨](明治10年)旧 和歌山藩主徳川茂承名義、[慶應義塾維持法案](明治13年11月23日)福沢 の高弟たちの連名。 結局福沢は、文書の名義が誰と表示

されるか、というこ とが文書のもたらすその後の効果との関係で重要であることへの自覚を有して おり、ある時には他者の名前にし、ある時には無記名にすることによって、そ の文書

がより効果的に読まれることを意図していると考えられよう。

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