>>346
図書館から平山新著を借りてきた。薄い割には高い本だ。
第4章「福沢諭吉と慰安婦」の結論部にはこうある。

「福沢諭吉が一九三〇年代以降の日本軍と関係する慰安婦制度に賛成したか、
それとも反対したか、私には分からない。けれども、事実として言えることは、
一九世紀を生きていた福沢は性風俗従事の女性が海外に出ることを肯定した、
ということだけなのである。」(184頁)

>>332で引用されているのは、2006年に平山さんが清水義範氏に書いた手紙の一節で、
「デジタルで読む福澤諭吉」が公開されて改めて調べ直したら、
『福翁百話』48と『福沢先生浮世談』の中に、性風俗女性を海外に出すことを
許すべきだ、という部分があったのだと。

その部分を孫引きするなら、

「西洋の諸強国より海外の地に兵士を屯在せしむるその地には、必ず娼妓の
あらざるはなし。若し然らざるときは、政府の筋より窃かに賎業婦の往来に
便利を与えて必要に応ずと云う」(『百話』48、全集第6巻286頁)

だそうで、なんだ、伝聞じゃん、ということ。

平山さんがこの部分を発見できなかった理由は、福沢は「娼婦」を
署名著作で一度も使っていなかったためだそうで、この言葉は石河の
用語なんじゃないか。福沢は「娼妓」を使うようだ。

社説「娼婦出稼論」の執筆者は石河でキマリだが、アイディアは福沢
かもしれんとのこと(社説と百話の執筆時期はほぼ同時期)。

でも、『百話』には、「と云う」とあるな。

安川さんたちは、『学問のすゝめ』の冒頭の「云へり」をもって、
天賦人権論は福沢の本心ではないと言っていたわけで、
となると、これも伝聞だから本心ではないとなるんでは?

海外の新聞を読んでいた石河が、「先生こんな記事があります」と
福沢に伝えたのかも。まあ、石河から福沢なのか、福沢から石河なのかは、
永久に分からんことだが。