>>68
真田昌幸・佐久間象山・赤松小三郎すら知らない低能バカは、
日本史板に来ない方がいいと思う

ちなみに松代真田藩は、官軍より信濃10藩の触頭を命じられたため、
信濃10藩を率いて北越戦争・会津戦争で奮戦し、東日本の藩としては唯一、
官軍の賞典禄八傑【薩摩・長州・高知・大村・松代・大垣・佐土原・鳥取】
に入る軍功を上げている。

会津戦争では、佐久間象山が自藩に大量生産を指示した自慢のメリケン砲を
若松城の東にある小田山に並べて若松城を撃ちまくり、
「薩摩真田に大砲なくば、官軍破るも何のその」と会津藩士を嘆かせる
活躍をした。ちなみに薩藩藩の大砲は近接戦闘で威力を発揮する
四斤山砲(弥助砲)のため射程が短く、攻城砲としては余り威力はなく、
事実上、松代藩のメリケン砲が若松城を陥した。

司馬遼太郎の小説によって上野戦争の終盤で威力を発揮したと書かれている
佐賀藩のアームストロング砲が会津戦争でも活躍したと勘違いしてる人が多いが、
当時のアームストロング砲は威力が弱い上に破裂や故障が多く、
保有していた佐賀藩や薩摩藩は使いたがらず、会津戦争でも、
ほとんど使われなかった。「アームストロング砲は夜間に城方を
眠らせない空砲に使われた」と述べている歴史家もいる

上野戦争の終盤で勝敗を決定づけたのは鳥取藩の斬り込み隊であって、
佐賀藩のアームストロング砲ではない。
そのため鳥取藩は賞典禄8傑に入っているが、佐賀藩は入っていない。