幕末の佐久間象山の活躍は有名だが、象山の西洋化政策によって作られた
松代藩の軍事力の凄さに関して、ほとんど知られていないのは不思議だな。

河井の長岡藩や会津藩の悲劇は、松代真田藩を敵に回した事だ。
戦場に【六文銭】の旗がなびくのを見たら、長岡も会津もさっさと
降伏すべきだった。


◇松代城(海津城)
http://www41.tok2.com/home/capino/mori/mori04/04_08_14hayashi/m07.html
● 戊辰戦争(1968年)当時、松代藩は日本有数の軍事力を持っていました。
 1872(明治5)年、上田城の東京鎮台第2分営より乃木希典少佐が、
 廃城の松代城と武器を受領すべく来迎。その時「松代藩は大砲のみにて
 53門の多きに達し、他の(信濃)10藩全部の兵器を合するといえども
 松代藩の足元にも及ばず」と言ったとされています。
 十代藩主・真田幸民と佐久間象山が最新の洋式装備化を進めたわけです
 (大砲の試し打ちで倉科の生萱から試射した弾が、一重山を超え満照寺まで
 飛んで大騒動になったという)。