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西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男©2ch.net
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0001名無しさん@お腹いっぱい。 転載ダメ©2ch.net
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2017/09/13(水) 17:52:50.14ID:r0jtN97D0
以下、テンプレ

Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。

A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。

「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」

重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。

当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。

この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
0550名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/29(金) 13:20:53.69ID:xdRzxcm/0
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/f/f/ffc65_759_7e612778_b8136089.jpg
西郷隆文(西郷隆盛の曾孫 69歳 結婚歴無し)

https://parts.news-postseven.com/picture/2015/12/makiharanoriyuki.jpg
http://www.asagei.com/wp-content/uploads/2016/08/20160803nakata.jpg
https://shop.r10s.jp/book/cabinet/8571/4988017688571.jpg
http://sinsin35.com/wp-content/uploads/2014/02/1683_ichikawa.jpg
0551名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/29(金) 16:38:30.33ID:fNuDJEjW0
>>544
大昔、海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談を読んだが、二人は維新三傑あたりは天皇の絶対中心主義みたいなものを二流と捉えてると言ってたな
三傑がいなくなって以降、徐々に強くなっていったようだ
0552名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/29(金) 16:47:13.48ID:wI//MbQm0
江戸時代まで(というか飛鳥奈良の昔から)国に君主がいて、君主が直接命令をばんばん出して
その命令には絶対服従、ってのが日本の国制そのものだったからな。鎌倉以降になって天皇の
権限が衰えて事実上の権威・権力の分離がおこっていた、なんて事実すら幕末の志士にはまったく
理解されてなかったろう。そういう史観はそれこそ近代の歴史学の成果であって、天皇さまが
国を治められるのなら天皇親政が「あたりまえ」というのが実感というか体感だったのではないか。
0553名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/29(金) 17:01:31.33ID:fNuDJEjW0
維新三傑はこれからの時代は国民主義、立憲主義という意識が天皇主義より強かったんでしょ
0554名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/29(金) 18:41:17.57ID:+i1rmZAK0
>>541
そもそも島津久光って西郷隆盛を持ち上げるために悪役扱いされた可哀想な名君だわ
確かに西郷を見出したのは斉彬公だったが、実際に西郷が大仕事を成したのは久光の指揮下での事だしね
言わば最も西郷を上手に使い活躍させたのが久光
学者肌でありながら斉彬公以上の統率力を発揮して時代を動かしたのに、あまりにも過小評価され過ぎなのよ
>>548
>>549
明治天皇を馬上から叱りつけたってのは、西郷の性格から言っても流石にありえんだろうね
ただ禁門の変では実際に馬に乗ってたわけだからねぇ
金玉肥大が何歳くらいの頃かはっきりしないが、明治維新後も狩猟で野山駆け巡ったりしてるとこ見ると、金玉肥大は結構晩年の話だわな
0555名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 07:45:58.63ID:C/QeU2+D0
スレ主は>>533で、明治天皇の言動を「人としてふつう」と書いた。
しかし、明治天皇の立場を普通の人と同じに考えるのは無理がある、
と指摘したら、「帝王学」を持ち出した。

スレ主の考える「帝王学」は世界共通のものであるらしく、
その例として挙げたのが宇多天皇(9世紀の話)です。
それが西洋の王族にも明治天皇にも現代の社長にも通じる、という。

一神教の西洋と、八百万の神の国なんて違いは一切考えていません。
また世襲制の王族の「帝王学」と、現代の経営者の違いも考えていません。
もし子に継がせることを前提として子供に「帝王学」を施す経営者がいたら、
その会社は明らかな「ブラック」でしょうよ。

スレ主は単に自説の「好悪を明らかにしないのが帝王学」という前提を、
すべてに当てはまるようこじつけているにすぎません。
まあ「思想信条」の意味を知らなかった人ですからね。
なんでもその場しのぎです。

西郷が「敬天愛人」といったときに、天皇を中心に据えて、人民がまとまる国を考えていたのでしょう。
明治という時代の流れを考えると、その見通しは間違っていなかったと思います。
0556名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 09:07:40.06ID:TGFTMMUK0

きみの頭の中にある「独りよがりな言葉の定義」を人に押し付けるのはやめてくれ

帝王学は>>541も書いてるけど、主君が自分を律するための
どちらかと言えばホワイトなものだよ
親が子供たちを公平に扱う
なども小さな帝王学だと思う
支配が目的だったとしてもね

言葉の定義や使い方は人によって違うし
文脈の中で変化するものでもあり、
きみの頭の中の一方的な言語観に、忖度して合わせることなど不可能だ

だいたい「天皇を中心に据えて、人民がまとまる国」などというあやふやな美辞麗句を並べ、
それで何か言った気になってるきみの言語観など一顧だにする価値も無いと思う

相容れないなら来ないほうがいいんじゃないのか
0559名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 20:11:55.06ID:n7PGJoaW0
>>557
まぁ西郷も維新後は久光と新政府の板挟みになるわけで
久光の側近連中は「我々の苦労を思い知ったか、コノヤロウ」って感じだったんじゃね?
明治に入ってからは久光と西郷の関係が意外と悪くなかったのは、こういうのも関係してるのかもね〜
0560名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 21:21:59.18ID:khTEB/Tv0
明治5年の時点では久光の西郷への怒りは収まるどころか激しさを増していて
天皇の鹿児島巡幸の際に、一緒に来た西郷が久光を無視して挨拶にも行かなかった
ことから怒りが沸騰し「十四か条の意見書」を政府に提出している
以下は西郷に対する詰問であると言われている

・君主という存在がありながら勝手に高位高官を引き受け、その地位にあること
・美風良俗を破壊し、階級を打破し、西洋に心酔すること
・高給をむさぼり、自分に従うものだけを登用し、苛政を放置していること
・御巡幸の際、供奉第一の高官として失態があったこと
0561名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 21:23:50.12ID:khTEB/Tv0
久光の西郷への態度が柔らぐのは明治6年の政変で西郷が鹿児島へ下野してからだ
久光としては打算的に西郷を自分の陣営に取り込み、ともに政府へ圧力をかけることを狙ったようだ
西郷にとっても悪い話ではなかったはずだが、西郷はこれを断っている

久光と西郷が和解したというのは、一種の西郷伝説(西郷の懐の深さをアピールする美談?
もしくは大久保を悪者にするためか?)であり、
実際には西郷と久光の関係は最期まで冷え切ったものであった
0562名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 21:30:32.14ID:vXJE7rcJ0
維新後の三傑
西郷 俺流を貫く
大久保 専制を目指す
木戸 憲法制定を唱える
こんな感じじゃね
0563名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 21:34:36.87ID:vXJE7rcJ0
維新前の西郷は薩長や薩土の連携に奔走したが
下野後の西郷は板垣や江藤との提携を断り久光や私学校とも距離を散っている
何を考えていたか不明である
0564名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 21:59:37.66ID:vn1AgYEA0
>>563
江藤との連携はありえんでしょ
西郷は政府転覆を意図して下野したわけではないんだし
0565名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 22:16:00.67ID:vn1AgYEA0
>>560
十四か条の意見書までは確かに西郷を目の敵にしてたろうが、その後の西郷の狼狽ぶりを見て久光は十分に満足したんじゃね?
わりと茶目っ気もあるし、家臣の意見を大切にする人だったかとかと
どうも久光の明治維新後の頑固な態度を曲解されすぎてると思う
久光って権威や権力に固執するタイプじゃなく、本来は実直で学者肌の人だわ
独裁者でもなけりゃ薩摩の象徴でもなけりゃ島津家の守護者でもない
ただ本人が意図した以上に統率力を発揮してしまって、不本意ながら幕末最強レベルのリーダになってしまっただけのこと
0566名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 23:21:03.06ID:khTEB/Tv0
西郷が政府転覆の野心を持っていたかですが、
西南戦争の時の西郷の言動
「自分は陸軍大将であるから全国の兵を率いる権限がある」
「政府軍の多くも自分のもとに馳せ参じる」
などを考えると、政府転覆どころか、自分は今だ政府軍のトップであると
考えていたことになり、そのへんが西郷が各地の不平士族(無職)と連携しなかった
最大の理由なのではと思ったりします

実際政府からは陸軍大将としての給金が鹿児島に送られており
(西郷は受け取らず県庁で預かる形になっていたようだが)
桐野利秋や篠原国幹にも同様に少将の給金が送られていたはず

つまり彼らは、後世の我々が思っているような“下野”という感覚で鹿児島にいたのではなく
一時的に政府の仕事をサポタージュしてるような感覚で
鹿児島で軍事教練に励んでいたのではないのか

そう考えれば、西郷らが佐賀戦争という無職の反乱に呼応しなかったのも納得いくし
西南戦争で自らの立場を異常に過大評価していたのも分かる

まあ仮説ですが
0567名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 01:10:34.99ID:i1f9meKU0
妄想ですw
0569名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 06:58:46.05ID:RaLGKSAy0
明治六年の政変後も
政府から西郷へは、東京に出仕してくれるよう再三要請があった
久光にも同様の要請はあり、久光は度々政府に出仕している
西郷は出仕を断っているが、官位や陸軍大将の肩書きはそのままである
給金が自分に送られてきていることも合わせて、
政府が下手に出てくるのはまんざらでもなかったはずである

後世の西郷美談では、それを西郷と大久保の絆であるかのように説明するが
ようは大久保の巧妙な懐柔術により、西郷が壮大な勘違いをさせられていたのである
0570名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 07:19:54.19ID:kfuLtz6t0
スレ主が、>>569にあるような自分の解釈による思い込みを、
「史実」と称して5ちゃんに書き込むのは、
テンプレにある通り。

「史実」という言葉の意味から説明しないといけないのは、いかにも難儀ですね。
0571名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 07:35:20.40ID:RaLGKSAy0
ふつうに史実しか書いてないんだけどな
官位、給金、出仕要請、西郷の勘違い発言・・・

史実の背景を論じてるだけで

>>570
まあしかし大晦日の早朝から、大嫌いなスレの監視&必死に人のあげあし取り(しかもいつも内容ゼロ)とはなんとも歪んだ人生ですなあ・・・
0572名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 08:25:14.68ID:/4BVJf3+0
西南戦争の出陣の際、西郷は陸軍大将の正装で出立している
西郷以下の政府軍にいた者たちもその制服で出立したと言われている

たんにそれしか軍装を持っていなかったのかもしれないが、
西郷が賊軍認定された報せを聞いて、大将の軍服を焼き捨てたことを考えると
その瞬間まで西郷は自分を政府側の人間と思い込んでいたフシがある

江戸時代までは、出仕していなくても、幕臣や藩士はそのまんま幕臣や藩士であることに
変わりはなく、西郷たちもそういう感覚でいたとしても不思議は無い

勝手に解釈すんなという人は、むしろ現代の我々の就業観で西郷たちを解釈していないか
立ち止まって考えたほうがいいと思う
0574名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 16:19:47.60ID:15grYtfi0
西郷の発言は挙兵後に過ぎんから
単に楽観的だったか、挙兵に正義があるという意図で言ったか分からない
突発的に起きた西南戦争を元は考えてないし
私学校が暴発した時しまったと言ってる
一方で前原の乱を喜んだりしてる
0575名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 18:41:25.25ID:DZZsN03O0
>>574
落ち着いて整理して書こう
0577名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 22:41:49.16ID:FZmeeQ4J0
それではアンチも信者も客観派も、皆様良いお年をお迎えください
来年は大河もあるから、良くも悪くもこのスレが盛り上がってくれることをお祈りしています

個人的には西郷信仰の犠牲となった島津久光公の再評価を…
0578名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/31(日) 23:45:49.91ID:DZZsN03O0
>>577
よいお年を
0579名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/01(月) 10:26:35.83ID:bOYdx6e30
島津久光は残ってる写真の印象で、もの凄い損してる
0580名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/01(月) 10:29:59.70ID:bOYdx6e30
逆に西郷は写真を一枚も残さなかったことにより、カリスマ性がさらに高まったよな
0581名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/01(月) 20:05:33.02ID:IA9VzdM10
>>569
史料はなに?w
0582名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/01(月) 20:06:41.65ID:IA9VzdM10
>>571
ソースは?w

>後世の西郷美談では、それを西郷と大久保の絆であるかのように説明するが
ようは大久保の巧妙な懐柔術により、西郷が壮大な勘違いをさせられていたのである
0583名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/02(火) 14:39:58.45ID:cm4EjUsB0
意味不明
西郷さんが各地の不平士族と連携せずに、政府転覆の機を逸してしまったのも
西郷さんの立場(陸軍大将)を考えれば、そうなるよなという
どちらかというと、大久保にハメられた西郷さんに同情的な解釈なのに・・・
0584名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/02(火) 14:41:07.93ID:cm4EjUsB0
信者ってのは、知識が無いだけではなく
精神的な余裕も無いからなのか、
西郷さんが何か言われている!と思うと
直ぐカッとなって反応しちゃうんだよな
0585名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/02(火) 20:07:33.17ID:Mz+gcCwa0
徳川倒幕の時に雄藩連合を組んだ結果、新政府の権力が分散し、そのせいで薩摩の力が相対的に低下、西郷自身も政府から追われる憂き目を見た。
西郷はその反省に立って第二の維新たる西郷軍挙兵は単独で実行することにこだわった

というのが司馬遼太郎の解釈だったな。
0586名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/02(火) 21:36:19.74ID:72uoW8Hz0
>>585
それは司馬遼太郎の過大評価だと思う
そもそも「政争に敗れたための下野」つうのが、西郷を新政府の要人という評価から出た誤解かと
西郷本人にしてみれば、自身は地方公務員が出向で中央政府に出仕していたに過ぎないって感覚だったのでは
だから下野では無く、勝手に出向先から帰ってきただけ
まぁ勝手に帰るっこと自体アレな感じだが
しかも西郷は帰郷したがる悪癖がある上に体調不良も抱えてて、とにかく鹿児島に隠遁したかっただけじゃないのかねぇ
身体も衰えて自身が最後の大仕事と思ってた韓国行きの話も潰され、もうやる事も無くなったんで元の薩摩藩士に帰りますって事だったんだろ
0587名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 02:09:22.96ID:qE5B9WKE0
>>583
意味不明w
0588名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 02:09:38.74ID:qE5B9WKE0
>>584
自己紹介すんなw
0589名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 02:11:29.73ID:qE5B9WKE0
>>586
またお得意の妄想か馬鹿w
0590名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 08:22:57.69ID:98szvj3T0
>>586
自分が司馬遼太郎より物が分かってる、という自信はどこから来るんだろうね。
言ってることは「帰るっこと自体アレ」とか中身がまるでないが。
0591名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 09:51:06.56ID:JU9QL0w30
いろんな解釈があるようだけどいずれも西郷の愚かさが際立ってんな

西郷さんは担がれていただけだとか、「しもた」と言ったとか、アホか

鹿児島で反政府的な集団を放置してニヤニヤしてた張本人なのに
0592名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 14:58:29.60ID:qE5B9WKE0
>>591
ソースは?w

> 鹿児島で反政府的な集団を放置してニヤニヤしてた張本人なのに
0593名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 15:19:57.32ID:g3SILTUX0
西郷の下に桐野利秋という人がいたけど、われわれは桐野について深く考えることはしない
桐野はそれほど深い見識を持っていたようには見えないし、陸軍少将まで昇った人だが
それは親分の西郷が出世して、引き上げてもらったからというのを誰でも知ってるからだ
西南戦争で桐野は首謀者の一人であったが、誰もそこに深い意味を見出したりはしない
0594名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 15:20:19.52ID:g3SILTUX0
西郷も桐野同様で、本来は深く考察しても意味の無い人なのだ
他の政府メンバーに比べて近代や対外政策についての理解は格段に劣り
軍事についても、名目上司令官に就くことが多かったが参謀がいなければ何もできない素人である
0595名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 15:20:40.11ID:g3SILTUX0
その意味の無い人がなぜ新政府のトップまで昇り詰めたのかを深く考えることには意味があるが
西郷の行動に深い意味を見出すことには意味が無い
0596名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 16:42:29.37ID:qE5B9WKE0
という妄想連投病気ワロタw
0597名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/03(水) 19:32:47.24ID:rzMRhb6z0
桐野も西南戦争の首謀者じゃないからな、西南戦争は私学校の弾薬庫襲撃で起きたんだし
だから西郷も「しもた」と一声上げた
さらに大久保・川路の西郷刺殺の疑いで、西郷も政府を信用できなくなったんだろうな
参謀が居なければは木戸や大久保も同じだしな
0598名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/03(水) 19:48:23.39ID:Za1zmLvx0
>>593
桐野は私学校の設立には関わったけど、実は西郷と同じくその運営にはさして関与してない
むしろ士族就農のために設立された吉野開墾社に熱心で、ひたすら吉野台地で荒地を耕して芋畑作る毎日だった
私学校党の首領扱いもそもそも間違いで、最初は私学校党の若者を抑える役目だったのだわ
それが暴発した若者達に西郷より一歩先に担ぎ出されてしまったのだわ
0599名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/03(水) 21:05:22.59ID:Za1zmLvx0
連投申し訳ないが言わずにはいられない

今度の大河って西郷と大久保が、ガキの頃からお隣さんの幼馴染って設定なの?
いやもう、なんなのよ…それ
0600名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/03(水) 22:19:47.57ID:g3SILTUX0
>>598
吉野開墾社のことは知ってるけど、西南戦争はあらゆる記録を見ても
桐野が中心だわな

旧薩摩藩士全員出陣とかのキチガイ戦略決めたのも桐野だし
最期まで徹底抗戦を主張したのも桐野だ

最初の火薬庫襲撃に関わってないから、桐野は西南戦争の首謀者ではないというのは無理ありすぎ
0602名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/04(木) 09:57:24.46ID:WcG/nWjk0
あまりに西郷について論じられることが多いから、なぜ日本人は
西郷隆盛を論じ続けるのかという、そのことをテーマにした本が
出たりしてるねw
0603名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/04(木) 12:43:51.60ID:3bZytTcD0
>>601
大河ドラマって知ってる?
0604名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/04(木) 12:47:37.59ID:WcG/nWjk0
>>603
西郷が大河ドラマにとりあげられたせいで、研究本が一斉にいくつも
出版されたという可能性はあるだろうねw 大河ドラマにいまだにとりあげ
られるくらいの人気はあるわけだね西郷にはw
0605名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/04(木) 12:51:46.68ID:WcG/nWjk0
西郷が大河ドラマになったりするのは、西郷についての誤った歴史観が
いまだに根強いせいだ!という主張もあるだろうが、それはひとつの解釈に
すぎないわけで、西郷が大河ドラマになって、研究書がいくつも出版された
というのは、単なる客観的な事実と言えようw
0607名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/04(木) 20:52:10.60ID:Tm0Qr2e50
匿名5ちゃんでしか物を言えない御仁が、
出版物に草を生やす愚かさに気づかないのは、
哀れだね。

こう書くと、「自分だって5ちゃんやってんじゃん」と突っ込みが入るんだろうが、
5ちゃんは雑談には向いてるが、考証が必要なものには向いてない。
0609名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/05(金) 00:44:34.67ID:V839q9zI0
>>600
桐野が西南戦争の首領だったってのを否定する気は無いよ
ただ少なくても首謀者ではなかったし、首領になった事についても暴発した若者達(主に加治木衆)に担ぎ出された結果だと思う
中央政府に出仕した経験のある幹部組は、終始抑える側に回っていたわけだしね
0610名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/05(金) 21:14:43.67ID:Oxka9SCE0
西郷や桐野は西南戦争を起こそうと思ってないのです
別な考えがあったはず
起きた以上は首領になったのだけど
0611名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/05(金) 21:49:51.25ID:AMrb+yV+0
このスレ立てたキチの「桐野暗殺説」が
テレ東で都市伝説扱いでワロタw
0612名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/05(金) 22:04:58.87ID:DRXsP79w0
>>39 ヲイヲイ、なわけないだろ。大隈は字が下手でから日記類は全て処分をしたんだよ。
0613名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/05(金) 22:15:19.56ID:DRXsP79w0
>>574 ヲイヲイ、資料(小説)を切り取りすぎて、駄目だろう。そんな事が、いえるならジンギスカンは源義家だな。
0615名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/09(火) 13:36:19.72ID:4q/fXsco0
塾やってただけで、不平士族のまとめ役にされ
清和源氏なだけで、不平士族の棟梁と名指しされ
理由を調べると西郷が指定したから

会ったことも無い西郷に一方的なレッテル貼られたが、
不平士族の棟梁となって西南戦争を起こしたのは、西郷本人だった

自分の反乱を隠すために、罪のない他家を反乱分子に指定した最低の屑
0616名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/13(土) 13:41:18.60ID:6tSyCFAc0
従道と違う道を進んだ理由は?
0617名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/14(日) 02:15:18.11ID:gmXeqXbi0
西郷隆盛みたいなレイ パーだけではなく、幕末で英雄視されている奴の大半が嘘だからな。
坂本龍馬とかクズもいいところだろ。
0618名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/14(日) 10:23:01.87ID:ey80ew2c0
みんな下級武士の身分から這い上がったみたいに思われてるけど
坂本は金持ちの実家や後援者の金で毎日宴会だし
西郷も薩摩藩の身分序列では、西郷より身分の高い者は全体の2%しかいないという生まれ

本当に下級の極貧の奴は、そもそも交通費が無いので脱藩もできないし
よほどの学識が無いかぎり取り立てられることも無い

西郷の場合は、そういう者たちに情けをかけ取り立てることで人望を得、覇を成した

自分は前に出ず、人の世話に徹するというタイプではない
情けをかける自分に酔ってたと思う
本当の人格者なら西郷みたいに偉そうな書を書いて、人にあげたりしないよ
0620名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/14(日) 21:36:38.43ID:CgRC9+6F0
西郷隆盛がキルヒアイスで大久保利通がオーベルシュタイン とか言う人がいるけど、むしろ本来は真逆だよな
日本人はオーベルシュタイン を好みキルヒアイスを嫌う人間だよ
西郷隆盛がオーベルシュタイン で大久保利通がキルヒアイス なのだから
日本人はオーベルシュタインをキルヒアイスと、キルヒアイスをオーベルシュタインと言う人種だよ
0621名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/15(月) 02:55:30.27ID:GKLksV0h0
>>618
書を残してる偉人を片っ端から全否定とは、なんとも大胆不敵な御仁ですな…
って冗談はさておき
確かに西郷家の家格の更に上は数%にも満たない層だが、あくまでも身分制度としては西郷の属す城下士と、外城勤めの郷士も島津家直臣の郷士なら両者の家格は同列だけどね
どちらにしても士分としては下の連中の、さらにその他大勢のグループに属してるわけで
しかも家督を継いだ時はほぼ無禄状態、経済的には最底辺グループだし
あまりの惨状に使明地を割り振られるような有様だからね
とは言っても人口が多く余剰地の少ない鹿児島城下近辺では、外城の郷士みたく開墾しても安定収穫は期待薄だし、まして手広く農地経営とか到底不可能だからなぁ
0622名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/15(月) 07:34:27.85ID:sXZWyg0f0
>>617
根拠がなくてワロタ
0623名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/15(月) 11:42:30.34ID:lEgiQwUO0
全国の大半の武士が困窮していたのになんで西郷だけが特に苦労していたみたいな話に無理くる持っていこうとするのか

一方で西郷や大久保が身体が大きいのは薩摩では豚を食べていたからなどという話をする

困窮していた武士が豚など食べられるはずもないのに
0625名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/15(月) 18:54:16.46ID:N+AG2wBk0
>>623
その貧困にあえいでた下級士族層だったってるのに、なんで西郷家だけが特別極貧だったと言われてると曲解すんの?
まぁ西郷家は名目上は41石持ちでも、実際にはほぼ無禄状態だったんで経済的には最底辺層なんだけどね
豚肉に関してはエラく誤解してるねぇ、鹿児島黒豚とかの高級豚肉のイメージからの誤解かな?
江戸期の薩摩じゃ豚肉はサツマイモと並ぶ庶民の一般的な食べ物よ、野菜の代用品扱い
普通に家庭で自家消費用に飼われてたし、江戸の薩摩屋敷は下級武士用に養豚場まであるわ、西郷家でももちろん数頭飼ってたり
腹一杯食い放題とは言わないまでも手に入りやすい食材だったのよ
これが塩漬けや味噌漬けなんかに加工されて上方に送られると高級品になっちまうんだがなぁ
0627名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/15(月) 21:11:24.16ID:E2w/4K8q0
>>626
自分が知らないこと=存在しないこと、
じゃないんだから、
まずググりなさいよ。

檀一雄の「檀流クッキング」にも、豚骨料理が薩摩武士にとって素朴な存在だったと書いてあるよ。
0628名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/15(月) 22:15:18.30ID:EyoW3VEv0
>>627
エッセイ集じゃなくてもうちょっとまともなソースお願い

薩摩藩邸で飼育していたのは有名だけど
薩摩の一般家庭で普通に飼われて食されていたというのは、ググっても無いんで

西郷家でも豚を数頭買っていたソースも
(西郷が出世してからではなく、家禄を失っていた貧乏時代に豚を飼って、日常的に食べていたソースを頼む)
0629名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/16(火) 02:14:45.15ID:vL4d1RS60
嘘つきました。すいません。
0630名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/16(火) 03:22:57.48ID:G1rvr6mZ0
許す。
桜島で会おう。
0631名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/16(火) 10:20:15.69ID:OYHmPcPO0
酷いもんだな
郷土の名誉のためなら嘘も平気でつく
むしろそれが、美徳とされる

どこぞの民族と一緒
某県人にとって、歴史とは造るものなのか
0632名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/16(火) 14:10:35.14ID:Hy7hxJAj0
>>631
お前が言うか馬鹿w
0633名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/16(火) 14:32:07.89ID:HXkncIIJ0
  ∧_∧ ウェーッヘッヘ!
 <ヽ`∀´>
 (    ) 大河では細目のウリが西郷役ニダヨ
 | | |
 〈_フ__フ さすがNHK、これは史実に近いニダネ
0634名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/17(水) 05:13:26.14ID:hAoNDkbm0
檀一雄の名前を出したらどんな反応をするかと思ってだしたら、案の定ですね。
檀一雄の世界というのは、スレ主に一番縁遠いものでしょう。
性格は異なりますが、吉田健一(大久保のひ孫)も豚骨料理の素朴さについて書いていたはず。

西郷家で豚が飼われていた、という文献は見たことがない。
しかし、だからといって西郷が豚肉を食べていなかった、ということにはならない。

豚が鹿児島の庶民に近しい存在だったというのが分かるのは、
文献の資料じゃなしに、郷土料理によってでしょう。
土地のやせた鹿児島で、サツマイモと魚のあらがあれば育つ豚は、重宝された。
それは鹿児島、奄美、琉球に共通してる。
庶民に近しいものを、若い時分の西郷も食べていただろうと考えるのは、別に不自然じゃない。

郷土料理は短い年月で出来上がる(定着する)ものじゃない、というのは実際に作ってみればわかるんだけど、
スレ主はほとんど料理をしたことがないんだろう。おそらく恋愛もしたことがないんじゃないか。

南九州の、魚がたくさん釣れた、田舎からポンカンを送ってきた、
といえば近所に配って歩くようなおすそわけの文化は、
ふだん人とのつながりが薄い人には、全く理解できないでしょう。

歴史の本ばかりじゃなしに、料理の本も読んでごらんなさい。
「シマヌジュウリ」(南方新社刊)なんて面白いですよ。
0635名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/17(水) 08:24:56.76ID:D7viGLeF0
老害の妄言
0636名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/17(水) 09:59:23.10ID:0yakI7jW0
すごい

この人は以前に片岡の郷土史を、あれはエッセイみたいなものだから資料に値しないと大見得切ってたのに
自分は料理本がソースとはな
しかも

>西郷家で豚が飼われていた、という文献は見たことがない。
>しかし、だからといって西郷が豚肉を食べていなかった、ということにはならない。

このへんすごすぎる
あんた近所に嫌われてるだろ、自分が気が付かないだけで

こういう歳のとり方は絶対にしたくない
0638名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/18(木) 16:20:36.19ID:zRcDUFDq0
奄美の黒糖地獄。この話を知って薩摩がとても嫌いになった。
西郷は奄美に島流しにあって現地妻もいてその実態を知ったというのに
救おうとしなかった。
その後、搾取する側になった。

明治維新はそんな薩長の吹き溜まりになった。
美談を聞けば聞くほどプロパダンダ臭くて「けっ!」って思う。
0639名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/18(木) 20:39:09.16ID:aKL8dIhy0
>>638
江戸時代の人口についてだが、鹿児島本土が1.76倍、琉球王国が1.20倍の増加だったとき、
奄美大島の人口は、2.71倍増加している。
終戦後の本土復帰運動とか調べると、黒糖地獄とやらの欺瞞がわかると思うよ。
0640名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/18(木) 23:27:33.09ID:e5agaA0u0
>>639
人口が増えているのだから黒糖地獄はでっちあげだということ?
地獄なのに人口が増えるのはおかしい、と言いたのかな

それは何の関係も無いと思うけど

奄美の地獄は、黒糖の収益のために島民の生活が徹底的に管理され
生存する以外の富や休息、楽しみは完全に奪われた労働マシーンにさせられるという地獄でしょ
飢餓とかの地獄じゃないんで
むしろ労働力を確保したい薩摩藩が飢餓にさせるわけないわな
0641名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/19(金) 04:34:20.36ID:PlrF+GYe0
日本民法の父、穂積陳重の法窓夜話を現代語に完全改訳
短編×100話なので気軽に読めます

法窓夜話私家版 (なか見検索できます)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0776ZB4SW/

分冊版でもなか見検索できます(2-5) 10
https://www.amazon.co.jp/dp/B0777N4CFF/
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https://www.amazon.co.jp/dp/B0777KDRJ7/
0643名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/19(金) 09:20:28.77ID:W3vQD33d0
>>639
奄美大島という狭い島で余裕を持って暮らせる許容人数を超している。
増えた人口の内実は酷使された奴隷なのでは?
住み良い場所じゃないから流刑島にもなっていたし。

>>642
南島雑話は島民視点の記録ではない。
書いた名越左源太は、島津家のお家騒動のとばっちりで流刑されたけどなんとか生還した人物。
その後は寺社奉行にまで成り上がった。
薩摩藩の汚点になるようなことを書き残すはずがないじゃないか。
0644名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/19(金) 11:44:05.15ID:AEraC8aS0
ふつうに今だって、飲まず食わずの途上国ほど爆発的に人口増加してるのにね
0645名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/19(金) 20:26:25.26ID:IIjFjf9s0
>>643
だから南島雑話読んだ?
頭の中で奴隷労働のことだけ考えていても真実は見えないぞ
名越左源太が寺社奉行になったことまで調べたのなら
彼の長男が薩摩藩英国留学生というエリートながら奄美に移住し嫁をもらっているのも知っているはず
奄美の暮らしを学んでみてもいいんじゃないかな
0646名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/19(金) 23:00:27.31ID:SniS124v0
>>645
だから人口増加と、奄美に奴隷労働があったかどうかは関係無いから

関係あるとしてる時点であんた頭悪すぎる

南島雑話を読んだかどうかと、奴隷労働も関係無いから

名越の息子が明治になってから奄美に行ったのも、何の関係も無い

薩摩藩士と奄美人との間に心のこもった交流もあったとしても、関係無いんで

あんたのは"歴史"ではなく"歪んだ愛郷心"なんだよ

気持ち悪いからもう来ないで
0647名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/19(金) 23:04:02.74ID:oOghCCSF0
>>643
奄美諸島ってそんな狭い地域じゃないっすよ
奄美本島だけでも佐渡に次ぐくらいの規模だし
0648名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/20(土) 00:23:20.66ID:O3knhWT40
>>646
なんか変なイデオロギーに染まった人みたいね
西郷隆盛も実は関係ないか
見る気がなくては言ってもしょうがない
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