明治六年の政変後も
政府から西郷へは、東京に出仕してくれるよう再三要請があった
久光にも同様の要請はあり、久光は度々政府に出仕している
西郷は出仕を断っているが、官位や陸軍大将の肩書きはそのままである
給金が自分に送られてきていることも合わせて、
政府が下手に出てくるのはまんざらでもなかったはずである

後世の西郷美談では、それを西郷と大久保の絆であるかのように説明するが
ようは大久保の巧妙な懐柔術により、西郷が壮大な勘違いをさせられていたのである