西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男©2ch.net
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以下、テンプレ
Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。) 鹿児島人の歴史書き換え
・維新最大の抵抗勢力 → 維新のふるさと
・江戸のボンボン斉彬 → 薩摩の名君
・薩摩にこだわった久光 → ジゴロー
・薩摩の農奴を解放してくれた恩人大久保 → おなごんくっされ
・西南で1万人以上殺してうえで自分は助命嘆願した西郷 → 新しい世のために士族を道づれに消えた巨星 どこの土地でもそうかも知れないが、地元らしさとか、地元の本当の歴史なんかは
結局どうでもよくて、地元上げできる話を切り取って、語りついでるだけ
そして黒歴史は無かったことに 江戸川区に昭和30年代まで「洲崎パラダイス」という日本最大級の赤線エリアが存在していて映画にもなっているんだけど
今は跡形も無い
いや町の区画が独特でそれはほぼそのまま残っている
昔は堀に囲まれ、中に入るには一本の橋しか無かった
そういう構造がほぼそのまま残っているという隠れた歴史スポットなんだけど
しかし地元の歴史としては抹殺されている 地元のおじいさんに聞いたら、自分たちは江戸っ子だしそういう歴史を恥じているわけでもないが
子供たちに説明できないと言ってたわ
遊郭とか赤線とは何なのかを
それで今は無かったことになってると 久光に関しては新しい史料が公開されたのが90年代
それに基づいた研究書が出たのが21世紀以降なんだから
それ以前に作られたドラマが司馬の創作まんまなのは仕方ない
斉彬vs久光、西郷vs大久保の対立に話を盛って行きたがる人って
斉彬と西郷の事績をまとめろと遺言したのがそれぞれ斉彬と大久保ってのをスルーするよなあ 薩摩や奄美でも子供たちに説明できんわな
ホモ教育だの、黒糖地獄だの
そうやって無かったことになっていく そのホモ教育やらはネットで興味本位で広めてる連中がどんどん話を大きくしてるけど
ちゃんと史料を探して検証したやつはおるんかいな
今のところ根拠で聞いたのは、戦国時代の話と、地方によって稚児を着飾らせたり
女装する行事があるってのと、明治になって没落した元城下士の子弟のイジメと
脚気論争で負けた森鴎外の薩摩文化ネガキャンぐらいしかないんだが >>699
>斉彬と西郷の事績をまとめろと遺言したのがそれぞれ斉彬と大久保ってのをスルーするよなあ
大久保は、鹿児島での自分の評判があまりにも悪いので、少し西郷を持ち上げないとマズイという動機が見え見えだけどね
自分がかつてどれだけ西郷に協力的だったかの逸話を絶対入れるように、「西郷南洲逸話」をまとめた重野へリクエストしてるよ
「西郷南洲逸話」の中で重野にバラされてるわ
大久保が重野へ西郷の事績をまとめるように依頼したからといって
大久保と西郷に対立が無かったなどとはとても言えない >>702
あの話をそうとしか読めないのってバイアスかかってね?
あれって久光と西郷はここで仲直りしたんだって話だろ 重野の話もさあ
西郷とじかに会って交流してた江戸や奄美の話は都合の悪い部分をカットして
重野が西郷の後任として久光のお庭方になり、その後東京では政府から離れて
西郷と会うことがなくなり伝聞だけしか情報が入ってこなくなった頃の論評だけ信じるとか
すっげー偏向してるよなw >>703
は?
大久保が西郷に自分も一緒に切腹するからとか何とかの話だよ
西郷の事績でも何でもない、大久保上げ逸話
大久保から書くように頼まれたから書いたって重野がバラしてた話だよ
あれを大久保上げ以外の理由で書いたと思えるってそうとうオメデタイ >>704
重野の話はあくまで重野目線の話だけど
ではなぜそれを大久保と西郷に対立が無かった根拠として持ち出した?
コロコロ話を変えるくらいなら黙ってればいいのに >>704
キャラを変えての粘着荒らし
おつかれさまです >>697の「洲崎パラダイス」は江東区だった
今の木場のとなり
この映画もおすすめだけど、同じ川島雄三監督で品川宿を舞台にした「幕末太陽傳」もおすすめ
庵野秀明「シンゴジラ」でゴジラが品川で暴れた理由が分かる 都合の悪い歴史をなかったことにしてしまうのはキリスト教社会のやり方。
先住民のネイティブアメリカンを大量殺戮したコロンブスを新大陸発見の英雄にしているところが
もうアカンやつ。
「キリスト教にあらずんば人にあらず」を実践して人狩りをしては奴隷化していた暗黒社会の
悪行はとどまることを知らなかった。
江戸幕府は鎖国してまで、相容れない邪教社会の悪影響を受けないように防いで
くれていたのに。
薩摩の家紋は十字架だし、隠れキリシタンから西洋式の毒思想の影響を受けていた?
琉球を侵略しに行ったり奄美を黒糖地獄にしたり。原理主義一神教っぽい日本らしくない
やり方はだいたい薩摩が始めている。
薩摩が海洋国・琉球でやった蛮行はイギリスやスペインほどではないものの、思想・文化の
押し付けっぷりは独善的で排他的で、なんというかジャイアニズム。
嫌な意味でキリスト教臭が滲み出ている。
天皇の存在感をコッテコテに飾って歪めて政治利用し尽くしたところが特に。
明治時代以降も留学から帰還した洗脳済みのエリート(笑)が持ち帰ったイギリスやスペインの
侵略テンプレートをお手本にしたんかな?
自給自足社会だった日本が、植民地政策に手を染めたのは本当に黒歴史。
マイナスカルトな国の悪習なんぞ反面教師にして真似するなよ。
西郷をやたら持ち上げて英雄扱いして、そっちに大衆の目が集まるようにして
薩摩の内政と財政が黒かったところに衆目が集まらないようにしているけど、
下手な誤魔化しだなー。 >>694
そろそろ薩摩藩フリーメーソン説も出て来る頃だな ■反日勢力50年周期台頭説■
日本では明治維新以降、50年周期で反日勢力が台頭し、その後の約10年間にわたって混乱に陥れるジンクスがある。
◎「明治50年」(1918年・大正7年)
・前年1917年にロシア革命が起き、日本の反日勢力を勢いづかせる。
・1919年に朝鮮で三一独立運動が起き、4月にテロ組織「大韓民国臨時政府」が組織される。
・1922年に「日本共産党」(第一次共産党)が組織される。
・主な反日事件
「閔元植暗殺事件 (1921年)」「虎ノ門事件 (1923年)」「二重橋爆弾事件 (1924年)」・・・
◎「明治100年」(1968年・昭和43年)
・前年1967年に羽田事件が起きる(ヘルメットにマスクという極左お約束のスタイルはこのときに確立された)。
・その後の10年間にわたって、極左による反日暴動・テロが頻発する(あまりにも多過ぎるので具体名は略)。
・「反日亡国論」「自己否定論」という奇痴害デムパ思想が一世を風靡する。
今年2018年(平成30年)は「明治150年」である。
既に特定アジア諸国では反日ファシズムが台頭し、日本国や国民に刃を向けている。
国内でも「パヨク」なる奇痴害左翼が台頭してきている。
最悪の場合、特定アジア国家による日本侵略か反日テロが起きる可能性が高まっている。
良識ある皆様は引き続きパヨクを監視しよう! >>695
>鹿児島人の歴史書き換え
>・西南で1万人以上殺してうえで自分は助命嘆願した西郷 → 新しい世のために士族を道づれに消えた巨星
まさにこれだよな。
大河では助命嘆願場面はやるんだろうか?
まわりが勝手にやったと書き換えるのか? ウソをつき続けるしかないんじゃないのか
慰安婦強制はありました
南京大虐殺はありました
西郷さんは奄美のために尽力しました
西郷さんはあざやかに身を退きました
一度言ったら言い張るしかない ちゃんと史料に残ってる“史実”なんだよなあ
信者さんの“信仰”と違って
なにしろ信者さんのソースは観光地の接待員の話だというのだから驚いた 西郷のウソ美談やウソカリスマ話を見てると、麻原彰晃の死刑をなかなか執行しないで糞尿タレ流させてる理由が分かるよな 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
74ZOA 大河ドラマを見たが、やはり島津久光はボンボン殿様扱いになりそうだな
西郷や大久保を維新の表舞台に送り出したのは、他ならぬ久光なのだが…
もし島津斉彬が長命で活躍してたら、西郷はただの優秀な家臣って扱いで終わってたはずだわ 名君斉彬を引き立てるために久光は悪役にされたんだろうなぁ。
明治時代のヒーローを装飾過多に引き立てるためにどれだけの
「まともな人間」が悪役に貶められたんだろうって思うよ。 うむ。
龍馬や西郷こそが真に日本の未来を考えていた革命児であり、
大久保、山縣、伊藤などは悪しき官僚主義・軍国主義のタネを蒔いた俗論の徒である
などという描き方な。 西郷が城山で自分の助命嘆願を政府軍側にしたってマジ話なのか??
これ、歴史に詳しくない一般的日本人は殆ど知らないと思うぞ
あの豪傑西郷隆盛が?嘘やろ?て反応が大部分で西郷のイメージ急降下間違いないんだが
「晋どん、もうこの辺でよか」も、もう助からないと悲嘆絶望して発したとなると巨星墜つでもなんでもないんだが
小山田信茂と同レベル >>727
城山の洞窟で素直に自殺して降伏を命じれば、残った兵士もかなりの数は命助かったろうに
翌日にわざわざ戦闘して、ダラダラと歩き回った挙句に「ここらでよか」だからな
信者には美談として書かれるけど、これって命惜しさに決断できなくて
ダラダラと無駄な戦闘させただけだよね >>727
助命嘆願はマジだよ
西郷信者は、西郷は助命嘆願を知らなかったとウソ言うけど
西郷を交えて助命嘆願するかどうかの軍議を数度やってるんだから
知らないわけがない
もっとも、西郷が声に出して命乞いを望んだとは思えないけど >>728
そもそも最後の突撃とやらが本当にあったかどうかが怪しい
桐野利秋などの動ける将兵たちはバリケードに籠った状態で死んでるし
死に方はけっこうバラバラ
美談として信じられている、西郷はじめ将兵が一列になり突撃、玉砕したという情景は
政府軍側の記録にはまったく無い
西郷軍を描いた伝記の類は数種あるが、そのうちの一つに
将兵一列になって最後の突撃を試み、脚と胴を撃ち抜かれた西郷が
「晋どんここらでよか」と言い、薩軍将兵が見守るなかで自決した
と書かれているにすぎない
あくまで、何パターンか伝わる死に様のうちの一つにすぎない
突撃→自決説が通説化したのは、
何か強い根拠があったわけではなく、死に様が絵になるという理由でしかない まぁ助命嘆願の使者となった河野主一郎が生き残って証言してるから、薩軍内でそういう動きがあったのは事実だわな
ただこの軍議の最中での撮西郷は終始無言であったというし、軍議も意見が割れたそうだから
もちろん西郷本人の発言も無かったので真意は分からない
河野主一郎の講話の速記記録も残ってるから、興味があれば一読をお勧めします >>731
そりゃ無言だろうよw
助命を頼めば自分のイメージ崩壊するし
かっこつけて助命を止めれば死ななきゃいけないし
黙って周りが助命の流れにもっていってくれるのをひたすら祈るばかりだったろうよw >>730
助命嘆願の"動き"ではなく、正式に助命嘆願しているんだけど
西郷信者らしい、言葉の選び方だよね(笑)
9月18日、西郷軍内で再び、西郷の助命論が起こり、河野主一郎が村田新八、池上四郎、ほかの諸隊長らの同意を得た。
「薩南血涙史」では、このことは桐野利秋には黙って進められたとある。
前回の軍議で桐野が西郷の助命嘆願に激怒し、助命嘆願の動きが止められていたからだ。
「西南記伝」では、桐野も軍議に出席しており、合議の席上で「投降は後世に対する侮辱だ」とあくまで反対したとある。
ともかく西郷自身はただ莞爾(にっこり)して「よしよし」と言っただけだったので、河野らが嘆願に赴いたとある。 助命嘆願の結果
政府軍の川村純義からは、まずは西郷本人を出頭させろと言われ
山県有朋からは西郷宛に自決を促す手紙が出され
助命は拒否された >>730
>桐野利秋などの動ける将兵たちはバリケードに籠った状態で死んでるし
ソースは? 西郷信者得意の「ソースは?」ですか・・・
西郷信者は一回たりともソースを開示したことないのにね(笑)
ていうか桐野が岩崎口の塁に籠って死んだのって複数のソースで
確認できる、確定史実なんじゃないの?
桐野の死に様すら信者は知らなかったってことかよ
政府軍側のソースが一番信憑性が高いと思うので一つ紹介すると
「官軍佐竹大尉が城ケ谷において首の無い肥大した死体を発見する
これが後で西郷の死体だと判明する
城ケ谷中腹の一塁の中では桐野以下13名の死体を発見する」
など、桐野は塁(バリケード)の中で死んでいる 屑行動しかしてないのに話を作って美談にするのは
薩摩人の特徴 西郷隆盛のこんなヤツはいない!って過ぎた美談はドン引く。
他の明治維新の英雄とされている有名人たちも。
明治維新は中央集権化のためと言いながら
寺社仏閣潰して地域文化の破壊をしまくった。
悪い方向性に西洋かぶれ。
多神教文化を廃して一神教化するということは神殺しっぽい。
八百万の神々へのジェノサイドみたいで嫌だなー。 >>737
>西郷信者は一回たりともソースを開示したことないのにね(笑)
珍説、奇説で事実を翻そうとする側がソースを出すのは当たり前だろwwww.
>ていうか桐野が岩崎口の塁に籠って死んだのって複数のソースで 確認できる、確定史実なんじゃないの?
複数のソースってなんだよ。桐野は突撃もせずバリケードに籠って死んだってどこに書いてあるんだよ。
自分の妄想を膨らませた珍説を唱えるんだったらそのほかのソースも公平に出してみろよ。
>政府軍側のソースが一番信憑性が高いと思うので
理由は? お前の願望論だろ。政府側のソースってなんだよ。正確に書けよ。 >>727 ~ >>730 のスレ主の自演わろたwww. >>741
逆におまえの中で桐野利秋はどういう死に方をしてたんだ?
新説でもあるなら聞いてみたい >>743
答えになってないよ?www
それとも答えられない事情があるの?wwwwww おれはこっちだよ(笑)
>>743
そいつはいつものゴミ信者荒らしです
自分の知らないことが書かれている
↓
どうせ適当なことを書いてるに違いない
↓
ソースは?
↓
普通にソースが出て来て、大恥
↓
火病 ← 今ここ いつもの流れ(笑) >>742みたいに苦しい自演認定して、ゴマカして逃げるパターンもあり(笑) なぜ桐野の死亡した場所が塁の中だったと分かるかの史料
信者のバイブル「西南記伝」第12篇 城山方面の戦闘 第2章 城山の戦闘 699ページ
「塁の中に斃れたり」
ただしこれは政府軍の戦闘記録をネタ元にして、桐野が劇的で壮絶な最期を遂げたように
盛大に盛られて書かれている
桐野と一緒に戦った人間は全員死亡しているので桐野の最後がどういったものだったか
目撃者はいないはずなのに
したがってソースとしては甚だ怪しいと言える しかし2014年、政府陸軍歩兵第7連隊の中尉だった千田登文の個人的な記録が発見された
戦闘後「城ケ谷中腹の一塁の中に入ると桐野以下13名の死体を発見した」とある
これで少なくとも、桐野が死んだ場所が塁の中であったことが裏付けられた 無知な>>741は、桐野が戦わず塁の中に隠れて死んだと勘違いしてるようだが
そんなことはないはず
千田の記録にも「塁を包囲し攻撃したら賊は必死に防戦した」と書かれているので
桐野は突撃はしていないが、塁の中から応戦した後に死んだということになる ていうか、信者サイドの通説ですら、桐野は塁の上に登ってライフルをぶっ放したとか
マンガみたいなことが言われていたのに
>>741はそれすら知らなかったんだな・・・ なんだ、やっぱり結局桐野は突撃して、最後まで戦って塁の中に落ちて勇敢な最期を遂げたと言うことか。 なんだ、やっぱり結局桐野は突撃して、最後まで戦って塁の中に落ちて勇敢な最期を遂げたと言うことか。 西郷だけでなく天皇とかもたいしたことないわ
明治維新は奄美の黒糖奴隷で今の日本がある >>742
済まんが>>727は俺がレスした
スレ主ではない
西郷が城山で助命嘆願したとか殆ど知らなかったからな
もし本当に西郷が自分は助かりたいと少しでも思ったのなら、西郷の下で決死の覚悟で奮戦死亡した多くの若い薩摩兵は浮かばれない
レスしたのは>>727のみだよ 西郷軍幹部たちの間では、西郷助命嘆願の理由として、
西郷を生かして法廷に立ってもらい
西郷軍の大義を明らかしてもらうということを言っていたようだ
しかしこれは建前だろう
城山に籠った西郷軍将兵たちも疲れきっていて
内心は西郷さんを政府軍に引き渡し
それでもって戦争の終結とし、自分も投降したいと思っていた人間は多かったと思われる
なにより西郷自身がそう思っていたのかもしれない
西郷が命を惜しんだのではないなら、自分の助命嘆願が拒否された時点で
西郷は桐野とともに自決し、政府軍の総攻撃の前に将兵たちを投降させるべきだった
西郷軍の大義を明らかにしたかったのならなおさら >>754
>西郷が城山で助命嘆願したとか殆ど知らなかったからな
西郷は助命嘆願などしていないのだが、、、、一部の反日プロパガンダが、そのようにしたいために昔から
唱えているようではあるが、一般には全く相手にされていない。
実際、西郷が助命嘆願などしたという資料は全くないし、>>755などを見ても明らかなように、ここのスレ主が「〜だろう」、「〜かもしれない」
という願望論を出しているだけである。 助命嘆願に対する政府軍川村の回答は、まずは西郷さん本人が出頭しろと、話はそれからと
これって圧倒的優位に立っている政府軍としては当たり前のことで
むしろ温情だわな
西郷さんが西郷軍の大義を説きたかったのなら出頭すべきだった
しかしそうしなかった 一方、山縣からの心のこもった手紙にはこう書いてあった
若者たちを無駄死にさせないために、西郷さんに自決してもらって、もう終わりにしましょう、と
これに対しても、西郷はそうしなかった 西郷さんの心中はいかなるものだったのか
あるいは、心中というものがもはや存在しない
心神喪失状態にあったのか 通説では、西郷軍の生き残りとともに最後の突撃をしたとなっている
生涯で兵士だったことは一度もなく、西南戦争中も前線視察すらしていなかったこの男が
突撃したというのは、美談としても無理がありすぎではないか 西郷軍は西郷の首を取られ、晒されることを心配していた
実際、西郷の首は西郷軍の手で切断され隠されていた
このような処置をした西郷軍が、首の回収がおぼつかなくなる突撃行為などを西郷にさせるはずはないのだ
武士の総大将の作法としても、洞窟で自決するのが正しい 西郷が突撃していないとすると、
なぜ西郷の遺体は洞窟の外の中途半端な場所に転がっていたのか
そう考えると、
状況的にいちばん合理的な答えはやはり
西郷逃亡 → 桐野に見つかり強制玉砕
なんだよな
逃亡という言葉が気に入らないなら
「徘徊」としてもいいけど
心神喪失状態に陥っていた西郷さんが
桐野に腹を切るように即されると
ヨロヨロ洞窟を抜け出し、政府軍に投降するそぶりをした
少なくとも桐野にはそう見えた >>757-762 のスレ主の妄想願望論は、以前何回も論破されているしどうでもいいけど、
結局、西郷隆盛が助命嘆願をしたとの一次資料は存在しない事は改めて確認できた。 >>761
> このような処置をした西郷軍が、首の回収がおぼつかなくなる突撃行為などを西郷にさせるはずはないのだ
これは自分もそう思う。
薩軍は玉砕を前に輿をかつぐ人夫(非戦闘員)などは逃がしたはずなのに、西郷の首をハネたとされる別府晋助が突撃の時に輿に乗っていたというのもおかしいんだよ。 やっぱ西郷どんは「生かされて」其の存在を全て抹消されたと見るのも「1つ」に思うがw
果たして? >>764
たしかにそれはおかしいですね(笑)
おかしいことだらけです
西郷が洞窟を出て、桐野利秋に銃撃されたのを目撃した城川市二も別府晋介の従卒でカゴを担いでいたのですが
なぜか「西南記伝」の突撃物語では城川の存在が消されていて、いなかったことになっている
城川の存在を認めると何か都合の悪いことでもあるかのように・・ 日本の歴史における国民的人気人物
源義経(衣川の戦いで弁慶らと共に力尽きるまで)
織田信長(本能寺の変において自らも弓や槍で奮戦)
真田幸村(報酬を条件に寝返りを誘われるも断り、大坂夏の陣で家康本陣突入を試み玉砕)
坂本龍馬(いきなりの刺客に抵抗する間もなく無念)
西郷隆盛(城山では?)
全員非業の死を遂げるも、最後まで闘って潔く死ぬ様が多くの日本人の心を掴んでいるのではと思われる
よって、西郷隆盛が西南の役の最後、城山でどのように振る舞ったのかは関心を呼ぶ所だから 鹿児島の原口泉氏のクソっぷり、男芸者ぶりには笑うしかない
ほんとにこの人は歴史学者なのか?
鹿児島県民がホルホルできそうな逸話だけ切り取って見せて、薩摩人スゴイ、鹿児島人スゴイをやってるだけ
そんなのが志學館大学教授、鹿児島県立図書館館長。鹿児島大学名誉教授だとさ
鹿児島の知的レベルが分かろうというもの
お父さんの虎雄氏があの世で泣いてるよ 大河の山城の場面で西郷にブチ切れる桐野が描かれるか楽しみだな 既に目先の事にギャーギャー騒ぐだけの馬鹿として描かれてるし
小作人の借金を地主に頼まないで上役に頼もうとして、やった気になって英雄気取るとか
見方次第で実像に近くなる やった気になる
これ西郷さんの人となりを表すピッタリの言葉かもな
陳情に同情して手紙で取り次いであげて、やった気になってそれで終わり 敵に首級を晒すのは耐え難い・忍び難い・・・のであればもっと別な所へ隠せなかったん?という話
千田さんwがその辺探して見つかりましたwwwってなレベルだったのだから
なんというかものすごく「いい加減」 いい加減な展望と同調圧力で、薩摩士族全員出撃とかやった人たちだからな ふと思ったんだけど、西郷隆盛って今の貴乃花親方に近いんじゃないのか?
改革者というより、原口虎雄が言うような「永遠の不平家」
・異常に敵味方をはっきりさせる
・敵とみなすと絶対許さない
・味方には異常に良くしてあげて運命共同体的な集団ができていく
・人の些細な不正が許せない
(不正というか自分の知らないところで行われているもの全部)
・不満を強烈に主張するが、具体的な解決策を自分が持っているわけではない
・美辞麗句を使って理想を主張するが、具体的なプランを持っているわけではない
・距離を置いて見ると、正義の改革者のようにも見えるので大衆人気は高い
・対立する者が一方的に悪者にされてしまう 幕末はこれで十分↓。
西郷いらん龍馬いらん松陰いらん。
黒舟来航
↓
幕府開港
↓
天皇と諸藩が怒る。
↓
怒った人たちが天皇の下でがんばって、外人を追い出そう!て言い出す。
↓
朝廷と幕府の仲が険悪に。
↓
幕府が怒って反乱分子を弾圧。
↓
仕返しに幕府の大老が暗殺される。
↓
反乱分子が天誅と称して次々幕府方に暗殺を仕掛ける。
↓
反乱分子が調子に乗り出し筆頭だった薩摩長州がイギリスに戦争しかけるがボロ負け。
↓
天皇がこれからは開国って言い出す。
↓
反乱分子の力が弱まって各地で刑罰を受けるようになる。
↓
反乱分子筆頭の長州藩が幕府に攻められる。
↓
危機感を覚えた長州が薩摩と手を結ぶ。
↓
幕府が再び長州に攻め込むが追い返される。
↓
将軍と薩摩、長州、土佐藩の人たちが京都(朝廷)で話しあう。
↓
話し合いの結果、幕府は政権を朝廷に返上して朝廷と諸藩で国を運営しようってなる。
↓
話し合いの中で将軍家の領地や財産の返上を求められるが将軍が無視。
↓
朝廷、薩摩、長州が「やっぱ幕府潰せ」と江戸へ進軍。
↓
江戸城に薩摩連合軍が迫って来ましたが両者の代表が話し合って無血開城。
↓
しかし、幕府が負けるのが嫌な藩や勢力が徹底抗戦しその後も戦争は続いたが最後
は北海道でやっつけられる。
↓
いろいろあったけど明治政府誕生\(^o^)/ めでたしめでたし。 西郷隆盛
孫文
昭和天皇
この3人は過大評価だが、革命にはシンボルがいるんだよ。それだけの人物 >>777の間違いを指摘せよ
で入試問題が作れそう >>778
悪目立ちして早死にした人はシンボルに仕立てやすい。
シンボルにされた人の偉人エピソードって結局捏造で、政治利用されるためにてきている。
聖徳太子はいなかったけど、厩戸皇子(うまやどのみこ)は実在した。
ただし超人ではなかったらしい。
という昨今の「聖徳太子はいなかった説」と似ている。
西郷隆盛の妻は生涯のうち3人。ただし釣った魚にエサをやらない男だったから
妻たちは報われることのない苦労をした。
妻以外に関係を持った女性は行く先々に多数。
西郷はデブ専! ってエピソードなんかもあるくららいだし。
衆道相手の坊さんと心中(に見せかけた殺人?)もしてたっぽい。
プロパガンダ目的に密造された、新品でキラキラなくせに神話・歴史の重みゼロな
錦の御旗をさも三種の神器がごとく掲げて日本中を騙くらかして幕府を倒した。
以降、日本史は詐術に長けた嘘つきが牛耳る国になった。
コッテコテに英雄譚に仕立てるには醜聞ありすぎじゃね? 右翼の政治利用
鹿児島県人の郷土の偉人顕彰活動
上野西郷像のハラペコ池沼キャラ
この三つが、西郷隆盛を偶像化してしまったようだ
一番ひどいのが鹿児島県人による顕彰活動かな
史実を完全に無視して、ウソでも既成事実化すればそれは史実になる
と言わんばかりの某国式の顕彰活動
東郷平八郎や大山巌の、史実を無視した偶像化もひどいし 西郷さん、じつはこんな人だった的な扱いが今や主流だもんな 最後の最後で桐野利秋にも愛想尽かされたしなあ
イケイケの時なら頼もしくもあるが、駄目な時は只の大きなおじさん、重たいだけの御輿を担ぐのはしんどかったかもね >>783
背後から撃たれた事が果たしてどういった「心境で」なのかまでは理解らないだろうと この人の死にたい病ってポーズだったんですか?
死なせてくれ!(チラッ)ええい死なせてくれ!(チラッチラッ)
みたいな感じで止めてくれるのを見越して死にたい死にたい言うてるみたいな 西郷が東郷平八郎をイギリスに留学させたことが後の日本海海戦の勝利につながった
東郷は西南戦争の時に、ほんとは西郷軍に行きたかったと語った
西郷が川路利良を抜擢したおかげで警視庁ができた
山本権兵衛を抜擢したのも西郷で、明治六年政変で西郷が下野したとき山本は西郷を追って鹿児島に行ったが
西郷に説得されて東京に戻った
などのいかに西郷の人物眼が優れており、また慕われていたかの逸話がやたらと多いのだが
このような逸話は、又聞きの又聞きのような話が西郷伝記集のような本に採録されて
それがまともな検証も経ずに史実として語られるようになったケースが多い
山本権兵衛が西郷の斡旋で勝海舟の海軍操練所に入ったなどの事実もあるが
どこまでが西郷が関与した話なのか、基本的に全部疑って検証し直したほうが良さそうだ 西郷たちは西南戦争を起こした時に
天皇はどっちに付くかとか
天皇を擁立するにはどうすればいいのかを
考慮するということは無かったのだろうか
政府が天皇をがっちり囲い込んでいて、付け入る隙が無いのなら
それはそれで決起を見送る選択もあったろうに
反乱軍のまま東京政府を倒せると思っていたのだろうか 西郷さんが今の人で、転職の面接行って
「あなたは何ができますか?」と聞かれたら
「取締役ならできます」とか真顔で答えそう 大河ドラマのせいで西郷どんブーム来てっけどさ
余りの時代考証無視しすぎで、信者の俺ですらドン引きですわ
おかげで最近はこのスレに書き込む気も失せてた
アンチも擁護もめっきり書き込み減ってテンション落ちたねー
あの原口教授ですら「脚本家の希望により時代考証ガン無視です」と明言してるくらいだし 西郷どんブーム来てる?
最近知ったけど、日露戦争の前に山縣配下の日本軍は
ロシア艦隊迎撃用の砲台を瀬戸内海の島にまで設置して
島をまるごと要塞化してるんだよな
実際に使われることは無かったわけだが
苦しい中でも“運”や“精神論”に頼らず徹底的な準備をして必勝を期す、という
こういう姿勢こそ正しいものである
しかし精神論系の西郷神格化が
その後の太平洋戦争での行き当たりバッタリの日本軍に少なからず影響したと思う
「1年は暴れてみせます(その後は・・・)」みたいな言い方自体がそもそも精神論だわな 太平洋戦争は日露戦争を見習った例で西郷に何の関係もない
西郷は自ら権力を手放した真の政治家
どこかの国の独裁者になることも可能だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています