西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男©2ch.net
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以下、テンプレ
Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。) 屑行動しかしてないのに話を作って美談にするのは
薩摩人の特徴 西郷隆盛のこんなヤツはいない!って過ぎた美談はドン引く。
他の明治維新の英雄とされている有名人たちも。
明治維新は中央集権化のためと言いながら
寺社仏閣潰して地域文化の破壊をしまくった。
悪い方向性に西洋かぶれ。
多神教文化を廃して一神教化するということは神殺しっぽい。
八百万の神々へのジェノサイドみたいで嫌だなー。 >>737
>西郷信者は一回たりともソースを開示したことないのにね(笑)
珍説、奇説で事実を翻そうとする側がソースを出すのは当たり前だろwwww.
>ていうか桐野が岩崎口の塁に籠って死んだのって複数のソースで 確認できる、確定史実なんじゃないの?
複数のソースってなんだよ。桐野は突撃もせずバリケードに籠って死んだってどこに書いてあるんだよ。
自分の妄想を膨らませた珍説を唱えるんだったらそのほかのソースも公平に出してみろよ。
>政府軍側のソースが一番信憑性が高いと思うので
理由は? お前の願望論だろ。政府側のソースってなんだよ。正確に書けよ。 >>727 ~ >>730 のスレ主の自演わろたwww. >>741
逆におまえの中で桐野利秋はどういう死に方をしてたんだ?
新説でもあるなら聞いてみたい >>743
答えになってないよ?www
それとも答えられない事情があるの?wwwwww おれはこっちだよ(笑)
>>743
そいつはいつものゴミ信者荒らしです
自分の知らないことが書かれている
↓
どうせ適当なことを書いてるに違いない
↓
ソースは?
↓
普通にソースが出て来て、大恥
↓
火病 ← 今ここ いつもの流れ(笑) >>742みたいに苦しい自演認定して、ゴマカして逃げるパターンもあり(笑) なぜ桐野の死亡した場所が塁の中だったと分かるかの史料
信者のバイブル「西南記伝」第12篇 城山方面の戦闘 第2章 城山の戦闘 699ページ
「塁の中に斃れたり」
ただしこれは政府軍の戦闘記録をネタ元にして、桐野が劇的で壮絶な最期を遂げたように
盛大に盛られて書かれている
桐野と一緒に戦った人間は全員死亡しているので桐野の最後がどういったものだったか
目撃者はいないはずなのに
したがってソースとしては甚だ怪しいと言える しかし2014年、政府陸軍歩兵第7連隊の中尉だった千田登文の個人的な記録が発見された
戦闘後「城ケ谷中腹の一塁の中に入ると桐野以下13名の死体を発見した」とある
これで少なくとも、桐野が死んだ場所が塁の中であったことが裏付けられた 無知な>>741は、桐野が戦わず塁の中に隠れて死んだと勘違いしてるようだが
そんなことはないはず
千田の記録にも「塁を包囲し攻撃したら賊は必死に防戦した」と書かれているので
桐野は突撃はしていないが、塁の中から応戦した後に死んだということになる ていうか、信者サイドの通説ですら、桐野は塁の上に登ってライフルをぶっ放したとか
マンガみたいなことが言われていたのに
>>741はそれすら知らなかったんだな・・・ なんだ、やっぱり結局桐野は突撃して、最後まで戦って塁の中に落ちて勇敢な最期を遂げたと言うことか。 なんだ、やっぱり結局桐野は突撃して、最後まで戦って塁の中に落ちて勇敢な最期を遂げたと言うことか。 西郷だけでなく天皇とかもたいしたことないわ
明治維新は奄美の黒糖奴隷で今の日本がある >>742
済まんが>>727は俺がレスした
スレ主ではない
西郷が城山で助命嘆願したとか殆ど知らなかったからな
もし本当に西郷が自分は助かりたいと少しでも思ったのなら、西郷の下で決死の覚悟で奮戦死亡した多くの若い薩摩兵は浮かばれない
レスしたのは>>727のみだよ 西郷軍幹部たちの間では、西郷助命嘆願の理由として、
西郷を生かして法廷に立ってもらい
西郷軍の大義を明らかしてもらうということを言っていたようだ
しかしこれは建前だろう
城山に籠った西郷軍将兵たちも疲れきっていて
内心は西郷さんを政府軍に引き渡し
それでもって戦争の終結とし、自分も投降したいと思っていた人間は多かったと思われる
なにより西郷自身がそう思っていたのかもしれない
西郷が命を惜しんだのではないなら、自分の助命嘆願が拒否された時点で
西郷は桐野とともに自決し、政府軍の総攻撃の前に将兵たちを投降させるべきだった
西郷軍の大義を明らかにしたかったのならなおさら >>754
>西郷が城山で助命嘆願したとか殆ど知らなかったからな
西郷は助命嘆願などしていないのだが、、、、一部の反日プロパガンダが、そのようにしたいために昔から
唱えているようではあるが、一般には全く相手にされていない。
実際、西郷が助命嘆願などしたという資料は全くないし、>>755などを見ても明らかなように、ここのスレ主が「〜だろう」、「〜かもしれない」
という願望論を出しているだけである。 助命嘆願に対する政府軍川村の回答は、まずは西郷さん本人が出頭しろと、話はそれからと
これって圧倒的優位に立っている政府軍としては当たり前のことで
むしろ温情だわな
西郷さんが西郷軍の大義を説きたかったのなら出頭すべきだった
しかしそうしなかった 一方、山縣からの心のこもった手紙にはこう書いてあった
若者たちを無駄死にさせないために、西郷さんに自決してもらって、もう終わりにしましょう、と
これに対しても、西郷はそうしなかった 西郷さんの心中はいかなるものだったのか
あるいは、心中というものがもはや存在しない
心神喪失状態にあったのか 通説では、西郷軍の生き残りとともに最後の突撃をしたとなっている
生涯で兵士だったことは一度もなく、西南戦争中も前線視察すらしていなかったこの男が
突撃したというのは、美談としても無理がありすぎではないか 西郷軍は西郷の首を取られ、晒されることを心配していた
実際、西郷の首は西郷軍の手で切断され隠されていた
このような処置をした西郷軍が、首の回収がおぼつかなくなる突撃行為などを西郷にさせるはずはないのだ
武士の総大将の作法としても、洞窟で自決するのが正しい 西郷が突撃していないとすると、
なぜ西郷の遺体は洞窟の外の中途半端な場所に転がっていたのか
そう考えると、
状況的にいちばん合理的な答えはやはり
西郷逃亡 → 桐野に見つかり強制玉砕
なんだよな
逃亡という言葉が気に入らないなら
「徘徊」としてもいいけど
心神喪失状態に陥っていた西郷さんが
桐野に腹を切るように即されると
ヨロヨロ洞窟を抜け出し、政府軍に投降するそぶりをした
少なくとも桐野にはそう見えた >>757-762 のスレ主の妄想願望論は、以前何回も論破されているしどうでもいいけど、
結局、西郷隆盛が助命嘆願をしたとの一次資料は存在しない事は改めて確認できた。 >>761
> このような処置をした西郷軍が、首の回収がおぼつかなくなる突撃行為などを西郷にさせるはずはないのだ
これは自分もそう思う。
薩軍は玉砕を前に輿をかつぐ人夫(非戦闘員)などは逃がしたはずなのに、西郷の首をハネたとされる別府晋助が突撃の時に輿に乗っていたというのもおかしいんだよ。 やっぱ西郷どんは「生かされて」其の存在を全て抹消されたと見るのも「1つ」に思うがw
果たして? >>764
たしかにそれはおかしいですね(笑)
おかしいことだらけです
西郷が洞窟を出て、桐野利秋に銃撃されたのを目撃した城川市二も別府晋介の従卒でカゴを担いでいたのですが
なぜか「西南記伝」の突撃物語では城川の存在が消されていて、いなかったことになっている
城川の存在を認めると何か都合の悪いことでもあるかのように・・ 日本の歴史における国民的人気人物
源義経(衣川の戦いで弁慶らと共に力尽きるまで)
織田信長(本能寺の変において自らも弓や槍で奮戦)
真田幸村(報酬を条件に寝返りを誘われるも断り、大坂夏の陣で家康本陣突入を試み玉砕)
坂本龍馬(いきなりの刺客に抵抗する間もなく無念)
西郷隆盛(城山では?)
全員非業の死を遂げるも、最後まで闘って潔く死ぬ様が多くの日本人の心を掴んでいるのではと思われる
よって、西郷隆盛が西南の役の最後、城山でどのように振る舞ったのかは関心を呼ぶ所だから 鹿児島の原口泉氏のクソっぷり、男芸者ぶりには笑うしかない
ほんとにこの人は歴史学者なのか?
鹿児島県民がホルホルできそうな逸話だけ切り取って見せて、薩摩人スゴイ、鹿児島人スゴイをやってるだけ
そんなのが志學館大学教授、鹿児島県立図書館館長。鹿児島大学名誉教授だとさ
鹿児島の知的レベルが分かろうというもの
お父さんの虎雄氏があの世で泣いてるよ 大河の山城の場面で西郷にブチ切れる桐野が描かれるか楽しみだな 既に目先の事にギャーギャー騒ぐだけの馬鹿として描かれてるし
小作人の借金を地主に頼まないで上役に頼もうとして、やった気になって英雄気取るとか
見方次第で実像に近くなる やった気になる
これ西郷さんの人となりを表すピッタリの言葉かもな
陳情に同情して手紙で取り次いであげて、やった気になってそれで終わり 敵に首級を晒すのは耐え難い・忍び難い・・・のであればもっと別な所へ隠せなかったん?という話
千田さんwがその辺探して見つかりましたwwwってなレベルだったのだから
なんというかものすごく「いい加減」 いい加減な展望と同調圧力で、薩摩士族全員出撃とかやった人たちだからな ふと思ったんだけど、西郷隆盛って今の貴乃花親方に近いんじゃないのか?
改革者というより、原口虎雄が言うような「永遠の不平家」
・異常に敵味方をはっきりさせる
・敵とみなすと絶対許さない
・味方には異常に良くしてあげて運命共同体的な集団ができていく
・人の些細な不正が許せない
(不正というか自分の知らないところで行われているもの全部)
・不満を強烈に主張するが、具体的な解決策を自分が持っているわけではない
・美辞麗句を使って理想を主張するが、具体的なプランを持っているわけではない
・距離を置いて見ると、正義の改革者のようにも見えるので大衆人気は高い
・対立する者が一方的に悪者にされてしまう 幕末はこれで十分↓。
西郷いらん龍馬いらん松陰いらん。
黒舟来航
↓
幕府開港
↓
天皇と諸藩が怒る。
↓
怒った人たちが天皇の下でがんばって、外人を追い出そう!て言い出す。
↓
朝廷と幕府の仲が険悪に。
↓
幕府が怒って反乱分子を弾圧。
↓
仕返しに幕府の大老が暗殺される。
↓
反乱分子が天誅と称して次々幕府方に暗殺を仕掛ける。
↓
反乱分子が調子に乗り出し筆頭だった薩摩長州がイギリスに戦争しかけるがボロ負け。
↓
天皇がこれからは開国って言い出す。
↓
反乱分子の力が弱まって各地で刑罰を受けるようになる。
↓
反乱分子筆頭の長州藩が幕府に攻められる。
↓
危機感を覚えた長州が薩摩と手を結ぶ。
↓
幕府が再び長州に攻め込むが追い返される。
↓
将軍と薩摩、長州、土佐藩の人たちが京都(朝廷)で話しあう。
↓
話し合いの結果、幕府は政権を朝廷に返上して朝廷と諸藩で国を運営しようってなる。
↓
話し合いの中で将軍家の領地や財産の返上を求められるが将軍が無視。
↓
朝廷、薩摩、長州が「やっぱ幕府潰せ」と江戸へ進軍。
↓
江戸城に薩摩連合軍が迫って来ましたが両者の代表が話し合って無血開城。
↓
しかし、幕府が負けるのが嫌な藩や勢力が徹底抗戦しその後も戦争は続いたが最後
は北海道でやっつけられる。
↓
いろいろあったけど明治政府誕生\(^o^)/ めでたしめでたし。 西郷隆盛
孫文
昭和天皇
この3人は過大評価だが、革命にはシンボルがいるんだよ。それだけの人物 >>777の間違いを指摘せよ
で入試問題が作れそう >>778
悪目立ちして早死にした人はシンボルに仕立てやすい。
シンボルにされた人の偉人エピソードって結局捏造で、政治利用されるためにてきている。
聖徳太子はいなかったけど、厩戸皇子(うまやどのみこ)は実在した。
ただし超人ではなかったらしい。
という昨今の「聖徳太子はいなかった説」と似ている。
西郷隆盛の妻は生涯のうち3人。ただし釣った魚にエサをやらない男だったから
妻たちは報われることのない苦労をした。
妻以外に関係を持った女性は行く先々に多数。
西郷はデブ専! ってエピソードなんかもあるくららいだし。
衆道相手の坊さんと心中(に見せかけた殺人?)もしてたっぽい。
プロパガンダ目的に密造された、新品でキラキラなくせに神話・歴史の重みゼロな
錦の御旗をさも三種の神器がごとく掲げて日本中を騙くらかして幕府を倒した。
以降、日本史は詐術に長けた嘘つきが牛耳る国になった。
コッテコテに英雄譚に仕立てるには醜聞ありすぎじゃね? 右翼の政治利用
鹿児島県人の郷土の偉人顕彰活動
上野西郷像のハラペコ池沼キャラ
この三つが、西郷隆盛を偶像化してしまったようだ
一番ひどいのが鹿児島県人による顕彰活動かな
史実を完全に無視して、ウソでも既成事実化すればそれは史実になる
と言わんばかりの某国式の顕彰活動
東郷平八郎や大山巌の、史実を無視した偶像化もひどいし 西郷さん、じつはこんな人だった的な扱いが今や主流だもんな 最後の最後で桐野利秋にも愛想尽かされたしなあ
イケイケの時なら頼もしくもあるが、駄目な時は只の大きなおじさん、重たいだけの御輿を担ぐのはしんどかったかもね >>783
背後から撃たれた事が果たしてどういった「心境で」なのかまでは理解らないだろうと この人の死にたい病ってポーズだったんですか?
死なせてくれ!(チラッ)ええい死なせてくれ!(チラッチラッ)
みたいな感じで止めてくれるのを見越して死にたい死にたい言うてるみたいな 西郷が東郷平八郎をイギリスに留学させたことが後の日本海海戦の勝利につながった
東郷は西南戦争の時に、ほんとは西郷軍に行きたかったと語った
西郷が川路利良を抜擢したおかげで警視庁ができた
山本権兵衛を抜擢したのも西郷で、明治六年政変で西郷が下野したとき山本は西郷を追って鹿児島に行ったが
西郷に説得されて東京に戻った
などのいかに西郷の人物眼が優れており、また慕われていたかの逸話がやたらと多いのだが
このような逸話は、又聞きの又聞きのような話が西郷伝記集のような本に採録されて
それがまともな検証も経ずに史実として語られるようになったケースが多い
山本権兵衛が西郷の斡旋で勝海舟の海軍操練所に入ったなどの事実もあるが
どこまでが西郷が関与した話なのか、基本的に全部疑って検証し直したほうが良さそうだ 西郷たちは西南戦争を起こした時に
天皇はどっちに付くかとか
天皇を擁立するにはどうすればいいのかを
考慮するということは無かったのだろうか
政府が天皇をがっちり囲い込んでいて、付け入る隙が無いのなら
それはそれで決起を見送る選択もあったろうに
反乱軍のまま東京政府を倒せると思っていたのだろうか 西郷さんが今の人で、転職の面接行って
「あなたは何ができますか?」と聞かれたら
「取締役ならできます」とか真顔で答えそう 大河ドラマのせいで西郷どんブーム来てっけどさ
余りの時代考証無視しすぎで、信者の俺ですらドン引きですわ
おかげで最近はこのスレに書き込む気も失せてた
アンチも擁護もめっきり書き込み減ってテンション落ちたねー
あの原口教授ですら「脚本家の希望により時代考証ガン無視です」と明言してるくらいだし 西郷どんブーム来てる?
最近知ったけど、日露戦争の前に山縣配下の日本軍は
ロシア艦隊迎撃用の砲台を瀬戸内海の島にまで設置して
島をまるごと要塞化してるんだよな
実際に使われることは無かったわけだが
苦しい中でも“運”や“精神論”に頼らず徹底的な準備をして必勝を期す、という
こういう姿勢こそ正しいものである
しかし精神論系の西郷神格化が
その後の太平洋戦争での行き当たりバッタリの日本軍に少なからず影響したと思う
「1年は暴れてみせます(その後は・・・)」みたいな言い方自体がそもそも精神論だわな 太平洋戦争は日露戦争を見習った例で西郷に何の関係もない
西郷は自ら権力を手放した真の政治家
どこかの国の独裁者になることも可能だった 真の政治家とは、権力を利用して世のため人のため
未来のためになることを実践した者を言う。
西郷はそれをしていない。ただの無責任な面倒くさがり。
幕末の英雄とやらを偶像崇拝している風潮がめっさ気持ち悪い! 大久保の様な権力乱用の政治屋が祭り上げられるのは司馬史観のせいだよな
スターリンやポルポトも人間的に良い人だったみたいに言われる
西郷や木戸が生きてた時は憚って意見を取り入れてたが
その後どんな専制国家を作ったか知れない
黒田清隆の殺人を握りつぶしたり、西郷刺殺の刺客を送った疑いまである人物 新維新の三傑
木戸孝允
大久保利通
山県有朋
ほんとは大村益次郎を入れたいところだけど
生涯実績で見れば山県なんだよな
大久保の実績はいろいろあるが、最大の実績は奇しくも西郷がらみであったと言える
遠島されていた西郷を復職させて倒幕のイメージリーダーにしたこと
そして役割を終えた西郷を西南戦争で葬ったこと
西郷の生涯とは大久保の手の平で踊った生涯だったな
鹿児島軍団が大久保を憎むのも無理はない 三屑でしょ。
木戸孝允
大久保利通
山県有朋
ウィキで調べたら爵位持ちなのな。
役職名なんて元々あったやつ使ったらいいのに
爵位って何さ。西洋かぶれもたいがいにしろ。
廃仏毀釈
地域社会の自治力の消失。
寺子屋がなくなり、画一的な教育になる。
和算が西洋式算術になる。
学校教育は洗脳的な愛国教育に。
暦は太陽暦に変更
気候に合わない。日本の天文学にも合わない。。
天皇の虚像化
騙されて東京へ。以来京都への帰還ならず。
以降天皇は、その威を借る薩長どもの飾りに貶められる。
藩の名前を都道府県に
なぜ変える必要があったのかは知らないが、たぶん変える必要はなかった。
地理オタク目線で言うなら、カッコイイ地域名が失われるのはもったいない。
公害を起こす乱開発。
訴えてもスルーできてしまう財閥。雅子さまの実家は水俣病を引き起こしたあそこ。
たぶん今の天皇家は祟られている。
大量の動植物の絶滅。
自給自足形態から他国からの輸入なしでは食っていけない搾取形態の国へ。
倒幕以降、どれほど日本が時間をかけて育んだ生活文化を潰れたことか。
今の日本のろくでもないことをやらかしているルーツは明治維新だ。 >>798
ということにして現代日本をさらに貶めて日本人の精神性をズタズタにしたいと考えてるやつらがいて、その思惑にまんまとはまっちゃうお前のような馬鹿がかなりの数いることは知っている と、このような現代の馬鹿を生産するような日本にしたのが薩長維新
イエズス会の宣教師が、まともな教育も受けていない底辺庶民に論理性で問い詰められ、
宣教師の力の限界を試された、400年前から比べると
天地の差 798
800
↑
本で読んだことの受け売りをさも自分でひねり出した論かのように書いちゃう馬鹿www
本を鵜呑みにするくらいなら本など読まないほうがいいって言ってた偉い人がいたけど
本当にそう思うわ 世間ではネトウヨが増殖してるが、あれは一体何故出てきたのか。
学校で教わった歴史教育が間違っていて、坂本龍馬、吉田松陰など幕末の連中の歴史的事実が書かれたら
キレて興奮して左翼だ!などと喚き散らしている奴をよく見るな。
安倍マンセー状態で、安倍が何を発言しても肯定している状況。安倍は天皇でも何でもないのに。 >>798
薩長によるテロ、クーデター成功したってことだよな。明治維新って。
天皇を政治利用して実権を自分達で握り、日本を蹂躙しているのだが、多くの日本人がこれに気付かない。
学校教育で何も考えることが出来ない人間にされていて、薩長こそが英雄であると、まるで北朝鮮のような捏造刷り込みが行われている。
廃仏毀釈とか国宝級の仏像、建築物、経典など多くのものが破壊されたしな。
明治維新以降は朝鮮人に支配されたイメージ。 テロだからとかクーデターだからとかいう現代の視点で過去を見る馬鹿wwwww
流行りの本に感化されすぎ
だっさwwwwww 奥田陸の「失われた地図
ネトウヨなど右翼を木偶と称して、プチプチを潰すノリで殺している。
ネトウヨなんてのは恩田陸にとっては、蟻みたいな存在 底辺向けのファンタジー物で英雄に祭り上げられたから英雄で維新は最高と信じて疑わない
ファンタジーがソースの馬鹿チョンが登場したな 英雄で維新は最高
↑
日本語ちゃんとしようよ馬鹿チョンwww >>807
反応するって事は
> ファンタジーがソースの馬鹿チョンが登場したな
の自覚があるって事ね 義務教育についていけなかった子には、寺子屋で読み書きソロバンだけやっとけばいい江戸時代の方が良かったのかもね ■「反薩長史観ブーム」の捏造を許すな■
「○流ブーム」に続き、新たなブームの捏造を極左マスゴミが仕掛ける動きがあったので、注意喚起を兼ねてここに公表する。
そのブームとは「反薩長史観」。その名の通り、薩摩長州の志士をボロクソに中傷する史観のことである。
誤解しないで頂きたいのは、この「反薩長史観」とは新選組や白虎隊などに心酔した結果の、一種の判官びいき的な「親幕反薩長」感情・史観のことではない。
これは反日パヨクが仕掛けた反日極左史観に他ならない。
イデオローグである武田鏡村は
「歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。」
「薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。」と言い、
「反薩長史観」のバックボーンが、反安倍、反日、反皇室のパヨク思想であることを図らずも吐露している。
奴らの狙いは何か?それは2018年を見据えた反日パヨク運動の扇動である。
2018年は明治維新からちょうど150年目である。またこの年のNHK大河ドラマは「西郷どん」である。
この歴史的な節目の年に便乗する形で反日パヨク運動を激化させる危険性がある。
例えば・・・
・政府主催の明治150年式典に対するテロ
・「鹿児島県民と山口県民は日本最凶のDQN県民」というプロパガンダを垂れ流し、日本社会の分断を図る。(いわゆる「田布施陰謀論」もこれの変種である)
・「明治維新を評価する奴はネトウヨ」キャンペーンを繰り広げ、評価する人に対する嫌がらせやテロをする。
・「(アメリカ南軍のリー将軍像のように)西郷隆盛の銅像をぶっ壊せ!!」と喚き、西郷像を破壊する。
・西郷像のみならず維新の元勲の像も破壊され、靖国神社や松陰神社などの元勲由来の神社もテロの標的となる。
・「皇太子の娘の名前を改名せよ!」と喚き、東宮御所前をデモ行進する。(御名前の由来が西郷の座右の銘である「敬天愛人」だから)
このような奇痴害活動を絶対に阻止しなければならないし、反薩長史観を称揚するマスゴミを厳しく指弾しなければならない。 明治維新を否定するならその前の幕府も否定せんと
家康というテロリストが国民的コンセンサスもなく恐怖政治を作り上げただけだからな
その前の信長秀吉も似たようなもの まあ明治維新がテロだのクーデターだの言うのは近年お騒がせ目的(そうでもしないと売れない)の流行り本に感化されたやつらくらいだよ
まともな感覚持ってるやつらは維新のこともなんでもそうだけどちゃんと多面的にものごとを考えて捉えようとしてる 維新は勝手に日本に渡って来て住み着いた薩摩チョンと長州チョンによる
テロ、クーデターです
自分達が実権を握ると、日本と朝鮮が同胞だとか、ルーツだとか言い始め
朝鮮に必死に抱き付いたのが薩摩チョンと長州チョンの動かぬ証拠です >>814
おまい、>>811でも話題になっているパヨク君だろ。
そのうち、田布施ガー、アベガーって喚くんだろ。 >>811
バカだね。こういう思想が蔓延してるのが日本か。
歴史を捏造したのは薩長なんだが。
天皇がいる京都御所に大砲打ち込んだり、政治利用するなどやりたい放題していたのが薩長。
朝鮮人でもここまでやらないよなぁ。 >>814
それが史実だしな。
逆に幕末の奴らの活躍は根拠がない捏造ばかり。 薩長の行動、思想こそが左翼なんだが、洗脳教育によって安部マンセー状態にされているネトウヨは哀れなもんだ。 >>818
>安部マンセー状態にされているネトウヨは哀れなもんだ。
やっぱりアベガーのパヨチンじゃねーかwww どっちにしろ独裁体制の幕府より戦後民主主義程でないが立憲主義の薩長の方が良いのは確か
これがある限り永遠に明治維新は評価される
幕府のが良い政治を行ってた訳でないからね
薩長が居なければ井伊直弼の様に弾圧の白色テロやらかしまくってた可能性もあるし 権力闘争に勝つのと、良い政治を行うのは全く別物だよな
中国では宦官が権力を握り王朝を滅ぼす例が多々ある
西郷さんは独裁国家を作ることも可能だったが、権力闘争に勝つ方を選ばなかった英雄 江戸時代は小規模な小競り合いならあったものの約260年も続いた、
薩長のクーデターがなければ、幕府主導の近代化であればと惜しむ。
倒幕後は戦争が頻繁になった。
キリスト教の毒思想に感染して植民地争奪バトルに参戦したせいだ。
明治新政府の国家運営が下手くそだった。
キリスト教は排他的選民思想が織りまれているからいけない。
植民地にされてキリスト狂に罹患させられたアジアの国々は
のきなみモラルバサードを起こした。
そのキリスト教の毒思想をアレンジして取り入れたのが明治新政府。
一神教の「神」という部分を「天皇」に挿げ替えて、日本中に脳をしかけてきた。
排他的一神教の信者たちは同胞以外を攻撃せずにはいられない。
在るがままの事象を神として、信仰して大切にして地に足をつける生き方を
してきた日本人の価値観はここで一度ぶち壊される。
ゆっくり丁寧に育まれてきた思想体系が、廃仏毀釈によって形あるものから
不可視の精神まで破壊しつくされた。
今ある寺社仏閣は冠婚葬祭ビジネスで形骸だけ残っているけれど
地方自治や公共サービスを行う機能は失われてしまった。
もったいないなぁ。明治維新、マジムカツク! 戦争は国際環境の面から来るから、幕府のままでも朝鮮半島めぐって清と対立するし、ロシアも朝鮮半島まで南下してくる
幕臣でもないのに幕府のまま近代化など誰も望まないだろう こういう手合いって誰のせいで沸くようになったの?
半藤?原田伊織?
ある意味安倍のせい? 薩摩の奄美奴隷制と比べると
幕府の金山鉱夫などは危険と隣り合わせの仕事であったが
賃金はとても良く、4時間交代制で休憩も十分に与えられていた メンタル違うよね日本人と薩摩人は
日本人は奴隷は使わない
日本のエタ非人でさえ薩摩の百姓に比べれば良い暮らしをしていた
女性の地位もそう
薩摩では女性は家畜以下の扱いを受けていた 薩摩藩は三重の支配構造・搾取体制から成り立ってた。
鹿児島藩>首里王府>八重山諸島 というピラミッド。
徳川幕府からマークされている外様大藩は生き残りに苦労をし、あの手この手で幕末まで逃げ切った。
前田家は文化事業に散財することで幕府の疑念を逃れ、島津家は幕府のお手伝い普請に励んで忠誠を示した。
そのツケは領民への苛政で贖った。 >>826
奄美は土地柄コメが作れないから、黒糖作らされたんだっけ?
だけど現地民は食べることを許されなかったから、まともな食事にすらありつけなかった。
本来なら食料ではない毒のある蘇鉄を毒を抜く方法を考えて無理矢理に食べていた。
これが薩摩。 >>828
西郷隆盛も女性の扱いが家畜以下だったしな。 廃仏毀釈の時は薩摩藩は、国宝級の仏像や建築物をどれだけ破壊さしたかを競わせていたキチ集団。
僧侶を神官にするなどの冒涜もやっていて、日本人の精神性のかけらも持ち合わせてはいなかった。 廃仏棄釈運動自体は、特権にしがみつき甘い汁を吸っていた寺社に対する反発が背景にあり、
社会の自浄作用という面があるので、思われているほどおかしな運動とも言えない
薩摩が廃仏棄釈を徹底的に断行し、すべての寺社を廃寺にしたのも、薩摩の良い面の表れであったとも言えるのだ
ただ薩摩(西郷含めた)のすべてにおいて言えることなのだが
薩摩藩政こそが特権にあぐらをかき異次元の搾取をしていた旧弊きわまりない大ボスであるのに
それを棚に上げ、寺社やら徳川やら新政府やらに文句を付ける様は、“文革”を断行した中国共産党にそっくりなのだ 内政に突っ込まれないように外に敵を作る、現代の政治手法にも似てるね >>833
>特権にしがみつき甘い汁を吸っていた寺社、
テンプレすぎる思い込み。ずいぶん素直に洗脳されたものだ。
冠婚葬祭で金勘定に必至こいている今の寺社仏閣が何故そうなったのか。
今の寺社が冠婚葬祭でしか存在維持費を稼げないのは現世功徳の手段を
廃仏毀釈によって奪われたからだ。
たしかに奈良時代末期の仏教はそこそこ腐敗していたが、そのしがらみを
断つために京都へ遷都して以降、天皇の住まいは京都になった。
慈悲と徳を持って国を治めれば豊穣に。
非道なことをすれば怨霊に祟られたり天変地異が起きる。
徳のない治世だと世が乱れる。極楽往生できない。地獄へ堕ちる
院政で俗物的イメージがある白河法王ですら、徳のある政治を目指していた。
極楽往生したいという下心が動機ではあるものの、かつての権力者たちは
仏教思想をベースにした慈悲深く正しい生き方を善しとしてきた。
戦時下になると発達したモラルも勝つことには役に立たないとリセットされて
しまうけれど長期安定政権時は神様仏様への信仰心を下敷きにした道徳観が
日本人の中で磨かれていった。 835の続き
江戸時代の寺社仏閣は神仏習合がより進んで細密化されて、人々を具体的に救う
システムが実践配備されている。
江戸の火災時の被災者救済。避難場所としての機能はもちろん、各々が預けている
財産の保護、後の生活をしばらく支えるところまで幕府の容認の元やっていた。
特に寺はかなり昔から権力者の二男三男を嫡男のスペアとして高い教養を
付けさせながら養育する場だった。
各地を放浪する坊さんが何故か土木知識に長けていて、それで村を救っただの
橋をかけただのの史実が残っているのもそのせい。
その養育力・教育力をカスタマイズして一般人社会に還元したのが寺子屋。
和算ブームの中心だった算額絵馬も寺社の領域で育まれた文化。
またDV夫から逃れる女性の駆け込み寺も存在した。
これらの痒い所まで手が届く福利厚生の機能が廃仏毀釈で一気に奪われた。
江戸時代にそんな良いものは存在しなかったことにされた。学校教育で。
明治新政府、マジ最悪!
その倒幕実行犯の西郷、死にたがりの時にこの世から退場しとけば良かったのに。 >>833
>思われているほどおかしなことではない。
無知も此処までいくと笑えないな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています