西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男©2ch.net
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以下、テンプレ
Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。) >>845
無理矢理黒糖だけ作らせて、指についた黒糖をちょっと舐めただけで暴行をする薩摩は鬼畜 西郷隆盛は虐殺、レイ プ、放火を指示して他人にやらせて、自分の手は汚さない。そして評価だけを得る偉人 パワハラで炎上してるレスリングの監督が西郷さんに似てるわな
「西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。」 薩摩の財源は重税を課したがゆえのこと。そして琉球と薩摩からの搾取によるもの。
西郷は流刑のときに黒糖地獄を目の当たりにしたはずなのだが、黒糖地獄を
終わらせるようなことはしなかった。
それとも現地妻と一緒に「奴隷管理」する側にまわってた?
黒糖地獄はキリスト狂国がやっていたプランテーションと同じ手法。
薩長は戦国武将気質のまま、文治政治に移行して泰平の世になった江戸時代に
順応しなかった。
だから倒やつらは幕して自分たちの活躍しやすい乱世を招いたのだろうか。
家紋が十字架の島津の政策はそのキリシタ狂臭が多々ある。
黒糖地獄で薩摩武士がやってたことはスタンフォード監獄事件の「看守役」に通じる。
だから名君斉彬って評判には「本当に?」って疑いを抱く。
斉彬が湯水のごとく幕府に貢いだ金銭の出所がえげつなすぎるので。
参考文献
奄美の債務奴隷ヤンチュ
https://www.amazon.co.jp/dp/4861240913/?tag=hatena_st1-22&ascsubtag=d-8ccty
世界的に最も邪悪とされた5つの心理学実験
https://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52175132.html >>853
その辺は流石に西郷が特殊というか頭一つ抜きん出て出世したというだけで
薩摩の風土・風習的に言えば誰しもがそんな感じだったろう?とは思う 具体的に何?
と聞くやつは100%あげ足取るためだけに聞いてるだけだから答えなくてもいいよ >>856
「近日鹿児島県より帰りし人の話に、同県管下は旧来【男色の悪弊】ありしが、
近時は其風稍衰えたり、依て妓楼を設けんことを企つる者これある由。」
明治 5 年(1872)9 月 『新聞雑誌』 薩摩の男色は今さらだけど
>「近日鹿児島県より帰りし人の話に、同県管下は旧来【男色の悪弊】ありしが、
>近時は其風稍衰えたり、依て妓楼を設けんことを企つる者これある由。」
>明治 5 年(1872)9 月 『新聞雑誌』
この記録は衝撃の事実を語っているよ
つまり薩摩には明治5年まで"妓楼"が存在していなかった!
売春婦がいなかったことになる
未婚の薩摩藩士の性欲が
全藩をあげて郷中教育の"少年性交"で処理されていたことの裏付けになる
"売春婦"が存在しないって、世界史的にも類を見ない地域だったんじゃないのか薩摩って >>860
売春婦がいなかったかは知らないが米沢にも遊郭はなかったよ 施設が無かっただけで夜鷹はムシロ持って普通に居たんじゃないの >>854
スタンフォード大学の監獄実験を模倣したのか分からないが、それを取り入れた医療学校が下関にあったが、結果は無残なものだった。
看守役の生徒数人が暴走して集団監禁暴行にまで発展したのだけど、クラスの9.9割が看守側に付いて犯罪に協力していた。
しかも監獄実験と同様に犯罪行為という認識がなく、自分達は正しいことを行っていると誰もが思っていた。だから友人をも簡単に裏ぎる。
看守役は卒業式に表彰されていて、それを全員が満面の笑みで拍手するという異様な光景。 飯盛りを 夜っぴいて 寝かせぬ くつわ虫
(※商売女に一晩中しつこくセックルをねだる煩い虫)
そのくせに 花は紅 もののふはなし
(※武士を気取るくせに 花代はくれない シミったれ) 薩摩の藩主って強権だよね
幕末になると長州の藩主みたいに完全にお飾り化、役職化してるのが普通なのに
薩摩はいちおう血の系統が途切れてないからかな
将軍家も長州なんかは養子のさらに養子だもんな 吉田松陰も諸悪の根源のうちの一人。。
西洋かぶれな極論を多用した教育によって学生たちの箍が外れて
人殺し・テロリスト・扇動者に育って世に放たれた。
西郷を含めて、あの時代に名を残した奴はロクなのいない。 松下村塾神話とか、薩摩の鍜治屋町神話など
出身者が活躍したのは教育や環境が良かったわけではなく、ようは派閥
昔馴染みにポストや利権を回しっこした恥ずかしいことなんだよ本当は 人間というのは簡単に洗脳、マインドコントロールされるから、悪意のある奴に直ぐに煽動される。
学んだことが絶対に正しいと思い込むのだからね。アホかと。 >>866
単純に見てくれで家久と幕末・久光の子らを見比べるとニヤッとしてしまうくらい
眼がつり上がっているw 坂本龍馬暗殺の四年前にも寺田屋事件があったけど、薩摩同士で殺し合ってる。
諸外国に対して武力でやり合うべきだ!と何度説得されても、喚き散らすキチガイ集団が殺された事件。
言っても分からない脳筋がいたら、トップにいる奴は堪らんだろうな。
無理なものは無理なんだが。インパール作戦じゃあるまいし。 寺田屋事件の時は大山巌や西郷従道も反乱側に加わっていて
今ではそれが武勇伝のように語られているが
この2名は、藩庁側の斬り込み隊が来て斬り合いが始まってるのに、何もせずに投降したんだよ
それは別にいいけど、後日栄達して
寺田屋事件の時は説得に応じ、涙を飲みながら翻意したとか美談化されているのはどうなんだろうな 今でも鹿児島出身者は自分を美化する為に事実と180°違うことを平気で言うのが多いから
性質だろ 坂本龍馬も吉田松陰もあの時代の英雄達は嘘ばかり。
坂本龍馬は自分は一切何もしてないくせに、「相手にいっぱい食らわせてやったぜよ」
とか平気で姉などに向けて書状を書いてしまう恥ずかしい奴。
坂本龍馬は凄い!というバイアス掛かった奴らが、「坂本龍馬は本当に凄い!数年、いや数百年先の日本を考えて行動を取っている」
などと言ってしまうんだよな。何もしてないだろと。 んでも何もしていけど当然「何もない」よりは断然効率的でいいのではなかろうか?www 歴史上の人物になると郷土の人々が顕彰しちゃうから、
それで実像よりも美化されて英雄化されていくよね てかね、普段勉強していないけど試験の時はとても優秀・・・なやつが
「実はカンニングしてました」なんて言うはずもなく 少しでもドラマなどで史実を流したら長州と薩摩のテロリストの末裔どもが抗議活動をしてくるから、番組を制作しづらいとは聞いたな。 BSのにっぽん!歴史鑑定って番組が名君・島津斉彬の話をやってた。
西郷が心酔していたっていうけど、番組では褒めてたけど
そこ褒めるところじゃなくね?って何度も思った。
密貿易は犯罪。黒糖地獄は非人道。蘭学と兵器開発にハマりすぎ。
余計なことばかりしやがって。廃嫡されとけば良かったのに。 あいつらバイアス掛かっているから非人道的であろうとも褒めてしまうんだよ。
いろは丸とか紀州藩が完全な被害者だからね。
下手したら、わざとぶつかったんじゃないかとすら思うわ。
紀州藩に非がないのに謝罪させて、悪評撒き散らし、金目の物など積んでいないのに多額の賠償金を奪い取る。
これを坂本龍馬は凄い!とか言うのだからね。アホかと。
韓国が慰安婦問題について日本の悪評を撒き散らして謝罪させ、賠償金せしめているのと同じことなんだが。 >>877
龍馬は面白いなw
そういう香具師的な感じが笑えるわ。 紀州藩に非があるから謝罪して賠償払ってるんで
アンチ西郷や龍馬のがバイアスかかってるわ 結局、自分には西郷は理解できない、
誰か理解させてみろ、と喚いてるだけなんだよね。
授業中に騒いでる中2と変わらない。 まあ坂本龍馬も西郷隆盛も後世に作られた捏造だったり、バイアス掛かった奴らが脳内変換した妄想で褒め称えられてるだけだからね。 薩長が捏造したというのは少しずつ一般に浸透してきてるね。 このゲームくらい単純に理解できたらどれだけいいかw
https://goo.gl/scZTAm 明治維新のおかげで今の日本の繁栄はある ×
明治維新のせいで今の日本の惨状がある。 〇 極論多いね
薩長を中心とした明治維新は少なくともモアベターではあったのではないか
ロシアと互角に戦えるぐらいになったのだから
幕府を中心とした明治維新があったとして、同じことができたかは未知数だし
西郷を中心とした明治政府があったとすれば
まあロシアに負けて日本は衰退し、朝鮮半島みたいになってるでしょ >>893
それはあるだろうね。今の日本を何故か過大に評価する傾向があるけど、実はそうではなかっただろうな。 西郷政府ならばもっと進んだ国になってたろうな
西郷派は江藤や板垣や桐野みたいな民権派が多かったからな
明治に残った専制主義が軍事独裁政権を生み出し第二次大戦に走るわけだしな 明治維新が廃仏毀釈しなかったら原発は作られなかっただろうな。
日本の神仏の領域ではしょっちゅう禊をする。自然現象を神々になぞらえて
信仰対象にして、心正しく生きることを仏道としていたし。
放射能は穢れそのものたし、それで金儲けをたくらむ連中の心も
醜悪極まりない。
明治維新は神々の領域を穢して、人の求道心 明治政府が廃仏毀釈しなかったら、原発なんて日本に作られなかった。
乱開発のせいで、多神教の信仰の対象だった鎮守の森や神域は汚染されて失われた。
先祖から引き継いだ実り豊かな地もコンクリで固められて何も実らせない荒れ地になった。
自給自足せずに輸入と物流頼みって、長く維持できない脆いシステムなのにな。 898の続き
モラルも潰した。
用済みになった西郷も失敗政策のせいで食い扶持を失った元武士もろとも殲滅した。
公害にしても、足尾銅山鉱毒事件だの水銀・カドミウム・排気ガスの汚染も
終らせたのは国じゃない。被害者たちが何十年もかけて裁判をしてようやくのこと。
諸悪の根源がわかりきっていたのに、毒を垂れ流すのを止めさせるのに
何年もかかるのはなんでだ?
あげく原発なんか「国策」で建てられている。あんな汚らしいのに。
明治維新以降、政府の過ちは正されなくなった。
波風立てないように、黙認する者ばかりが出世する世の中になってしまったから
ろくでなしに成り下がった連中の非道はエスカレートし続けている。 会津のように抵抗したら非戦闘民も虐殺レイプの対象なんだから
薩長が非常識な屑なのは最初から 戦国時代から庶民には手を出さないのがルールで手を出した馬鹿は切腹だったのに
庶民を虐殺レイプが当然の薩長が政権を握ったから戦地の慰安婦が必要になりました 廃仏毀釈は反日教育を受けた中国人や朝鮮人でもやらない。
薩長とはそういう生き物ということ。 私は最初放置すれば本当キャラ育成できるの?って思ったけどやってみたらホントだった
https://goo.gl/VfgsBS >>902
>戦国時代から庶民には手を出さないのがルールで手を出した馬鹿は切腹
乱取りとか普通にあったけど
>>903
文革は? 会津人民はみな官軍に喜んで協力したと会津を落とした板垣自体が語ってる
それにショックを受けて封建制の糞さと四民平等に目覚めている 公文書の信頼失墜、日本の学術研究に打撃 欧州総局編集委員
森友学園 2018/3/14 6:50日本経済新聞
>財務省は12日、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する文書を書き換えた
ことを明らかにした。行政への信頼が失墜しただけではない。アカデミズムの世界で
「1次資料」と呼ばれる公文書のずさんな取り扱いは、後世における正確な歴史検証を
妨げ、グローバル水準での学術研究に水を差す。日本の大学の地盤沈下がさらに進む
恐れがあり、将来に禍根を残す。 幕末後、テロリストが政権を奪って天皇を政治利用して蹂躙し続けているわけだが、現在でもそれが続いている。 テロリストどもは国を乗っ取ったあと、非道なことを合法的にできるように法律をいじくった。
天皇家は放射能入りの食べものを食べている。
3.11以降、天皇家のための御料牧場や農場物を作っているところは汚染されている
また福島の復興応援が行かれた時の報道もされていたけど被ばくしたんじゃないか。
今の皇太子の血筋は絶えるかもしれない。
秋篠宮家が次の天皇になるにしても、汚染食材をシャットアウトできなければ
秋篠宮家も絶えるだろう。
そういえば今の御料牧場のやり方ってヨーロッパの王族専用牧場の真似事なのだそうな。。
大久保利通は西洋の新しい技術イコール良いものとして取り入れたとのことだけど
こうなってしまえば良いものではなかったとわかる。
行政は江戸。神事は京都の二柱体制の方がマルクスがどーたら言う机上の黒運よりもずっと
完成度高かった。
明治維新なんかしない方が良かった。 明治維新は大失敗。言われているほど徳川幕府下の日本は酷い状況ではなかった。 >>910
江戸幕府なら廃刀令出せた?
四民平等達成出来た?
ネイションステイト設立出来た? 徳川幕府みたいな家制度の人材登用では時代の流れに取り残されるだけだな。 は?うちは薩長から家制度で迫害受けた
明治政府設立から米軍に負けるまで帝大首席だろうが何だろうが迫害され続けた
気に入らない家にレッテル貼って迫害するのが薩長 自由と平等くの国アメリカって貧富の差凄まじいんだが。
理想論者が言う平等なんてこの世に存在しない。
焚書だの禁書だのしている国はモラルが低い。
エロ本を禁止すると性犯罪が激増する。
エロ本には性犯罪抑止効果がある。江戸時代の春画文化は良いものだった。
身分制度あった方が自分の立ち位置がわかっていいなって
若い頃は思っていた。
仕えるに値する主に仕えるのは充実した人生。
信頼できる部下をうまく使えば良い世の中にできる。
ほどほどの地位が確定していれば分相応な生き方をした方が幸せ。
明治維新以降、押し付けられた自由と平等の概念がそれをできなくさせる。
四民平等なんてまやかしだ。誰もが好き勝手に生きられるわけではなし。
役割を定める身分が存在しないと、確固たる土台のない浮き草のように
流されるばかり。
地に足がつけられない不安定な「自由」は「不自由」でたまらない。 思考が止まってる奴らがいるな。
徳川幕府があのまま絶対に変わらないと本気で思っているのか? そこまで保守的とは思わないけど
内輪の主導権争いで自壊した印象が強いしとくに期待もできないな>幕府 慶喜が幕府を完全に掌握すれば、漸次的に明治政府のような形態に移行していた可能性はあるよ
慶喜の頭の中にはそのようなイメージもあったようだし
しかし慶喜がつぶやいたと言われる「幕府には西郷のような人物がいない」はその通りで
幕臣の中の好戦的なグループを掌握し、慶喜に味方してくれるような人物がいなかった
薩摩の好戦的な城下士グループをまとめて、大久保に味方した西郷のような人物が、慶喜にはいなかったということだろう 西郷も久光に言わせりゃ安録山みたいな奴なんで、隣の芝な気もする 西郷みたいなレイ プ気質溢れる人間が徳川幕府にいるわけがないというね。
まともに育てていたら西郷みたいな鬼畜にはならない。 幕府は薩長の様な雄藩が無ければ井伊直弼路線で突っ走ってたかもしれないな
長州が没落するとすぐ参勤交代復活しようとしたりしてたし
雄藩があったから幕権強化路線で突っ走しれず近代化路線との間に揺れざる得なかった 幕府主導の開発独裁が悪いわけではないけど、そこまでやりきる体力なかったね 島津斉彬が傀儡に選んだ慶喜は出自が御三家ではあるものの将軍に
なれないはずの水戸藩出身。
一橋家に養子に入ることでワンクッションおいて将軍になった。
水戸藩は光圀の気性からも分かる通り武断派で学問好き。
だが家康の再来とまで持ちあげられた慶喜のスペックの高さは実際のところ
趣味と机上の学問に全振りされていてリーダーに向かなかった。
ゆえに島津家は慶喜が錦の御旗に弱かろうという攻略法を実行したわけで
西郷らにとって実に攻略しやすい敵将だった。
だから負けるはずのない戦で逃げるわ負けるわの醜態をさらした慶喜は
幕府最後の征夷大将軍になった。
260年もかけて泰平な世を築いた幕府が終わったのは、慶喜が国の大局の
動かし方がポンコツだったから。
オリンピック金メダルの選手が監督やったらダメだったっていうのと同じ。
個のスペックが高かろうが、江戸幕府という大組織運営には向かなかった。 >>918
>慶喜に味方してくれるような人物がいなかった
むしろ足を引っ張ったり敵に回る奴らばっかりだったな 慶喜は一貫して幕権強化のために頑張ったと思うが
判断が早いというか頭の回転が早い
幕長戦争では長州大討ち込みを唱えながら小倉城が陥落し戦況が変わった途端止めた
鳥羽伏見も敗軍を見て軍を立て直すより徹底恭順に早変わりした
そのへんが慶喜の人物を複雑にしている感じがする 徳川慶喜がヘタレだということはわかった(´・ω・`) >>927
ヘタレっつうか慶喜は将軍になったとはいえ、その時点ではほぼ孤立無援状態に近いわな
島津斉彬達が慶喜の将軍擁立に動いてた頃とは状況が変わりすぎてる
時代の流れが急加速中で雄藩の力は増し、自身の側近を育て人材を揃える時間も残されていない
やっと会津という有力な味方を得たはいいが、それが同時に薩摩藩を孤立させ結果的に倒幕へ方向転換させるキッカケになるし
慶喜じゃなくたってすでに詰んでますわな >>927
先読みというか飽くまで「自分視点」での思考力が半端ないというか
周囲がどう動く等々シュミレーションして結果無駄だと判ればそれ以上な事は「しない」という御仁かと さすが将軍、負けの判断が早い
間抜けな薩長政府の負け方が下手なために戦場では、馬鹿な玉砕突撃が横行し
国土は焼け野原になって国民が何百万人も犠牲になった 慶喜以外の将軍だったらズルズルと内戦が長引いてたかもね
新政府で慶喜を外務大臣にしたらどう?って言ってたのって木戸だっけ
その構想はとても興味深い
パークスやロッシュ達をメロメロにした手腕をいかんなく発揮しそう 勝ち負けの算段は特殊能力
信長も勝ち負けの算段に長けていたから負けを素早く判断して大きな負けになるのを防いで次に繋げた
家康も信長ほどでは無いにしろその才能を有していただろうし
武家社会で繁栄した清和源氏の一族も才能を有していたり兵法として伝わっていたから
途中で滅ぶ事無く武家社会の始まりから終わりまで継続的に繁栄出来たんだろう
維新後の不幸はそういう才能が無く先祖から伝わる兵法も無い下級武士達が幅を利かせて
国民を徴兵して使い捨てにした事 まあ言わば薩長が日本国民を蹂躙したようなものだな。 明治維新は日本人が理性的では無くなって行く過渡期かと 負け戦こそ、指揮官の本当の力量が試される、とはよく言ったもので
薩長のプロパガンダで、ともすると朴念仁のように描かれる慶喜だが
負け戦でどう振舞ったかを見ると本当の力量は
慶喜>>>>>>西郷だな 近代史に興味ないのに近代史板にいる人たちって何なんだろう 京都に薩摩の菩提寺の大黒寺というのがあるんだが、薩摩9烈士とかバカの極みだもんな。
負けると分かっていても理性のないチンパンジーみたいに叫んで争おうとするんだもんな。 家康の三方ヶ原の敗走にしても、慶喜の鳥羽伏見の大阪城脱出にしても、
徳川の敗走は醜態として語られる。
まぁそれを自戒とした家康は流石だが。
それが薩摩の場合、関ヶ原の島津の退き口も、西南戦争の可愛岳突破も、
敵の心胆寒からしめるものとして語られる。
逃げるにしても、逃げ方があるということでしょうな。 西南戦争後半の敗走は謎だよな
死ぬにしても鹿児島で死にたかったのだ、などと美化されているが、何の根拠も無い話
関ヶ原後に薩摩領に籠り、徳川勢と対峙した昔の先例を思い出し
鹿児島に帰れば何とかなると夢を見ていたのかも 格好良い素人受けする負け方は誰でも出来るしやろうとする
薩長の馬鹿は素人受けする綺麗な負けに拘って被害を最小限に抑えられず、
場合によっては最大限の被害になってしまう
その典型が太平洋戦争で綺麗な負け方に拘った為に、最も下手な最大被害の負け方になった
信長も家康も負けるときはみっともないと見える素人受けしない負け方をするし慶喜もそうだったと言える、
それが最小限の被害に繋がり次の機会を産む要因になる
みっともなくても実利を守る負け方は
誰にでも出来る事ではない特殊能力 三方ヶ原の家康と、鳥羽伏見の慶喜は、命からがら逃げだした。
関ヶ原と可愛岳の薩摩は、あくまで逃げ延びることが前提の「敵中突破」で、まぁそれで死んだ場合は仕方がないというもの。
太平洋戦争の玉砕や特攻は、死ぬことを目的とした突撃。
三者は違う。 まあ薩長と太平洋戦争はあまり関係ないからな
薩長が軍に幅聞かせてたの日露戦争までだし
残したシステムは太平洋戦争に引き継がれたけど
薩長も外交凄いよね
薩英戦争や四カ国連合艦隊の見ると薩摩は外交的に実質勝利だし
長州も攘夷戦略から切り換えが早い 太平洋戦争の「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて考え方は、
むしろ白虎隊の影響の方が強いんじゃないか、という言い方もできるわけで、
何でもかんでも薩長がー、というのは誤り。 日本の戦国時代は陣取り合戦。
明治維新以降おきた国家間戦争は奴隷争奪戦。
負けた側は言葉と風習・文化の継承をさせないほどブラックなに労働環境の
プランテーションで奴隷労働。
植民地奴隷になんぞなりたくないね。
ただし、江戸時代でも奄美の黒糖地獄だけは
薩摩に植民地支配されていたけど。 日本の太平洋戦争の敗戦処理とか世界史基準じゃましな部類だと思うけど
早期に戦争終結させようとしたところで軍部にクーデター起こされたらどうにもならんし
というか、負けるとわかっていても云々の話、ことごとく戊辰戦争時の東北その他に刺さってるんだが
薩長がーとか徳川がーじゃなくて当時の日本人の意識の問題でしょこれ 奴隷といえば戦国時代に大量の日本人が東南アジアやポルトガルあたりに連れていかれたけど、
この人達のその後の人生はどうなったんだろう?悲惨な人生を送ったのは間違いないけど、資料がないんだよね。
現地にでも行かないと分からないな。 「薩長」と「鹿児島西郷一派」をごっちゃにするから話が分かりにくくなる
「西郷一派」が、というか「西郷一派」を祭り上げる勢力が、玉砕主義につながっていったのはそうだと思う いずれにしろ薩長が都合よく解釈した歴史を教育として学んだ奴らが、それこそが絶対に正しいと思い込んでいるのが気色悪いと思うね。
ネトウヨなんてのは完全に思考が停止しているから、史実を知ると発狂するわけでね。 >>948は自分が気色悪いと思うものは間違っているという、
中二病患者の典型ですね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。