大和球士 『野球五十年』 時事通信社、昭和30年
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六大学野球リーグ戦の初放送は10月15日おこなわれた早明2回戦であった。
初期において活躍したスポーツアナウンサーには松内則三、河西三省、山本照などがあり、
その流れをくんで島浦精二、和田信賢、飯田次男、志村正順などの俊才が輩出した。
中継放送により、野球はとみに大衆化した。

野球中継といえば松内を思い出すほど、松内の名調子は大衆にしたしまれた。
神宮球場に薄暮せまり、カラスが2羽3羽舞っています・・・カラスが舞っていないと
野球試合の中継でないように思われたことさえあった。河西は忠実な描写に別種の人気があり、
ベルリン・オリンピック大会に派遣されて、前畑がんばれ、前畑がんばれ、とやって人気白熱、
山本はのちに相撲の実況放送に新境地をひらいた。

島浦は東大一塁手だった経験を活かし、和田は野球に相撲に司会者に朗読に、
行くとして可ならずはない天才ぶりを発揮したが、ヘルシンキ・オリンピック大会に派遣され、
パリの宿舎に病をえて長逝した。飯田は落ちついた話術に味を持ち、
のちに競馬実況放送に独自の世界を築き、志村はNHK開設以来の快弁をもって鳴り、
舌の回転のスピードにおいてはまさに空前にして絶後ではあるまいか。