☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう52☆★☆★☆
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=== 太田供述の問題点まとめ ===
太田は、中国収容所内での供述で、「15日に南京に到着」し、「16日から18日まで3日間、安達少佐と
分担して死体処理を行」ったと証言していた。
◇私(太田少佐)は昭和12年12月15日に南京に到着。16日から18日まで3日間、安達少佐と分担して
死体処理を行い、私は1.9万人、安達少佐は1.6万人の死体をそれぞれ揚子江に投じた。
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/yokuryu-sya-syogen/ota-hisao.html
だが、梶谷日記によれば、太田が南京に到着したのは「25日」となっていた。
◇梶谷日記 1937年12月25日
朝来寒気殊に甚しきも快晴なり。正午頃常熟より太田少佐外来る。津倉、泉原来り久し振りにて歓談す・・・
梶谷日記により、「15日に南京に到着」したと供述してた太田供述との食い違いが認められ、更に、「16日
から18日まで3日間、安達少佐と分担して死体処理を行」ったとする証言にも疑問符がついた。
http://www.howitzer.jp/topics/box6/01.pdf
◇『太田供述』と『梶谷日記』との相違点
A 『供述書』によれば太田少佐は十五日に許甫鎮から貨物船で南京に到着したとあるが、『梶
谷日記』によれば、太田少佐は常熱から二十五日に到着している。(P17)
◇太田供述に対する大虐殺派江口教授のコメント。
いずれにせよ、梶谷日記は『太田供述書』の信ぴょう性を疑わせるに足る内容を持っています。
それだけに、梶谷日記にまったく触れない今回の記事は、はなはだ説得力に欠けると申上げざ
るをえません。
おまけに太田供述の内容は、意味不明なものばかり。
下記【第十一軍】など存在しないし、焼却埋没作業にあたった約五〇〇名の部隊が【明らかならず】も意味不明。
http://www.howitzer.jp/topics/box6/05.pdf
◇2. 南京到着後に於ける罪行
・・・配属陸上輸送隊 約八〇〇名(南京に碇泊場司令部が到着と共に【第十一軍】より配属せられしもの)
・・・焼却埋没作業は攻略部隊の人員約五〇〇名を以て実施す。右人員は南京攻略の何れの部隊かは
【明らかならず】、作業実施の地点に至る此の人員の運搬は小舟を以て行ふ。(P422)
地図に「死体焼却埋設位置」が記されていて、ここには「焼却、埋没位置に運搬せる数(二日間にて概ね終る)
約三万」の死体があることになるが、その死体が全く見つかってない。
◇南京下関に於ける死体処理略図(第一)
※浦口より揚子江沿い下流約4km、縦約500〜600m、横約700〜800m(P424-425)
更に、太田供述にある「南京市民の大虐殺」は存在しない!大量の南京市民が虐殺されたとする解釈は、連合
軍側の資料とも整合性がとれない。
◇ハ 南京事件に於て死体処理総数 計十五万と推定す
右の死体の種別は抗日軍捕虜(推定約三万)其の他は住民にして老若男女あり、要するに死体の内別は
住民の方が多数なりしは明らかなり。(P426)
↓
http://oira0001.sitemix.jp/frame22.html
http://oira0001.sitemix.jp/frame23.html
http://oira0001.sitemix.jp/frame28.html === 赤星証言の問題点まとめ ===
赤星が、「14日に獅子山にいた」とする下記は、明らかに史料と食い違っている。
◇第六師団歩兵第十三連隊の二等兵であった赤星義雄もまた、そうした目撃者の一人である。赤星は十二月十
四日、獅子山を下って揚子江岸に降りた時に、現場の惨状を目撃しているのである。
揚子江岸は普通の波止場同様、船の発着場であったが、そこに立って揚子江の流れを見た時、何と、信じられな
いような光景が広がっていた。
下記資料より、「14日」の南京城内における日本軍配置が確認できる。赤星がいた第十三連隊の区域は漢中路の手
前まで、獅子山方面は、第十六師団第三十三連隊の担当区域だった。
http://www.howitzer.jp/topics/box4/05.pdf
◇14日に、獅子山区域を担当していたのは、第16師団第33連隊(33i)。
◇14日に、赤星がいた第13連隊(13i)は、城内南部「漢中路」手前(P238-239)
そして、14日夕方からは、赤星がいた第13連隊(13i)は、中華門すぐそばで警戒態勢となっている。
http://www.howitzer.jp/topics/box4/05.pdf
◇14日夕方は、赤星がいた第13連隊(13i)は、中華門すぐそばで警戒態勢
◇この時、第六師団本部は、更に南方の「安徳門」で警戒態勢(P233)
また、赤星は、14日獅子山に行った際、「敵の姿はなかった」と証言しているが、実際には相当数の敗残兵が潜伏中で、
第十六師団第三十三連隊が掃討戦の最中だった。
◇揚子江を埋めた屍 赤星義雄
明けて十二月十四日、私たちは城内を通り、揚子江岸に向かって進んだ。ちょうど、中華門の反対側になるが、重砲
陣地のある獅子山へ行った。山の岩盤をくり抜き、車一台が通れるような道路をつくり、約五十メートルごとに巨大な
砲が据えつけてあった。日本海軍を阻止するために作るために作られたと聞いていた。もちろん、敵の姿はなかった。
↓
http://www.howitzer.jp/topics/box4/05.pdf
2、歩兵第三十三連隊の下関付近の戦闘と城内外掃蕩
十三日夜、この廃墟にひとしい町中に露営した連隊は、翌十四日から、第二大隊をもって城内の西北角一帯を、第
一、第三大隊をもって下関地区の掃蕩を開始した。中国兵の大半は逃走したが、まだ相当数の敗残兵が潜伏してお
り、獅子山砲台に立て籠って最後まで抗戦した中国兵は、この日武器を捨てて投降しはじめ、その数は約二百人に
達した。(P156-157)
赤星が、「14日に獅子山にいた」ことを示す資料は皆無!赤星証言の信ぴょう性は、完全に崩れた。 === 鬼頭久二証言の問題点まとめ ===
松岡本に登場する「第十六師団歩兵第三十三連隊 鬼頭久二」証言は使い物にならない。下記の【光華門】が問題。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/468.html
・・・我々中隊は、有名な脇坂の後を引き継いで、ずっと【光華門】の警備にあたってたんや。詳しい時間は覚えてい
ないけど、脇坂の後なんで十二月末ぐらいだったと思うな。
・・・私がいた所は確かに南京城内で、【光華門】の近くにいたと思う。南京戦の時、、時の宮さん〔朝香宮〕から命令
があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。
天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
下地図を見ればわかるが、【光華門】の区域を担当していたのは第九師団。第十六師団第三十三連隊の担当は、下
関及び獅子山周辺。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a0/Battle_of_Nanking_1937.jpg
http://www.howitzer.jp/topics/box4/05.pdf
◇第16師団第33連隊(33i)の担当区域は下関-獅子山周辺(P238-239)
「南京戦史」でも、このように認識されていて、第十六師団が【光華門】を担当した記録はない。
http://www.howitzer.jp/topics/box4/04.pdf
二、第九師団と第十六師団との作戦地境が問題とされた。第九師団が戦場に早く到着したため歩三五の当初の攻
撃目標は中山門であったが、のち両師団の面目を考慮して中山門の三つの門のうち中央の門を両師団の作戦地境
と定められたのである。(P112)
その後の第十六師団の警備状況についても、鬼頭が所属してる第三十旅団は、こう報告されている。
http://www.howitzer.jp/topics/box5/06.pdf
○第十六師団「状況報告」 昭和十二年十二月二十四日
・・・南京【地区西部】警備隊(歩兵第三十旅団、独立機関銃第二大隊)は主力を南京に、一部を江寧鎮・・・(P577)
※南京【地区西部】は光華門の逆の地区(地図左下に方位)
http://oira0001.sitemix.jp/
「第十六師団歩兵第三十三連隊 鬼頭久二」が【光華門】にいたとする証言は、資料と食い違ってる。鬼頭久二証言の
信ぴょう性を確認できる資料がない。
肯定派の根拠は、こんなものばかり。与太話ばかりで、すぐボロが出る。K-KのHPには、鬼頭証言の全文が掲載されて
なかった。【光華門】は不都合だから、全文掲載しなかったのだろう。 === 高城守一証言の問題点まとめ ===
【創価学会青年部反戦出版委員会】出版「揚子江は哭いている」に登場する第六師団輜重第六連隊高城守一証言も
その信ぴょう性に大いに疑問がある。
問題となるのは、下記の「翌十四日昼前頃・・・糧秣補給のため、揚子江を登ってきた輸送船が着く下関の兵站まで、
物資を取りに出発した。」の部分。
◇高城守一証言(「揚子江は哭いている」より)
翌十四日昼前頃、武器、糧秣補給の命が下り、糧秣補給のため、揚子江を登ってきた輸送船が着く下関の兵站まで、
物資を取りに出発した。
昨日までの砲声は絶え、揚子江には、数隻の輸送船が停泊し、護衛艦がゆるやかに、上下に航行していたが、この時、
下関で目撃した惨状は、筆舌につくし難い。それは私の理解をはるかに越えたものであった。
揚子江の流れの中に、川面に、民間人と思われる累々たる死体が浮かび、川の流れとともにゆっくりと流れていたのだ。
そればかりか、波打ち際には、打ち寄せる波に、まるで流木のように死体がゆらぎ、河岸には折り重なった死体が見わ
たす限り、累積していた。それらのほとんどが、南京からの難民のようであり、その数は、何千、何万というおびただしい
数に思えた。
高城守一証言が真実なら、十四日の時点で輸送船が下関に来ていたことになるが、史実では、軍艦以外の貨物船が
南京までの運行を開始したのは、【十八日以降】のこと。
http://www.howitzer.jp/topics/box6/01.pdf
『太田供述』と『梶谷日記』との相違点
A 『供述書』によれば太田少佐は十五日に許甫鎮から貨物船で南京に到着したとあるが、『梶谷日記』
によれば、太田少佐は常熱から二十五日に到着している。海軍第十一戦隊の「保津」、「勢多」が揚子江
の烏竜山閉塞線を強行突破して下関に突入したのは十三日午後三時四十分であった。その後、烏竜山
閉塞線が排除され軍艦以外の貨物船が南京まで運行し始めたのは十八日以降のこととなる。(P17)
肯定派の拠り所となってる【証言モドキ】は、傍証がないものばかり。これが、無学歴集団肯定派の限界を示している。 === 太田供述の問題点まとめ その2 ===
太田供述書によると太田少佐は10月30日に常熟に司令部を設置している。
業務の内容は「揚塔掛として許浦鎮方面からの糧秣の揚陸作業の指導」。
つまり許浦鎮から糧秣が揚陸されていた事を示している。
しかし史実によれば常熟の占領は11月19日。
「揚陸作業の指導」や「糧秣の揚陸」以前に常熟への接近そのものが不可能。
「司令部の設置」など論外なのは言うまでもない。
さらに太田供述書によると太田少佐は10月下旬に司令部と共に許浦鎮に上陸した事になっている。
http://tv.81.cn/2014/attachement/jpg/site294/20141214/1803732bdeef15f7689842.jpg
しかし梶谷日記から部隊長、副官太田少佐、安達少佐の司令部3名が同時に上陸したのは「11月17日」と判明。
また太田供述書では糧秣を積んだ大図丸で15日朝許浦鎮を出発し15日夕に南京の下関に到着した事になっている。
しかし許浦鎮から下関までの距離は約285km。
大図丸の最強速力(公試運転で最善の条件で出しうる最高の速力)は11.5ノット。
播磨造船所進水記念絵葉書写真集
http://furusatoaioi.com/pdf/d100_harimazousen.pdf
空荷の理想的な条件でも許浦鎮から下関までの航行時間は約13時間。
12月の上海の日の出はおよそ7時、南京の日没は17時なので、例え大図丸が糧秣を積んでいなくても太田供述書に書かれた時間では到着は不可能な事が判明。
さらに史実では、軍艦以外の貨物船が
南京までの運行を開始したのは、【十八日以降】のこと。
http://www.howitzer.jp/topics/box6/01.pdf 以上、テンプレ。
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>>751
この回答が全く無い。
702 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/01/22(月) 22:35:11.95 ID:vMWdMnK30
南京戦時には、日本は1929年のジュネーブ条約を批准してない。
南京戦時に、日本は「1929年のジュネーブ条約」を「準用」すると何処かの国に回答したか?
そんな事実はない。何回も言わせるな。くどいぞ、馬鹿。
このキチガイが言うには、南京戦では1929年ジュネーブ条約は関係ないみたいだから、
捕らえた日本軍指揮官が捕虜と認識していたとしても、【条約により定められた捕虜】である証拠がどこにもない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
捕らえた中国兵を処断したら、【条約により定められた捕虜】を殺害したことになるのか?証拠出してみろ?
あと、この回答も全く無い。
700 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/01/22(月) 22:33:20.70 ID:vMWdMnK30
敗残兵も概ね中国軍の正規兵だから、何もしてないのなら捕虜にして国際法の下で保護するだけだ。
何か容疑があるのなら軍律裁判は必要だが
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
↑ ↑ ↑
何か容疑があるのなら軍律裁判が必要とか【【【誰】】】が言ってるの?
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
国際法学者は、戦争犯罪者の処罰に対して、裁判することが義務付けられたのは【間諜】に対してのみで、
その他の戦争犯罪に対しては【捕らえた部隊指揮官の処罰を受ける】と言ってるんだが? また逃亡かよ?腰抜けキチガイ肯定派。
>>7に回答できなければ、永遠にグルグル回りするだけだろうが? 散々大口を叩いておきながら結局肯定派は逃亡とw
まあ、いつもの事ですねw
前スレ
>700 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2018/01/22(月) 22:33:20.70 ID:vMWdMnK30
>敗残兵も概ね中国軍の正規兵だから、何もしてないのなら捕虜にして国際法の下で保護するだけだ。
ハーグ条約でもジュネーブ条約でも敗残兵は「捕虜にしなければならない」とは規定されていませんw
敵兵を捕虜にして保護するよりも自軍の兵士の保護が優先されますw
これは現代のファルージャでの米軍のように、敵兵が実際には「何もしていない」としても、危険を感じれば「兵士の判断」によって捕虜を射殺しても「正当な戦闘行為」とされている事実によって証明されていますw
そして戦闘詳報に「敗残兵」とある以上、日本軍は支那兵は「何もしていない」とは判断せず、単なる「交戦中の敵兵」として対応しただけと判断できますw
>何か容疑があるのなら軍律裁判は必要だが、敵対行為も何もしてないのなら軍律裁判は不要だ。
軍律で禁じられている行為は「正規兵の軍事行動」そのものなんですがw
だからこそ「捕虜は軍律で処罰されない」という特権があるのですがw
「正規の軍事行動を行なった正規兵が軍律違反に問われる」なんて便衣兵の現行犯以外にありえないんですがw
篠田治策著『北支事変と陸戦法規』 外交時報788号掲載 外交時報84巻収録
軍律に規定すべき条項は其の地方の情況によりて必ずしも画一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に処するを原則とすべきである。
一、間諜を為し及びこれを幇助したる者
二、通信交通機関を破壊したる者
三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
五、我が軍隊軍人を故意に迷導したる者
六、一定の軍服又は徽章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(仮令ば便衣隊の如き者)
七、軍隊の飲料水を汚染し、又軍用の井戸水道を破壊したる者
八、我が軍人軍馬を殺傷したる者
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若しくは隠匿したる者
十、戦場に於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者
十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又は横領したる者
正規兵が軍律違反の容疑をかけられた時点で便衣兵の現行犯が確定w
さて、どうせ肯定派はまたしばらく経ったら、逃亡した事も忘れてまた懲りずに同じ事を繰り返すでしょうねえw どこの国際法や軍律に捕虜を殺害していいって書いてあるんだ?クソバカw ただ然しながら、彼らは暗中狙撃を事とし、
事終わるや闇から闇を伝って逃げ去るものであるから、
その現行犯を捕ふることが甚だ六ケしく、
會々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い。
嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、
嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、
漠然たる嫌疑位で之を行ひ、
甚しきは確たる證據なきに重刑に處するなどは、
形勢危胎に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、
理に於ては穏當でないこと論を俟たない(信夫淳平『上海戦と国際法)。 奥宮正武『私の見た南京事件』p60
※戦史家、元海軍航空参謀、当時海軍大尉として南京攻略戦に参加
私の知る限り、彼らのほとんどは、
戦意を失って、ただ、生きるために、
軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。
したがって、彼らを通常いわれている
ゲリラと同一視することは適当とは思われない。
信夫説に出てくるような
「形勢危胎に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも」
という状況ですらないわなw 信夫淳平『戦時国際法講義2』
「便衣隊とは−−、交戦者たるの資格をみとめざる常人にして自発的に、
又は他の示唆を受け、敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者を近時多くは便衣隊と称する。」
奥宮正武『私の見た南京事件』p60
※戦史家、元海軍航空参謀、当時海軍大尉として南京攻略戦に参加
私の知る限り、彼らのほとんどは、
戦意を失って、ただ、生きるために、
軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。
したがって、彼らを通常いわれている
ゲリラと同一視することは適当とは思われない。
どう見ても国際法の専門家である信夫淳平が示すところの便衣隊にはあたらないわなw
そこにいたのは単なる「便衣を着用した兵士」w >>15
どこを読んだらそんなキチガイ読解になるんだよ?w クソバカ肯定派w
この回答まだ?
お前、こう書いてるじゃん。
702 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/01/22(月) 22:35:11.95 ID:vMWdMnK30
南京戦時には、日本は1929年のジュネーブ条約を批准してない。
南京戦時に、日本は「1929年のジュネーブ条約」を「準用」すると何処かの国に回答したか?
そんな事実はない。何回も言わせるな。くどいぞ、馬鹿。
南京戦では1929年ジュネーブ条約は関係ないなら、
捕らえた日本軍指揮官が捕虜と認識していたとしても、【条約により定められた捕虜】である証拠がどこにもない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
捕らえた中国兵を処断したら、【条約により定められた捕虜】を殺害したことになるのか?
証拠出してみろ?いつまで逃げてんだよ、お前? >>18
南京戦で捕らえた中国兵を処断したら【条約により定められた捕虜】を殺害したことになるのか?
さっさと証拠出せや、キチガイ肯定派。
この証拠を出せなければ、いつまでも同じところをグルグル回りするだけじゃねーかよ。 >>15
「捕虜(正規兵)が軍律違反に問われる事はあり得ない」のだがw
>>16
だから?
そもそもその例は「重刑に処する」場合だから、「軍律審判で処罰する場合の話」だよなw
日本軍には敗残兵に対して軍律審判を行う「義務」は無いのだがw
そして正規兵の軍事行動は軍律違反に問えないので、軍律審判が必要と判断されるような正規兵は便衣兵の現行犯と断定して間違いないw
軍律審判どころか日本軍は敗残兵が潜んでいる場所を市民ごと無差別攻撃しても問題なかったのだがw(例:米軍のマニラ攻略戦w)
>>17
陸軍と無関係な海軍の参謀がどうしたってw
唯の個人的見解に何の意味があるのかとw
降伏を拒否しているのだから死んで当然w
それとも「降伏を拒否しても戦意を失っていれば助かる」とでも?w
「降伏を拒否してもただ、生きるためであれば助かる」とでも?w
「降伏を拒否しても軍服を脱ぎ、平服に着替えれば助かる」とでも?w
ハーグ条約やジュネーブ条約のどこにそんな条文があるんですかねえw
戦意を失っていようが降伏を拒否しているのだから死んで当然w
ただ、生きるためだろうが降伏を拒否しているのだから死んで当然w
軍服を脱ぎ、平服に着替えていようが降伏を拒否しているのだから死んで当然w
単に、死んで当然の連中が、死んで当然の選択をした結果でしかないw
ちゃんと投降や降伏すれば助かったのに、それをしなかったのだから死んで当然w 南京に国際法の専門家である信夫淳平がいうような便衣隊がいなかったことは奥平氏の証言などからも明らかw
つまり嫌疑濃厚な者すらおらず連行することさえ国際法違反w
さらに幕府山ではすでに捕虜にしているのに
殺害をしているので完全に違法
解放説などといっているが
二日続けて偶然重機関銃が設置されている箇所で
捕虜が暴れたから処刑したなんて
小学生レベルの言い訳なんて誰も信じないw >>22
>南京に国際法の専門家である信夫淳平がいうような便衣隊がいなかったことは奥平氏の証言などからも明らかw
>つまり嫌疑濃厚な者すらおらず連行することさえ国際法違反w
つまり「降伏せず便衣に着替えた支那兵が潜伏している」という事が明らかなのですねw
これで便衣兵の存在が証明されましたねw
そして便衣兵は現行犯で捕まっているのですがw
コイツらは「便衣兵の嫌疑者」ではなく、「便衣に着替えた敗残兵」なので通常の交戦中の敵兵として攻撃を続行しても何も問題は無いのだがw
『京都師団関係資料集』より
その中にある大きな建物の中に数百名の敗残兵が軍服を脱いで便服と着替えつつあるところを第二小隊の前原伍長等が見つけた。
それというので飛び込んでみると、何のそうそうたる敗残兵だ。
傍らには小銃、拳銃、青龍刀など兵器が山ほど積んであるではないか。
軍服の儘の者もあれば、早くも支那服に着替えている者もあり また軍服を着て上に支那服を纏って居る者もあるが、何れも事項はずれのものや不釣合いの物を着て居るので、俄あつらへであることが一目で解った。
>さらに幕府山ではすでに捕虜にしているのに
>殺害をしているので完全に違法
>解放説などといっているが
>二日続けて偶然重機関銃が設置されている箇所で
>捕虜が暴れたから処刑したなんて
>小学生レベルの言い訳なんて誰も信じないw
1日目は放火して暴れた連中の処理w
2日目は反抗した連中の鎮圧w
どこに問題が?w
それとも「捕虜は放火して逃げ出そうとしても殺されない!」「捕虜は反抗して日本兵を殺しても殺されない!」とでも?w
1日目の時点でその場でまとめて全員射殺せずにいた日本軍の温情に感謝するべきですねw
で?日本軍の指揮階梯上、上海派遣軍司令部も第16師団も山田支隊に殺害命令を出す事はできないのだがw
しかも上海派遣軍司令部の方針は殺害ではなく「上海での労役」w
殺すつもりだったのに上海で労役に就かせる予定だったとか支離滅裂w
こんな小学生以下の言い訳を信じるヤツはどうかしているw 前スレ >754
>「便衣兵」のどこが「何らかの違反容疑」なんだw
本物の便衣兵なら、ハーグ陸戦法規第1条及び第23条違反だが。
ところで、便衣兵が何処にいたんだ?
その「便衣兵」とやらが、日本軍と交戦した記録があるのか?
>戦時重罪の現行犯じゃねーかw
便衣に着替え武器を手にしていない敗残兵が、何故戦時重罪の現行犯なんだ?
敗残兵が便衣に着替えただけで戦時重罪に該当するのか?
便衣に着替えた敗残兵は、ハーグ陸戦法規の何条に違反したというんだ?
>「何らかの違反容疑」があるからと言って「敗残兵」を《軍律審判にかけなければならない》義務はないw
それじゃあ、取り調べもせずに殺害することはできないな。
東京裁判では、何らかの違反をした捕虜を裁判しないで殺害したことを、残虐行為だと指摘して
いる。(極東国際軍事裁判判決 第8章) 前スレ >757
>ネットを検索してソースを探す事すらできない情弱はこれだからw
ば〜かw その資料もとっくの昔に確認済みだ。
事件から3日後の11月16日の新聞記事を出して、いったい何を言いたいんだ?w 記事は新鮮な方がいいのか?w
毎日新聞(2005年5月6日)の記事によると、
この海兵隊員は聴取に対し「襲いかかろうとしてきたので、自己防衛のために撃った」と主張し、
米海兵隊は「交戦規定と矛盾しない」と判断、正当な戦闘行為と結論付けた、としている。
これにより事件に関する軍法会議は開かれず、海兵隊員の刑事責任は問われないことになる、
という。
海兵隊員を米軍上層部が調査するのは、「茶番劇」だと非難されている。
しかも、軍法会議(正確には敵地だから、Military Commission だろう)は開かれなかったそうだ。
これで真相がわかるとでも言うのか?
>米軍は「敵対行為を行っていない捕虜」を射殺していますが「正当な戦闘行為」としていますw
海兵隊員自身が「襲いかかろうとしてきたので、自己防衛のために撃った」と主張したので、
米海兵隊は「交戦規定と矛盾しない」と判断、正当な戦闘行為と結論付けた、としている。
どこに「敵対行為を行っていない捕虜」を射殺したと書いてあるんだ?
海兵隊員自身が「襲いかかろうとしてきたので」と述べているのに。
デタラメを書くな! 前スレ >758
>あくまで「不作為責任が認められるようになった契機として」評価されているのであって、
>「事後法そのもの」を肯定しているのではないw
おまえが間違ってる。まったく読解力がないなw
多谷氏と」藤田氏は、東京裁判で登場したあたらしい戦争犯罪について述べている。
藤田久一氏は、これらの戦争犯罪概念が当時の国際社会の要求に沿うものであり、その後国際法に
定着するきっかけとなったとして、積極的にその価値を認めることが価値判断として適切であると
考えているのだ。
もちろん「事後法そのもの」を肯定しているという話ではない。
>法律の専門家が事後法を肯定するなんて近代国家ではありえないw
これは国際法の話で、国内法の話ではない。おまえは根本的に理解してない。
>もっとも現実には、つい最近事後法を制定した近代国家モドキが日本の隣に存在しますがw
あっそう。知らんな。おまえの祖国の話をされてもw 前スレ >758
>ジュネーブ条約とハーグ条約の区別がつくようになってから書き込めよw
1929年のジュネーブ条約を批准していたと、トンデモ解釈してる馬鹿が偉そうなことを言うな!w
おまえは、この一件だけで負け犬決定だなw
>お前の母国語の世界中からゴミ扱いされている朝鮮文字でw
何かというと、根拠もないのに朝鮮人扱いか?
負け犬の遠吠えか?
おまえは自分の母国語を馬鹿にするのか?w
それより、冬季オリンピックの母国選手を応援しに行かなくてもいいのか?w
おまえの好きそうなモランボン楽団も出席するそうだしw 前スレ >759
>現代でも米軍はファルージャで「横になっていただけで一歩も動いていないイラク兵」を
>射殺して「正当な戦闘行為」としていますがw
ファルージャ射殺事件が何の関係があるんだ?
当の海兵隊員自身が「襲いかかろうとしてきたので、自己防衛のために撃った」と主張して、
米軍も「交戦規定と矛盾しない」と判断、正当な戦闘行為と結論付けているが。
どこに「敵対行為を行っていない捕虜」を射殺したと書いてあるんだ?
>さっさとお前の生まれ故郷の半島へ帰れw
半島は、おまえの生まれ故郷だろう? 北の方か?
それとも、おまえは日本の国益と信頼を損なう行為をする、国賊か?w 前スレ >760
>東史郎も中山重夫も富永博道も舟橋照吉も曾根一夫も田所耕三も太田壽男も富沢孝夫も上羽武一郎も
>捏造しなければならない理由はありませんでしたがw
歴史学者ではない元兵士の名前ばかりをあげて、それがどうかしたか?
>田中正明の改竄なんて些細なものだw
へえw 「田中正明の改竄なんて些細なものだ」とはねw 本当に些細なものか?
>そもそも田中正明が改竄したという松井大将の陣中日記には虐殺と断定できる記述は存在しないw
>虐殺の記述がゼロの文書をいくら改竄しても虐殺の記述はゼロw
田中正明の捏造・改竄を告発した板倉由明氏は次のように述べている。
「発見された「改竄」は、脱落だけならまだしも「書き加え」まであり、しかもそれらはすべて
「南京虐殺事件否定」の方向で行なわれている。これは明らかに編者・田中氏の意図的行為で
あると断ぜざるを得ない。」P319
「以上のように芙蓉版を検討してみると、改竄の方向がすべて南京事件の否定に向かって
揃っていることがあらためてはっきりする。」P331
「松井岩根大将「陣中日記」改竄の怪」/板倉由明
※ 「芙蓉版」とは、芙蓉書房版の『松井日記』のこと。
何かというと、根拠もないのに朝鮮人扱いか?
そんなに罵倒するなら、もう二度とレスをつけるな! 永遠の負け犬めw >>24
>その「便衣兵」とやらが、日本軍と交戦した記録があるのか?
便衣兵の拘束の為に兵力を費やしていますので立派な交戦ですがw
>便衣に着替えた敗残兵は、ハーグ陸戦法規の何条に違反したというんだ?
それすら知らないとか議論以前の問題だなw
ハーグ条約第2条、第3条、第4条違反ですがw
ハーグ条約
第一条 戦争の法規および権利義務は、単にこれを軍に適用するのみならず、左の条件を具備する民兵および義勇兵団にもまたこれを適用す。
一 部下の為に責任を負う者その頭に在ること
二 《遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること》
三 《公然兵器を携帯すること》
四 《その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること》
>それじゃあ、取り調べもせずに殺害することはできないな。
は?交戦中の敵兵を取り調べる必要がどこにあると?
それどころか便衣に着替えた敗残兵が潜伏中であれば市民ごと無差別攻撃が可能ですがw(米軍のマニラ攻略戦w)
武器を捨てようが、便衣に着替えようが、素裸だろうが日本兵が「敵兵」と認識した時点で攻撃可能ですがw(ファルージャの米軍w) >>24
東京裁判では中国兵捕虜殺害の犯罪的責任は認定されてないと何度言われたら覚えるんだよ?
キチガイが同じところをグルグル回りしてるだけじゃねーかよ?
第十章 判定 松井石根
かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をも
もっていた。この義務の履行を怠ったことについて、かれは犯罪的責任があると認めなければならない。
本裁判所は、被告松井を訴因第五十五について有罪、訴因第一、第二十七、第二十九、第三十一、
第三十二、第三十五、第三十六及び第五十四について無罪と判定する。
http://oira0001.sitemix.jp/
さっさと答えろグズが。この質問から逃げてる限り、同じところをグルグル回りするだけだろうが?
702 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/01/22(月) 22:35:11.95 ID:vMWdMnK30
南京戦時には、日本は1929年のジュネーブ条約を批准してない。
南京戦時に、日本は「1929年のジュネーブ条約」を「準用」すると何処かの国に回答したか?
そんな事実はない。何回も言わせるな。くどいぞ、馬鹿。
南京戦では1929年ジュネーブ条約は関係ないなら、
捕らえた日本軍指揮官が捕虜と認識していたとしても、【条約により定められた捕虜】である証拠がどこにもない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
捕らえた中国兵を処断したら、【条約により定められた捕虜】を殺害したことになるのか?
証拠出してみろ?
他の虫けら肯定派ども。言ってるだろうが?このキチガイが自爆する度に肯定派の根拠が死んでいってるんだが?
これ以上自爆しないうちに、さっさと【総括】してぶち殺しとけ。 >>25
情弱乙wwwww
動画を検索する事さえできないのかよw
どこの未開民族だよw
★米の独立系メディアInformation Clearing Houseに11月16日付で掲載された米海兵隊によるイラク人捕虜虐殺ビデオ
非武装の負傷した捕虜を米海兵隊が頭を撃ち抜く様子を映している。
負傷者も皆殺しにするという今回の作戦の残虐さを証明する「傍証」である。
この記事の左下にはもう一つのビデオがある。
こちらの方は、道ばたで負傷するイラク人を遊び半分に狙い撃ちし、歓声を上げる米兵が映し出されている。
ttp://www.informationclearinghouse.info/article7296.htm
★「テレビ・レポート、海兵隊が捕虜を射殺」
「TV Report Says Marine Shot Prisoner」By THE ASSOCIATED PRESSNovember 16, 2004
ttp://www.nytimes.com/2004/11/16/international/middleeast/16marine.html
みたところ非武装で、負傷しているイラク人捕虜が米海兵隊員によって撃ち殺された、と共同テレビジョン・ピクチャーズが月曜に報道した。
これはNBCニュース・テレビジョンのケビン・サイト共同特派員がビデオ録画したもので、同特派員は、同じモスク内でさらに3人の負傷した捕虜が海兵隊員によって射殺されたらしい、と伝えている。
サイト氏は第一海兵隊部隊に従軍取材していた。
土曜日のこの映像では、わいせつな言葉が吐かれ、一人が死んだふりをしているぞ、との大声が聞かれる。
そして海兵隊員が床に伏している捕虜に対して銃を持ち上げるシーンが写されている。
NBCもCNNもこの後のシーンは報道しなかった。
映像は途切れ、銃声だけが響いた。
その場面をAP通信社テレビ・ニュースと共同ネットワークが入手した。
その映像では海兵隊員の放った弾丸が男性の上半身、おそらく頭部に命中し、血が壁に飛び散り、身体がぐにゃりとなるシーンが映し出されていた。
海兵隊のスポークスマンは現在のところ、これが土曜日に第一海兵隊部隊の隊員によってなされた事実のみ認めている。
米兵、ファルージャで無抵抗の負傷兵を射殺か 米軍が調査
2004.11.16
Web posted at: 15:32 JST
- CNN
イラク・ファルージャ(CNN) 米軍は15日、イラク中部ファルージャの制圧作戦で、武器を持たず負傷して倒れている敵兵を、米海兵隊員が「死んだふりをしてる」と至近距離から射殺した映像について、
戦争犯罪に当たるかどうか事実関係の調査を開始したと明らかにした。
この事件は、米軍に同行取材していたNBCテレビ記者による代表撮影映像で明らかになっていた。
代表取材していたNBC記者が同行撮影したビデオ映像では、まず12日、第3大隊第1海兵連隊の小隊数人がファルージャ南部のモスク周辺で、武装勢力と戦っていた。
小隊はその後モスクを強襲し、武装勢力10人を殺害し、5人を負傷させた。
【【【この際、海兵隊は同行記者に、負傷した敵兵は後から別の小隊が収容すると話している。】】】
しかし13日、別の小隊が同じモスクに近づいたところ、武装勢力がまた拠点として使用していたため、再び戦闘となった。
海兵隊が改めて制圧しモスク内に入ったところ、中には前日と同じ負傷兵5人がいた。
5人のうち4人は13日の戦闘で再び負傷した様子で、4人のうち1人はすでに死亡した模様だった。
この時、海兵隊の1人が、壁にもたれて床に座り込んでいる負傷兵のひとりについて「まだ息をしてるぞ、死んでないぞ」と気づく。
これを受けて、別の海兵隊員がこの負傷兵に近づき、「死んだふりをしてやがる、死んだふりだ」と叫び、この負傷兵の頭をライフルで撃ち抜いた。
すると他の海兵隊員たちは「もう死んだな」などと言い合った。
ビデオは、床に崩れ落ちてかすかに息をしているこの男性が撃ち殺される様子を、克明に記録している。
CNNはこの殺害の瞬間は放送していない。
またNBCは海兵隊の要請に応じ、海兵隊員や殺された負傷兵の顔などをぼかしている。
同行記者に、殺された男性は12日の戦闘で負傷した者たちではないかと質問されると、ライフルで男性を撃った兵士は「わかりません」と答えた。 >>26
事後法以前に日本語を理解できるようになってから書き込めw
それができなければ、近代国家ではありえない事後法が施行されたお前の祖国の半島に帰れよw >>27
ジュネーブ条約とハーグ条約の区別がつかない情弱の賎人に負け犬の遠吠えで何を言われてもねえw
所詮は半島の劣等民像の賎人の戯言w
書き込みを見ているとそれが実によくわかるなw >>29
自称歴史学者の笠原は「意図的に」「確信的に」語句の書き換えという捏造を行っていますがw
>田中正明の捏造・改竄を告発した板倉由明氏は次のように述べている。
その板倉氏でさえ松井岩根陣中日記に明確な虐殺の記述を見つける事はできませんでしたがw
ゼロをいくら改竄してもゼロw >>35
これに反論してくれw
【山本五十六こそが日本を対米戦争に引きずり込んだA級戦犯】
■海軍が日中戦争を勃発、泥沼化 (算拡大が目的)
海軍次官・山本五十六は、陸軍と対等の予算獲得のため大量の爆撃機配備をもくろみ
盧溝橋事件が収束し日中和平実現が目前だった時(船津和平工作)
山本五十六海軍次官はそれに危機感を持ち
それを妨害するために中国都市空爆を強行したと考えられる。
その海軍が強行した南京爆撃(渡洋爆撃)は、盧溝橋事件以前から周到に準備訓練していた、
中国に対する計画的な侵略戦争である。
当初は敵飛行場を標的にしたが、山本が開発した96陸攻は防弾装備が皆無で旧式の敵戦闘機に撃墜されまくり、
直ぐに夜間都市無差別爆撃に切り替える。
第二次上海事変を機に4ヶ月にもわたって南京への猛爆は敢行された。
山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃こそが日本の暴走の始まりである。(日中戦争泥沼化)
共産党の狙い通り全中国人を反日で一致団結させ、世界を敵にまわす結果を招く。
戦略的な効果は殆ど無く無意味に日本の被害は増大。
ルーズベルト大統領はこの海軍の南京無差別爆撃を世界に向けて非難。
アメリカ大統領が歴史上初めて、日本を強烈に非難した。(隔離演説)
(満州事変でさえもアメリカ大統領が日本を批判したことは一度も無かった。) >>36
具体的な根拠が皆無の愚者の寝言に何を反論しろとw
まあ、結論から言えば「南京事件はなかった」でFAだがw 匿名のキチガイのFAなんて誰も興味ないし聞いてもいない
「中国側は、日本側が日本の侵略を認め、
南京虐殺の存在を認めたことが
共同研究の成果だといっている。
しかし日本側はそんなことは
共同研究を始める前から当然のことと考えていた。」
東京大学名誉教授、日中共同歴史研究座長 北岡伸一
これが日本を代表する政治外交史の専門家のFA。 バカ否定派は自分で自説を勝利した論破したと喚き続けるだけだからなw
自分で言うだけならどうやったって無敵だわ >>37
南京虐殺は無かったが
南京無差別爆撃はあったw 然るに便衣隊は交戦者たる資格なきものにして
害敵手段を行ふのであるから、
明かに交戦法規違反である。
その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、
正当防衛として直ちに之を殺害し、
又は捕へて之を戦時重罪犯に問ふこと固より妨げない。)
ただ然しながら、彼等は暗中狙撃を事とし、
事終るや闇から闇を伝って逃去る者であるから、
その現行犯を捕ふることが甚だ六ヶしく、
会々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い。
嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、
嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、
漠然たる嫌疑位で之を行ひ、
甚しきは確たる証拠なきに重罪に処するなどは、
形勢危殆に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、
理に於ては穏当でないこと論を俟たない。(P126)
信夫淳平『上海戦と国際法』
「便衣隊とは−−、交戦者たるの資格をみとめざる常人にして自発的に、
又は他の示唆を受け、敵兵殺害又は敵物破壊の任に
当る者を近時多くは便衣隊と称する。」
信夫淳平『戦時国際法講義2』 奥宮正武『私の見た南京事件』p60
※戦史家、元海軍航空参謀、当時海軍大尉として南京攻略戦に参加
私の知る限り、彼らのほとんどは、
戦意を失って、ただ、生きるために、
軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。
したがって、彼らを通常いわれているゲリラと
同一視することは適当とは思われない。
国際法学者がいうような便衣隊はいなかったわけだw >自発的に、又は他の示唆を受け、
>敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者
> 戦意を失って、ただ、生きるために、
>軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。
どう見ても便衣隊ではないw >嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、
>嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、
>漠然たる嫌疑位で之を行ひ、
>甚しきは確たる証拠なきに重罪に処するなどは、
>形勢危殆に直面し激情昂奮の際たるに於て
>多少は已むなしとして斟酌すべきも、
>理に於ては穏当でないこと論を俟たない。
> 戦意を失って、ただ、生きるために、
>軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。
嫌疑濃厚ですらありませんでしたw >形勢危殆に直面し激情昂奮の際たるに於て
>多少は已むなしとして斟酌すべきも、
>理に於ては穏当でないこと論を俟たない。
> 戦意を失って、ただ、生きるために、
>軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。
形勢危殆にも直面していませんでしたw >>38
政府と無関係な個人の意見がどうしたってw
参議院会議録情報 第189回国会 文教科学委員会 第1号
第189回国会 文教科学委員会 第1号
平成二十七年十二月十一日(金曜日)
政府参考人
石兼公博
なお、この日中歴史共同研究報告書に収められた論文は学術研究の結果として執筆者個人の責任に基づき作成されたものでございまして、
政府として個々の論文の具体的記述についてコメントはしないとの立場でございます。 >>40
南京事件はなかったが、支那軍による上海無差別爆撃はあったw >>49
おまえアホか?
日本軍による不法な南京無差別爆撃と侵略行為は事実
国際連盟でもそのように対日非難決議が採択されている。 >>49
>支那軍による上海無差別爆撃はあった
まったくの大嘘だなw
そんな事実は無い
本当だというならその証拠出せや、ボケカス小日本人w >>41>>42>>43
南京の便衣兵は、正規軍の軍事行動としての「便衣隊」ではなく、兵士個人の判断で便衣に着替えた「便衣兵」ですがw
「便衣隊」だろうが「便衣兵」だろうが「正規兵」だろうが投降しなければ射殺されて当然w >>52
>「便衣隊」だろうが「便衣兵」だろうが「正規兵」だろうが投降しなければ射殺されて当然w
まったくその通り
だから日本は原爆を落とされたwww >>51
お里が知れるぞ賤人w
ググる事すらできないのかよw
筋金入りの情弱だなw
やっぱりネットも満足に触った事もない後進国の出身者はこれだからw
ウィキよりw
中国空軍の上海爆撃 (1937年)
やがて1機の中国軍爆撃機から2つの爆弾がチベット通りが国際共同租界とフランス租界との境界線であるエドワード7世大通りと交差する場所に落とされる。
直ちに巨大な炎が起こり、激しい爆発となり、5人の外国人を含む850人が負傷し、450人が死亡、12台の自動車が破壊。
さらにもう一対の爆弾がキャセイホテルとパレスホテルの間に落とされる。
爆発で12人の外国人を含む数百人以上が死傷。
およそ1,000ポンドの重さだったと見られる爆弾が半径50メートルの範囲を壊滅させた。
犠牲者の大部分は、その服は完全に引き剥がされ、体はバラバラにちぎれた。
遅延起爆型と思われるひとつの爆弾はその爆発力による周囲への損害は限定的ながらコンクリート、石敷、及び固めた地面の層を通して通りに幅3メートル、深さ2.4メートルのクレーターを造った。
その31分後には、婦女子の避難所となっていた大世界娯楽センター(英語版)に2発の爆弾が落とされ、1,012人が死亡し、1,007人が負傷。
この一連の爆撃でノースチャイナ・デイリー・ニュース(英語版)会計部長ウィリアムズ、チャイニーズ・レコーダー紙(英語版)記者ローリンソン、上海市参事会員エスリン、プリンストン大学教授ロバート・カール・ライシャワー(Robert Karl Reischauer, 1907-37)、
南部バプテスト連盟の宣教師フランク・ジョセフ・ローリンソン(英語版)ら海外要人が多数犠牲となった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています