ハルノートってどうなの?
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日本にかなり譲歩した内容だったのか、それとも日本が絶対に受けられない内容だったのか。アメリカと戦争しない道はあったのだろうか >>49
じゃあ君が、いの一番に朝鮮に帰らないといけないじゃんw そんでさ、こういう掲示板では
真実を言う日本人と、嘘つき寄生虫朝鮮人が混じっていて
知識のない子には、どっちが正しいのか分からない
というのが多々見られるわけだが
じゃあ、知識が無くてもそれを判別する話を提供しましょうってわけだ
ほれほれ
真珠湾攻撃が本気なら、ハワイは全力で占領しなければならない
それはなぜか? >>53
質問がまともな日本語になってない。よって意味不明
まともな日本語で質問を書いてくれ。
そもそも誰に対する質問だ?
当時の日本政府か?
それとも海軍に対する質問か? >>53
それから言いたいことや主張があるなら
それを具体的に明確に書いていただきたい。
書いてくれ 嘘つき朝鮮人の主張は
ハルノートはとんでもない!
最後通牒だ!!
こういうことでだれも異論あるまい
ハルノートの内容は最後通牒でもなんでもない
ごくまともな内容だった
これが事実 >>42
>どうして近衛は即断即決しなかったのかね
マジレスすると、大日本帝国での首相権限は小さくて、近衛だけでは決められなかった。
外交は外相の担当で、重要案件は閣議決定が必要だった。 >>54
朝鮮学校でも日本語習ってるのだろ
このくらい分かれよ寄生虫朝鮮人
「真珠湾攻撃が本気なら、ハワイは全力で占領しなければならない
それはなぜか?」
<低能朝鮮人向け説明>
真珠湾攻撃は本気ではなく、八百長だからアメリカに指示されたボロ船や米軍の食堂などを空爆した
本気なら石油タンクなど重要施設を空爆したはずだし、ハワイを占領しなければならない
この「ハワイを占領しなければならない」という部分について、その理由は述べよ 「ハルノート」って言っても、
書いたのは、コーデル・ハルではなくて、
ハリー・デクスター・ホワイトっていうコミンテルンのスパイだよ。
絶対に挑発に乗ったらいけなかった...
何度でもつき返せば良かったんだ。「英語が解らない」とか「ここんとこ直してくれ」とか言ってw
全然、話し変わるけど、あのゴミのフランクリン・ルーズベルトって終戦の4ヵ月前に脳出血でクタバったけど、
1937年に130/80だった血圧が、1945年には300/180だったらしいw ハルノートが最後通諜では無い事は歴史的な事実
そして内容も日本が譲歩できない内容でも無くまとも
日本が中国大陸から手を退けば良い日中戦争、つまり侵略戦争止めろと書いてる
何故それが日本が受入られ無い程厳しい条件の最後通告扱いなのかアメリカもびっくり
東絛英機をはじめ日本のリーダーは逃げたの、真正面から世界と向き合って陸軍を説得する自信が無く逃げた
東絛は平常時ならそこそこ出来る人だったかも知れないが、国難を乗り切るだけの胆力も知性も無かった
リーダー選びは大切、人柄とか人間力何て難題を解決する力にはならない 「真珠湾攻撃が本気なら、ハワイは全力で占領しなければならない
それはなぜか?」
こんだけで日米戦争が八百長だったことが分かってしまう
だからここの朝鮮人工作員は、この問題をスルーせざるを得ないわけだ ハルノートは海軍と外務省が不正に裏で結託し
最後通牒だと、
日本政府と陸軍、日本国民を
だました内容が伝えられた。
海軍は何が何でも真珠湾のだまし討ち攻撃を
やりたかった。
海軍の利権のために
この海軍・外務省による重大な不正行為は
ウヤムヤにすべきせはない >>61
なにがどう八百長なんだ?
まともな日本語書けボケ そもそもハワイ制圧出来るだけの艦艇も物資もなければ兵站すら維持不能やろ >>59
つき返すもなにもバカウヨが主張するようなアメリカが日本に無理難題を
要求してきた性質のモノではないからなあ
日本側が、後生だから経済制裁を解除してくださいよ〜と泣いてすがって
お願いしているんだからつき返して困るのは日本
アメリカとしては現状でグダグダと時が流れても別段困らない
自国の戦争準備が整うのは43年だとの認識で動いてもいたわけだからさ ハルノートが最後通牒でなくては困るのは
海軍だけだわな。
悪いのは日米政府をだまして真珠湾奇襲を強行した
バカ海軍ということで確定 そもそも野村大使と海軍はグルで
こいつらが日米政府をだました。
野村なんか本来ならば、A級戦犯で処刑されて当然 ハル・ノートがあああ と叫ぶネトウヨほどハル・ノートの原文を
読もうとしない件 「政権は銃口から生まれる」
いいね
世界の憲法のお手本だ 「真珠湾攻撃が本気なら、ハワイは全力で占領しなければならない
それはなぜか?」
こんだけで日米戦争が八百長だったことが分かってしまう
だからここの朝鮮人工作員は、この問題をスルーせざるを得ないわけだ 対米外交は海軍と外務省による
猿芝居だったということ。
初めから真珠湾奇襲ありきで
日本側は本気で交渉なんか全くやってない。 米国「石油を止めるから怒った振りするんだよ」
天皇「うn、台本通り真珠湾攻撃するにだよ」
米国「指定の場所以外は空爆しないように慎重に頼むぞ」
天皇「うん、ボク頑張るにだ」
戦争の計画というのがあってだな
ww2の1年前に天皇はその計画に参加しているのだよ
天皇は戦争が始まる1年前に既に、日本が壊滅することを知っていた
それを天皇は木戸幸一に漏らしている 天皇も騙されたとおもうぜ、西園寺公は知っていたかもしれないが 上には上がいる、というか天皇はまだ若かったしな
先の先まで読めてなかった
大東亜共栄圏とか言いながら、天皇は自分が所有する金塊を資本に、東南アジア各国に銀行を建てておいた
欧州で戦争が始まると、欧州の資産が天皇の銀行に逃避してくる計画だった
だから日本軍は、金塊を積んだトラックが通れるように、木造の橋をコンクリート製に作り替えていたのだ
それはそれで大成功だったのだが
結局、天皇というのは繋がった存在であるために
天皇とアメリカが繋がっていたことを示す公文書を公開するぞと脅されたなら何でも従わざるを得ない
吉田茂のファイルは公開されて、スパイだったことがバレたが
天皇と岸信介のファイルはまだ公開されていない
つまり現在進行形で脅されまくっているというわけだ
米国債とか米国の州債とか買わされて、天皇の金塊はどれだけ残っているやら >>59
ホワイトが書いた原案は実際に出されたハルノートとは内容が違うぞ
ネットde真実で知ったかしないようにね よく暗号が解読されて作戦が待ち伏せ攻撃されたとか云々言うけど、あれは中にフリーメーソンがいたんだよ。
解読ではない。フリーメーソンだ 南部仏印進駐した時点で終わり。
それ以前の日米諒解案を近衛が飲んで、蒋介石と和平、三国同盟を破棄して
蒋介石にすみませんでしたと謝って、華北も捨てます汪兆銘も見捨てます。満洲国の取り扱いは
今後話し合いで解決しましょうでよかったんだよ。 第一次大戦終結
米英仏「戦争には勝てたけど損失が大きすぎた。ドイツから可能な限りむしり取るけどそれでも割に合わん。あんな大戦はもう懲りた。戦争防止の枠組みを作ろう」 続き
米英仏「現状維持で相互不可侵、武力による拡大は禁止でどうかな。問題が起きたらまず国際連盟で話し合って解決を試みる、という事で」
日本「同意します」
ベルサイユ条約締結
4カ国条約、九ヶ国条約締結
不戦条約締結
ハルノートはこれらの合意に則ったものであり、簡単に言えば満州事変以前に戻れ、というものであった。
交渉当初にアメリカが提示し日本の同意を求めたハル4原則の焼き直しで、
日米諒解案の廃案で出発点に戻った日米交渉の現状からすれば、内容的に理不尽なものでも、経緯的に唐突なものでもなかった。 ハルノートに柔軟に対応してたらどうなってた?
どっかにまとまってないかな
今の日本を見てると構造をゆっくりとしか変えられないから、民主主義の伝搬も軍の縮小もゆっくりだったのかしらね
工業での成功はどうだったかなぁ
軍需技術者が民間転向したからこその発展だった気もする 日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である
https://www.bookbang.jp/review/article/30202
日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている >>42
東條英機が反対したんじゃなかったっけ?
近衛文麿が何度説得しても駄目だったって
歴史の本で読んだことある ハルノートが出た時点でもう日本は方針決めてたんじゃないんだぜ? >>42
【松岡洋右がつぶした?】「1941年、日米諒解案」(『満州建国の真実』§9d.)
https://nihonshi.me/matsuoka-nomura/ 東條内閣で公然と行われた「ハルノートのトリック」に対する吉田茂の怒り
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313251
吉田茂は首相の座を去った翌年(昭和30年)、「時事新報」の夕刊に「思出す侭」と題して自らの人生を振り返る思い出話を
書き残している。外交官人生や戦後の政治家生活をわりと正直につづっていた。この連載記事の中で注目される新事実なども
明かしている。
「ハルノートの秘密(果して『最後通牒』だったか)」という回想の中で、ハルノートの現物を見たときの衝撃を語っている。ハルノート
が最後通告というのは当時の意図的な誤解であり、歴史的には決して最後通告ではなかったと理解すべきであると訴えている。
吉田にすれば、ハルノートを突きつけられて戦争を始めたというのは間違いだと言いたいのだろう。その論拠を以下に紹介する。
ハルノートが日本側に届けられた時に、東郷外相の命を受けてある外務省幹部が吉田を訪ねてきた。11月27日である。英文の
ハルノートの現物が吉田に渡され、外務省出身で昭和天皇の信頼する牧野伸顕(吉田の岳父)に見せて欲しいと頼まれた。東郷
は牧野の意見を確かめたかったのであろう。吉田はその役を引き受けた。ハルノートの現物を吉田は目で確かめることになった。
前号で触れた部分もあるが、その重要な一節を引用しておく。
「(ハルノートの)内容は日本の主張言分と、それに対するアメリカの主張言分とを詳しく書き(このアメリカ側の主張だけが当時
公表された)、特に左の上の方にテンタティブ(試案)と明記し、また『ベイシス・オブ・ネゴシエーション(交渉の基礎)であり、デイフ
ィニテイブ(決定的)なものでない』と記されていた」
つまり最後通告どころか外交文書としては交渉の継続を促す内容だったのである。それを最後通告と騒ぎ立てたのは、開戦が
前提になっている強硬派の空騒ぎだったのではないかと、吉田は怒っているのだ。アメリカ側はこんなむちゃを言ってきたと、アメ
リカ側の言い分を政府は公表したが、その前提として、いかに日本側も無理を言っているかは国民に知らせないのである。こういう
トリックが東條内閣では公然と行われた。吉田は暗に外交上の礼儀を欠く無礼さを指摘しているように思えるのだ。さらにもうひと
つ、吉田は例を挙げる。
駐日大使のグルーが使いの者をよこして至急会いたいと言ってきたという。12月1日、吉田は虎ノ門のある場所でグルーと会っ
た。グルーは開口一番、「ハルノートを読んだか」と息せき切って尋ねた。
ハルノートには日本経済にプラスの項目が含まれていた 真面目に交渉を続ければ…
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313359
吉田は、アメリカ側のハルノートの原文を見たことを伝え、その上で「これは交渉の基礎である」との注意書きを読んだ。
そのため「最終通告ではないと思っている」と答えた。グルーはその答えに納得し、日本政府はそうは思っていないようだと
注意を促した。
ハルノートが最終通告ではない、日本はアメリカと戦争をすべきではないとの論を、ハルノートの内容を知った上で論じる
関係者は多かった。昭和10年代の半ばに外務大臣を務めた外務官僚出身の有田八郎も開戦後にハルノートの全文を読んで、
果たして日本は「乾坤一擲の大戦を賭して、いわゆる元も子もなくして終わらなければならなかったであろうかを考えてみること
は無駄ではない」と回想録(「馬鹿八と人はいう」)に書き残している。
その上で日本側が同意し得ないとして、戦争に踏み切る理由を5点あげて論難している。そして「日本の運命を賭するアメリカと
の戦争という現実に直面しても、なおかつ固執しなければならなかったものは一つもないというべきである」と結論づけている。
逆にハルノートには、日米通商条約の締結、資金凍結令の廃止など日本経済の発展にプラスになる項目が含まれていたの
だから、真面目に交渉を続ければ日本にも益する点があったと指摘するのである。有田の怒りには言外に、軍官僚たちの視野
の狭さ、戦争しか考えない思考の問題点が含まれていることがわかってくる。
有田があげた5点のうちの1点を紹介しておく。有田はハルノートが求めている中国と仏印からの日本軍隊と警察力の撤収を
日本側がのめないと拒否していることを「『帝国陸軍』の伝統及び面目からほとんど堪えられない」のは事実だろうが、東條の
説く「これは陸軍の生命」という論理は、「日本陸軍だけの特有の考え方であるという以外にはたしてどれだけ正当性があったで
あろうか」と批判している。 ハルノートはそれまでの交渉努力を嘲笑するものだから、最後通牒に匹敵する
ハル自身、手交した後で「後は軍人の仕事だ」と発言してることが何より
そもそもハルノートを受け入れたからといって、和平など成立する余地は皆無だった
なぜなら米国(ルーズベルト)の目的は、日本を利用してWW2に参戦することなのだから
日本が受け入れても、米国は真の目的を達成するまで次々と要求を繰り返すだけ
これは米国の得意な手法で、貿易摩擦や捕鯨問題、イラク戦争などでも使われた
つまり米国が戦争の意思を持ってる以上
国力に大差のある日本に戦争を回避する術は無かった
国力に大差のある日本に戦争を回避する術は無かった
国力に大差のある日本に戦争を回避する術は無かった >>89
後は軍人の仕事だ の信頼できるネトウヨ系じゃないソース頼む >>90
パヨク系ではない信頼できる「ネトウヨ」の定義を求む
でないと何を示しても「それはネトウヨの主張だ」の一言で否定されてしまう >>91
取り敢えず出してみて
そのサイトの傾向て判断するから >>93
言葉が通じないかなぁ…君に審査権を委ねる気はないって言ってんだよ >>94
その次にあるとは思わなかったんだよw
すまん >>42
東条英機が中国から撤兵を拒否ったから
結局は閣内不一致で退陣まで追い込む 経済制裁とか後付けの言い訳でしかなく、米国を脅して
日本の考えを押し通そうとした。それを飲まなければ戦争
仕掛けることに決まっていた。
昭和15年10月外務省条約局作成
日独伊三国条約各種案文作成及国内手続経緯概要
日独伊提携強化に対処する基礎要件
三.(ロ)
米国に対しては努めて平和的手段を以ってすべきも東亜及び欧州分野の
政治的、経済的提携に依り所要に応じ米国に対し壓迫(=抑圧)を加え
得るの態勢を構成し以て帝国の主張を貫徹するに寄與せしむる(=尽くす)
如く策す
(アジア歴史資料センター、レファレンスコード B04013490400) 戦争の目的は中国の支配と西欧の植民地を奪い取ること、
そして資源の強奪・領土拡張。
その邪魔をしそうなアメリカに戦争を仕掛ける気満々だった。
1940(昭和15)年7月27日、大本営政府連絡会議
議題:『世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱』の決定
・第三国の援蒋行為を絶滅する等、あらゆる手段を尽くしてすみ
やかに重慶政権を屈服させる
・仏印の援蒋行為の遮断を徹底し、日本軍の補給、軍隊通過
飛行場使用などを認めさせ、必要な資源の獲得に努める。状況
によっては武力を行使する。
・太平洋の仏領島しょは外交交渉で日本の領土になるよう処理
する。
・その他南方の諸邦は我が工作に同調させるように施策する。
・支那事変処理が終了する場合は、好機を捉え南方問題解決
の為に武力を行使する。終了しない場合でも内外諸般の情勢
有利に進展すれば南方問題解決のため武力行使することあり。
・武力行使は戦争相手を極力英国のみに局限するように努める。
ただしその場合でも対米開戦が避けられないときは遺憾なく開戦
準備をすすめる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています