西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2
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>>93が涙目wwwwww
ID変えて他人装い横レスとか言い出したとおもったら次は負け犬が吠え返すだけの無意味レスで必死www
もはやその程度の返ししかできなくて悔しいのォ〜脳内妄想のペテン師wwww
悔しかったらはよ根拠とソース提示しろw
これだから薩長史観だけに毒されたバカ信者はきめぇ
反薩長史観と両輪のごとく検証する客観性が欠如しすぎて学術板で語る資格もない無知無学のカスばっかだな 西郷ドンが廃藩置県の後の反乱を予想してことを示す、行動、言動など一次史料は多数ある。
こんなところにはソースは出さないが。日雇い反日プロパガンダのスレ主に教えるのもったいねーし。
ていうか、大改革の廃藩置県を断行しようとしている当事者がその結末を考えてない
なんて普通に考えてもありえないだろ。
この後また夜中の3−4時に反日プロパガンダのスレ主は火病をおこします。 to be continued そもそも新政府に対し反乱を起こせる実力があるのは薩摩と長州ぐらいなわけで
さの薩長両藩が廃藩置県に先立って「御親兵」という形で新政府に精鋭軍を差し出してる時点で
反乱の芽は摘まれている
そういう意味で西郷は(小規模な抵抗以外の)深刻な反乱など予想していない
あたりまえである
新政府の御親兵以外に、それに対抗しうる兵数、火力を物理的に保持する勢力は
当時の日本に存在しないのだから
もし、西郷が(抵抗以上の深刻な)反乱を予想していたとしたらそのほうが馬鹿だろう
事実、廃藩置県はあっけなく完了している
したがって>>102がなぜ西郷が反乱を予想していたと必至に言い張るのか、理解に苦しむ
さすがに西郷どんもそこまで馬鹿じゃないだろう >>102
教えるのはもったいないとかw
結局なんだかんだと言ってソースが妄想なので出せないだけなのにこの負け惜しみw
惨めで哀れw
それでこういう批判受けるの自身でわかってるからあらかじめ「火病おこします」宣言して釘刺して牽制したつもりで己の醜態自ら晒すw
超ウケるww
こういう展開になるの判ってるくせに悔しくて悔しくて悔しさ抑えきれないからレスしちゃうw
ま、まずは涙拭いてくれ
それから落ち着いて考えよう 御親兵など数千の兵に過ぎないし
佐賀の乱、神風連の乱、 秋月の乱、 萩の乱、西南戦争と実際の反乱はあちこちで起きてるよ >>105
それらの反乱の多くは廃藩置県からだいぶ経ってから起きた反乱で
廃藩置県とは何の関係も無いじゃん
大きい反乱は佐賀の乱と西南戦争だけど首謀者たちは廃藩置県の時には
政府にいた人間だし、西郷軍の中核はもともと御親兵
つまり廃藩置県の時に大きい反乱を起こせる勢力は在野せず
物理的にやっかいな反乱が起きる可能性はゼロ
士族にとっても廃藩置県は藩の解体であり士族の解体では無いので
反乱を起こす動機は薄い
西郷にとってもウザい島津久光を棚上げできるので
むしろ都合が良かったはず
思われてるほど困難なもんじゃないよ廃藩置県は
実際何の反乱も起きて無いし 廃藩置県の前の地名の方が恰好良かった。
市町村合併の後の地名もセンス悪い。 西郷って維新の三傑として木戸孝允や大久保利通のグループに分類されているけど
役割的には島津久光や松平容保のグループなんだよな
薩摩の兵馬の権を事実上掌握している西郷を
政治的に取り込んだ勢力が薩摩の兵力を利用することができるという
以前の島津久光と同様の立ち位置
末路も、久光や容保同様で、利用価値が無くなって切られているが
そういうものとして考えれば普通に超大物の政治家と言える
久光が超大物であったのと同じ意味でね 久光の悪評は西郷と大久保をヨイショするために捏造されたもの?
ぐぐってたら久光はけっこう高評価。そして西郷と仲が悪かった。
斉彬は先代の実の父親から信頼されてなかったっぽい。嫡男なのに。
歴史ジャンルもので悪役設定された人物って実際は違う場合が多いから
悪役に引き立てられて英雄になった連中も胡散臭い。 久光の悪評と言っても、そういうイメージがあるだけで具体的な悪評って無いはず
逆に西郷は偉人のイメージが一般的には付いているが、では具体的にどんな偉いことをやった人なのかというと
鹿児島県民ですら「え〜と、それは・・・」となるぐらい「偉人」としての実体の無い人物
>>109のように歴史の節目節目に登場して重要な役回りを演じているが、「偉人」かというと全然違うし 勝の西郷評や竜馬評もやっぱり創作なのかよ
なんか歴史ってウソだらけだな
すぐ違う説が出てきたりするし真面目に学ぶのがアホくさくなる 「敬 天 愛 人」
この手のワードを好み、サインしていた人物ですよ
現代でもそうですが、そんなことするのは自分を大人物に見せたい小人物しかいません
本当の人格者や大人物は今も昔もそのようなワードを口にしないと思いますし
ましてや大仰に書にしたりは絶対にしないと思います >>111
西郷がどんなことをやった人なのか?
面倒がらずに検索してみた。
ドラマ的な脚色を取り払い、史実だけをニュートラルな視点で見てみたら、
結婚してから事故物件だと分かる最低男。
月照という坊さんを殺してる。
久光にはハラスメント。
倒幕のために実行した手段はテロ行為満載。
やらない方がいいことばかりやっていた。 >>107
>士族にとっても廃藩置県は藩の解体であり士族の解体では無いので
反乱を起こす動機は薄い
全然間違い。
廃藩置県で最も不満が出るのは士族だったことも知らないのか。
そんな超基本的なことも知らないとはwwwww
無知って怖いな。wwwwwwwwwww
そんなめちゃくちゃな知識でよく知ったかぶりで西郷を叩いているな。wwwwww 士族の解体は明治9年の「秩禄処分」です
・廃藩置県(明治4年)
藩の解体 → 混乱無し → 西郷及び薩摩藩士も新政府に同調
・秩禄処分(明治9年)
家禄、賞典禄の廃止
つまり士族の食い扶持の没収
↓
とくに賞典禄(戊辰戦争功労者に対する賞与)の恩恵を最も受けていたのは
薩摩城下士であったが、彼らもその特権を没収され、生活基盤を解体されることになった
↓
西南戦争(明治10年)
わかりやすすぎ >>116
真っ先に暴発して火薬庫襲ったのって、鹿児島城下の城下士達じゃなく、加治木衆を中心とした外城士の若者だったかと
彼らは戊辰時には主に在郷の者が多く、また新政府に出仕した経験者も少なかった
そもそも暴発した若者の多くは、戊辰戦争や明治維新前後のの激動期にはまだ年少だから当然と言えば当然
維新の賞典とかには、さほど与からなかった人達だわね >>117
まるで年少の外城士が西南戦争を主導したかのような言い方するけど
実際の戦争と何の関係も無いでしょそれは
戦争を決定し、主導したのはあくまで城下士を中心とした「私学校」勢力
火薬庫襲撃も私学校信者たちが暴走したにすぎない
また、西南戦争と秩禄処分は関係無いかのような見解は初めて聞いた ちなみに外城士は賞典禄の恩恵をさほど受けていないのではなく、賞典禄は基本貰っていない
戊辰戦争に従軍した外城士もいたが、賞典禄は城下士だけに支給され、且つ外城士には当初秘密にされていた
城下士が主導する西南戦争への従軍を渋る外城士が多かった原因の一つがこれである >>107, 118
廃藩置県と秩禄処分を完全に切り離して考え、誤解しているスレ主は哀れ。wwwwwww
廃藩置県後からすでに禄制改革は徐々に行われており、完全に終止符を打つ形が明治9年の
秩禄処分であるだけのこと。
廃藩置県により知藩事は債務がなくなり、家禄は一定の維持ができているので
職を失った士族に比べて、不満は少なかった。 >>120
言ってることすべて意味不明
士族が職を失うとか(笑)
士族は身分・特権であって、職業では無いですよ
しかも廃藩置県時にはその身分・特権は失っていません
頭悪すぎ(苦笑) >>121
言葉尻をとらえることしか出来なくなったスレ主哀れwwww
もっと根本的なまともな反論をしてみろよ。 西郷は廃藩置県にて起こりうる反乱は予期したが
つまり旧藩主やその実権を握っていた者を中心とした反乱は予期していたが
秩禄処分を失い、断髪廃刀令などの平民化政策によってその後士族らがどうなるのかまでは明確にビジョンをもってないし想像もできてない
ここがポイント
実際、廃藩置県の重要性やその本質も他の主要閣僚らに比べてどれほど理解していたかも疑問 >>123
西郷個人はビジョンを持っていたのか
そもそも西郷はビジョンや理念で動くタイプの人間ではなく
その時々の立場や人間関係によって
考え方がコロコロ変わるタイプの人間だと思われます
廃藩置県時の西郷は政府にいて、リストラする側だが
秩禄処分のときは薩摩にいて、リストラされる側なので
当然考えの変化はあるでしょうね 西郷って普通のリーマンみたいだなあ……
(´・ω・`) そもそも西郷は紀州藩を改革した津田出を評価してたから、
近代化の必要性は承知していた
ただ大久保政権とは違ったってだけで
板垣や江藤にしても同じ事
反政府だったというだけで、軍と権力握ってる政府には勝てなかったというだけ 「近代化」ねえ・・・
西郷信者が大好きな曖昧なワードがまた出たな
具体性ゼロの、どうとでも取れるようなワード
「敬天愛人」とか「天命」とかそんな言葉と同じ次元のワードだな
都合よくどうとでも解釈できて、なにか重要なことを言った気になる無能好みのワード 明治新政府のやったことは壊すことばかり。
中央集権化のためと言いながら地方独自のコミュニティーをズタズタにした。
軟禁して外部からの接点を失った「天皇」を原理主義一神教の神のごとく盲信させた。
盲信はあるがままの存在を信仰する日本古来の概念とは別物。
異端を狩り尽くす洗脳カルトのやり方だ。
天皇という存在にその忌まわしい概念を上書きして行われたのが廃仏毀釈。
天皇を唯一尊い神に引き立てるために他の神々や仏教の否定ってなんで?
基本的に己の正当性を誇示するために他者を貶めるやり方はなんか違うと思う。
そもそも日本の仏教は奈良時代の天皇がものすごいパワープッシュして
取り入れた国教だったのにな。 そら近代化の必要性くらいは理解してたろ
ただ、その近代化の細かな理由や本質、それに対する己の思想など持ち合わせてなかったとおもうわ
でなきゃ、熟知してるのなら農本主義に帰依することなんてしないだろそもそも
西郷がやろうとしたこと
西郷が想像してる政策の器は
生前の斉彬に説かれた内容と構想で止まってる気がするんだよな
それを実現させるだけのプランとビジョンしか持ち合わせてない感じがすごくする 【アミシャーブ計画】 日本人にとって骨の髄まで凍り付くような恐ろしい話! 【スタクスネット攻撃】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525405421/l50
神道、皇室、ダブル解体の危機! >具体性ゼロの、どうとでも取れるようなワード
www
んじゃ〜その具体性とやらで評価されている連中が「どんだけ」居るの?と 未知のものに対する西郷の理解力がいかに乏しかったかは
"鉄道論争"によく表れているよ
政府幹部では西郷隆盛のみが鉄道建設に最後まで反対した
金がかかりすぎる、というのが理由らしい
「投資」とか「工業力の裾野を拡げる」というものが理解できなかったわけではなかろうが
それでも反対したのは、もし鉄道を認めてしまったら、農本主義でやってきた自分の人生は
いったい何だったのか、という精神状態に陥っていたとしか思えない
ようは「老害」である
大久保利通も鉄道に強硬に反対していた一人であったが
実際に試乗すると態度を一変させ
「鉄道の発展なくして国の繁栄はありえない。」とまで言ったとされる
一方西郷は試乗することさえしなかった
鉄道は極めて重要な軍事力でもあり、軍の重鎮である西郷が試乗もしないというのは異常な事態である
現代でも電子メールを拒絶する老人やクレジットカードを持たないことを美徳とする老人がいるが
ようはそれである
西郷と大久保の盟友関係にひびが入り始めたとされるのはこの頃からである 鉄道そのものを否定してない、金がかかるという理由だからごく普通の感想。
大久保は乗って見て、気の利いたセリフ吐いてみたかったんじゃないの。 >>133
それこそがまさに大問題なんだよな
金がかかるという普通の発想で終わってしまう凡庸なオッサンが
郷土の兵力を背景に、大人物然として政府重鎮の椅子に座っているという
それでも西郷のいいところは自分に理解できないようなことであっても
新しいことをやろうとする人間の邪魔はしないところにあったと思うのだが
この鉄道論争のあたりからそういう面が後退し
老害のように我を通そうとする場面が多く見られるようになった
西郷といえば「征韓論争」で我を通そうとしたのが有名だけど
この「鉄道論争」の構図も実は同じであったのだ もうちょっと言えば、西郷の立場に反する案件でも
西郷をヨイショしつつしっかり根回しすれば、あっさり通ってしまうのも西郷の特徴
山県有朋がよい例
徴兵制とか鎮台軍などは、どう考えても西郷と薩摩兵の立場を相対的に弱めてしまう案件であったが
西郷はよほど山県を気に入っていたのか、山県案件は通している
一方で薩摩に帰ってからは相変わらず旧薩摩の軍制をそのまま私学校に移しただけだし
屯田兵みたいなこともやってるし
配下の桐野利秋などはそのような西郷に対し、内心ではそうとうなストレスがあったと思う 大阪維新の会が筆舌に尽くしがたいほど大嫌い。
中身空っぽ。ペラベラの風見鶏。
勢いでごり押ししてくる政策はポンコツばかり。
西郷の生き様もたいがい風見鶏。
俗物なだけだからどうとも思ってなかたけど過剰に
英雄扱いでヨイショされているから気持ち悪い。 西郷幻想のせいで
「リーダーに必要なのは人格や責任をとる覚悟であり、
実務能力や専門性は小さい人間がやればいい」
かのような間違った認識が一般化してしまった感がある
実際の西郷は自ら責任を取ったことなど一度も無いのに >>135
西郷は明治維新のモデルとなった紀州藩で徴兵制に改革した津田出を評価してたから
別に山縣が関係なくても徴兵制の必要性は承知してるよ
西郷も桐野も私学校にほとんど関与してないし、桐野に至っては既に民権論者になってたし まずその津田出の逸話、
つまり西郷隆盛が津田出を見出し、
西郷一人の判断で政府に抜擢したかのような逸話自体が
事実ではないと思っているんだが
具体的に言えば、その逸話が広く世間に広まったのは
おそらく司馬遼太郎が自著で書いたのがきっかけで、比較的近年のことと思われる
司馬は、田舎に埋もれていた津田出を西郷が一本釣りするかのように
東京に連れて来て、維新の改革を託したかのような書き方をしており
西郷信者によってそれが史実であるかのように広められたと考えられる
しかし西郷が初めて津田に面識を得たのは
津田が政府入りするために上京した後のことである
そもそも津田出は改革者としてすでに有名であり
むろん西郷もそれは知っており、津田を政府に呼ぶことを了承していたはずであるが
西郷個人が徴兵制などの改革を推し進めるために津田を抜擢したかのようなストーリーは
司馬遼太郎と西郷信者によって誇張されたフィクションである 西郷隆盛が徴兵制に対し、どういうレベルの理解があったかは正直判然としない
士族軍を廃してゆくゆくは徴兵軍のみに統一していくのか、士族軍と徴兵軍を並立させるのか
もしかしたらロシア型の、士族が士官で徴兵が兵卒という理解であったかもしれない
しかしながら鹿児島では徴兵など一切してないし、議論さえした痕跡もないことを考えると
西郷にとっての徴兵制は、しょせんはその程度のテーマでしかなかったのだろう 西郷って創作物と憶測以外に褒めるところないの?
記録に残っている実績は、戦場好きな戦争ジャンキーがテロ工作員やってた。
それだけ。 西郷は手紙ではわりといいことを書いてるよ
手紙だけ見れば高い人格が備わった有能な人物に見える
現実の西郷は違うようだけど >>140
私学校なんか軍事的な部分だけ見ると、旧士族への士官教育を指向してたんだろうね
数が必要な兵はいずれ徴兵で賄う
武士として旧態ながらも軍事教育を受けていた旧士族は、士官として一部を近代兵制に組み込む
兵は徴兵で短期間に増やせても士官は教育に時間かかるしな
まぁ明治前半の日本軍士官も旧士族出身者が大多数を占めてたわけで、西郷じゃなくても士官は士族からという流れにはなってるし
どのみち早急に軍事強化を図ると、誰がやってもそうなるわな
そもそも吉野開墾社も私学校も、実質的には維新で職を失う旧士族の失業対策と人材供給が主目的だしね
とは言え結果的にどちらも不平士族の政治結社と化してしまうわけだが 吉野開墾社って、家禄を失う士族の授産を見据えた先進的な試みのように説明されることが多いけど
実態はぜんぜん違うからな
西郷の下野に従って東京の政府軍を辞めた者たち(桐野利秋をはじめとした150名の元薩摩藩士)が自活するために
作った宗教コロニーみたいなもんだからな
吉野開墾社が設立されたのは明治6年?であり、明治9年に士族が秩禄処分で禄を失っていく以前のことであり
その当時は薩摩の地元の士族たちは禄も貰っているし、べつに生活に困ってない
政府軍で高給を得ていた西郷一派の武士としての家禄がどうなっていたか知らんが
たぶん権利は喪失していただろうから
その西郷一派の授産のために作られたのが吉野開墾社であり
士族一般の授産のために作られたわけではないのだ
西郷個人の都合で作られたものである
(明治9年以降は一般の士族授産の目的も付加されたかもしれないが)
西郷が吉野開墾社をテーマに作った漢詩が残っているが
なんか早起きして畑仕事すれば心身が健康になるとか
そういう次元の話で、中でやってることは郷中教育的な、
ようは薩摩流の精神修養で若者を洗脳していく人材教育だと感じた 実際は士族派とされる西郷派の方が進んだ考え持ってたやつ多い
桐野→民権論者
板垣→民権論者
江藤→民権論者
こっちが主導権持って近代化進めてた方が日本にとっては良かったろうな >>144
吉野開墾社はそんな裏の裏を読まなきゃならないような結社じゃなく、幕末に城下士や鹿児島城下近辺の郷士に与えられていたような賄い地の延長線だわな
薩摩に限らず新政府も失業士族を使った開拓事業を熱心にやってたし、当時の日本では工業化と並列する基本手法だわね
吉野台地は元来から水の便の不安定さから放棄農地が多かったが、近世の灌漑技術の進歩と商家の投資で水稲以外なら将来有望な開墾地になってた
今じゃ吉野台地も鹿児島の典型的な住宅地になって往時の面影は無くなってるけどね
同じ事が大隅の笠野原台地でも行われていたから、旧士族就農の試みは当時の鹿児島じゃ無難な手と言える
まして西郷は元々が郡方の小役人だから、むしろこの手の事は得意分野と言ってもいいし >>145
それって反政府の側に回った連中が自由民権運動的な手法に活路を求めただけじゃん
ようは苦肉の策
薩摩なんか自由民権どころかガチガチの士族王国で
そこにどっぷり浸かってた桐野が先進的な民権論者とか
ほとんどポエムだな 九州のルソーと呼ばれ、自由民権運動をしていた熊本の宮崎八郎も西郷軍についたな。 >>139
>事実ではないと思っているんだが
お前の感じたことはどうでもいいんだよ。
あい変わらずスレ主は自分の知らないことは全て逸話www
津田出の件については実際西郷は代理で村田新八を紀州に視察に行かせているし。 西郷信者はどうしても、西郷が津田を見出したってことにしたいらしいが
津田は紀州にいた頃から超有名人であり
津田が独自に紀州で編成した西洋式の徴兵軍はすでに2万人の規模であった
視察者は全国から集まり、薩摩からは村田新八の前に西郷従道が視察してるし
米英仏は公使自らが和歌山まで足を運んでいる
はっきり言って西郷は津田ブームに便乗しようとしたミーハーなオッサンにすぎないよ
一説によれば西郷は津田に感銘を受け、津田を首相の地位に就けようとしたと言われるが
実際には首相どころかくすぶって終わってるという、西郷伝説のいつものパターン
言われていることと史実がぜんぜん違うという
この逸話が本当だとしたら、西郷さんは津田という英才をまったく生かせなかったわけで
むしろ不名誉なことだ 民権論ってそんな良いものだっけ?
天皇を唯一神のごとく飾り立てといて、それは矛盾だろうに。
マルクス思想に心酔して正論っぽいものを演説する虐殺者たちを連想させる。
正しく美しく響く思想書に傾倒して狂信状態っていうのはよくある話だ。
江戸時代の良識や常識の方が押し付けがましくもなく、ごく当たり前のこととして
浸透していてまともだった。
そもそも薩摩は重税だの琉球侵略だの黒糖地獄だの
開国前から欧米の植民地政策と同様のことをやっていた。
名言上手なカリスマもやってることが違っているからダメダメだ。
島原の乱の残滓、隠れキリシタンたちが潜伏していたせいか
寺子屋の数は他藩よりも一桁少なかった。
そのため薩摩藩の知識格差は酷くて識字率はどの藩よりも低く、
和算ブーム?算額絵馬ってナニ?って状態で年貢計算もできない
第一次産業従事者たちは重税をふっかけられ続けられた。 スレ主は躁が出たんだろうか。
「イメージと実像が最もかけ離れた男」というのは、スレ主自身の自己紹介。 >>150
何が言いたいのか、何に反論しているのかわからない。
西郷は津田出を高く評価していた事実は廃藩置県、徴兵制に強い理解をしめしていた
ことを揺るぎないものにする。 >>151
>江戸時代の良識や常識の方が押し付けがましくもなく、ごく当たり前のこととして
浸透していてまともだった。
当時の民権運動も完全ではなかっただろうが、腐敗した封建制度や世襲制度よりはるかにまし.
江戸時代が良かったとか。スレ主は時代劇、江戸時代礼賛本の見過ぎだろ。wwww
劣悪な労働条件、貧富の差, 厳しすぎる残酷な刑罰, 子供が殿様になる世襲制など江戸のブラックさは悲惨。 廃藩置県なんて当時誰でも考えていた流れで
西郷が考えたわけでもないし、まともに理解していたかも怪しいぞ
明治6年の政変で西郷が下野した後の鹿児島を見れば
現実の西郷がどのようなものであったか分かろうというもの 西郷党とも言える私学校はナチス党や中国共産党と同じく、誰も逆らえない一党独裁者になり
城下士と郷士との身分差別は深まった
本土の百姓も奄美の奴隷も解放されるどころか、旧藩同様の簒奪を受けた 西郷君臨下の鹿児島はシンプルに北朝鮮と同じであった
いや島津時代のほうがまだましであったと言える
何しろアンチ久光を広言する西郷のような者でも殺されずに藩政に参加できていたのだから
よほど民主的であったのだろう
西郷君臨下の鹿児島はどうか
西南戦争では従軍を拒む郷士をその場で虐殺した 西郷の理想がどうだったかは知らないが
唯一史実として言えるのは、私学校独裁の鹿児島を
西郷は甘受していたということ
そこには中央政府時代に後押しをしたとされる廃藩置県や徴兵制の片鱗も見えない 腐敗した封建制度や世襲制度って……、ベルバラのイメージならそうだね。
マリーアントワネットが「パンがなければケーキを食べればいい」っていうのはフィクションだったけど
賭博にハマって血税をガバガハ浪費したことは本当なんだよなぁ。
それで革命が起きて、即位だけはした最後の国王ルイ17世は人道もなにもあったもんじゃない虐待行為によって
わずか10歳で悲惨な死を遂げたけどその顛末の認知度は低い。
革命というのはエスカレートしすぎるからよくない。国王夫妻を断頭台で処刑するのもドン引きだけど、その子どもまでも
虐待死させるのが正義を叫んでノリノリだった革命派。
原理主義一神教の信者脳は排斥する対象に容赦がなさすぎる。
対して、キリスト教に禁教令を出していた徳川幕府は殿様さえも質素が美徳とされていた。
西洋の封建制度と日本の封建制度は呼び名を同じにしているのがおかしいほど別物だ。
世襲制は高水準の技術の継承には必須たった。
農業・林業・大工・その他伝統工芸の技術者も幼い頃から道具や現場に馴染んで経験を
積まなければ手に入らない高度な技能だ。
政(まつりごと)の家系には次代の殿とその側近をセットで育成しなければならないかった。幼い頃から
徹底して教育するなら世襲ってなる。ほぼ当然。
庶民からは見えなかったお偉いさんたちの社交による根回しも、メインは茶室や碁を打ちながらの明晰な脳の
コンディションで行われていた。
酔っ払いが勢いで国家を運営したら惨憺たることになるから当然と言えば当然ではあるが。
テロ活動にいそしむ薩長工作員は密会するにも潜伏するにも酒飲んで女遊びする場所ばかりだったから
やることやること酩酊脳の勢い任せでテンションがおかしい。
強い権力者は悪だーってテンプレな思い込みも短絡的。
外様大名には不評だった参勤交代も街道・宿場町の経済を潤していたし、行軍訓練にもなっていた。
戦争経済の依存しなければやっいてけなくて朝鮮出兵をやらかした豊臣政権よりも上手くやってるなぁと感心する。
江戸時代の粗探しをしてみると大組織の運営の試行錯誤が興味深いけど、たまに忠臣蔵のような
通り魔狂人に追従する勘違い忠義者が非武装の老人を夜闇に集団で殺人しにいく美談(?)が流行したりしてたけど、
おおむね歌舞伎のような庶民の娯楽になって流行する程度で国を揺るがすほどのものにはならなかった。
薩摩藩と西郷は粗探しなんてしなくても粗だらけ。雑だし残虐だし幕府の粗探しをしてレッテル貼りして
世論誘導してと……、その行動パターンは己の所業を顧みてないところがもうアカンやつ。
西郷も黒糖地獄見てきた経験があるけど生還してから奄美のためのことどれほどのことをしたっけ。
久光を田舎者と罵ったくせに江戸の先進的な文化とやらを薩摩に広めることもしない。
戦場をプロデュースして戦して目立ったから英雄? 戦国時代に回帰したかっただけの迷惑野郎なんじゃないの? 大型連休明けの忙しい日にもかかわらず職業反日プロパガンダは暇が存分にあることだけはわかった。wwww 公武合体派の軍学者赤松小三郎を、その教え子・人斬り中村半次郎に斬らせた黒幕は
西郷だったと「諸説あり」って番組で言っていた。
仮説とはいえさもありなん。暗殺が歴史を動かすのに有効手段だった時代だ。
西郷は戦好き。公武合体が実現したら戦ができない。戦こそが時代を動かす。
徳川幕府を戦で滅ぼして新時代をってビジョンを強く持っていた。
それにしても赤松暗殺の理由は、彼の知識が幕府軍を強くするのを危惧したって
ことらしいが、赤松にしたら災難なことだ。
役割を終えて帰ろうとしたら教え子に斬られるって、恩を仇で返されたってことになる。
軍事の技能をパクって用済みになったら機密保持のために消す。
招かれて行ったら、教える側である間はもて囃されるが生還はできない。それが薩摩。
余所者に対してだから冷酷な決断ができた?
西郷も同郷の大久保らに見限られているから因果応報?
……後味の悪い話だ。 >>155
廃藩置県を考えたのはたくさんいたが、実行に移せるのは西郷以外にいなかったってこと。 >>161
この時期の桐野は小松帯刀から重用されてて、西郷の命令下で動く事はあまり考えられないがなぁ
むしろこの時期の桐野は政略的な面での活動が多くて、小松帯刀や朝廷工作をやってた大久保に近かった頃だし
西郷に抜擢され麾下で動くようになるのは戊辰戦争の頃からだしね
しかし小松帯刀が桐野に暗殺を指示するっても、彼の政治姿勢を考えたら想像し難い事で…小松帯刀ってイメージより黒かったのかもしれんけどね >>162
実行もなにも西郷は何もやってないよ
そもそも実行するような実務能力が無い >>164
スレ主は、時々こういう卓袱台をひっくり返すようなレスをします。
スレ主が自分で荒らすんだから、そりゃスレは荒れる。
荒らしてレスが来るのが目的の、かまってちゃんだから仕方ないのでしょうが。
こんな人に「人望」の意味が分かるはずがありません。 実際に「実行」という言葉に値することなんて何もしてないじゃん
『山県有朋らが進める廃藩置県に西郷は理解を示し協力した』って言い方が正しい
「実行」「人望」・・・実体の無いポエムだな
バカ 「西郷はその人望と求心力で廃藩置県を実行した」
・・・すごい深い意味がありそうだが、ちょっと考えれば何の意味も無いポエムだと分かる
西郷を礼賛するバカが使う表現てこんなのばっかりだわ >>166
スレ主の知識不足は深刻レベル。
>『山県有朋らが進める廃藩置県に西郷は理解を示し協力した』って言い方が正しい
その言い回しは西郷は廃藩置県の蚊帳の外にいてサポートしたかのようにミスリードしているが全然不正解
実状は山縣が廃藩論を提起し西郷に同意を求めている。政治的ポスト、力関係から西郷
に伺いをたて、同意を求めたと言った方が正しい。実際伺いをたてに西郷を訪れたことは一次史料にも残っている。
その他、あえていうなら木戸、大久保らも廃藩置県断行に大きく関わった人物ではあるが、
廃藩置県断行に不可欠な武力の後ろ盾である新兵を組織した西郷が最重要人物であった。 >>164
桐野の人生をぐぐってみたけど、改名しただけで人斬りは放免されたっぽい?
人殺しに相応の罪状がつかないとは変な時代だ。
赤松暗殺を人斬りに命じた「黒幕は西郷ではなかった説」もさもありなん。
西郷以外にも赤松を消しといた方がいいって判断をするお偉いさんは何人も居たってことだろうか。
冷酷なのは人間多すぎだよ、薩摩藩! 西郷でなければ実行できなかったという言い方は微妙だなぁ
薩長土の武力前提だから西郷の取り込みが必須ではあったけど >>168
黒鉄ヒロシの妄想を信じるなよ…
赤松が薩摩にとって邪魔だったって説には信州人が地元の人物を実際以上に重要人物に見せたいという魂胆が見え見え
薩摩がまだ公武合体をあきらめてなかった慶応3年5月の赤松から久光への建白書を持ってきて
武力倒幕には邪魔だったと強弁したりと史料の裏付けがまったくない >>167
Q : 西郷さんのおかげで明治政府は廃藩置県を断行し、旧体制からの決別を出来たんですよね?
A : 明治3年、新政府は廃藩置県に先立ち、
鹿児島の西郷隆盛と5千人の薩摩藩士を御親兵として東京に出仕させました。
廃藩置県に反発する武士層の反乱が予想されたため、
これを鎮圧するのに、薩摩兵とこれを束ねる西郷の力が必要であったのだが、
もっとも反乱を起こしそうなのが鹿児島住みの薩摩藩士と西郷であったために、
これを未然に懐柔しておくためでもあった。
ではなぜ西郷は懐柔されたのか。
西郷にとっての廃藩置県は、藩主に権力を返上させ、その下にいた士族が実権を持つ
という意味であったからだ。
西郷は、出仕の際に出した意見書(「西郷吉之助意見書」)で、
「新政府に必要なのは士族を中心とした軍備強化と農本主義的な国家経営であり、
近代工業や鉄道などの建設を推進する政府は「商人」のようである」と糾弾しており、
廃藩置県には同意しても、士族中心の国体を固守する考えに変わりはなかった。
旧弊にとらわれない中央集権国家を目指す新政府とは同床異夢であったといえる。
新政府からの同様の懐柔措置は長州と土佐に対しても行われており、
いずれも御親兵を東京に出仕させている。
つまり西郷隆盛はあくまで、廃藩置県に協力した一人である、
という話なのです。
よく言われる、岩倉使節団が洋行しているあいだに、
西郷がその声望と求心力で、廃藩置県を断行した、という類の話しも
まったくのデタラメです。
新政府が廃藩置県を断行した後に、岩倉使節団は出発しています。 >>171
コピペを出すんじゃなくて、自分の言葉でかいつまんで反論してみろよ。自信がないのか? コピペじゃないよ テンプレだよ
君の言ってることって、テンプレ以前の情報量と見識でしかないんだよ
本質を言えば、廃藩置県における西郷隆盛の功績は
新政府に懐柔されてあげて反乱の芽を自ら摘んだこと
それ以上でもなければ以下でもない
むろんただで懐柔されたわけではない
目の上のタンコブであった島津久光など門閥層の無力化は西郷にとって「ざまあ」としか言いようのないものであったし
配下の桐野利秋なども陸軍少将という破格のポストと超高給が約束されたうえでの出仕であった
これって言わば西郷閥という新しい門閥が旧門閥にとって代わったにすぎないんだけど
そういう矛盾を西郷はどう考えていたんだろうな >>173
結局、また脇道に逸れてはぐらかすのかwww
>>164の「実行もなにも西郷は何もやってないよ
そもそも実行するような実務能力が無い」についてダイレクトに説明しろよ。 ダイレクトって何? 信者用語?
西郷は廃藩置県では何もやってないって
むしろ抵抗などせず何もやらなかったことが、西郷の大功績と言えるのに
それこそが西郷という存在の価値だよ
「西郷が実行した」「西郷が断行した」・・・アホか
信者が西郷のことをいちばん分かってないわな >>175
ダイレクトの意味もわからないのかwwww
directだよ、辞書を引けよ。
お前の書いているのは意味のあるもの全くなし。自分で書いたもの見てみろwwww
著作権法違反のコピペ転載、抽象論、罵詈雑言だけなんだよ。www >>170
黒鉄ヒロシって誰だろう? レビューすら読んだことなかったから一通りアマゾンの
レビューを読んできたけど読破できるのはいつのことやら。
有名な竜馬がゆくはレビュー読んだだけで生理的に好かなかったから読んでない。
英雄っぽさがわざとらしくしか演出できないテロリストたちの美談だの、
実はダーティーだったという暴露本なども、実はさほど興味がない。
ただ西郷英雄説への嫌悪感はどこからかというと、ハリボテ感ハンパないから。
聖徳太子伝説ほど時代の隔てがあれば、そういうレジェンドも作れるだろう。
だが西郷を伝説化するには、時代的に近すぎて明らかになっている醜聞がありすぎる。
明治維新の立役者たちの偉業とやらのハリボテっぷりは、ちょっとぐぐれば早々に
化けの皮が剥がれる薄い薄いものだ。
マンセーするの、無理。 んでも良くも悪くもそういう先達があってこその今なんだよなと
下手すると自分やお前らの先祖は未だ底辺弱小百姓階級のままだったかもだし
いやいや大陸・半島連中に蹂躙されてハングルor北京語標準になってたかもしれんw 廃藩置県が西郷なしでは断行できなかった事実は薩長、西郷嫌いの半藤でも認めているからな。 >>180
プッw
「廃藩置県は西郷が断行した」
↓
「廃藩置県が西郷なしでは断行できなかった」
に変えてやがる
ダサすぎw 薩長の戦力、とくに兵数の多い薩摩の戦力を取り込まずして廃藩置県はできなかったのであり
べつに薩摩の窓口は誰でもよかった
西郷が薩摩の窓口に居座っているので西郷に根回しするしかなかっただけで
西郷がこの世にいなければもっと簡単に政府は薩摩の戦力を取り込んでいたろうな
西郷のおかげで薩摩士族の暴発が防げたかのような話は幻想だよ
実態は、西郷がいたせいで薩摩士族が西郷軍団化し、一種の圧力団体として政府にプレッシャーを与え
西郷への根回しが不可欠になったということだ
西郷は薩摩という圧力団体を抑えたのではなく、薩摩を西郷軍団という圧力団体に仕立てた張本人なのだ
いわば自作自演 お笑い岩倉とんでも使節団の物見遊山の間に西郷は廃藩置県の後処理、学制、徴兵令、地租改正とか留守政府で
どんどん断行していった。西郷でなければ反乱だらけだったろうな。
まあ、外遊組が残っていたとしたら、かえって何もできなかったろうから、岩倉慰安旅行もあながち悪くなかったかな。
ちなみに、岩倉旅行団は不平等条約改正の目的は全くなかったそうだな。
旅行団がアメリカについた時に、駐米の森有礼が焚きつけたらしい。 しかしこんな奴しか擁護する者もいなくなったのか西郷どんは・・・
大河「西郷どん」は、西郷伝説という電球が切れる最後の一瞬の輝きなのかもな スレ主は最近バイト先で「これではまるで現代の異端審問だ」とか文句を言って、
馘になったんじゃないかな。 鹿児島みたいな地方でもバイトってバカにされるポジションなんだ?
鹿児島とか全員バイトレベルの人材で回してる県という印象だけど そういや司馬遼太郎は西郷の立ち位置を
現代で言えば、労組の委員長みたいなものだと表現してたな
労働組合のトップであり、経営層からは煙たがられる存在
しまいには経営層を追い出し、労組の幹部が経営をするようになり
あたりまえだが会社を潰した まあ、司馬史観参考にするのもどうかとおもうが
歴史上の人物あらさがせばそらいろいろ必ず出てきてしまうけど
西郷の場合、英雄にまでまつりあげられてるからそのあらが色濃く見えてしまうのも仕方ないし、かわいそうでもある
ある意味西郷も被害者なのかもしれん
希代のぶっ壊し屋であったけど、政治家としてはなあ… ぶっ壊し屋か・・・
世間では、古い時代をぶっ壊してくれた人と思われているが
じつは違うんだよなあ
ぶっ壊したリストの中に幕府や門閥も含まれているので
「古いものを壊してくれた人」扱いされているが
西郷にとっては不平不満の対象がその時には幕府や門閥だったということであり
時期が違えば鉄道や近代的価値観の官僚をあたりまえのようにぶっ壊そうとしてるからな やはり原口虎雄氏の言うように「永遠の不平家」だったのだろう
貴乃花親方と同じで、自分の知らないところで大事なことが決められたり
自分のことを認めようとしない人間が自分より上の地位にいることが
どうにも耐えられない性分だったとしか思えない
ふつうそのような人間は誰にも相手にされなくなるものだが
貴乃花にしても西郷にしても常人には無いカリスマ性があるので
付いていく人間も少なからずいるし
知らない人が離れて見れば正義の改革者のようにも見えるので、世間人気がある しかし近くにいる者は、貴乃花や西郷の性分を分かっているので
近い人ほど離れていく
正義や義憤でやってるようなポーズをとるが
自分が具体的な解決策を持っているわけではなく、
じつはライバルや気に食わない者を追い落とすこと自体が目的であることが
貴乃花や西郷に近い者には分かっているのだ
貴乃花の実家の家族は全員離れたし、以前貴乃花派だった親方衆も離れる者が続いている
西郷の近親者も従道はじめ離れた者が多く、かつて盟友だった大久保にも見限られた
西郷を高く評価したのは西郷に会ったこともない福沢諭吉とか
昔に何度か対峙したことがあるだけの勝海舟とか
ようは反政府的心情の持ち主がプロパガンダとして西郷を祭り上げてるのだ 西郷さんは結局偉大だったという結論になるな
洋行組が西郷筆頭の留守政府に嫉妬して権力闘争しかけただけで
宮廷の権力闘争に長けて皇帝を操ったりする中国で言う宦官みたいなもんやね 荒らしとダメンズウォーカーしか西郷を擁護しないスレッド。 近代化、民主化の基礎に必要なことは留守政府でほとんどはやり尽くした感がある。
ありがとう、西郷ドン。
ここに集う、こんなにも身分の卑しいアンチ西郷にも自由に書き込みできる権利を与えてくれて。 岩倉使節団が命がけの洋行で近代文明の調査に力を尽くしていた頃、
日本に残った西郷隆盛は何をやっていたのでしょうか・・・
西郷と同じく参議の職にあった大隈重信の証言がある。
「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、
留守内閣では太政官の正院に出頭しても、
ただ板垣(退助)と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていった」
明治新政府における西郷の浮き上った、無為無策な姿が目に浮かぶようだ。
「 世間の多くの人は西郷を英雄と言い、豪傑と称しているが、
私は不幸にして、未だに西郷のどこが英雄でどこが豪傑だったのかさっぱり分からない 」
日本史籍協会編『大隈伯昔日譚』二、東京大学出版会、1981年履刻 大隈重信は維新三傑にしばしば言及しているが、木戸や大久保を称揚する一方で
西郷については冷評していることが多い。
『大隈伯昔日譚』(明治二十八年)では「政治上の能力は果たして充分なりしや否やという点については、
頗るこれを疑うのである」と語り、そのために壮士輩が談判を迫り、脅迫状が届いたという。
それでも大隈は発言を訂正せず、その後の座談でも西郷の「感化力」は認めながらも批判的である。
しかし最後の筆録となった『大隈侯昔日譚』(大正十一年)にみえる西郷評は同情的な傾きがあり、
木戸・大久保の人物評とあわせて一つの参考になると思う。 >>196
>『大隈侯昔日譚』(大正十一年)にみえる西郷評は同情的な傾きがあり
これがどんなものかが結構重要な気がする >>186でスレ主は、印象で物を書き、実像は全然知らないんだと、自分で言ってますね。
「スレ主 イメージと実像が最もかけ離れた男」 三井の番頭こと井上馨とつるんで私腹を肥やしていた大隈は西郷に嫌われていたんだよな。2人が不仲だったのは有名な話。 >>195
>岩倉使節団が命がけの洋行で近代文明の調査に力を尽くしていた頃、
「近代文明の調査」ねぇ。www
アンチ西郷のスレ主が大好きな曖昧なワードですな。
具体性ゼロの、ほんとうに無意味なワード
「命がけ」ではなく、国内の反乱を恐れての「命乞い」の洋行と言った方が正しいだろ。
特に大久保は反対を押し切って、強硬に使節団に入っているよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています