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西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2

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0486名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/10(水) 21:07:27.62ID:LTtjg8Im0
明治人の東北観『仙台までは日本国民、仙台より北は野蛮人』

1876年の天皇巡行の一行
栃木県川西村にて「皆華服美装」
福島県須賀川にて「一様新装、頗美観」
宮城県築館にて「屋舎粗悪、人面亦醜陋」

1880年の佐々木高行の東北巡行の随行員
青森県で茶店の子供を見て「満面鼻汁と鼻垢を塗る殆ど黒人の児」
青森県野辺地にて「自身の姓名年齢又父母妻子の姓名年齢を知ら(ない者さえいる)」

1884年の水野寅次郎(土佐藩出身)
栃木と福島の県境にて「域を異にするの感あり」
青森県にて「盛岡以北人なし、真の国民たる資格を備ふる者なし」
(『東北紀行』)

江戸時代の日本の識字率35%=世界でも相当高水準

http://home.hiroshima-u.ac.jp/cice/wp-content/uploads/2014/02/15-1-04.pdf
江戸末期において、当時の日本はすでに庶民層を含めてかなり厚みをおびた識字人口層をかかえていた。
学校教育の普及が低迷していた明治初期20年代半ばまで識字人口層は、江戸末期とあまり変らず、
文部省の自署率調査によれば、識字率は最大で、男子で50〜60%、女子で30%前後であったのではないかと推測される。

明治期の自署率(「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率) ※文部省年報
岡山県 1887年 男65.64 女42.05 男女計54.38% ←日本人
群馬県 1880年 男79.13 女23.41 男女計52.00% ←日本人
山口県 1879年 男54.96 女16.48 男女計36.31% ←日本人
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
青森県 1881年 男37.39 女2.71 男女計19.94% ←土人
鹿児島県 1884年 男33.43 女4.00 男女計18.33% ←土人
※青森県は全住民に占める割合
※山口県は玖珂郡(岩国市周辺)における自署率
0487名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/10(水) 23:15:00.44ID:ZdZ4AAn80
西郷さんは誰からも慕われる人格者だったが、小が効く俗物は西郷さんを疎んじた。井上馨とか、大隈重信とか…
0488名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/10(水) 23:19:15.57ID:ZdZ4AAn80
情に厚い西郷さんは戊辰戦争に献身した士族を切り捨てることができなくて、彼らとともに死を選んだ。死後も慕われ、讃えられるゆえんだね。権力維持のため平然と郷里に兵を向け、親族や幼馴染を殺すことを躊躇わなかった非情の大久保利通とは人間の出来が違う。
0489名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/10(水) 23:23:27.07ID:ZdZ4AAn80
487
訂正
小が効く→小才が効く
0491名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 18:34:51.14ID:zRG9Mx+z0
以前、西郷さんと貴乃花は同じ種類の人間であると書いたけど
最近の貴乃花の辞職を見てますます確信を持った
征韓論が通らず政府辞職した西郷さんとまるで同じ
0492名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 18:36:41.47ID:zRG9Mx+z0
貴乃花の異常な対人関係 判断基準は「敵か味方か」のみ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181010-00000007-nkgendai-spo

「あんなにいい男はいないよ」

とは、都内の飲食店関係者。誰が「いい男」かと言えば、貴乃花(46)のことである。以下、その関係者の弁。

「世間で言われているような性格じゃないし、他のお客さんに対しても穏やかに接する。こっちが嫌な思いをしたことは一度もない。君らマスコミは彼のことを何も知らないんだね」

人間誰しもいくつかの「顔」がある。
貴乃花が「いい男」の面を見せるのは、あくまで利害関係がない相手だけ。
そもそも、日本で知らない者がいない「平成の大横綱」だ。わざわざ威張らずとも、周囲は自然と恐縮してくれる。

では、利害関係がある相手にはどうか。

自分に「利」をもたらすと判断した相手には、素性も何も関係なく、終始ペコペコ。
「裏金顧問」こと相撲協会元顧問の小林慶彦氏との関係がまさにそれだ。
氏が顧問時代、パチンコメーカーとの契約に際し、間に入った広告代理店関係者からの裏金をカバンにしまった人間であることを知っていたにもかかわらず、蜜月の関係を築き、擁護していた。
小林氏が某社の社債70億円分をウソまでついて相撲協会に買わせようとしたときは援護射撃を行っている。それもこれも自分を理事長に担ごうとしてくれたからだ。

欠勤を続けていた今年3月場所に初めて出勤した5日目は、自身の後援者と一緒に役員室に入ろうとした。
当然、後援者は門前払い。理事を4期も務めながら、執行部に無断で部外者を入れようとした行為に、親方衆も呆れていたほどだ。

■「何かあると話さなくなる」

一方、「敵」と見定めるや、あからさまに敵意をむき出しにする。
ときに罵倒するが、「無視」という手段を取ることが多い。

執行部とは最後まで口もきかなかった。
執行部も貴乃花を煙たく思っていたものの、少なくとも対話の意思や用意があったのは事実。それを貴乃花はことごとくはねつけた。
自身の退職、弟子の部屋転属という重要事項でさえも、代理人を通じた書面のやりとりしか行っていない。

日馬富士暴行事件以降の言動は、貴乃花の性格を顕著に物語っている。
宿舎まで直接謝罪に訪れた師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)と本人を完全に無視。
2人が目の前にいたのを知りながら車を発進させ、赤っ恥をかかせた。
執行部とも直接連絡を取ろうとはせず、八角理事長(元横綱北勝海)からの電話をも再三無視。
貴乃花が「自分に連絡をするときはファクスで」と指示したのは、「口もききたくない」という気持ちの表れだろう。
なにせ、危機管理部長の鏡山親方(元関脇多賀竜)が書類を持参して貴乃花部屋を訪れた際も、堂々と居留守を使っていたくらいだ。

貴乃花と絶縁状態にある兄の花田虎上氏は、ワイドショーに出演した際、弟について「何かあると話さなくなる」とこぼしていた。
これでは頑固とかそういう問題ではなく、子供がすねているのと何ら変わりない。

常に一方的で、子供がそのまま大きくなったような性格。
そういった対人関係が周囲とのあつれきを生み、最終的に孤立してしまった。
0493名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 18:43:41.78ID:zRG9Mx+z0
■西郷のことをよく知る重野安繹(後東大教授)が語った西郷隆盛の性格
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
0494名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 18:44:22.51ID:zRG9Mx+z0
■薩摩藩で西郷とともに働いた市来四郎の語った西郷隆盛の性格

「西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。」
0495名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 18:52:27.42ID:2e4WCsSS0
幕末佐賀藩の支藩、武雄の当主が後に明治政府の出仕を断った際の理由

「西郷の下はヤダ」

だったとか?w

単に身分の差による理由ではなしに「嫌っていた」とか
0496名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 19:10:21.42ID:zRG9Mx+z0
これですか

戊辰戦争後、明治新政府は二度にわたり鍋島藩武雄領主鍋島茂昌に兵部省の顕職“兵
部大輔(少将)”への就任を促しているが、茂昌は最後まで辞退し武雄にて余生を送っ
た。其の理由は大将に西郷隆盛が就任しており、その下に就くことを潔よしとしなか
ったようである。戊辰戦争において近代軍事用兵の才覚に欠ける西郷隆盛を見抜いて
いたようである。
一般的には、西郷隆盛は豪放な性格と思われがちであるが、功績のあったのは謀略
のみであり、近代戦ではほとんど成果等を上げていない。上野では、彰義隊攻撃を優
先すべきとの大村益次郎の作戦判断に押し切られており、西郷隆盛は近代戦争に疎か
ったようである。また、官軍の実質的な最高指揮官であったにもかかわらず、戊辰戦
争終結の前に戦線を離れており、武雄指揮官鍋島茂昌が後始末をしたようなものであ
る。恐らくは、茂昌は最高指揮官の戦場離脱も許せなかったのではないかと思われる。
其の後の西南戦争においても、同様に西郷の適切な作戦判断は見られず、多数の薩摩
兵を犠牲とし落命しており、鍋島茂昌の西郷隆盛評は一定の説得力を持つ。大村益次
郎の銅像が靖國神社にあるのは当然として、 郎 西郷隆盛は国賊となったため靖國神社に
は不適当としても、彰義隊との戦闘が行われた上野に銅像があることも不思議である。
新政府には、鍋島藩の優秀な人材も活躍しているが、鍋島茂昌は佐賀の乱にも加担
せず、また、西南戦争でも武雄から動かなかった。
農村改革・藩財政改革を通じて鍋島藩の中核にあり、また、世界情勢や最先端の科
学技術を理解し、世界に対抗できる日本最強の軍事力を保有した鍋島茂義・茂昌親子
が求めたものは、一体何だったのか興味津々である。先に述べたとおり、世界最先端
の科学技術に触れたことにより、世界的な視野のもと、尊皇攘夷や佐幕開国等の国内
紛争に振り回されることなく、冷静に時代の推移が見えていたのではないかと思われ
る。
0497名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/11(木) 19:13:17.38ID:zRG9Mx+z0
戊辰戦争を通じた各藩の戦死者の状況は次のとおりである。

● 佐賀藩の参戦者5000名のうち戦死者 75名(戦死率1.5%)
 うち武雄隊の参戦者1000名のうち戦死者 6名(戦死率0.6%)
● 薩摩藩の参戦者7300名のうち戦死者514名(戦死率7.0%)
● 長州藩の参戦者5000名のうち戦死者300名(戦死率6.0%)
● 秋田藩の参戦者8700名のうち戦死者329名(戦死率3.8%)
● 庄内藩の参戦者4560名のうち戦死者298名(戦死率6.5%)幕府側

武雄隊の戦死者の比率が極端に低いのは、激戦地を避けた訳でなく、装備兵器の
性能、高い練度及び高い近代軍事用兵の差と思われる。
0498名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/13(土) 11:40:17.00ID:CvEWNy1m0
■西郷南洲遺訓は西郷隆盛の名前を借りた旧庄内藩士の政府批判
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12390054703.html

西郷隆盛とほとんどの旧庄内藩士たちは直接会ったことは無く、西郷隆盛の顔も正面から見た者は一人も居なかったようだ。
最近、真の西郷隆盛の特徴と言うものが親族から発表された。
これを元に分析すると、旧庄内藩士の石川静正らの描く西郷隆盛像はキョッソーネの肖像画が元になっており、
石川静正の正確な記憶に基づくものでは無かった。

だいたい、70名余りの旧庄内藩士が100日余も寝食を共にすれば、西郷隆盛の顔面の禿げや瘤の位置、
目元の特徴など覚えていて可笑しくなく、特に画家でもある石川静正なら完璧に覚えているはずである。
実際、錦絵新聞やルモンド・イルュルトレ紙の西郷隆盛の絵には、正しく特徴が描かれている。

だから、西郷隆盛が旧庄内藩士に話したと言う遺訓は、どんなに素晴らしいものであっても、
また西郷隆盛の一族が違うと言い出せなかったとしても、西郷隆盛のものとは言い難い。

所詮、旧庄内藩士達の作品であり、彼らの実名で発表すべきものである。
0499名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/13(土) 21:41:04.03ID:8/Cv9Dcb0
たまにちらほらある西郷ageのコピペがスッカスカ。
本気で明治維新ageのプロパガンダやる気あるのかね?
間接的にsageにしたい側の巧妙な誘導なのではと疑ってしまう。
0500名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/14(日) 09:49:29.95ID:LCRUXZaF0
>>496は、防衛大の海自幹部を養成するコースを卒業した方が、
おそらく防大関連の冊子に独自研究として発表したものです。
PDF化したものが、ネットで出てきます。

不思議なことに、スレ主はこういう時に決して出典を明らかにしません。
はっきりさせないことで、権威付けを狙っている節があります。
そこを指摘すると「忘れていました」とか平気で書きます。
でも薬を飲む時間は忘れない方がいいですよ。

勝手にコピペして貼り付けられたものでしょうから、
>>496の中身については直接の論評はしません。
ただ、幕末の佐賀鍋島藩の動きには、同じ佐賀出身の大隈重信が、
「動く必要がない時に動き、動くべき時に動かなかった」と当主・鍋島直正のことを強く批判しています。
スレ主は相変わらず、>>493で重野の、>>494で市来の西郷批判を載せていますが、
いつもならトリオで出してくる大隈の西郷批判を載せていません。
このあたり、何でも自分に都合よく考えるところも相変わらずです。

ちなみに、「二股膏薬」(アーネストサトウ)、「ずるい人」(徳川慶喜)と同時代人に評された鍋島直正が
「朴強武毅だが、学識に乏しく、変化する時局を制する器は無い。ただ軽はずみなことはしない」と
消極的理由により起用した人物こそ、>>496に出てくる鍋島茂昌です。
0501名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/14(日) 12:19:39.36ID:IMbpyNVD0
>ちなみに、「二股膏薬」(アーネストサトウ)、「ずるい人」(徳川慶喜)と同時代人に評された鍋島直正が
>「朴強武毅だが、学識に乏しく、変化する時局を制する器は無い。ただ軽はずみなことはしない」と
>消極的理由により起用した人物こそ、>>496に出てくる鍋島茂昌です。

↑この文章、論理的におかしいよ?
鍋島直正が無能なら、直正による鍋島茂昌の人物評価や起用法も参考にしてはいけないはずなのに
そこは参考にして茂昌が取るに足らない人物であるかのように印象誘導している

頭が悪すぎる
0502名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/14(日) 12:22:54.93ID:IMbpyNVD0
ちょっと訂正

鍋島直正がズルい無能なら、直正による鍋島茂昌の人物評価や起用法も参考にしてはいけないはずなのに
そこは参考にして茂昌が取るに足らない人物であるかのように印象誘導している

頭が悪すぎる
0503名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/14(日) 14:37:57.03ID:PKu0Kmp/0
閑叟は飽くまで「自分の手足・耳・眼となってくれる家臣」を重用しただけで
そいつらが「自分の意思で勝手に行動する」というやつらは評価していない

前者が身内で言えば須古の領主で後者が武雄の領主という感じw
0504名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/14(日) 17:17:44.95ID:qvnoRb5O0
そもそも>>500の言いたいことがさっぱり分からんわ
雑談に参考コピペして何がいけないのか
防大の資料の何がいけないのか
大隈重信の西郷批判を載せてないことの何がいけないのか
(ていうかなんでそこで唐突に大隈の話題になるのか)
ほんと老害鹿児島人のキチガイ難癖いい加減にしてほしい
0505名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/15(月) 17:29:55.06ID:l9Kvp2yc0
>>437 >ただただ、キモチ悪い
これはスレ主です。基本的に感情的に物を考える人です。
おまけに誇張やすり替えや都合の悪いことはスルーします。
>>501-504には特徴がよく表れています。

>>502 >鍋島直正がズルい無能なら
>>500には「無能」なんて大げさな言葉は一つも使ってありません。
鍋島直正は佐賀藩の財政を立て直し、アームストロング砲を自前で造るところまでいった殿様です。
それを無能呼ばわりするほどの歴史音痴ではありません。
ただ直正は、政治的には勤皇か佐幕か、旗幟を明らかにせず、
それを貫けばまだよかったんでしょうが、奥州征伐の段階になって、
やっと新政府側についたというのは、日和見と言われても仕方ないでしょう。
現代にまで「肥前の妖怪」「鵺」といった評価がついて回るのは当たり前です。

その日和見(「ずるい」はあっているが、「無能」とはちがう)の直正が、
自分の意図する範囲で動くと指名したのが、鍋島茂昌であったということです。
矛盾はないでしょう。
0506名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/15(月) 17:30:48.50ID:l9Kvp2yc0
>>504
>雑談に参考コピペして何がいけないのか
>防大の資料の何がいけないのか
>>500ではコピペがいけない、防大がいけないなんてことは一言も書いてありません。
ただ、5ちゃんでコピペするにしても、なぜ出典を省くのか、
とは書いてあります。
出典を省いた理由は>>504でもスルーですね。やれやれ。

>>504
>大隈重信の西郷批判を載せてないことの何がいけないのか
>(ていうかなんでそこで唐突に大隈の話題になるのか)
佐賀の人物の話題の枕なら、佐賀出身の大隈重信に触れないのは不自然だと思っただけですが、
そんなにムキになって怒るなら、たまたまだったということでよいですよ。
あ、お薬は忘れずに。
0507名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/15(月) 19:00:55.63ID:ngeeX+r20
鍋島家の話はごく最近BSでやってたから持ってきたんだろうけど
スレチもいいとこ。
話が西郷のダメ出しになってまとまってきたら、濁すタイミングで
つまらないコピペ貼ってそれに乗っかって適当なウンチクに
逸らすんだよなぁ。
0508名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/15(月) 19:04:30.10ID:jqsLdYPl0
>>506
キチガイ特有の細かくアンカーした無能レス

ただただキモチ悪いです

何が言いたいのか知らんけど>>498の内容が間違ってると言いたいのかなそもそもは
それならどの部分が間違ってるのか具体的に指摘したうえで
例えば西郷には近代軍事用兵の能力はちゃんとあったのだと資料付きで反論してみてはいかがでしょうか
0510名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/15(月) 19:24:15.52ID:dWHAVcvH0
★☆一目でわかる陰謀論者の奇痴害キーワード一覧☆★

・反ユダヤ系…「ユダヤ」「フリーメーソン」「イルミナティ」「ロスチャイルド」「ワンワールド」「世界政府」
・反日系…「薩長」「田布施」「日本会議」「統一教会」「神社本庁」「アベ(安倍首相のこと)」

「≪様々な良くない事態≫が起きるのは○○○○のせいだ」の○○○○に上記の単語が入る場合、
典型的な奇痴害陰謀論者の妄言である。
また「○○○○が使う」とされる手口に「電磁波攻撃」「集団ストーカー」「人工地震」の単語が入っている場合も同様である。
将来、こいつらはテロを起こす危険性が高いため、早めに警察やら公安調査庁に通報したほうがよい。
何故ならば、この手の陰謀論は特定民族の迫害・虐殺を目的とした悪質な差別主義理論だからである。
「米軍が毒ガスを撒いているぅぅ」という奇痴害陰謀論を放置した結果、
オウム真理教事件が起きたことを忘れてはならない。
0511名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/15(月) 19:36:57.32ID:TAKuVqM90
>>507
そもそもがこんな場末な掲示板で専門知識どうたらこうたらなんて
無駄なリソース消費もいいところなんよw

気楽にいこうぜ〜
0512名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/16(火) 18:45:34.74ID:2BgyFiAK0
加治木町の住人城川市二は西南戦争で西郷さんは桐野利秋に撃たれたと証言したが
研究者や司馬遼太郎らから城川市二自体が実座しない架空の人物であり架空の説であると否定されてしまった「西郷は桐野に撃たれた説」

その後城川市二が実在したことが確認されていますので今さらですが
城川の孫嫁さんが亡くなった時の案内書がネット上に上がっていた・・ので参考までに
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/6b/d47c724195ad61ad581eeea234aed1a4.jpg
城川が実在する人物であり従軍していたことを示す史料の写し
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/43/533b3514bb93341a85125b2f68f15d03.jpg
https://blog.goo.ne.jp/seno777s/e/16033224ea4feaeb12443451922eedd6
0513名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/16(火) 19:26:35.55ID:CFgKDopW0
ネットが普及して卒論書くの簡単になったけど、
専門知識だと思ってコピペしたらフェイクってのもあるからね。
知識マウント取るためにいろいろ専門用語並べていても
このスレにあるコピペはゴミ。
0514名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/16(火) 21:04:17.53ID:JXfRr5N30
代表的なフェイク

・西郷は西南戦争で皇居の方角を拝礼したあと切腹した
・西郷はわざと負けて士族の世を終わらすためにあえて西南戦争を決起した
・西郷は若い頃城下で篤姫と知り合っていた
・西郷家は少年時代の大久保利通に食事を与えていた
・西郷は江戸総攻撃を阻止し江戸百万人の命を救った
・西郷は奄美でアイカナと恋愛し結婚した
・西郷は廃藩置県を断行した
・西郷は明治天皇と相撲をとって教育していた
・西郷は南洲翁遺訓を残した
0515名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/17(水) 17:11:35.84ID:o49kB/8g0
>>508-509
呆れた。何が「そもそも」なんだか。何でも自分に都合よく考える人です。
スレ主は相変わらず「なぜ出典を示さなかったか」という点はスルーです。

これがちゃんと出典を示し、「ネット上にこんな文章があったんだが、自分はこう考える」と考察でも添えているなら、
まだ議論の対象になるでしょう。
それを出典も示さずに勝手にコピペを貼っただけで、この中身について反論しろとか、いったい何様のつもりなんでしょうか。
「他人のふんどしで相撲をとる」なんて言葉の意味も知らないんでしょう。
スレ主の独自研究と言えば「西郷隆盛と貴乃花は似ている」しかありません。
(それも中身の大半は、貴乃花についてのスポーツ新聞か週刊誌かのゴシップのコピペです)
こんなの「へー、そうですか。それで西郷となんの関係があると説明できるんですか」で終わる類です。

スレ主は、西郷隆盛について何の情報も考察力も持ちません。
ひたすらコピペを貼り付けるだけの無能です。
最近のスレ主のレスは、まるで自らの無能ぶりの証明と化したようです。
この調子では何をやってもスレ主は、ふんどしかつぎで終わるに違いありません。
0516名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/17(水) 19:27:58.26ID:igY0lJNy0
>>515
老害のヒステリーまじかんべん
おなごのこつある
鹿児島弁ではこんなふうに言うのかな

ご自分の残された時間をもっと有意義に使ってはいかがでしょうか?
0517名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/18(木) 02:43:26.70ID:G5MDz9XC0
あれ?征韓論は?
0518名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/18(木) 14:42:37.86ID:VWss8LCM0
西郷隆盛はどうしても
長州藩士山田市之允に勝てなかったな。

日本軍隊誕生当時、山田顯義兵部大丞の国民皆兵(徴兵令)構想に
どうしても付いていけない
所に西郷隆盛の苦しみがあるのだよ。西郷には背後霊の様な
薩摩藩士族の存在があるからな。
山田顯義にはバックに大村益次郎と木戸孝允(桂小五郎)が
付いているのだよ。長州藩は大義(近代国家建設)の為に旧長州藩士族を
潰してしまうのだよ。

山縣有朋を味方にした西郷隆盛ではあったのだが
山縣も木戸孝允と山田顯義に睨まれていては
日本軍隊を薩摩藩に売りに出すことは出来ないのだよ。

結論だけ言えば山縣有朋は国民皆兵(徴兵令)に乗り出さざるを得なくなり
旧薩摩藩士を切って捨てるのだよ。西郷隆盛は薩摩藩の余った旧士族に
情けを掛け過ぎたのだよ。生活に窮した旧士族に情けを掛けたのが
西郷のいいところでもあり欠点でもあります。  愛エメ
0519名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/18(木) 14:54:28.37ID:VWss8LCM0
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html

西郷隆盛は大村益次郎と山田顯義の日本軍隊を牛耳る長州藩出身の
2トップの強引さに押し切られてしまうのだよ。

西郷隆盛は山縣有朋をお味方に引きずり込むことには成功した者の
木戸孝允と山田顯義の唱える国家の軍隊の前に
西南戦争で敗退します。


西郷隆盛は国を動かす首相タイプではなくて、
郷土に貢献する県知事タイプの人物です。
0520名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/19(金) 02:03:32.59ID:MCGtR2UL0
大村益次郎像
http://pagent.up.seesaa.net/image/oomura001as.jpg
大村益次郎像の設置位置が高いのは不平士族の狼藉を憂慮してのものと思われる
長州人がその他を見おろす構図などではないと思います

大久保利通像
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/shins2m/20130612/20130612144650.jpg
鹿児島の大久保像の位置が高いのも、鹿児島県で人気の無い大久保への狼藉を防ぐためです
0523名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/19(金) 19:43:31.32ID:H1lCo0UN0
敬天愛人を生涯を通して実践した至誠の人。
0524名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/19(金) 23:02:08.31ID:Hdp2VDEP0
空前絶後の偉人。自分のことなどはどうでもいい。
愛する家族のため、鹿児島のため、そして日本のために命をかけて働かなければならない。
自分は死しても、人を生かす。それが西郷という男であった。

↓現実

西南戦争の最前線で毎日多数の若者が命を落としている最中に
西郷一人だけウサギ狩りに出かけて気をまぎらわす。
あげく一人だけ政府軍に助命嘆願を申請。
却下されると城山を降り、投降を試みるも桐野利秋に見つかり強制玉砕。
0526名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/21(日) 06:36:45.61ID:1o2CZyh/0
西郷が格好良かったシーンは継続性のない瞬間芸。
ジャイアンは劇場版のときだけ良い奴になるっていうのと同じだねぇw
0528名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/24(水) 19:01:17.97ID:D0EUFcRt0
西郷隆盛はアジア解放の先駆者。
0529名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/25(木) 01:55:16.47ID:wIwpe2ol0
タイプは全く異なるが
伊藤博文、桂太郎、吉田茂、岸信介、池田勇人、田中角栄……
ゴシップや人物評にはさまざまな異聞・異論が混じるが、
本人の政治的位相が高ければ高いほど、ポジな実像とかけはなれた醜聞が流布することは法則のようなもの
0530名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/25(木) 06:55:57.42ID:wDVjoR2X0
私学校の上層が日頃より西郷を「全くの師」と畏敬の念を得ていたのであれば
そのような御仁を困らせるような事はしなかったであろうと
寧ろ何かとても「都合のいい」人物だったと思えば
こちら側が奇声を上げれば向こうからやってくるであろうという風に勘ぐりたくなる

故に「要らなくなった」が故に後ろから射殺という行為は至極当然だったのかな?と
0531名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/25(木) 20:48:08.75ID:odlEH4lv0
>>530は、主語と述語がはっきりしないし、
故に故にの繰り返しとか、日本語がおかしい。
普段「奇声をあげてる」人みたいで、薄気味悪い。
0534名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/26(金) 01:40:10.83ID:Ic+J3RXF0
>>532のような薩摩戦闘民族伝説は初出が小説だったりで、西郷伝説同様後世に創られたファンタジーだよ
0536名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/27(土) 00:11:53.06ID:XvwYOcrf0
西郷伝説の面白いところは年代により西郷隆盛の"死に様"が変化しているところです

■西郷隆盛死亡場面の時代的変遷1

明治10年〜 西郷軍全滅の三日後、東京日日新聞(現在の読売新聞)が西郷の最期を報じ、これが初期の通説となる
『新撰旅団の安村治孝中尉兼二等大警部(旧長州藩士。市ヶ谷集獄署長。のち樺戸集治監典獄)が
西郷に飛びついたが、薩兵に撃たれてピストルだけを確保して引き下り、別府晋介が西郷を介錯した』
安村中尉は西郷を生け捕りにしようとしたと言われていた。
この場面は当時多く刊行された錦絵にも描かれていて、この時代の人たちはこれが西郷隆盛の最後であると広く信じていたと思われる。

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=origxorig:format=jpg/path/se785f6f8e4e096c9/image/i161acf2574067835/version/1431503839/image.jpg
https://ms-cache.walkerplus.com/walkertouch/wtd/event/58/l2/311458.jpg
安村中尉と格闘する西郷隆盛
0537名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/27(土) 00:13:54.57ID:XvwYOcrf0
■西郷隆盛死亡場面の時代的変遷2

明治42年〜 「西南記伝」が"黒龍会"より出版され
その中で描かれた死亡場面がこれ以後通説となる。

『西郷以下残された薩摩士族全員が一列になり最後の突撃をする。西郷は政府軍に脚を撃たれて負傷。
最初は「まだまだあ」と気張っていたが動けなくなり「晋どんここらでよか」と言って
地面に跪坐。厳然と襟を正し、東の皇居の方角に深々と頭を下げ、別府晋介に首を刎ねさせた。』

ちなみにこの死亡場面が真実であるかの根拠は「西南記伝」でとくに示されているわけでもなく、
西郷の最期として講談調に説明されているだけなのですが
死に方が潔く立派で"大西郷"の最期としてふさわしいと思われたのか
これ以後の西郷顕彰本や一般向けの歴史本では
この死に方があたかも真実であるかのように引用されるようになり通説化した。

ところでこの本を世に出した「黒龍会」とは何者なのでしょうか?
Wikipediaによると1901年に東京で設立された右翼団体の大手で「大アジア主義」「大東合邦論」を展開した。
大物運動家や政治家も多く参加し、西欧に対抗するために日本のアジア進出を唱えており
対露開戦を主張。玄洋社(右翼団体)の海外工作センターといわれた。
ようは西郷が生前感化された「東アジア団結」思想の流れをくんでいるのが黒龍会や玄洋社であり
プロパガンダとして西郷隆盛を神格化する意図があったのだと思われます。

https://alchetron.com/cdn/black-dragon-society-94cd8e3b-0b24-4062-bb76-b69ce3e599d-resize-750.jpg
中二感全開の黒龍会シンボルマーク
0538名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/27(土) 00:14:55.79ID:XvwYOcrf0
■西郷隆盛死亡場面の時代的変遷3

昭和17年〜 鹿児島私学校の後身団体である三州社社長の息子竹崎武泰が西郷隆盛顕彰本「肚乃西郷」を刊行した。
その中で真実の西郷死亡場面として桐野利秋による銃撃を明かした。
目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。

城川の証言によると「 西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、銃で撃った 」というもの。

「この事実を書きし、西郷の伝記はおそらく世に無いと思うが、
これは別府晋介の従僕城川が著者の父(三州社社長)に話せし実話である。
西郷が大義名分を重んじて、江藤新平を諭せし事を思う時、
寸秒の疑う余地は無いのである。
西郷が簡単に切腹するのであれば、最期の陣営たる洞窟の前庭において、
幹部と共に枕を並べて死すべきである。
何もわざわざ岩崎谷を下り敵陣近き、現在建設せられある『西郷終焉の地』まで
のそのそ出て行く必要はないのである。
一度鹿児島に遊び、彼の洞窟と終焉の地とを検討せば、著者の論が実証せらるるであろう。」

と、城川説が疑う余地の無い"事実""実話"であると断じている。
西郷は命が惜しくて投降を試みたのではなく、薩摩士族の大義を法廷で主張するために山を下ったのだという。
しかしこの"事実"は従来信じられてきた突撃自決説と比べて往生際が悪く
西郷にとって不名誉であると受け取られかねず、また出版年が戦時中ということもあり
当時は黙殺されたと思われる。

https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0309/users/2/3/7/6/kokolomusi-img1200x900-1506319510zae5be10285.jpg
0539名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/27(土) 00:15:47.36ID:XvwYOcrf0
■西郷隆盛死亡場面の時代的変遷4

昭和52年にも西郷死亡場面についての論争が起こり
「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は、桐野利秋による西郷銃撃を目撃した“城川”なる人物の実在が証明されていないとし、
この目撃証言を奇説として退けた。

また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説は否定されました。
 
架空の人物による、架空の目撃証言だと言うのです。

ところがその数日後に同じ南日本新聞で入佐俊興氏が、昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/43/533b3514bb93341a85125b2f68f15d03.jpg

さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
 昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
 何事か話しをしていた。
 城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
 “今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
 “わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/6b/d47c724195ad61ad581eeea234aed1a4.jpg
0540名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/27(土) 12:30:54.41ID:4gExNEsC0
ほとんど語らなかったという流れ会津の飯沼と一緒だな

両者とも語ればなにか都合の悪いことがあるからというとこに着地する話だわな

会津プロパガンダの存在と悪行はもはや周知の事実

西郷が英雄でないと困る奴らのプロパガンダというものもあり
今でもその影響、洗脳下にあると考えるのがこうなると 普通なのかもしれない

追って研究するべきだな
0541名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/27(土) 16:57:42.18ID:KqK1jDyO0
流れ会津の飯沼て何?
誰?
0542名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/10/28(日) 01:21:46.66ID:W08qVsgP0
>>541
飯沼貞吉
0543名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/01(木) 12:58:52.78ID:5FX3iLSU0
「晋どんここらでよか」と言って
地面に跪坐。厳然と襟を正し、東の皇居の方角に深々と頭を下げ、別府晋介に首を刎ねさせた。』

◇ この説は信じがたいな。

  東の皇居の方角に深々と頭を下げと言う部分は眉唾もんだな。
  だって征韓論の時、負けた西郷隆盛は明治天皇に最後の挨拶もすることもなく
  すべての職務を完全放棄してドロン。鹿児島県に引っ込んだ男だぜ。

  まったくすべての明治新政府の重責を放棄したんだぜ。三条公も岩倉公も
  木戸孝允も口あんぐりだぜ。
  西郷隆盛からすれば明治天皇そのものがカッチャー(韓国語で偽物)という
  事なんでしょう。
  依って東の皇居の方角に深々と頭を下げるという事はありえません。  愛エメ
0544名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/01(木) 22:35:12.20ID:0LCXIOHE0
昔からまともな人間はおかしいと思っていたはず
しかし西郷関連のネガティブな著述は右翼やおかしな信者の標的になるので表立って言えない
最近だよ多少なりとも言えるようになったのは
0545名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 04:02:50.98ID:liOtq7Ij0
薩長信者は創作美談を垂れ流すだけならまだしも
ネガティブ説には全力で貶めに来るから関わりたくなくて普通の人は
諦めて黙ってしまう。

コピーペースト・レッテル貼り・荒らしと、その他の醜い罵詈雑言。
全部ブーメランな内容だけどよく飽きないなー。

ほとんどパターン化しているからNGワード設定であぼーんしている。
0546名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 06:07:40.18ID:K4hmZtbs0
>>543
  >西郷隆盛からすれば明治天皇そのものがカッチャー(韓国語で偽物)という
  >事なんでしょう。

言ってるのは韓国人ですか
なるほどね
0547名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 08:55:26.28ID:zTeiSZ5/0
木戸日記に目を落としてみよう。

「西郷が辞職するときは、近衛の士官など己の本職を
忘れ、気まま勝手をもってみだりにその職を捨てる。
近衛士官は天子の親兵である自覚を欠き、政府および
国民を保護する使命を放棄している。
そのことに良心の呵責を感じないとは。」

 木戸は、西郷が喧嘩に負けた子供のように、ぷいと
姿をくらますような無責任な行動をとったことに、
言い知れぬ怒りと幻滅を感じていた。
少なくとも天皇をはじめ、国の根幹を担う人々へ、
潔く辞去の挨拶をして立ち去るべきなのだろう。
ましてや、将官や省庁の幹部を制止することなく、
道づれにすることの罪深さは理解に苦しむものがある。
0548名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 09:11:20.12ID:zTeiSZ5/0
(国のために一命を賭して朝鮮への使節を志願した者が、
その主張を受け入れられなかったからといって、
その国を麻痺させ、内乱の危機を招こうとする
矛盾を何と説明するのか)

 木戸は西郷に独善の極みを問い正しかった。
木戸は死に瀕していたのである。
幸いぎりぎりの一線で硬膜下への出血が止まった。

  参照 「小説木戸孝允―愛と憂国の生涯」下巻 中尾實信著 277頁 鳥影社
0549名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 09:17:43.28ID:zTeiSZ5/0
西郷さんは
言っちゃぁ悪いが近代国家建設なんていったって
チンプンカンプンで分からなかったんじゃぁないのかな。

蛤御門の変では幕府についていたはずの西郷隆盛が
鳥羽伏見の戦いでは長州側に付く矛盾。
西郷さんは時々息詰まるとガラガラポンに出たい人なのかもな。 愛エメ
0550名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 18:22:39.03ID:zTeiSZ5/0
さいごうたかもりは大村益次郎・木戸孝允・山田顯義の
長州藩頭脳派に敗れてしまいました。

江戸城開城までは西郷さんにも主役が廻って来たのだけどな。
五稜郭の戦いでは小僧の山田市之允(顯義)に主役の座を奪われ、
誕生した日本陸軍の主導権は大村益次郎と門人の山田顯義に奪われてしまいました。
木戸孝允と山田が海外に行っている間に山縣有朋を籠絡したまでは
良かったものの、帰国した木戸孝允と大久保利通に実権を奪われ征韓論はおジャン。

夢破れた西郷どんは天皇陛下と近代国家を放り出しガラガラポン。
最期のスポットライト、主役の座返り咲きを狙って
一かパチかの勝負に打って出ましたが近代国家の軍隊に完敗しました。
軍艦ひとつないんじゃぁ勝つのは難しい。 愛エメ
0552名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/02(金) 20:26:07.57ID:idnLb+fR0
木戸や大久保も政変の時辞職出してるし実際その後辞めたからな
後朝廷の命を聞かないってのも木戸や大久保にあるし
長州征討の際に朝敵だったが抗戦した長州や勅命無視して出兵しなかった大久保
その辺は割とドライ
0553名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/03(土) 18:07:54.30ID:9UQntMYD0
まぁ〜古来からの手法といえばそれまで

大山や従道で言えば「お前ら単に身内やん?」と「あの西郷どんのお身内か」とじゃ〜違うしなw
0554名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/04(日) 02:30:27.92ID:PRAnDnjo0
薩摩武士なんて半分農民みたいなもんだろ
薩摩武士って他藩の士族や武士とはまるで別の存在じゃないか
藩の人口における割合が多すぎてもはや支配階級とはいえない
多くの庶民から税をたかって無為徒食する特権階級という
評価が士族にはあるが、薩摩は半分屯田兵みたいな自給自足
をしていたのだから特権階級なんてとてもいえない。

薩摩武士は他藩の士族ほど希少でもない別の階級
0555名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/04(日) 02:35:22.79ID:PRAnDnjo0
薩摩藩っていわばヨーロッパ的な近代国家
他領地を植民地として搾取して工場もたくさんもってた
そして近代隊列を組める銃兵を大量に養成できていた

すでに近代化がなされていてノルマをクリアしていたが
薩摩が、それにおんぶにだっこ状態の明治政府に
どうしてしたがわなければならないのかと

藩なんてのは大量の銃兵も養成できません近代工場も建てられません
だから潰します!っていわれても、ハア?俺たちとっくにそれできてんですけど?
っていうかおまえら明治政府が俺たちの武器工場と兵力におんぶにだっこ
状態じゃねえかと文句言うのもわかりますわな

赤字のところおおいんで子会社ぜんぶつぶします!って親会社にいわれても、
親会社も赤字で、薩摩子会社だけが血反吐はいて頑張って黒字叩き出してて
親会社さえ子会社からの上納でやっと息してる状態だったら、薩摩子会社は
何いってんだお前?って怒るのもとりゃ道理だわなと
0557名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/06(火) 18:33:53.06ID:vXZBgUoC0
556の続き
徳川幕府は倒すためならどんな卑怯な手を使ってもいい。
薩長のモチベーションの根底はそんな感じ。
0558名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/06(火) 21:33:58.85ID:BltczLe40
卑怯だから、じゃなくて封建主義だから。
職業選択の自由も移動の自由も認めないんだから。
そりゃ倒されて当たり前。
0559名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/07(水) 05:13:44.23ID:QQDnii1s0
西洋の封建主義の貴族と幕藩体制の藩主はまったくの別物。
貴族が搾取しまくって人々を苦しめて革命が起きるってテンプレは
フランス革命から来た衆愚のイメージ。

江戸時代、代を重ねるごとに武断政治から文治政治に移行することに
成功してからは、武士は質素倹約を美徳にするようになった。
さらにその上の「お殿様」は搾取するのではなくその地を守護する存在。
庶民層にとって安心安全の守り神だった。

一揆も革命というよりは交渉の手段。代表者は責任を取って死ななければ
ならないという覚悟で事を起こすが、その動機は理不尽を正すことであって
復讐することではなかった。


悪徳領主をガチでやっていた藩主はけっこう少数例。
一応、監査システムはあったし、領民への度を越した年貢の取り立てや
お家騒動などの醜聞がバレたらそれはもう厳しく粛清された。

薩摩の非人道的な重税と黒糖地獄と密貿易は、遠方であることと薩摩弁の
分かりにくさが暗号レベルのせいでバレなかったようだが。

島津斉彬が藩主になりたいがために、阿倍正弘を味方につけてから密貿易を
密告して、不仲だった先代の実父を隠居に追い込んだのはなんだかなぁ。
もう一つの打ち出の小槌だった奄美の黒糖地獄のことを明るみにしなかった
ことが何気に作為的。
0560名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/07(水) 05:25:30.50ID:QQDnii1s0
江戸時代の庶民の移動はかなり自由だった。
分かりやすい例はやじきた道中記。
旅のガイドブックのような絵付きの出版物が多く刷られて広く読まれた。
旅ブームも起こっていた。一番有名なのはお伊勢参り。
ピーク時には6人に1人が行くほどで、旅によく使われる街道は女性だけで
行って帰ってこられるほど治安が良かった。

恋愛もかなり自由。最終的な結婚は親が決める相手になることが
ほとんどだったが、親だって我が子は可愛いから悪縁になりそうな
相手は回避するようによくよく評判を聞いて吟味していた。

合わない相手と結婚してドアマット展開になる話がなかったわけでは
ないが、それは現代でも起こっていること。時代のせいというよりも
局所的に不幸の見舞われた気の毒な例。
そのためのセーフティーとして駆け込み寺なるものがあって
DV夫と縁切りする権利が妻にはあった。

知れば知るほど現代との類似点があって目からウロコが剥がされる。
0561名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/07(水) 23:57:40.21ID:fBSZuvFl0
エロDVD密貿易は佐賀藩
0562名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/08(木) 06:23:48.65ID:z12/SZtB0
最近よくある「本当はすごかった江戸時代」みたいな本の主張ですね。
さて寺社参りが認められていたから、江戸時代には移動の自由があった、
と言えるんでしょうか。
「移動の自由」という言葉には、単に東から西に行ける、ということだけでなく、
移動して居住できる、そこで生計を立てられる、という意味が含まれます。
江戸時代の寺社参りは、手形という形で許可を貰い、必ず帰ってくることが前提です。
労働力が流出してしまうことを認めてないわけですね。
これが「移動の自由が認められれていた」と言えるのかどうか。
だから移動の自由、職業選択の自由がなかった、とセットで書いてあるわけで。
江戸の幕藩体制は封建主義ですよ
0563名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/08(木) 06:26:01.44ID:z12/SZtB0
「お伊勢参り」が今日の観光旅行の原型になった、と巷間言われているのはその通りだと思います。
それによって東海道は繁栄した。
しかし江戸時代、東海道筋に並んでいるのは、幕府の譜代親藩ばかり。
それで他所から来てお金を落としていってくれるんだから、
「お伊勢参り」を認めたのはさもありなん。
特に伊勢国の桑名藩などは、一番利益を得られる位置だったはずです。
そりゃ幕藩体制を守る側につくでしょうな。
0564名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/09(金) 06:49:56.71ID:dq7/XGf90
>>562
足ることを知っているからないものねだりはしない。現代人が自由なんて嘘だ。
本当に自由な人間なんていない。絶対にしがらみがある。
だからと言って流浪の民になりたいとも思わないが。

帰る家があることは幸せなこと。旅から帰るのは帰りたいから。
安心安全に定住することがどんなに幸せなことか。

世界史上だと定住しない暮らしをしていたのは所有者に従わされる奴隷・民族単位だと
シルクロードの遊牧民・ジプシー・故郷の奪い合い真っ最中のパレスチナ人etc。

日本史上だと流刑になった罪人・白拍子しながらさすらう遊女・参勤交代する
大名行列一行・行商する商人・地図を作る伊能忠敬チーム・巡業する大衆演劇の
旅役者・花を求めて移動する養蜂業者・転勤族etc。

現代人のほとんども住処を変えるのは結婚や就職などの人生の分岐点くらいの
もので、それは江戸時代と変わらない。また行く先々で地域に順応するのは大変だから
転勤族も好き好んで転勤やっているわけではない。冒険は旅行で充分。定住できる
ホームがないと心細くなるんじゃないかな。
0565名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/09(金) 07:15:34.60ID:dq7/XGf90
>>563
観光地と都会以外が田舎なのは至極当たり前のこと。
観光客を呼び込みたいなら、僻んでないで現状をよくするための村興し・
町興しのようなことをやっとけばいいだけのこと。

余所はいいなー、うちは迫害されている。……と負の想念へ思考が傾き
やすいのは討幕派の性癖っぽいね。だから徳川のすべて奪いにきた。

田舎は田舎のままで住み良くできるのに。
戦時中でも空襲のターゲットは都会だったし、戦後の食糧難のときも自分家で
農作物が採れる農村だったら飢えないし。

それよりも現代は過疎地だの廃村だのが増えてインフラが途絶える地域が
増えてきたから江戸時代よりも悪くなっているともいえる。


余談だが、加賀の前田利常は豊臣側だったから徳川幕府に警戒されていた。
ゆえに鼻毛を伸ばして江戸でバカ殿のパフォーマンスをして難を逃れていた。
見た目を犠牲にしたけれど名君で加賀をちゃんと富ませていた。
だが明治維新後の新政府は薩長ばかりが実権をとって、それなりの活躍をした
加賀藩の士族が日の目を見ることはなかった。
0566名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/09(金) 10:51:26.35ID:zu+O1CyR0
>>565
加賀がそれなりの活躍ってなんだよ?w

加賀は徳川から睨まれないように家康のときから政治にはかかわらないようにしてきたんだぜ

それが御家芸であるかのように徳川の世が終わるまでまでまったくといっていいほど政局にはかかわらなかった

すべてその結果なんだがw
0568名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/09(金) 12:00:58.96ID:zu+O1CyR0
>>567
じゃあ情弱の俺にそれなりに活躍した加賀を説明してみてくれよwん?
できるのかなあ?説明が?w
0569名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/10(土) 10:17:43.12ID:EkkBnMIS0
加賀藩は禁門の変、鳥羽伏見、戊辰戦争と出兵はしてるよ
ただ勤皇と佐幕の対立で藩論がまとまらず右往左往しただけで終わったが

北越戦争には藩兵1500人と軍艦が参戦してる
これは各藩の中で最大の軍勢だったが、手柄は全部薩長に付いた
この時、加賀藩は100人程度の戦死者を出している
ちなみに薩摩藩の戦死者は戊辰戦争全部合わせて514人、長州が全部で300人
加賀の100人というのはけっこうデカイのだ
0570名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/10(土) 11:27:26.04ID:L5SL21Uj0
>>569
石高におうじた出兵兵力だがw

しかもその死者数の割合みたらどうみても練度の低さと近代化してない旧式の装備によるもの

君の理論でいくと
太平洋戦争時の戦闘員の死者の多くは東北系の人
そして沖縄が多い
だからといってそれらの県が戦後評価されて政局に重要な役割やらポストにいたんですか?w

禁裏の防衛任務は大藩の義務であるからして禁門の変に加賀藩が居合わせたのも当たり前

で、これのどこが政局にかかわってたというんだ?wん?w
死者の多さが政局なのか?w
死者を多数出したのは加賀の運用、戦術の責任じゃないとでもいうわけか?w

錦の御旗がひるがえるまで佐幕だった藩を死者が多かったからって明治の中枢の一角にいれろと?w

加賀なんぞ評価する前にもっと評価してやらんといけない藩なんて腐るほどあるというのに

人を情弱呼ばわりするわりに誰もが知ってるようなことしか言えんでどっちが情弱なんだかw
0571名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/10(土) 13:29:28.47ID:EkkBnMIS0
>>570
泣き事多すぎ

禁門の変では長州藩と幕府の間に立つという形で政局にしっかり関わってます
結果が出なかっただけで
君の言ってる「加賀は徳川から睨まれないように家康のときから政治にはかかわらないようにしてきた」なんて情弱の思い込みにすぎません
0572名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/11/10(土) 14:27:09.81ID:qCWlZwdT0
>>571
これでこいつが無知無学のアホだということ完全証明されましたww

>禁門の変では長州藩と幕府の間に立つという形で政局にしっかり関わってます
お前が政局の意味すら理解してない大馬鹿者だということこのフレーズだけではっきりわかるww

>結果が出なかっただけで
クソワロスwwww

お前のそのクソバカ理論でいけば結果がでなくてもいいなら徳川治世300藩すべて政局にかかわってることになるが?wあ?wドアホw
0573名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/12(月) 02:25:23.00ID:y84pJrAp0
>>569
細かい数字をありがとう。
余談だけど加賀といえば加賀百万石。
大河ドラマで知名度上がったけど、その後継も内政力がすごい。
豊臣側についていた外様大名なのに頑張った。
豊臣時代にも朝鮮出兵には断固反対したあたり、利家は戦闘力が
あっても戦争依存経済の領政を選択しなかったということ。

薩摩のよくやる侵略だの黒糖奴隷だののジャイアニズムなしで、
加賀を住み良く整えたのは戦の手柄以上の功績だと思う。
0574名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/12(月) 03:00:01.84ID:Y5mhYmbT0
あの朝敵と罵られた会津からも後に高名な人材が排出されているのを見ると
加賀のソレはとても希薄に見て取れるw
まぁ〜名もなき事務レベルで優秀なのは居たのかもだが
0575名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/11/12(月) 14:19:15.45ID:Et9Lzrtk0
>>571
関ヶ原以降芳春院が利長に書いてる手紙に記載されてますが?
まさか知らんわけでないだろお前?

利長も子供や家臣にそれらのこと言っている文書も残ってますが
まさか知らんわけでないだろオマエ?w
0576名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/12(月) 21:28:43.73ID:jO/EWZyj0
幕末維新期に石川県士族がやったことと言えば、
思いつくのは大久保利通の暗殺。
川路利良なんかは事前に情報をつかんでいても
「石川県人になにが出来る」と高をくくった末の凶行だったそうだが。
他県人を見下すような鹿児島県人の悪い所が出てるとは思う。

しかしそれを差し引いても、
暗殺犯たちは、時代に遅れてやって来た人たちだな、とは思う。
0577名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/12(月) 22:20:19.99ID:0ZvXxzvw0
犯人たちは征韓論信者で鹿児島の私学校に滞在もしている
テロとはいえ
萩の乱→西南戦争→紀尾井町の変
という流れで起きた("加賀の乱"とでも言うべき)小さな内戦であった
0578名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/13(火) 02:52:17.62ID:+FUOASLF0
歴史に対する影響力としては、
「桜田門外の変」の方がずっと大きいが、
それでも「桜田門外の乱」とは言わない。
「桜田門外の乱」なんて言ったら笑われる。
>>577は歴史音痴。
0580名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/13(火) 06:15:37.79ID:XEjGxo4B0
最後の仇討ちも確か加賀だっけか?当時の執政・本多家の当主殺害に於ける本多家家臣VS加賀藩士w
0581名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/13(火) 12:44:21.31ID:IjYkrL3A0
西郷隆盛と鋭く対立した人たちってみんな後日反政府右翼に暗殺されてるんだよな

大村益次郎
大久保利通
大隈重信(右足切断)

大隈に爆弾を投げつけたのは右翼団体玄洋社の関係者
玄洋社は西郷神格化本「西南記伝」の刊行元黒龍会と同じ一派
こういうところで点と点がつながる
0583名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/13(火) 23:59:11.37ID:xy0SJlsE0
そんな大げさなものではありませんけど
西郷神格化と反政府右翼の狂気じみた活動は同根であるということです
同じ人たちがやっていた

ところで、この反政府右翼が刊行した「西南記伝」は西郷が最期まで戦い立派に自決したという伝説を創りましたが
その一方で、桐野が西郷を銃撃したと証言した"城川市二"の名前がこの「西南記伝」にはどこにも出てきません
城川の親友であり一緒にカゴを担いでいた小杉恒吉衛門の名前はしっかり出てくるのに城川の名前だけが無い

たぶんですけど「西南記伝」が刊行された明治42年ごろも城川説というのは存在していて
しかし不名誉な死に様ゆえに目撃者の城川市二の名前ともども無かったことにされたのではないかと思います
それくらい不自然なのです、城川市二の名前だけが無いというのは・・・
大隈重信に爆弾を投げた狂信的な右翼ならそのくらいの"検閲"はやると思います

>>539のように城川は生涯悔しさのようなものを心に持ち続けたようで、その原因は自分の目撃した西郷の最期、そして自分の存在さえも無かったことにされた
戦火の中を命をかけて別府晋介や西郷に最後まで付き従ったのに、その自分の名前も葬られた
ということに起因しているとすれば納得いきます
0584名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/14(水) 04:41:43.32ID:XJp9eg5C0
西郷ageはキモチワルイ。
只人を神格化するなら、もうちょっと瑕疵の目立たない経歴の人物にして欲しい。
0585名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/14(水) 12:40:23.75ID:5JaHvrCr0
>>583
なぁーんだ。
「点がつながった」というから、新資料があるのかと思ったら、
昔のテンプレの焼き直し。「スレ主=無能の証明」ですな。
結局、竹崎櫻岳「肚乃西郷」と片岡吾庵堂「横目で見た郷土史〜言いたい放題でごめんなんせ〜」しか
資料は無いんでしょ。
それとも何か隠し玉があるというなら、ぜひ知りたいです。わくわく。
0586名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/11/14(水) 15:54:55.15ID:vfA+N4ed0
>>584
新興宗教において神格化されてる"教祖"の実態がほとんど例外なくエグい人物であることを考えれば
神格化というのはそういうものなのかも
共産主義の"英雄"たちの神格化もね

そんな神格化された西郷像が、日本人のあるべき姿、理想像のようになっていた時代もあったわけでその弊害は大きかったと思う
"負けると分かっていても戦わなければならない時がある"という精神論が日本人は好きですが
そのモデルの一つは明らかに西南戦争の美化ですよね
美化された西南戦争は、太平洋戦争下の日本軍による無謀で意味の無い作戦の連発という事態の精神的な背景の一つになっていたと思います

本当に西郷や桐野たちが負けると分かっていて、しかしそれでも戦わなければならない時が男子にはあるのだ
と思って西南戦争を決起したのならまだいい
それを顕彰しようとする者も出るでしょう

しかし西南戦争の実態は、負けるつもりなどさらさらなく、単純に自分たちの無能さからくる甘い見通しで
薩摩士族全員出撃というわけのわからない決起をしただけであった
敗色が決定的になっても間違いを認めず、その歪は現場に押し付け戦死者を山のように出した日本史上最大規模の愚行
それが西南戦争の本当の姿です

このような愚行を「男には負けると分かっていても戦わなければならない時がある」などとすり替え、西郷や桐野を美化していたらそりゃアメリカに負けますよ

右翼や西郷信者の罪は重いですね
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