>>128
>1906年 露清間に結ばれたキャフタ条約(1727年)に基づき、ロシアの軍測量隊はハルハ河を境とする地図を作成した
え? 当時の満蒙境界は清の内政区分だよ。
露清国境の一部を取り決めたキャフタ条約なんか、清の内政区分である満蒙境界に全く関係がない。
外国が勝手に作った他国領内の地図に何の意味があるのかな?

>1918年 中国軍がハルハ河を国境とする地図を作成
国境線を決めるのは政府であって軍ではない。
つまりこれは軍部の作った私製地図でしかない。
満蒙境界については清朝政府の公式認定が存在していた。

>日本軍はシベリア出兵でソ連側の地図を獲得した。同地図にはハルハ河を国境としていた。
だから、外国が勝手に作った地図の何の意味が・・・
と言うかさ、竹島を韓国領、北方4島をロシア領とする外国が勝手に作った地図が存在するが、
それが日本領っである事の否定材料にされて良い訳?

結局日本は、なんの正当性もなく根拠になりえない地図を元に、ハルハ河が境界だと勝手に思い込んだに過ぎない。

>1932年 ソ連は従来の国境線を通告無しに突然変更した。
そもそも、ソ連の国境じゃないんだから、ソ連が変更なんかできない。
ソ連の間違った思い込みを、当事者であるモンゴルに違うと言われて改めただけのこと。
つまりはソ蒙間の問題であって、日本に通告も何も関係がないのだから必要ない。

ソ連の見解なんざ、満蒙境界に何の意味もない。
ソ連(日本も)は当事者ではないのだから。
国境線の主張はあくまで当事国同士でなされるべきものであり、モンゴル側は1734年以来のハルハ河東岸の境界線を踏襲し、清帝国も中華民国もそれを踏襲してきた。
ところが、東3省が独立して成立した満州国(実質は日本)は、従来の行政区分を超えてハルハ河まで自領を拡大する形で国境だと主張した。
国境(境界線)を一方的に変更したのは満州国(日本)であり、まさか日本の脳内で異なる国境(境界)線が引かれていようとは思いもよらなかったのがモンゴルなのだ。
この事実誤認は満州里会談などで指摘され、日満側も調査して真実を掴んでいたのだが、面子と領土欲からか、隠蔽して、ハルハ河が国境との主張を続けていた。

だから、
>日本軍がそれを知らされたのは、ノモンハン事件が起こってから敵の20万分の1の地図を手に入れたときであった。
> それまでハルハ河東岸に国境が変わっているなど考えても見なかった。
は現地部隊ではありえる話だが、関東軍司令部や政府レベルでは周知の話だった。