>>135
> 都合の悪い情報は一切隠匿して、ハルは河を境界だと主張したのが事実。
> その辺は、北川四郎『ノモンハン、元満州国外交官の証言』〜など、日本側当事者が書き残している。

では北川四郎氏の発言を引用。同氏は満州里会議(第一回は1935年、第三回は1935年、ここで決裂)に出席。

「帝政ロシアがハルハ河を境界とした理由は1727年のキャフタ条約の”山が有れば山、河が有れば河をもって国境とする”という国境画定の基準」

「それから七年目にホロンボイルと外モンゴルとの境界が造られたが、そのときに〜ロシアはハルハ河を境界とした」

「ハルハ河国境が何時変わったかというと、1932年〜34年にモンゴルがソ連に要請して測量してもらったときのこと。これを日本軍は全然知らなかった。ノモンハン戦争で地図を分捕って始めて気づく。」

元国境確定委員会補佐員 北川四郎談 「ノモンハン・ハルハ河戦争」より

当初はモンゴル人などろくに相手せず、後になって勝手に国境線を書き換えたソ連が悪い。問題の根本原因