>>377
捕虜の送り先は目と鼻の先の中州の草鞋洲(八卦洲)。
小舟で十分。


板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より
一九八三年に筆者が聴取した、当時第十三師団作戦参謀・吉原矩中佐の証言によれば、鎮江で渡河準備中の師団司令部では、「崇明島」に送り込んで自活させるよう命じたという。
崇明島は揚子江河口の島だが、草鞋洲の記憶違いとすれば、正に「島流し」 ( 栗原スケッチの題 ) である。
(P194-P195)