>>436
出た出た
否定派名物『無脳な働き者』
栗原証言わ出したということは南京事件は大虐殺で決定ですね

栗原証言の続き
捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ、掃虜たちも矛盾に気付いていた。川中島へこの大群を移送するといっても、それらしい船など見えないし、川岸にそのための準備らしい気配もないまま日が暮れようとしている。それどころか、捕虜が集められた長円形状のかたまりのまわりは、川岸を除いて半円形状に日本軍にかこまれ、たくさんの機関銃も銃口を向けている。このとき田中(栗原)さんがいた位置は、丘陵側の日本兵の列のうち最も東端に近いところだった。
あたりが薄暗くなりかけたころ、田中(栗原)さんのいた位置とは反対側で、捕虜に反抗されて少尉が一人殺されたらしい。「刀を奪われてやられた。気をつけよ」という警告が伝えられた。田中(栗原)さんの推測では、うしろ手に縛られていたとはいえ、さらに数珠つなぎにされていたわけではないから、たとえば他の者が歯でほどくこともできる。危険を察知して破れかぶれになり、絶望的反抗をこころみた者がいたのであろうが、うしろ手にしばられた他の大群もそれに加われるというような状況ではなかった。
一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
半円形にかこんだ重機関銃・軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。