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> 遠藤高明陣中日記
> 12月16日
> 捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出し1に於て射殺す
> 12月17日
> 夜捕虜残余一万余処刑の為兵五名差出す

つまり殺害は「第一大隊」とw
第二大隊の大寺隆上等兵、杉内俊雄少尉、柳沼和也上等兵、新妻富雄上等兵、遠藤高明少尉は殺害と無関係という事だなw
小野の日記で第一大隊の所属は「伊藤喜八 上等兵」と「宮本省吾 少尉」と「中野政夫 上等兵」の3名のみw 
実際、柳沼和也、大寺隆陣中日記は《語って居たw》《そうだw》という事で唯の伝聞w

> 本間正勝戦斗日記
> 12月16日

放火した捕虜に対して警告していた「最後の手段」が実行されただけw

宮本省吾 陣中日記
十二月十四日
夜半又々衛生隊が二百余の捕虜を引率し来る、巡警二百余もあり隊長もあり相当訓練的にて人員をしらべる等、面白き事である、少佐とか参謀とか云ふ者もあり通訳より
「日本軍は皆に対し危害を与へず唯逃ぐる事暴れる様なる事あれば直ちに射殺する」
との事を通じ支那捕虜全員に対し言達せし為一般に平穏であった、唯水と食料の不足で、全く閉口した様である。

十二月十六日
食事中俄に火災起こり非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、(以下略)

しかも第三大隊の中隊の半数は入城式で不在w
さらに本間正勝本人は「自分ハ休養ス」という事で殺害の実行どころか現場にすら行っていないw

> 菅野嘉雄陣中メモ
> 近藤栄四郎出征日誌
> 黒須忠信陣中日記
> 目黒福治陣中日記

小銃を持たない砲兵で護衛に行っただけだったり、普段武装していない補給整備要員の段列兵なんですがw
しかも「処刑」のはずなのに日本軍に死者が出るという不思議w

伊藤喜八郎「我軍に戦死十名、負傷者を出した」
中野政夫「小隊員中××××、××××ノ両名歩哨服ム中、敵敗残兵ノタメ手榴弾ヲナゲツケラレ負傷ス。」
宮本省吾「中隊死者一傷者二に達す」

菅野嘉雄にいたっては「自分ハ行カナカツタ」w

本人不在だったり、話を聞いただけだったり、日本軍に戦死者が出たりw
どこが虐殺の記録なんだよw