【最後の】徳川慶喜【将軍】
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徳川慶喜だけは有能か無能かで極端に評価が分かれやすい 徳川慶喜
「長州は最初から敵対してたか構わないが薩摩は途中から寝返ったから許せぬ」 徳川慶喜
「長州は最初から敵対してたから構わないが薩摩は途中から寝返ったから許せぬ」 徳川慶喜
「長州は最初から敵対してたから構わないが薩摩は途中から寝返ったから許せぬ」 幕府の限界を知り時勢は読めてたみたいだから有能ではある 倒幕なんて慶喜のおかげだからな
最大の功労者は慶喜 鳥羽伏見の戦いで板倉勝静に討薩への出兵を要求されたときに答えたのが
徳川慶喜「我が方に西郷、大久保に匹敵する人材がいるのか?」
これを理解してただけでも徳川慶喜は有能 >>5
長州の伊藤博文とは葬儀に参列するほど終生に仲良くしてたみたい 鳥羽・伏見で敗北したあと、圧倒的兵力を有しながら何故とっとと江戸に逃亡してしまったのか
日本史の分かれ目だよなあ
あそこで逃げ帰らなければ歴史は変わっていたかもしれない そこが不思議
内戦を避けるためか、幕府を生き残らせるためか、何だったんだろ?
下々はビックリしただろうな
総司令官が逃げたとなると 第二征長は幕府軍の志気上がらず実質敗北
そのやる気のなさは友軍の熊本藩もキレたという
鳥羽・伏見も圧倒的寡兵の薩長軍に完敗
大坂で迎え撃つにしても進発するにしても、三度敗北するのが見えたのであろう
それより江戸に戻って体勢を立て直せば自軍が負けるはずがないと考えたのでは
まさか西国と中部地方までの全ての藩(御三家から親藩、譜代に至るまで)が新政府方につくとは思っていなかったのかも
慶喜が逃亡する時点では、相当数の藩が佐幕方につくとの見込みは持てたけど、逃亡したことによってほとんどの味方を失ってしまった
では大坂で勝てたか?
それは誰にもわからない 朝敵になりたくないという水戸史学を学んでたのが大きすぎるね >>12
慶喜が戦ってたのは西郷と大久保なんだよな
大政奉還、小御所会議、 >>12
慶喜が戦ってたのはあくまでも西郷と大久保なんだよな
四侯会議、大政奉還、小御所会議、鳥羽伏見の戦いの流れ見たら長州も土佐も相手にされてない >>7
王政復古とかも薩摩だし
つか長州って慶喜からあんまり相手にされてないよ
西郷、大久保の名前は知ってたけど長州は多分慶喜から誰も名前知られてないだろ 薩摩は幕末の政局の最終段階のギリギリまで幕府の子分だったからだろ
幕府は長州と戦争やって負け時点で詰んでた
長州が勝ったのを見て薩摩は幕府の腰巾着から長州側に寝返ったんだしな 慶喜が将軍だったのはとっくに勝負が着いたあとの1年にも満たない期間
その3代も前の家茂の代に長州に負けて幕府は詰んでるし勝負は着いてる
長州は禁門の変、四境戦争と2回幕府と戦争して勝った
薩摩は長州が勝ったのを見て勝ち馬に乗っただけだしな 慶喜が将軍だったのはとっくに勝負が着いたあとの1年にも満たない期間
大して重要な人じゃないんだよ
敗戦処理ピッチャーでありケツ拭き係 >>21
第一次長州征伐で長州が降伏して、徳川が処分下そうとしてたのに参謀の西郷が勝手に穏便な処分で和解して、第二次長州征伐は薩摩から大量の新式武器を与えられて長州に同情的なやる気のない周辺の藩と小競り合いしてるだけやん
幕末って磯田が言ってるように「薩長土肥とか言ってるけど薩摩が中心にいてかき回してる」
ってのが正しいんだよ
幕末の話は枝葉末節が多くてわかりにくいけど、徳川と薩摩を中心に見れば分かりやすい >>23
徳川と本気で戦ったのは鳥羽伏見だけだぞ
他にも小御所会議とかドンパチ以外の戦いしてる
歴史知らなすぎ つか、西郷は第一次征長の決着なんて軽く考えていて、自分が取りなして長州を10万石に削減して奥州にとばすつもりだった 薩長同盟というのは対幕府の軍事同盟ではなく、互いに侵しませんという不可侵条約
四境戦争で薩摩は幕末方に与しないかわりに、長州の味方として参戦もしないということ
武器の購入を手伝ったが、その時点ではおそらく長州が勝つかはわからないので「様子見」といったところだろう >>22
>>23
自演か?
そういえばこの前やった渋沢栄一の大河、徳川目線の大河で、薩摩との戦いしか描いてなかったよね
徳川と薩摩だけの戦いにしたらわかりやすくなったって評判結構良かったらしい
あれは時代考証は磯田さんかな? 長州パートをやったら話がやたらややこしくなって複雑で長く時間取られるからやろ
薩摩だけなら明治改元のちょこっと前の
薩摩に裏切られました→幕府滅びました
でサクッと終わる 長州はずっと斗(たたか)ってきて多くの血を流したが、薩摩は土壇場の最終局面で寝返って美味しいとこ持ってただけの火事場泥棒だからな
実際に江戸で強盗や殺人や放火を働いたし 徳川目線の大河ドラマで長州出しても禁門の変と、長州征伐の割とどうでもいいのくらいしか出しようがないからな 維新史というものは大藩である薩摩藩と薩閥に配慮して、また長薩盟約の過大評価や西郷・大久保などの活躍を描かないといけないから無駄に薩摩が重要視されている
幕府Vs.幕府とずっと斗(たたか)ってきた長州という構図がスッキリするし正確だ
薩摩は長州のサポート役に過ぎない >>31
禁門の変では徳川と薩摩は悪役、第一次長州征討も徳川と薩摩は悪役、四境戦争でも徳川は悪役で薩摩は中立だからな
正直、禁門の変で久坂義助と来島又兵衛が散華するところと、四境戦争で高杉や木戸や大村が大活躍して幕府軍を倒すのはドラマで映画で刷(す)られすぎてて「またか感」があるのは認めるよ
長州国内でそういうドラマティックなエピソードは山ほどあるが、薩摩国内でなんかあったっけ?
せいぜい大久保と西郷の少年時代ぐらいか 長州というのは、幕末史における正規軍であり正義軍でありイケメン軍なのである
幕府と会津と桑名と新選組は悪役のフツメン軍、薩摩はサポート役の脇役、ブサメン軍なのである >>12
慶喜こそが幕府側で一番有能だったんじゃないか? 結果として薩長が勝ったからこそ(勝者が称えられる)評価であって幕府方に人材がいなかったかというとそういうことでもないと思うがな 徳川慶喜こそ幕府側一の人材だろ?
勝海舟も入れるならそうだが 徳川慶喜は30代後半以降の40年余りはスーパーニート >>38
幕府側の人材は今の幕府のままでダメだって考えだからね
結局自ら辞任(大政奉還)になる
倒幕は慶喜の自作自演 そう蝦夷地まで逃れたりして時勢が読めずに最後まで戦った奴らは本物の無能バカ
救いようがない屑どもよ
それに比べたら徳川慶喜の処世術は天下一品 緒戦の鳥羽伏見では幕軍がポンコツ過ぎて残念だったが、薩長と渡り合う覚悟を持って進撃していたらどうなっていたか 司馬遼太郎の最高傑作は『最後の将軍』じゃないかと思う時があるわ
本人も書いていて徳川慶喜がこれほど酒精度が高い人物だとは思わなかったとあとがきで語ってる >>51
勝てる戦だったけど、敢えて身を引いた印象 勝海舟
「長州に大村益次郎がいる限り幕府に勝ち目はなし」
戦っても勝てるわけがない 令和4年にもなれば大昔にケイキさんを実際に見たことある人はもう居ないか 徳川慶喜
「我が方に西郷、大久保に匹敵するものがいるのか」
板倉勝静
「いません」
徳川慶喜
「ならば勝てるわけがないから戦うのをやめた」 こういった感情にとらわれない冷徹な判断力はどうやって培われたんだろう >>62
負ける側にも知性が必要て事ね
昭和の軍に欲しかった・・・ 水戸藩以外から15代目将軍が選ばれていたなら薩長と全面戦争して
敵の実力が分からない対米戦争時の旧日本軍みたいに惨敗してたんだろうなw >>13
長州人の井上馨も大正時代まで同じ静岡市内で暮らしてたから徳川慶喜と顔を合わせた可能性が高い >>62
その有名な鳥羽伏見前夜の言い回し
俺は大好きw
今後の行く末を全て言い当てたようだw >>62
その有名な鳥羽伏見前夜の言い回し
俺は大好きw
今後の行く末を全て言い当てたようだw 薩長が勝ったのは近代兵器で優勢だった時くらい
幕府の近代兵器装備した歩兵部隊とは長州征討の時から互角
東北諸藩にも近代兵器の装備が遅れてたから勝てたようなもん
近代兵器装備していた長岡藩や庄内藩には苦戦してる
まともに徳川と戦えば勝ち目はない >>62
鳥羽伏見の戦いの前夜での徳川慶喜の言い回しは
あらゆる日本史の名場面の中でも特筆する 徳川慶喜の鳥羽伏見の戦い前夜の演説。
王政復古の小御所会議。
明治六年政変での西郷と大久保の論争。
この三場面は日本史全体の中でも名場面中の名場面。 慶喜は戦争が苦手
第二次長州征討の時もフランス式の近代化した軍隊で攻めると息巻いてたのに
小倉が陥落すると弱気になり止めた
攻めてれば国力差で幕府が勝っていたろう >>74-75
徳川慶喜も西郷、大久保に引けを取らない大政治家にして大役者だったのであろう それだけ、ならぬことはならぬで思考停止状態の会津藩が時代遅れのバカだったということだな 慶喜クズ扱いしないやつはダメなやつ
ただ怪物政治家だったのは間違いない 数多くの問題を抱えながらも幕末では一番好きな人物かもしれないw 一応はウイキペディアにも書いてあるけど
周りにいた記憶じゃないか?
板倉勝清とか従者の 慶喜は時勢は読めてたみたいだからバカではない
むしろ賢人の宰相 自分が時勢を作り出す中心なのは知らなかった
慶喜次第でどうにでもなった どうあがいても薩長に勝てないことを理解してたのは偉い大政治家 負けてうまく纏める道を選んだと取るか、チン逃げたと取るか。 晩年は大久保利通の伝記を読みふけたり最後まで意識してたみたい 怜悧な政治家として通じるものを感じたのかもしれんな 小栗や川路や永井等々、優れた人物は沢山いるよ
数多いる優秀な幕臣を新政府は大勢取り立てているから、無駄に戦争を長引かせず幕を引いた慶喜の功績は大きい 北海道をフランスやロシアに売り渡そうとした小栗は最悪の売国奴
永井や川路も優秀だが小物すぎる 慶喜は新政府との武力衝突を避けようと苦心してたのに、
馬鹿な小栗は開戦を煽って、その結果鳥羽伏見で負けて逆賊にされてしまったからな
慶喜からしたら一番足手まといなのが小栗とか滝川だろう 旧幕臣は優秀な官僚が多いけど小物感が漂いすぎる
西郷や大久保みたいなバケモノがいないと徳川慶喜自身が語ってたじゃないか >>127
蝦夷地の鉱山開発権を担保に仏蘭西からの借款を計画したのは慶喜だと、英雄たちの選択では言われてたな
実際どうだったんだか
>>129
久光の頭を飛び越えて動いてしまう奴等と比肩するのは、大阪城で慶喜を殺してでも徹底抗戦だと主張する危ない連中にしか見出せないかもな
小御所会議で主導権握ってて優勢だったのに、慶喜の静止を聞かずに京へ進軍した面々が間抜けで緒戦を落としたのが痛すぎる どうあがいても薩長に勝てないと理解してた徳川慶喜は有能 旧日本軍に代表されるような、本心では無理だと思いつつも忖度して誰も言い出せない悲惨な空気
現在の日常でも頻繁に見られる光景だが、慶喜はそういう意味で思考回路が日本人離れしてる 徳川慶喜と勝海舟だけは偉いよ
他の佐幕派は無能ぞろいだが 一流の人間の条件とは自らが暴風雨と化して歴史を作れるのである。
それが19世紀の日本では西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、三人だけ。 超一流 → 西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視
一流 → 坂本龍馬、高杉晋作
超二流 → 木戸孝允、井上馨 西郷隆盛と大久保利通を超一流と見抜いてた徳川慶喜と勝海舟もまた超一流かもしれない 英雄は英雄を知るというからな。
薩長に徹底抗戦した一部の幕臣は『孫子の兵法』でいう敵も己も知らなかった無能バカども 大久保や西郷は慶喜をどう見てたんだろうか
桂小五郎が家康の再来と言ったという話はあるが 慶喜が戦争する気なら十分勝てたろう
大村もとても勝ち目がないと言ってたし
勝もありゃこっちが負けてやったのさーとか言ってたような
そこに気づかなかったから西南戦争で薩摩が立ち上げれば勝てると西郷も自信過剰になり結局大量の百姓兵負けた >>139
英雄は英雄を知るのさ
慶喜の人物観察眼は見事 >>140
特に何も感想は漏らしていないが
生かしといたところを見ると利用価値は高かったのかなと 科学技術や政治、社会システムなど何でも欧米を見習えの時代
南北戦争の戦後処理を参考にしたとか
南部連合大統領ジェファーソン・デイビスは逮捕されたがあっさり自由放免 南軍総大将リーも戦後直ぐに恩赦で自由に
南北戦争終結は戊辰戦争の直前
新政府が慶喜は城地没収身は切腹などとやったら欧米列強に蛮族扱いされかねない 大政奉還や江戸城無血開城した慶喜を殺す動機もない
維新最大の功労者は慶喜
戊辰戦争なんて薩長が権力握りたいわがままでやっただけ
だから他の藩もどこも士気が低かった 前政権の最高権力者の末路
平宗盛斬首、北条高時自刃、足利義昭天寿、豊臣秀頼自刃 武装解除して恭順示してる奴殺すとか野蛮人かよってイギリスからもクギ刺されたみたいだし イギリスは殺さなくても無力化さえしてしまえばいいという考えだな
ナポレオン派セントヘレナへ バハドゥールシャーはビルマへ
基本反逆者や敵は島流し 日本の佐渡隠岐八丈島のスタイル 佐幕側が超無能しかいないと見抜いてたのだけは立派で偉いぞ慶喜w 佐幕側が超無能しかいないと見抜いてたのだけは立派で偉いぞ慶喜w まさに『己を知り敵を知っていた』のが徳川慶喜は大政治家 >>148
西郷辺りは殺す気満々だったしな
それにしても大阪の半ば暴徒化した幕軍を無力化させて穏便に降伏謹慎する手腕には目を見張る
慶喜嫌いのアンチからは敵前逃亡だのヘタレだの散々言われるが、本当にただの臆病者なら数を頼りにズルズルと戦を泥沼化させただろうに 何度も書くが幕府側で人物は
徳川慶喜と勝海舟だけよ
他は全員が無能の馬鹿どもよ屑ばかり 開戦を認可してしまった昭和天皇と
開戦を認可しなかった徳川慶喜
後者の方がはるかに賢い 薩長が悪いだけ
大政奉還した慶喜を朝廷の会議に呼ぶべきだった
それ所か領地返納しろだの挑発だのやらかして
大政奉還に尽力した永井もそれに怒って函館まで戦った
日本の事を考えた慶喜と
自己の利益を考えてた薩長の違い 北海道を外国に売り渡そうとした会津藩と小栗上野介は売国奴だ
誅殺されて当然
薩長こそ日本の利益を第一のみ考えてたからこそ自藩の世襲大名を廃止した
こんなこと佐幕藩では無理だった
佐幕藩は日本よりも世襲大名を守ることのみを市場としていた 北海道を外国に売り渡そうとした会津藩と小栗上野介は売国奴だ
誅殺されて当然
薩長こそ日本の利益を第一のみ考えてたからこそ自藩の世襲大名を廃止した
こんなこと佐幕藩では無理だった
佐幕藩は日本よりも世襲大名を守ることのみを市場としていた 北海道を外国に売り渡そうとした会津藩と小栗上野介は売国奴だ
誅殺されて当然
薩長こそ日本の利益を第一のみ考えてたからこそ自藩の世襲大名を廃止した
こんなこと佐幕藩では無理だった
佐幕藩は日本の国益よりも自藩の世襲大名を守ることのみを至上価値としていた >>153
あれ以外に全面衝突を避ける手はないもんな
文句言ってる連中はあれがどれだけ神ががった一手なのかわかってないと思うわ >>157
勝手にせよ発言は認可してしまったとも捉えられるけどね
評価が分かれるところだが、なりふり構わず早期収束を図ったのは個人的にグッド
>>158
慶喜の議定就任は内定してたでしょ
お互いの部下たちが暴発しまくってたのが原因
>>162
後世までずっと汚名を背負うことは誰の目にも明らかだが、それも含めての決断なんだろうね
第二次長州征討の幕引きや神戸開港勅許の引き出しでも見られるように、目的達成のための手段が常人離れしてる
その辺りが二心殿と揶揄される所以であり、部下の立場からすればたまらんだろうけれど 武士道的には意見を変えず貫くことがいい事のように言われるが君子豹変す
情勢を見て対応を変えるのは政治では当然のことでそのまま惰性で突っ込む方がどうかしている
慶喜はまさに君子であった まもなく明治天皇170年記念
徳川慶喜も晩年は宮城で明治天皇に拝謁してる そもそも慶喜を京都に呼んでれば佐幕派も激怒せず討薩など考えなかったろう
徳川も薩摩も互いに領地を朝廷に返還で廃藩置県
以後イギリス型の議会政治へとスムーズに行った
藩閥を形成した戊辰戦争は不要だった 会津藩が意地を張りすぎてバカすぎて無能すぎたんですよ >>169
さすがに慶喜も新政府に恭順しない会津藩を見捨てた形になったわな。 >>168
今まで主流派だった連中をコテンパンにして自分たちが政治の実験を握りたい連中だから
平和裡に解決することなんて望んでなかったと思われる
薩摩の江戸での狼藉三昧なんて酷いものだったし >>171
あそこまで会津が意地っ張りの馬鹿だと匙を投げるわな >>165
明治の日記念。
明治天皇に直に許されたのは慶喜だけ。 上野の山に行ってきた
あの辺りに遺体が放置されてたんやな
拝んできた 長州閥の巨頭である井上馨も晩年は徳川慶喜と同じく今の静岡市内で暮らしてた。
どこかで挨拶ぐらいはしてたかもしれない。
しかも両者とも渋沢栄一を部下に持つ共通点がある。
渋沢栄一が引き合わせた可能性も考えられるではないか。 最後は泥棒に入られたとかで東京に引っ越してきたんですよね >>181
元幕臣で明治政府に入った人は大抵が両方の知り合いじゃなかろうか
榎本とか大鳥圭介とか >>187
どちらにしろ南紀派の井伊直弼が殺された時点で倒幕のシナリオは避けられなかったからな、
上手くソフトランディングさせた方じゃないかね 新政権も引き続き徳川主導で進めようとギリギリまで粘りつつ、それが無理になった瞬間これまた許されるギリギリのタイミングで恭順して命脈を保ったイメージ 最後の謀略戦で大久保利通に負けたな。
それでも向こうは暗殺されて徳川慶喜は平和に生き延びたが。
晩年は大久保利通の伝記を読み漁ってたみたいじゃないか 歴史の表舞台から退場したのが若い時分過ぎて死去時にまだ生きてたのかと驚かれる
慶喜はその好例だろうな ケレンスキーとか張学良などはお仲間 >>69
紀州から選ばれてたら紀州が戦火になってたシナリオもあり得る
藩内家臣団内で水野派と、山中派で対立してたから 江戸期最後の元号が慶應なのと家慶、慶福、慶喜と歴代将軍のは慶の字が被るのは偶然なのだろうか
朝廷が気を遣って候補から慶の字のある慶應を選定したとかいう事はあるのだろうか 二心殿とか敵前逃亡とか色々言われる人だけど、この人の行動原理は一貫して勤王第一でそこは生涯決してブレなかったと思う 徳川幕府が20世紀まで続いてたならロシア帝国や西洋列強に何ら対処できずに清王朝みたいに大国に分割統治されていた可能性が高い
その先が読めていた徳川慶喜は一流だともいえるが >>199
尾張藩主義直が勤王論の基礎を築き、水戸藩主光圀が勤王論(水戸学)を完成させ、光圀の系譜である慶喜が勤王第一を貫いたのもある種の因果だな。 徳川慶喜がルイ16世にならずに済んだのは木戸孝允の政略としか言いようがない 結局戊辰戦争が一番要らん
大政奉還した慶喜の功績を評価して朝廷に呼んで廃藩置県すれば良かっただけ
そうすれば藩閥政治もなかった ロシア革命でのニコライ2世みたいにならずによかったな。
ロマノフ王朝300年と徳川幕府260年は近くて重なる部分が大きい。
それもこれも木戸孝允の功績なのだ ニコライ2世が大政奉還してれば反帝政派にも評価されたろう ロシアはボルシェビキ政権の前にメンシェビキがいたからな
ケレンスキーが権力を維持できていればロマノフ一家の運命もまた違っていた >>202
わりと長州人とは最後まで仲良かったみたいだ >>201
徳川斉昭が幕政に関与するために方便として勤王論を使ったことで幕閣が国政に関する事を朝廷や諸大名に相談し始めた事が幕藩体制崩壊のトリガーを引いたんだけどね
最初は開国について、ついで将軍継嗣、更に参勤交代の緩和廃止まで
最初は仲良しサロンで済ませるつもりが公職を作ったが為に幕閣は諸大名に政策の相談をするのが当たり前になった
それを元の状態に戻そうとした井伊大老を親藩の藩士までが加わって暗殺
最後は武力やぞ、っていうところまでいった事で幕府も開き直って武力による長州征伐もカウンターとして起きた
一度こうなるともう大政奉還や将軍退位、宗家降板でももう武力征伐以外に最終決着はつかなくなった
慶喜が戊辰戦争最初の鳥羽伏見敗戦後完全に逃げの一手に徹したのは賊になりたくなかったからじゃなく、単純に命が惜しかったからだろう
討幕の密勅による薩摩のうっちゃりが既にあって薩長が天皇を推戴する官軍になるのは鳥羽伏見の戦いが始まる前に分かっていた
もし賊になりたくないというのが本心なら鳥羽伏見の戦いが起きないように幕軍を先に撤退させているよ
こんなの新書レベルでもちゃんと解説してあるのになぜ学問板で話題になるのか理解できんわ そもそも水戸は北条残党の中山や最上騒動で失脚した山野辺を重臣に据えてる時点でかなり異質な藩だわな 慶喜はまだ幾らでも戦う事ができた
大阪城で防戦する事も優勢な海軍を使い好き勝手薩長を砲撃する事もできた
それに負けてもまだ関東で割拠することもできた
日本の為にわざと負け役に徹しただけであろう
有名な坂本龍馬も大政奉還の決断に感動して泣いたくらいだ >>210
それどの資料にどういう風に書かれているの? >>211
なんでいろんなスレに短文疑問だけ書くの?
反論があればすれば 単純に疑問だから
史料的に全くそんな話を見た事がないからどの史料にそんな事が載っているのか知りたいとかそういう事 数だけ多くても近代戦に適応できなかったのが幕府軍
会津戦争でも証明されてる
もし戊辰戦争で旧幕府軍が勝利したいなら装備で劣る旧幕府軍は歩兵数が官軍の最低10倍以上は必要 >>199
まさしくそれ
>>208
>慶喜が戊辰戦争最初の鳥羽伏見敗戦後完全に逃げの一手に徹したのは賊になりたくなかったからじゃなく、単純に命が惜しかったからだろう
西郷が慶喜の嘆願書を真に受けてあっさり処刑される未来もあったりして
でも命を惜しんでるような感じにはあまり思えないんだよなあ
>もし賊になりたくないというのが本心なら鳥羽伏見の戦いが起きないように幕軍を先に撤退させているよ
それが出来れば良かっただろうし本人もそうしたかったのかもしれんが、現実に幕軍を撤退させるのはかなり困難だろうね >>215
将軍職を退いていても幕軍の司令官は慶喜
難しい訳がない 大勢の部下を残したまま大阪城から逃亡して徹底恭順
あんな形で戦争を最小限に抑え込むなんてマジで神がかり的な一手だと思う
普通あんな状況であんな行動考えられないし考えたとしても実行する勇気は出ないし仮にやっても普通は失敗しそうなものなのに 鳥羽伏見の前に撤退してたら良いだけの話なのにそれをしなかったからだよ
因果関係の認識がおかしい 結果が奇跡的なことは間違いないだろうが、意図してやったことかは議論があるわな >>216
慶喜を殺してでも一戦交えようとする輩がいる幕軍を、司令官だからと言って完全制御するのは難しい
最悪、自分が殺されて幕軍が暴走し内戦激化
>>217
そのおかげで現在に至るまで敵前逃亡のヘタレという不名誉なレッテルを貼られるわけで
本人は覚悟の上なのだろうが凡人には到底無理
>>221
明治期の徹底隠遁も勝の影響が大だしね >>222
慶喜暗殺したらますます恭順の意を見せた分官軍の攻撃に正統性が生まれるから江戸和平もできないし史実以上に譜代、親藩、外様が官軍に付くよ
官軍側は慶喜が恭順の意を完全に示したことで鳥羽伏見開戦に踏み切れなかったのがより早い段階で行われる
つまり君が示した慶喜が暗殺された場合は慶喜は死去、戊辰戦争がよりアッサリ終わる可能性が高くなる
慶喜が賊になりたくなかったという証拠には全くならない上に史実の流れがより官軍側にとって願ったり叶ったりの方向にしか流れない仮説だということ
そしてそれが慶喜が賊になるのを恐れていたから鳥羽伏見の戦いの後にすぐに逃げたという主張を否定している
自分で自分が主張した論を更に否定したという事だ 鳥羽伏見は慶喜が功績あるにも関わらず
新政府に呼ばれずに領地返納を要求されたり薩摩側が江戸で狼藉して徳川方がキレたのが原因
それで慶喜でさえ軍隊の勢いを止められなくなった
長州の禁門の変や西郷の西南戦争も似たようなもの
徳川と薩長が徹底的に戦ってたら徳川が勝ったろうね国力が薩長の何倍も上だから
西南戦争でも武士最強と言われる薩摩隼人は結局兵力と物量に押され百姓兵に負けたからね 鳥羽伏見の戦いでは旧幕軍は正規軍勢揃い
で官軍側は薩長と土佐の一部のみ
装備では薩長が新式を備えていた
旧幕軍も新式装備になっていた5000を含んでいた
単純に主力の戦力だけで五分
ただ旧幕側は会津桑名も火力は新式で数千の歩兵、騎馬もあり搦手からの一撃だけでもあっさり敵陣を分断して即日撃破も可能なぐらい旧幕府側が有利
これで勝てない旧幕府軍が箱根までの戦いで勝てる戦局が一つでもあった?
なかったでしょ
戦えるのに戦わなかったのではなく一番勝てそうな状況で勝てなかったのだからこれから先はもっと勝てない
だから逃げた
それだけ
もし鳥羽伏見以上に勝てる機会があったのにそれでも慶喜が後退していったというならそれは賊になりたくなったとか日本国内での抗争を最小限に留めたかったというのなら分かるんだけどね
鳥羽伏見での敗戦と慶喜の江戸逃亡はは慶喜自身の軍司令官としての資質の無さと命惜しさの表れでしかない 鹿島茂「嫌われ者リーダーの栄光」
徳川慶喜こそ近代日本最高のリーダー >>225
鳥羽伏見は徳川方はそもそも戦争になると思ってもなかった
薩長の先制攻撃による奇跡的勝利
薩長さえ本来は負けると思ってた
徳川は大阪城で仕切り直して旧式装備の兵士に新式銃買って配れば良いだけだし やはり徳川慶喜の小説だと司馬遼太郎の『最後の将軍』を超える作品はない
他の作家も書いてるがどこか物足りなさを感じる 司馬遼太郎は徳川慶喜こそ19世紀の日本では最大の政治家だと街道を行くで語ってる 親類同士の争いで幕府の初代(家康)がのし上がり、親類同士の争いで幕府の最後(慶喜)が終わらせる。
ある意味徳川らしい歴史 >>223
命が惜しかった云々というのは君が慶喜に投影したイメージでしかないのは、後日官軍宛の書状でも明らか
あと慶喜が死去してアッサリ終わるというのも可能性の話としては面白いけど、情報が錯綜して裏目が出ることだってあり得る
ところで本題の>>216で断言していた、慶喜が最高司令官だから幕軍を撤退させるのは難しくないという根拠を聞かせてほしい
慶喜の経歴や将軍就任までの経緯を考えると、到底そうは思えないのだが 最近は慶喜の見直し論が強まってるな
頭が良すぎて薩長との戦いを回避したとか
確かに泥沼の内戦を回避できたのも慶喜の功績だが 実権持ちたい斉昭がチャチャいれて空中分解した幕府を、明治維新までずっとケツ拭いてたのが慶喜でしょ。 >>226
読んだが腐りきった江戸幕府を滅ぼすには大政奉還しかなかったと
それを実行した徳川慶喜こそ近代最高の政治家 たしかに戊辰戦争で総力戦やれば腐りきった江戸幕府が勝利できたかもしれない
そして腐りきった江戸幕府が21世紀まで続いてしまって日本は大国に蹂躙されて自滅さ 江戸幕府が勝ってたら日本は滅びてたさ
それを理解してたのが徳川慶喜だが 藩主の嫡子が江戸詰めする事が多かったからか幕末は大半の藩主の存在感が無くなってて、藩の重臣連中の言いなりになってた藩主が多かったな。 >>241
幕府が勝ってたら、西周草案によるもっとまともな近代化してただろう
アホみたくアジア侵略する歴史もなく、日本も敗戦ですべてを失うこともなかった >>239
側近の板倉が有名とはいえまだ一藩士の西郷、大久保の名前を慶喜が知っていたのには驚いたらしい。
かなりの情報通 >>244
唾はくように嘘つくな
徳川時代は、朝鮮は友好国
江戸時代は外国との戦争がなかった世界に誇れる平和国家
侵略し始めたのは、外国嫌いの知恵遅れ長州や
西郷の征韓論の妄想のせい
戦争犯罪人薩長テロリストを美化すんな 戦争は徳川や薩長よりロシアの南下がどうなるかが大きい
日露戦争前ではロシアは満州から朝鮮北部まで進出していた 外交音痴の徳川幕府体制ではロシア帝国にも米英にも何も対処できないって
実際に薩長閥支配でこそ日本と米英関係は最高潮で日露戦争にも勝利できたんだから
その後に鬼畜米英と叫び日本をぶち壊したのは東条、米内、板垣など旧南部藩を中心とした逆賊藩どもの子孫よ 徳川幕府の限界を知り大政奉還したのは徳川慶喜その人だが。。 徳川は西周の近代化案あったからそっちの方が議会制で三権分立されてまともだった可能性がある
薩長は戊辰戦争の分け前で藩閥が有司専制を行ったが >>245
城代家老出せるような重臣クラスの家ならともかく、知行100石以下の平士以下の有象無象の藩士なんて将軍だと普通は名前さえ覚えてないからな。 西周案
三権分立を取り入れ
行政権を将軍、司法権を各藩、立法権を各藩大名藩士により構成される議政院がもつ
天皇は象徴的地位 >>252
自藩の有名藩士であった坂本龍馬の名を木戸孝允に教えてもらい初めて知った山内容堂とは大違いだな
さすがは腐っても慶喜は征夷大将軍
外様大名とは格が違いすぎる 渋沢栄一にフランス行きを命じたり、倒幕派にも顔が効くって事で馬は合わないが勝海舟に江戸を任せたりと、人材の使い方もわかってる人 フランスは徳川幕府をイギリスは薩長を支援してたんだよな 徳川慶喜に比べると榎本武揚や小栗上野介は無能だったな 今でいうと東大卒の高級官僚に過ぎない小栗上野介は勝海舟も嫌っていたな 奥平昌服とか老中任せてみれば良かったのに
譜代だけど島津の男系だから敬遠されてたのかね 一説には征夷大将軍を排して日本国大君の名称で議会制の新生国家を目指していたとか。 >>259
この国は過去も今も国益より省益を優先させる高学歴のバカが多いからな 150年前ならともかく
現代の霞ヶ関の連中も全く変わらんよ そう考えると自ら最高権力者の立場を捨てた徳川慶喜は人間としては立派 幕府も将軍もあっさり辞めて
引退後は政治に関わらなかったのも常人ではまず不可能だろう 失権した権力者はそんなもんだ
南部連合のジェファーソン・デイビス、ドイツ第二帝国のヴィルヘルム2世、室町幕府最後の将軍足利義満、ロシア共和制のケレンスキーみんな最後は大人しく余生を過ごした
落ちてからガンバったのはナポレオン、担がれた溥儀などいるがなかなか復権とはいかん 写真の腕はプロには及ばないらしい
手裏剣の腕は免許皆伝レベル
とどっかで見たな
油絵の情報は忘れた 検索してみたが油絵だけは上手すぎるプロ級。
今年は大河ドラマと絡ませて没後110年記念展でもやるんだろうか? 引退が早すぎて過去の超大物君主のような雰囲気を出してるだけに
まだ110年しかたっていないのかと思う雰囲気もする 向こうではナポレオン三世も徳川慶喜のごとく再評価の気運が高まってるらしい。 亡くなったのが大正2年、江戸時代が終わって46年 翌年には第一次世界大開戦、日本も大国になり大正デモクラシーが始まる
終戦から46年といえば1991年、平成に入りバブル絶頂期
もう時代が全然違っていて、当時の人たちの亡くなった時の感想は将軍がまだ生きてたのか、じゃないだろうか 明治維新も敗戦もその後に人口が激増していて46年後は前時代を知らない世代が過半数になっている
ちょっとズレるが2001年に張学良が2003年に宋美齢が亡くなった時、まだ生きてたのかって思ったがそんな印象だったのかなと 最近まだ生きてたのかと思わされた大物はゴルバチョフ 土佐の田中光顕なんか江戸時代から二次世界大戦開戦年まで生きていた超人 徳川の一族は失脚したのが長命の感がある
家康の子の松平忠輝が92歳、結城秀康の孫の松平光長が93歳
江戸時代としてはちょっと異例の寿命
八丈島の宇喜多秀家が84歳というから、殿様やってるより閉塞や島流しされてる方が健康にいいのかと思うくらいだ
真田信之が93歳というからとりあえず信州の田舎暮らしは健康にはいいんだろうなと思う 異常にフランス贔屓なら戊辰戦争で支援してもらい戦えばよかったのに >>289
それをせずに戦いをやめたところが慶喜の稀有なとこなんだけどな
なかなか一般的には理解されないなあ フランスの直接的な軍事支援なんて受けたら大した戦力にもならない上日本中の反感買って袋叩きにされて歴史的評価もガタ落ち
慶喜公は後世の評価まで考えられる政治家だ 慶喜は教養として中国史には詳しいだろうから夷の軍事力を利用するなど下の下という事をよくわかっていたんだろう 親幕の露仏から支援もらえば米英が薩長支援に本格介入して日本が分割統治下に置かれてたかもな 輪王寺宮を担いであくまで抗戦となると、もはや第二次南北朝
水戸の慶喜には後世尊氏扱いされるなど耐えられない 実際に輪王寺宮を担いで徹底抗戦して逆賊の汚名を今日まで着てる一大勢力がいるからな トコトンヤレ節に逃走する関東武士というのが慶喜のことなんだろうが、こんな歌を歌い継がれるる屈辱に耐えられるところが大人物といえよう
その点抜刀隊は西郷隆盛以下賊軍をちょっと持ち上げ過ぎで不公平感がある 西郷軍は滅びの美学みたいのがあるんだろうが
大勢の武士や民衆を巻き込まなかった慶喜のが大人物だと思うね
慶喜も普通に新政府に入ってほしかったね 入らせないのが助命の絶対条件だったんだろ
勝海舟ですら徳川は政治には関わってはならないと16代目の家達に戒めていた 明治政府が不安定だったら反政府派に担ぎ出された可能性もある
ドイツのヴィルヘルム皇帝の一家はドイツ革命後オランダに亡命したが、皇太子のヴィルヘルムは政治活動をしないという条件でドイツへの帰国を認めてもらった
でもすぐ約束を破って政治活動を始めてしまった ワイマール共和国は政治的に極めて不安定で、守旧派の貴族の力も強かったからね
でもそんなことにならなくて良かったよ >>299
公家たちが無駄な警戒してたりかつての徳川側の武士が慶喜を恨んでたり 不安定化しなかったのは旧幕臣を静岡に移住させて茶畑農業をやらせた勝海舟の偉業 徳川慶喜さんフランス贔屓はイギリス贔屓の薩長に対抗する意趣返し 慶喜の徹底恭順やその後見ると
慶喜が大政奉還したのを評価し新政府に入れるべきだったね
戊辰戦争は不要だったし三傑より一段上の人物に見える 慶喜が三傑より優秀ならそもそも長州征伐は成功、大政奉還は不要、討幕の密勅のクーデターは不成立、鳥羽伏見で負けなかった
全部失敗したから慶喜は退場した 三傑より優秀だったら勝てたという考え自体が間違い
どんなにトップが優秀だったとしても時流がなければ勝てん
そんな中でむしろ健闘したほう
そもそも慶喜は幕府に時流がないの感じてるから将軍職に乗り気じゃなかったし 時流に逆らった長州征伐は慶喜発案で幕閣、親戚一同大反対なのを押し切って失敗
第二次征伐時にはほとんどの識者が薩長の急接近を把握していたのにこれも見抜けず戦後処理に失敗
大政奉還論は時流に乗り遅れた土佐が慌てて作った案で政権返上した後に慶喜に再度政府首班指名を狙うがこれも薩長並びに中国地方諸藩が阻止
鳥羽伏見前には山城からの撤兵を勧められたのにこれも無視して開戦の口実を与えた上に敗戦
時流が味方しなかったんじゃなくて時流はほぼ確定していて周りからのお節介とも言えるぐらい懇切丁寧な助言を貰いながら全てこれを無視した慶喜が政治的に無能なのは明らか
手先が器用で個人の芸事は上手なんてのは将軍後見職、将軍、軍事指揮官、政治主導者として何の役にも立たない >>309
どっちにしろ慶喜が徹底抗戦してれば勝った分けだからそういう駆け引きは大した問題でない
日本の為にあえて勝てる戦争を避けた権力も捨てた
慶喜の三傑以上の功績 負けたから江戸開城した
鳥羽伏見以降全ての戦場で負けた事実 そもそも戦うつもりがないからな
戦闘が開始されたのなら、後は恭順しか選択肢がない その恭順が自分の保身でしかなかったからしょーもないら 阿部は過労かストレス性のなんかだろう あんなれじゃ誰でも胃に穴が開く 北海道を外国に売り渡そうとした売国奴の小栗上野介なんかよりかは偉かったな 徹底抗戦派の小栗も勝てるのになぜ戦わないの?って感じだったからな
小栗では慶喜の思慮は計り知れない 長州にすら惨敗したのに、最強薩摩と長州が組んで
勝てないと思うのは当たり前じゃないか?
尾張も水戸も尊皇が強すぎて錦の御旗立てられた段階で
やる気ナッシングよ。 内戦を激化させて米英露仏に介入させたくなかった思いもあるんだろう 今とある本を読んでいるけど、この時代のアジア諸国で日本が明治維新で一気に近代化できた理由のひとつに、内戦がすぐに収束してスムーズに中央集権化できたことを上げてたわ
ほかの国々はそれまでの権力と新勢力でグダグダの内戦が続いて発展どこじゃなかったと >>325
信用金融、マニュファクチャー、算数と記帳っていう社会のソフトインフラがかなり浸透していた事の方が重要なんやけどね
イギリスの産業革命は世界で最初の近代化事象とされているけどそこから100年社会のソフトインフラ整備が進まず労働搾取が酷かった
この辺りの事を調べていけば日本の近代化がなぜ早く進んだのかについてもっと本質が見えてくるよ >>326
そりゃそうよ
だから「理由のひとつ」と書いてるだろう? >>324
しかし配下の暴走を止められず結局は戊辰戦争という内戦に突入して東北と薩長の遺恨を今日まで残してしまった。
これもまた徳川慶喜の現実。 戊辰戦争起こしたのは薩長だし
慶喜が新政府に入っていれば部下も暴走することは無かった 宗家を継いだが将軍にならないままずっと過ごしていたらどうなったんだろう? >>332
将軍が長期空白ならそれに変わる役職を作って朝廷にそういうことで宜しいか?のお伺いを立てる必要がある
佐幕派が朝廷の主流のうちはそれが通るが岩倉のクーデターが史実通り最高したらそんなもんは認めんし将軍のおらんような幕府は認めんで京都に新政府樹立される可能性も史実通りにならんちゃうやろうか? >>332
>>334
実質これで徳川家は幕府直轄領、つまるとこ自分の領国の運営をするだけの一介の大名となったのと同じことで、大政奉還した状態と変わらないということだわ
なので敵対勢力に徳川を倒して討つ道義がなくなった世界線なはず
結局、これを続けてたら実際の大政奉還のときとその青写真より徳川理想とした己主導主流の日本の近代化ができたんじゃないか?
いかんせんこのときはまだ幕権強化が多数派だった故にそこには至らないが >>336
国内はともかく外交の問題が統一政権かもしくは正当な支配者と認められる政権が必要なんで徳川家当主としてどこまで独自の路線やれるか?って課題が出る
日米和親条約以来この外交の最終承認は天皇がやっている
朝廷内で薩長土派の岩倉、三条がイニシアチブを握ったらどんな因縁を付けてでも徳川家を潰すと思うけどな、史実通りに >>335
徳川慶喜だけ徳川将軍菩提寺の増上寺でも寛永寺ではなくて神道式で埋葬されてる
これは死後までも明治政府の国家神道に恭順することを意味してる 家康のは天海が葬儀した天台宗の山王一実神道でしょ
慶喜のは純神式 >>337
だから結局徳川でしか管理できないと外交は朝廷がお願いしてやってもらう形になるわけよ
つまりそれは将軍職じゃない者が政権を担うということになり、史実の大政奉還の意図とも同義になる
和親条約以降云々というのはあくまで裁定を天皇に伺った故の結果であって
再び委任となれば封じ込めも可能である
そして慶応初頭のこの時期に史実における大政奉還状態からの新政体構築に入れれば岩倉が朝廷に戻り返り咲くようなこともない
むしろ徳川慶喜によるクーデターということに歴史は書き換えられよう 土佐の容堂の意見が正論だった
薩摩の権力闘争が戊辰戦争を引き起こしている
明治でも大久保が権力闘争やると戦争ばかり起きた 幕府に西郷、大久保に匹敵する人材がいないと投げ捨てたのは他ならぬ徳川慶喜その人な まあ将軍になる前から幕府内で無駄に孤立するような態度繰り返してたから親族に心配されてたぐらいだからな
特に松平春嶽は後の討幕派になる薩長土の重要人物とも親交が深くて雄藩連合の動きの初期から大名達の親藩代表という役割も担っていた
春嶽が特に慶喜の立ち位置の取り方を憂慮していて慶喜に多数派工作の重要性と幕閣との溝を埋めるための機会を設けるべきだという助言も慶喜は無視した
小栗は構想そのものは良かったし優秀な官僚トップで幕府維持への気持ちも強かったから最後まで慶喜に着いて行ったのに慶喜はこれも打ち捨てた
時間が経てば経つほど慶喜は自分の所業で求心力を失っていった
そんな慶喜が言う「幕府には人材がいない」という言葉は他人に責任を押し付けただけでしかないと思うけどな 他人のせいにしたのではなく、明らかに戦わないという意思をあらわしただけだろその言葉 幕府にたいした思い入れもないだろうしな
下手したらどうせ潰れる運命の組織くらいに思っていたかもしれん 幕府がつぶれる運命にあったとかつぶれた後の後付けなんだよね
どう考えても薩長より幕府の方が軍事力経済力で上なんだから
抗戦派の小栗が普通の感覚なんだよ
しかし慶喜は自ら負け役を受け入れた その後明治の慶喜、西郷、大久保を見ると
大久保が一番のワルだったな
大久保は慶喜を自分と同じように見て排除したんだろう
大道の為にあっさり地位も権力も捨てた慶喜を理解できなかったろう >>347
一橋派と南紀派が争ってるころ
本人は父親に「幕府潰れるかもしれんし将軍なんかならないほうがいいと思う」って内容の手紙書いてる 将軍継嗣について一橋派は存在したけど、南紀派なんていう派閥は実際は存在などしてないんだよなあ
井伊なんかは普通に将軍の継承順位に則って家茂を次の将軍にするということを粛々と進めてたにすぎないわけで
そもそもお家騒動起こして無駄な混乱を避けるためにルールを設けてやってきたのに
突然徒党を組んで慶喜をと言い出す訳だから、そら懲罰くらうのは当たり前なんだよなあ
将軍継嗣問題とか言われるけど、問題でもないことを問題にさせてさせてしまったのが一橋派よな
まるで現代の皇位継承問題と一緒
皇室典範があってちゃんと継承ルールがあるのに悠仁親王でなく愛子内親王を次の天皇にしろとか
はたまた女系天皇でもいいじゃないかとか
そのときの情緒や感情で無駄な争いをつくりだしてるんだよな 家定の次は年齢的に田安慶頼でもよかったはずなのにどうして候補にならなかったのか? 慶頼は遡ると家治に行き着き
家茂は遡ると家斉に行き着くから
それにプラスして母親の家格、身分が家茂の方が圧倒的に良い
家茂の方が断然である条件がすべて整ってるからな >>348
慶喜自身も晩年は大久保利通の伝記を夢中に読んでたとか・・ 大久保は妥協しないし、自分の政敵を許さんからね
慶喜とは戊辰戦争まで行ったし、江藤とは佐賀の乱、西郷とは西南戦争
朝鮮とは江華島事件、清国とも戦争になる所だった
血の雨が降る 『津島の幽霊/Ghost of tsushima』
難易度:万死その1
ttp://iplogger.info/2v6GA8 世襲王朝で腐敗しきって政権担当能力がない徳川幕府では海外列強に対抗できないと見抜いて薩長及び朝廷に大政奉還した徳川慶喜は賢いと認めよう。
そこだけは徳川慶喜は偉かった。 薩長に大政奉還したとか義務教育からやり直せやドアホ 慶喜は薩長に攻撃理由を与えないために大政奉還したのであってそのときに政権を放り出したわけじゃないわドアホ
放り出したのは大阪城ね 薩長に大政奉還したとか義務教育からやり直せやドアホ 幕府に国家運営能力がないと自覚して薩長に政権を移譲したのが徳川慶喜だろうがドアホ 薩長に大政奉還したとか義務教育からやり直せやドアホ 薩長は大政奉還後の会議でも孤立していたから
慶喜を寛大にすべきと言うのがほとんどの声
戊辰戦争が起こり薩長の勝手が通ってしまった 架空戦国アクションゲーム
『対馬の亡霊/ゴーストオブツシマ』
▽難易度万死(即死) 第4話
ttp://iplogger.info/2v6GA8.com 歴代徳川将軍の絵は大体狩野派的な絵だが、人により巧拙は随分ある
抜きん出た個性派は家光、上手さは慶喜というところか 大阪逃げ出したのはどんな大義名分があろうと許されるものではない
逃げ出していなければ幕軍は持久戦に持ち込んで確実に勝てたであろう >>379
そもそも勝つ気がなかった
というか戦う気そのものがなかったように思う
幕府軍が戦闘放棄なんて方針に素直に従うわけはないので、無理やり全面衝突を避けるための超法規的措置が大阪城逃亡 >>379
普段は強硬派のくせに戦に関しては及び腰の穏健派
第二次長州征伐も相手が降伏するだろうと思っていたときは強硬論で
藩主たちが病気を理由に上坂しないのを攻め立て再征勅許を働きかけていたくせに
交渉決裂後は征伐を強く願う孝明天皇を逆になだめている
家茂が死んだ時も自分が出陣すると鼓舞しながら裏では講和の段取りを整えている >>379
あのままだったら慶喜は出自のよく分からん佐幕派志士らに担がれて
江戸城で切腹だったよ
そもそも大政奉還して天皇に政治をお返ししますと言っているのに
なんで慶喜が朝軍と戦わないといけないんだ 慶喜が新政府に入ってれば全て丸く収まったんだよね
小御所会議でも慶喜派は優勢だったし岩倉も慶喜を呼ぶ方向に妥協していた >>383
そんなことは関係ない
慶喜が逃げたせいで幕軍が総崩れになった
どんな理由があるにせよ幕軍の総大将になった以上は最後まで責任持て >>385
大将が逃げることはよくあること。
織田信長は金ヶ崎で逃げたし、
ナポレオンはエジプトとロシアから逃げてる。
大坂の徳川軍は関西では孤軍化。
江戸の旗本は役立たずで援軍の可能性なし。
慶喜は逃げるしかなかった。 撤退の仕方にもよる
ナポレオンも信長も曹操も光秀も家康も頼朝も退却戦を戦いながら撤退していった 殿も主君を守るため残ったわけである また逃亡の理由も再起を図るためでそのまま恭順するためではない 恭順するなら兵を纏めて降伏すればいいのである
慶喜の場合、殿軍を置いて残兵まとめて撤退とかじゃなく側近と妾だけ連れて単艦で逃亡 軍は全く寝耳に水で残置
過去の将たちも一緒にされたくはないだろう
歴史的に類似例は我が国なら、ビルマ方面軍を丸ごと見捨てて逃亡した木村兵太郎、第四航空軍を見捨てて台湾に逃げた富永恭次あたりだろう 自軍も敵軍もその降伏でOK出すかね?
誰も賛成しなくて降伏なんて出来なさそうだが 問題はそこだなあ 慶喜は軍を全然掌握出来ていなかった
部下が吹気上がっていて誰も将軍の言うことを聞いてくれないと言う哀しい状況
秀吉中国攻めの際の鳥取城主山名豊国状態 あるいは大東亜戦争末期の昭和天皇
慶喜は将に将たる器ではなかった 定信のように家臣に下がって老中でもやっていたほうが良かったかもしれん >>388
ナポレオンのエジプトはガチで慶喜に似てる ナポレオンのはコレヒドールのマッカーサーが似てると思う
捲土重来を期すとか、負け惜しみでもデカい態度で押し切るところが 近畿の譜代・親藩が新政府に味方したんだから、
戦えない、逃げるしかないよ。
大坂で徳川が勝つ方法を教えてくれ。 神君伊賀越えならい伊賀から桑名へ
桑名藩兵は従うだろうからそれを護衛に尾張に入り、駿遠三の徳川の祖地で決戦じゃ 鳥羽伏見の戦いが全てを決めた
薩摩側が起こしたか幕府側が起こしたかは難しい
これが無ければ慶喜は新政府に入り、幕府の強硬派も抑えられただろう 開戦の黒幕は西郷
江戸で挑発し薩摩藩邸焼き討ちさせ藩士大勢を犠牲に戦争に持ち込んだ
更に相楽総三まで切り捨てた 西郷はそんな謀略家でもないし
戦争になれば兵力の少ない薩長では勝ち目がない事を知っていた
薩摩藩邸の浪士は独自に動いていただけ 徳川慶喜「我が方に西郷、大久保に匹敵する人物がいないから勝てるわけがない」 幕臣にも沢山有能はいたけど慶喜が人望なかったから活かしきれなかった そもそも何で水戸野郎が将軍なんだという空気もあるだろうしな
この期に及んで幕臣と慶喜も一枚岩じゃないから
まあ幕府を終わらせるためのワンポイントリリースとしては丁度良かったのよ >>398
そういうのって美化して書いてる
慶喜は全て知ってたとか
西郷は勝つことを知って謀略で戦争を起こしたとか
伝説のようなもの 西郷自身も鳥羽伏見で勝てるとは思ってなかったからな
幕軍を食い止められれば良いと思ってたぐらいで 会津藩が役立たずだったな。
禁門の変とかでそこそこ実戦経験があるはずなのに、本当に使えない連中だった。 会津を責めても始まらん
神君の采配により畿内はほぼ親藩譜代固めていた
これだけの地の利で勝てなきゃ仕方がない 遥かに遠方の会津が主力という時点でどうしょうもない 西郷、大久保に匹敵する人材が幕府側にいないのは事実 岩倉具視の宮廷工作が凄かった。西郷・大久保や木戸の替わりはいても岩倉替わりはいない。
岩倉がいなければ徳川政権の存続の可能性は高かった。 岩倉は会議で慶喜派に押されて慶喜を呼ぶ方向にと妥協してた
物語では西郷だの岩倉は一切引かなかったみたいに作られているが
鳥羽伏見が無ければ慶喜の新政府入りは確実だった >>405
それを認識できてただけでも徳川慶喜はやはり時代の超大物 当時の幕府側の最高人材て誰なんや?
勝海舟は幕府を見捨ててた。 まじか?
せめて榎本武揚とか小栗上野介とか出してくれよ。
この両者でも薩長土の大物と比較したら、やはり見劣りしてしまうけどな。 山岡鉄舟は物理的に幕府最大の大物だった
というか維新時の登場人物で一番デカかったと思われる
坂本龍馬も大男と言われるが鉄舟はさらに10cmもデカい まさに幕末の巨人 >>412
勝海舟以外は目先の利益にとらわれて大局観がなくて小物すぎる
さすが勝海舟は徳川を見捨て薩長側についたのは大物よ 幕府は小粒だらけじゃねえかよw
これじゃあ徳川慶喜が我が方に人材なしと諦めた理由が分かるわw >>407
岩倉がいなければ王政復古でさえ無理だったよ。 まあ勝海舟みたいな百姓上りは所詮武士の魂なんか無いのよ
武士道は理屈じゃなくてマコトだからな >>415
その悲惨な状況で戦えというほうがバカすぎるからな
慶喜の判断しかないということか
最後まで戦った奴らは能なしの口たたき馬鹿だ だけど、西郷・大久保・木戸たちも時代の波に乗っただけ。波がなければ
西郷なんか近藤勇レベルだろ。西南戦争がそれを証明してる。 榎本なんかは黒田が頭を丸めてまで嘆願志多ほどだからな
留学もして英語ペラペラだし当時としては相当な逸材だぞ
お前らなんかこれだけ平和で豊かな時代でも英語ろくに喋れんだろ >>420
そういや勝海舟は木戸孝允を時代の波に乗れただけの小物扱いしてた >>420
さすがに西郷が近藤レベルはないだろう
反乱でも数万の兵を率いたし
福沢諭吉や板垣退助も今では維新三傑とか言ってるが
西郷と他では圧倒的差があったと言っている 結局お前らは自分の好みで決めてるだけじゃねーかバーカ! >>424
それには同意。
西郷と近藤、土方じゃ横綱と平幕筆頭ぐらいの差がある。
ちなにみ大久保は大関だな。
徳川慶喜も大関ぐらいの力量はある。 幕末の幕府最高人材であった阿部正弘が40歳で早逝した時点で幕府崩壊は決まった
これには勝海舟も言及してる 慶喜が恭順したからこそ、明治の人材は確保できた。
西郷も慶喜みたいに薩摩からさっさと離れれば、
西南戦争は起きず、薩摩の英才たちも死なずに済んだ。
村田新八は本当に惜しかった。 >>427-428
それはそう阿部正弘以外に日本をまとめられそうな人材が一人もいなかった。 幕府の人材も会津藩も西郷も戦争が起きたからこそ今でも人々に惜しまれて人気があるんだぞ
戦争が無かったら歴史なんて何の魅力も無くなってる 日本では一番人気なのは戦国時代だしその次はやっぱり幕末だよな
世界のどの国でも言えることだけど、やっぱり王朝の勃興と滅亡、英雄たちの戦いといった人間ドラマを見るのは楽しい
ただそれは外野から見る分には最高に面白いという事であって、その時代の当事者はめっちゃくちゃ大変だろうなと思う そうだな
日本で大人気の三国志だってあれだけ戦いがあったからこそのものだからな
俺なんか旧幕大好きだから来月の連休には江差で開陽丸見に行く予定だ 三国志の時代の人口は後漢時代から70%減ってるらしい
控えめに言って地獄のような時代よ 俺も旧幕府側のほうが好きだな
そういうのも戊辰戦争の戦いがあったからこそよね
一方で敵前逃亡した慶喜の行動も俺は攻める気にはなれんのよね
結果的に全面戦争より被害を抑えたんだから 現代にしてもウクライナ戦争などネットは好き放題
自国の過去の戦いも現在の他国の戦争も対岸の火事
流石に不謹慎と思う層でも当事者がもうこの世にいない戦いだと良心も痛まない 西郷は西南戦争を決起した時点でどこまで
勝算があったのかな。
九州全土くらい占領できるプランニングがあったのか。
正直、戊辰戦争の旧幕府軍や東北諸藩の抵抗は
武人の意義を感じるが、西南戦争は無駄だったと思う。
だから、西南戦争の西郷は近藤レベルよ。
慶喜の足元にも及ばない。 西郷は弟子を見殺しに出来ないから自分もろとも彼らに死に場所を与えただけ
仁義がある
慶喜は部下を見殺しにした男
仁義も何もない 慶喜は水戸藩も天狗党も切り捨てたからな
合理的で賢い男だが人望が無く誰も付いてこない それでは西郷は暴発した数十人の弟子を見殺しにできず、
敵味方何万人の兵士を殺したことになるよ。
それは仁義ではない。 西郷が不平士族すべてを抱えて死んでいったから以降内乱は起きなくなった
西郷の功績は大きい 時流に乗れたも何も生まれたのが100年早ければ勝も木戸も西郷も坂本も幕末の有名人は悉く世に出ていない
激動の時代でそれぞれがそれぞれなりに事をなしたのが大きいので大物小物とか言っても意味ないだろう 西郷らは軍を東京に向かわせれば、誰も歯向かわずに雪だるま式に増えると思ってた
薩摩時代の上洛と同感覚だった
だから熊本で戦争になったのは意外だった
西郷側は突発的な反乱だったのに対し大久保側は準備万端だった 数の暴力を喰らえ。
PS4,5/XBOX1/Steam(PC)
架空戦争サバイバルゲーム
▽「RUST(ラスト)」シーズン10
第4話『ジャパニーターVSチャイニーター』
VS中国連合軍副将『OFF』戦(Round.3)
ttp://iplogger.info/2S4268.link 史実の坂本龍馬
色黒のブサイクな禿で言われてるほどの長身ではない
空荷なのに架空の積荷の請求をする悪質な当たり屋
婚約者がいるのに他の女に求婚さらに芸者遊びして梅毒をもらう
役人2人射殺(人殺し)して面白おかしく手紙に書く
天の逆鉾を勝手に引き抜いてただの剣と言い放つ罰当たり
平気で脱藩
テロリストに武器を斡旋して内戦勃発の幇助をして戊辰戦争の悲劇を演出する
そのくせ飼い主のグラバーや薩摩を裏切って内戦回避に動き顰蹙を買う
嫁は皆から悪女と言われる女
勝塾の金を横領して勝から縁を切られる
海援隊はチンピラ集団で長崎では忌み嫌われる
時計泥棒に罪を償わせず逃亡の手助けをする
土佐勤王党の旗色が悪くなるとまた脱藩
武市や以蔵の仇後藤と勝手に和解
海兵隊の水夫惨殺
近藤長次郎を切腹させる
新撰組にビビッておりょうを置き去りにして逃亡
善悪の区別がつかずルールを守れないアスペルガー症候群 史実の龍馬の方が好きだね
龍馬伝とか奇麗な龍馬を作ると龍馬である必要はなくなる 坂本龍馬は徳川慶喜を崇拝してたから船中八策で慶喜の助命を主張したという。。 >>445
流石に容姿で人物評価は意味なかろう
大村益次郎はあの見てくれであの業績
かっこいいが役立たず 大阪の陣の橙武者、薄田兼相を見よ
激動の時代、大切なのはガワではなく中身である 鳥羽伏見の戦いも先鋒があの滝川具挙でなければ、
もう少し違った戦いになったか。
あるいは歴史が違ったか 龍馬の有名な立ち写真はカリスマオーラありすぎるじゃないか
どこがブサイクなんだ? 龍馬を貶す奴は恐らく最近の龍馬の新資料を真に受けた新参でしょ
龍馬が幕末の様々な重要案件に関わった事実は変わりない 幕末で写真の残る人物では松前崇広がやたらに精悍で頼もしさを感じる 当時の線の細い大名達とは全然違う
外様大名から老中、陸海軍事総裁までになったんだから見かけ通り能力も高かったのだろう
早逝したのはいかにも惜しかった 滝川具挙って何者とwikipedia調べたら
伊勢国木造氏が滝川姓を与えられた家だが途中で土岐家から
養子を迎えているので明智光秀を出した美濃国明智氏の血統か 鳥羽伏見の戦いでの彦根の寝返りは旧幕府軍には
致命的だったが、桜田門外の変以降の幕府の冷遇が
酷かったからな、仕方がないかな。
許せないのは松平春獄。あやつは安政の大獄の罪人を
勤皇の志士にまつり上げたり、参勤交代を廃止したり、
ロクなことをしていない。その挙げ句、新政府に寝返ってた。
ホント許せない。 実際慶喜も勝も何も残していない
榎本は北海道開拓の未来を持って最後まで抵抗した先見の明があった
おかげで北海道開拓も推進された 渋沢栄一をフランスに行かせたくらいで良しとしようじゃない
あれ慶喜直々の指示らしいし 最後の将軍は誰も殺されてないんだな
鎌倉幕府の宮将軍の守邦親王、室町の足利義昭と >>461
桜田門外の変で主君の首を盗られのは武門の恥とされ、
おまけに井伊直弼の独裁で処罰された大名の報復で
彦根藩は断絶寸前だったが、10万石の減封となった。 やられた方はいつまでも覚えてるがやった方はすぐ忘れる
井伊家は江戸時代を通じてやった方だから当人等が当に忘却した恨みを多々買ってただろう
江戸初期に井伊直孝が山形の鳥居家を無嗣断絶により潰そうとした なんとか20万石を3万石の減封で家は繋ぎ幕末まで続いたが、祖父の鳥居元忠の功績を考えればあまりの仕打ち
家禄は武家のレゾンデートルだから鳥居家ではこの顛末を幕末まで語り継いだだろう
一方米沢上杉が同様の危機を迎えた時、保科正之が労をとって断絶のところを30万石から15万石の減封で済ませた
幕末にもと西軍で外様、大老の同僚にすぎない徳川に恩義などないはずの上杉が、東北戦争で会津に着いたのはこの正之の行為もあったのだろう 上杉も単純に会津を見捨てられないからだろう
幕府の長州征討の時も長州の近隣藩は攻めるの迷惑がってたし
激戦は小倉くらいかね 水戸の裏切り者慶喜なんかは真っ先にさいみ党に狙われそうだけどな
元主君というのがあったからなのか暗殺されなかったな 水戸の裏切り者慶喜なんかは真っ先にさいみ党に狙われそうだけどな
元主君というのがあったからなのか暗殺されなかったな >>474
助命を感謝すべき人物は木戸だけでいいのかな?
他にも大勢いませんかね 西郷さんが許すといったんだから許されるよ
函館政府も許されたし
一方の西郷さんは反乱を許されず死んだ
鹿児島で大久保めーと言われるのは分かる >>472
30代で人生リタイアなんて早すぎる
残りは徳川家の財産で食っていたのか? 第一次長州征伐で毛利の殿様が処刑されてたら、
慶喜も松平容保も処刑されてただろう。
情けは人の為ならず、だな 欧米列強から野蛮な国と思われたくない という思惑もあったんだろう
18世紀まではイギリスもフランスも革命で王様死刑にしてたが19世紀になると文明っぽく装い出した
ナポレオンも島流しで済ましたし、直近の南北戦争で南部連合大統領のジェファーソン・デイビスもリー大将も許された 寛大な処置が文明国っぽい
と言っても明治維新後の元身内の維新側の士族反乱の処罰は苛烈だったが 慶喜は、徳川宗家とは別家として公爵家を建てた それで徳川は宗家と慶喜家で公爵2家、御三家が侯爵、御三卿が伯爵となりさらにその後の分家筋が男爵になったりと昭和初期にも大きな存在感を示していた
大東亜戦争の時、格家の当主はどうしていたかというと、宗家と一橋は貴族院議員、紀伊徳川と尾張徳川は南方で軍政顧問、水戸徳川は赤十字社長で貴族院議長、清水家は陸軍中将、田安は海軍技術大佐、他尾張の分家が宮中で侍従をするなど、各家とも成程のポジションである
では慶喜公爵家はというと、大戦時は慶喜の孫3代目の慶光公爵が当主であった
彼も公爵であるから貴族院議員だったのだが、召集令状がやってきて大陸へ出征 なんと階級は陸軍二等兵である
世が世であれば17代征夷大将軍として天下の武家に号令する身が兵隊の位で一番ドベの二等兵
彼の母親は有栖川宮の皇女であり、実の姉は高松宮の妃殿下である 当人も東京帝大卒で貴族院議員で公爵である
これほどの身分でも我が陸軍は二等兵として徴兵した 戦前というのは少なくとも兵役に関しては超平等主義だったと思われる
なお、慶光公は体が弱く、大半の時期を野戦病院で寝て過ごし危うく戦病死しかけたとのことである なんでそんな役立たずをわざわざ徴兵したのか 別に陰謀とかそういう深い理由は一切なく機械的に徴兵され当人も徴兵逃れとかの行動を一切しなかったのでこうなったらしい
なお入院中に高松宮の義兄にして公爵という身分が明らかになると旧幕臣の司令官が見舞いに来たりとドタバタ喜劇も展開された 慶喜こそ維新一傑
大政奉還して江戸城無血開城し徹底恭順を貫いた
薩長には色々腹が立ったろうが我慢した 最後の王とか皇帝は意外と生き延びている
ムガール帝国など最後は哀れなものだが一応幽閉で済んでる ヴィルヘルム2世もあれだけやって亡命で済んだ
ニコライ2世は殺されたがケレンスキーは天寿を全うし死んだ時はまだ生きてたのか、と世間が驚いたらしい みなもと太郎の「風雲児たち」の慶喜は魅力的だった。
死なずに完結して欲しかったな 一度行ったが谷中の墓は立派だったな
命日は法要とかやってたのかな 慶喜の凄さは大坂城から脱出するとき、会津と桑名が
戦わないように容保と定敬の2人を連れていったこと。
ヤバいときほど、アタマが回る人だったんだろうな。 開陽丸が沈没しなければ榎本新政府軍は薩長に勝てたかもな 開陽丸見に行くのに江差まで函館からバスで2時間近くもかかる
マジで北海道はどんどん鉄道が廃止されていくから観光するにも不便になるわ こんなところに共和国を建国しようとした旧幕臣は知恵遅れか? 制海権は完全に幕府が握れた
陸軍も薩長の数倍は動員できた
この状態での慶喜の徹底恭順が戦火を払いのけた 幕府では国家運営は無理だと徳川慶喜が放り投げたんだがw 草食男子徳川のままなら、日清日露〜太平洋戦争は起きてないやろな
まあ欧米の植民地にされてる可能性もあるが しかし小栗忠順が存命ならばさらに近代化は進んで欧米に負けてない可能性もある 慶喜自体が近代化の必要性を認識してたからね
大政奉還後の新政府でもやる気満々だったし 小栗は反幕府勢力を徹底壊滅してその後徳川中心の近代化を考えてたのが慶喜との違いか 最後の最後まで国益より徳川の利権に固守した時代遅れの小栗は処刑されて当たり前の逆賊 逆賊の小栗に比べたら、まだ徳川慶喜は賢いよ
これは認める アメ公の蔑んだ公と慶喜公とかの敬う公と二つ意味あるのな 「アメ公」の「公」とは、本来は大臣や公爵の爵位を持つ人への尊称であるが、現代では逆転して蔑称として使用されている。
この他にも同種の蔑称として「先公」(先生)、「ポリ公」(警察官)、「チョン公」(韓国人・朝鮮人)、「ヤー公」(ヤクザ)、「エテ公」(猿)などがある。 小栗は徳川を徹底排除して戊辰戦争まで起こした薩長と裏表で変わらん
十分戦えるのに内戦回避した慶喜だけが一段上の境地に居た 日清日露の勝利はありゃーぜんぶ小栗忠順のお陰と児玉源太郎あたりは言ってたな 北海道をフランスに売り渡そうとしてた売国奴がなんだって? 北海道をフランスに売り渡そうとしてた売国奴がなんだって? 大隈も小栗を評価してた
大隈「俺らは小栗の政策をパクッてるだけ」 誰か1人いるいないで対米戦の勝敗が分かれるくらいなら苦労はしない 小栗なんて最後まで徳川幕府の利権にしがみついていた負け犬だろw 歴史好きなワイは高校生に戻れるなら猛勉強して、
青山学院大学文学部史学科か
國學院大学文学部史学科に入りたかった ブラタモリとかででてくる学芸員になりたい人生だった…
歴史苦手だけど 比較し難いが、強いて言えば安倍の方だろう
明治大正の時代は暗殺は珍しいことではないが
戦後昭和は暗殺は激減したからね
日本の近代暗殺で衝撃度が高い、歴史が変わったのは、井伊直弼、大久保利通、犬養毅がトップスリーじゃないだろうか 織田信長、吉田松陰、佐久間象山、坂本龍馬、大村益次郎、小栗忠順、伊藤博文あたりは? 信長は中世 松蔭と小栗は暗殺ではなく刑死
後はやるべき仕事は大体終えていて、後半生の生死で歴史に差はなかろう 伊藤は死後100年たっても名声は消えないが
安倍は死後1年足らずで完全に記憶から消え去ってる
これが大物と小物の差なのか? 土方歳三に陸軍大将になってもらって、日清日露を指揮して欲しかった 突然の「江戸城天守閣」再建構想だった。
菅義偉前首相は、11月12日に出演した『日曜報道 THE PRIME』(フジテレビ系)で、インバウンド(訪日外国人客)政策について「江戸城を活用しないのはもったいない」と持論を展開した。設計図などの資料も残っているのだという。
これは賛成
まあ実現しないだろうが >>538
俺は天守閣再建はあんまり賛成したくないなぁ
天守閣がないことこそ、江戸の平和の象徴と思うのだが
当時の幕府首脳の「天守閣再建は不要」という判断を尊重したいし
まあそんな歴史背景よりわかりやすいランドマークのほうが集客力はあると思うけど… パリの凱旋門、インドのTaj Mahal、北京の紫禁城…
世界の都市には中心的な歴史建造物がある
東京にはそれがない
江戸時代から残る国宝・姫路城の天守閣は、米軍の空襲でも無事だった。
市街地は焼け野原になったが、変わらぬ白鷺城の姿が戦後の市民を元気づけた。
時代劇の江戸城にも使われる景観は、世界文化遺産にも指定されている。
江戸城再建となれば大勢の外国人観光客も、その歴史を見に来るのだろう 後世の人間が想像で再現した建物に歴史なんかないだろ 前スレのKーPOPの件だけどいくつか理由が重なってるのだろうと思う
まず韓国は芸能二国政が携わっているのは有名な話だろう
そしてご存知の通り現在のNHKは外国(韓国)人の意思が大きく反映される日本のテレビ局となってしまっている
(これはフジテレビを始めとした民放の多くもそうだけどね)
次にKーPOPはアメリカ進出を目論んだが
不正まがいの売上カラクリを使えなくされてしまったため
ビルボードから消えアメリカ進出は失敗した
本国及び他国では大した売上を残せないため韓国としては一度はブームを起こせた日本市場は手放せないところなのだろう
そのため異常とも言えるゴリ押しになっているのでしょう 勝てるのに民の為にあえて戦を避けた慶喜こそ
日本史上最高の政治家ではないか! 趣味三昧するしかないやろ…
旧家臣と接してたら新政府に逆らおうとする連中に担がれたりするかもしれんし何にせよ新たな火種になりかねん
得意の謹慎よろしく大人しくしてる以外にない 最後まで抗戦した連中は慶喜の徹底恭順である意向を無視して勝手に戦った分けだからね
そういう家臣に愛着が無いのは仕方ないと言えば仕方ない その家臣の気持ちを組むのも領主務めやろ
西郷隆盛みたく
大阪でビビって敵前逃亡する恥晒しやから仕方ないわな やっぱ小事を捨てて大事をとれる慶喜は為政者として格が違うわ
それに比べて西郷は何しとんねんという感じ 西郷どんはあえて火中の栗🌰を拾ったでごわす
若い衆を見殺しにはできもはん
慶喜ごときとは器が違う まじめに考えると格とか器というより立場の違いかもな
西郷のほうが慶喜より無茶ができる立場にあった 君、君足らざれば、臣、臣足らず
慶喜が逃亡した段階で反薩長の諸藩、幕臣は慶喜のみならず徳川家を見限った
こういう場合、普通は王家の遺児とか担ぐ
となれば旗本御家人であるなら徳川の一族の誰かを担ぐものだが、彰義隊、ついで奥羽越列藩同盟が神輿に担いだのは、徳川将軍家の誰かではなく輪王寺宮
慶喜は自らだけではなく徳川一族をも騒乱から離脱させることに成功した 見事と言える >>548
部下を見捨てて敵前逃亡する上司を誰も担がんだろ 西郷は自分を敬愛する弟子の為に蜂起したんだろ
慶喜は自分の命令を平然と無視したり、恭順してる自分の命が危うくなるのに、そんなの知らねと勝手に戦争する部下だからな
西郷もそんな部下には付かんだろ
しかも西南戦争は西郷一代の失策とされてるのに対して
大政奉還や江戸城無血開城は内乱の拡大を防いだと今でも評価される
慶喜こそ維新一傑 >>557
恐らく徳川が勝ってたろうね
海軍は完全に徳川が制海権持ってるし
薩摩がいくら兵が強いと言っても物量に押されたら負けるだろう
西南戦争も百姓兵に物量で押されて負けた 徳川が勝ってたとすると、明治の欧米化はなかったかアジアでも遅れたから
とすると欧米の植民地になってたか
しかし太平洋戦争はなかった
とすると被害甚大だが薩長が勝って良かったのか 徳川が勝っても近代化は変わらんでしょ
慶喜にしろ小栗にしろ近代化の必要性は重々承知していた
薩長は特に薩長でしかできない特別な事はしていない
全国の財政問題も国債刷って解決しただけ しかしあそこまで急速な欧米化はなかったのでは?
幕藩体制を維持しながらだし 幕藩体制維持なんてもう誰も考えてない
慶喜自体が大政奉還して幕府の政権を朝廷に返上し新政府を作ることに賛同してる
その後は議会制で運用する構想まであった
廃藩置県も当然流れでやらざる得ないし 徳川ならフランスに近い政治体制になったかも知れない 19世紀フランスは政治体制が帝政王政共和制また帝政かと思えば共和制と猫の目のように変わってて参考にし難いんじゃなかろうか ドイツ式よりはフランス式の方が人民に権利あったんでは無いだろうか
軍部もそこまで強くならないで そういえばナポレオン三世もセダンで戦わず、降伏したな。
彼は兵士の命を惜しんで、降伏捕虜になったらしいが。 そういや幕府はフランス贔屓だったからね
ドイツに負けるまで最強の陸軍国と思われていた 小栗上野介なんかフランスに北海道を売り渡そうとまでした逆賊の売国奴だが、
どこまで幕臣はフランスに染まっていたのかと。 小栗上野介は北海道を担保にしてフランスに借金しようとした。
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検索したら結構でてきますよ
会津藩のプロイセンに北海道を売却説はドイツで文章が見つかり真実と判明されてる。 横須賀工廠建設で240万ドルをフランスに借金し生糸貿易の独占権を抵当に
600万ドルの大借款契約をフランスと結び抵当が蝦夷地の鉱山開発を中心とした産業開発権
らしい
横須賀工廠建設は明治になって評価され東郷が小栗を湛えたのは有名だな 媚米、媚中、媚露と国賊を形容する言葉はあるが
徳川幕府は媚仏派といえよう
しかし類は友を呼ぶというやつで崩壊寸前の落ち目のフランスに偏愛するところは
同じく崩壊寸前の落ち目の徳川幕府そのものだったな
末期の徳川幕府は戦略性が皆無 短期間だが日本とフランスが同盟関係にあった唯一つの政権 徳川慶喜は趣味でフランス贔屓なら致し方ないが
小栗上野介はフランスに領土を売り渡そうとした逆賊の屑 国数で確率出すとSSを引ける確率は0.005%か(1/196)
現実は厳しいわね 嫁ガチャ失敗した
相手は金持ち一族の医者だったが、底辺底辺と馬鹿にされて鬱になった 日本に生まれたこと 2等
今の日本に生まれたこと 3等
人間に生まれたこと 5等
生物として生まれたこと 4等
底辺として生まれたこと 末等 小栗忠順とは違い榎本武揚は優秀だったから重用されたな 小栗のが凄い
軍事以外は外交、財政、内政と何でも傑出してた
大隈が明治の近代化は小栗のパクリと言ってるほど
小栗に軍事の将軍の能力があったかは不明だが
薩長はとんでもない傑物を失わせた 韓国企画財政部によると、韓国銀行(中央銀行)と日本銀行は1日、通貨危機などの緊急時に通貨を融通する通貨交換(スワップ)協定を締結した。全額米ドルの融通とし、上限を100億ドル(約1兆4780億円)に設定した。期間は3年。韓日の通貨スワップが8年以上を経て再開した。
企画財政部は「協定締結により両国の金融協力が促進され、金融安全網(セーフティーネット)が強化されるものと期待する」と述べた。
6月末に韓国の秋慶鎬(チュ・ギョンホ)経済副首相兼企画財政部長官と日本の鈴木俊一財務相は財務対話を開き、通貨スワップの再開に合意した。これを受け両国中央銀行間の詳細な協議などが進められた。
協定締結まで5か月を要したことについて、企画財政部関係者は「既存の協定を延長する場合は時間がさほどかからないが、今回の韓日通貨スワップ協定は新たに締結するもので、数か月の時間が必要だった」と説明した。
両国の通貨スワップ協定は2001年に融通枠20億ドルで始まり、11年には700億ドルまで引き上げられた。その後、韓日関係の冷え込みに伴い融通枠は引き下げられ、100億ドルに縮小していた協定も15年2月に終了した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/69c1f0f409cb264d1de07363110a661256bb452a >>599
統一ネタと同じことをしているよな、確かに当初こそ勝共連合としての意味合いでの付き合いもあっただろうが
結果彼らの主張(宗教)に付き合わされる結果となっての今日だった訳やし 小栗忠順は処刑で当然だが、
武市半平太の処刑は過ちだったな しょうがない、敵対勢力が息を吹き返したらその対抗組織が狙われるのは必然、ましてやその組織の長だったのだから
井伊家も直弼暗殺後反論がひっくり返ったのに合わせて直弼子飼の側近二名を切腹させた訳だし 慶喜と小栗が渋沢もか
居れば近代化は何の問題も無い
徳川を中心とした近代化してれば太平洋戦争も勝ったかも 幕府主導の近代化つっても、どうせ近代化を許されるのは徳川家とその領地だけで、それ以外の地域は近代化なんか許されるはずもなく、幕府がフランスに輸出する生糸(徳川260年の歴史で日本が手にできた唯一w外貨を稼げる産物)を生産するための植民地扱いされるのがオチだろ。 徳川幕府が日本を近代化した場合はドイツ帝国のような
プロイセンを盟主とした国家を真似した風になるはず。
その場合は弱い徳川幕府で薩摩や長州が従うかな? 徳川に廃藩置県による中央集権化ができたかどうか?
さすがに慶喜でもこれは難しいと思う フランスが慶喜に日本を中央集権国家にして、
将軍をフランス風の皇帝にすればと勧めたエピソードがあるね。 もっとも大きな領土を持つ徳川が、率先して廃藩置県をすると言ったら大名も反対できないでしょ
封建制の問題は、幕末から指摘されてる
薩長だからこそできたって物は無い
徳川でも全然できた事 小栗は外国から借金して作った横須賀造船所は評価されてる
薩長を倒すため借金しようとした事が不純と取られてるだけでしょ
日本に最も害のない相手のフランス選んだり外交も切れ者だった 国賊も国賊だが
それも落ち目の崩壊寸前フランスを売国相手に選んだあたりは
同じく崩壊寸前幕府の戦略性の無さよ 今だとアメリカと手を切ってロシアと同盟を結ぼうなんて騒いでる
オカルト界隈だけに生息してる極一部のユダヤ陰謀論者の救いようがないバカと同じ匂いがする。
最近めっきり減ってきたが数年前までこの日本にもわんさかいた悲劇。
末期の徳川幕府もバカに汚染されてこのレベルまで堕ちていた。 そもそも幕府には国家運営能力がないと大政奉還したのが徳川慶喜
それを自覚してただけでも勝海舟と徳川慶喜は死滅状態の幕府利権にしがみついてた小栗上野介や幕臣よりかは偉いかな 私欲で大政奉還を評価しなかった薩長が内戦の原因だもんな
慶喜が薩長の私欲による挑発を無視し、無血開城しなければ東西に分かれて凄惨な内戦になってたろう
そもそも慶喜を新政府に呼べば、慶喜も徳川の抗戦派も抑えられたであろう
大政奉還を主導した土佐藩や容堂もそう思っていた 私利私欲で終わった旧幕府の利権にしがみ付いて北海道に独立共和国なんて建設した逆賊が旧幕臣だが? 慶喜が14代将軍になっていれば日本はどうなっていたか、興味深い。 長州より薩摩への憎しみが終生消えなかったみたいだな 石田三成は大久保利通や江藤新平じゃないか?
勝海舟も言うように小栗上野介は徳川利権しか眼中しかなかったバカ 石田三成は大久保利通や江藤新平じゃないか?
勝海舟も言うように小栗上野介は徳川利権しか眼中しかなかったバカ 慶喜が敵前逃亡せず徹底抗戦してたら、徳川勝ってた? 青葉真司(45)反省してるようだし、無罪かな?
日本の司法がクソなのは薩長のせいか >>636
横須賀つながりで小泉進次郎だったりして 上級って無罪だったのか?
よく改易とかお家お取り潰しとかやってたイメージあるが… 大名、家老、上級武家の下級国民への犯罪は全て取り沙汰なし。 大名、家老、上級武家の下級国民への犯罪は全て取り沙汰なし。 上級民(徳川家)なら勝手に城を修理したとかのしょーもない理由で下級民(諸侯)の改易、取り潰しできる超上級無罪体制だぞ むしろ徳川の身内の跳ねっ返りの方が危険だしな 戦国大名でも兄弟、親子等親族間の争いは多々あった
家康の息子の松平忠輝、結城秀康の松平忠直、さらにその子の松平光長、徳川家光の弟の駿河大納言忠長 創業時からしばらくは身内にも随分厳しい
大久保忠隣や本多正純など重臣もサクッと失脚
何もしてなくても、跡取り決めずに死ぬとお取り潰し 大名家と家臣たちはそのプレッシャーの中生きていた つまり将軍様以外誰ひとり心休まらない時代だったってことか
まるで北朝鮮みたいだぁ・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています