土佐藩&土佐勤皇党
諸藩士の崇敬対象であった武市半平太が処刑されずに長生きしてたら
明治政府は土佐藩が主導してたかもしれなかったのに惜しい 武市はいろいろと限界のある人だと思うよ。
大成した木戸も大久保も初期は静かにしてる。 山内容堂公って蜂須賀茂韶公に
泥棒の子孫のくせに生意気なって言い放ったらしいけど、
蜂須賀公は将軍の徳川家斉の孫だろうにw 人によりけりだろうが広島の幕末当主は養子で結構気を使っていたとか
同じく容堂はいわばピンチヒッター的役割で当主に、前任もまだ健在で次代は既に決定済み
そんな中ででは一体誰を味方につけるのかという話だったんだろうなと 土佐藩士の三菱グループが日本経済を支配してるように
土佐藩士が支配する日本ならば世界経済を支配してたかもしれない
それだけに武市半平太の処刑が悔やまれる ただの酔っ払い大名だろ
薩長肥の藩主みたいに何も功績無いじゃないか 容堂は王政復古の会議で正論を吐き薩長を黙らせたのが一番の活躍 >>17
しょせん幕末の佐幕大名なんて
こういう時代遅れのバカばかりだろ 粛清しすぎて自滅した山内容堂にも陰湿なイメージがないのは
やはり土佐人だからか なぜ山内容堂が幕末の四賢候にされてるのがわからん
小御所会議での大失態でも暗君にすぎんだろ それは小説に過ぎん
実際は容堂や春嶽の意見が正論と通り
薩摩との軍事衝突が無ければ慶喜は議定で新政府に入る方向になった 容堂は武市半平太の価値が分からん時点でたかが知れとる >>26
小説だろ
実際の岩倉は容堂らの正論に妥協し慶喜を新政府に呼ぼうとしていた
西郷なども一旦薩摩に帰って仕切り直そうと考えてた 明治帝を幼虫の天子との発言は如何に
逆にこれを紫宸殿で言えるほど度胸が据わりすぎてる豪胆大名ともいえるがな あの場で面と向かって発言できたのは容堂くらいしかいなかったかと、他は大人しすぎた(深慮有りすぎて逆に意見がって感じ) 山内公は
明治政府で一番過激な木戸孝允とは仲がいいから面白い。 結局肝心な所で酒に逃げてしまうという印象が強すぎて嫌われていた中で木戸だけはその辺を汲んでいたいたのかもね
木戸はは龍馬よろしく人の懐に付け入るのがうまく大村や伊藤といった下士な連中を引き上げた御仁でもあったんで
容堂の人となりは理解してたんだろうと 酒や肩書の力がないと何もできない3流バカ殿じゃないか
こんな3流バカ殿を四賢候にされてる理由が全く理解できない 容堂が名君だとは誰が仕掛けたのか?
容堂が佐幕派であるからには会津史学かな?
長州の毛利敬親を名君から外してるからには疑われる 小御所会議で徳川幕府を命懸けで守ろう弁護してた姿勢が佐幕主義者には最大級の共感を得るのさ。
薩長主義から見ればあそこまでのバカ暗君は存在しえないがね。 アーネスト、サトウに西郷隆盛と双璧と言わしめた後藤象二郎という幕末随一の名家老役がいなければ
戊辰戦争後には土佐藩は賊軍扱いで新政府から完全排除よ
そこまでの大失態を山内容堂は小御所会議ではしてるからな
部下の扱いは滅茶苦茶で無能の山内容堂だが部下の才能には恵まれていたな。 龍馬は確かに当初は同調して入ったけれど結局は別れてしまった
後藤らからすればそれでも彼を勤王党の枠と考えていたのだろうか? >>43
龍馬と中岡は武市や間崎ら勤王党リーダ格の跡継ぎ的位置だね
特に中岡が板垣を勤王党のリーダーに据え軍を編成し戊辰戦争を戦っている 実際板垣ってそのまま陸軍に残る可能性ってあったの? 野戦軍の司令官としては新政府でトップ。
中でも会津攻めでの母成峠突破は国士無双クラス。
でも義経みたいに単純で政治力がなかったからねw 板垣は政治家時代のが活躍しているんだよ
現在にも名を残してるのも国会開設や自由民権運動でだし
権力闘争には向いてないけど求心力や人気はあった >>48
大村は軍政家として軍事知識はありそうだけど
際どい所をモノにする将軍の能力は板垣や伊地知のが上でないの 武市はあんさつばっかのガチクズじゃん
狭い城下で家老を暗殺すればばれないはずがないしばれなくても真っ先に疑われるのは決まってるのに
容堂の股肱をころしておいて容堂が自分を買ってくれてるとなぜか考える面の皮の厚さ
自分がテロに引き込んで散々暗殺をさせた以蔵にも「あんなアホは●ねばいいのに」と発言
なんでこれで武市かわいそう、容堂サイテーみたいな扱いになってるのか全く分からない 武市は京で安政の大獄の報復をしてた(先輩志士の復讐)
容堂は武市と会う時は容儀を改め武市もギリギリまで処分しなかった(武市をそれなりに評価してた感じか)
以蔵に散々暗殺をさせてたかどうかは不明(小説だとやらせてた感じに書かれるのか) 伊地知って大村益次郎と比較されるけど、
会津攻略では大村の軍略に劣っていない。
会津攻略の功績は板垣よりも上だったと思う。 大村は長期戦で会津を攻略する気だったから内乱が長引いてたかもしれん 上野戦争を1日で終わらせた大村益次郎を超える逸材はいないよ 人を殺したけど最後まで認めなかったから判決文にはそのことは書かれませんでした
がなぜ武市大勝利の美談みたいに言われるのか
殺人が冤罪ならその理屈も通るが
判決文に東洋殺しが書かれなかったのはその他にもかかわっていて上級藩士や山内家の人間への忖度だろう やはり板垣や後藤が終生に嘆いてたように武市半平太の処刑は損失が巨大すぎた。 容堂は忠臣の吉田東洋を殺した武市を嫌悪し憎悪していたが尊攘運動一辺倒の時勢では対立できず内心の怒りを隠して登用
やがて尊攘運動が過激化しすぎて揺り戻しの気配が出てきた文久3年3月に、令旨事件を理由に武市の片腕だった平井収二郎ら3名を切腹させて力を削ぐ
ついに8・18政変で過激派が一掃されたのに伴い速攻で武市を投獄
やがてかつて武市が散々暗殺をやらせて見捨てた岡田以蔵が土佐に送還、武市の所業をしゃべりまくって処刑決定 正直武市が生きていたとしてもどうなんだろう、影響はあったかねと やっぱり幕末では坂本龍馬が一番絵になるのよ
次が西郷隆盛で次が高杉晋作。
カリスマ性は坂本龍馬>西郷隆盛>高杉晋作。 日本史上最悪の腐れ縁、武市半平太と岡田以蔵
才能ある弟子と情愛ある師匠だったのがいつの間にか落ちるところまで落ちて囚人同士互いに陥れ合う関係になり同じ日に処刑 木戸は村医者や足軽の大村や伊藤を同士として扱ってナンバー2にしたからな。
人を雑に扱うから切腹させられる羽目になる。 武市が処分されたのは、長州と尊王攘夷派が禁門の変で朝敵になったからだろう
武市の処分理由も、主君に対する不敬罪で罪は何ら上げれなかった
武市を生かしてたら、土佐まで幕府に疑われる
もう尊王攘夷派が息を吹き返すことは無いだろうと見られてた 司馬の「人斬り以蔵」には以蔵が「人はころせば皆死骸」という考えにとりつかれ殺人鬼と化していく様が書かれていたが最初にその闇に落ち込んだのは武市だろう
井上佐一郎ごろしなんて殺人犯が自分の犯罪を調べられて保身のために捜査員をころしたってだけ しかし山内容堂も小御所会議での大失態を見ればバカ殿には変わらん
武市半平太にも失策はあろうがな しかし山内容堂も小御所会議での大失態を見ればバカ殿には変わらん
武市半平太にも失策はあろうがな 長州も七卿落ちの禁門の変後に家老益田氏が責任を負って切腹している
会津も鳥羽伏見の敗戦を何故か押し付けられた神保修理が切腹
良くも悪くもどこかしらどさくさにまぎれて処断しているのよね、色々と 土佐勤王党=薩摩の精忠組=長州の村塾OB+α
みたいに言ってもいいと思うが、薩摩では志士として活動した上級藩士は小松帯刀ぐらい
長州では上中下が参加していたのに対し土佐では上士と下士がはっきりと対立していたのが興味深い所(新おこぜ組)
平井収二郎や岩崎弥太郎のような例外もあるにはあるが いくら土佐人がバカげた愚行をしでかしても陰湿性を感じさせないのは
土佐の南国風味がそうさせているのだ
今なら広末涼子やで 維新後、木戸孝允が山内容堂との酒席で酔った勢いで「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と詰めたが、彼は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に臥せた晩年の容堂は、武市を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる
wikiより 「半平太許せ」のエピソードってちゃんとしたソースあるんかな
ソースによっては戦国時代以上に盛られまくってるからな 板垣や後藤が武市を殺したことを悔いていたというのは、本当だとしても尊王社会におけるリップサービスだろう
後藤にとって武市は親代わりだった東洋を暗殺した下手人であり処刑は正当な仇討でしかない 明治政府で土佐閥が主導権を握れなかったのは
武市半平太がいないからだと遅きながら偉大性に気付かされたんじゃないの? 後藤は尊王攘夷派が復活した後に脱藩してた龍馬に接触してきてるからな
龍馬が東洋暗殺の犯人かも知れんと思ってたかも やたら少女漫画チックに岡田以蔵を解釈する勢力には困ったものだがそれ以上に、武市を以蔵に恩をあだで返された被害者みたいに言い立てる勢力はどんな現実を無視したパラレルワールドの住人だよって感じで不快
人物に難ありとして最初は土佐勤王党に加えなかった以蔵をわざわざ京都に連れて行ったのはなぜか?
東洋暗殺で味をしめた武市が、今後も暗殺をやりまくる気満々でそれに以蔵の剣を利用したかったからである
吉田松陰なら獄中の武市を同じ立場になっても弟子に対して「あんなあほはry」なんて死んでも言わない
そもそも自分は手を汚さず若者をそそのかして暗殺をさせるなんてことをしない 人切り以蔵には新選組マニアに匹敵する気持ち悪い変なマニアが存在するからな。 >>76
半平太が生き永らえてたなら明治政府での土佐人の占拠は遥かに多かっただろうな。 現実を直視できない武市オタの方がよっぽど気持ち悪いよ
以蔵はただの刀、武市はそれをふるった奴
東洋暗殺や石部宿襲撃の時は別の刀を使った
以蔵がいなくても武市は暗殺を重ねていずれ処刑されてる 武市が以蔵に直接暗殺命じたかは分からないでしょ
以蔵が仲間と勝手にやってたかもしれんし
以蔵は人斬り出なく天誅の名人と呼ばれていたからね >>83
勢力で言えば武市が一番あった
天誅も薩長と連携してやってるんだが土佐が一番人数多くて目立った 山内容堂を主人公にした小説それぐらいでしょ?
あとは漫画、お〜い竜馬の容堂もいい味出してたけどね 今龍馬伝見てる
トサキン結成、龍馬の長州行きのところまできた
良いところもあるが突っ込みどころも多い
水戸浪士と会談した件をスルーしたし、特に問題なのはトサキンが土佐で結成されたとしていること
平井ははっきりと下士設定だし板垣はこの時点では影も形も無し……武市が藩に便宜を図ってもらっていたことや上士でも武市に共鳴する者がいたことは都合が悪いのかな あと武市がキャラ薄いし、小人物に見えるように書かれてるね
真面目くさって面白みのない反面ひがみっぽい、なんでここまで人望があるのかわからない
土佐の田舎者青年にはこの程度でも大人物に見えるのかな?と思えてしまう
主演に連動してか配役がみんな年齢高めなのだが黒船来航時点で満26歳の容堂に68歳の役者はさすがに悪意がありすぎる
ことさらに白髪だし、容堂と十歳違いで享年46歳の東洋も老人配役
まあ最後まで見るけど 結局のところ龍馬こそが幕末の顔にふさわしいんだよな 容堂も武市に会う時は礼を改める。
武市はよほど人格に優れカリスマ性があったのだろう。
山内容堂眼中人なく、意気一世を壓するも、瑞山来りて謁を請へば、為めに容を改むと云う。
其の堂々と犯すべからざるの儀表、瑞山の人格一世に高きもの、蓋し天授なり。 >>93
瑞山会の吹聴の感じがすごい
やっぱ武市半平太関連の話は疑っちゃうなぁ 武市本人もそのシンパも善悪の観念がなさすぎて怖い
土佐勤王党がどんなに処刑されようが獄死しようがやったことが露見して裁かれた結果でしかないのに
暗殺をやりまくったのも以蔵みたいな弱い人間に暗殺をさせたのも自分で選んだ道だろう
そんなこともわからない人間だから暗殺なんかに走るんだろうが
大久保は土佐人以上に血の気が多い薩摩人を3年間抑えきって乗り気じゃない久光を動かして全国初の率兵上京に持ち込んだけどね
勤王党を名乗りながら武市らの救済には朝廷は一切動かなかったし悔やみもしなかった
天皇は長州と並んで陰湿なテロを繰り返した土佐をお嫌いだったんだよ しかし幕末諸藩で憎めない天然的可愛らしさがあるのは土佐藩だけなんだよな。
会津は論外で薩長肥にも暗黒面がある。
司馬遼太郎が土佐こそが本来の日本で土佐語こそが日本語の起源であると主張していたが。
案外当たってるかもしれない。 >>97
小説やテレビに影響され過ぎじゃ
武市が切腹させられたのは、政治情勢の変化でしかないでしょ
現に倒幕の時勢になると、勤王党の捕まってた連中は釈放され板垣を中心に軍を編成している
野中太内などの佐幕派は、逆に容堂によって粛清されている >>101
実は幕末史とは薩長でも徳川でもない土佐藩が中心だったんじゃないか? >>102
一般論でいえば土佐勤王党の弾圧は自業自得の因果応報って話がなんで創作関係あるんだよ
幕末には理不尽な粛清や謀殺が横行したが土佐勤王党は単に殺人犯が法の裁きを受けたってだけ
河上彦斎は殺人ではなく政治犯として無理やり死刑にされたが可哀想とは思わないだろ
幕末時代に暗殺を全部きっちり裁いて処分してたら伊藤博文だって打ち首だがそんなことにはなってない
だからといって罪がないなんてことはまったくないし、伊藤は自分が凶弾に倒れた時は犯人を恨む言葉は吐かなかったという
因果応報の理屈をわきまえていたからだ
板垣退助も渋沢栄一も若いころは過激派だった
明治になって自分がテロにあった時は犯人に対してひどく寛容だった
時代の狂気に呑まれるのは仕方ないにしても、自分が同じ目に遭わされることも覚悟して受け入れるのが心ある人間というものだ 利権まみれの時代で一代華族論を主張した板垣はガチ聖人君子 龍馬伝、武市があほの以蔵をだまくらかして井上殺しをさせるところまできた
「おまんだけがわしの友達じゃ(チラッチラッ」
「先生!どうかわしにやらせてつかーさい><。。。」
岩崎弥太郎プッシュという眼目だから仕方がないが史実にはない弥太郎と龍馬の交流ばかり描いて土佐勤王党メンバーが薄すぎる
武市なんて大人編になって初めて登場したから「武市さんは変わってしもうた」「わしが心を許せる男はおまんだけじゃ」とか言われても全然響かない >>109
もう少し容堂が賢ければ明治政府は土佐閥が主導してたかもしれんのに惜しいな。
それぐらい優秀な人材が揃ってたのは土佐人が中心になった天下の三菱財閥を見れば一目瞭然。 武市は法で裁かれたのでなく政治判断で裁かれたんだから私刑だな
以蔵は拷問されて仲間の名前は出したが
武市の関与は吐いてないから
京での数々の天誅は武市の指示だったかどうかは怪しい所
東洋暗殺も知らんかったろうし >>112
土佐は大政奉還をリードしたり戊辰戦争でも活躍したり薩長に負けない功績あったが
鳥羽伏見で最初に日和見したため薩長より一段低い評価になった
これも容堂の命だったが
容堂も勝てるかどうかわからん戦争に土佐を関わらせない気持ちも分かる 東洋暗殺も石部宿も記憶にございません秘書が勝手にやったことですう〜ってか >>112
酔っ払い大名が藩主だったことが土佐藩の不幸 最終判断は容堂の一任な訳なんでね、皆ある程度は自白はしたけれど決定的なものは出なかった
故に後に木戸は詰め寄った訳だがね
但し幾ら殿様とはいえ先代(先々代??)も居て次代も決定済み
そんなピンチヒッター的役割の人間にどれだけの器量があったのか?と たとえば河上彦斎を佐久間象山暗殺の容疑に問うことは不可能ではなかったと思う
しかしあえてそれはやらずに虞犯中年として処刑
前政体下における犯罪は政体が変わっても裁けるのか的な法理論の話ではなく、過去の暗殺を正式にあげつらったらパンドラの箱のふたが開くから
武市処刑の際にも同じ力学が働いたのだろう
土佐勤王党は殺人集団などとというレッテルを避けるため、武市は種々の暗殺を認めるわけにはいかなかった
藩当局も、東洋殺しの関係者が半上層部に及ぶのはまずいから妥協が必要だった
武市が態度が不届きという判決で処刑されたのはその司法取引の結果だろう 容堂は色々やるんだけど最後は土佐藩の保身になる
勤王派が勢い落ちれば粛清、佐幕派が落ちれば粛清
藩主だから仕方ないが勤王派の活躍のおかげで高い評価得たのは皮肉 「大政奉還を成し遂げた慶喜公をここに呼ぶべきであろう!」
というのはド正論なんだけど
「ガタガタうるせー奴は●しちゃえよ」
なんていう輩がいたらどうしようもない
薩摩ヤクザは鬼より怖い でも龍馬以外の土佐メンバーを主人公にした創作物は少ないよね
サムライせんせいはファンタジーだがそれだって貴重だ
なら薩摩や長州なら豊富が異常に大ギルかというとそうでもなく新選組ものが異常に多すぎるだけなのだが ×薩摩や長州なら豊富が異常に大ギルかというと
〇薩摩や長州なら豊富かというと >>127
2000年から盛り上がってる反薩長史観と会津観光史学の悪影響 薩摩藩が渋々容認してた近藤勇処刑を遠慮なく実行した土佐人の新選組への怒りは深い 昭和後期の映画、ドラマ、小説は幕末作品は薩長土ばかりだったが
90年代後半から日本人が内向きになると同時に
アンチ長州で鎖国主義の会津新選組を中心にした作品ばかりになってしまった悲劇 昭和後期の映画、ドラマ、小説の幕末作品は薩長土肥のばかりだったが
90年代後半から日本人が内向きになると同時に
アンチ長州で鎖国主義の会津新選組を中心にした作品ばかりになってしまった悲劇 別に嫌いな作家ではないが
平成新選組ブームの火付け役は浅田次郎の小説でしょ?
幕末=新選組の風潮になってしまったのは史上初めての珍事だがね しかし新選組ものに龍馬はたいてい登場する
守旧派の新選組に「日本人同士争っている場合じゃないぜよ!」と開明派の代表としてけしかける枠廻り
岡田以蔵の出席率も高い
でも史実では以蔵は文久3年1月の時点で脱藩してるし武市は同年4月4日に京都を発って帰国、以後死ぬまで土佐を出ないので
「武市の手先として暗殺を繰り返す人斬り以蔵が新選組と対決」という構図はあり得ないんだけどね本当は 以蔵は拷問されてすぐに京での天誅と仲間は吐いたが
武市の指示とは吐いてないから
そこは武士の意地として我慢したのか
単に自分ら企てノリノリでやってたか分からん 以蔵が拷問を受けたのは正式な記録では一回だけという指摘もあるらしいな
嫌いなニラ炒めを出されて、吐かなければ三食これだぞと脅された
つうのは冗談だとしても拷問じゃなく横山秀夫「永遠の時効」みたいな落としの名人にかかった可能性もある
目付「…つまり、無限! お前は、永遠に逃げられないんだ」
以蔵「わ、わしは…」
目付「落ちるなよ? まだ落ちるなよ? 吐いてしまった方が楽だろう、私がやりましたとな。だがそんなことは許さない。もっと苦しめ、一生懸命職務を果たそうとしていた、家族のため生きたくてたまらなかった善良な下横目をお前は自分の手で絞め殺したんだ」
以蔵「うわあああーーーっ!!l」 河野トガマなんて獄中を生き抜いたから、
ヘタレの江藤新平を晒し首にしてるからな。 関係者らがどこまでってのは不明やが以蔵斬首後の岡田家は謹慎処分だけだったんだよね
親父は毒殺?を拒否っていたという話、その親父も理由不明やが1ヶ月後に死去 その謹慎というのも父親の「毒殺計画に不用意な書面を出してしまいました」という自己申告によるものらしいからな
岡田家は実質おとがめなし
以蔵が自白と引き換えにある種の司法取引をした可能性もある
父親の死因はふつうに心労だろう
六十近い年齢だし
自己申告したのも、息子を救えなかったのに親の自分が無傷でいるのは辛いという思いからだったのでは
こんな愛情深い親に恵まれたのに親不孝な男だよ以蔵は ジョン万次郎と山内容堂、同い年で武市半平太の2歳上
その辺をきちんとキャラデザに反映させた創作見たことないけど
龍馬伝ではトータス松本と近藤正臣だったし >>143
近藤さんはベテランでいい役者だとは思うが配役があっていなかったよなぁ~と、容堂に貫禄もたせるためだったのかね あくどく嫌な奴に見せるためだろう
中盤では認知症入ってると思しき描写まであったし
若々しい青年藩主とかじゃ都合がわるいんだよ
>山内容堂(68歳)
以蔵と後藤の配役は良かったと思う
勝役は年取りすぎだがさすがに武田鉄矢はいい役者だった
九州出身なのに発声が歯切れ良くて本当に生まれながらの江戸っ子に思えた 映画ドラマ小説の影響で幕末を土佐藩視点で見てしまう人は多い。 なんだかんだ初動は殆脱藩した下士らが主で、んでも結局は上士にうまい所を持っていかれたという惜しい組織 土佐の生きてれば功労者の格的には
武市>龍馬=中岡>吉村=板垣=後藤
って感じかね >>155
「私がいなければ先生の首は今頃飛んでしまっていましょう」
以蔵がいなければ無血開城はあり得なかった
岡田以蔵こそ維新の真の功労者 坂本はきちんと武市との距離を測っていた様子だったがそれを以蔵にもという事で推薦したという話があるが
いつの時代も狂信者ってのは厄介なんですねと 竜馬みたいな一部の例外を除いて土佐勤王党自体が「神である武市先生を信仰する会」みたいなもんだった
山の老人とアサシンの伝説を思い出す
平井収二郎も島田衛吉もアサシンだった
あと拷問で自白したのは以蔵だけじゃないんだがどうも武市は以蔵にだけことさら冷たい印象がある 当時の土佐人の間では
武市先生だけは俺らとは別格
龍馬は自分らと同格
中岡は同格で一頭地抜けてた
平等意識が強い土佐ならでは 以蔵は脱藩した後に長州に行ってれば良かった
そしたら死ななければ維新の功臣になったろうだろうし 岡田と武市
沖田と近藤
桐野と西郷
関係性が似すぎていて震える
ただ武市には近藤にとっての土方、西郷にとっての大久保に相当する人間がいないんだよな
坂本は絶対そんなポジションにはならないし 天誅は当時、尊攘派、武士の名誉で、赤穂浪士の討ち入りみたいな物だから
以蔵が特別下に見られて利用されたとか、そういう感じではないんだよね 龍馬伝の武市と以蔵の投獄後の展開、もはや地球によく似た別の星の話といっていいぐらい史実離れしてるが
以蔵がぞんなにむごい拷問にあっても死にかけてすら口を閉ざしていた武市が、龍馬が(ネタバレ)と聞くやその場で東洋あんさつをゲロしちゃうというのは
何気に武市という人間の本質を表現しているようでもある 岡田以蔵を良く描写しようとするから有りもしない創作が多くなってしまうのは仕方ない
幕末を史実ままに描写しようとすると岡田以蔵なんて新撰組も顔負けの殺人テロリストにすぎんで 城下で危険思想を広めて徒党を組み、一番大事な側近にして藩政改革の要でもあった優秀な人材を斬殺、犯人を捜索していた捜査員もころす
中央では陰湿なテロと横紙破りの政治活動を繰り返して幕府朝廷世間のすべてから土佐の印象を悪くした奴を捕らえて処罰したら被害者面された
容堂にとっては武市こそ最凶の毒家臣だろう >>166
殺人趣味まであった歴史上の岡田以蔵に思想なんてないからな。 邪魔な政敵を密かに処断するなんて手法を使う御仁は最後までそれらは選択肢の中に存在するでしょう
つまり生存して新政府の重鎮になったとしても当然政敵は出てくるのだろうから
そうなれば歴史に更に一人二人と不明な死者が出ていた可能性はある
武市はそういう御仁かと よもや岡田以蔵なんちゅう人斬りテロリストが神格化されようとは世も末やな >>169
それも自分では手を汚さず配下にやらせるというのがね
たぶん武市自身は自分で手を下したことは一度もないと思う
「正伝・岡田以蔵」や家近氏の「山内容堂」を読むと武市は取り調べで以蔵が不利になることばかりしゃべりまくっててかなり印象悪い
人格者なら自分の責任を痛感し、すべて自分が指示したことだから鉄砲玉の者たちは処刑はしないでくれと頼むものだ 武市が吐かなかった為に、自分を含め同士数人の処刑で済んだ
勤王派は温存され、倒幕の時期に迫ると息を吹き返し、板垣と組んで戊辰戦争を戦い抜く
そもそも小物の暗殺にまで、武市が指示出してたか疑問だな
平井なんかが以蔵に、直接指示出したのは確認できるが 天誅が正義の行いだという認識があるなら堂々と開陳すればいい
しかし勤王党を守るために言うことはできないいうのは理屈としてはわかる
しかしそれは、真実をを偽り主君を欺く行為だよね
だったら「あんまりひどいじゃないか」なんて言葉は出てこないんじゃないか?
勤王党を守るためとはいえ主君を欺き法廷で偽りを語っている自分は何をされても仕方がないという認識になるのが普通では?
まじで武市の頭の中ってどうなってんの 武市も容堂も政治判断で動いてる
武市は今は尊攘派にとって最悪の時期だから耐えるしかない、容堂は土佐藩を朝敵にされかねない状況に持ってった武市に怒ったかも知れんが
手を汚したってのは、高杉や伊藤なんかでもそうだし
坂本なんかも、2名を射殺してるし 家光の生まれながらの将軍?じゃないが案外嫡子と養子とでは立場が微妙に違う
鷹山と家老たちじゃないがね、そういう輩はたとえ藩主になっても無下に出来ない
容堂が酒に没れる理由が理解るきがすわ 「俺はテロなどしていない」
「俺はテロを繰り返したがそれは隠さないと」
の間で自身のキャラ設定がコロコロ変わる、それが武市半平太という男 以蔵を人格攻撃したところで武市や土佐勤王党の罪が軽くなるわけじゃないんだけどなあ
広田章次という人物は井上佐一郎よりも知名度が劣るが、井上を全く同じパターンで命を落としている
この時期武市は勅使随行で江戸にいたので武市の直接指示である可能性は低いが、ならばかえって問題は根深い
頭脳の武市のみならず手足の部分まで、土佐勤王党は反社精神に染まっていたということだからな
すべては吉田東洋の一件から始まった
党首武市の責任は実に重い 政変なんて数多、土佐もその枷から逃れられなかったというだけ
強引な政変は気を許せば逆に同じくらいの返り討ちとなると、まぁ水戸藩の天狗党騒動よりかはましと 土佐勤王党はテロ上等だし
龍馬なんかも小説などでは違う考えにされるが
勤王党と同じような考えだし
薩長も似たようなもの
手を汚してないのは逃げの小五郎くらいではないか >>103
幕末の主役は薩摩だよ
薩摩の「幕府と協力して国政をやりたいな。やっぱやーめた、幕府つぶすわ」ですべてが動いた
他の藩も幕臣もその周囲でガヤついて振り回されただけ
慶喜が内乱回避のために大政奉還、薩摩は先手を打たれて悔しいものの、めげずにクーデターを起こして新政府樹立、ニッポンを今一度洗濯したでごわす 家近良樹「山内容堂」読了
大変だったけど読んでよかった
一番印象に残ったのは維新後のエピソードで、木戸と親しくなった容堂がある時木戸から「吉田東洋は非勤王非攘夷の悪い奴」と批判される
容堂は「土佐藩の改革は彼なくしてありえなかった」とその批判を一蹴
その後木戸は板垣退助に「ああいう主君を持てた家臣は幸せだ。情の篤い方だ」と賞賛
それ以外でも明治の容堂は芸妓を身請けした雷その芸妓や絵師二人と箱根に長逗留したりとめっちゃ楽しんでる
それらを合わせると「半平太許せ」なんて思ってたとはとても思えない
ちなみに家近本では「許せ」の逸話は信頼性がないと判断されたのか完全スルーだった
>>102
野中太内こと野中助継を切腹させた話も出て九rが、熱烈な佐幕派だった野中は慶応四年、戊辰戦争への出兵を強硬に反対し、容堂に自刃を勧める発言までしたらしい
死罪は重いが、当時の観念と社会情勢を考えれば理不尽とまでは言えないと思う 幕末の内紛を見せられると土佐は長宗我部の国だと確信させられる 晩年慶喜もそうだったが容堂も多趣味だった模様
さてそれを単にそうと思うか飽きやすい?のかうつろいやすいのか??とどう判断するかって話 >>190
会津藩もだが極一部の特権階級のみが甘い汁を吸い続ける佐幕派の統治手法は
必ず最期は大失敗に終わるが
最下層の民衆の手に支えられてる反佐幕派=豊臣方の統治手法は一時は歴史に埋もれてようとも
必ず大復活を果たすのだ 容堂が半平太許せと言ったか事実は不明だが、明治に特別言ってもおかしくない
そもそも、半平太のおかげで土佐は最初から勤王とされ、戊辰戦争にしても勤王党の生き残りの中岡や大石らのおかげ
容堂の方針通りだったら、土佐は何の評価もされて無い可能性が高い
せいぜい越前や宇和島、芸州程度の扱いだったろう >>179
頭は弱いが心はさらに弱いシャボン玉メンタル
武市に構ってもらえないとすぐすねる、病気になる、家出(脱藩)する
しかし剣をとっては魔神のように強く頭も回る
でもそれ以外では本当にダメッダメのダメ人間で女も耐えた拷問にあっさりゲロして土佐勤王党を壊滅させる
みんな大好き岡田以蔵 龍馬伝視聴完了
強行軍だったし突っ込みどころもあったが良いドラマだった
感動した
幕末を駆け抜けた龍馬の感覚を体感した気分だよ
つぎはサムライせんせいアニメ化希望
実写化はめでたいがあの作品の魅力はやっぱりあの絵にあると思うので 龍馬伝では「乙女は武市のことが好きだった」とはっきり言われていておーいにもちょっとそれっぽい描写があった気がする
年齢や家格からいえば本当に結婚しててもおかしくないんだよな
もしこの二人が結婚していて子供ができていればまた何か変わったんだろうか モテモテの武市がなんで坂本の不細工の姉
をえらばにゃいかんのよ。 以蔵オタはおーい竜馬の影響だろうな
格好良いからね
あの以蔵好きだ