土佐藩&土佐勤皇党
諸藩士の崇敬対象であった武市半平太が処刑されずに長生きしてたら
明治政府は土佐藩が主導してたかもしれなかったのに惜しい 武市はいろいろと限界のある人だと思うよ。
大成した木戸も大久保も初期は静かにしてる。 山内容堂公って蜂須賀茂韶公に
泥棒の子孫のくせに生意気なって言い放ったらしいけど、
蜂須賀公は将軍の徳川家斉の孫だろうにw 人によりけりだろうが広島の幕末当主は養子で結構気を使っていたとか
同じく容堂はいわばピンチヒッター的役割で当主に、前任もまだ健在で次代は既に決定済み
そんな中ででは一体誰を味方につけるのかという話だったんだろうなと 土佐藩士の三菱グループが日本経済を支配してるように
土佐藩士が支配する日本ならば世界経済を支配してたかもしれない
それだけに武市半平太の処刑が悔やまれる ただの酔っ払い大名だろ
薩長肥の藩主みたいに何も功績無いじゃないか 容堂は王政復古の会議で正論を吐き薩長を黙らせたのが一番の活躍 >>17
しょせん幕末の佐幕大名なんて
こういう時代遅れのバカばかりだろ 粛清しすぎて自滅した山内容堂にも陰湿なイメージがないのは
やはり土佐人だからか なぜ山内容堂が幕末の四賢候にされてるのがわからん
小御所会議での大失態でも暗君にすぎんだろ それは小説に過ぎん
実際は容堂や春嶽の意見が正論と通り
薩摩との軍事衝突が無ければ慶喜は議定で新政府に入る方向になった 容堂は武市半平太の価値が分からん時点でたかが知れとる >>26
小説だろ
実際の岩倉は容堂らの正論に妥協し慶喜を新政府に呼ぼうとしていた
西郷なども一旦薩摩に帰って仕切り直そうと考えてた 明治帝を幼虫の天子との発言は如何に
逆にこれを紫宸殿で言えるほど度胸が据わりすぎてる豪胆大名ともいえるがな あの場で面と向かって発言できたのは容堂くらいしかいなかったかと、他は大人しすぎた(深慮有りすぎて逆に意見がって感じ) 山内公は
明治政府で一番過激な木戸孝允とは仲がいいから面白い。 結局肝心な所で酒に逃げてしまうという印象が強すぎて嫌われていた中で木戸だけはその辺を汲んでいたいたのかもね
木戸はは龍馬よろしく人の懐に付け入るのがうまく大村や伊藤といった下士な連中を引き上げた御仁でもあったんで
容堂の人となりは理解してたんだろうと 酒や肩書の力がないと何もできない3流バカ殿じゃないか
こんな3流バカ殿を四賢候にされてる理由が全く理解できない 容堂が名君だとは誰が仕掛けたのか?
容堂が佐幕派であるからには会津史学かな?
長州の毛利敬親を名君から外してるからには疑われる 小御所会議で徳川幕府を命懸けで守ろう弁護してた姿勢が佐幕主義者には最大級の共感を得るのさ。
薩長主義から見ればあそこまでのバカ暗君は存在しえないがね。 アーネスト、サトウに西郷隆盛と双璧と言わしめた後藤象二郎という幕末随一の名家老役がいなければ
戊辰戦争後には土佐藩は賊軍扱いで新政府から完全排除よ
そこまでの大失態を山内容堂は小御所会議ではしてるからな
部下の扱いは滅茶苦茶で無能の山内容堂だが部下の才能には恵まれていたな。 龍馬は確かに当初は同調して入ったけれど結局は別れてしまった
後藤らからすればそれでも彼を勤王党の枠と考えていたのだろうか? >>43
龍馬と中岡は武市や間崎ら勤王党リーダ格の跡継ぎ的位置だね
特に中岡が板垣を勤王党のリーダーに据え軍を編成し戊辰戦争を戦っている 実際板垣ってそのまま陸軍に残る可能性ってあったの? 野戦軍の司令官としては新政府でトップ。
中でも会津攻めでの母成峠突破は国士無双クラス。
でも義経みたいに単純で政治力がなかったからねw 板垣は政治家時代のが活躍しているんだよ
現在にも名を残してるのも国会開設や自由民権運動でだし
権力闘争には向いてないけど求心力や人気はあった >>48
大村は軍政家として軍事知識はありそうだけど
際どい所をモノにする将軍の能力は板垣や伊地知のが上でないの 武市はあんさつばっかのガチクズじゃん
狭い城下で家老を暗殺すればばれないはずがないしばれなくても真っ先に疑われるのは決まってるのに
容堂の股肱をころしておいて容堂が自分を買ってくれてるとなぜか考える面の皮の厚さ
自分がテロに引き込んで散々暗殺をさせた以蔵にも「あんなアホは●ねばいいのに」と発言
なんでこれで武市かわいそう、容堂サイテーみたいな扱いになってるのか全く分からない 武市は京で安政の大獄の報復をしてた(先輩志士の復讐)
容堂は武市と会う時は容儀を改め武市もギリギリまで処分しなかった(武市をそれなりに評価してた感じか)
以蔵に散々暗殺をさせてたかどうかは不明(小説だとやらせてた感じに書かれるのか) 伊地知って大村益次郎と比較されるけど、
会津攻略では大村の軍略に劣っていない。
会津攻略の功績は板垣よりも上だったと思う。 大村は長期戦で会津を攻略する気だったから内乱が長引いてたかもしれん 上野戦争を1日で終わらせた大村益次郎を超える逸材はいないよ 人を殺したけど最後まで認めなかったから判決文にはそのことは書かれませんでした
がなぜ武市大勝利の美談みたいに言われるのか
殺人が冤罪ならその理屈も通るが
判決文に東洋殺しが書かれなかったのはその他にもかかわっていて上級藩士や山内家の人間への忖度だろう やはり板垣や後藤が終生に嘆いてたように武市半平太の処刑は損失が巨大すぎた。 容堂は忠臣の吉田東洋を殺した武市を嫌悪し憎悪していたが尊攘運動一辺倒の時勢では対立できず内心の怒りを隠して登用
やがて尊攘運動が過激化しすぎて揺り戻しの気配が出てきた文久3年3月に、令旨事件を理由に武市の片腕だった平井収二郎ら3名を切腹させて力を削ぐ
ついに8・18政変で過激派が一掃されたのに伴い速攻で武市を投獄
やがてかつて武市が散々暗殺をやらせて見捨てた岡田以蔵が土佐に送還、武市の所業をしゃべりまくって処刑決定 正直武市が生きていたとしてもどうなんだろう、影響はあったかねと やっぱり幕末では坂本龍馬が一番絵になるのよ
次が西郷隆盛で次が高杉晋作。
カリスマ性は坂本龍馬>西郷隆盛>高杉晋作。 日本史上最悪の腐れ縁、武市半平太と岡田以蔵
才能ある弟子と情愛ある師匠だったのがいつの間にか落ちるところまで落ちて囚人同士互いに陥れ合う関係になり同じ日に処刑 木戸は村医者や足軽の大村や伊藤を同士として扱ってナンバー2にしたからな。
人を雑に扱うから切腹させられる羽目になる。 武市が処分されたのは、長州と尊王攘夷派が禁門の変で朝敵になったからだろう
武市の処分理由も、主君に対する不敬罪で罪は何ら上げれなかった
武市を生かしてたら、土佐まで幕府に疑われる
もう尊王攘夷派が息を吹き返すことは無いだろうと見られてた 司馬の「人斬り以蔵」には以蔵が「人はころせば皆死骸」という考えにとりつかれ殺人鬼と化していく様が書かれていたが最初にその闇に落ち込んだのは武市だろう
井上佐一郎ごろしなんて殺人犯が自分の犯罪を調べられて保身のために捜査員をころしたってだけ しかし山内容堂も小御所会議での大失態を見ればバカ殿には変わらん
武市半平太にも失策はあろうがな しかし山内容堂も小御所会議での大失態を見ればバカ殿には変わらん
武市半平太にも失策はあろうがな 長州も七卿落ちの禁門の変後に家老益田氏が責任を負って切腹している
会津も鳥羽伏見の敗戦を何故か押し付けられた神保修理が切腹
良くも悪くもどこかしらどさくさにまぎれて処断しているのよね、色々と 土佐勤王党=薩摩の精忠組=長州の村塾OB+α
みたいに言ってもいいと思うが、薩摩では志士として活動した上級藩士は小松帯刀ぐらい
長州では上中下が参加していたのに対し土佐では上士と下士がはっきりと対立していたのが興味深い所(新おこぜ組)
平井収二郎や岩崎弥太郎のような例外もあるにはあるが いくら土佐人がバカげた愚行をしでかしても陰湿性を感じさせないのは
土佐の南国風味がそうさせているのだ
今なら広末涼子やで 維新後、木戸孝允が山内容堂との酒席で酔った勢いで「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と詰めたが、彼は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に臥せた晩年の容堂は、武市を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる
wikiより 「半平太許せ」のエピソードってちゃんとしたソースあるんかな
ソースによっては戦国時代以上に盛られまくってるからな 板垣や後藤が武市を殺したことを悔いていたというのは、本当だとしても尊王社会におけるリップサービスだろう
後藤にとって武市は親代わりだった東洋を暗殺した下手人であり処刑は正当な仇討でしかない 明治政府で土佐閥が主導権を握れなかったのは
武市半平太がいないからだと遅きながら偉大性に気付かされたんじゃないの? 後藤は尊王攘夷派が復活した後に脱藩してた龍馬に接触してきてるからな
龍馬が東洋暗殺の犯人かも知れんと思ってたかも やたら少女漫画チックに岡田以蔵を解釈する勢力には困ったものだがそれ以上に、武市を以蔵に恩をあだで返された被害者みたいに言い立てる勢力はどんな現実を無視したパラレルワールドの住人だよって感じで不快
人物に難ありとして最初は土佐勤王党に加えなかった以蔵をわざわざ京都に連れて行ったのはなぜか?
東洋暗殺で味をしめた武市が、今後も暗殺をやりまくる気満々でそれに以蔵の剣を利用したかったからである
吉田松陰なら獄中の武市を同じ立場になっても弟子に対して「あんなあほはry」なんて死んでも言わない
そもそも自分は手を汚さず若者をそそのかして暗殺をさせるなんてことをしない 人切り以蔵には新選組マニアに匹敵する気持ち悪い変なマニアが存在するからな。 >>76
半平太が生き永らえてたなら明治政府での土佐人の占拠は遥かに多かっただろうな。 現実を直視できない武市オタの方がよっぽど気持ち悪いよ
以蔵はただの刀、武市はそれをふるった奴
東洋暗殺や石部宿襲撃の時は別の刀を使った
以蔵がいなくても武市は暗殺を重ねていずれ処刑されてる 武市が以蔵に直接暗殺命じたかは分からないでしょ
以蔵が仲間と勝手にやってたかもしれんし
以蔵は人斬り出なく天誅の名人と呼ばれていたからね >>83
勢力で言えば武市が一番あった
天誅も薩長と連携してやってるんだが土佐が一番人数多くて目立った 山内容堂を主人公にした小説それぐらいでしょ?
あとは漫画、お〜い竜馬の容堂もいい味出してたけどね 今龍馬伝見てる
トサキン結成、龍馬の長州行きのところまできた
良いところもあるが突っ込みどころも多い
水戸浪士と会談した件をスルーしたし、特に問題なのはトサキンが土佐で結成されたとしていること
平井ははっきりと下士設定だし板垣はこの時点では影も形も無し……武市が藩に便宜を図ってもらっていたことや上士でも武市に共鳴する者がいたことは都合が悪いのかな あと武市がキャラ薄いし、小人物に見えるように書かれてるね
真面目くさって面白みのない反面ひがみっぽい、なんでここまで人望があるのかわからない
土佐の田舎者青年にはこの程度でも大人物に見えるのかな?と思えてしまう
主演に連動してか配役がみんな年齢高めなのだが黒船来航時点で満26歳の容堂に68歳の役者はさすがに悪意がありすぎる
ことさらに白髪だし、容堂と十歳違いで享年46歳の東洋も老人配役
まあ最後まで見るけど 結局のところ龍馬こそが幕末の顔にふさわしいんだよな 容堂も武市に会う時は礼を改める。
武市はよほど人格に優れカリスマ性があったのだろう。
山内容堂眼中人なく、意気一世を壓するも、瑞山来りて謁を請へば、為めに容を改むと云う。
其の堂々と犯すべからざるの儀表、瑞山の人格一世に高きもの、蓋し天授なり。 >>93
瑞山会の吹聴の感じがすごい
やっぱ武市半平太関連の話は疑っちゃうなぁ 武市本人もそのシンパも善悪の観念がなさすぎて怖い
土佐勤王党がどんなに処刑されようが獄死しようがやったことが露見して裁かれた結果でしかないのに
暗殺をやりまくったのも以蔵みたいな弱い人間に暗殺をさせたのも自分で選んだ道だろう
そんなこともわからない人間だから暗殺なんかに走るんだろうが
大久保は土佐人以上に血の気が多い薩摩人を3年間抑えきって乗り気じゃない久光を動かして全国初の率兵上京に持ち込んだけどね
勤王党を名乗りながら武市らの救済には朝廷は一切動かなかったし悔やみもしなかった
天皇は長州と並んで陰湿なテロを繰り返した土佐をお嫌いだったんだよ しかし幕末諸藩で憎めない天然的可愛らしさがあるのは土佐藩だけなんだよな。
会津は論外で薩長肥にも暗黒面がある。
司馬遼太郎が土佐こそが本来の日本で土佐語こそが日本語の起源であると主張していたが。
案外当たってるかもしれない。