石原莞爾と満州国
昭和天皇「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく判らない」 満州国の建国がなければ、大東亜戦争は起きなかったか?
昭和の激動は石原莞爾が幕を開け、昭和天皇が閉じた。 カリスマがあったんだろうけど、信者以外から見ると傲慢に見えたんだろうな
組織ってのは凡人の集まりってことを理解してなかったかも まあアホにアホと言い過ぎたわなw
こういう人には絶対的な権力がないと凡人には理解されずに反感を招くだろうw
せめて東條を抱きかかえて憲兵を味方につけてれば負けるにしてももう少しましな戦いを示していただろうなw
統制派と皇道派の対立構図から無理だろうがw
天皇も有事に近衛みたいな貴族を総理にしようとこだわったところもifを論じることすら無理だろうがw 世界最終戦争なんてカルト狂信者の石原
お前がアホやろ 自国が飢餓でクーデター未遂だらけだった事実が見えないアホどもに最低限の指標は示せてるだろw 石原の言ってる事ってごく普通なんだよな
戦線縮小しろ、補給線を短くしろ、要塞化しろって ソ連と戦争した後にアメリカと戦争しろなんてキチガイの暴言やろ ここらは積極的じゃなくて来るならやる程度だっただろw よくよく考えたら最終戦争論なんて狂人の暴言にすぎんよ
タイトル名からしてなw こいつはそもそも軍人に向いていない。
安全なポジションで好き勝手言ってるだけの評論家みたいなもん。
井上成美と同類 確かに先見の明はあるけど自分の意見を否定されたら相手を罵倒し職務を放棄するのは
軍人として失格だろ。 いや、本当に先見の明があるなら失敗した時の次善策、挽回策を用意するもんだろ。
石原もだが、この頃の政治に口だす軍人って、投機的作戦を成功した時のメリットばかり騒ぎ立てて、失敗した時の話はスルーし、声の大きさで押し通すような連中だからな。
失敗時の議論が出来ないから、貴方の真似をしてますで沈黙する。
戦争でもって戦争を養う主義とかドヤ顔で語るけそ、それって自転車操業って事で、こけた時の被害が大きいのは自明なのに、その方面は語らない、語れない。 つか天才がいなくてもよかっただけでアホが多すぎたんだろw 石原は戦後に敗因を言ってる
日本の指導者たちがミッドウェーの敗戦の意義を埋解し、ソロモン群島の防衛線を強化していたら、太平洋の広さが日本に味方していたにちがいない。
山本五十六大将らは誤りを犯した。どこに根拠地を求めるかを知らなかったからだ。 >>0016
実情を知らない外野の無責任な妄言だな。
海軍はソロモン諸島のガダルカナルに飛行場を設営し、米豪遮断作戦の根拠地にするつもりだった。
しかし、日本のガダルカナル占領が1942年5月。ミッドウェーが6月。アメリカのガダルカナル上陸が8月。
安易に防衛線強化と言うが、時間も無ければ、日本の輸送力兵站力設営力の限界を超えてもいた。
この発言が事実なら石原の智謀とやらの底が知れると言うものだ。
ただし、石原の発言とされるものは後世の捏造が多いので、出典、いつどこでの発言か確認した方が良い。 海軍は太平洋、陸軍は大陸と縄張りが決まっていた
サイパンの防衛を陸上戦の素人の海軍に任せたのが失敗だった そもそも攻勢終末点を超えてるガダルカナルなんて行く必要が無いってのが石原の考え
サイパン辺りが日本軍の限界という考え 石原は、ガダルカナル島からの撤退、ソロモン、ビスマーク、ニューギニヤの放棄、
サイパン、テニアン、グアムの要塞化と攻勢終末点(西はビルマ国境から、シンガポール、スマトラなどの戦略資源地帯を中心とする)
及び東南アジアとの海上輸送路の確立をすることにより、不敗の態勢が可能である旨も語っている。 マリアナ諸島だって同じこと。
補給兵站設営能力が追い付かん。
日本がどれだけ集中しようとアメリカの物量に押し潰される。
あるいは飛び石作戦でスルーされる。ラバウルのように。 もう開戦時点でマンハッタン計画スタートだからなw
どこを占領してようが原爆の餌食なのは明らかだろw >>22
こっちが反撃能力を維持できている限り、あの時点の核なんてこわくない。
BC兵器で報復できる。 >>19-20
石原の考えは、「海軍はシーレーン防衛に徹する」というものだったようだが、
日本海軍にはそれ以前に自軍の後方補給路防衛思想も敵の後方補給路攻撃思想も
存在しなかった。
潜水艦の使い方も間違えていて、艦隊決戦の補助兵器としか位置づけていなかった。
だから石原の考えたような戦い方はどのみちできなかったと思われる。
少なくとも、海軍の軍令部が参謀本部の指揮下にある必要があったが、
日露戦争のとき、軍令部の独立を許してしまった。 >>23
ドーリットル空襲もやられ放題なのに根拠もない大本営みたいなことを言うなよw >>24
日本は海上護衛について思想もないが能力もなかったから、海軍が海上護衛優先に思想を転換してもどうにもならなかっただろう 日本海軍の対潜水艦戦の能力は米英とは月とスッポン
石原の言ってるのはないものねだりに過ぎない >>20
佐藤賢了は船舶損耗が予想を超えていたのが敗因といった 戦前の想定通りなら兵器生産は出来、十分勝算はあった
戦後陸軍軍人はこう言った物言いが多い 南方資源地帯をガッチリ守っていれば負けていなかったと
要するに海軍が悪いと言いたいわけである
まあ確かに海軍はなってない
だが、海軍が護衛を真面目にやったところで海軍の対潜能力は全然低いし、それ以前にドイツが負ければ不敗体制もへったくれもない
米英の全力に太平洋戦線に投入され、加えてソ連が参戦 チェックメイトである
陸軍軍人はこの辺ほっかむりしている 海軍組織独立化の弊害だろ。
山本権兵衛に責任がある。
過大評価だろ。あれだけの人事改革ができたのは西郷従道がいたからこそ 1936年(昭和11年)、関東軍が進めていた内蒙古の分離独立工作(いわゆる「内蒙工作」)に対し、中央の統制に服するよう説得に出かけた時には、現地参謀であった武藤章が「石原閣下が満洲事変当時にされた行動を見習っている」と反論し同席の若手参謀らも哄笑、石原は絶句したという。 1936年(昭和11年)、関東軍が進めていた内蒙古の分離独立工作(いわゆる「内蒙工作」)に対し、中央の統制に服するよう説得に出かけた時には、現地参謀であった武藤章が「石原閣下が満洲事変当時にされた行動を見習っている」と反論し同席の若手参謀らも哄笑、石原は絶句したという。 まるで小学生のアホが大谷翔平の真似したらホームランが打てますと言ってるようなもんだなw それで沈黙して撃退されちゃった石原の方も、とても大谷レベルなんて言えたもんじゃない。 世界最終戦論なんて、陸軍パンフレット(たたかひは創造の父、文化の母である)と同じようなもんじゃないの?
ようは軍拡は正義だと言いたいだけ 世の中ブーメランだらけ
広田弘毅の後に宇垣一成に後継首相の大命降下があった 石原莞爾はこれを散々妨害しついに宇垣内閣は流産
この時石原が使ったのが軍部大臣現役武官制で、宇垣の子飼いの杉山や小磯も、受ければ即予備役に編入されると逃げた
軍部大臣現役武官制は西園寺内閣を倒壊に追い込んだ上原勇作陸相の暴挙から一旦廃止となった
この時宇垣一成は官制改正の主担当である軍事課長だったが、宇垣は現役武官制に猛反対 サボタージュを決め込んだため上司の柴軍務局長自ら起案する羽目となる
宇垣は稟議書に、帝国建軍の基礎を危うくし国家に害毒を流す、と言う意見まで付した
その宇垣がかつて自分が存続させるべきとした現役武官制度のために首相の座をオジャンにする
課長級あたりまでは好き放題に言い放つ 上位に立ってみると、現実というものが立ちはだかりそんなことばかり言ってられないのである
陸海軍はこういうのが多すぎる 石原の思想には可能性はあったのになw
スーパーマンじゃないのにすべてを求めるアホが一匹おるなw >>37
それは統帥権を最初に政治利用したのが犬養毅だとか、近衛文麿の蒋介石ヺ対手トセズと同じで、本人の素質を考えたら「玉に傷」というべき黒歴史じゃないの
> 満州事変以来の日本外交を厳しく批判していた外交評論家の清沢洌は宇垣外交を高く評価、「日本は久々に外交を持った。外交官ではない人物によって」と評したとされる。 宇垣一成 - Wikipedia 宇垣一成軍事課長の現役武官制度改正反対はなんの影響もなかった
若いころとポジションも違うし責めるほどの問題ではない
犬養毅の統帥権干犯問題は、ブーメランではすまない 濱口雄幸を殺し、自分も殺され、政党政治も死んだ
鳩山一郎はなぜ戦後堂々リベラルでございます的に出てこれたのか謎である >>0038
>石原の思想には可能性はあったのになw
そうだね。国際連盟と不戦条約が機能して世界から戦争が無くなり、世界連邦が成立するのと同程度には。 軍縮条約と統帥権干犯問題は、安倍政権時の、安保法制憲法破壊だという大騒動みたいなものだったわけだろ
僕からしたら政治家が法律を作る時に憲法解釈をするのは当然なので、憲法解釈変更が憲法違反だって言う憲法学者が民主主義と憲法を破壊してる
でもとにかくマスコミが世論誘導を始める大騒動になったから、野党の党首だった枝野も「乗るしかないこのビッグウェーブに!」と党名まで変えた
犬養の政争を取り上げて濱口首相暗殺まで犬養のせいだというのは、安倍暗殺が枝野のせいだというようなもの 安倍晋三の暗殺動機は宗教の広告塔
濱口雄幸の暗殺動機は統帥権干犯問題 >>43
テロは新聞報道の影響
山上が、安倍元総理を殺害したのは日本社会への復讐だな
結婚できないまま40才になって負け組確定したから、もっとも有能な政治家を殺害して日本を潰そうと思ったんだろ
統一協会なんて言ってるが、カーちゃんが怪しい宗教にすがったのだって山上が可愛くなかったからだろ
つまり統一協会の信者を増やしてるのは山上自身
> 犯人である佐郷屋は「濱口は社会を不安におとしめ、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」と供述したが、「統帥権干犯とは何か」という質問には答えられなかったという。濱口雄幸 - wikipedia 満州事変は、関東軍は当然のこと、陸軍省も参謀本部も同じ穴のムジナだらけで、陸軍に本気で掣肘しようという勢力はなく石原莞爾は思う存分腕を振るえた
だが、石原は独裁者じゃないので同調者がいなければ何もできない
内蒙工作防止も日中戦争不拡大もできなかった
日中戦争不拡大派は、参謀本部では次長の多田駿、作戦部長の石原、他少数派で多数は、永田鉄山の対支一撃論の流れの統制派
226で皇道派がほとんど一掃されたが、小畑敏四郎などの対中和平、対ソ戦準備論者が皇道派として排除されたのが大きい
参謀本部作戦部長と言えば陸軍中の陸軍であるが、陸軍全体の空気が違えば何もできず、結果左遷 左遷左遷と言われてるが、再度関東軍に行ったこと(関東軍参謀副長)までは左遷じゃないのでは?
出世コースとは言わないが、その後戻ってきた東条もそこにいたことだし、戻ってくることに含みを持たせた異動だろう
ただ上司の東条を馬鹿にしすぎたから、そのあとが左遷 中国と交戦中の作戦部長を外されて関東軍参謀副長というのは左遷と言われても仕方ない
ただ陸軍では一時的な左遷でも返り咲きはよくある 陸大エリートは数も少なくインナーサークル的なところがあるからかも
富永恭次、服部卓四郎、辻政信なども懲罰的な人事があったがすぐに要職ラインに戻った
だが東條は自分に反するものを許さないねちっこいところがあったから東條とトラブった軍人は東條が人事を握ってる間は復活の目はなかった 当時から東條がアホだったから馬鹿にされてたんだろなw アホだとわかってたのに東條を総理大臣にした下地を作った近衛ってよっぽどのキチガイだなw
政治の世界にはいらんアホだったw 近衛は首相としてろくな事をしなかった こんなのを首相にした木戸幸一は正しく君側の奸
とは言え第二次近衛内閣の陸相を東條にしたのは近衛の責任ではない
軍部大臣はあくまで軍部から出してくるのであって蔵相ほかの大臣のように首相が選ぶわけでもないし軍が出してきた大臣を拒否もできない
近衛は皇道派に近かったから、永田鉄山亡き後統制派の旗頭を自認する東條なんかより、皇道派の小畑敏四郎などの方が良かったんだろうが、226で皇道派は一掃されてしまった
残ってる人材として、多田駿や梅津美治郎であれば東條よりはマシだったとは思う だが多田は昭和天皇に嫌われ、梅津は関東軍司令官なりたて 結局東條英機が陸相という惨劇に 日中戦争は、満州国が作られた時点で蒋介石が決意したこと
北支派兵は、邦人保護と戦火不拡大のためでそれを悪用したのは陸軍
蒋介石と停戦にも成功するところだったが、陸軍と海軍の妨害で水に流れた(宮崎工作)
蒋介石ヲ対手トセズは、上海戦で一方的に日本軍人が殺されたために、そこで停戦しては示しがつかなかったから
そして日米避戦に尽力している
近衛は遺言として、百年後に僕の知己がいると信じると言ったが、今から見ても常識的な対応を常人にない能力で行っていたと思う
近衛の悪口を言ってるのは軍部の罪を少しでもなすりつけたい人達だと思うし、そういう人達が大勢いる 陸軍大臣現役武官制がガンだろ。
あれがなきゃ、近衛だってもう少し思い通りに動けたろうし、東條が首相どころか陸相にもなる事はなかったろう。
米内内閣も流産せずに済んだ。
復活させた広田弘毅の罪は重い。 軍部がいつでも内閣を総辞職させらっっる状態になったのは、広田個人じゃなくマスコミの責任だと思う
保阪正康も、天皇の大命を受けた内閣をなぜ天皇の軍隊が拒否できるのかっていう批判を紹介してたが、現役武官制の本来の目的は、軍事技術は進歩が早いから予備役では対応できないっていう事に過ぎないわけだろ
本来の目的から外れた運用ができたのは新聞がそう仕向けたから
昔の話じゃなく憲法9条も同じこと
侵略戦争を二度としないために科された憲法9条を、軍事的貢献をやらなくていいという自衛官の特権に変質させている
これもマスコミが官僚と一体化したプロパガンダ組織になっているから
「戦争ができる国になるべきなのか」なんて言ってるだろ 新聞及び新聞の系列のTV放送局は、戦前と何ら変わらない 政官べったりである
戦前讀賣新聞を支配した正力松太郎は、戦後もそのまま讀賣グループの総帥として君臨した
左の雄である朝日新聞はと言えば戦前朝日に君臨した村山長挙が戦後も社長・会長に 朝日は村山一族がオーナーの同族会社で、つい最近まで村山一族が社主として君臨していた
これでリベラル紙とか言ってるんだから、日本でのリベラルの使い方はどうなってるのかと思う 石原莞爾さん、確かに掴みどころのない方ですよね。満州事変の立役者でありながら、外交での解決も訴えていたりと、二面性のある人物という印象があります。
ただ、彼の行動には一貫した「日本のため」という強い意志を感じます。軍人として国を守ろうとする一方、外交交渉でより良い解決策を探ろうとする姿勢は、当時の状況を考えると非常に勇気あるものだと思います。
天皇陛下も石原さんの複雑さを理解し、評価されていたようですね。 >>51
訂正:
日中戦争は、1937年の盧溝橋事件をきっかけに勃発し、蒋介石は中国国民政府を率いて徹底抗戦を展開しました。
北支派兵は、1931年の満州事変勃発後、邦人保護と華北への勢力拡大を目的として開始されました。陸軍は派兵を拡大解釈し、中国との全面戦争へと導く結果となりました。
1937年、日本政府は張学良との和平工作(宮崎工作)を試みましたが、陸軍・海軍の強硬派の反対や中国側の要求条件の不一致により失敗しました。
1937年の上海戦では、多くの日本軍人が犠牲となりましたが、近衛首相が蒋介石との直接会談を拒否した理由は、それのみではありません。中国との全面戦争による長期戦への懸念や、国内の強硬派の反発などが主な理由と考えられます。
近衛首相は日米開戦回避を目指しましたが、彼の宥和外交はアメリカを刺激し、かえって開戦を早める結果となったという評価もあります。 いくつか質問させてください。
北支派兵の目的について: 1931年の満州事変勃発後、北支派兵は邦人保護と華北への勢力拡大を目的として開始されたとのことですが、具体的にはどのような状況を想定して、どのような勢力拡大を目指していたのでしょうか?
張学良との和平工作(宮崎工作)失敗の理由について: 陸軍・海軍の強硬派の反対と中国側の要求条件の不一致が主な理由とのことですが、それぞれ具体的にどのような内容だったのでしょうか?特に、中国側の要求条件がどのようなものであったのか気になります。
近衛首相が蒋介石との直接会談を拒否した理由について: 中国との全面戦争による長期戦への懸念や、国内の強硬派の反発が主な理由とのことですが、それぞれの懸念内容や反発の内容について詳しく教えていただけますか?
近衛首相の宥和外交について: 日米開戦回避を目指していたとのことですが、具体的にはどのような施策を実行していましたか?また、なぜ彼の宥和外交がアメリカを刺激し、かえって開戦を早める結果となったのでしょうか?
これらの質問は、日中戦争の複雑な経緯をより深く理解するために重要だと考えています。ご回答いただけると幸いです。
純粋に知りたいだけですので、ご回答よろしくお願いいたします。