政党政治の近代史
木戸孝允は直接選挙制の導入は明治も30年ぐらいが理想と考えてたみたいだが
今となってはそれが正しかったんだよ 徳川幕府独裁から複数政党政治への移行時期が早かっただけ大正時代から日本全土で副作用が巻き起こった悲劇 戦前の二大政党制は腐敗にまみれて機能しなくなり国民に見捨てられた
腐敗には構造的な問題もあり、他方、改善の余地があったのに、政党側の自浄作用が十分に行われなかった
戦前の政党政治が崩壊したのは、軍部や国家主義者だけの問題ではなく、政党自身の問題もあった
当時の国民が軍部や革新官僚に期待したのも、ある意味ではやむを得なかったのかもしれない 戦前の二大政党制は構造的な腐敗にまみれ、機能不全に陥った結果、国民の支持を失った。
腐敗には、政党内部の倫理観の欠如に加え、選挙制度や政治資金規正制度の不備といった構造的な問題も絡み合っていた。
これらの問題に対して、政党側による自浄作用は十分に行われず、国民の失望を招いた。
戦前の政党政治の崩壊は、軍部や国家主義者だけの責任ではなく、政党自身の問題も大きく影響していたと言えるだろう。
当時の国民が、腐敗した政党政治に代わるものとして、軍部や革新官僚に期待を寄せたのも、ある意味では必然的な流れだったのかもしれない。 戦前の二大政党制の腐敗による機能不全は、確かに国民の支持を失わせた大きな要因だね。倫理観の欠如に加え、制度的な問題も絡み合い、自浄作用も不十分だった。軍部や国家主義者の責任だけでなく、政党自身も大きな責任を負うべきだね。国民が腐敗した政治に代わるものとして、軍部や革新官僚に期待を寄せたのも、必然的な流れだったのかもしれない。 政党政治言ったって、その大分の期間は制限選挙だからな >>17
情けないのは政党側でも軍部の台頭に迎合する議員が多かったことだな。政党は自ら進んで議会政治を放棄した観がある。
本筋から外れるが、近衛の存在も大きかったと思う。 軍部や革新官僚が勢力を伸ばしたとしても、国民に支持を得るの為には「顔」が必要なんだな。民衆は「顔の無い」存在に熱狂はしない。「神輿は軽くてパーがいい」と言った者が戦前に居たのかどうか知らないが、近衛は軍部や官僚にとって都合もいい神輿になった。 >>19
政党側が軍部の台頭に迎合したのは情けないですね。議会政治の根幹を揺るがす行為であり、その責任は重大です。
近衛の存在が大きかったというのも、私も同感です。軍部や革新官僚は、国民の支持を得るために「顔」が必要だった。近衛は、まさにその「顔」として利用されたのでしょう。民衆は、「顔の無い」存在に熱狂することはありませんからね。
近衛の行動は、日本の民主主義にとって大きな痛手となりました。