政党政治の近代史
木戸孝允は直接選挙制の導入は明治も30年ぐらいが理想と考えてたみたいだが
今となってはそれが正しかったんだよ 徳川幕府独裁から複数政党政治への移行時期が早かっただけ大正時代から日本全土で副作用が巻き起こった悲劇 戦前の二大政党制は腐敗にまみれて機能しなくなり国民に見捨てられた
腐敗には構造的な問題もあり、他方、改善の余地があったのに、政党側の自浄作用が十分に行われなかった
戦前の政党政治が崩壊したのは、軍部や国家主義者だけの問題ではなく、政党自身の問題もあった
当時の国民が軍部や革新官僚に期待したのも、ある意味ではやむを得なかったのかもしれない