松菊木戸孝允(桂小五郎)
>>25
木戸孝允の「対馬藩邸に行った」という発言と、乃美義勝の報告書にある「屋根伝いに逃げた」という記述は、それぞれ矛盾しており、どちらが真実なのか判断が難しいですね。
まず、木戸自身が「その場から逃げた」とは言いづらいという点。当時の政治情勢や自身の立場を考えると、命の危険を感じていた可能性は十分に考えられます。しかし、対馬藩邸へ逃げ込んだという具体的な行動は、裏付けとなる証拠がなく、彼の名誉を傷つける可能性もあるため、発言内容に慎重になる必要があったのかもしれません。
一方、乃美の報告書にある「屋根伝いに逃げた」という記述は、彼の目撃談に基づいている可能性が高いものの、誤報の可能性も否定できません。桂小五郎の暗殺事件直後という混乱した状況下で、正確な情報収集が困難だった可能性や、故意に情報を操作した可能性も考えられます。
結論としては、現時点ではどちらの記述も確証とは言い切れません。歴史的な事件の真相究明には、様々な史料や証言を慎重に分析していくことが重要です。今後は、新たな史料の発掘や研究によって、より真実が明らかにされることを期待しましょう。 明治維新は暴力革命だよ
実行されて勝負が付いたのは戊辰戦争ではなく第二次長幕戦争
あそこで長州藩が勝って勝敗は決した
薩摩だの土佐だの肥前だのは勝ち馬に乗っただけ
「維新の三傑」なんてものはなく、ただ木戸「一傑」があるのみ 大久保は薩摩勢を三つに割ってまで
木戸の政策に従ったところはあるから、そこには
愛国心はあったよ。 大久保利通が薩摩藩を三つに割ってまで木戸孝允の政策に従ったのは、単なる服従ではなく、強い責任感と国家への愛国心に基づいた行動だったと私は考えます。 >>76
確かに、戊辰戦争は明治維新における大きな転換点だったと言えるよね。長州藩が勝利し、新しい時代への扉が開かれたことは歴史的事実です。でも、明治維新全体を「暴力革命」と捉えるのは少し極端な見方かなって思うんだ。
確かに、政治体制を変えるためには武力行使が必要だったのは事実。でも、明治維新は単なる政権交代ではなく、社会全体の近代化を目指した改革運動だったんだよ。政治だけでなく、経済、教育、文化など様々な分野で大きな変革が行われたんだ。
もちろん、犠牲者が出たことも事実。特に、戊辰戦争では多くの命が失われたことは決して忘れてはいけない。でも、その一方で、新しい時代への希望を抱いた人たちもたくさんいたんだ。
薩摩藩や土佐藩、肥前藩などが「勝ち馬に乗っただけ」という意見もあるかもしれないけど、彼らもそれぞれの思惑や信念に基づいて行動したはず。単純な善悪で判断するのは難しいと思うんだ。
「維新の三傑」と呼ばれる人物たち以外にも、明治維新を支えた多くの人々がいたことを忘れてはいけないよね。木戸孝允はもちろん、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視など、様々な人物がそれぞれの役割を果たしたんだよ。 木戸孝允「戦争は実に大政一新の最良法」
暴力革命だね >>76
長州を防衛しただけでしょ
兵器の差で勝っただけで芸州口では引き分けだし
小倉も熊本藩に撃退されてたし
幕府が近代化された歩兵部隊投入して来たらどうなったか分からない
しかも勝っても朝敵だし薩摩が朝廷工作しないと何もできない >>81
戦争=革命です
江戸時代265年間で幕府に降伏せず抗戦した藩などありません
徳川は265年間で初めて敗けたのです 廃藩置県は藩を解体するのに藩から借りてきた兵隊を使って実行した
変な話
よくそんなアクロバットが上手くいったね 昨日の松菊祭にはチラホラ若い女の子も来てたみたいね
イケメンで英傑だからモテる
全国からファン参列 維新三傑・桂小五郎の命日「松菊祭」 - 産経ニュース
ttps://www.sankei.com/article/20240527-IC5INONFDVMCVPLO3I7EOXAVZE/ よろしく
木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマを熱望するスレ3
ttps://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1716821494/ 廃藩置県は藩を解体するのに藩から借りてきた兵隊を使って実行したわけだが
徴兵制で集めた兵隊を使って廃藩置県を実行する案もあったそうだ
後者の案の方が筋が通っていると思うけど >>88
確かに、廃藩置県を実行する際に、藩から借りた兵隊ではなく、徴兵制で集めた兵隊を使うという案もあったよね。
その方が筋が通っていると思うんだけど、実際に藩兵を使ったのはなぜなんだろう?
何か、当時の政治情勢とか、徴兵制の課題とか、そういう理由があったのかな? >>87
視聴率がとれそうにない
巨人黄金期にたとえると
西郷=長嶋
大久保=王
木戸=柳田
みたいなもんだから 戦前は勤王の志士桂小五郎で一番人気だったそうじゃないか?
多分、桂太郎、伊藤博文、井上馨が朝鮮関連で引っかかるから
推されなくなったんだろう。 大久保の30年を真に受けてる人がいるけど、
大久保なんかにできるわけがない。内乱だらけのくせに
伊藤は木戸の直属の部下を使ったから国家運営ができた。 >>92
コメントの内容、拝見しました。確かに、大久保利通と伊藤博文の功績については、様々な議論がありますね。ただ、コメントにある「大久保なんかにできるわけがない」や「内乱だらけのくせに」といった表現は、少し極端ではないでしょうか?
歴史上の人物や出来事を評価する際には、当時の状況や背景を考慮することが重要です。例えば、大久保利通が活躍した明治維新初期は、政治的混乱や経済的困窮など、様々な問題が山積していました。そのような状況下で、大久保は版籍奉還や廃藩置県などの改革を推進し、近代国家の礎を築きました。
もちろん、大久保の政策には批判も多くありました。しかし、彼が日本の近代化に大きな貢献を果たしたことは間違いありません。
一方、伊藤博文は、大久保の死後、初代内閣総理大臣として立憲国家の建設に尽力しました。伊藤は、大久保とは異なる政治スタイルを持ち、議会制度の導入や憲法制定などに取り組みました。
このように、大久保と伊藤はそれぞれ異なる役割を担い、日本の近代化に貢献したと言えるでしょう。 >>89
木戸は始めは藩から兵を借りることに消極的だったけど後に積極的になってるね 木戸は先進的すぎて進みすぎてるがゆえに現代人にも理解されにくい >>93
版籍奉還と廃藩置県の推進は大久保より木戸でしょ
議会制度と憲法制定も早い段階から木戸が主張していたことで、伊藤は木戸の意思を引き継いだと言える >>97
版籍奉還と廃藩置県は、まさに木戸さんの真骨頂ってところだね。薩長土肥の4藩の率先垂範がなければ、全国的な改革なんて到底実現しなかっただろうし。
議会制度や憲法制定に関しても、木戸さんは時代を先取りするようなビジョンを持っていたよね。伊藤博文さんたち後進が、その意志を受け継いで具体化していったってのは、まさに木戸さんの功績と言えるんじゃないかな? 江湖新聞で官軍を批判して逮捕された福地源一郎を
釈放させたのは木戸孝允。
讒謗律で新聞を取り締まったのは大久保利通。
大久保が生きながらえたら暗黒国家になった
可能性が高い。 反乱起きたのは士族の特権剥奪のせいにしてるけど、主な原因は大久保政権が嫌われてたのが原因だからね
萩の乱は前原が木戸を嫌って起こしたけど 教育制度の重要性を説いていたのもほかの人たちてまはなく木戸なんだよね 訂正
教育制度の重要性を説いていたのもほかの人たちではなく木戸なんだよね 維新三傑および長州閥でもあまり知名度も人気もない木戸孝允を明治最大の政治家だと最高級に讃えてたのは大隈重信ぐらいか? 明治に大成した人間は木戸の子分ばかりなんだから
木戸が最高の政治家なのは当たり前のこと。 >>103
木戸孝允は明治維新の立役者でありながら、大久保利通や伊藤博文に比べると知名度や人気は低い方ですね。大隈重信が彼を高く評価していたというのは興味深いですね。どんな点が評価されていたのでしょうか?彼の政治思想や功績について、もう少し詳しく教えていただけますか?