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南京大虐殺は史実

0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/19(日) 15:28:24.84ID:q5hHT/um0
学生時代にちゃんと勉強しましょう
0403名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/13(木) 13:50:02.94ID:oRLp5hVC0
予備校の講師が〜
介護施設の利用者が〜

勝手にやってろよ
0404浮月斎
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2024/06/13(木) 14:25:40.60ID:iznkfh8t0
>402
>南京事件が起こったとされる頃は軍紀の乱れや憲兵の少さが問題視されていたらしい。(Wikiより)

Wikipediaを論拠に使っている時点で、あんたは二流以下。
「らしい」で東京裁判判決に論駁できますか。とりわけ、我々の先人に断を下すことであり、日本民族の「のれん」が関わっている重要事に「らしい」ではダメです。
ちゃんとした専門書で再確認すべし。
0405浮月斎
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2024/06/13(木) 15:21:53.38ID:iznkfh8t0
>395 の続き

子供らが日本兵に恐れを抱いていない、ということは「南京大虐殺」が虚構であるということと同義と考えてよい。

もし、東京裁判判決の云うように、6週間で20万人以上を殺害していれば、一日当たり4,760人の殺害となる計算だ。

もし毎日4千〜5千人を殺していれば、南京市民と日本軍の関係は険悪となり、そのことはたちまち、子供らの日本軍に対する恐怖となって表れるはずだ。

南京市民と日本軍の関係が良好で友好的であればこそ、子供らは日本兵に恐怖心を抱かず、無警戒に接してくるのである。

これと似た状況を、我々は日常的に経験している。恐いオジサンかとうか、親との関係はどうか、子供は本能的に観察しているのだ。終戦直後のギブミーチョコレートも、「米兵は恐くない」という前提があって、子供らは彼らに近づいていった。

つまり、常識的に考えて、「南京大虐殺」は存在しない。
0406名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/13(木) 16:34:14.15ID:UtIS1Uf40
中国新幹線が事故を起こしてたくさんの死者が出て、事故車を埋めて直ぐに復旧し、その最初の列車に乗客が沢山乗っていた件がある。
まあ、中国政府が宣伝したのだろうが、南京でも日本軍が宣伝していたのだろう。
自分に降りかからない不幸よりも、目先の利益に誘導されるって性質があるんだろう。
0409紀州人
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2024/06/13(木) 18:45:58.88ID:YIOWSmL60
>>404
二流でも三流でもどうでもエエ。
「南京大虐殺があった」派は史実なんざどうでもエエ奴等が大体さかね。
日本人に自虐史観を植え付けて、自己否定、罪悪感を持たせ、特亜三兄弟の都合の良い様に日本人を扱うのが目的や。
嘗て英国人が自虐史観で国力低下を招いた様に、日本の国力低下と衰退が目的なんやろな。
現在は目的を達成出来つつあるんやない?
0411名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/13(木) 20:21:51.15ID:xXGrwFHV0
「軍紀の乱れ」を南京事件とは言いません。
憲兵が少ない事は犯罪の多発を意味しません。
20万人の日本兵が20万件の犯罪を犯したなら大量の憲兵が必要でしょうが、実際の犯罪は極少数でした。

安全区委員会に記録された日本軍の不法行為は1937年12月14日の第1号から翌年2月19日の第69号までの全てを事実確認せず合計しても400件程度。

「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」昭和15年(1940)陸軍省
によると
「支那事変勃発より昭和14年末に至る間に軍法会議に於いて処刑せられし者は掠奪、
同強姦致死傷420、強姦、同致死傷312、賭博494に達しあり」
とある。
つまり
「1937年7月から1939年(昭和14)末まで」の間に『日本軍全体』で掠奪、同強姦致死傷で処刑された数は420人。
強姦、同致死傷で処刑された数は312人。
計732人(420+312)。

期間を無視してこれが全て「南京での犯罪」だと仮定しても僅か732件。
17人の憲兵が1日1件6週間処理すれば17人x7日x6週間=714件で十分対応可能。

そして1月初めに定員約400名の中支那方面軍憲兵隊が編成され、監視網も強化された(秦:「南京事件」,P178)。
日本兵による犯罪行為が多発したとすれば南京陥落 の12月13日から憲兵が増員される1月初めまでの間しかない。
しかし南京陥落後に日本兵の犯罪行為が多発したという記録は無く、憲兵増員後に日本兵の犯罪行為が減少したという記録も無い。
これらより憲兵の数の多寡は犯罪の多発を意味しない。
0412名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/13(木) 20:46:40.78ID:ZmMOnlo/0
>>411
無知って怖いな

続・現代史資料(6)軍事警察(資料解説P33)
僅かに現行犯で目に余る者を取り押さえる程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引き渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れ歩き、南京さして進んだのである。
0414名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/13(木) 23:56:49.14ID:xXGrwFHV0
地図も読めないで社会で生きていけるのかね?
笠原みたいに南京事件の範囲を「上海から」とか「近郊六県含む」とか勝手に拡大するんじゃねーよ。

>南京さして進んだのである。
0415名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:00:42.63ID:G3fjuvxa0
「目に余る者は取り押さえられた」という事は放置されたのはゴミみたいな「大した罪では無い者」。

ゴミをいくら集めても「南京事件」にはならない。
0416名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:09:03.14ID:/kYXKd2z0
>>414
無知に程があるな
続きの文も貼ってやろう


戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、 わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、 火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。
0417名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:15:10.82ID:G3fjuvxa0
支那事変勃発より昭和14年末に至る間の「目に余る者」を全て合計しても730件程度。

当然「南京陥落から6週間」の間の犯罪件数はさらに少ない。

そしてこれらは単なる「兵士の個人的犯罪」であって「日本軍による組織的な不法行為」では無い。

つまりあった派が南京事件の論点を「日本軍による組織的な不法行為」と証明出来なくなったので「兵士の個人的犯罪」に逸らそうと必死に悪足掻きをしていると。

哀れだねえ。
0418名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:18:33.95ID:/kYXKd2z0
>>417
俺が貼った第十軍は南京で軍法会議を開いてないんだが?
なーんも取り締まってないんだよ
0419名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:20:34.50ID:G3fjuvxa0
>>416
で?
それが南京と何の関係が?
南京で「具体的に」どのような事例が行われたのか提示してみろよ。
少なくとも兵士の不法行為が「日本軍の命令で」「組織的に」行われたと証明出来なければ南京事件とは言わねーよ。
0420名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:25:19.16ID:/kYXKd2z0
>>419
南京で具体的に軍法会議が開かれませんでした

続き

上砂勝七「憲兵三十一年」
成る部隊長が憲兵に向い、「今度附いて来た憲兵は日本軍の憲兵か支那軍の憲兵か。取締りがやかまし過ぎるぞ」と詰問するのに、憲兵が答えて「皇軍らしさに欠けるところがなければ、日本の憲兵となり、さもなくば支那の憲兵と思われるでしょう」といったことがある。皇軍が皇軍らしい行動に、些かの欠けるところがなかったなら、数万の金品を使って宣撫したり、百万言を用いて演説するよりも、住民は自ら軍を信頼し皇威に服したであろうに、遺憾なことであった。
柳川軍は南京入城式が終ると、上海の西南方杭州の占領に転進を命ぜられ、十二月十五日南京を出発して二十八日杭州に無血入城し、ここに初めて軍法会議を開き、拘禁所を設けた。
0421名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:29:48.48ID:G3fjuvxa0
>>418
だから?
軍法会議が開かれていないからどうした?
憲兵がいなかったから犯罪行為が多発したのかよ?
それならお前が言う「南京事件」とは「具体的に」どのような犯罪行為が「どこで」「何件」起きたのか証明してみろよ。

それともお前の言う南京事件とは「よくわからないけどにほんへいはなんきんでいっぱいわるいことをした」程度のものなのかよ。

アホらしい。
0422名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:33:04.25ID:/kYXKd2z0
>>421
非違行為だらけだったのは憲兵自身の手記で立証済み
しかしそれでも第十軍は12月28日杭州に入るまで軍法会議を開かなかった
>>411のような軍法会議の取り締まり数の合計なんて全く意味がないんだよお馬鹿さん
0423名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 00:54:40.01ID:G3fjuvxa0
南京陥落前に杭州や上海で10万人死のうが50万人死のうが南京事件とは無関係ですので南京事件とは言いません。

軍紀の乱れは南京事件とは言いません。
掠奪は南京事件とは言いません。
強姦は南京事件とは言いません。

上海で軍紀が乱れても南京事件とは言いません。
南京への進路上で掠奪があっても南京事件とは言いません。

さて、軍紀が乱れていたからなんだって?
0424名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 01:02:30.35ID:G3fjuvxa0
バカには「南京事件と軍法会議が開かれなかった事の関係を証明出来なければ何の意味も無い」という事も理解出来ないのだろうなあ。

そして具体的根拠は絶対に出さず、その証明からは徹底的に逃げ回るし。

あった派の目には安全区委員会の記録に20万件位の事件が書かれているように見えるのだろうなあ。

他の誰の目にも見えないけど。
0425紀州人
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2024/06/14(金) 07:08:19.87ID:aCKL6jla0
>>410
自虐史観とオナニーになんの因果関係があるんや?
0426名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 07:23:01.55ID:7Oi2gdvm0
>>425
日本は常に正しかったという自慰史観を批判しているんだろう。そんな史観を持っていて勝てるのかという話
0428名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:20:30.11ID:YFE4lFT+0
>>424
1938年2月16日付駐華ドイツ大使館報告第113号
脱ぎ捨てられた多数の軍服は、日本軍に、難民区には多くの中国兵士がいると主張する格好の口実を与えた。
かれらは再三にわたって難民収容所を徹底捜索したが、兵士とおぼしき者を真剣に探す努力はせず、まずすべての若者を無差別に、次に何らかの理由で目についた者を全員連行した。
城内で中国人が日本軍に発砲したことは一度もなかったにもかかわらず、日本軍は少なくとも5,000人を射殺し、その大半は埋葬の手間を省くために川岸で実行された。
0429名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:21:22.76ID:YFE4lFT+0
>>424
ドイツ外務省宛 発信者-ローゼン(1938年1月20日)
一般に、兵士の印として、頭にある円形のヘルメットの跡や、銃を肩にかついだり、背嚢を背中に背負ってできる痣などが調べられた。
また、複数の外国人目撃者の証言によれば、日本軍は多くの中国兵に「危害は加えない。仕事を与えよう」と約束してかれらを安全区の外に連れ出し、殺害した。
いかなる軍事裁判も、またこれに類する手続きも一切おこなわれた形跡はなかった。
そもそもこうした手続きは、あらゆる戦時国際法の慣例と人間的な礼節をかくも嘲り笑う日本軍のやり方にふさわしくないものであったろう
(ドイツ外交官の見た南京事件:資料73)
0430名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:22:52.01ID:YFE4lFT+0
>>424
「熊本師団戦史」P128~P129
のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。
0431名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:23:39.23ID:YFE4lFT+0
>>424
高城守一「揚子江は哭いている」P94~P96
揚子江の流れの中に、川面に、民間人と思われる累々たる死体が浮かび、川の流れとともにゆっくりと流れていたのだ
そればかりか、波打ち際には、打ち寄せる波に、まるで流木のように死体がゆらぎ、河岸には折り重なった死体が見わたす限り、累積していた。それらのほとんどが、南京からの難民のようであり、その数は、何千、何万というおびただしい数に思えた
0432名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:24:41.38ID:YFE4lFT+0
>>424
高城守一「揚子江は哭いている」P94~P96
南京から逃げ出した民間人、男、女、子供に対し、機関銃、小銃によって無差別な掃射、銃撃がなされ、大殺戮がくり拡げられたことを、死骸の状況が生々しく物語っていた。道筋に延々と連なる死体は、銃撃の後、折り重なるようにして倒れている死骸に対して、重油をまき散らし、火をつけたのであろうか。焼死体となって、民間人か中国軍兵士か、男性か女性かの区別さえもつかないような状態であった。 焼死体の中には、子供に間違いないと思われる死体も、おびただしくあり、ほとんどが民間人に間違いないと思われた。
私は、これほど悲惨な状況を見たことがない。大量に殺された跡をまにあたりにして、日本軍は大変なことをしたなと思った。
0433名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:26:21.16ID:YFE4lFT+0
>>424
ロバート・O・ウィルソン医師(1937年12月28日)
「日本兵が彼らを登録するとき、まず結構な演説をして、兵士を探しているだけだと述べた。もし兵士だったと進み出て認めれば、命は助けて、軍の使役隊に編入されると日本兵は言った。ソーン、ベイツ、リッグズ氏らを含むみんなの前で、このことは繰り返し述べられた。二〇〇人が前に進み出て、兵士だったことを認めた。
 この患者の話によると、この数百人の男性は町の西にある丘に連行され、銃剣の練習台にさせられたそうだ。彼には何人が生き残ったか見当がつかないという。」
0434名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:26:53.67ID:YFE4lFT+0
>>424
エスピー報告
「十二月十三日、日本軍が城内に入ってきた。安全区の境界でアメリカ人役員が日本部隊に会い、彼らが所持する地図に安全区の印があるのを確かめた。その役員らが背をむける間もなく、この部隊による安全区への一斉射撃が行われ、二〇名の民間人が死亡した。しかしながら、総体的にみて、入城一日目と二日目は安全区は攻撃の対象からはずされていた。
 しかし、市の南東部では安全区に避難しなかった多数の民間人が虐殺された。」
0435名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:27:51.13ID:YFE4lFT+0
>>424
徳川義親「最後の殿様」P170~P173
『日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒涛のように逃げていく。そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、あれを撃て、と命令した。
中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。それで長中佐は激怒して、
「人を殺すのはこうするんじゃ」
と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し、大殺戮となったという。
長中佐が自慢気にこの話を藤田くんにしたので、藤田くんは驚いて、
「長、その話だけはだれにもするなよ」
と厳重に口どめしたという。』
0436名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:29:14.64ID:YFE4lFT+0
>>424
ラーべ報告書
『日本軍の総司令部と連絡をつけ、同時に砲撃が市にどれほどの損害を与えたか、あらまし確かめるために、私は数人のアメリカ人と市の南部に行きました。われわれは総司令部は見つけられませんでした。自転車に乗った日本軍の歩哨が、指揮をとる将軍は三日たたないと着かない、と告げたのでした。われわれは、たくさんの中国の民問人の屍体を見ました。いくつかの遺体を調べた結果、私は彼らが至近距離、おそらく逃走中に背後から射殺されたことが確認されました。』

『略奪行為をする三ないし一〇人のグループが、市街と安全区をのし歩き始め、手に入るものは何でも略奪し、婦人と少女を暴行し、なんらかの低抗をする者、逃げ出す者、あるいは彼らを不快にする者すべてを殺しました。その際、大人であるか子供であるかの見境はありませんでした。』

『私は婦人の屍体がビールびんや竹棒に突き刺されているのを見ました。私は犠牲者たちを自分の目で見ました。私はまだ生きている犠牲者と、死の寸前に話し合いましたし、鼓楼病院の遺体置場で、すでに亡くなった人の衣服を脱がせ、私に告げられた報告が真実に則していることを自分で確かめたのです。』
0437名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:30:20.76ID:YFE4lFT+0
>>424
ヴォートリン日記
1938年4月15日
城外ではこの時期に39,589体の男性、女性、子どもの死体を埋葬した。そのうち約25%は民間人であった。これらの死体埋葬数には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三叉河の地域は含まれていない
0438名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:31:39.07ID:YFE4lFT+0
>>424
石射猪太郎 宣誓供述書
12月13日頃、我が軍が南京に入城する、其の後を逐って、我南京総領事代理(福井淳氏)も上海から南京に帰復した。同総領事代理から本省への最初の現地報告は我軍のアトロシテ-ズに関するものであった。此の電信報告は遅滞なく東亜局から陸軍省軍務局長宛に送付された。当時、外務大臣は此の報告に驚き且心配して、私に対し早く何とかせねばならぬと御話があったので、私は電信写は既に陸軍省に送付されて居る事、陸海外三省事務当局連絡会議の席上、私から軍当局に警告すべき事を大臣に御答へした。其の直後、連絡会議が私の事務所で行われ(カッコ内省略)其の席上、私は陸軍省軍務局第一課長に対し右アトロシテ-ズ問題を提起し、苟も聖戦と称し皇軍と称する戦争に於てこれは余りヒドイ、早速厳重措置する事を切実に申入れた。同課長も全く同感で、右申入れを受け入れた。
0439名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 08:32:15.64ID:YFE4lFT+0
>>424
ラーべ報告書
さらに私がとくに指摘しておきたいのは、どうみても日本人は私に感謝するほかはないことです。なぜなら、私が南京難民区の国際委員会委員長として活動を開始して以来、われわれが日本大使館に提出せねばならなかった数多くの苦情と抗議の矛先を和らげるベく努めてきたからです。それは、私はドイツ人でしたし、ドイツ人として、われわれと同盟している日本の大使館との友好的関係を堅持したいと望みましたし、またそうせねばならなかったからでした。委員会で私が仲良くしていたアメリカのメンバーの間で、〔日本大使館に〕手紙を発送する前に、「手紙に蜜を加えて感触を柔らかくさせたほうがいいよ」と警告されることにもなりました。それでも日本大使館宛のいくつかの手紙が相当に厳しいものになったのは、日本兵によって日毎に繰り返される殺人、略奪、暴行、放火を目にして、われわれには他になす術がなかったからでした。
0440名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/06/14(金) 08:32:43.17ID:YFE4lFT+0
>>424
石射猪太郎『外交官の一生』
南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。
0441名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/06/14(金) 08:33:38.15ID:YFE4lFT+0
>>424
ラーべの報告書
中国の発表によれば総計一〇万人の中国の【民間人】が殺害されたそうです。これは少し過大な数字でしょう。われわれヨーロッパ人はその数は約五万ないし六万人と推定しています。
0442名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/06/14(金) 08:37:07.04ID:YFE4lFT+0
>>424
夏淑琴『南京大虐殺と原爆』
南京市内に当時、外国人が避難できるように作られた「安全区」という地域がありました。南京市内の状勢がずい分安定してからですけれども、私の母方の伯父が、その安全区から私たち二人を迎えに来ました。 そして、孤児院から私たちを引きとってくれました。
あとになって知ったことですが、私たちの家族だけではなく、私が住んでいたのはほんの小さい地域ですが、その地域だけで一日のうちに二百人前後もの人がいっペんに殺されたのです。赤ん坊から老人まで無差別に。
0443紀州人
垢版 |
2024/06/14(金) 08:59:45.31ID:aCKL6jla0
>>427
自慰史観ね。
それもアホらしい。
歴史はプロパガンダではない。
過去から学んで、未来に活かすものとちゃうか?
0444紀州人
垢版 |
2024/06/14(金) 09:01:24.21ID:aCKL6jla0
これは流石に頭がおかしい。
h t t p s ://m.youtube.com/watch?v=4UmgC8ZLnro
0445名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/06/14(金) 09:51:45.30ID:GClfSwLw0
>>443
そうだよ
マッカーサーが自衛戦争と言ったとか
真珠湾はルーズベルトの陰謀だとか
日本の植民地は欧米とは違うとか

無知による自慰はみっともないものだ
0446浮月斎
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2024/06/14(金) 10:55:56.64ID:pgm+etAK0
(12月15日)、私は、車で城内をまわった。住民居住区は「避難民区」とされ、その周辺には警備隊が配置されていた。私たちは、旧支局が区内にあるとの理由で中に入った。まだ店は閉じたままだが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していたのだ。私は戦争で荒れた心が和むのを覚えた。
(前野雄二「戦争の流れの中に」pp.115-116)
0447浮月斎
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2024/06/14(金) 10:57:47.35ID:pgm+etAK0
また占領後、難民区内で大規模の掠奪、暴行、放火があったという外電が流れた。これを知って、私たちはキツネにつままれたような思いをした。というのは、難民区は入城早々指定され、将兵の立ち入りが禁止された。そして入城式のころから難民区内でも商店が開けはじめ、同盟班も十八日には難民区内にあった旧支局に移動していた。これは区内の治安が回復したからのことである。
 支局には、戦前働いていた料理人や下働きが戻ってきた。これと入れ違いに、これまで忠実に仕えてきた李杏泉が多額の軍票と身分証明書を与えられて住民の中に去った。
 難民区内での日本兵の“乱暴狼藉”説が上海から伝えられたのは、その直後のことだったのだ。すなわち、私たちが以前の活気を取り戻した難民区内の支局で、平和な日常活動をはじめた矢先のことである。私たちは顔を見合わせた。新井も堀川も中村農夫も、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も、十四日には終わっていたのだ。もしこうした無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった。
 警備司令部の記者会見でも、「例の白髪三千丈」だろうと、まともに取りあげる空気にはなかった。もしそれが事実だったとすれば、私たち新聞記者はあきめくらだったということになる。
(前野雄二「戦争の流れの中に」p.125)
0448浮月斎
垢版 |
2024/06/14(金) 11:01:35.12ID:pgm+etAK0
翌日(十九日)は難民区をまわる。政府上層部や金持ち階級はほとんど逃亡してしまって、空家になったそれらの家々は荒らされている。しかし、庶民階級は居住地域にそのまま残り、店は開き、行き交う人が多い。物売りが町を歩き、大道芸人が皿まわしをやって人を集める。私はカメラの稲津と二人で支那風呂に入ってみる。若い湯女が全身を洗い、マッサージをする。軍票で支払うと、店の主人がはじめて見る紙幣を物珍しげに吟味する。新しい 支配者のもとでの生活がはじまったことを実感として受け取ったのだろう。
(前野雄二「戦争の流れの中に」p.126)
0449浮月斎
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2024/06/14(金) 11:20:39.31ID:pgm+etAK0
「南京入城後、日本兵による不法事件があり取り調べたことを記憶している。而して、入城式(注;12月17日)に当たり松井司令官は各部将校を集めて不法事件の発生を語り、軍紀風紀の維持を厳守するよう申し渡したことを記憶している。
 私の処断した事件の中には将校は四、五人いたと思うが、その他は兵卒による散発的な事件が大部分であった。罪種は主として掠奪、強姦であり、障害、窃盗は少なく、それに起因する致死は極めて少なかったと記憶している。殺人も二、三件あったと思うが放火犯を処断した記憶はなく、また集団的虐殺犯は取り扱ったこともない。」
(出典:『南京大虐殺はこうして作られた‐東京裁判の欺瞞』(冨士信夫著 展転社)p.148)

ワシはこの塚本浩次法務官の立場を取っている。偶発的事故としての殺人は二、三件はあったのであり、組織的・計画的な「集団的虐殺」はなかった。事故はありうるし、どのような集団にも不心得者は居るからだ。米軍が日本を占領したときも、強姦・殺人・掠奪事件は起きている。ちなみに、横浜に上陸した米第八軍は24万人だ。敗戦した国土に、勝利に酔う24万人の男ばかりの集団が占領したら、強姦・殺人・掠奪が起きない方がおかしい。個人で行った不法行為までは否定しない。しかし、それは日本軍という組織の意思に反するものであった。
0450紀州人
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2024/06/14(金) 12:21:59.48ID:aCKL6jla0
>>445
それが自慰史観?www
で、日本人が支配欲と残虐性の塊になって突き進んだのが正しい史観だとか?
自慰史観と自虐史観のどちらかじゃないと、歴史学は成立しないの?
0451名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 12:38:45.84ID:7Oi2gdvm0
多分、成り行き任せでやったら統制取れなくなったと信じたいが、信じたいは学問的態度じゃないなあ。
0452名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/14(金) 13:14:25.73ID:QJHTZjWP0
>>450
いくつか例を挙げたようにデマに基づいた主張は自慰以外の何物でもないでしょう

>支配欲と残虐性
そんな事を言ってる人、このスレにはいないんじゃない?

私は自虐史観だと指弾する人が反証例として持ち出す事例の多くが
基礎的知識の欠落や、とうの昔に否定された説なのを指して自慰史観だというワードを使っている
0453名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/06/14(金) 13:25:07.76ID:QJHTZjWP0
それが不名誉なものでも事実なら自虐でも何でも無いと思うがね
もちろんデマがダメなのは言うまでもない
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