法批判について 
               中込 将之

私は、2003年に起きた12歳の少年が6歳の少年を殺害するという事件に関しての
おそらく学生諸氏の(というのもそれはインターネット上のものだった)議論に関わった。
そこでやり取りされた議論の内容をここで全て書きあげるわけにはいかないが、私はそこにある一つの
問題点を見い出していた。それはつまり「法の万能性」を前提にして議論している者がいると言うことだ。
インターネット上の議論で、私がその話しに加わった最たる原因となる発言の内に、
「(少年)法で裁けないのならだったらせめて顔写真でも公開して社会的制裁を加えてやりたい、という考えは
全く無知で愚かなものである」と言った内容のものがあった。私はこれにクビを捻る。
法で裁けないのならば社会的な制裁に踏み切るのは当然のことではないだろうか、と私は思ったからだ。
そして、議論をしていくうちに見えて来たのが、彼等の、正義は法の内にしかない、という考えである。
法というものが正義と言う概念と切っても切り離せないものである以上、
そこに絶対性、不変性を見出すのは仕方のない事かもしれない。
しかし、それを無批判のうちに受け入れ、それを前提として議論を進めるのは
明らかに問題を含んでいる。
むしろ、批判的な目で法を見るのならば、そこに万能性、不変性を見出すことは至難の業だろう。
決して、法は唯一の正義ではない。
私はこの論文において、法を批判(否定)することの必要性と、原理的な不可避性を論じようと思う

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