武豊の親族が撲殺されて犯人捕まらないという事実
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犯人は武豊
VIPQ2_EXTDAT: none:default:1000:512:----: EXT was configured 犯人は身内なのは確かだよね
寝室で殺されてたんだし
なんで逮捕できないの? 従業員の女房をレイプしたから、腹いせに旦那に殺された 種無しは犯罪まで犯してたのかよwwwwwwwwwwwwwww これ武豊が訴えたら名誉毀損罪で火縄銃逮捕だろう
武さんて本当心が広くていい人だよな訴えないしww 2003年6月9日午後1時35分頃、北海道静内町田原の競走馬育成牧場「武牧場」の経営者 武勇さん(当時58歳)が牧場内にある自宅寝室のベッド 内で、頭から血を流して死んでいるのが発見された。
北海道静内町武豊騎手親類殺人事件
経営者である武勇さんは人気競馬騎手・武豊さんの父のいとこであった。
武勇さんは寝間着姿で、頭は硬い棒状の凶器で側頭部が陥没するほど強く殴られており、大量に出血していた。
武勇さんの死因は脳挫傷と出血性ショックだった。
発見したのは武勇さんの妻 (55歳) で、起床が遅いのを不審に思い、部屋をのぞいて発見した。
武勇さんは8日夜に酒を飲み午後10時頃に寝室に向かっている。
発見当時、武勇さんの体には布団が掛けられており、室内に物色されたような様子はなく、争った形跡も見られなかった。
窓が割られて侵入されたような形跡もなかった。
武勇さんは普段は家に鍵を掛けないという。
武勇さんは妻と2人暮らし。
住宅は町道から約100m入った牧場敷地内にある平屋で、夜は真っ暗になる。
普段から玄関に鍵をかけていなかったという。
牧場内には別に武勇さんの長男の妻子が住む家もあった。
牧場の従業員は6人で、競走馬20頭ほど飼育していた。 殺人事件前にあったトラブル
生前から武勇さんの言動などやお金に関わる評判が地元住民の間ではよくなかった。
武勇さんは市場を通さずに国産馬や外国産馬を相対で売買する「庭先取引」をしていたと言われていた
事件の数年前から実父である武平三さんと土地所有権で争い裁判を起こしていた。
観光客による事故で町から多額の賠償金を受け取っていたことが地元住民の間で話題となっていた。
事件前日に近所のパチンコ店で武勇さんがいざこざに巻き込まれていた
武勇さん恨む相手も不特定多数いたのではとも言われていた。
しかしそれ以外は目立った情報も少なく、未だ未解決となっている。 2003年6月9日の午後1時過ぎ、北海道静内の武牧場で武勇さんが倒れているのを妻が発見した。
救急隊が到着したが、既に勇さんは亡くなっていた。
この武牧場は、言うまでもなく武豊騎手ゆかりの牧場で、勇さんは親戚に当たる人物である。
牧場に隣接する自宅の寝室で、頭から血を流している勇さんがうつ伏せになっていたという。
頭部には鈍器で殴られたような跡が残っており、北海道警察はこれを殺人事件と断定して捜査を開始した。
武牧場と言えば、付近では知らない者のいない競走馬の育成場であり、事件の一刻も早い解決が急がれたが、捜査は遅々として進まなかった。
というのも、勇さんの近年の言動が余りに目立ちすぎていて、言わば恨む相手が五万といたからである。
勇さんは、事件の数年前から実父の平三さんと土地の所有権を巡り裁判を起こしたり、観光客による事故で町から多額の賠償金を受け取っていたことが話題になっていた。
地元でもその噂は周知の事実となっており、殺害した犯人は勇さん個人に対する恨みを抱いている人物であると考えられている。
しかしながら、該当するような人物にはいずれもアリバイがあり、今に至るまで犯人は見つかっていない。
http://jjkeen.blog.jp/archives/8352490.html 結構知らない人がいるんだな
武豊の兄貴が薬で逮捕されたことも知らない世代か? 酒呑んで喧嘩して帰宅して睡眠中に昏睡して死亡に1票 碌なソースもないIDなしクソスレ
完全にアフィの仕業
これ以降レスする馬鹿はアフィの盛り上げバイト >>40
知らなかった
マジで武豊の親族撲殺事件て名前までなってるのかよ
これ武豊にとっても風評被害だろ 武牧場主撲殺事件にすればいいのに
武豊の親族て名前にされてんのは可哀想 ガセスレかと思ったら本当に武の親族撲殺事件てあってくそワロタ 同じ敷地に住んでる長男が犯人
自分の妻を慰みものにされ続け
我慢の限界で陥没する程殴打した
布団がかけられていたのは間違いなく身内の犯行
母は知っていたが長年DVにあっており長男と口裏を合わせることにした マイネルラクリマがここの生産だけど何故?
マイネルなのに 進駐軍に絡んでは、園田牧場が戦争中、軍にジャガイモを供給していたことで戦争責任を追及され、農地改革に伴い、当時100頭の牛と80頭のサラブレッドを繋養していた牧場を取り潰されるという憂き目にも遭った。
当時4歳であった芳彦の三男・邦彦が当時を記憶し、
「大きな牧場で育ち、毎日馬とあそんでいた。ある日、馬がみんなどこかへ連れて行かれて、友だちを失ってしまった。トラクターがやってきて、厩舎をバリバリと壊しはじめ、牧場は農地になってしまった」と述懐している。 武彦七の三男・輔彦は、調教師として桜花賞・菊花賞のクラシック二冠を制したブラウニーや宝塚記念優勝馬ホマレーヒロを手掛けたほか、弟子に宮本悳、田島日出雄といった騎手を輩出した。
加藤敬二が孫弟子に当たる。
尾形藤吉の元で騎手となった五男・富三は目立った業績を残しておらず、1944年5月7日の東京競馬場での春季能力検定競走(第7競走・呼馬障害)でイソノマツに騎乗して落馬、死亡している。 ま、どうでもいいじゃん
またいとこのことなんて
お前らだってそこまで遡ったら殺人犯も居れば殺されたやつも居るだろ? 兄貴は覚醒剤で逮捕、父親の従兄弟は撲殺され、弟は客とトラブル起こしてボコボコにされる 武平三は日本で初めてドーピングによる刑事処罰を受けた調教師
その息子が撲殺、その後、現調教師の武宏は武牧場生産のスリーロールスでG1制覇
息子の武英ではなく浜中を乗せて勝利
この一族は色々ときな臭い 芳彦は牧場から土地から全てを失い、農地になった土地をまた一から復興させ、苦労して立て直した
そして学生だった邦彦に、叔父の平三が騎手の道を進めた
そして孫の武豊が騎手デビュー、初めてGI制覇をした翌日、祖父芳彦は肝臓癌で死去
叔父の平三は彦七の遺産で武牧場の権利を継ぎ、後に息子勇に譲渡した
勇は苦労を知らずに育った為に、傲慢で勝気な成金として地元の人間から嫌われ様々な恨みを買っていた
牧場の仕事を息子と従業員に任せっきりで、自分はパチンコにギャンブル、女遊びで放蕩を繰り返し、身内からも恨まれていた
武豊がスターダムに駆け上がるに連れて、勇は邦彦に金を融通する様に迫った
そして撲殺事件が起こった
邦彦はこの件について口を閉ざした ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています