たまにはマジメに1993クラシック世代の思い出
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンのいわゆる『三強』だけで語られることの多いこの世代だけど、実際は本当に多士済々で個性溢れる面子揃いだった
中でも自分はマイシンザンの豪脚に完全に心奪われて競馬にのめり込んだんだが、皆はこの世代に好きだった馬は居る? ちなみに馬券の相性が良かったのはキングファラオ、悪かったのはケントニーオーだった
どっちも好きだったんだけどね >>3
まだ終わりじゃないぞよ
もうちっとだけ続くんじゃ ビワハヤヒデとマイシンザンとネーハイシーザーのガチンコ勝負が見られると思って楽しみで仕方なかった神戸新聞杯だったけど、マイシンザンが屈腱炎発症して取り消した時は本当にガッカリだったわ 岡部「クエストフォベストの方がビワハヤヒデより強い」 テイオーに一蹴された最強世代
無敗の2冠馬のプライドを見た ネーハイシーザー サクラチトセオー ステージチャンプ
ベガ ホクトペガ >>6
そんなこと言ってた岡部がいともあっさりビワに乗り替わってたのはなんだかなぁ…って感じだったなw >>8
牝馬はノースフライトに入れあげてたなぁ
エリ女はやったと思った所でホクトベガに出し抜け食らってしばらく呆然としてたわ >>7
あの有馬はテイオーの単勝馬券握りしめて直線叫びまくってたわ
でもまさか本当に勝つとは思ってなくてビックリしてたww TB初年度かぁ
翌年BT翌々年SS含め現代競馬の幕開けなイメージ >>10
当時は阪神競馬場でマイシンザンの快勝に酔いしれて気付かなかったけど、後でフジの映像を見たら切ない気分になったな… >>13
まさにそんな感じ
ダビスタブームも拍車をかけてたね >>14
マイルCSで軸にして豪快に玉砕した思い出が…ww 直後がブライアン世代だから埋もれちゃうよね。ビワハヤヒデの早期引退がつくづく残念 この世代のダービーがビギナーズラック
会社の先輩に3強のBOXをすすめられ3頭で決まって
競馬って簡単に儲かると思ったw
素人ながらウイニングチケットってなんていい名前と思った ウイニングチケット大好き。レース見ると今でも泣けてくる。
北海道に会いに行きたい。 オグリブームで競馬始めた連中で、この世代、ブライアン世代を経験してると、大半は入れ込み具合の差はあれど、まだ競馬やってると思う。 >>18
この世代は能力が高かった反面、故障が多くて皆早期引退を余儀なくされてたよね
結局、最後まで生き残ったのはサクラチトセオーぐらいだったな >>1
このダービーは三連単一点買いで家が建つほど儲けたわ >>20
マイシンザン推しの自分がいちばん思い入れの強いライバルがガレオンだった
もし両馬ともNHK杯を使わずにダービーへ駒を進めることが出来てたら、上位三着までの結果は変わってたかも知れないと今でも思ってる 関東馬冬の時代がこの頃からいよいよ深刻化してきたな
一矢を報いることすら出来なくなってしまった >>22
チケットといえば、京都新聞杯であわやマイヨジョンヌに逃げ切られそうな所をギリギリ差し切ったのが強烈に印象に残ってるけど、思えばあれが最後に輝いた瞬間だったのかもね ハーツの母ちゃんアイリッシュダンスもこの世代だったな
ブロンズコレクター枠のロイスアンドロイスも居た
アラブ最後の大物シゲルホームランも居た >>29
西高東低の図式の定着は前年のブルボンの台頭が象徴的らしいね
自分は初めて年間通して競馬にフル参戦したのが93世代からなんで、あくまで後から得た知識でしかないのが残念だけど >>29
サクラチトセオー「せやな」
ホクトベガ「一矢って1回で良いんだっけ?」 >>34
自分もそう思う
何故マイルにこだわったのかイマイチ理解不能だった >>31
ホントに個性派揃いだなw
アイリッシュダンスは最近の馬に例えるならルージュバックみたいなイメージだった
ロイスはうまくいけばステゴやサウンズオブアースぐらいの成績は残せた可能性もあるね
シゲルホームランはムーンリットガールみたいに園田のレースも走ってみてほしかった >>37
そうみたいですね
何故か自分の中ではマル外だと記憶されてたけど、調べてみたら父アンバーシャダイだったww 世代はズレてるかもだが
ケイエスミラクルが好きだった。 牡馬も個性的だったが牝馬が魅力的だったなぁ
自分はワコーチカコが好きだったが リヴリアも地味にブレイクしたよな
ナリタタイシン
ワコーチカコ
マイヨジョンヌ >>41
ワコーチカコは、エプソムCで人生初の馬連万馬券を獲らせてくれた馬だったな
…いや、正確に言えば2着のキョウエイキーマンが人気薄だったからだけどww >>43
リヴリア産駒はタイシンとワコーチカコのおかげで斬れ者のイメージが強かったな
でもまあ、一方でファンドリリヴリアみたいな逃げても差してもちょっと足りないような馬も居たけど(笑)、個人的にはこういうタイプの馬ほどもどかしくて印象に残ってたりする マイシンザンが朝日CCで復活して、毎日王冠でもいいレースして、
ついに天皇賞3代制覇と思いきや取り消し…
勝ったのがブライアンじゃなくチトセオーだったから、
なおさら悔しい、勝ててよな!と。・゚・(ノД`)・゚・。 >>44
岸はビワハヤヒデで取りこぼさずに勝ち続けてたらまた違った騎手人生になってたんだろうね
まあ今なら特に悪い騎乗じゃなくてもすぐに外国人騎手に乗り替わられちゃうけど >>48
松永幹夫がブライアンの騎乗依頼を断ってマイシンザンを選んだのは当時けっこう話題になったよね
結局また屈腱炎再発で取り消しになったけど、その直前まで前売りで2番人気だったことが、いかにファンがこの馬に期待を寄せてたかがよく解る事実だと思う >>45
チャンプはダービーの頃ぐらいまでは所詮良血なだけで大した馬じゃないと思って軽視してたけど、菊花賞での激走でイメージが変わって、そのおかげで翌々年の春天で軸にすることが出来た
…でも今度はライスの方を『もう終わった馬』だと軽視しちゃったので、ホントに押さえの少額しか獲れなくてものすごくガッカリした覚えがある(笑) 奥さんの実家に結婚の挨拶に行った日が皐月賞の日で、初めて買った単勝馬券が的中していて小躍りしたことは今でも忘れられない。
ナリタタイシンはそのあとおかしな事になったけど、五歳の目黒記念での復活勝利もしこたま単勝を買ってた 初めてダービーをTVで観た年だから未だに出走馬全頭覚えてるな…
新聞見て脚質"追い込み"がなんか強そうな感じがしてサンエイキッドという馬を応援してた 三冠を分け合ったのが血統も牧場も違うってのがまた良かったよね >>22
宮杯で沈没したのが忘れられない
あのオッズはないと思ったが…
なんであんなとこをヨシトミで使ったのか謎 >>58
当時のヨシトミは武豊や松永幹夫、横山ノリとともに若手のホープの一人だったからね >>50
府中2000のNHK杯が強かったからなあ
皐月で3強と差のない競馬したガレオンが軽く置き去りにされた
あのNHK杯に3強が出ててもマイシンザンが勝ったと思う マイシンザンは人気あったな
名前を覚えたのは偉大な祖父の名を冠したレースでのシンガリ負けでだったけどw シクレノンシェリフに期待してたけど伸びなかったなあ >>64
2番人気でビリだからなw
ここで2着以内に入ってれば無理なローテをせずに済んで故障しなかったかもしれない >>39
ケイエスミラクルは2個上のテイオー世代だぞ
またの機会にたっぷり聞かせてもらおうか。
この世代の短距離馬って思い浮かべたらドージマムテキになってしまった
ちゃっかり皐月ダービー出てるのな。 マイシンザン好きだったなー
朝日CCをレコード勝ちして天皇賞ってことで期待したけどポジーなんかより本賞金が少なくて除外対象になってた
回避馬が出てよしと思ったら屈腱炎で出走取り消しw サクラチトセオーが日本ダービーに出走してたんだよね。 >>64
日本競馬史上最大のレジェンドホースであるシンザンの血と名前を受け継ぎ、ムラ駆け傾向ながらも随所にその能力の一端を垣間見せたことで、多くの競馬ファンのロマンチシズムに火を点けたんだろうね
昨今はこういう『血のロマン』を感じさせてくれる競走馬が少なくなって寂しいわ >>63
ガレオンは皐月賞の降着で権利を取り損なったことで、本来使わなくて済んだはずのNHK杯を使わざるを得なかったのが厳しかったな
それでも岡部が極力ダメージを残さない省エネレースで2着を確保したのはさすがで、決してこのレースをもって勝負付けが終わった訳ではなかった(現にダービーではマイシンザンに先着を果たしたしね) 1993年5月29日、ダービーの前夜に訃報がはいった
前年のダービーをミホノブルボンで勝った戸山師が亡くなったのだ
弟子の小島貞博騎手は翌日のダービー騎乗を控え東京競馬場の調整ルームにいた
そのダービーはウイニングチケットで柴田政人が悲願のダービージョッキーとなり、
小島はドージマムテキで先行したが最下位に敗れた
2年後のダービーで小島は戸山の弟子の鶴留厩舎のタヤスツヨシで2度目のダービー制覇を果たす
柴田政人は前年の落馬負傷により引退し、チケットがダービー最後の騎乗となった >>65
シクレノンシェリフも天才と言われながら、ダービー以後はマイシンザン同様故障に泣かされ続けた競走生活だったな
もし皐月賞をスキップして体調万全でダービーに臨んでいたら、フサイチコンコルドみたいに最短キャリアで勝ってた…とまでは思わないけど、上位に肉薄した可能性は充分あると思う ドージマムテキがまさか10歳や11歳まで現役でしかも
ロンシャンやアスコットやドーヴィルでGTに出走するなんて
ダービーの時には思いもしなかった
今は少なくなった、ああいう系の勝負服が好きだったな >>76
何故だかわからないけど、自分の中では落馬したのはマルチマックスではなくラリーキャップに記憶が書き換えられてたww 当時の休み明けのテイオーに余裕で負けているところから、低レベルだったよ。 この年から3年連続でオークスとダービー馬の父親が同じになった >>82
1戦でレベルを語っちゃうニワカは相手にするだけ無駄 >>76
南井は全然痛く無かったけど
スタンド前で恥ずかしかったから係員が来るまで、動けない振りをしていたと聞いた この世代で種牡馬になって成功した馬っているの?
ベガはアドマイヤベガを産んだけれど… >>86
ノースフライト➡ミスキャスト➡ビートブラック >>86
シスターミル→セイウンスカイ
アイリッシュダンス→ハーツクライ トニービン牝馬は良くも悪くも期待裏切らないよな
競走成績良かった馬はだいたい良い仔産んでる 弥生賞がよかったね
ウイニングとタイシンが最後方から大外を捲りきったが、決着が着いた後のサンエイキッドの鬼脚
しかしキッドは900万も勝てなかったな >>58
柴田政人が結果的に引退に繋がる落馬によるケガで乗れなかった
なんで義臣かはわからん >>69
ポジー懐かしいw
ノーザンと提携する前のキャロットの代表馬だよな >>86
スエヒロジョウオーからスエヒロコマンダーもある 皐月賞が熱い
ビワを岡部に取られて落ち込んでいた岸の仮を返すタイシン・豊の魂の騎乗 皐月賞は残り50mからのタイシンのヌルっとした伸びに震えたわ 桜花賞もオークスもベガ、ユキノビジン、マックスジョリーの順番で決まるとは >>94
皮肉な事にハヤヒデが春天勝った日に落ちたんだよな ビワハヤヒデ サトノダイヤモンド
ウイニングチケット マカヒキ
ナリタタイシン ディーマジェスティー
よく似てたね
強い強い言われてたけど、骨折明けの仕上がり6分程度のトウカイテイオーの身の程思い知らされて
栗山式2016年史上最強3歳世代もキタサンブラックに身の程思い知らされたし 古馬になってからの隙の無さということではビワハヤヒデはオペラオーに似ている
(オペラオーがビワハヤヒデに似ているというべきか) あの頃は競馬雑誌も沢山あって
競馬最強の法則 で伊藤雄二調教師の連載インタビューとか真面目に読んでたな。 >>104
馬が『身の程を思い知る』とか本気で思ってるの?(笑) 古馬相手では年に一度ノーマークの時にしか勝てない凡馬を世代レベル比較に出すなよ
オサイチジョージに負けるオグリ世代最弱じゃん >>107
デビュー前はアクトレス似と言われていたんだぞ
いい加減なもんだw 脇役で言えば
ケイウーマンとかとかトーヨーリファール、あとゴールドアクターの母父のキョウワアリシバとか
外国産馬がまだまだ強かった時代 >>114
こんな面白かった時代の競馬をリアルで体験出来て、本当ジジイで良かったわww >>112
チャンプのどこがアクトレスに似ているんだろう? >>116
ケイウーマンは一時期ナムラコクオーの母だと勘違いして覚えてた
そもそもコクオーはビワの一歳下のブライアンと同じ世代だからあり得ないのに何でだろう?ww 93年はGTを2つ勝ったヤマニンゼファーではなく、
菊花賞を勝っただけのビワハヤヒデが年度代表馬になったことで物議を醸した
年間完全連帯達成が評価されたのだろうが、仮にベガが牝馬三冠を達成していたらベガは年度代表馬に選ばれただろうか?
ゼファーがスプリンターズステークスに勝って年間GI3勝を達成していても、ゼファーは年度代表馬には選ばれなかった気がする 馬よりも、このときから競馬やり始めた連中はベガの馬主に強烈なインパクトを覚えたはず・・・・・・ >>120
八大競走って知ってるか?特に競馬界で価値の高いレースとされているんや
ビワはその年、八大競争で2着2着1着2着やで
ゼファーは1着の1つだけ 史上最高レベルのクラシックね。
この年にいたらトウカイテイオーもミホノブルボンも無冠で終わってた。 >>128
仮定の話してもしょうがないよ
スレ主だけど、あくまでもこの世代に思い入れがあるって言ってるだけであって、別に声高に「最強世代だ‼」とか主張したい訳じゃないし、他の世代にも好きな馬は沢山居るからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています