数年が経ち、三浦は武豊のG1100勝記念コメントにこう載せた、

「中略)僕は天狗になっていました。豊さんに当時、マスメディアや周りからチヤホヤされなくなった時が、本当の正念場であり勝負が始まるんだぞ。と言われた事が、今になって身に染みています。
これからは、もっともっと騎手として成長をして、競馬と真摯に向き合い、早く豊さんに近付ける様に頑張っていきます。(以下略」

三浦は、己の未熟さを反省し、心を入れ替えたのである。
そんな三浦の姿を見て、手を差し伸べた調教師がいた。
鹿戸調教師である。
彼は三浦を自厩舎に所属させ、一から馬との関わりを教えた。
そして、地方交流で初めてG1を制覇したのである。

今度は中央でも勝ちたい、勝たなくてはいけない、先生に恩返しをしたい。

しかし、三浦はまたもや不運の悲劇に見舞われた。

落馬負傷をしてしまい、騎手を続けるのは厳しいとまで医者に告げられたのである。

それでも三浦は諦めなかった。
妻星野あきは、そんな夫を懸命にサポートした。子供達の笑顔が励みになった。
三浦は1年近くの過酷なリハビリ生活を終え、ターフに戻ってきたのである。

「札幌競馬でどうしても復帰をしたかった。怪我をした場所でもあり、怖さもあった、でもそれ以上に大好きな競馬場だから嫌な思い出のままにしたくなかった。」

復帰後の三浦は順調に勝ち星を重ね、関係者の信頼も集まってきた。
そんな時、大きなチャンスが三浦に舞い込んだ。

先輩である善臣騎手のお手馬、プレスジャーニーの有馬騎乗依頼が来たのである。

プレスジャーニーは怪我の為にダービー出走を断念した悲運の馬であった。
菊は泥馬場になり、力を出せずに終わったが、能力は確かなものがあるチャンスのある馬だ。
オーナーサイドが、三浦を希望したのである。

それは、遠回りになりながらも懸命に頑張ってきた三浦の努力が報われた結果だと言っていい。

有馬記念1人気は、ファン投票でも圧倒的な支持を獲得しているG16勝馬のキタサンブラックであろう。

その鞍上には、嘗ての天才武豊がいる。

これは運命なのだ、三浦はこの運命に勝たなければならない。

キタサンブラック、いや、武豊に最後の引導を渡すのは、

三浦皇成こそ相応しいのである。

有馬記念、ウイニングランをしているのはプレスジャーニーと三浦皇成であって欲しいと心から願う。