ねえおじちゃんたち、93年のダービー前ってどんな雰囲気だった?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ウイニングチケット
→皐月賞負け過ぎ
ビワハヤヒデ
→2着病
ナリタタイシン
→豊が2冠ベガと皐月賞で神騎乗、
しかし追い込みの1番枠
結果は3強だが マイシンザンやシクレノンシェリフにも頭の期待感はあった
原良馬筆頭に柴田政人応援票集まりウイニングチケット1番人気1着 弥生賞でウイニングチケットナリタタイシンと人気を分け合った戸山ドージマムテキはスパルタ調教に耐えられず
(前年にブルボンレガシーワールド輩出、戸山師が早逝されたのは
93ダービーの前じゃなかったかな) 三強というけど血統も年代ものである面、仕込みもある件まだいい馬いるよ。 ウイニングチケットに関してはダービーは勝率100%だったけどな。競馬場の一部の雰囲気。 92ブルボン
94ナリブ
名勝負なのは間違いないが、派手な勝ち方したブルボンとナリブに挟まれて影が薄い印象 三強とか言われてたけど種牡馬としてはどれもこれも駄目だったな カテゴリーが違うが 欧州 アジア アメリカ の三巨頭だよな。
サイレンスが中東。サイレンスが異形異種だったから、成功は先輩たちの
功績もあるよ。その分なかなか能力のある仔が出てると思う マイシンザンで十分勝負になるんじゃないかって感じ。NHK杯でガレオン(皐月賞で3位入線→失格)を子供扱い。 マイ(ゼッケン)ナンバー制度もぜひよろしくご利用ください。 サンデーサイレンスが来る前の競馬知ってる奴とか
漏れ無くお年寄りだろ 武豊の天才騎乗にかける期待がすごかった
人気馬、しかも皐月賞馬に乗って最後方からの競馬をするという
若い騎手の力量に誰もが驚愕を覚えていた
レース前に武が「どんなことがあってもこのカタチ(後方待機策)でいくので、皆さんスミマセン」と公言していたこともすごかった
柴田政人が「ダービー勝ったら騎手を辞めてもいい」と言い放っていた 今にしてみれば、政人に悲願のダービーを! みたいな風潮に後押しされたレースだったと思う。 秋には1強に変わってた。
結果的にチケットもタイシンもハヤヒデと互角に渡り合えてたのはダービーまでだったな >>28
ナリタタイシンは4歳春、肺出血から
復活してもう1度打倒ビワの
機運を高めたよな
春天2着だが。 ガレオン買ってたな
皐月賞でも買ってたから悔しくて
でもウイニングチケットが勝つだろうとは思ってた
ニュージーランドトロフィーのトーヨーリファールケイウーマン1点で当てたの思い出したわ NHK杯勝ったマイシンザンより2着のガレオンの方が何故か期待されてた
あと3強とはいえウイニングチケットが柴田政念願のダービー制覇なるか?という感じで筆頭扱いだったな 世界中のホースマンに、「私が第60回日本ダー ビーを勝った柴田政人です」と伝えたい
これは一流調教師待ったなし >>1
90年オグリ人気に釣られて超盛り上がり
91年 久しぶりの三冠馬?と大いに盛り上がりトウカイテイオー
92年 怪物くん登場?もしかしてサイボーグ?ミホノブルボン
93年 ぱっとしないね?何か萎えって感じだったよ
94年 ナリタブライアン三冠馬キタだろ?で盛り上がり
一番盛り上がらなかったのが93年だったね 無敗の皐月賞馬二連発のあとだったからな
ある意味タヤスツヨシの年並にどんよりしてたな ヘヴィータンクを18頭並べて日本ダービーやるのをイメージしてもらえば、なんとなくわかると思う >>36
ごめん、全くわからない
完走した馬が優勝というサバイバルレースしか目に浮かばない >>24
当時14歳中学生現在38歳まださすがにお年寄りではない。 >>24
45歳
40代になるといちいち馬の名前なんて記憶できないよ その年は
桜花賞・・ベガ(武豊)
皐月賞・・ナリタタイシン(武豊)
オークス・・ベガ(武豊)
騎手に対しての期待はあったな。3強に柴田政人、岡部幸雄に武豊。役者も揃っていたし。 ウイニングチケットは府中ならこの馬という感じで本命に出来たけどな
安定のビワとの馬連1点買いで結構な配当だったし会心のレースだった 皐月の結果関係無くウイニングチケットが勝つんだろうなって空気だった
いや政人が勝つ空気か 単純に三頭箱で楽に馬券獲った
この頃は三連系の馬券なかったし >>31
ガレオンは皐月賞で降着してTRの
NHK杯を使わざるを得なかった
本番ダービー激走4着で競争能力喪失だったが 印象深い
この時 ステージチャンプあたりは
まだその他候補だった >>34
いかにも当時見てなかった奴だな
93はマックもテイオーも現役だぞ 93年は熱き3強。トニービン産駒登場。弥生賞でルドルフのレコードが破られて新時代の
扉が開かれたような年だった。チケットはなんか外国馬みたいな雰囲気だったな。
まあ時計は芝とか坂路の影響だろけどね。
なんとなく独特の空気感があったな。 ビワが連敗して春のクラシックの主役はチケだったからな
あのダービーは本当に執念感じたよ
名前が名前だから見てる方も期待しちゃうしね 最近だとディーマジェサトダイマカヒキの年に近かった あの頃はリーディング上位騎手の信頼度が高かったなぁ
野次られるような騎乗が少なかった これさあ
伊藤雄→浜田→大久保
調教師の腕の差もあるよ 穴人気だったのがマイシンザンとシクレノンシェリフ
松永幹夫が珍しく自厩舎のマイではなくシェリフを選択したので
シェリフから大勝負をした記憶があるな >>25
万が一にも差し切ってしまわない様にという、忖度騎乗をこの時既に始めていたのか? 皐月賞自体は3強というよりビワ、チケットの2強として見られていた。
ナリタは3番人気だったけど皐月勝ったので、ダービーでは3強の一角にはのし上がったが、
それでもまだ3番手評価だった。
ダービーはウイニングチケットという名前がダービー馬っぽいので
勝つだろうなという雰囲気はあった。 パチンコにハマって大学中退した年だわ・・
皐月、ダービーは外したが菊花賞はとれた。 まだトニービンが東京専用馬って気づかずチケットは軽視してしまった >>54
松永幹夫が所属していた山本調教師の方針
「自厩舎の馬はいつでも乗れるから他厩舎から声が掛かってるのだからそちらに乗りなさい」 >>30
一馬の清水のコラムで一点勝負だったからね
35倍ぐらいだったし今考えても無理
清水もウイニングチケット本命だったと思うし、一番人気だったとはいえ皐月賞4着馬が一番人気で、皐月賞で早仕掛けして垂れた騎乗を皆、知ってた 第二次ベビーブーマー世代の新成人がピークの時代
この年に競馬にハマった人間が一番多いと思う 勝った伊藤師が負けたビワに対して、全部を勝とうとするから負けるんや、とか言ってた
バカにするんじゃなく相手に塩を送る感じだったと思うが、秋はビワが強くなり圧勝した
皐月賞馬のナリタは距離不安が囁かれていて三番手評価だったかな
シクレノンやマイシンザンなど穴っぽい馬がいたと思うが、マイシンザンはパドックで入れ込みのキツい馬だった
知り合いと初めて東京競馬場まで行ったが、モタモタしてたら競馬場内に人が溢れて入れなくなり、仕方なくモニターで見ていた
馬券は安定感あるビワからウイニング、ナリタへの馬連を二点だった
後日、酒場で柴田政と小島貞がダービー前に飲んでる姿を見た話も出てきたが、これは逃げた小島が柴田に進路を上手く譲り、
ビワの岡部がアレで負けたと思ったと言ったためだと思うが、関東と関西の騎手だしあり得ない話だと思う
ビワは2着続きの岸から岡部に変わったが、皐月賞も日本ダービーも惜敗したし、関西若手騎手達から乗り代わりは可哀想と声も聞かれていた あの時のダービーは、凄く盛り上がっていたし、レースもめちゃ良かった
三強には敵わなかったけど、ガレオンとマイシンザンが並んでぶっ飛んできたのもさすがだと思った 武が進出していく時、後方でダービーに参加しているだけの騎手がビクッとしてた
有力馬はダービーポジションにいるものだと思っていたのだろう のちに大活躍するサクラチトセオーがほんの脇役だったな >>26
政人は認めなかったけど皐月賞もダービーも早仕掛けだった
馬が強かったから踏ん張りきったレース
溜めて直線勝負の弥生賞がベストレースだわ >>61
ダービーも早仕掛けではあったよね。
勝ったけど >>34
岡部と政人の同期対決に天才武豊も加わって、有力馬の騎手が豪華メンバー
新種牡馬のトニービンとリヴリアとの対決
92年より盛り上がってたぞ >>47
そのときのNHK杯といえばグロリークロスが脚プラプラさせてたな
もっと大事に使っていればタマモクロスの代表産駒の1頭になっていたかもしれない クエストフォベスト、ヤマトダマシイもこの世代だったかな。 皐月のチケットは前のビワを一番人気の責任で捕まえにいかないといけなかったから仕方ない
一時期の武豊や去年のルメール四位みたいにハナから皐月賞は捨ててますみたいな乗り方されるより余程納得する負け方だわ >>76
クエストフォベストでぐぐってデビュー戦の2着の馬の名前見て
この世代の肝心な馬を忘れてたよ、ロイスアンドロイス
未勝利なのに当時オープンの青葉賞6番人気3着だもんな >>17
92からダービー見てるけど、むしろ93が盛り上がってた
92と94は一強ムードで、世間的な話題ではあったけど
皇太子ご成婚記念ダービーとかじゃなかったかな 白石でダービー取れなかったしもう無理だろうと思ってた >>34
競馬ブームの中だけどオグリ人気というよりは
90年もアイネス、ライアン、ハクタイセイの3強だったからな
その鞍上が若き天才武豊と東の若手のホープ横山に苦労人中野というジョッキーにも注目が集まったからね >>83
ダービーのホワイトストーンは田面木でしょ
人気薄だったし >>82
南井の乗り潰しは今のデムーロ以上に酷かった 忘れてたが、マルチマックスが故障でレース中止、騎手南井とある
その後に福島のラジオたんぱを使って引退してる 5Rの駒草賞を勝った本格化し出したマイヨジャンヌの末恐ろしさに震えてた ベガが2冠した年だな
秋にはノースフライトって強い馬も出てきた 初めて馬券買ったダービーで
穴狙いでマルチマックス買ってた おじちゃんたち、ってまるでお前が若いみたいな言い方だが、お前も確実におじちゃんだろ 春天から間を置いて安田→オークス→ダービーという流れが良かった
G1がずっと連続するよりこの方が盛り上がるんじゃないの この年は新卒で就職活動してJRAの最終面接まで進んだんだが
新橋のビルで健康診断待ちの間に雑談した学生は
前月にダービー勝ったウイニングチケットの名前すら知らない奴だった
ちなみに俺は幹部面接で馬券買ってたことを話してしまい落ちたw このレース府中に見に行ってたなー
チケットは皐月賞でビワ・タイシンに負けたのに一番人気だったな
プレゼンテーターは高倉健だった気がする >>67
しかも2年連続
競馬始めてすぐのころだったから無敗で2冠ってのは簡単なもんなんやなあって思ってた >>70
お前弥生賞見てないだろw
チケットが3〜4コーナーで長く脚使って勝ったレースなんだけど >>92
結局トニービン産駒の府中以外でのGT勝ちはベガの桜花賞とノースフライトのマイルCSだけでしたというオチね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています