【伝説の】タマモクロス物語【最強馬】
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タマモクロス(Tamamo Cross)とは、
日本中央競馬会に登録されていた競走馬である。
天皇賞(春・秋)、宝塚記念のGI競走などに優勝した。
同じ芦毛馬であるオグリキャップとの芦毛頂上対決に多くの競馬ファンが沸いた。
引退後は種牡馬となった。
生誕
1984年5月23日
死没
2003年4月10日(19歳没)
父
シービークロス
母
グリーンシャトー
生国
日本の旗 日本(北海道新冠町)
生産
錦野牧場
馬主
タマモ(株)
調教師
小原伊佐美(栗東)
主戦騎手 南井克己
半妹にエリザベス女王杯を優勝したミヤマポピーがいる
父・シービークロスが「白い稲妻」というニックネームで親しまれていたため、「稲妻2世」や「白い稲妻」とも呼ばれた 出生
タマモクロスの生産者であった錦野昌章は同馬を高く評価していたが、
父シービークロスに対する世間の評価は低く、
タマモクロス自身の線の細い外見もあいまって、
下された評価額は500万円という安値であった。
錦野はその低評価額で売ることを拒んだが、
当時経営が逼迫していた同牧場の窮状をさらに強めることとなる。
その後、タマモクロスの大成を見ずして、牧場は倒産した。
錦野はその後もあちこちを転々としながらも、タマモクロスを応援していた。
しかし決して表に出ることはなかったという。
そのためタマモクロス優勝時、表彰台の「生産者」の上には常に誰もいなかった。 4歳(1987年)
3月1日に阪神競馬場での新馬戦で南井克巳騎乗でデビューするも7着といいところがなかった。
「ダートのレースのほうがゆったりとした流れが多いからよいのでは」と判断されたため、3戦目のダート戦で初勝利を挙げるも、その次に出走したレースで落馬事故に巻き込まれた。
その後は休養をはさみ札幌競馬場でダート戦に出走するも礼文特別の2着が最高で勝てず、中央場所に戻っても2戦連続3着という成績だった。
陣営は「やはり芝の方が良いのではないか」と考え、「ここで結果が出なかったら少し考えよう」
という半ば諦めムードで10月18日の京都競馬場での400万下戦(芝2200メートル)に出走させた。
すると、今までの不振が嘘のように7馬身差で勝利した。
勝ちタイムは同日、同競馬場の同距離で行われた菊花賞トライアル京都新聞杯のそれより速かった。
次に出走した藤森特別(芝2000メートル)では
松永幹夫が騎乗したが、2着馬に8馬身差を付け勝利。
この2走の勝ちっぷりから、一部マスコミから
「菊花賞での関西の秘密兵器」と呼ばれたが、調教師の小原伊佐美は先を考えて
「ここで無理をしたら絶対にダメになる」
と菊花賞には出走させなかった。
続く年末のGII鳴尾記念では格上挑戦ながら単勝3番人気に支持され、レースでは前半最後方を進むも直線だけでメイショウエイカンに6馬身差、やや重馬場ながらレコードタイムで勝利し、
翌年の中央競馬の主役と目されるようになった。
なお、この日は中山競馬が雪のため途中で中止となった。
大橋巨泉は東京スポーツ紙上にて発表していたフリーハンデでクラシック馬を上回る評価を与え、4歳馬の1位にランクした。 5歳(1988年)
1988年は、前年の4歳クラシック組が精彩を欠く一方で、同期でクラシック不出走のタマモクロスは株を上げた。
小原は天皇賞(春)を見据え、日経新春杯から阪神大賞典というローテーションを描いていたが、馬主サイドの
「金杯は縁起のいいレースなので、ここを勝てれば活躍が約束される」という縁起担ぎを理由とした強い要望で、年明け初戦は1月5日、京都競馬場のGIII・金杯(現・京都金杯)になった。
この金杯では一時行き場を失くしかけたものの、馬ごみを縫うように内埒から抜け出して際どく勝利。
直線だけで15頭をごぼう抜きという内容であった。
続くGII阪神大賞典でも最後の直線で内をつき、前がふさがりかけるも逃げ込みを図るダイナカーペンターとの叩き合いで12年ぶりの重賞での同着勝利となった。この2つが、連勝街道時代では最も苦戦したレースであった。
そして、父・シービークロスが勝てなかったGI天皇賞(春)では1番人気に支持され、やはり後方から内側をついて抜け出し、ランニングフリーに3馬身差をつけ、初のGI勝利。
この勝利は鞍上の南井にとっても初のGI制覇だった。
続くGI宝塚記念は、前年の天皇賞(秋)を制したニッポーテイオーとの天皇賞優勝馬対決となった。
1番人気はニッポーテイオーに譲ったものの、レースでは珍しく早めにインを前へ前へと進み、直線では外へ持ち出し、逃げ込みを図るニッポーテイオーを差し切り優勝した。 秋シーズンは、
「カイ食いが細いタマモクロスなら、調教だけでも仕上がるだろう」
という小原の考えによりぶっつけで臨んだ天皇賞(秋)で、地方競馬出身の雄・オグリキャップとの初対決となった。
両馬とも当年は無敗であり、また2頭とも芦毛であることから、多くの競馬マスコミが「芦毛頂上決戦」(当時)と扱い大きな話題となった。
オグリキャップは毎日王冠1着からの参戦であったのに対し、タマモクロスは東京競馬場ぶっつけ初出走、かつ2000mは距離が短いのではないかという前評判もあって、1番人気はオグリキャップに譲る形となった。
レースでは、タマモクロスがこれまでと異なり、マイペースで逃げるレジェンドテイオーの直後につけるという先行策に打って出て場内を驚かせた。
タマモクロスは、粘り込みを図るレジェンドテイオーを直線で交わすと、中団からの待機策を採ったオグリキャップの追い込みも1馬身4分の1に押さえこみ優勝、
勝ち抜け制度がなくなった天皇賞において、史上初の天皇賞春秋連覇となり、また重賞連勝記録もそのオグリキャップとメジロラモーヌが記録していた「6」に並んだ。
その後、日本代表として出走したジャパンカップでは1番人気に推された。
後方から早めに上がっていき、直線では先頭に一度立ったものの、競り合いを避けて馬体を離したペイザバトラーを差し返すことができず2着に敗れた。
3着はオグリキャップ。
引退レースの第33回有馬記念では人気投票、単勝人気とも1番人気だったが、レース前にささやかれた調子の下落のためか、最後方から残り3ハロンのスパートだけに賭けた競馬となり、オグリキャップに半馬身及ばず2着に敗れた。
結局、オグリキャップとは天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念で3度対決して2勝1敗。
芦毛対決として昭和時代最後の競馬界を盛り上げた。この有馬記念を最後に引退した。
同年のJRA賞において、年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬・最優秀父内国産馬(部門名は当時)のタイトルを獲得した。 引退後
種牡馬として北海道静内町のアロースタッドに繋養された。
中央競馬のGI馬こそいないものの、マイソールサウンド、カネツクロス、桜花賞で1番人気に推されたダンツシリウスなどの多数の重賞馬を輩出した。
2003年4月10日、腸捻転のためアロースタッド内で死亡。当時19歳であった。
北海道新ひだか町の桜舞馬公園(オーマイホースパーク)に、タマモクロスの墓碑がある。
死亡の翌年の2004年10月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」の一環として「タマモクロスメモリアル」が同年の天皇賞(秋)施行日の東京競馬場にて行われた。
漫画『みどりのマキバオー』の主人公ミドリマキバオーのモデルはタマモクロスだと作者のつの丸が発言している。
また、本作の続編である『たいようのマキバオー』の主人公であるヒノデマキバオーはタマモクロス産駒という設定である
第8回ジャパンカップで2着に敗れたときに日本競馬のレベルアップが伺える記述として「(1983年の第3回で)キョウエイプロミスが2着に来た時は意外な好走と言うことで(競馬ファンが)大騒ぎしていたが、その年(1988年)はタマモクロスが2着に沈んだ。
と言うことで(優勝できずに)口惜しがり、大騒ぎとなった」と書かれていた。
現役時から噛み付き癖があり、種牡馬入りしたあともそれは改善されなかった。そのためタマモクロスがいる牧場のパドック柵には「危険、噛み付きます」という注意書きの札が掛けられていた。
在りし日のタマモクロス
https://i.imgur.com/ofWUJ3A.jpg 鳴尾記念の次走、もし有馬記念に出てたら同期のスターオーとの対決が
見られたのに。スターオーは悲しい結果だったけど。
藤森特別当日の東京は秋天で、ニッポーテイオーが圧勝。
その約半年後の宝塚記念はニッポーテイオーと一騎打ち。
タマモクロス快勝。たった半年でここまで成長するとは驚き。 パチンコのエピソード系擬似連みたいな文章ってかナレーションだな このスレ…卑怯だろ
泣かせに来てる
すげえよ…一気にファンになってしもた
ヒットザターゲットが直系だろ? 相手になる馬が
伝説級の名馬すぎてほんとにいたの?
って疑うレベル
熱すぎるだろ おい、ジジイども
これガチなんか?
競馬なんて遊びだろ
今の生産者もここまで必死になってんのか? >>17
有馬記念のところは少しおかしいけれどな。
最初から直線にかけてたんじゃなくて、
スタートで出遅れたから仕方なく
後方から直線勝負になっただけだ。 ちゃんと勝負付けてる
負けてようがな
だから
あの時代は今ほど冷めてなかった
良くやったよ
南井もテキも錦野さんも
カッコいいんだわ
この時代の名馬たちは 小原調教師は、「勝ちはしたけれど、春天の時は、最悪の状態」と言ってました
〜本当かなぁ?
最悪の状態で3200mの天皇賞に勝てるかなあ? 昔は良くも悪くも泥臭かったよな。
俺がこの馬を初めて知ったのはウイポの架空馬のクロスリングの父親としてウイポ2の説明書に伝記みたいなのが書いてあるのを見て知ったけど、実際に知らない馬を好きになった唯一の馬がタマモクロスだからな。
ちなみにウイポではタマモクロスの賢さは常にMaxのSになってるんだけどその理由が本当に面白い。 漫画「みどりのマキバオー」
の主人公ミドリマキバオーのモデルは、
タマモクロスなんですね
知らなかった… あのオグリキャップを抑えてファン投票1位だった馬なのにVHSもDVDも出てないんだよなこの馬
ナイスネイチャですら出てるのに >>16
引っ越し時に昔のビデオ、DVDを整理していたら、「魂の激走 オグリキャップ」と云うDVDが出て来て…
オグタマ最終決戦の有馬記念のレース前のナレーションで「ファン投票一位のオグリキャップ」なんて間違いを発見
この年はタマモクロスが単勝一番人気でファン投票も一位でした
こう云う間違いは凄く興醒めする
でも、あの一年の事は何もかも宝物
翌年の秋のオグリキャップの6連戦もね
どう考えても、どう思い出しても、どこを観ても、あの2年が日本競馬の一番熱かった時代だったと思う
タマモクロスの引退式は涙が止まらなかったな
今でも出資馬以外で一番好きな牡馬はタマモクロス
次はオグリにしとくか >>14
俺も同じだ。
1は有能。
ヒットザターゲット、種馬になれないかな? 京都金杯のごぼう抜き凄かったなあ
無骨でだからこそセクシーなんだよな…
タマモクロスは リアルタイムを知らないから分からないが、
成績見ると
晩成っぽいのに何で4歳で引退したんだろう?
翌年もオグリ、クリークに同期のイナリワンとの対決があればもっと盛り上がったのに..
ウィポ調べだけど… クロスがいたからこそ
オグリは輝いていた
感謝したいのはオグリファンの俺の方
よく逃げずに戦ってくれた
ありがとう、感謝する >>30
なんで丸でオグリが余裕で勝ったみたいな言い方なんだよw >>31
馬鹿言うな、二勝1敗だぞ?
すげえ馬ってクロスファンが認めねーの?
あの時ほど日本競馬が燃えていた記憶を俺は知らない
素直にすげえよ
クロスは >>32
だったら良く逃げずに戦ってくれたって言い方はおかしいと思うよ >>33
横からだけど
彼の言い分は正しいと思う
緑のメンコ
不屈の魂
キングヘイローの勝負根性を知ってる人らは
タマモクロスもオグリキャップも同等にすんげえ馬だと
理解できる >>34
言いたい事は伝わったけどキングヘイローで全てが台無しになってる… 今でも芦毛の馬を応援してしまうのは
ボクが少しだけあの時代を知っているから
タマモクロスがいた時代
二年前ウィナーズサークルが亡くなりました
白い稲妻がターフを去った翌年のダービー馬
芦毛のダービー馬
日本競馬の長い歴史の中でのほんの一瞬
これからも芦毛の馬を応援しようと思います >>12
ニッポーテイオーにとって2200は長いからなあ
成長もあるだろうけど、府中2000なら全盛期でもいい勝負だったのではと思う >>21
初めて知った馬の名はオグリキャップ
競馬より先に知りました
エリートの中央タマモクロスに挑む、
雑草のオグリキャップ
なんだこいつって
当時はそう思い込んでいました
改めて88年有馬記念の映像を観ました
タマモクロスはわざと負けたんじゃないかと思います
オグリにそのバトンを渡すかのような姿
だからこそあの瞬間が訪れる
2年後
同じ舞台
奇跡のラストラン
ロマンが過ぎますね
けれどあの時代
この2頭
それだけのものがあったと思っています 強さとかどうでもいい
こんだけの馬が日本競馬のコンテクストの一部になってくれてるのが俺は優しさを感じれて
たまらなく嬉しい
>>1はよくスレを立ててくれた >>1 に自分も感謝します
タマモクロス 4才大活躍の時
他の仕事をしていた錦野さんの 今はもうあの子が 無事に引退する事だけを願っています
というインタビュー記事覚えてるな >>29
馬主が既に高齢で、タマモクロスの仔のデビューを死ぬ前に見たいって理由だったはず。
残念ながら、馬主はタマモクロスの仔のデビューを見る前に亡くなってしまったが… オグリとの対戦がモハメド・アリとジョー・フレイジャーみたい 【ウマ娘】6話の大食いグランプリ(有馬記念)に実際の実況を合わせてみた http://nico.ms/sm33132371 88年天皇賞秋
芦毛の馬は走らない
この二頭が現れるまで
人はそう言っていた
芦毛と芦毛の一騎打ち
宿敵が強さをくれる
風か光か
その馬の名はタマモクロス
激突せよ
天皇賞秋 アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』サイドストーリー 第10R〜EXTRA R http://nico.ms/so34022769
この動画の32分から 強さとかどうでもいい?
いや強さも語るべきだろ。この馬は強かった。
昭和の日本馬でこの馬より強いのはシンボリルドルフとマルゼンスキーくらい。 タマモクロスはスゲー馬だけど、出来ればあと一年走ってほしかったね タマモの引退式見に東京から京都まで行ったなあ
今でも一番好きな馬だ >>18
この手の名馬物語は脚色されてるから
物語として楽しむのは良いが全てが現実に即してるわけではない
物語で得た知識で見てきたかのように競馬語るおじさんが薄っぺらいのはそこを勘違いしてるから
三国志演義や司馬遼太郎の小説読んで歴史を語ったり創業者偉人伝を読んで経営を語るおじさんと同じ ?
見てきている人がいるのに
自分が見てないから
フィクションにしたがるのは若い子らの
悪いクセじゃね?
タマモクロスはその当時、ちゃんといたよ >>14 >>25
ヒットザターゲットは母父タマモクロスだから直系ではないな
タマモクロスの産駒で種牡馬入りしたのってウインジェネラーレくらいかな?
片目失明しなかったらどうなってたのかなあ >>53
南井がオグリでクソ騎乗連発したが、あれで逆にオグリの価値が高まったのかな この年の有馬は凄かったな…
スーパークリークの失格、サッカーボーイの繰り上げ。
オグリが逆転できたのは、三歳の成長力なんだろうね ウマ娘で「昭和最後の名勝負」があんな形で再現されようとは…
ちっちゃくて関西弁でかわいいタマモクロス、
大きくておっとり型なのに気合入れると余計に力が入るスーパークリーク
見た目もよく取り入れてたキャラデザだったな >>56
河内から岡部にスイッチしたのもあると思う あの時代は面白かった。タマモとオグリは前にいたほうが勝ってるね 強かった
オグリもこの馬が居たから
輝けたんだと思う 牧場で何回も見たけどオグリやホワイトストーンより
馬体に大物感があった。かわいい大人しい顔して噛む あのJCは勝てたよなあ…
南井が外外回してなきゃなあ どんな名馬も忘れ去られていくのに
この馬だけは忘れられない タマモクロスとオグリキャップ
どちらも連勝中で対決となった天皇賞秋
連勝をかさねるだけでも難しいのにともに芦毛というのがまたすごいですね
天皇賞秋はまさに一騎打ちにもなりましたしね
タマモクロスは生まれから不幸でしたけど、
競走馬としてデビューしてからはさほど活躍してなかったですが
4歳(現3歳)秋から突然強くなったの成長力…
今でも驚かされます
後継種牡馬がウインジェネラーレ1頭しかいないのが残念ですがなんとか血を繋げてほしいですね 今でこそ日本競馬史上の名馬になったけど・・・・
当時 アンチ タマモファンから 「灰色ネズミ」って 言われてたよね^^;
圧倒的にオグリファンが 多かった^^ ホーリックスとオグリキャップ、スーパークリークの
名勝負2.22.2のレースに
アーモンドアイのJCに
タマモクロスがいたならと
ふと妄想する時がある タマモプラネットも母父タマモクロスだな
京都JSの勝ち方がいい 当時はネットが未発達な時代だったから
わからないだろうけど
東京、大阪、名古屋、福岡の飲屋街でも
めちゃくちゃ盛り上がってたよ
オグタマ論争は
地方からの雑草魂オグリキャップは
中央の上にいるタマモクロスを倒す!!
いや、無理だ!!と
ヤクザ屋さんらもこの話題になると
パンピーの連中とも走破時計の差とかで
さんざん熱い論争してたよ この頃に競馬始めちゃったのが良くなかった
今の競馬とは別物というか別格の楽しさだった 野球とかプロレス、格闘ゲーとか、いや、なんでもそうだけど、情報が少なくて色々と未発達で混沌としている頃の方が夢があるというか、娯楽としては楽しいよな。 最近は寡占化のせいでホントつまらん。ファンが離れれば衰退しかないのに
横道でスマン どちらかといえばタマモクロスは大箱向きステイヤーで
オグリは小回り向きマイラーだったから
共存できる二頭ではあった タマモは低レベルな時代で勝てただけ
後1年現役なら全く勝てなかった
成長途上のオグリ位しかまともな相手居なかったのが幸運
結局3歳オグリに逆転されて引退は良い引き際だった
実力はメジロアルダンと同程度だろうね >>77
天皇賞(春)とか酷い面子だったな
強かった期間が半年だけ
古馬のオグリキャップと比べると大分格下感が有るのは否めない リアタイで見てた人に質問だけど、ジャパンカップで両方勝てずに2、3着で終わった時はどんな雰囲気だったの?
この2頭でも勝てなくて仕方ないと思われる時代だったのか?両方負けて白けた雰囲気になったのか?
そういう空気感って、リアタイで見てないと分からないからね。 >>77
リアルで見ている人間なら、そんなこと言わないと思う。
今見れる馬柱だけで比較してるのなら別だけど >>83
当時はジャパンカップ勝ったのはカツラギとルドルフしかいなかった時代。
またアメリカのレースの勝ち馬が好走していた時代だったので
アメリカのペイザバトラーが勝ったのはやっぱりといった感じ
タマモもオグリも勝馬と遜色ない競馬したのでまあまあの評価
できれば勝って欲しかったなあって言ったところか
タマモを評価するうえで秋天、ジャパンカップ、有馬と
3戦連対したのはルドルフ以来という評価もあって
そこそこの評価は得てたと思う。 >>64
ペイザーバトラーもオグリキャップも外目を回ってたからあの日の馬場は外の方が良かったんじゃないか?
ナリタブライアンのダービーの日の馬場のように 天下のクリス・マッキャロンに勝たれて納得しないようなニワカは競馬場にはいなかったんじゃないの >>36
その後もマックイーンやビワハヤヒデなどいるけどな なんだかんだリーディング10位に入ってたし種牡馬でも優秀だよな >>86
そうかルドルフ以降、また勝ち馬が出てない時代だし、
タマモクロス以降も、秋G1三戦全部連対は99のスペまで出て無かったんじゃないかな?
確かに時代背景考えたら評価される成績だね。 昔フジテレビで夜中に30分くらいの名馬物語って番組で観たな。あの番組は良かった >>94
あったなそれ
不定期に深夜で放送してた記憶 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています