周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 こんなかで違和感あるの魯粛だよな?
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>>3
その両者は、でかい戦主導してるからフィクションで目立つのは仕方ない NHK人形劇から入ると呂蒙が嫌いになる
後から演義や正史の呂蒙を知ってもだ 横山三国志から入ると周瑜は諸葛亮の噛ませだしなw
あとカントの戦いとか青州兵についても描かれていないから曹操が描かれる戦は割と負けていて
有能感がない 孔明を持ち上げる犠牲になったのだ…
赤壁は本来孫権周瑜の唯一というていい見せ場やから ここで挙がってる4人は大都督だから
一介の親衛隊長とは格が違う
>>15
周瑜は、孫策が国家拡大した頃も重要な役果たしてたはず
あまり記録は残ってないけど 若死にしてるのが多いから若くてかっこいい印象なんだよな、呉 >>16
ケイ道栄「曹操軍を破ったのは呉の周瑜とその戦力だ、誰がお前(孔明)など恐れるか!」 呂蒙が一番有能だな
三国時代最強の関羽を屠り荊州を制圧した功績は夷陵の戦いで呉を救った陸遜よりも上 >>1
競馬に関係無いスレ立てんなアフィカスいい加減に死ねゴミ 周瑜は死ぬのが早過ぎた
周瑜が生きていれば多分三国志にならなかったよ 子敬さんを低く見るなや
スリキンでピーチ劇団のコント見せられて苦労したんやぞ 光栄三國志からの俺は魯粛は戦闘に使えず軍師にも足りない役立たず 横山三國志と スリーキングダムは 内容が ほぼ一致しているな >>24
「この孔明が策を用いたら曹操軍は赤壁で壊滅した、勝てるわけないからさっさと降伏しろ田舎者」と挑発されたのさ 横山光輝の魯粛とかすげえ情けないおっさん扱いで草生える
顔も優しいだけのおっさんふうで周瑜と孔明の間を小間使いしては顔色変えてるだけw
周瑜も孔明のかませ犬状態だけど一番史実との乖離が大きいのは魯粛じゃないかと思う
天下三分の計だって魯粛だぞ発案者
時には君主の孫権でさえも頭が上がらなかったんだぞ >>25
北方謙三が、そういう史観の三国志書いてるね
周瑜が生きてたら、劉備・孔明は何もできず
魏と呉の南北朝になってたって感じの
当然ながら史実通り、周瑜は早死にするから実現しないけど ナムコの三国志から言わせると
リョモウが一番ショボい、というか特徴がない
シュウユ 体力65 知力90 武力86 人徳82 忠誠93
ロシュク 体力40 知力87 武力05 人徳92 忠誠90
リョモウ 体力75 知力75 武力68 人徳72 忠誠68
リクソン 体力65 知力97 武力63 人徳55 忠誠83 >>36
他のパラはともかく、なんで呂蒙はこんなに忠誠が低いんだw
関羽を騙したことを、ここに表現されたのか? 魯粛はあのプライドの塊の関羽を言い負かしてるからな
魯粛が生きてるうちは関羽は呉に対して見下す真似が出来なかった 魯粛は内政外務に堅実な政策をとり呉を安定させた賢官
魯粛いなかったら蜀より先に滅亡してる 呂蒙はセクシーコマンドーの使い手。
相手を油断させてスキを作る。
魯粛は孔明には弱いが関羽には強い。 横山の知識だと周瑜は曹仁にやられそうになるカスだからね
曹仁は名将なんだが横山だと大したことないからな >>45
赤壁の戦い(実際はよくわからない)はさておき
あの魏から荊州奪ったことだけみてもすごいんだけどね
その後は、合肥とかで何度も戦ったけど魏の領土を奪うことはなかった 周瑜 豪胆な人物、ただ何をしたかはよくわかってない
魯粛 孫劉同盟の堅持、外交面で多大な活躍
呂蒙 関羽を排除する
陸遜 夷稜で蜀をボコる、後も沢山活躍
ある意味、周瑜は使いやすいのかもしれない
よくわからんなら適当なこと言っても誰も文句付けられないし
まぁ、演技の周瑜は明らかに正史とは違うが 戦術では周瑜が優秀でも戦略に関しては魯粛が優れている いちばん重要な赤壁が謎だから何言っても何の問題もない 赤壁の戦いなんて曹操の大軍内で疫病が流行して
まともに戦わず早々と撤退したのが真相だしなぁ
ちなみに赤壁近くで劉備が駐屯していた江夏は今の武漢市 中国ドラマ、スリーキングダムの魯粛はメチャクチャカッコよく描かれてるけどなぁ。
国を案じる孫権に付き添って、周瑜を毅然とした態度で諌めたりしてたし。あと、全体バランスをみながら劉備陣営と外交したりとか。
横山での描かれ方がひどかったからな。
周瑜「お前は他のことはできるが、外交官としての才能はゼロだのう」 なんか周瑜が何もしてない人扱いされててワロタw
正史を読んだ事ない人間が正史の事を好き勝手語って無知がそれに納得するスレでしかないなw >>54
だからって、そのあとで江陵まで落とされるのはおかしいでしょ
疫病の影響があったと言っても、曹仁も結構持ちこたえてるから
激戦だったと思う 他の三人に比べると直接的な大戦果と言える実績が無いからな
劉備との同盟を取り持って赤壁を勝利に導いたと見れば話も変わるが 演技では、劉備が主役だから仕方ないけど
(多分)魏の主力相手に奮戦して北荊州奪った周瑜を必要以上に貶めて
南荊州で、文字通り雑魚狩り(というか残敵掃討w)した劉備を持ち上げてる感じはある
そして、周瑜が死んだ頃から国家としての体裁が本格的に整い
記録もしっかり残るようになったので、その後の呉がやったことはわかっている どの程度正確な話が残っているか全く分からない2000年近く前の話でどや顔で真相はこれだ!…ってw >>70
正史もほとんどが作り話だしね
200年とかの出来事の真相とか分かる訳ないからな >>73
戦勝の勝敗、各勢力の領土の変遷に関しては
ある程度正しいんじゃないかと思う
そういう意味では、赤壁〜周瑜没くらいまでは
劉備って呉の配下に近い扱いだったんじゃないか?
曹操、袁紹、(劉表)、孫権というメンツに客将として優遇されてるのは凄いが 周瑜と呂蒙は武力も高い文武両道型
魯粛と陸遜は文官
太史慈、甘寧は武官 卑弥呼の時代なんだろ?これ
西暦200年前後
漢倭奴国王の金印の頃 実際正史はよくわからんよ
夏侯惇伝なんかひでえよ
先生バカにされたから斬った
夏侯惇が捕まって助けられた
治水工事手伝った
曹操軍の総司令官になった←なんで? それなら陸遜じゃないの
周瑜魯粛呂蒙は同じ頃のイメージあるし 魯粛伝が本当だとすると文官という評価はどうかと思うけど
確かに言われてみれば正史もわけわからんし
まあ当たり前だけど>>70のいう通り当時の正史編纂の人たちですらわからなかっただろうし
いわんや俺らをやってやつだな >>80
そうはいっても、当時の中国は進んでるから
始皇帝の話や、司馬遷の史記(前漢武帝時代)よりはだいぶ後で
そこそこ記録の信憑性はある
そのころの日本は蛮族扱いだろw 根本的には魯粛がナンバーワン
三國志のストーリー(歴史的にも同じ)の根幹とは圧倒的に優勢な曹操の天下統一を阻止して、自立をしていくためには曹操を妥当するというより国を三分割することで均衡を作りだすということにある
これは孔明の思想であり魯粛の思想である
演義の中で魯粛は言葉としてこのことを語っていないが赤壁前後の描写では周瑜が孔明の対立者と描かれる一方で魯粛は常に孔明の同盟者であり三國鼎立の立役者であることにかわりない
魯粛がいかに三國志に大きな役割があるかおしてしるべし >>4
司馬懿、周瑜、曹真あたりは孔明を引き立て役が役割だかんね >>73
全部が正確でなくても中国の史書はそれなりに質が高いね
ましてや三國時代は比較的短いので
直後に書かれているからね >>87
そのあたりの細かいことはよくわからないけど
呉が荊州も益州も確保できたら、本格的に魏との決戦ができた
なんで、劉備ごとき(とあえて言うが)に天下3分の一つを与えたのか?
そういう意味では魯粛は失敗してる可能性がある
配下と思ってたのが裏切られたって意味で
なので、次に引き継いだの呂蒙が本格的に敵対してると考えると辻褄は合う >>80
卑弥呼も相当諜報能力があった説があるよ
卑弥呼より前の時代、倭人は南朝(呉)との交流が深かったのだが、孔明死の直後に魏と卑弥呼が交流をもったのは孔明の死によって魏の優勢が確定的になったと判断していた可能性がある 周瑜→イケメン
魯粛→無能っぽい顔
呂蒙→趙雲とドカベンを悪人面にした顔
陸遜→小肥りのおっさん >>93
もちろん孔明側には有利な策であるが、孫権側も南部を単独で制圧できる力がないとも言える
敵を一方に集中させない意図もあるでしょ
天下三分割は韓信にカイトウが示したことは有名で400年前にすでに存在した計略
まあとにかく良し悪し以上に三國でなければ三國志にならないわけで孔明より先にいいだした魯粛は三國志をつくったようなもんよ お主は他のことはよくできても外交官の才能は零だのう >>93
益州と荊州合わせてですら魏と決戦したら負けると少なくとも魯粛は考えた
それにおそらく実際そうだったと思うよ
二国になったらお互いしか相手がいないわけだし中原を支配している勢力がガチり始めたら勝てない
当時の中国なんてほとんどが中原を意味していたわけだし
土地の広さを見て言っているのかもしれないけど人口は段違い
そして劉備ごときというが劉備ほど魏からの圧力を受けてもそれをある程度いなしてくれる適任者はいなかっ >>13
横山三國志、横山三國志というが日本のマンガ三國志のなかで三國志演義に一番忠実(言い方悪ければ独自脚色が薄い)なのは横山
ただ最終巻はめちゃくちゃはしょってるけどね
マンガしか読んだことなければ横山でいい >>96
それって、あくまで第3者の理屈であって
当時項羽と鎬を削ってた(というか負け続けてたがw)劉邦からしたら
配下に頑張って勢力拡大してほしいって話でしかない
そして、最後に韓信は殺される
もし韓信が独立して、項羽・劉邦に次ぐ第3勢力になってたら
劉邦の戦略としては、破綻したといっていいでしょ? >>101
最善の策がなんだったかは俺もわからん
ただ三國志だからね
三國志演義の古いバージョンの三國志平和はこのカイトウらの生まれ変わりの話しから始まるのは有名
三國志というストーリーのひとつのモチーフなんだよ >>99
だったら、なぜその直後に劉備(関羽)から荊州奪おうとする?
呂蒙がよっぽど馬鹿で、魯粛の考えを何も理解してなかったとするのは
さすがに酷すぎる 呉と蜀が同盟続ける一択だったろう
その内魏での内紛や騎馬民族もいたんだから ちょっと気になって調べてみたら
蜀が滅亡した時、呉が滅亡した時、魏が蜀を滅ぼした時だからちょっと時間が過ぎているけど
人口とそこから考えられる兵士数が載ってるサイトがあった
それによると
蜀:人口は約28万戸の94万人。そのうち軍人は10万2千人
呉:人口は約52万戸の230万人。そのうち軍人は23万人
魏:人口は664万戸の443万人。正確な記述はないが蜀と呉と同じ割合とするなら約45万
うーむ蜀と呉合わせて対抗できないわけではないが本格的な決戦になったら負ける可能性の方が高かったかな?って感じ
まあ今ではもちろん3分の計が失敗だったのかどうだったかなんてわからんけど
考えるのは楽しいね 中国史物では三国時代ばかりやたら人気だけど
最近興味持ち始めた八王の乱から五胡十六国時代辺りの易しい入門書とかある?
フィクション多めの小説でも可 >>104
そら魯粛と呂蒙は同一人物じゃないから考え方が違っただけでは?
そんなこと言ったらそもそも周瑜から引き継いだけど魯粛は周瑜のいう天下二分の計を破棄しているわけで
担当者が変わったら方針だって変わる
別におかしなことじゃないと思うけど?
国として基本路線は踏襲しろよwって言いたいのかもしれないがそれを俺に言われてもね 中国人個人は賢いのにどうして共産党に牛耳られちゃったんだろ >>107
小説十八史略(陳舜臣)の4巻辺りがよろしいかと
後漢末期から隋の統一までなんでちょうどその時代と三国時代もすっぽり入る まあぶっちゃけ中国史全体で見たら三國鼎立より二国鼎立のがはるかに多いんだけど三國鼎立だから面白そおかしく読めるし歴史にifはないって観点で考えれば数10年の結果を実現した魯粛は呂蒙より優秀だよ >>108
最終的には、劉備(というか孔明や麋竺か?)の策がはまって
2国の同盟で魏に対抗するって形になった
でも最初は、呉(とその配下である劉備軍)で曹操に対抗する戦略だったはずだと思うんだよね
ただでさえ国力が足りないのに、それをさらに2つに割る理由は何もない
そしてこれは、劉備陣営の動きが素晴らしかったって話でもある
ただ、この説が正しいとすると、劉備は物語での英雄にはなれんねw
そうでなくても、益州侵攻戦で酷いこと一杯やってるのに いやマジレスすると魯粛は荊州までは自分のものだと思ってなかったか
荊州と呉が呉の領域 蜀は本当に蜀のみ
それが魯粛の考える天下三分の計
だから演義ではいなされていたけど実際は堂々と関羽相手に舌戦して黙らせている
魯粛も荊州は奪い返すつもりだったぞ
呂蒙はそう言った意味で魯粛の遺志をしっかりついでいるよ
でも呂蒙は別に蜀そのものを滅ぼす意図はなかったろ
だってそこまでしたら3分じゃなくなるからな
担当者が変わったから方針変えたわけでもないし別に荊州攻めがおかしいわけでもない
当たり前だけど天下三分といえど
仲良く3人でやっていきましょーやーって計じゃないぞ >>116
荊州が自分のものなら、益州も自分のもので何か問題あるか?
どちらにしても、劉備陣営に対して自国の勢力が圧倒してる状態は維持したかったはず
(配下と思ってる)劉備と戦いたくないのは当たり前 >>117
演義的には呂蒙の違和感は簡単に呪い死んだあたりだろう
呪いありなら簡単すぎるだろ
ゲームのコマンドに入れろ >>114
まあ確かにそれが周瑜=即ち始祖wの責任者の方針だったわけだしね
言いたいことはわかるし確かにそっちでの歴史もみてみたかったw
もちろん無理だけど
劉備の方がよっぽど乱世の奸雄だと思うわw
いや演義で主人公にされてよかったでしょこの人w
善人的扱いになってよかったね劉備はw >>119
荊州と比べて益州は突出しすぎていて経営難しいでしょ
三峡の先なんて島国みたいなもんだよ 光栄の影響で張遼が好きです、史実ではどんなもんですか? >>121
いや演義のストーリー制が面白かっただけで劉備が善人なんて歴史家はおもってないよ
それが顕著なのは劉備の蜀漢が蜀漢であって後漢でないこと
もし血統が繋がっていれば中国の歴史観ではそれ相当の扱いを受ける
前漢、後漢でなく後漢が中漢、蜀漢を後漢と評価する可能性もある
なぜ劉備が後漢でなく蜀漢かというと同族の荊州、益州を吸収して勢力をひろげ皇帝をなのったなら本来は皇帝を簒奪した魏に侵攻すべきなのに呉に侵攻したからなんだよ
後漢復興なんて立場はまやかしと評価されたから 経営の難しさもあるけど
そもそもとして呉が蜀をせめているということはすでに劉備は無力になっているわけで
そしたらもう実質魏と呉のみだよね
呉が蜀を攻めテイルぞーって魏がただじっとしているかね 荊州は複雑な位置にあるが、魏と呉の国境は長江流域の水郷地帯
それ以上に蜀は離島なみに隔絶された盆地にあって簡単に勢力圏をかえれる位置にない
相当な合理性がある
劉備からすれば漢中は劉邦が中原に侵攻した一時の拠点でそれをなぞらえるのにちょうどよい 三国時代に残ってる周瑜はもう末期(おっさん)
彼の全盛期は先代孫策の時代だから描写がイマイチなのはしかたない
真に有能だったのは周瑜が推挙した魯粛だろう
脳筋の呂蒙を軍師まで仕上げ、彼に陸遜を見つけさせた
軍資金で始め貢献したただのいい人が実は孫呉の大黒柱だったのだ
戦闘にあまり参加してない印象ながら軍略家を生み出したあたりは確かに違和感かもね >>129
三國志の説話語り(日本でいうなら講談かな)は古くて唐の時代には存在が認められる
この当時から劉備が主人公であったかどうかは怪しいのだが観客は劉備が勝ち曹操が負けると喜んだそうだ
判官びいきのような価値観もあったのかもしれないがこれが時代が下ると顕著になる
一般論だが遼、金、元、清といった異民族制服王朝が中国で続いた結果、国土復興をストーリーにした劉備を中心とストーリーの人気に拍車がかかったとされる
劉備人気はあとの時代のもの
中国人以上に日本人は三國志が好きなのはやっぱり判官びいきでないかね >>130
周瑜は、全盛期を迎える前に死んだと言えなくもない
魯粛や呂蒙とそんなに年齢差があるわけじゃなく
ただ早く死んでしまった
周瑜の時代にも魯粛はいた(周瑜が推挙してるのは指摘の通りで、優秀さを認めてる)
そして、周瑜が健在のころ魯粛が何してたかも記録にはない
(国家として未熟なため、あらゆる記録がないってだけ) >>110
頭いい連中だの文化人だのを
否定しまくって底辺をかき集めた毛沢が
当時のエリートを簒奪凌辱していいってゴーだしたら
ヒャッハーが勝ってしまったのが今の中国やから >>134
それは中共を誤解してる
むしろ中共は演劇を徹底的に政治プラガンダにしてきたし、政権幹部が失脚したり復権する前後にそれを象徴する舞台を京劇を盛んに演出した
中華人民共和国演義なんてつまらんもつくった >>134
中華民国と中華人民共和国の区別ついてない馬鹿なの? >>134
なるほど、カンボジアのポル・ポトと同じなのか >>137
ポル・ポトは中共に支援されていたし文革の影響を受けていたからね
ただ文革=中共では単純化しすきだな
やっぱり中共の文化政策を語るなら天才女形のメイランファンを調べると良いね 蜀はタラレバの話でどこまで可能性があったかの話が出来るけど呉にはそういうのも無いと思うんだわ
ここは堅実にやってた様だけど結局赤壁以降天下統一となるとノーチャンで何よりも見所無しだったって感想 まあ結局乗っ取りした国が出てきてそこが最終的な勝者ってのが面白いよね
一応三国で最後まで残ったのは呉だったってのもなんかいい 一応周瑜さんも赤壁前の孫策もやろうとはしたろ
二人共何もする前に死んじまったけど 呉も蜀も漁夫の利作戦しかなかったのに司馬懿を上回れる人材がいなかった >>139
中国の南北決戦は北側が勝つことが多いね
南が北に侵攻したケースって明、後漢の光武帝、蒋介石ぐらいかね
東西だと西が優勢なケースが多い
日本は比較的東西拮抗しているな >>143
国土で割り振ったら北と南で同じような広さだけど
実際はそうじゃないからね
北のほうが圧倒的に有利
人の数にしろ
もちろん南は南でそれこそ水軍が得意です(呉)とか大軍では攻めにくいほどの難しさです(蜀)とか守りはいいんだが
如何せん結局地の利があろうと人海戦術にはいつか負けるからね 魯粛は文官タイプ。
劉備とは融和政策をしようとした。
他3人は劉備とは相入れないよな。
呉は孫策と周瑜のコンビが好きだった。
2人とも短命なのが悔やまれる。 赤壁のころって、後の世からみるとまさに曹操の全盛期
最大の敵とされた袁家を滅ぼし、人口の多い荊州もほぼ戦わず手中にし
圧倒的な戦力で江南殲滅にかかった
その後何が起こったかよくわからんけど(負けた側の魏の記述があいまいなので)
魏が負けて、あろうことか荊州まで失ってしまった
その勝者である孫家は少し前までは袁術の配下レベルの弱小
勢力を拡大した背景には、周瑜の力が大きかったと思われる
その根拠は、孫堅時代からの宿老たちが、20代の若造に過ぎない周瑜の下で動くことを是としてる事
(程普だけは折り合いが良くなかったらしいけど、そりゃ面白くないわな)
そして、周瑜死後の主導権を握る魯粛にしても、周瑜が望んで呉に仕官させた男
そして孫策死後も、呉の拡大の勢いは止まらなかった
それが急停止した転機は周瑜の死としか思えない
魯粛や呂蒙、陸遜も優秀な武将だったことは間違いないけど
彼らの時代に呉ができたのは、言ってしまうと自国領土の確保と火事場泥棒だけなので
最終的に>>139のような評価になる >>146
王平さんは俺、中卒だけど叩きあげだから大卒バカには負けないさんのシンボル
俺はカクさんが好き
カクさんが汚かろうがなんだろうが相場が良い時に売り抜きますのシンボル 周瑜が自分を警戒していると知った劉備が
逆に孫権との仲をさくために
「あんな有能な奴が配下で満足しますかねー」と言ったとか
曹操が赤壁後に
「あちゃー負けたかーあの周瑜に負けたかー
まあでもあの周瑜だもんなー
うん、仕方ないよな周瑜だもんなー
なんせ周瑜だからなー」
(孫権?誰だそいつ?今回の戦いでなんもしてなくね?w)
って書いてワンチャン孫権が嫉妬して仲悪くならんかなーってやったエピソード好き
(実際はここまで極端には書いていませんがねwww) >>150
赤壁とは実際は戦力の面では曹操VS周瑜であったことは間違いないんだが曹操自体が周瑜と知り合いでもないし曹操は周瑜の何をおもったかね
俺は周瑜はもちろん大都督だからバカでないがやはり地方の豪族としての巨大な勢力圏をもった人間だったあたりが最大の脅威だったとおもっているんだが
今風の偏差値みたいな実力主義とはだいぶ違うんじゃないかな 知ったかもいいところだろ
周瑜については知っていたしなんなら部下にしたいって思ってたぞ
蒋幹を使わせて周瑜を引き抜こうとしたのは史実まで一応記載あるぞ
もちろんその後文章見つけて逆に利用されたのは演義だけどな 中国大河のスリキンだと呉だと魯粛が一番有能だと思うわ
政治の駆け引きのやり方がかなり格好良かった >>153
面識があったという意味ではないでしょ
封建時代の引き抜きは勢力圏含めてでないのサイボウなんかも引き抜かれたがその後どうなったよ >>152
普通に曹操が周瑜のことを知らないわけないだろ
というか攻め込むところの主要な人物について知らないとか
曹操がそんな人物だったら魏なんて成立してないよ
そして確かに調べてみたらすでに散逸したとは書かれているけど三国志江表伝には蒋幹について記載があって
曹操からの命令を受けて周瑜を引き抜きに行くもすでに見抜かれていて
自分がどれだけ孫呉に忠誠を尽くしているか話されて蒋幹もまたそれを受け入れて帰りました
って記載があるね
なんで曹操は周瑜なんて知らなかったって言ったの? >>1
魯粛は劉曄とも文通して曹操に仕えるよう誘われたり優秀だろ。 >>154
記録が正しいなら
魯粛は周瑜より3歳年上、呂蒙は周瑜の3歳年下
こいつらは、ほとんど同世代と言っていい
なぜか若い周瑜が、年上をこき使ってるから世代が上に見えるけどw >>157
名前を知っていると本人を知っているは違う
曹操が相当のひとたらしだったのは間違いない。
サイボウをみれば地方の有力豪族を引き抜いて天下統一に迫ったのは間違いない
今風の知り合いと当時はだいぶ違ううぞ >>156
苦しすぎるだろお前
そういう意味での面識って意味でお前ははじめに使ったのか?
お前の文脈を読むに
曹操は周瑜の価値なんて知らなかったんだからそんなこというはずないだろ
って意味にしか取れないだろうが
逆にじゃあ答えてやるわ
別に知り合いじゃなくても面識なくても有能ってことは知っていたんだろ
だから負けた腹いせに有能な人間と君主とをワンチャン離間できないかなとでも思ったんじゃねーの >>160
だったら>>161のいう通りだったんじゃない
別に周瑜に深い意味を持ったんじゃなくて
ただ相手の軍師と君主と仲違いしたら面白いなーとでも思ったんじゃない
そんな意固地になって曹操が周瑜と面識ないって言い張ることか? >>159
一度は没落した孫家の妻同士の兄弟が周瑜
これが答えでないか
孫家の大株主の一人でないのか
魏と呉の身分構造はかなり違うんだが >>163
単純な血縁関係だけで説明はつかない
孫策時代含め、孫一族でも粛清された奴は一杯いるんだし 三国時代で後代の評価が高いのは華歆、管寧、邴原、王弼、王粛、諸葛靚、張悌。 三国志時代でいうと、諸葛亮が優秀なことは間違いないけど
それ以上に法正がとんでもない力持ってたとか、いろいろ説がある
周瑜は、存命時に演技の諸葛亮級の評価を受けてた人物だと思う
当然、それは積み重ねた実績を受けてのもの 逆でしょ
周瑜始めとして南部の名家の御輿として孫兄弟が担がれてたってことをいってるんだよ
のちの呉になる江南がまとまっているのはこういった地主みたいな連中が強かったから
周瑜を引き抜けば孫権の勢力は相当減退するのが目に見えたからだろ
周瑜の出自は名家で裸一貫の能力を評価しているわけでない
もしろ周瑜のが孫権より本体ぐらいに見てた可能性すらあるでしょ
サイボウが曹操につけば天下りのリュウヒョウ勢力なんか消えたわけだ >>168
弱小で大した戦力もない孫策担ぐ意味がないって話まで言い出すと
当時の江南一帯の真の支配者は周瑜だったってこと
で、その周瑜が無能ならそのまま踏みつぶせばいいじゃない
逆に跳ね返されてることの説明がつかないわw 例えば諸葛亮孔明と書き込むと
歯むき出しで発狂される >>170
だから曹操は赤壁のあと曹操は孫権と戦ったでなく周瑜と戦ったと記録を残したのでないのか
俺はそれを言いたい
孫家を凌駕するとまでは言わないが、蘇我氏や藤原氏みたいな強大な江南のオーナーだったのが周瑜の実態じゃないかと >>172
そのわりには、本人が死んだあとその一族がさっぱりな感じが・・・
まあ、結局よくわからんのだが まあ頼朝は飾りで兵隊もってるのは三浦や上総介、千葉だって話しよ 周瑜もそれは重々承知してたから
孫権が毎月レベルで服わたしてくるのを
ガッツリ着て仲良しでーす孫権様に服貰ってまーす
俺が頂いてまーすってアピールしまくってるんじゃん >>175
だから曹操は都からちょっと地方に下った御輿孫家程度より俺のが上、
さっさと寝返りやがれとおもったが意外に中原のみなさんの都会臭嫌いですよって展開を妄想しちゃうわけ >>175
そういうことするのは、2つの理由が考えられる
ひとつは、自分が孫権より実質上位とみられてて、ちゃんと臣下として仕えてると周囲にアピールすること
もう一つは、完全に臣従してる立場で、自分が一番孫権に気に入られてると示すこと
・・・実際にそれやってたかどうかすら疑問ではある、というとなにも信用できなくなるかw 仮定の話しして楽しみたいんで周瑜の能力を、頭のよしあしで評価するのはちょっと違うんでねーのが俺の立場
一番すごいのはあの危機的状況で、いくらでも人参もらえるのに反発して戦いぬいたってこと
これがなめてた曹操には最大の心理的なダメージだし。
サイボウ一族との差がついたな 周瑜は陸戦も当然できたハズだが
三国志演義をベースとした横山三国志では
周瑜は水戦のみ、櫓粛は陸戦のみとかレッテル貼られてたな
まあ一応、周瑜はしばらく水軍の都督やってて、ブランクがあるから役に立たない
という表現で言いたかったのかもしれんが >>160
サイボウを引き抜いた曹操は
九鬼義隆を引き抜いた信長にも通じるなど
もっとも九鬼は手甲船で一度は活躍したが、サイボウは
まあ水軍構築にその知識を遺憾なく発揮はしただろうが
まあ荊州軍の水軍と一緒に降伏したから、大半はそいつらだが 赤壁って戦いの実態はよくわかっ👉ないんだよね
一番間違いないのはここで潮目が変わったということ
これは正史でも演義でも一致している。でも曹操が負けたのは火計なのかコロナなのかはマジでわからない
ただそのあと天下三分に進んだことは間違いない 実際魯粛は歴史的評価S
呉だと孫策レベルの功績
歴史としての三国志を語りたいなら北京大学の研究成果くらい目を通した方がいい あと水軍っていうのは今風にいうと海軍より海兵隊の方が近いからね
別に船の上では剣や弓振り回すし、攻撃目標が陸地にあれば船は置いてくわけだから近代風の砲撃戦の訓練するわけじゃないから
陸軍水軍の区別がめちゃくちゃあるわけではもちろんない 三国志の時代からコロナみたいな病気が流行っていたんだな。赤壁の真の敗因 魏の大軍で直ぐに攻撃すれば、劉備、孫権は滅びたが、疫病でできなかった >>182
中国内は文革で資料が残ってないから
他国持ち出しで助かったもんを再チェックしてるんやで
だから中国の研究は海外のマニアよりかなり甘い >>186
演義の話しだと魯迅が孔明と劉備はいい人ぶってかえってうさんくさい
曹操は悪者風に描こうとしてかえって人間味がでてキャラだちしてるってあたりがなるほどプップッておもったね >>186
文革で三国志関係の原本失われた例なんてないぞ >>186
資料? 具体的に文革でどの資料が毀損された?
文化大革命で毀損されたのはむしろ史跡で三国志の資料なんて別に破棄されたりしてないぞ 陸遜は人気がないのか話題がでねーな
死に方がつまらんからか? >>100
最終巻は燃え盛る炎の中で死を覚悟して書き上げたらしいからな
横山光輝こそ真の猛将だよ >>191
燃え盛ったのは20年ぐらいあとだろとがちつっこみ >>189
誰が起原か知らんけどめっちゃ広まったデマだね
文革で歴史史料が全部失われた、というのと
中国では王朝が変わる度に全部の史書を焼くというの
何の知識もないネトウヨがよく言ってる 戦国時代とか三國志のブームを作り出したのは100%シブサワコウ。これだけは間違いない 魯粛がいまいちだと思われるのは横山三国志せいだとすると影響力が凄いよな 赤壁の後、曹操は本気で呉と蜀を滅す気は無かったと思ってる
治めても仕方ないと判断したんじゃないかな曹操は >>199
横山は演義そのものだから横山の創作とは言えない 中国大河スリキンのロシュクはマジでかっこいいぞ。ファンになること請け合いだ。
https://youtu.be/tZhOH42MkWk >>1
とりあえず、大都督はみんな途中で死にすぎ
どんだけストレス溜まる地位なんだよ 魯粛は徐州人だから旧徐州太守の劉備に敬意があるのは当然やな >>208
何を言ってるんだ
日本の室町時代の平均寿命は男で19歳、5歳まで生存した奴でさえ23歳が平均寿命だぞ
コロナの件でわかる通り、ワクチンが無ければ、人類なんてウイルスや病原菌に無抵抗なのさ 逆に言うと、歴史に名を残した奴は長寿だからこそ名を残せたと言えるな >>200
諦めただけでしょ
そんで次世代に引き継ぐために魏を建国した 大都督の任期と死去
周瑜:約2年(病死)
魯粛:約6年(病死)
呂蒙:約2年(病死)
陸遜:約25年(孫権のパワハラで憤死)
朱然:約3年(病死) 横山光輝も影響がデカイがコウシブサワの方がデカイかも 横山だと陸遜はメタボデブなのにな
陸遜の後って朱然だったのか、陸抗にはできないわな 中国は十常時みたいなチンホ切りが
2000年席巻したけど日本でははやらなかった
のはなんでだ? >>36
NAMCO三国志はわりと体力勝負なところあるから、逆に優秀かもよ 横山董卓が怒って城壁から落ちそうになって死にかけたマヌケに描かれていたので何故こんなマヌケが
一時的にせよ天下を獲れたのか不思議に思った奴は俺だけじゃないハズ(´・ω・`)ゞ コーエーの初代三國志でホウ統とホウ徳の能力値が逆だったのは内緒な >>217
単純なとこそんなでかい後宮持ってる大権力者がおらんかったんじゃない。
東ローマ帝国にも宦官はいたけど要は皇帝の権力が強いと宦官も強くなる。
皇帝は親族も信用できんからね。一番信用できるのが子孫残せない宦官。 >>218
体力以外は上がるから
史実通り育てろってことよな >>217
もともとが異民族殲滅が目的で始まった刑罰だから同族同士の争いが多い日本ではなじまなかった
また日本は農耕民族の上に仏教が強く牧畜が廃れたために去勢技術にも疎かった
現代の競馬でも日本人が去勢を外国に比べて嫌うのはこの名残があると言われる
一方で後宮文化がなかったというとそうでもない
巨大大奥が作られた江戸時代は側用人と言われる大奥で将軍への取り次ぎを行うものたちが力をもつ
側用人の出身者には柳沢吉保や田沼意次がいる
ただ去勢があるかないかな差があっただけ >>214
日本人に浸透した三國志って
マンガ→横山光輝
小説→吉川英治
テレビ→NHK人形劇三國志
ゲーム→KOEI
だろ >>216
大都督って位は朱然で止まった
そこから先は陸抗が大司馬の位で頑張ったよ 魏延が不憫すぎる。
黄忠と差がつきすぎる。
孔明よりは龐統のが好きだった。 陸遜の次が朱然ってのは、後継者争いで孫権が陸遜を追いこんだ後にとりあえず朱然を立てたんだろうな
呉の重鎮だから孫権が信頼を置きたかったんだろうけど、なにぶん老いぼれの死にかけだったから形骸化の大都督だったんだろ ある程度安定してくると常時臨戦態勢とはいい難くなるからな >>220
ホウ徳はそうだけど
ホウ統は知力98で司馬懿と並んで孔明の次だから
額面通りでいいだろ
むしろ郭図とホウ徳を間違えたんではないかと思う >>221
中国以外で宦官と言えばオスマン帝国だと思う
たしか黒人宦官と白人宦官がいたはずだがこれもトルコ系以外の異民族から選ばれてる ナムコ三国志のタイシジやコウチュウより強いゴイとか
なんであんな評価やったんやろ >>200
劉備が蜀を取った時点で魏も呉も簡単には動けなくなっただけだと思う
どれかが荊州を取れてりゃもう少し違う展開になってたんだろうけど 呂蒙悪者扱いされてるけど約束を反古にして荊州にずっと居座った関羽が悪いよな 唐だか宋で呉で名将みたいのに選出されたの周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗だからマジで魯粛ハブられてる 魯粛は戦略家で外交官でもあったけど軍を率いて会戦した事が無いはずだからな
小規模の戦闘ならしてたと思うが
しかし正史の魯粛は演義と違ってかっこいい >>241
その点については関羽は劉備の命令に従っただけだし、現代においても同様だが領土を安易に譲り渡すのは絶対にNG
関羽の不味かったところは呉を見下して必要以上に敵対したこと
おかげで最悪のタイミングで裏切られて蜀の荊州領土を失陥する羽目になった
関羽の娘と孫権の息子の結婚だって劉備にお伺いを立てた上で成立させとけば孫家との血縁関係が出来て簡単に裏切られることはなかったのに「虎の子を犬の子にやれるか」なんて喧嘩売ってんだから話にならない
荊州方面の軍司令官としては張飛の方がまだマシだったと思われる 呂蒙は現場叩き上げ感があって好きだ
なんとなく現代で言うと工場長タイプな気がする >>209
もうちょっというと反曹操の勢力を構成するにあたって
劉備の存在は無視できないのよね やっぱり中原の戦い熟知している傭兵隊長劉備は重要だよね 関羽って傲慢なイメージある
無駄にプライドが高い
当時からチヤホヤされまくってたんじゃね?
神格化されてってけど、荊州取られたのは自業自得だと思う >>249
無駄ではないだろw
だからこそあんだけ無双するだけの強さがあったんだし
そういう生き物なんだから仕方がないよ
むしろ孫権の方が、関羽を劉備の一部下として見下した対応をしてるんだと思う
そういう存在じゃないんだよな 関羽って豪傑のイメージだけど実際はかなり行政の達人 >>250
自分の部下の子供との結婚を申し出たならともかく
君主である自身の子と、関羽の娘の婚姻結ぼうとしてる時点で十分敬意示してると思う
これを単に断るならまだしも、侮辱発言までするのは責任ある立場としてはマズイと思う >>253
思いっきり荊州の取り込み戦略だからなぁ
その辺から強い拒否になってるんじゃね まあ呉からしても魏を抑えられる
関羽置いとくのがベストだからこその
婚姻政策やったんやけど
結局のところは曹操を殴りかえしすぎたことが原因
もし曹操が関羽怖いで南への進行をやめたら
于禁曹仁蹴散らす関羽との戦争なんて宿将も甘寧ももういない呉ではとても無理
ここで関羽殺しとかなきゃ未来はない
↓
利害一致魏呉連合
ミッション:バケモノ関羽討伐
こうなってしまった >>252
関羽は思ったより上手く民政はやってるよな
問題は外交センスゼロなこと
まあ呉も魯粛という外交名人が死ぬと後を継ぐ人材いないんだけど ?統死ななきゃ孔明様が隣りにいたろずっと
まあこれはどこの国も一緒だな 周瑜と呂蒙はどちらかと言うと武官タイプで、魯粛と陸遜は文官タイプと言うイメージ
陸遜も呂蒙亡き後は戦に駆り出された感はあるけど、魯粛は基本的に >>145 で述べている通り
劉備とは融和政策で乗り切るつもりだったので、それが違和感に感じられるのかも
魯粛がもう少し長生きしてくれれば、蜀はもう少し変わった形で生き残れたと思う
とは言え、最終的に魏には敵わなかったとは思うけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています