ミスターシービーってそんなに人気だったの?
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シンザンとか出て来ると分からないけど、人気ならハイセイコー、オグリキャップの次に来てもおかしくないほど凄かったよ。 CBの人気は本当。欠点のある馬で、鞍上もうまくない。
でも、勝つ時は本当に強い。CBしかできないような勝ち方。
気持ちのいい馬だった。 蹄と喉が弱かったなんて競馬板ではよく見るけど本当なの? まあ、何しろ19年ぶりのクラシック三冠馬だから盛り上がったんだよ、きっと… シンザン以来待ちに待たれた三冠馬だし、レースぶりは個性的だしね。
それになんといっても見た目がよかった。細身の黒鹿毛で顔も小さくイケメン。皮膚の薄さが伝わる外見。巨漢だったオヤジとは全然似てない。パドックでもすぐに分かるほど目立っていた。 >>6
菊花賞の前に挫石で蹄を痛めてから蹄がずっとよくなかった マル父劣勢の時代にトウショウボーイ
というのも大きかった? 1986年頃の、とんねるずのオールナイトニッポンでリスナーからの葉書でシービーのネタがあったよ
当時から競馬好きの憲武が読んだネタハガキだけど、自分には馬のことだと分からなかったw
あとになって理解した 追い込みというか捲りだよな
でも当時の馬場で上がり33秒台繰り出したのは凄い ちなみにそのネタってのが寺島純子コーナーってやつで、
「俺、ミスターシービー。今、北海道でやり放題。以上」ってのだったw >>11
トウショウボーイと母のシービークインは同じレースでデビューし、シービーの他には子をなさなかった。そういう両親のロマンスも人気の背景だった 古馬になって一年後輩のルドルフに負け続けたのが悔しかったなあ
せめて一度でもルドルフに勝ってほしかった タービー、菊と勝ってるがベストは2000m くらいじゃなかったのかな? 菊花賞の勝ち方はルドルフより全然上だったのに中距離馬だったか疑問 知り合いの競馬好きなオバちゃんがミスターシービー大好きらしく熱く語ってた
ルドルフは?と聞いたらつまらないと言ってた ウィンチケット登録すると1000円さらにマイページのプロモーション入力に24RQR6F5を入力すると最低1000円最高50000円貰えるガチャが引けるよ! 今の時代だと
ディープがルドルフで、オルフェがシービーだと思っていいよ
ディープは成績表だとオール5で常にクラス1位で欠点が無いから素人はつまらない
オルフェは5と1が入り混じっていて、ごく稀にクラス1位の成績を取れるから素人は楽しめる
まあ能力だけだと圧倒的にルドルフ、ディープに軍配が上がるけどね >>28
血統もそうだね
父外国馬より内国産の方が親しみやすいのだろう カツラギエースの逃げとシービーのシンガリからの追い込みは名物芸 ミスターシービー→輪島
ルドルフ→北の湖
当時はこんなイメージで捉えられてたな ヤマニングローバルは応援されたが、トウカイテイオーを応援するとニワカかと思われるくらいに人気の格差があった >>28
あなたの指摘通り、CBはオール5の馬じゃない。多くの弱点がある。
吉永の癖のある騎乗でなければ3冠は取れなかった説に100%賛成はしないけれど、
CBの個性を生かせた騎乗だったのかもしれないと今は思う。 騎手の吉永正人は奥さんが強烈だったけど、離婚してたんだな
3冠時代もスポーツ新聞紙に連載コラム持ってた記憶
シービー人気に一役かってた そりゃトウショウボーイ産駒が三冠馬って盛り上がるんじゃない >>1
正攻法のスーパースター
ディープ親子みたいなルール無視などの反則はしない >>1
ハイセイコーやオグリキャップ、ナリタブライアンやオルフェーヴルが人気ある理由と同じだ
完璧な強さで負ける事もない馬より勝ったり負けたり挫折から成り上がったりするドラマ性が人気の秘訣
地方競馬の馬が活躍すると地方出身者のファンが多くなり、
最初は弱くても徐々に強くなって三冠取った馬には今はダメだが自分もいつか成功したい人が自分に馬を重ねてファンになる
圧倒的に強い馬や無敗馬にはそれがないからな オルフェはいくら何でも別物だろ
正直大して崩れてはいない オルフェも一歳年下の三冠馬に負けたのがシービーに似てる >>44
1歳下の二冠馬を有馬で問題にしなかったところはルドルフと一緒でもあるな この頃に5チャンがあったらシービー基地とルドルフ基地の争いは相当だったろうな この前、名馬のお墓スレで、シービーのお墓があまりに粗末だと出てた。
種牡馬になって早く死んでしまったのも、お墓が粗末なのも
なんかシービーらしいと思う。一瞬の輝きがすごいタイプだったから。
千明牧場は今は名前だけで、まともな生産はしていないんでしょう?
自分は群馬出身だから、余計にシービーに思い入れがあった。 なんで立て逃げするんですか?まとめサイト管理人さん >>48
そういやルドルフ乗ってた岡部は群馬出身だったか >>45
ディープもそうだし
もしかして三冠馬の一個下って複数冠馬多い? ハイセイコーからオグリまでの間は暗黒時代だから人気って言っても大したことないぞ >>48
先月の中京障害オープンで生産馬のキャプテンペリーが勝ってた(オーナーも千明牧場) >>53
ハイセイコーは歌もあったしね。増沢が歌ってた。
オグリはグッズとかも凄かった。
もちろんそういう人気とは、シービーの人気はレベルが違うよ。 >>53
まあ、一般人気と言うより競馬ファンの間の人気って感じかな? >>54
そうなんですか?無知ですみません。情報をありがとうございます。
千明の北海道の分場でやっているんでしょうか?
三里塚の方(シービーのお墓がある)はもう機能していないと思ってた。 不器用さがスター性みたいなのあったな
ただ競馬自体がまだマイナー時代だったけど >>53
そんなことはねーよ
シービー、ルドルフ時代は盛り上がったぜ ナリタブライアンが怪我で擁護されるのに対してこっちの蹄は話題に上がらんよな 秋天でシービーが3コーナーから動き出したところを大型ビジョンに映ったらすごいどよめきが起きたと
現地にいた人に聞いた 三冠馬で一番毛色が美味しそうだなって見る度思う
チョコレートとかココアっぽい ダービーと菊花賞をつべで見たけど、抑えきれない勢いで上がっていくな。
気性面でああいった競馬しかできないというのはこのレースを見ていてもわかるけど、相当の強さをもった馬だね。 >>32
カツラギエースが逃げたのはラスト2戦だけなんだけど… シービーは吉永らしい騎乗(追い込みか逃げかの二択しかないが個性的で人気のある騎手だった)の影響により、
レースぶりが派手でアイドル的な人気があった。
また、寺山修司は柴田政人と吉永正人をとても可愛がっていて、
シービーの皐月賞を中山のCX放送席で観て、吉永がダービージョッキーになることを確信して安心したという逸話が。
寺山はそのダービーを観る事はなかった。
JC1985
日本競馬史上初めて二頭の三冠馬が出走。
菊花賞後中一週で挑戦してきたルドルフに注目が集まるも、単勝支持率は先輩格のシービー。
有馬記念1985
三冠馬の二頭による事実上最初で最後の真剣勝負。
戦前の評価は人気のシービー、実力のルドルフ。実際にシービーは完敗。
80年代中頃は・・・
ミスターシービー(三冠。八大競走4勝)
カツラギエース(日本馬初のJC制覇。ルドルフを負かした初の馬)
シンボリルドルフ(無敗で三冠。後に八大競走6勝)
ミホシンザン(幻の三冠馬。八大競走3勝)
シリウスシンボリ(ミホシンザン世代のダービー馬。関係者トラブルさえなければ3年連続で三冠馬になっただろう)
・・・などがおり、
現在と比べても日本競馬史上一番レベルの高い時代と思われる。
そのハイレベル時代の先鞭をつけたのがシービーで、19年ぶりの三冠達成が競馬界に与えた影響はとても大きかった。
群雄割拠の混沌時代を終え、より洗練された現代的な競馬に変わり始めたという意味で
「シービー以前・シービー以降」という言い方も。
ちなみに・・・
JC2020
三冠馬3頭?の出走をJRAが総力を上げて煽ったけど、競馬ファンと関係者以外は全く盛り上がってなくて悲しくなった。
アーモンドアイ(牝馬三冠・クラシックは2勝。G1レース9勝中八大競走は4勝)
コントレイル(無敗で三冠)
デアリングタクト(無敗で牝馬三冠・クラシックは2勝) >>72
毎日王冠なんかは早めに先頭立って逃げ切ったな >>73
ミホシンザンは左回り苦手だし、あの重馬場のダービーでシリウスには勝てなかったと思う。 菊花賞見に行った
アスコットエイトの大逃げすぐに大失速爆笑
坂の下りでCBが捲っていったときため息に近いどよめき
当時は東西対決の色が濃かったから関西では人気なかった >>64
リアルで見てないのと
戦績だけ見ると古馬で天皇賞勝ってるから
怪我ってイメージが湧かないんだよな 大橋巨泉が11PMでルドルフの方が強いと言っただけで、すごい数の抗議が来たらしい カツラギエースと戦績互角の雑魚のスレはここですか? >>83
よく対戦前でルドルフの方が上って断言できたよな
世代レベルではシービー世代の圧勝なのに
直接対決なかったらいまだにタラレバ言われていただろう >>85
雑魚とか書かなくていいよ。通ぶってるの? スターホースの条件て第一に名前が来るからね
ミスターシービーはその点で素質抜群
ソダシ?知らん 突っ走るから本当にタイムは出せた馬
ルドルフはちょいだし勝ちしてたから
やるまではシービーが勝つに決まってるってやつも多かった あれで巨泉の慧眼は大したもんだったな
当時はどちらかというと嫌いだったけど
クラシックの出走数制限、グレード制導入、馬券の多様化、などなどみんなその後実現させた 千明牧場はオーナー3代にわたってダービー馬を輩出した。
確か唯一だったはず。前の2頭は歴史のかなただと思ってたけど、
もうシービーも歴史になりつつあることに、感慨と悲しみ。 >>20
何十年も前にミスターシービーって名前の馬がダービー出てて
馬主の期待馬につけてる名前で、それが悲願の三冠馬になったんだから
逆に胸アツではないか? ミスターシービーの頃が一番売上悪かった。だからテレビ中継もテコ入れして時代に合わせたライトなものになった >>93
ミスターシービーは浦河産だけどスゲヌマ、メイズイは群馬産だったね。何か時代を感じて感慨深いなあ。 >>97
その通り(笑)千明家は群馬県利根郡片品村の大山林地主の一族。
本家の裏山に登って見える範囲は全部千明家の山。
牧場のオーナー家が一族の中でどの地位にあるかは知りませんが、
相当上の方でしょう。地元には今でも本家の屋敷があります。
記念館のような扱いですが。 千明家のダービー馬は翌年にもっと強烈なダービー馬が出て埋没していく
スゲヌマ→クモハタ
メイズイ→シンザン
ミスターシービー→シンボリルドルフ
レース振りはメイズイもシービーもシンザン、ルドルフより派手だけど >>98
内田康夫著の日光殺人事件でも、智秋と当て字されて千明家が取り上げられてたね 馬主名義は(株)丸沼温泉ホテル
千明牧場名義で走ってなかったのね >>101
名義のことは知りませんでした。
丸沼という湖の一軒宿で、クラシックホテル風の建物です。
今は違う名前になりました。これも歴史のかなたですね。 シービークインってずっと千葉の千明牧場分場(?)に繋養されてたと思い込んでたけど
出産の時だけ北海道行ってたん?それとも繁殖時代はずっと北海道だったん?
教えてプロ千明牧場さん 菊花賞の翌日駅のキヨスクでスポーツ新聞が売り切ったらし
ソースは俺のじっちゃん
まぁハイセイコウにはかなわかったらし
ソースは俺のばっちゃん 娯楽の少ない時代だからな
今ミスターシービーがいようがオグリキャップがいようがたいして盛り上がらない >>101
名義は資料によって(株)丸沼温泉ホテル、千明牧場と二通りある。ダービー時の専門紙の馬柱では千明牧場となってたが… >>9
福原さんは、ルドルフよりもシービー派
だったの?ちょっと意外だ(/・ω・)/ >>103
トウショウボーイの種付権って元々は日高軽種馬農協の組合員以外からの申し込みはNGだったはず
千明牧場は当然組合に加入してるわけじゃないし
ただ、トウショウボーイも種牡馬併用当初はあまり人気なかったから特別に種付権が認められて
シービークインは委託先の浦河に移動して種付してミスターシービーが生まれたんじゃなかったか ルドルフもシービーも当時匿名掲示板があったら
中央競馬が捏造したインチキ三冠ってボロクソに言われてると思う >>109
ミスターはともかくルドルフはどうかなあ
弥生賞の時点で中山でやった皐月賞のレコード上回る時計だぞ >>110
ルドルフも皐月賞の直線で斜行してビゼンニシキと衝突してる
岡部も若干の騎乗停止になった >>54
障害と言えば初代ミスターシービー
障害4勝、中山大障害3着 >>112
あれ、弥生賞で「うちに刺さる」癖のあるビゼンニシキへの仕返しだったんだよね。
覚醒前の超二流ジョッキーの岡部が熱くなってやり返した。
それでも、岡部が乗った時ビゼンはぜんぜんよれなかったのは流石だと思った。 シービーの頃が売り上げ的には底だったな
でもオグリで復活したんじゃなくてミホシンザンあたりからV字体回復だったと思う
ミスターシービーって名前がいいのよ、当時競馬知らない同級生でも名前を知ってたもん >>114
へー、そういう事情もあったのね、ありがとう シービーが一番人気だったJCマジで一番人気の理由が分からん
無敗の三冠ルドルフですら四番人気やのに 最近競馬見るようになった人がビゼンのローテーション見たら腰抜かすかもな
そりゃダービー飛ぶわって納得出来る >>118
当時の実感として、「当たる」人気ではなく、
「シービーに勝ってほしい」人気が含まれていたと思いますよ。 小学生の俺が見ていたぐらいだからな。親父が見ていて一緒に。
シービー来た、シービーシービー。はいまだに覚えてるわ。 >>118
ルドルフは菊から中一週
ミスターは毎日王冠の上り33秒台の衝撃が残ってたんじゃないかと思う。 >>118
去年のJCより三冠2頭で高揚感があったのよ、JCに値打ちがあった時代だし
毎日王冠の33秒台の上がりに痺れ、秋天のレコードで確信したファンの熱気やね >>122
ミスターシービーは天皇賞も勝ってたし、人気があったから応援票もあったんじゃないかな? >>118,120
シービーは前走で天皇賞(秋)を日本レコードで勝ってたからね
ルドルフは当時としても強行日程過ぎた >>126
120です。言葉足らずでした。
もちろん、1着の期待は十分ありました。
現代のデータ派は笑うかもしれないけど、
前走を見てた人間の肌感覚というか。スピード勝負なら勝てるという感覚。 JCの1、2回目は日本馬ぜんぜんダメで絶望してたけど、3回目でキョウエイプロミスが僅差の2着になった。
ミスター三冠達成の直後だったので「次は勝てるぞ!」雰囲気があってそれが一年続いていたんじゃないかと思う。 ミスターシービーって馬への期待から一番人気になるのは分かるけど
対して無敗の三冠馬はローテの影響がシビアにオッズに表れて四番人気になるのはよく分からんな
やっぱ当時の馬自身の人気の差なのかね ルドルフは菊がコントレイルみたいな見た目の勝ち方だったから
当時5chがあったら「弱すぎワロタ」とか書かれてるね
そしてJCの後は「吉永またポツンwwww」と叩かれてる >>130
あまり強いとは思えないゴールドウェイに迫られたからなあ。
ルドルフって三冠レースは勝ったけどどれもイマイチな走りっぷりなんだよね。
前哨戦と2度の有馬は超強かったけど。 >>129
あと海外馬信仰が強かった時代だからというのもある
ベッドタイムやマジェスティーズプリンスはかなりの強豪と思われていた >>129
ルドルフの菊花賞はコントレイルほどじゃないけど微妙な勝ちかた
かたやシービーは2019のJCにアーモンドアイが出たような勢いがあった
当時は実力でもシービーが上って見られてたよ >>135
そうかなあ
ルドルフは岡部が何度も最強アピールしてたから、強いと思われてたぞ。
その点ミスターは吉永が無口だったから… >>136
「当時」ってJC時点での話だよ
ルドルフ好走、シービー惨敗したから次走の有馬からは人気も逆転してる >>109
シービーのJC逃亡、有馬逃亡は当時からガタガタ抜かすヤツらがいた。今なら盛大にチキン祭り、インチキ三冠祭りだろう >>118
当時はまだ年長のシービーの方が強いと思われていた。底割れ前だし。
それと、ルドルフは菊花賞から中週の強行軍であとで分かったことだが、下痢までしてた体調不良 >>119
ダンディールートだしな。距離が長いことも指摘されていた >>137
ミスターは秋天レコードだったけど、テュデナムやロンググレイスに迫られたし。
原さんも「勝ったけど危なっかしいレース」言ってた。
しかし、究極の追い込み馬ミスターをさらに後ろから刺そうとした的場と田原は凄えと思った。 >>135
ダービーを勝った時点で、こりゃシービーより強いかも、という声が上がるようになった。それでもJC前の時点では年長のシービーへの期待、ルドルフの強行軍ヤバめとの見方からシービーが一番人気になった。あのJCが両雄評価の分かれ目だったな >>141
ちょうど去年(2020)の天皇賞(秋)のアーモンドアイみたいな勝ちかただったかな
追い込み一辺倒じゃなくなって脚質拡がったって評価もあったと思う >>143
いや向正面ポツン。
若いときより追い込み一辺倒になったと思う。
直線抜けた時、的場と田原は追い出しを遅らせた。 秋天のレコードは大して値打ちないんだよね
あの条件で大レースは滅多に無かったから
トウショウボーイの皐月賞以来じゃないかな
今福島や新潟の二千でG1やればレコード出るに決まってるのとさほど変わらん >>145
レース見直した
向こう正面ポツンだけど直線入り口で早めに四番手くらいまで押し上げてる
捲りは捲りだけど最後差し馬に 1/2馬身、1/2馬身まで迫られてた
ゴール時は去年(2020)のアーモンドアイと似た感じだったよ >>5
三冠馬じゃないけどvodkaもそういうイメージだったんだよなあ
CBは競馬で初めて好きになった強い馬だから幻影を追いかけているかもしれんけど >>146
前年まで3200だったからね。
天皇賞の距離短縮で負担も軽くなる事もあってJCは期待が膨らんだ。
そして期待通り日本馬が勝ちました。 吉永は不器用な騎手というイメージでしたが、
今レースを見直すと、ぎこちない感じはするけど、
自分のパターンに持ち込む形はしっかりしていますね。 >>146
逆に言えば古馬一線級が戦う2000m戦が少なかったから当時(短期間)は評価されてた
翌年にすぐレコード更新されて直ぐタイムの価値は暴落したけど >>148
あー、なるほど。
たしかに最後の迫られ方はそうか。
当時は大川アナの「ミスターシービーミスターシービー!!!!!」って絶叫中継で気づかなかったのかもw ベッドタイムはセン馬だから出られるレース限られてたんだっけ >>40
ほんとこれ
なんか最強馬じゃないのになんで人気あったのかわからないみたいな見方してる底の浅いやついるけどほんとクソ >>156
当時欧州ではセン馬はG1に出られなかったが実力はG1級それも相当な強豪と評価され、その結果外国馬トップの2番人気だった。 ウィンチケット登録すると1000円さらにマイページのプロモーション入力に24RQR6F5を入力すると最低1000円最高50000円貰えるガチャが引けるよ! >>60
あれは同じじゃないんだな
菊の時はシービー自身が前に行こうとしたけど、
春天の時はあの時の再現を狙う&今まで通りの追い込みじゃルドルフに勝てんということで吉永が馬を促した >>154
そのアナウンサーって何か評価別れるけど「横から、、、外からミスターシービー」とかすごい聞きづらい
ダービーの実況した人とかも酷い >>1
成績だけ見ると雑魚に見えるが映像で馬体を見ると強い馬に見える
それなりに相馬眼がある外人調教師とかが名前も知らずに見てこれ強いと言うレベル馬 >>160
現在はセン馬にも開放されて大体の混合G1にはセン馬も出走出来けどね、出来ないのは凱旋門賞くらいじゃないかな? >>159
いい時代だったなあ
せん馬は締め出せや ダービーやら何やら結構有るよ
セン馬ってのはサラブレッドの「血」をつなげないから >>165,168
クラシック系はだいたいあかんな
建て前が繁殖馬選定レースだから >>142
>ダービーを勝った時点で、こりゃシービーより強いかも、という声が上がるようになった。
マジで?苦戦してたようにしか見えんかったけど せん馬はクラシックに出られない、というデメリットを課さないと
オーストラリアや香港のようにせん馬だらけになってつまらなくなるからね
せん馬にすると身体が丈夫になる、気性が落ち着いて従順になる、と
馬主側にはメリットしかないから シービーの話がちゃんとできて、今日は楽しかった。
名馬スレとか、三冠馬スレだと煽り合いになってしまって
聞きたいことが聞けないから。 >>162
調教師に「この前のうまく行ったからあれで行こう」といわれたらしいな。
吉永は皐月賞の前からシービーの走りたいように走らせていたらしいが馬を御せないだけの話。オレはシービーの菊花賞を見て、福永のニホンピロムーティの戦術を真似たのだと思っていたが、あれもシービーが行きたがっていたから行かしたというのが本当のところらしい。評論家の誰だったか、「モンテプリンスも
吉永以外が乗ったら全部勝ってた」と言っていたが、あながち間違いではないかも >>170
ルドルフ派は、普通は間に合わないところ、きっちり前を捉えたのを評価したんじゃない?岡部がまた「ルドルフはちゃんとわかっていた」なんて言うから余計にルドルフすげーになった面もあると思うが >>50
岡部は群馬出身者として偉大な騎手だと思っています。
千明牧場(自分の出身も)は北毛(北群馬)にあり、
岡部は東毛(東南群馬)の出身で、文化が大きく違います。
北毛では、一般の人も千明牧場をよく知っていますが、
群馬県民にはポピュラーではありません。
伊香保温泉に老舗の千明旅館があるので、
「ちぎら」の読み方は年配の方ならわかるかもしれません。 親父が興奮していたのを思い出す
しばらくスターホースが出ていなかったからだろう >>172
香港は別にして米豪にセン馬が多いのはセン馬にしてもクラシックに出られるからだろうな。 >>179
そうなんだ。米豪はせん馬もクラシック出られんのか。種牡馬選定の位置付けがある英日とは目的が違うわけだ >>156
変な刈り分けしてたよなw
あれを2番人気にした日本のファンも大したもの。後年もマジックタイムなんて類似品が来たが >>181
成績見りゃ一番人気でも不思議じゃなかったけど… シンザン以来の三冠馬だし、何よりシンザン以外の四冠馬になった訳だし
それまで日本馬が2着が最高だったJCも俄然期待もされた訳 追い込み馬にして馬券親父達に30秒以上「そのまま!そのまま!」と叫ばせ続けた稀有な存在 >>182
とはいえ、セン馬だしな。マジェスティーズプリンス(だっけ?)より人気になるとは思わなかった。現代ならともかく競馬新聞しか情報のない80年代半ばに。前年のスタネーラ(アイルランド)の勝ちの影響もあったと思う。 大地が弾んでミスターシービーて杉本の実況が本当言い得て妙だわ
過去のレース見てるとミスターシービーが動き出すと
場内がどよめいて地鳴りがするような感覚になるわ >>37
離婚して吉永姓のままなの?
最初の奥さんは死別だが >>187
芸名みたいなものでしょ?
変えたら誰だかわからなくなってしまう。
文才はもちろんあったでしょうけど、吉永の奥さんだからこそ
売れた本も多かったと思います。 今調べたが、確かに離婚しているね
吉永名のまま活動できるのは正人が許可してくれたからだろうけど
いろいろ面白い話あったなぁ
「ミスターシービーでダービー勝った日は、モンテプリンスで負けた日と同じ顔で帰宅しました」
「吉永はほとんど感情を出さないが、妻が優駿エッセイ大賞を取った知らせを聞いたときは、大声出して驚いた」 酔っ払って、郷里の親戚に電話しました。
千明牧場(群馬)はまだあるそうです。
千明牧場を所有する株式会社丸沼も確かに存在しました。
4代目が継いでいるようですが、もうダービー馬を出すことは
これからの時代、あり得ないのでしょうね。 春の天皇賞でルドルフと並走している写真がよく出る
“対決”に見えるけど、直線半ばあっという間に交わされたんだなあ
現地で見たからよく覚えている
(中学時代、父におねだりしてよく連れて行ってもらってた) ヒサトモのダービーの映像では、必ず耳にするね
初代・ミスターシービー >>189
離婚しても別に許可なしでも姓は名乗れる >>185
マジェスティーズプリンスは米G1を5勝しているとはいえ42戦12勝、対してベッドタイムは(セン馬って事もあり)G1実績はないが重賞3勝含み4連勝中で11戦9勝、未知の魅力でベッドタイムの方が人気して当たり前じゃないかな? >>194
夏の調整が良くなくて前走大敗
不安説を吹き飛ばした圧巻の捲り
三冠達成で大川さんも思わず拍手 薬物検出失格馬より有馬のファン投票得票数多いし人気だったんだろうね >>106
どっちも正解で千明牧場は仮定名称
ルドルフの馬主もシンボリ牧場になっているが法人名は有限会社和田農林
個人でもできて、最近ではシェイク・モハメドがゴドルフィンにしてる >>85
カツラギエースはJC日本馬初制覇という大仕事をやってるし、
ルドルフからオグリやタマモまででこいつに勝てる馬ってこの3頭くらいだろ
どこが雑魚なんだよ カツラギが勝ったJCが初現地観戦だったわ。なつかしい >>195
11戦9勝か。随分勝っていたのは知っていたが、大レースのタイトルもないし、2番人気までいくとは思わなかった。まあ、賞金を稼ぐしかないせん馬なんで、他の馬たちより本気度が感じられたのは事実。シービーの1番人気、ベットタイムの2番人気は、日本のファンのバランス感覚でもある。
そう言うオレもこの馬から結構馬券を買っていた(カツラギはなし)。直前並ばれかけたカツラギが突き放した時は馬券そっちのけで興奮した。 鈴木淑子さんは競馬番組の司会の初日に初めて買った馬券が
シービーの弥生賞の単勝で見事に的中。
「この馬をずっと応援しよう」
と思ったらしい。その馬が19年ぶりの三冠馬…ええ話や。 >>200
カツラギエースとニホンピロウイナーどちらが
中距離王だったのかな?
京都新聞杯と毎日王冠見ると最強馬の勝ち方 >>191
3時のあなたで競馬興味ない森光子さんと関テレの杉本アナの
掛け合いがw(当時は4月29日でも普通は休みじゃなっかった) ヒシアマゾンやディープインパクトと同じで、スタートセンスが悪い癖に最初のコーナーまでにそれをリカバリーしようと押してポジション取りに行くと掛かってしまうので、後方待機という戦術を取るしかなかった馬。 >>206
当時4月29日は天皇誕生日で祝日みたい ジャパンカップの時は、潜在能力ではルドルフの方が上だと思っていた人が多かったが、強行日程が嫌われてシービーの方が馬券の人気が上だった。 シービー引退したとき東京競馬場で引退記念のポストカードもらったのがいい思い出 >>205
マイルCSの第1回第2回連覇のニホンピロウイナーは80年代前半の名マイラー。勝ち星は1200〜1800に集中している。第1回マイルCSは安田記念馬ハッピープログレスとの対決に湧いた。 吉永の回顧録によるとシービーはバテて下がってきた馬を見ると興奮して闘志を燃やす馬だったそうな。
どんなレースにもバテ馬が必ずいて、それを交わすと火が点く感じだったと。JCの時はレベルが高く、道中バテ馬がいなかった。
だから最後までシービーの闘志に火がつかなかったというのが本人の分析。 マイルでもニホンピロよりもオグリキャップやサッカーボーイの方が強そうだ。 >>206
4月29日は昭和60年なら普通に天皇誕生日で祝日。それ以降もみどりの日、昭和の日と名を変えずっと祝日 >>212
新馬戦は普通に先行して勝ったが、その後は出遅れ癖が出て後方待機から追い込みというスタイルになってしまい、吉永もそれを矯正しないまま、三冠馬になってしまった。いわば規格外の馬。
岡部や武豊、ルメールが乗ったら、あんな極端な脚質にならなかったと思うが、それで三冠を取れたとは言い切れないのが競馬の面白いところ。追い込みの吉永と合っていたんだろう。今なら池添あたりかな?
シービーは牡馬三冠馬8頭の中でも、力的には下位だったが、誕生秘話からその派手なレースぶり、容姿の美しさなど、アイドルホースの条件を最も持っていたと思う。リアルタイムで見てないとなかなか実感できないだろうけど。オレも夢中になったひとりw >>216
武豊はシービーと同じく出遅れ癖のあるディープインパクトをシービーと同じ捲り脚質にしたから、シービーに乗ってても吉永と同じ乗り方してたと思う。 能力的にはディープと同等だろ
エクイロックス使ってスパイク蹄鉄履かせてたらもっと活躍できた
逆に言えばディープからエクイロックスとスパイク蹄鉄を差し引いたのがシービー >>218
CBディープ並みか。すげーつえーじゃん。いや、ディープがヤバかったのか シービーと関係が深い人と知り合いだったけど
シービーのファンたちが引退後も凄く大切にしてくれたってエピソードをいくつか聞いたな >>1
天馬トウショウボーイ産駒=父内国産馬の代表的な存在
勝ち方が常に劇的
同期にGT勝利馬が多かった世代的にも
魅力的な83年世代 >>217
ナリブもオルフェも差しつか追い込みタイプだし、ルドルフとコントぐらいだな自在型は 俺が初めてやった競馬ゲームはギャロップレーサー2
隠し馬でサクラスターオーとミスターシービーをお手馬で使ってたから覚えた >>89
巨泉はスピードシンボリ時代から和田&野平コンビの大ファン
KGVI&QEDSの時は確か現地観戦だったはず >>222
ナリタブライアンは皐月賞や有馬記念は先行してたし同じ中山でのスプリングステークスでは最後方からの捲りだよ
基本は中段から差す競馬だったけどそれだけではなく脚質に自在性があったよ 馬場も合わないのにいまだに凱旋門凱旋門言う人が居るのは野平さんの影響だよね
>>223
俺はウイポたまにやるけど、シービーの血統残すね
子孫大活躍させて系統を確立とかいうプレイはせずにひっそり残すのが俺のジャスティス >>135
それは無い。実力ではルドルフ>シービーだって事は
JCを中1週間で参戦したルドルフが3着、ローテで
余裕があったシービーが10着で確定
有馬記念の岡部はシービーをガン無視でカツラギエースを
ガチガチマーク。楽に逃げさなかったから勝てた http://www.yutaka-take.com/diary_column/?ym=2011-10
武豊がシービーについて語ってるな
シービーが栗東来た時にはワクワクして見に行ったとか武豊TVでも言ってたしな シービーvsルドルフだとルドルフが勝つけど
83世代vs84世代だと83世代が圧勝するだろうな
カリスマ三冠馬ミスターシービー
日本馬初のjc勝ちカツラギエース
短距離の帝王ニホンピロウイナー
南関三冠馬サンオーイ
母凱旋門賞馬ウィンザーノット
他にもスズカコバンやリードホーユーら古馬王道G1勝ちもいる
牝馬勢も何気に強い
https://i.imgur.com/gcKY5ZB.png
歴代牡馬三冠馬輩出世代の中でぶっちぎりの層の厚さ >>226
いや、サクラローレルとかが国内で活躍してた頃の馬場ならそんなに差はなかったんだよ
馬場改良し続けた結果フィエール48みたいな惨敗を喫するようになったわけ
パワーの要求度が下がって牝馬の軽やかな脚から繰り出されるスピードに牡馬が太刀打ちできなくなってる >>225
有馬はツインターボが飛ばしたが、ナリブも前の方で走ってたな。直線ぶっちぎりのイメージが強いがだいたい中団にいたよな >>229
中山記念で女傑エイティトウショウの3連覇を阻止したテュデナムキング(有馬、秋天2着)もお忘れなく。重賞2勝のドウカンヤシマも >>233
今も凱旋門にこだわってるのは野平さんの影響とか無理があるだろ
存命してた頃までは影響あったかもしれないけどさ
今もこだわってるのはその人達自身の問題でしょ 3冠取ったミスターシービーが二代目だということを最近知った >>234
大丈夫
ちゃんとその2頭もその一覧に載ってるから 【父が夢 母が希求を背に受けて 大地を駆ける 神馬となりぬ 天衣無縫ミスターシービー】
あの横断幕、カッコ良かった
ちなみに鈴木淑子さんはシービーに恋をしたばかりに、以降に逢ったどんな男もシービーと比べてしまって結婚出来ない 成田の牧場に行って写真撮ったらションベンしてニタッてやりやがったこの馬。 >>241
おっアソコ行ったのか
母ちゃんと一緒で良い感じだったよな
どうもお互い気づいてなかったっぽいけど >>41
オルヘは特に個性のない馬みたいに言われてたけど
阪大の逸走から世間の見る目が変わったなかん シービー語ってるやつが今の21世紀クソ競馬やってんのか? >>170
本当に強い馬は、少ない着差で勝つもんよ
シンザンにレコードが一つもないのが典型 >>234
>重賞2勝のドウカンヤシマ
この馬は重賞6勝してますよ、しかも6年連続重賞勝ちというJRA記録の持ち主
「年に1度やって来る」でお馴染み
まだ東高西低の時代だったから栗東への転厩が効いたんだよな(関西に行ってからは重賞2勝)
最後の重賞勝利が58.5kgを克服した関西の金杯(2000M時代)で、東西金杯勝利も史上初 >>231
元々洋芝と野芝では根の構造が違うから別物っす、分かりにくく別物だったのが分かりやすく別物になったというだけで
分かりにくく別物だった時代ですらJCで馬場が悪くなると、地元では道悪上手と評価されていたはずの欧州調教馬がノメるなんてことが続出した
ルドルフやテイオーの年が典型 >>247
ハツシバオー等と並ぶタケシバオーの代表産駒
ドウカンヤシマ 最大の功績は秋天を3200から2000に距離短縮させた事かな... シービーの両親が同じ新馬戦でデビューしたのは結構凄いことだよね >>241
シービーの生前に三里塚に行かれたのですね。
シービークインにも会いましたか? 人気だけなら1世代前のハギノカムイオーの方がすごかった
サルノキングの逆噴射事件までは >>251
シービーの為に短縮されたとはよく言われるけど菊花賞勝ってるのに当時からそんなことほんとに言われてたの? >>256
それは違う
秋天距離短縮は前から検討されてた
シンザン以降、1番人気が勝てない面白いコースだったのになぁ府中32 >>258
その後も1987〜1999まで13年連敗。コース改修後は1番人気が普通に勝つようになった 長距離レースも4000までやっていいんじゃねーかなぁ >>261
アスコットのゴールドカップやカドラン賞みたいに?それなら日本最長距離Sの復活でどうだ? ミスターシービーといえば
ボンバー中澤 佑二やろとボケてみる 産経大阪杯でスタートジャガーにかたなかったのがなあ
春天の菊花賞戦法でルドルフの前に散ったときの寂しさといったら… ウィンチケット登録すると1000円さらにマイページのプロモーション入力に24RQR6F5を入力すると最低1000円最高50000円貰えるガチャが引けるよ! 大阪杯も4角までもたもたしてたけど、菊花賞までは捲るときにスーッと上がっていけてたのが古馬になってからはエンジンの掛かりが悪くなって追い込み馬になってったよなあ。 >>224
>>226
シービースレ脱線して申し訳ないが、シービー世代を知ってるファンや関係者なら懐かしい古き良き昭和の競馬サークルの話・・・
中山の野平祐二邸で、夜な夜な競馬好きの実業家・文化人・芸能人らが集まって競馬談義をする「野平サロン」という社交会が開かれてたそうだ。
そこに大橋巨泉も訪れるようになり、野平と巨泉は日々寝食を共にする大親友になったそう。
(晩年二人は喧嘩して絶縁状態になるが、野平が亡くなった時に巨泉は式に参列して遺族よりも目立って寄り添ってた)
その野平サロンで、今とは違って情報が乏しく時間差もある時代に欧米の競馬界について激しく議論されていたそうで、
後の「日本ホースメンクラブ」発足に繋がることに。
で、日本ホースメンクラブ発足後、欧州遠征の厩舎拠点をどこにするかの議論の際、
中心メンバーであるシンボリ和田と巨泉は、当時のフランス競馬に強く傾倒しておりシャンティ推し。
野平は、世界の競馬の頂点は英国でありアスコット(ロイヤルファミリーの御前で競馬)であるからとニューマーケット推し。
最終的には、いきなりアスコットでは敷居が高いから手始めにフランス(国内の最終目標は凱旋門賞)で力試しすることでまとまり、シャンティに厩舎を借りることになったとのこと。
彼らは決して凱旋門賞を一番の目標としていたわけではなく、最終目標は最高峰であるアスコットでのレースという理解で一致していた。
ただ、日本には巡り巡って多少の誤解があって凱旋門賞=世界一のレースとして伝わったということ。
つまり、現在の「日本人の不思議な凱旋門賞信仰」は和田・野平・巨泉らの「野平サロン」がきっかけなのは間違いない。
ちなみに、武邦や池江泰が騎手時代、息子たちに憧れの大先輩・野平の活躍を熱く語って影響を与えていたらしく、
豊や泰寿は凱旋門賞の写真や映像をよく観てたそう。 ルドルフの新潟デビューは和田オーナーが大橋の能書きタレに反発したからとか
野平師に大橋が「祐ちゃん、新潟デビューで大成した馬はいない。ダメだよ。」
って言ったのがキッカケとか
社台の吉田善哉総帥が「和田さんは時々変なことやるんだよな」って笑ってた。
当時のnumber対談だったと思う ほほう、いいエピソード
ほかにもあったら教えてくれ >>269
ドリームジャーニー、オルフェーヴルもルドルフにならって新潟デビューしたのか >>269
札幌のダートで柴田政人が乗ってデビューしていたら別の馬になっていたかも。 シービーとくればルドルフだと思うので、その話題は興味深いですが、
シービースレは、もう終わりでいいのでは?
1年に1度くらいでも、こうして名馬を振り返れたのは嬉しかったです。 シービーの直系は絶えているそうですが、ということは
シービークインの血も絶えていることになります。
彼女の近親で、今も血統が続いている馬はいるのでしょうか? >>57
一般人のファンを一気に増やしたのがシービーだけど
競馬ブームはシービーから始まった
シービー→3冠対決→映画優駿→オグリ >>218
シービーとディープは肉体的特徴は共通点多いね
シービーはプラス勝負根性もあったね >>274
母父ミスターシービーの牝馬の系統が残ってるね
https://db.netkeiba.com/?pid=horse_list&act=&range=&bms=%A5%DF%A5%B9%A5%BF%A1%BC%A5%B7%A1%BC%A5%D3%A1%BC
しかしこうしてみると母父ミスターシービーも地味なステイヤーが多いな シービーは当時は珍しいどんじり強襲型で屋根の吉永の持つ悲哀と相まって、天井桟敷をやって飛ぶ鳥を落とす勢いの寺山修司にも愛された稀有な馬だったは
ルドルフは先行抜け出しで、強すぎて岡部だし人気がいまいち出なかった >>277
ありがとうございました。
母父としてつながっていたのですね。かなり地味な印象です。 >>278
ルドルフにはドラマ性がなかったからな。シービーに匹敵するドラマ性のある馬はオグリキャップぐらいじゃない? それもラストの有馬で一気にヒーローになった感じだが >>279
どういたしまして
でもメジロランバートはこの板では菊花賞でのスペシャルウィークとの800m叩き合いが語り草にはなってるね
G1馬のウイングアローよりも語られてるな
主にスペシャルウィーク叩きでだが… 吉永は調教師としてそこそこやれてたのに無能な息子が騎手になって乗せるためダメになった おれのイメージ的には
シービーのキャラは明るめ、時代的にも時流に乗った都会の中小企業の御曹司
ルドルフには少し影がある、寂れゆく田舎の旧家の跡取り息子 ルドルフは3歳JCまでは立派だけど
そのあとは虚弱か過保護かレース絞り過ぎと
マイラーに2500でリベンジ面は無いわって感じ。
シービーは2000までならルドルフ相手でもとか足元が強ければみたいなロマン的魅力だな。 当時は全然知らんが今見ても顔が可愛いと思うわ
トウショウボーイの子供、孫達は美形が多い テイオーはたてがみ補正だけど
シービーはガチの美形 府中の3コーナーからエンジン掛かって徐々に上がってくるシービーをスタンドで見るのはワクワクした
ルドルフは2,3番手につけてもう勝つのがとっくに分かっちゃうから面白くなかったなw ルドルフは主役というよりラスボスの威圧感があるな
息子のテイオーは逆にヒーロー感がある >>255
破天荒なレース振りという意味ではゴールドシップに通じるものがある
でも、出遅れてファンからバカヤローと言われながらも結局笑って許されてしまうような色モノ的な要素はシービーには全くない
その点ではゴールドシップはオンリーワンですわ
強いて言えばギャロップダイナがそれに近い 桜花賞馬のシャダイソフィアがダービー参戦したんだっけ?
この年のJCにはムーアとデットーリの親父が出てた ウィンチケット登録すると1000円さらにマイページのプロモーション入力に24RQR6F5を入力すると最低1000円最高50000円貰えるガチャが引けるよ! >>258
秋天皇賞が3200のままだったら
府中のコース改修も当然3200を残す形になったのだと思うと >>262
コース図見たら
一応設定としてはあるのね
中山外回り2周4000m >>293
それなら使わなきゃ勿体ないんじゃない? シービーのリアルタイム世代って50後半いってるよな。 ベッドタイムは、府中入厩後に10ハロン121秒だかの追い切りをして
度肝を抜いたってのも2番人気に押し上げた理由だと思う
馬体はあまり目立たなかったので買わずに失敗したが
思えばセン馬を見慣れていなかったというのもあったかもしれない >>263
史上初センターバックを主人公にした
サッカー漫画のタイトルがMr.CB
主人公は吉永と千明 >>295
83年生まれの俺が37だからなぁ
中1の時見てた世代だとしても今50だからな
60オーバーもたくさんいるだろ 有馬記念ではジャパンカップでの反省を生かして積極的な競馬をすると言ってた吉永と陣営だがまずスタートで遅れて好位に付けなくなってしまう。
一方のルドルフはスタートもよくまた1コーナーで3歳時のサトノダイヤモンドや去年のフィエールマンのように上がっていってカツラギに鈴を付ける。
それでも向正面ではシービーも随分リカバリーしてルドルフの2馬身後ろ位まで詰め寄ったのだが、4コーナー馬なり直線ハミをかますだけで伸びてくルドルフとは対照的に、
シービーは4角前から押しまくってもルドルフについていけず、直線入り口では持ったままでピッっと伸びてくルドルフに離さられる始末。
ルドルフが中山得意というのを差し引いてもこの時の差はかなりあった。 >>299
ルドルフがカツラギエースだけマークしてミスターにはほぼ注意を払っていないのが悲しかった。 シービーは出来が天皇賞ピークで JCはすでに下降線だったんだよ
JCはパドックに行ってたけど 中間下痢の報道があったルドルフは そんなに悪い出来とは思えなかったけど
あの見栄えのいいCBはなんか覇気がなく小さく見えた
首をひねりながらルドルフの複勝だけ買ったが 最後方のシービーが追っても追っても
前との差が縮まらないのは涙を誘った
あとルドルフだけど、岡部は 強いのはマジェスティーズプリンスだと思っていたそうで
それを気にして仕掛けが遅れたっていうコメントがあった
マーク違いがなければ2着はあったろうな >>47
お前みたいなゆとりがわんさか湧いてくるとw >>295
ファンも歳を取りました。
シービーが死んでもう20年経ちます。
>>291
さんが書いてくださった孫のメジロランバートは
調べたところ、健在でした。でももう25歳だそうです。
月日が経つのは本当に早いです。 >>281
でした。ボケてますね。申し訳ありません。 マジェスティーズプリンスはBCターフ1番人気、ベッドタイムはウイリー・カーソン騎乗
が人気の後押しをしたと思うな。 >>251
天皇賞秋2000mに関しては大川氏は反対だった
コースレイアウトが酷すぎると言うのがその理由
まずスタートからの直線が短いから左コーナーに即突入
だから大外枠=死亡枠
ルドルフは無理せず走って2着まで
マックに至ってはスタート直後から内側への大斜行を敢行
マック以外の17頭は衝突回避の為に急減速
騎手は落馬しない事が精一杯でレースどころでは無かった
従って大斜行が17頭の進路妨害行為と裁定されて
マックは1位入線18着降着処分 Aを飛ばしていきなりCやBするんだから
そりゃ当時のミスター達は憧れるさ。 当時マイルならウイナーはルドルフに勝てるって話あったらしいがリアルタイムで見てた人的にはどうなんだ 府中だったらウイナー勝てたかもな
ルドルフ、左回りはぎこちなかったからな
秋天でもウインザーノットと同着だったっけ?
あのレース、岡部は「相手はウインザーただ一頭、あれさえ負かせば勝てる」って感じのレースで
かなり雑な騎乗だったし。 珍しく引っかかって先行集団にとりついていったときも
「大丈夫大丈夫、ウインザーさえ気にしてればば負けっこない」ってふうの
take it easy(意味が違う)だったし 続き
でも 思いのほかウイナー粘ってたんだよな
ウインザーどころかウイナーまでかわすの手間どって
やっと振り切ったところに根本がドーーーン!!!!だったしな
1600とは言わず、毎日王冠でのルドルフ×ウイナーの対決があったら面白かったな >>310
ルドルフに限らず、シービー以降の三冠馬6頭がその時々の最強マイラーと1600でやって勝てるイメージがわかない。だいたいがステイヤー寄りだし、シービー、ディープのように出遅れ癖があるのといる。今でいえばアーモンドアイがグランアレグリアにひねられたように。コントレイルもマイルじゃ苦しいだろう。 両親トウショウボーイとシービークインがデビュー戦の新馬戦で出会ってるのロマンチックだよな
こんな両親から生まれたGI馬は他には居ない >>315
トウショウボーイはテスコボーイの代打だったみたいね。オヤジの愛人いただいちゃいましたみたいなw >>310
ニホンピロウイナーに関しては分からない
シンボリルドルフがJCよりマイルCSを
優先なんて和田&野平コンビならあり得ない選択
ギャロップダイナが相手なら天皇賞秋と安田記念で2連敗だろうね
ルドルフが惨めな引退をした旧6歳時に旧7歳のギャロップダイナは
安田記念にも勝ってGT2勝目だから勝敗は明白
つーか旧7歳時のギャロップは異常
安田記念優勝後欧州遠征を敢行
ジャック・ル・マロワ賞12着大敗
ムーラン・ド・ロンシャン賞10着大敗
帰国して
天皇賞秋4着
ジャパンカップ10着大敗
有馬記念2着で引退 第33回有馬記念で騎乗した岡部幸雄は、オグリキャップとシンボリルドルフとを比較し、力を出す必要のない時に手を抜いて走ることができるかどうかの点でシンボリルドルフには及ばないという評価を下した。
また、2000mから2200mがベスト距離のシンボリルドルフがオグリキャップのベスト距離である1600mで戦った場合についても、調教を通して短距離のペースに慣れさせることで勝つだろうと述べた。
ただし岡部幸雄はオグリキャップの能力や環境の変化にすぐになじめるタフな精神力を高く評価しており、アメリカでも必ず通用するとしてアメリカ遠征を強く勧めた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97
ニホンピロがオグリキャップよりもマイルで強かったとも思えないんだよなあ。
ルドルフならニホンピロとマイルで戦っても勝てると岡部なら言いそうではある。 ルドルフって坂路のない時代にシンボリ牧場でレース毎に帰郷してそこの坂路で調教してたみたいだけど、
(今の坂路、外厩の先駆けみたいなものか)他馬はそれが余りというか全く無い状態で自分はフル活用となると、
普通にある意味環境面やトレーニング面で大きなアドバンテージというかチートみたいなもんだよな。
今の時代のトレーニングや調教技術なら…てのは昔の馬を今持って来たら…のifで言われたりするけど、その逆
みたいなもん(10年+α先の調教・管理方法を自分だけ享受して過去に戻って無双、異世界転生漫画の様だ…ある意味)
中山を得意にしてたって、脚質と坂路調教を考えればそらそうだろ…てのもある。菊から中一週でJCを三着で
オマケに有馬を勝つ、しかも翌年も年末まで走り抜く(大抵の馬は同じ事したら大きく不調になるか、
致命的な故障するので)タフさは凄いけど。まあそういう無茶を重ねる場合は人間側が匙加減を間違えて
最後は壊して終わってしまったりするのもある意味お約束というかある意味自然な流れの終わり方だったのかもだが ミスターシービーはよく解らんが
トウショウボーイは今見ても
惚れ惚れするような走りっぷりだわ シービーの同期にはニホンピロウイナー、ギャロップダイナ、ウインザーノットなどがいたけど
活躍時期や主戦場が違ったこともあってシービーはギャロップやウインザーノットと対戦したことはなかった 3戦目で負けたんだが壮絶な前詰まりだった
土曜だったんでフジが映像残してるかわからんけど 岡部は春天でテイオーに乗って武のマックイーンに負け、有馬でビワに乗って田原のテイオーに負けた
春天でテイオー、有馬でビワを買った俺の中では大した騎手じゃなかった >>318
岡部のルドルフ評は感情入り過ぎであてにならない コース関係なく2000以下なら、ルドルフよりシービーのが上だったよ 長文で語るバカがいるからクソアフィスレが伸びるんだよ >>307
マジェスティーズプリンスはそのBCターフで完敗(しかも勝ち馬は欧州の一流半ラシュカリ)またジョンヘンリーの事もあり米のG1馬はあてにならない、前年のJCの日本馬2着、日本馬応援もあってミスターシービー、ベッドタイム、マジェスティーズプリンスの人気順になったと… 映像でしか見たことないけど
ニホンピロウイナーってマイルよりも1400がベストだったんじゃね
スワンSが凄すぎる >>328
ニホンピロウイナーはスプリンターだから
子供のヤマニンゼファーと同じで本来は1200ベストだったでしょ >>331
当たり前
当時から、それは言われていたこと
ジャパンカップは力負けというよりシービー自身の問題で、負けたのは長距離の春天と有馬だけでしょ
能力の差というより適性の問題のがデカイ シービーはマイラーでもおかしくはない。
カツラギは2400勝ったけど適距離は中距離。 >>332
野平さんはルドルフはスピードが違う、90年代以降のレース体系だったらスプリント戦も走らてみたかった、と語っていたけど 馬体はルドルフもシービーもマイラーの馬体ではなかった
ルドルフは馬体だけならステイヤー
それと馬体の見栄えではシービーよりもルドルフの方が上だった
大川さんは馬体ならシービーよりも断然父のトウショウボーイですよ
シービーにはトピオが入ってるから見栄えが悪いんですね
みたいなこと言ってた
でもディープインパクトも馬体の見栄えが良くなかったのはシービーと同じ
ってかシービーとディープの馬体は結構似ている
薬物という点ではディープはシービーではなくステートジャガー&田原の後継者なんだけどさw >>336
見た目はシービーの方がずっと良かったと思う トウショウボーイと最も違うのは、シービーは腰が甘くなかったという常識中の常識
その代わりに蹄が致命的だったんだわな
最後に千葉の千明にいたが、親父と同じ病で亡くなったのも恐らく蹄によるものだね 父トウショウボーイは馬体重も500kgを越える大型馬で、詩人の寺山修司が『レスラー的肉体美』と称した均整の取れた馬体の持ち主だったが、シービーは450kgから460kg半ばまでの比較的小柄な馬であった。
また、体躯の様子も華奢なもので、トウショウボーイの担当獣医師であった猪木淑郎は、シービーを初めて見たときの印象を「ちっちゃくて牝馬かと思ったよ」と語っている。
しかしその身体は柔軟性が非常に高く、吉永は「全身がバネのようで、全身を使って走るから凄く乗りやすい。スピードがぐんと伸び出すと、自然に身体が沈み込んでいく。理想的な走り方」と評している。
また競走とは直接関係しないが、競馬漫画家のよしだみほによるとシービーは立ったまま後脚で耳を掻くことができたともいう。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC 競馬は20世紀で終わった。
21世紀は吉田一族の運動会。
面白いわけがない。
そんなもんに時間を費やす馬鹿。 >>329
ヤマニンゼファーは父と違って天皇賞秋2000mで勝ったからなぁ
マイラーならともかくスプリンターがGT2000mを勝てるとは思えない
スリンターのピロウイナーは天皇賞秋2000mは3着同体まで
スピリンターのサクラバクシンオーは天皇賞秋に挑戦しなかった
逆にスプリンターズSでヤマニンゼファーに勝ってる >>332
それは言い訳だな
ルドルフは旧4歳+菊花賞から中1週間+下痢ピーで4番人気
シービーは旧5歳+天皇賞秋から約1か月で一番人気
しかし結果はルドルフ3着、シービー10着
その上シービーは大阪杯2000mでステートジャガーに2着負け
2000mで勝てない(大阪杯)
2400mで勝てない(JC)
25000mで勝てない(有馬)
3200mで勝てない(天皇賞春)
これではクラシック三冠馬としては引退が当然 ユタカオーのレース見直すの好きなんだが
種牡馬が多彩で面白いね >>342
叩き台の大阪杯に鼻差で負けたぐらいが何が問題?
相手の
2000以下の成績は充分だろ
安定感あった >>341
2000勝ったからってスプリンターはスプリンター
許容範囲が広かったというだけ >>348
お前こそ、オグリキャップもマイラーじゃないとか言うアホかな?(笑) >>346
カツラギエースに2回負けたのは?
特に京都新聞杯は決定的な着差 83世代の3歳時の有馬記念
2人気ビンゴカンタ(12着)
3人気リードホーユー(1着)
9人気ダイナカール(4着)
12人気テュデナムキング(2着)
1人気は80世代のアンバーシャダイ(3着)
実力馬が回避しても人気どころがコケても次々に有力馬が出てくる世代ってワクワクするよな
三冠馬排出する世代なのに1強じゃないCB世代てやっぱ異常だと思うわ
84年の春天を取り逃したのが勿体なかった
菊上位陣が出てればまた違ってたかもしれんが
2人気テュデナムキング(17着)
4人気スズカコバン(7着)
5人気ハヤテミグ(5着)
9人気ウィンディシャダイ(11着)
18人気ダイゴパワー(12着) >>351
京都新聞杯は状態最悪だったなんてめちゃ有名な話なんだけど
普通なら惨敗で仕方ないくらいだった
毎日王冠も1年ぶりで西浦が上手く逃げたからな
そもそも、どちらも前哨戦だぞ
何言ってるのかな? クイズ100人に聞きましたで
Q:ミスター〇〇と言えば?
A:シービー
というのが中位くらいだったのを覚えてる >>352
同日の阪神大賞典は菊花賞3着のシンブラウンが世界レコードwで優勝 >>353
ルドルフは前哨戦でも手加減無しで楽勝で勝つ
理由はどうであれ同じ相手に4回負けるのはどうなの? なんか貶めようとする書き込みが散見される気がしてなりません。
過去の馬ですから、成績(結果)は変わりません。
事実以上に持ち上げるべきではないし、逆に貶めるべきではないと思う。
ルドルフに勝てなかったのは事実、カツラギに負けたのも事実です。
事情はあったとしても、それは相手方も同様でしょう。
でも、シンザン以来のクラシック三冠馬である事実は変わりません。
それからスレタイは「人気馬だったのか?」です。
これも、客観的な回答は無理でしょう。印象論になってしまいます。
自分はリアルタイムで見ていましたが、「とても人気があった」という印象です。 >>312
もしルドルフが毎日王冠出てたら
何キロ背負ってたんだろ?
ウィナーは確か60背負ってた 競馬板民って強い弱いの決着つけないと気が済まないんだよなw 若いヤツが多いんだろうな ミスターシービーが三冠になった1983年(昭和58年)
政権・第一次中曽根内閣
出来事
・ベイルート米大使館爆破テロ
・フィリピン、アキノ元上院議院暗殺
・大韓航空機撃墜事件
・日本海中部地震
・任天堂「ファミリーコンピューター」発売
・東京ディズニーランド開園
スポーツ
・甲子園優勝校、(春)池田高校、(夏)PL学園(KKコンビデビュー)
・青木功がハワイアンオーブン優勝
ヒット曲
・「さざんかの宿」「矢切の渡し」「めだかの兄弟」「氷雨」
映画(興収上位)
・「ET」「南極物語」「フラッシュダンス」 >>356
4回???
3回だろ
それに今みたいに軽々馬場じゃないから距離適性は顕著に出る馬場だからな
2400以上ではルドルフのが強かった、それだけのこと シービー以降の三冠馬だけで人気順決めるなら、
シービーがダントツ1番人気で、次にブライアン、3番手でオルフェ、かなり大きく離れた最下位争いがルドルフとディープかな シービーはキャラ立ってるからなぁ
オルフェにはルドルフやブライアンみたいなのを期待してしまって正直反省した
ディープは3位で思ったより頑張ったと思ったら失格喰らってた ブライアンぶっちぎりであとはどんぐりだよ
あの時代は競馬人口が数倍だったから >>365
ブライアンキッカケで競馬始めた競馬にハマったというやつそこまで多くないでしょ
シービーがキッカケで競馬始めた競馬なハマったというやつはめちゃくちゃいるからな
中高生とかまで競馬に興味持ったのゴロゴロいたから
人気とはそういうもの
ブライアンよりディープやオルフェは更に少ないだろうがな シンボリリドルフは強すぎた
旧4歳で負けたカツラギエースには有馬記念で勝ち
旧5歳で負けたギャロップダイナにはJCと有馬で2連勝
一度負けた相手には二度と負けない勝負強さが抜群
シービーにはその勝負強さが欠けていた
だから人気のシービー・実力のルドルフと言いわれても
シービーファンは反論せずに黙ってた シンザンもミスターも菊花賞は急仕上げで、馬にはかなり負担がかかった状況だった。
そのせいか両馬とも明け5歳の春シーズンは全休
(ミスターはAJCに登録はしたけど)
ただしその後、秋天はきっちり獲るあたりさすが三冠馬だな。 シービーのキャリアは実質的に秋天で終わって
あとは長めのエピローグではないかと
だからJC以後の戦績でルドルフらと比較してもあまり意味がないような
世紀末覇王の6歳時春天以後よりもっと落ち込んだ幕引きというか
そこそこで切り上げたマカヒキというか >>368
菊花賞は状態は生涯で最高と言われたけど、だから3000もこなせたんだろうけどね
そもそも爪は持病だからな
ちなみにミスターなんて言い方したやつ当時いないぞ
普通にシービー >>352
この有馬記念の時、ギャロップダイナはダートの短距離馬で条件馬だった 岡部がミスターを揶揄してるのがちょっと嫌だった
「ミスターシービーは後ろから行き過ぎる。ああいうレースしか出来ない。その点ルドルフは自在性がありどんなレースでも、どんな相手でも対応出来る。」とか。
まあ、その通りだったんだけど。
数年後マティリアルがスプリングSで後方一気の追い込みで勝ったとき「ミスターシービーしちゃった。」のコメントは嫌だったな。 >>372
シービーは鞍上吉永だからな 故人には失礼だがヘタクソの代名詞みたいない存在で
ほんとに不器用だったからな
松山父子厩舎は精鋭ぞろいだったから連対率はよかったけど
他厩舎のいらいはほぼなかったので騎乗数はすごく少なかった
3冠だって勝ったからよかったようなものの どれも馬が抜けて強かったから結果オーライみたいなものだった >>372
似たようなことを和田共弘が言ったら松山吉三郎(松山康久の父)が「うちの厩舎から馬全部引き上げてくれ」と怒った事件があった
餌やり師のいる時代からは隔世の感がある >>373
騎乗姿勢が良く見えなかったな。
普通の騎手って背中のラインが地面と平行で、頭と尻の位置が同じくらい。
吉永は明らかに尻が下がりすぎて、不恰好に見えた。 男は黙ってミスターシービー!!
なんせ19年振りの三冠馬やで!! >>374
松山の大先生は吉田善哉にも怯まないコワイ先生という記憶がある。
慢性の脚部不安で、大レースを勝ちきれなかったモンテプリンスに春を獲らせた「執念の仕上げ」は美浦で絶賛されたとか… ミスターシービーが19年ぶりに三冠馬になっていなければ、俺は競馬ファンになっていない。俺が中学生あの頃、衝撃的だった。この頃のシービーの同世代の馬達は今でも忘れられない。 >>247
1番人気で勝ったのが当時の京成杯3歳Sだけ。函館記念以降は最高でも関西転厩初戦の朝日チャレンジカップの3番人気。ドウカンヤシマは一回だけ京都新聞杯でミスターシービーに鼻差だけ先着している。 ターフビジョンの申し子だからね
それまでの競馬では現地のファンは
最後のゴール前か2周するレースの正面スタンド前でしか
あとは遠すぎてどうなってるのよくわからなくて全然盛り上がれなかった
スタートして最後方でワー
3〜4コーナーで上がって行ってワー
よし来てる来てる 行けるぞ〜! で盛り上がって直線でワー
ターフビジョンのお披露目とも言えた
あのシービーの毎日王冠は
今までとは違う競馬場になった それまで競馬場には「貸し双眼鏡」ってのがあったんだよな
それがターフビジョン(導入時はオーロラビジョンという商標名で呼ばれていた)登場以降は
競馬場に双眼鏡を持参する人が激減した
自分は見たい局面で見たい馬をよく見たいから
まだ持っていってるが ヨーロッパのような深い芝、力を要する馬場で、2,000〜2、400mの距離で戦ったとしたら、トピオの質の高いスタミナを生かしたミスターシービーのほうが、ルドルフよりも有利、という血統的見解が出てくることは付け加えておきたい。
ミスターシービーの血統構成を、8項目評価に照らすと以下のようになる。
@=○、A=◎、B=◎、C=□、D=○、E=○、F=○、G=○
総合評価=2A級 距離適性=8〜12F
http://www.ik-x.com/100meiba/mrcb/
血の結合の強固さ、万全な土台構造こそが、ルドルフの強さの血統的根拠となっている。
以上を8項目で評価すると、以下のようになる。
@=○、A=○、B=◎、C=○、D=○、E=○、F=○、G=◎
総合評価=2A級 距離適性=8〜12F
ルドルフの血統構成は、父母間の長所を最大限に引き出した内容であり、いわゆる「配合の妙」、「この父にしてこの母あり」というような、まさにジャストフィットの形態であることは確か。
ただし、世界的視野に立って見た場合には、上質のスタミナの核という点で、必ずしも万全とはいいがたい。
「日本の馬場に適した、レース巧者の血統構成」とでも表現すべきなのかもしれない。日本の三冠馬でいえば、速さよりも、レースでの強さが際立ったシンザン型。
それに対し、ミスターシービーやナリタブライアンは、レースに勝つというよりも、自分自身の能力をストレートに発揮するパフォーマンス型といえよう。
どちらをよしとするかは意見の分かれるところだが、IK理論から見た血統構成上の優劣ということでは、シンザン、ルドルフよりも、シービー、ブラアンのほうが上になるということは銘記しておきたい。
とはいうものの、ルドルフの血統構成には、「配合とは?」の質問に答えてくれる基本要素が十分に盛り込まれていることも事実。現在、改めて分析表を見直してみると、日本の「手作りの味」というようなものが伝わってくる内容である。
http://www.ik-x.com/100meiba/symbolirudolf/
以上を総合して、(ナリタブライアの血統を)8項目に照らせば、以下の通りになる。
@=◎、A=◎、B=○、C=□、D=○、E=□、F=◎、G=◎
評価=2A級、距離適性=8〜16F
そして、勝ち上がった時点で、分析表上から診断し、初めて公表したコメントは以下の通り。
「ビワハヤヒデの異父弟。主導は兄同様にNearcoだが、Hyperionのクロスが加わって、スタミナを強化した。その分、兄よりもスピードは劣るものの、スタミナ優位で鍛えがいのある馬になっている。底力もそうとうありそう。G1候補。」
この期待にみごとに応えてくれたナリタブライアン。
Northern Dancerの血を最大限に生かした配合馬として、兄ビワハヤヒデとともに、血統構成はまさに一流のもの。
その内容だけならば、日本のみならず、世界の上級馬とならべても、まったく劣るところのない優秀な馬であったことを、改めて記しておきたい。
http://www.ik-x.com/100meiba/naritabrian/ 三冠馬への憧れを作ったのがミスターシービー
しかしながらそれ以降の三冠馬のファンってのは考え方理解力の点で残念な連中ばっかり シービーは長嶋茂雄
ルドルフは王貞治
人気は凄まじく実力もかなりあるが後輩の実績には劣るのがシービー ・八大競走勝利数単独1位(6勝)
・有馬記念1番人気連覇(日本競馬史上唯一)
・2年連続年度代表馬+満票選出1回
こんな化け物と毎回比較されるシービーが可哀想だ >>385
なんでもかんでも長嶋王に例えないと気が済まない奴ってまだいるんだなw シービーは競走能力ではルドルフに及ばず、カツラギエースにも逆転された
それでも30過ぎたおっさんから少年まで、シンザンの現役時代を知らない多数のファンに
三冠達成の瞬間を体現させたという事実からすれば、
リアルタイムで見たファンから、どれだけ称賛されても過大であるとは思わない ミスターシービーとシンボリルドルフは、子供だった自分も名前だけは知ってたけど、日本中央競馬会がメディア戦略に力を入れてたのかも知れないな >>366
テイオー
オグリ
ディープ
もそういうキッカケ馬だな。オレはトウショウボーイだった。それ以前だとハイセイコー、タケシバオー、シンザンなども。いずれもJRAへの貢献大 シービーを今だに貶めるようなコメントする奴ってルドルフ基地しかいない気がするw
競馬板も別馬パターンで色々多種魍魎化してるな
あの簡素なお墓は二、三年前には更に補修してあったから今の状態が気がかりすぎる
その後に大きな台風もあったし、コロナ禍だから地方でも関東は遠すぎて見に行けないや ミスターシービー、人気の理由、ロマン要素
達成当時に知っていたもの。
1.シンザン以来19年ぶり
2.天馬トウショウボーイの息子
3.千明牧場、3代続いてダービー馬
当時知らなかったもの。わからなかったもの。
1.父母が同じデビュー戦
2.父が内国産
3.菊花賞の捲り
4.ハンサム >>392
俺は当時を知らないルドルフファン(キチ)
伴に走ったシービーを貶めることは
ルドルフをも貶めることになる
よくシービーを最弱三冠馬などと言うことがあるが
納得出来ない
ルドルフに勝てなかったからといって、なぜ最弱になるのか
わからない
俺自身は、ルドルフとともに強い三冠馬だと思っています
グッドルッキングホースでもありとても好きです シービーはパドックでルドルフにガンつけられてビビってたなwww >>394
そもそも当時リアルでルドルフファンや他の馬のファンであっても
アンチシービー、シービー嫌いという人はほとんどいなかったから
オグリはアンチとかはそれなりにいたからね
日本競馬史上最も愛された馬かもね 84年の有馬のファン投票見れば
シービーのが人気あったのは間違いない
レースはルドルフとカツラギのマッチレースだったね 当時の記事を読むと、シービーへの判官贔屓があるのかルドルフに対して、強いけどサイボーグみたいでつまらない馬という意見が結構あるな 三冠世代は弱いのが普通だったが、初めて見た、この19年ぶりの三冠馬の世代は
古馬混合でもバンバン勝ち捲って、凄まじくハイレベルな世代だった 不人気でも馬券はルドルフから売れてた
アンチもルドルフ絡みの馬券買ってるのは事実 >>374
>>377
松山吉三郎はもともと大尾形に次ぐ府中の名門・名伯楽だったけど、
厩舎が美浦に移ってからは、開業したての息子松山康久が事実上両厩舎を指揮。
日本の競馬史上、もっとも公平に馬房や施設が割り振られていて格差の少ない時代で、
故に調教師の真の実力・厩舎力が結果に直結して表れていた80年代。
そんな時代に松山康久は・・・
83'ミスターシービー(19年ぶりの三冠達成・四冠馬)
86'ダイナガリバー(吉田善哉初制覇・松山吉厩舎名義)
89'ウイナーズサークル(茨城産馬)
80'モンテプリンス(首差2着・松山吉厩舎名義)
・・・と日本ダービー3勝、僅差の2着一回。
(※上限20馬房の頃だから康久は実質40馬房回してたことになるが)
今とは違ってダービーが一番価値の高いレースでみんながダービーを目指した時代の成績。
驚くべきことに、この頃康久はまだ40代の青年調教師。
90年代以降は定年制導入を皮切りに調教師の存在意義が地に落ちることになり、
康久も苦戦するが踏ん張って何とか1000勝までこぎつけた。
彼は、時代が時代ならもう1頭くらい三冠馬を作ったかもしれない。 盤外戦術みたいなノリで岡部がシービー陣営挑発したのが
気分悪い。
ルドルフを勝手にシンザンのように神格化しようとしてたけど岡部本人の所為で俗っぽさが出る。 >>403
同じく
ルドルフが優れた馬であるのは疑いようもないが
岡部のルドルフ評が主観入りまくりで却って疑わしくなる
「しっかり掴まってろ」は噴飯もの >>407
ダービーの時ね。焦る岡部にルドルフが「まだ早い」、直線半ばで「しっかりつかまってろ」と言ったとか言わないとかw
オレは昔、乗馬をやっていた。乗馬用の馬は以前中央で走ってた馬も多く、人間慣れしてるし、客の乗馬の腕前をすぐに見抜く。初心者だと分かるとなめた態度をみせるのがいる。オレも輪乗りで、すごくズブい馬に乗せられたんで、さかんに手綱を動かしたり、足で指示を出してもチンたらと動かず、しまいにはゆっくり首を回し、いかにもかったるそーにこちらを見てきたw「うるさいんやワレ、黙って乗っとらんかい」みたいなw その時、岡部のルドルフのこの話を思い出した 岡部も左回りは苦手なんじゃないかって話はしているけど
ほとんど語られないな。
>>394
馬のスペックは解らんから、基本的に残した実績と判断されてしまうんだよな
順調にいかなかった事はわかるが、重賞6勝(G1級4勝)かな?は3冠馬の中では分が悪い
まあ、コントレイルが故障もなく今年牝馬たちにやられるようなら、
コントレイルが最弱と言われる可能性は高いな ルドルフとローレルとグラスは右回り得意だよな
逆はズズズの左回り得意は有名だけどオペも馬場不問に見えて左回りの方がズブさが出なかった >>410
IK理論で言うところのトピオの影響が出てたんじゃね?知らんけど >>396
大橋巨泉が典型的なシービーアンチだったな
相手が弱いから3冠馬になれただけ とか
ダービー3着,菊花賞2着のビンゴカンタが
ローカルの重賞で負けると
またシービーの3冠が薄っぺらいものになってしまいましたね とか
引退式でシービーの歌が競馬場に流れると
うるさいですね〜 もう引退したんだからいいじゃないですか
とか言ってたな >>413
屋号が嫌いみたいだったね
ミスター「シービー」
「シンボリ」ルドルフ
「ナリタ」ブライアン
せっかくの三冠馬なのに名前が良くないとか
あと菊花賞はアスコットエイトの大逃げも批判してた。
・勝つ見込み全くないのに逃げ馬だからとりあえず逃げた
・結果としてミスターの三冠をアシストした >>369
JCで先着され、有馬記念と天皇賞春で2連敗した言い訳がそれかよ
滑稽でしかも哀れなヤツだな
シービー信者ってこんなヤツばかりなのか プレストウコウが菊花賞勝った時も「こんな
短距離血統の馬が…」って大層嘆いていたとか >>414
それはキョウエイボーガン批判に繋がりますね
ボーガンの場合は松永騎手がレース前から
大逃げ宣言してたけど 古馬になってからはカツラギエースのが強いんだがwww ちょっとでも負けると逃げたりバカにしたりするヤツ多くてウンザリするわw
まあ、底が割れたという言い方には同調するが >>418
負けたから許せない、じゃ好きな競走馬なんてデキないじゃん。
それに、信者という言い方も適当じゃない。オレはシービーがやめるまで好きな馬だったが、馬券的な意味で信者だったのはさんざん儲けさせてもらったケープタウンとかだ >>414
冠名の無いディープも嫌いだったぞ
凱旋門に負けたとき批判記事を長々と書いてた
日本の恥とか色々悪口書いてた
華奢な馬が嫌いだったんじゃね 大阪球場の下の場外で親父に連れていかれて
貰ったカレンダーがシービーのやつ。
1984年度のやつ実家にあるけど売れるかな? とりあえず大橋巨泉の害悪っぷりがよくわかった。今いなくて良かったよ >>391
競馬の入口がミホノブルボンだった気がする まだガキだった頃に復帰戦の毎日王冠をみにいったんだが
親父たちが最後の直線になったらシービーシービーの大合唱してたぞ
普段は2−5とか自分の馬券しか叫んでないのに >>428
いいものを見たな〜
あの毎日王冠は大画面ディスプレイのお披露目週だもんな
ケヤキでシービーが上がっていく姿をオーロラビジョンが大映しにした瞬間の
場内のどよめきをいまでも覚えているぜ >>413
秋天の距離短縮にもっとも積極的だったのは巨泉だけれどね
反対派の筆頭が大川慶次郎かな? >>424
実際恥だったじゃん、ドーピング失格とかw
政治家が批判表明するとこまでいったろあれ
ディープ基地はそのことを忘れたのか?恥を知れw >>431
久々だったせいか、パドックでいきり立っていた。それがあの爆発的な末脚につながったと思う。秋天以降はパドックで落ち着いていた。 まあ遠征お薬失格とか恥以外の何者でもないわな
最初は向こうが厳しすぎるからとかの論調で話してたけど
え?国内って薬まみれなん?ってつっこまれだしたら
やってない、やってない
向こうの現地の奴らのミスだからってなったのは
露骨なストーリー作成だったし
得意気にパワーカイバとか言うてたくせに 当たり前の戯言です。
どんなレースでも、運は必要だと思いますが、
クラシック三冠は、1年に3回の幸運が必要なので、
本当にすごいこと、稀有なことだ思います。
特に最初の皐月賞の頃、ケガをしていれば
どんなに強い馬でも取れないのだから。
無敗でダービーに勝っても、トキノミノルの
不幸があれば、取れないのだから。 せっかく良スレなのに、ディープアンチが来た途端に糞スレ化
今までどれだけの良スレが同じ道を辿ってきたか シービーの栄光と挫折を寺山修司が観たら、良い文章を書いたんだろうな ルドルフよりシービーの方がなんか印象あるな
(´・ω・`) >>366
ディープは結構きっかけ馬になってると思うよ
21世紀以降では1番地名度ある馬だわ >>1
自信満々で新馬戦に出走したブエナビスタ陣営が、新馬戦で負かされたアンライバルドに驚いて、「なんて強い馬だ!将来あの馬が種牡馬入りしたらブエナにつけよう」なんてエピソードがあった上で生まれてきた馬が三冠勝ったら興奮するやろ? 岡部は優等生的な乗り方であまり好きにはなれなかった
同期でライバルの柴田政人は勝負師的な思い切った乗り方が好きだった シンザン以来19年ぶりの三冠馬
俺の周りの競馬ファンでシンザンのレースを見た奴なんていない
三冠なんて現代競馬では不可能
そんな中で、あんな滅茶苦茶なレースで三冠馬
世代も古馬混合で勝ち捲くった
三冠馬って凄い、あのインパクトは今では絶対に味わえないと思うわ >>290
シャダイソフィア出てましたよ。オークス行かずに。ダービーは大敗したけど。オークス行ってたらダイナカールに勝てたかな?でも、秋にエリ女でロンググレイスの2着してるし。ミスターシービーとシャダイソフィアの子供みてみたかったが。スワンSが悔やまれる。 シンザンからシービーまでの間で2冠勝って3冠に挑戦したのが
ノド鳴りでボロボロのタニノムーティエしかいないっていうのが
何気に恐ろしい >>449
そもそも三冠リーチで菊に出た馬てあんま多くない
歴代でも16頭
うち三冠馬になったのは8頭
夢破れたのが8頭
41年※セントライト
50年クモノハナ
53年ボストニアン
60年コダマ
63年メイズイ
64年※シンザン
70年タニノムーティエ
83年※ミスターシービー
84年※シンボリルドルフ
92年ミホノブルボン
94年※ナリタブライアン
03年ネオユニヴァース
05年※ディープインパクト
06年メイショウサムソン
11年※オルフェーヴル
20年※コントレイル
一番三冠馬に近づいたのはクモノハナ
菊花賞はアタマ差で2着(ブルボンは1馬身2分の1、ボストニアンは3馬身2分の1)
コイツは競馬板の最弱ダービー馬あらため最弱二冠馬論争にもちょくちょく名前が出てくる昔のエアシャカールみたいな奴 ネオユニヴァースは何で宝塚使ったんだろ
ルドルフもダービーの後に高松宮杯使うプランあったんだよなぁ >>445
岡部って1番人気でも平気で追うのやめて馬優先主義とか言いやがるからムカつくんだよな
柴田とか増沢とかそんなマネしなかったのに >>454
当時の高松宮杯は2000だから
とはいえ >>432
何この気持ち悪いやつ
病気でおかしくなってるのか?
巨泉の話してるのに基地とか狂ってるわ ■カツラギエース
@=○、A=□、B=○、C=○、D=○、E=□、F=□、G=○
総合評価=3B級 距離適性=9〜11F
決して底力を秘めた上級レベルではないが、配合の妙ともいえる個性的な血統構成の持ち主であったことも確か。1Aに近い3B馬である。
■ベッドタイム(Bedtime=セン馬・JC2着)
JC出走時での戦績は11戦9勝。
明らかにステイヤータイプの血統構成である。それでいて、日本の馬場で2分26秒5の2着は立派なもので、さすが本場の能力開花技能の高さを裏づける内容である。日本では、明らかに条件級に埋もれ、ダート1,400mの常連といったタイプと推測できる。
@=□、A=□、B=○、C=○、D=□、E=□、F=○、G=○
総合評価=3B級 距離適性=10〜15F
■マジェスティーズプリンス(Majesty’s Prince・JC4着)
米国馬で、JC出走時点での戦績は42戦12勝。
スタミナ系のアシストが目立ち、米国産といっても、内容的には欧州系中長距離タイプの配合を示している。
@=○、A=□、B=○、C=○、D=○、E=□、F=□、G=○
総合評価=3B級 距離適性=9〜12F
■ストロベリーロード(Strawberry Road・JC7着)
豪州産。JC出走時の戦績は31戦14勝。
@=○、A=□、B=○、C=△、D=□、E=□、F=□、G=□
総合評価=2B級 距離適性=9〜11F
欧州系のスタミナのアシストはよいが、父内の米系の血に不備をかかえ、スピード勢力はいまひとつ。ここが一流になりきれなかった要因と見ていいだろう。
こうして見ると、カツラギエースの勝ったJCは、海外からの招待馬の血統構成が、一般評でいわれるほどの内容ではなく、むしろシンボリルドルフ(2A級)、ミスターシービー(2A級)のほうが、すぐれていたといえる。
とすれば、スローペースにもち込み、シービーやルドルフの末脚さえ封じれば、カツラギエースの勝利があっても不思議ではなかったといえる。 ミスターシービーは、父母のイメージとは異なり、不器用でスタミナ優位の配合馬であったことは前述したとおりだが、種牡馬としても、構成されている血の内容や位置の関係から、産駒はスタミナ優位の中長距離タイプの配合形態になる可能性が高いことが予測された。
その根拠は、主に、母シービークインの影響によるところが大きい。
参考例として、シャコーグレイドとヤマニングローバルの分析表を掲載してあるので、参照していただきたい。
■シャコーグレイド
@=◎、A=○、B=◎、C=○、D=○、E=□、F=◎、G=◎
総合評価=2A級 距離適性9〜16F
五十嵐氏が「海外でも通用するステイヤー」と絶賛した馬。海外での深い芝ではライバルのトウカイテイオーよりもシャコーグレイドの方に分がある。
(同じくミスターシービーも海外適正はシンボリルドルフよりも上だった)
■ヤマニングローバル
@=◎、A=○、B=◎、C=○、D=○、E=□、F=○、G=○
総合評価=2A級 距離適性=9〜12F
シャコーグレイドほどのきめ細かさとスタミナには欠けるが、日本の馬場を考慮した場合、こちらのほうが、スピード対応の面で有利と考えられる。
シャコーグレイド、ヤマニングローバルは、両馬とも、すぐれた配合内容であり、とくに前者は、故・五十嵐良治氏も「国際級の質の高さをもつ」と評されていたが、そのことは分析表からも十分読み取ることができる。
また、後者は、4歳で骨折し、その後、脚にボルトの入った状態で重賞を制していることからも、もしも無事であれば、G1制覇を果たしてもおかしくないだけの血統構成といえる。
これまでもヨーロッパのスタミナの重要性について触れてきたが、以上のように、ミスターシービーには後世に伝えるべき優秀なスタミナの血が包含されているということをご理解いただけたと思う。
しかし、残念ながら、現在、ミスターシービーの後継種牡馬としては、ヤマニングローバルただ1頭のみ。
ただし、一筋の光は、昨秋の第1回JCダート戦を制したウイングアロー(父アサティス)のBMSがミスターシービーで、その能力形成に大きな役割を果たしていること。
ウィニングアローがG1を制したことにより、種牡馬になれる可能性を残している。
シービーの血を残し、伝えるためにも、ぜひ種牡馬になってもらいたいもの。 シンボリリドルフ→トウカイテイオー→トウカイポイントとサイヤーラインが孫までG1勝利馬で繋がったのは
内国産種牡馬としては優秀
残念な事は孫のトウカイポンイントが気性難でセン馬にしないとG1取れない馬だったから
G1勝利馬なのに種牡馬になれかった事だね >>456
いつの記事?をコピーされたのでしょうか?
ウイングアローは種牡馬になりました。そして、すでに死んでいます。 >>92
冠名恥ずかしい、も言ってたな。
ノーザンダンサーからノーアテンションの馬名の流れを説明してて、へぇーと思った小学生時の思い出。 >>290
これは知らんかった。オールアロングってムーアの親父が乗ってたのね。
ライアンもフランキーも武豊みたいなもんなのか?
勉強になった。 >>459
テイオーの血統を残せプロジェクト?があったように思います。
選ばれたのは、母父がシービーの馬だったかと。
産駒がいるのかは知りません。 ミスターは人気者が多いよな
水曜どうでしょうのミスター、一時期爆発的人気になったオクレ兄さん、吉本の劇場で爆笑王だったボールド師匠 >>468
シンプルかつ最高峰の「ミスター」を忘れてるやないかい ノーアンテンションと言えばスーパークリークだな
ダビスタ95では使えた種馬だったがw ちょっと拝借して来た。
手元に「競馬解体新書」という本がある。1989年が初版のこの本は、ジャズやアメリカンフットボールなど、多岐にわたって造詣が深かった故・大橋巨泉氏の著作。氏は競馬の世界にも精通しており、オールドファンには競馬評論家としての顔も有名だ。現在は当たり前になっているグレード制の導入や距離別路線の整備などを、早くから呼びかけて来た人物の1人でもある彼が、この著書の中で「馬名は記号にあらず」という項を記している。その項の全文を書き移すわけにはいかないので端折るが、おおまかに次のように書かれている。
「古今の名馬産家や馬主が苦心を重ねて考えた名前の馬たちが、父や母の名を後世に伝えてきた。オーバーに表現すれば馬名が三百年の歴史を連綿とつづって来た」
例として先出のノーザンダンサー(北の踊り子)の例を挙げている。これも概要を記すと次のようになる。
「同馬の父はNearctic(北極近く)であり、その父Nearcoからの語呂合わせで命名された。また、北の踊り子の仔にはニジンスキー(ソ連の高名なバレエの名手)、そしてその子供にグリーンダンサー(未熟な踊り子)という名がつけられ、更にその子供にノーアテンション(誰も見てくれない)がいる。これらの名は巧みに母方のニュアンスも込められており、例えばグリーンダンサーの母はグリーンヴァレーであり、ノーアテンションの母はノーノーアネットだ」
こんな例を挙げた後、氏は次のような想いを記して嘆く。
「ところがこうやって物語を受け継がれて来た血統馬が、日本に来るとほとんどはその歴史や文化とは何の関わりもない牧場名やオーナーの名の一部をつけられてしまう」
要するに冠名を嫌っていたのである。私は巨泉氏ほどその命名法を批判する気はないが、氏が続く項で記していた「血統的混乱は必ず来る」という意見には頷かざるをえない。 ミスターシービーの母シービークイーンの母系には名馬メイズイの全妹のメイワもいる。
父もトウショウボーイだし、こういう日本競馬の結晶とも言える血統を途絶えさせてはいけない。
同じことはメジロマックイーンにもいえる。
父系は親子三代天皇賞制覇で有名な日本競馬に伝わる血であるのは有名だが、母系も先祖を辿ればセフト、神友、月友といった戦前生まれの名馬に辿り着く。
まさに日本競馬の血の結晶と言える。
ミスターシービー共々、こうした血は大切に育んでいくべきである。 ヤマニンググロバール
2歳で引退してれば種馬として人気出てたろな >>463
テイオーで思い出したけど、テイオーが引退後に社台SS入りする時にシービーがレックスに追放された事を思い出したわ
種付け料の設定が高すぎたから、と社台の幹部は言ってたがアレは色々と怪しいよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています