ところでお前らの先祖って何やってた人?
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先祖が悪さをしたので末裔まで祟られているとの話があるのが俺んちです 関ヶ原の戦いで負けて南部藩預かりになったようするに下級武士 馬の血統表見ても分かると思うけど
父母=2人、祖父母=4人、曽祖父母=8人、4代前=16人、
5代前=32人、6代前=64人、… という倍々ゲームになるやろ
例えば、江戸時代初期だとだいたい16代前で、約6万人のご先祖様がいることになるはず
いろいろやってたんじゃないのかな 飢饉や疫病や大災害
これらに打ち勝ったご先祖様がいるから俺がいるわけ。
そんな俺のご先祖様は
アルセーヌルパン1世 石田三成
実は関ヶ原の戦いは八百長で処刑されず北陸地方で70代まで当時にしては長生きしていた。 えたひにんだろうが関ヶ原で負けた方だろうが今の時代まで家系伸ばしてきたんだもん偉いよ。でも俺らの代で途切れちゃうんだよね…ご先祖様ごめん… 会津藩士
会津戦争で負けてそのまま斗南藩士に
だから親の実家は青森県
何年か前に蔵から当時の日記が見つかって取材にきたらしい 百姓だけど数百年前からの集落全体の墓所があって
親族一同の墓の回りに各家に別れて墓がある
古い墓はもう墓の体を成してないから敷石だと思って踏まないようにねって言われた 自分の5代血統表作れる人はどれだけいるんだろう?
名前や出生地くらいは知りたいわ 一応一万石程度の藩士だったが、
藩史に5人ほどで飲みに行ったら悪酔いした同僚が一般の客を斬り殺してしまい、
御家老様から「なんで止めれんかったや!!!お前らも謹慎や!!!」
としこたま怒られたという記載がある >>68
市役所とかで、
自分の戸籍→親の戸籍→親の親の戸籍→親の親の親の戸籍
を一枚ずつ手続きして出して貰ったら、明治の戸籍に登録されてる先祖まではいける 家に旧新潟競馬場からくすねてきたと伝えられる松の木がある >>31
これリアルで言ってる馬鹿がウチの会社にいるんだけど、おまえの家系は一子相伝で続いてきたのかと問いたい 明智十兵衛光秀の家臣
天王山後に長宗我部を頼って四国の西部に落ちぶれてきた
そのまま郷士になって幕末→農民化 >>85
それほんま?
これは秘密の話で誰も信じないだろうけど明智光秀と長宗我部元親は戦国大名の中でも本当の意味で最高レベルの武将やぞ(あと一人は上杉謙信だが光秀はその上のレベル)
その末裔がこんなところで書き込んでるとは思えん 山で芝刈り
川で洗濯
大きな桃が流れてきたけどスルーして海まで行ったとか >>70
あのー、一万石って大名なんですが
藩士でそれはあり得んよ >>18
「家」という概念から大体は父系を遡って考えたらいい >>87
ウインドインハーヘア産駒にも色々いてだな ちっちゃい城の主
その城にお菓子を献上してた和菓子屋
ど田舎の地主
その土地の農家 武田の伝令隊✨
そのせいやな、スマホ15台くらい持ってるわ
あと親族では末端の俺でも、あり得ん機密持ってる
言えるとこだと、近いうちに今度は中共左翼タゲったコロナみたいなことが起きることとか…あと、馬券はマジでしょっちゅう当たる 今川の家来で城を任されてたけど武田信玄との戦で討ち死にしたらしい 盛岡藩士
大本家行けば殿様拝領の刀があるらしい
宛がわれた知行地に今も住んでる
なお、維新後に分家して沿岸に移った父方の系統、震災で津波に流されて終了 父方は明治時代に入植して日高で牧場やってた。
母方は藩で剣術指南やってたが攘夷戦争で負けて北海道に移住。
一時は樺太に移ったが戦争で負けて北海道に逃げてきたらしい。 >>100
日本代表をサムライとか言うけど絶対百姓の子孫だろと思う
武蔵は一休さんの新右エ門の子孫らしいけど 父方は代々、千葉県 千倉の漁師
母方はロシア人(私生児)と北関東人の混血 祖先は赤穂浪士の一員だったらしい 家紋は鷹の羽
静岡から西の血がまったく入っていない関東血統濃度100%+露
やはり漁師の血というのはあるのだろうか?
俺も妹も弟もまったく船酔いをしない体質だ >>108
戦国以前まで遡れば武士階級は指揮官で農民こそ戦場の最前線だったから、一領具足とかね
兵農分離は信長が出てきてから ウチは婆さんが婿養子貰うくらいだからそこそこの家だったんだよね。土地や田畑を沢山持ってたし地元の鉄道会社の大株主だったらしい。
でも婆さんが死んで長男である親父が相続したんだけど2年もしないうちに博打で溶かしたらしいw
親父は夜逃げしたけど実家だけは次男の叔父さん達が守ってくれたし親父が帰って来れるように墓も新調して待っててくれたみたい。なんか文字が滲んで来た 父方は武家の出の模様
曾祖母の親族に、時の首相がいたそうだが
ちゃんとした家系図が無い上に、両親離婚しているから本当の所は分からない 北海道に開拓に行ったから、どうせ元の村で
居づらい事やらかしたんだろうと思っている >>115
家系図、ウチも無い。。誰かにお婆ちゃんが売っちゃったんだって。どこかの誰かさんが、今頃私はナニナニのダレダレでありまして…とかやってるワケで、なんかクソみたいな話やね。 隠れキリシタン
島原の乱で村人全滅したはずなのになぜかその村の隠れキリシタン 豪族とかいいよな。
俺の先祖は海賊
そう某歴史小説で本屋大賞なったヤツ
名字そのまま村上
さらに遡れば源平合戦でも活躍したとさ。 斎藤道三の家来だったとの家系図が残ってた
200石だったらしい 片方の先祖がどうやら明治時代かそのぐらいにお隣の国から来たらしい…
名字がそれっぽいし、一重だし、何より親が実家のことを語ったことがなかったから前々から怪しいと思ってたんだが…ショッピング 父親は家系図がしっかりしてるが江戸時代からの大農家、母親は不明だけど調べたら源氏系の家系
ルーツは源氏系でも普通は偽物疑うけど全国100世帯以下の名字だからホントかいなって感じ エロにローションを持ち込んだのは、俺の先祖と聞いたことがある 関ヶ原の戦いで大谷吉継の鉄砲隊を率いていたがうんこで戦場を離れている隙に戦が始まってそのまま逃走。 印旛郡白井町に競馬学校を作るとの事であの場所を拓いて開拓した百姓の一員 >>130
俺は武田信玄の親戚の親戚くらい、血は繋がってない、養子だったとか…。ご安心を、一番濃い血は、徳川将軍家に仕えたさうです。 俺の先祖はアラブ系だったよ
家族もみんなサラ系だったけどやっとサラブレッドになれたんだ 甲賀の忍者だったらしい
旧家には槍が60本あった
徳永家康も泊まった宿も提供
今はアパート5棟に変わった 父系は日清戦争で大活躍したらしい
大金もらって鳥居を建てちゃった
だから未だに商店街内の大鳥居が邪魔してる
また父系のお婆ちゃんちには
お手伝いさんがいたらしく
全く料理も出来ないし外食のものが食べられなかった
母系は下町育ちで言葉遣いが悪くて
子供の頃はガチビビってたw 関東人だが、先祖は九州在住だったらしい。
関東にお上りしたら帰るのが面倒でこちらに住み着いたとかw
俺の爺さんのお兄さんが第二次世界大戦で洋上で戦死した。
実家には遺影として肖像画が残ってる。
少し間違えれば危うく俺産まれなかったかもしれんな。 知る限りの親戚は全員関東住みだが新潟の薬師だったようだ。 みんな凄いなぁ。
父方は仙台藩の武士家系だったらしいけど、明治で無職になり色々転々とは放浪してたら今の自分の実家ある地域で開拓始まる所でどさくさに紛れて一緒に開拓した
と言い伝えられてる。しかし、開拓した土地もかなりあり、また牧場経営もしたらしいのだが、三代目が賭博と愛人作りに励み没落したとか。
その四代目が曾祖父さんなんだが五代目となる爺さんや六代目のおれの父親の話だと畑も牧場も、ある日突然無くなった。との事。
母方はその地方の大きな呉服屋や旅館営む商人家系だったらしいけど。
某宗教にハマりお布施天国で一家が潰したとの事。某宗教は、今もしっかりあります。
いずれにせよ、調べなきゃよかったと思わせは事実だった
なんか暗くなる >>78
でもこの31が言ってるのは親戚複数家族を含めてってことでしょ。少なくとも子孫の一派が消滅するのは責任感じるかも知れないよ。 父方 地方の小さな村の豪族
母方 漁師
それ以上の過去は解らない >>152
おい、そんなこと言ったって「でも」で自演ばれてる >>142
上忍ってやつじゃねーの?
地元の豪族
忍者なんてのは下っ端だぜ
つか、徳永家康って誰よ?w
推測は出来るけどさ 父方は複数の自殺者ありの血筋で先祖は不明
母方は山賊でえたひにん、やくざ
自分は前科なしの自称まじめなサラリーマン
生まれた時からハンデ戦 どん百姓は間違いないが
曾祖父の時に裏山が崩れて巨大石が出てきた
それが良質な石だったらしく墓石に使われて
一財産築いたらしい金があれば名声は自ずと
つき地元の名士になったらしい
名士になれば縁組みも豪華になるみたいで
特に女系は名族に嫁いでる人が多い
姉は華族に嫁いだ。俺はしがないサラリーマン 井伊大老!ご覚悟!ばきゅーん!
わああ!あれはえげれすのぴすとるじゃあ!
鞘袋が邪魔で抜刀できん!
ひえー逃げろお!←こいつらしい
60対18で数では負けないはずなんだが、歴史を変えてしまったのではないかと思う 曾祖母の父が医者だったらしいが
その子孫は派遣ライン工 細々と狩人
でも1度いのしし仕留め殿様に褒められた 藤が名字に入る人はみな藤原氏の家系だぞ。
加藤→加賀の藤原
伊藤→伊賀の藤原
佐藤→佐渡の藤原
と言った具合にな。
おそらくアンカツは安芸の藤原氏の末裔だ。 物産かどこかは、大名子孫採用があるみたいだね
そりゃビジネスとして有益だろうしね >>171
安は朝鮮半島だよ
安倍の祖先の安倍氏も平安時代に大陸
から岩手のあたりに住み着いた渡来人だし >>171
一部はそうだが大多数は藤原の使用人だったりした者が
あやかってつけたもの
藤原や菅原に関してはなんちゃってで名乗っただけ サラブレッドの始祖って4頭から始まってるんだよな。 >>182
最初は200頭くらい選別して欧州に導入して、
そっから4頭に絞った
・・・みたいな話を聞いた
でも、
当時はサラブレッドを選別して絞り込んでいくにしても
今よりも格段に知識やらが乏しかったと思うわけで
絶えてしまった血統の中にも残しておくべき血統は無かったのだろうか?
なんて思ったりする
今さら知り様も無い話で、
始まりからの積み重ねで、現在が有るのは確かだけど 農民かと思ったけど聞くと何やら違うようだということを最近知った 木こりをしていた所
プロレスにスカウトされたらしい 父方の祖父の家はエリート一家だったらしいが祖父はなぜか勘当されたらしく雇われ貧乏住職として西日本のいくつかの寺を転々として若くして亡くなったみたい
母親は戦争孤児で赤ん坊の頃にじいちゃんばあちゃんに引き取られたらしい
それを俺が知ったのはつい最近でルーツ不明
なので先祖のことはまったくわからんw
俺にはいとこもいないし血の繋がった親戚も兄貴が結婚して初めてできた 江戸時代に適当に名字貰ったと思ってたら氏族からの名字でビビった >>171
明治になってから平民も苗字を名乗れとなったが
いかんせん字を知らない
そこで書き方として佐藤を表記したら
オラもオラもで佐藤となった
佐藤姓 200万人
鷹司姓 数十人
九条姓 数十人 ある地域では末裔でもないのに固まって織田姓、酒井姓、水野姓を名乗る地域がある
皆、農民だ
恥ずかしいっていったららありゃしない >>199
徳川を明治初期に勝手に名乗るのが少ないのはわかる
織田はたくさんいるのに豊臣は極端に少ない不思議 >>202
豊臣姓は秀吉が近衛家の養子になって、関白になった上で初めて許された姓だからじゃないか?
あまりにも格式が高過ぎる >>202
一応滅亡したことは知ってたから縁起が悪い
ハッタリが通用しない
名乗ることで命の危険があった
とかかな >>202
さすがに豊臣は勝手に名乗れんでしょう
貴族姓だし、役所も受け付けたかどうか わからんけど
両親九州の出で母が藤本
キムチ大好きで怒りっぽくて韓国映画大好き
おじいちゃんもそっち系の顔ぽいんよな
聞いたけど違うと言われた
今でも怪しんでる 父系の家系図は桓武天皇から始まっている。在原業平とかの名前もある。 普通の農民だったけど、途中から学者の血が入ったらしくて爺ちゃんが優秀だった
その血は俺までは届かなかった… 世に溢れるほとんどの系図は江戸時代に作られたものだからね
専門業者がいたぐらいだから
徳川家康だって捏造してる >>206
藤本だとあやしいね
芸能人でもあっちの人いるみたいだね >>7
ウチも父方は山梨の神官だったらしい
母方も宮内庁で皇后陛下(いつかは知らん)に仕えてたらしい
なお現在は曹洞宗のもよう 息子の代まで4代ボクサー。
息子はまだアマボクだけど >>171
三重なんで惜しいが伊藤は伊勢の藤原だぞ
佐藤は栃木の佐野市が有力らしいがこれは定かではないみたい 佐渡って本間氏とかが治めてた地やろ?
そもそも民の絶対数少ないしそこから砂糖が広がったってのはイメージし辛いな >>203
豊臣の本姓は羽柴?木下?
木下は山ほどいるけど。 >>171
武藤→武蔵の藤原
尾藤→尾張の藤原
近藤→近江の藤原
遠藤→遠江の藤原
紀藤→紀伊の藤原
本当かどうかは各自で調べてくれ(藁) >>211
そもそも自由に名乗れたから徳川だろうが織田だろうが佐藤も鈴木も高橋も小林も可能性としてあり得るよ 母親の旧姓が家出って言うんだが
先祖が勘当されて家から追い出されたから家出って名乗ったらしい 亡くなった婆ちゃんに聞いたがウチの先祖はトリケラトップレスかティーバッグスって言ってた 4代前がちんどん屋だったのは確定
何代前からなのかは分からん
俺は恥ずかしがり屋だからあまり血は受け継いでないっぽい >>216
佐野の藤原も佐藤姓
まあ殆どの佐藤はあやかりなんだろうけど >>218
羽柴では無いことは確か
あれは秀吉が勝手に作った名字
重臣の丹羽と柴田から1字ずつ貰い羽柴
根回しの良い秀吉らしいよね 字や苗字を知らない農民が見え張って付けたのが〇藤
斎藤のサイは見様見真似で書き写したから幾つものサイが存在する
藤原の末裔が自分の姓すら知らないわけがない >>239
穢多よりマシやん?
穢多は靴すら履く権利はなかった。
無論火の貸借りもだ。
だが、非人は違う!金さえ払えば人へランクアップ出来る。 >>233
せやで
孫娘の代(俺からすると曽祖母)に母子ともども関東に来て、以降代々関東民で本家との交流は無いけどな 豊臣は織田と違って家名じゃないから、信長を例に出すと
平朝臣織田上総介三郎信長
豊臣はこの”平朝臣“の部分を新設して平、源、藤原、橘に並ぶ“豊臣朝臣”を作ったわけ
豊臣朝臣は福島正則とかの家臣にも与えてるから 自分の苗字は石橋だけどウィキで調べたらどうやら足利の偉いさんだったみたい
ほんとかなぁ 九州は石で作られた橋が多いから石橋のような・・・
石橋調教師、なにか情報知りませんかね?
ちな>>119は自分 >>246
当時ですら末裔だからその名字を名乗る以外にも石橋の家臣だからとか石橋の里出身だから石橋を名乗るとか当たり前だから家系図が残って無いと判断出来ない >>243
マジかよすげーな
薩摩の英雄じゃん。剣の達人だったと聞く
ちなみに俺んちは百姓なんだけど日向国なんで
当然薩摩側についた。
昔なら平伏もんだわ >>249
らしいね
なお軍人としては無能だった模様w
直系の祖父さんは俺が生まれる前に亡くなり、祖母ちゃんも先日コロナで逝ってしまってな
あまり詳しくは知らん
もっと話を聞いとけばよかったわ 質屋百姓毒味役の武士とか、、
苗字は本願寺系が多いとか、よくわからんw 父方の家系図は見たことがある
水戸の黄門様ってのは実際はあんな日本中を旅なんかせず
ただのボンクラな人だったようで
実際のところはおつきの家臣が黄門様に意見して水戸藩を運営してたと聞いた
その時の筆頭家老が俺の先祖というところまで遡れる
母方はないから農民だろうな >>248
自分もそう思うわ
農民があやかって付けたんだと思う >>260
転勤で栃木に来た時に職場に伴さんが2人居た
平家の流れと言ってた。確かに湯西川や藤原に
落人伝説あるしありえるなと思った
伴さんが言うには平の人の変換で伴らしい
あとは神長、平野、星、黒子とかも平家らしい
確かにこの名字もちょくちょく見かける
余談だが巨人の星のバッテリーはここから引用
したのかと思ったよ >>262
巨人の星は十分考えられます
というかそのまんまです
八幡という登場人物も八幡宮
平家に関連してます すいません、八幡は巨人の星と同じ梶原一騎原作の侍ジャイアンツですね >>210
俺も血が繋がってるとは思っていない
祖先は豪農だったらしいが
昔は没落した貴族が金目当てに金持ちに家系図売ったとか言われてるからね
家系図じたいにはいろんな生々しい事が書いてある
天皇の命令で地方の賊うってその土地治めてたら、何代か後に羽柴秀吉が攻めてきて勝ち目ないから逃げて百姓なったとか >>262
名字無い奴が大半だったときに
好き勝手つけだけや 江戸時代は幕府の旗本の下っ端
明治で失職して工芸職人
親父はちっちゃい事務所で公的な請負
俺はブラック企業でリーマン 熊本出身、熊襲だと思う
地方のニュースを全国に放送するNHK熊本の男のアナウンサーに似た顔してる 調べたらそのアナウンサーも熊本出身とのことだった
他人とは思えない 高利貸し
恨みを買ってるのかなにか知らんが家系の長男は4代連続で脳溢血で死亡
単なる遺伝かも知れんがな >>263
平家とは関係ないかもしれないが東北に八幡平がある 京都の宮大工からのブリキ職人だそうで
母方は水戸藩のお抱え医師 まだ自転車が普及してない初期に
これからは自転車だ!と田舎町で自転車屋を始めたが
誰もが練習しないと乗れないから当然誰も乗れない
当時は高価な物だったので自転車は売れず
周りからバカにされ潰れたらしい 藤岡、藤田のように頭に藤がくるのは藤原ではないからな と言っても後に藤がくる〇藤もほとんどが藤原じゃない うちは菅原の流れで
源頼朝から地頭やれってことで地頭
吾妻鏡に書いてあるみたいだけど見たことないです
明治天皇から処分もらってます お前らやたら武士の先祖が多いけど、おそらく本当で、結局社会的地位が高い人間の方が子孫を残しやすいんだよな。
ちなワイの先祖の一族は津軽騒動の原因。 >>283
それ初耳
元は近江の藤原、遠州の藤原とかじゃないんだ 良く言えばお百姓さん
悪く言えばどん百姓
でも後ろに藤がつくw
近くに有名な人でもいてあやかったんだろう >>288
それもあるけど、ただの農地借りて暮らしてその日暮らし百姓だと家系図とか残ってないだろ。
さらに、語り継ぐひともいないだろ。 飛鳥時代の日本の人口は500万人程だったらしいし、そこからの人口推移を考えると、一部の名家が繁栄しまくって○藤さんの数に達してもそう不思議は無いかもしれん。
中臣鎌足はダーレーアラビアンみたいなもんか。 恥ずかしいこと書いてるけど
藤原は氏であって名字じゃないよ
○藤とか何も関係ない 明治5年の93%が平民 7%が華族や士族、卒族等
平民の内訳は
農79%
工4%
商7%
他10% 家老だよ
とうの昔に住んでいないけど家の門が残ってて市の文化財に指定されている
爺さんまでは軍人で金もあったけど今は平民だよ >>295
そうなんだ
源平藤橘は知ってるけど
○藤って関係ないん?
俺んちは関係無いけと一応○藤名乗ってるから
どんなもんだろとガキの頃名字の本何冊か読んだ
が、どの本にも藤原ルーツと書いてあったよ
じゃどこから出てきたんだろう
もし何か判りそうな本とか知ってたら教えて >>304
たいがいの名字は住んでた土地柄なんかに由来する事が多い
立派な藤が近くに有ったりしたんじゃないか?
田や畑を名字に入れるよりは風情が有るし
明治を機になのか、それよりも遥か前なのかで重みが出るかどうか 伊藤 イタリアの藤原氏
加藤 カナダの藤原氏
米藤 アメリカの藤原氏
工藤 エジプトの藤原氏
新藤 ニュージーランドの藤原氏 営業マンに藤原の子孫ですねと言われれば悪い気せんがな 仏壇にある過去悵にご先祖様の名前が書いてあるが一番初めは「ゴン」と書いてあった。その横に同居人「ドテちん」と書いてあった。 ウチは重光って言うんだ
帰化する時にじいちゃんが
金持ちの名家っぽいって理由で選んだ
木下とかじゃなくてホント助かったわ お前らどーせ部落住みの非人か穢多の子孫だろ?
大人しく死馬や死牛の皮でも剥いでろよ エタ
じじぃが眼に醤油さして徴集検査を受け徴集回避した
今の俺がいるのもこのおかげや >>312
「重光」ロッテの創業者と同じ
バレバレだぞ >>314
おおっありがとう
酒でも飲みながらじっくり読んでみるわ しつこすぎ 在日企業かならず全部ぶっ潰す 世界中で締め出させる >>325
欧米ではもう進化論がトンデモ理論だってバレ始めてる
先進国で進化論信じてるアホ多いの日本くらいじゃね
インテリジェントデザイン説やシミュレーション説が今は普通だよ >>326
やっぱそうだよな
因みに俺はシミュレーション仮説派
この世は誰かが遊んでるゲームの中だと思う >>327
シミュレーション仮説は大昔からある1番有力な説だからな
哲学の時代からこの世は誰かの夢、みたいなアプローチがあった
普通に考えればそうだわな キチガイ福音派の自演でも始まったのか?
アメリカでも60%は進化論派だぞ
>>326
>> 欧米ではもう進化論がトンデモ理論だってバレ始めてる
欧米(笑) 欧と米が同じと >>326
宗教に加入したり、詐欺に合うタイプやな。 大和と赤城の艦長
太平洋戦争の大和じゃなくて明治の時代の初代大和、赤城
余談だが初代大和の艦長は東郷平八郎 >>331
進化論を信じるやつこそ洗脳されやすいと思うけど >>327
誰かのシミュレーションの中だとしても、その世界の中で進化論は成り立つ訳だが。 >>334
洗脳されやすいかどうかは、何を信じているかではなく根拠や論理に基づいて考えられるかどうかだぞ?
進化論を否定する根拠や論理があるの? 進化論否定派 要は宗教
アメリカでは40%程度(特に南部)が進化論を教えることを禁止していた
人間はあくまで人間として誕生したという聖書に則った考え
「神」自体が人間の想像物・ファンタジーと認識出来ないから質が悪い
競馬板にも寄生しているスズカタラレバ連中と変わらん
ガキの頃はよく宗教の勧誘連中には水をぶっかけたり唾を吐きかけてやったりしてやった
崇拝精神ほど気味の悪いものはない >>336
猿から人ってのが普通に無理あることに疑問持たないのか?
光子実験の結果に疑問を持たないのか? 明治大正戦前は先祖や親戚に作家や画家、軍人ら偉い人が
多数いたようだが、戦後はたいして活躍してる人はいなく
なった。
まあ、現代的じゃないんだよな。現代はスピードが重要。 >>339
鳥なら不自然だが猿なら問題はない
この板も猿知恵の連中ばかり
信じる対象にすがり 虚勢、嘘、策略〜 猿そのままじゃねーか
>>326 ID:DGi1FCbO0
ttps://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/072400117/
嘘吐きめ >>339
全然。
現代人だって数世代で顎の形やら指の関節やら変化してるのに。 >普通に無理あることに
この人の頭の中で「普通に無理ある」だけ。俺がそう思ったからそうに決まってる!って
言ってるだけ。根拠でも論理でもない。 インテリジェントデザイン説=宗教ってわけじゃないだろ
アホだなお前ら そもそもインテリジェントデザイン説と進化論は相反しないよ。
進化論を何者かがデザインした、で成り立つ。
自分の頭で考えられないから、こんなちょっとしたことにも気付けないんだよ。 >>345
>> インテリジェントデザイン説=宗教ってわけじゃないだろ
「世界を創造したのは知性ある設計者」
WASP・福音派のこじつけ 人類すべての人間が遡ると一人のアフリカ人女性に行きつくらしい 俺もこの世はゲームの中だと思ってるわ
いくらなんでも分かってないことが多すぎる
宇宙の外はPS5みたいなもんがあるとしか思えない >>350
逆に言えば俺らが遊んでるオープンワールドのゲームのNPCもNPCにとっては現実の可能性があるとか
自分がプログラムだと知らず 遡ればオレも皇族なのかも知れないと思うとワクワクする 自論だけど国民はすべて天皇の子孫としたほうが明治政府にとって都合が良かったんじゃないかな?
それで、〇藤は藤原でまぁいいかって
苗字を調べるとほとんどの苗字が何たら天皇より授かるとか書いてある
なわけねーだろ
戦争で負けてからはその必要もなくなったので実は戦国武将からしてインチキばかりですという流れ それこそテメエの日記帳にでも書いてろって感じのレスだね そもそも、明治政府によって9割の平民に強引に苗字義務したときに
藤原氏にあやかった〇藤なんかに信憑性なんてないよ
実際、近衛家や上杉家など藤原氏ゆかりのれっきとした苗字が多数あるのに、
〇藤だから藤原氏といわれたら、藤原氏のみ安物扱いで不憫でしかない。 明治以前の庶民にも苗字あったんだけどね。
表立って名乗ってなかっただけで。 昔、水野にお前の名字は明治以降ついたなって言われた思い出 佐藤 200万人
伊藤 100万人
加藤 90万人
近藤 36万人
斎藤 54万人
近衛 100人
鷹司 30人
九条 60人
二条 150人
一条 4300人 母の旧姓が母の一族しかいない珍しい苗字で源氏の落武者が発祥らしい 家紋が菊と桜だから、それなりの暮らしはしてたんだと思う どうやら俺達は、シャーレーの中に入った
実験生物らしいゾwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています