馬主の感動・面白エピソード教えて
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最後に障害走らされたあげく、競争中止したアドマイヤボサツに
泣いてあやまった近藤さん 近藤リーチ亡き後、オーナーのスーツを着て、
香港マイルに挑んだアドマイヤマーズが勝利して、周りが引くくらい友道調教師号泣
https://youtu.be/MVJOvmrlSaI 某キタサンブラックの生産牧場に知人通して見学行ったら偶然北島三郎が来て牧場に無関係の私にCDをくれた
ウチのおばあちゃんがファンなんですってっていったらカセットテープにサイン入れて
『おばあちゃんに渡してもらえるかい?』って言ってプレゼントしてくれた
渡してもらえるかい?って言い方に感動してしまった 極楽の山本が吉本復帰出来ないのは萩本欽一が理由らしい、世のためになってる欽ちゃん あまりにも有名だがダイユウサクは本来は孫の名前にちなんでダイコウサクと付ける予定だったが手違いでそうなってしまった
当時はデビュー後も名前の変更は出来たがあまりに駄馬だったためダイコウサクのまま走らせたらしい スーパークリークの菊花賞出走の話しは好きだな。
誰か宜しく! ウマ娘のせいで馬主が神扱いされる風潮が強くなっているが不適切受給問題からも分かる通り彼らは凡人の倫理観からかけ離れた生計で馬を飼ってるわけでもっとおちょくっていいと思う イクノディクタスはデビュー前に屈腱炎を発症しデビューどころか安楽死処分も検討されたが故障が完治しデビュー
デビュー後は故障せずに51戦も走り鉄の女と言われた スーパークリークの馬主は、引退式の挨拶で
jraの皆さまと言う所を確か、jrの皆様と言ったな!!電車か
この馬主も、バブルが弾けて飛んで行ったなww
所詮成金野郎でした!!てか >>17
岡部「弾けないように頑張ります」
その後、エアグルーヴにボコられて弾けたバブル 横浜ベイスターズでピッチャーやってた馬主が少なくとも2人いる >>20
故障していたのは本当だよ
現役時代から言われていた話だからな >>13
獲得賞金順だと出られないはずだったんだが
総帥がマイネルフリッセを回避させて
なんとか滑り込みで出走、
2着のガクエンツービートも滑り込みじゃなかったか? ヨシオがJC出てきて無関係の西山が
ヨシオの亡き前オーナーの悲願、馬は大切にローテ考えて使われているとか言ってた
次の週チャンピオンに連闘してきてだんまり >>32
山田くんはホンマに恵まれとるわ
一歩間違えたら大塚コースやったで >>32
山田君は周りに恵まれたね!ペイシャで重賞勝って欲しいな。 馬主というかサンドピアリスの生産者岡田義一氏の話
「エリザベス女王杯で応援馬券を買いに行ったのですが並んでいるうちに絶対無理だという気になって、なんとよその馬の単勝を買ってしまったんですよ。ええ、後で家族みんなに責められました」 引退後の馬生までちゃんと面倒見てる馬主っているの? >>38
エタリオウのところは全頭面倒見てるって公言してるよ >>38
有名なのはトーセン
個人馬主は結構いるよ
ゴルシの馬主は未勝利のゴルシ兄を脚が弱いからと乗馬じゃなく功労馬にしてる 西山氏「ニシノコンサフォスへの感謝は生涯忘れない」→ホースケアに売却
西山氏「ニシノミライは西山牧場の結晶」→肉屋に売却 上田清次郎(ホウシュウ・ブゼン)、当時のダービー1着賞金の約3倍で
前年のダービーオーナー(シンザン)からダービー1番人気確実と言われたダイコーターを
ダービー直前に購入も2着に終わり、ダービーは金では買えないといわれた 競馬好きで有名な菊池寛
馬主資格を停止されたが、理由は騎手の油断騎乗
昔は油断騎乗で馬主にペナルティが科せられた >>40
島川オークションで売りまくった奴らも面倒みてんの? しっかり覚えてないけどオグリキャップの地方時代の馬主ががんばってオグリローマンで桜花賞勝つ話はよかった >>42
「ニシノデイジーはワシの夢」
※ホースケア売却カウントダウン中 菊花賞の本馬場入場のアナウンスで杉本清が
「今は亡き第三十一代の菊花賞馬ダテテンリュウが眠るビッグレッドファームが、自信を持って菊の舞台に送るラッシュアンドゴー」
と紹介した時、それを聞いた馬主と岡田夫人が涙したという話 >>36
岡田の先代はいい人だったよ。
今の二代目はアロースタッド代表だけど馬を馬として考えてない ドクターコパが、駄馬コパノアラジンで結果出した藤田菜七子にゾッコン(笑)。そのおかげでもあり、菜七子はコパノキッキングに乗る事もできたwwwww 小田切×音無 (ノアノハコブネ オークス)
ペイシャ北所×山田
ドクターコパ×菜七子
ぐりぐり君×菜七子
山上×水口
岡田牧雄×大野
岡田繁幸×柴田大知・丹内・国分
西山×勝浦
ミルファーム清水×杉原 調教師「で、馬名って何って登録したらよかったんでしたっけ?」
馬主「スウヰトスー(すうぃーとすー)でお願いね」
調教師「合点承知!」
スウヰイスー(すうぃいすー) >>55
アルクトスの馬主はたなべしにぞっこんでは?
もちろん他も使うだろうけど
あと、アユサンの馬主は北関東つながりで丸山中心だな 養老牧場の草分けなオーシアンファームはメジロがお金出したんだっけ?メジロの功労馬結構入ってたよね >>46島川が?
へぇー手切れ金でポイ あとは知りません!てかー?
結局ペットでいう「かわいいやつ」しか手元に置かないんだな
うん、面白エピソード! マエコウさんはレース前にぐちゃぐちゃ注文をつけたりせず、
『グッドレースを』だけ言うって源氏パイが言ってた 音無厩舎の看板馬のエガオヲミセテが残念ながら事故で亡くなり、厩舎スタッフは落ち込んだ。
そこに翌年同オーナーの小田切さんから音無厩舎に一頭の馬が入厩した。
その馬の名はゲンキヲダシテ 感動でも面白でもないけど。
3人の社長さんが牛丼を最後の晩餐にして、缶ビールで乾杯して、3人とも自殺した。
多額の保険金が掛けられており、遺書に資金繰りの足しにして下さい、とあった。
最強のダービー馬論争になると私は必ずアイネスフウジンをあげるが、
オーナーの悲しい最期が切なすぎる。 キョウヘイとかメイショウマンボのオーナーと幸四郎の奴は有名だよね >>15
広島県世羅郡にいた超装蹄師のおかげだね。 >>67
馬主絡みなら
サニーブライアンの大西もありかな 珍馬名の小田切オーナーは、ノアノハコブネのオークスの時子供の少年野球を優先した。 馬主が勝てるはず無いと思って表彰式に来ない話は数多いよな そういえば高松宮杯で高松宮がわざわざ中京まで来たのに
表彰式に馬主が来てなくて高松宮が不機嫌になったなんて話もあったな ウオッカの谷水オーナーと角居調教師の電話会談。
桜花賞2着に敗れたウオッカの次走をオークスにするか、ダービーにするかで迷っていた角居調教師に谷水オーナーが電話会談を行った。
谷水「いいと思う方を君が決めたらいい」
角居「なら、ダービーに向かってもよろしいですか?」
谷水「よっしゃ、ダービーへ行こう!」 一番ジーンときたのは高松宮記念制覇キングヘイローの坂口先生の涙かな 良い話か別にして
三浦皇成とアサクサの馬主
川島信二とミエノサクシード >>75
三浦はアサクサじゃなくてオメガじゃなかったか? テイエムオペラオーの竹園オーナーと岩元調教師は幼馴染。
岩元がバンブーアトラスでダービーを勝ったのを偶然テレビで観て、竹園は自分も馬主になろうと決意する。
という元からの強い信頼関係があったから、オペが3歳時に連敗して竹園が和田を降ろそうとしたとき
岩元が「和田を降ろすなら転厩させてくれ」とまで言って反対し、最終的には竹園が折れて
和田続投になった。という騎手起用にも人情があった時代の話。 >>64
メイショウ松本オーナーをメイショウマンボのオーナーと書くところがなんだか微笑ましいな >>32
小桧山さん、ペイシャさん、柴山、松岡みんな優しいね。山田くん応援したくなったわ 競馬評論家の故石川ワタル氏がJCのときモハメド殿下を見かけたから英語で話しかけて近付こうとしたら周りに居たSPらしき男達が瞬時に殿下を取り囲んで揃ってポケットに手を突っ込んでたらしい トーセン島川が馬主になる時に家族から出された条件が「持ち馬の面倒を最後まで見ること」だったとどこかで見た 「スポーツ雑誌はNumber」しか買わないんで、ライスシャワー記事に前オーナー(亡)から娘か嫁に所有権が代わり競馬知らないので厩舎方からまだ稼げるから任せてたら皆が知ってる結果になりました記事見た、だれかしってますか? サニーブライアンがトライアル2連敗して調教師がオーナーに騎手の交替を打診したら
「大西には世話になっているから」と激励されたエピソードが好き >>81
比較的処分が軽かったのは、オーナーのお願いによるところが大きかったみたいね。
北所さんも素敵な人だ。 山田君は周りがこれだけ助けてくれるってことはよっぽどいい子なんだろうな >>79
でも初めて二人が出会ったのは中内田19歳、川田12歳の1997年
幼馴染とは呼べない セキテイの馬主と飲み会同席した事ある
服のセンス良かったし、金いっぱい持ってた
その後飲み会のメンツでスタホやった
俺がWBC買って馬主ボコっちゃった 山田君はあの時1年目だったのが救いだな
そりゃ助けたいと思う人が出てくるよ >>32
そして北所オーナーのペイシャボムで復帰後初勝利を挙げたんだったな。
山田が「ありがとうございます」と頭を下げて伝えると北所は「長かったな、本当よく頑張った」と涙を流して労ったらしいな。
どんだけいいオーナーなんだよって話だわ。
それだけ山田もいい奴なんだろうな。 リキエイカン
カシュウチカラ
終生大事にされた
(八大競走優勝馬でも消息不明になる事がままある時代)
トウメイ
近藤克夫オーナーが遺言で「トウメイを死ぬまで面倒見ること」と言い残した メイセイオペラのフェブラリーSで亡き夫から馬主を引き継いだ妻が夫の遺影を掲げて活躍を見せたという話にほろりと来る >>32
山田初勝利のとき松岡は他場だったんだけど1番喜んでいて騎乗命令ギリギリまでテレビ見てたらしい。模擬レースで厳しいこと言ってたし感慨一入だったんだろうな >>102
リキエイカンは種牡馬から用途変更、屠殺寸前で生産者が連れ帰って面倒見た話だから
スレタイ的に合わないように思う ウオッカを担当していた中田助手がアイルランドまで会いに行ったときは
ウオッカの方から寄ってきてフレーメンまでして喜んでたのに
角居が会いに行ったときは先生を見かけるなり子供を置き去りにして
お尻向けてウオッカが逃げて行った >>108
生産牧場が他所に売っておしまいじゃなくて、引退後まで気にかけてたっていういい話じゃないの? >>111
>>107
>>109
じゃあこれらもみんなスレチだな。 金子は馬の面倒最後までみてるのか気になる
年寄りになっても走らすのは知ってる トウメイの馬主はトウメイを預けてる牧場が資金難でダメに
なってもトウメイ一頭だけの牧場に縮小して死ぬまで出資し続けた
トウメイが死ぬまで牧場は残され、トウメイの死と同時に清算された タレンティドガールの馬名の由来と、エリザベス女王杯を勝った日(オーナーの娘さんの十三回忌) ノアノハコブノネのオークスの日に
小田切さんは監督をしていた少年野球の大会を優先した >>38
オーナー萩本欽一の意向で種牡馬となったパリアッチ
表向きは種牡馬だが、実際には一頭の繁殖牝馬と一緒に牧場に預けられ、夫婦みたいに余生を送った >>77
岩元師は自分が騎手時代に、師匠の布施正調教師に可愛がられ、厩舎の馬はほとんど全部
乗せてもらってた時期があったから、自分も弟子を大切にするようになったんだろうな。 >>118
そういうの待ってたよ。なんとも心温まるな
でも子供は作って、走ったの? 窪田康志はAKBの経営が危なくなったときにドラゴンファイヤーを手放した
といっても一時名義を父親名義に変えただけだが 夢の代償に牧場潰して一家離散が面白エピソードと思うなら是非 グリーングラスの馬主である半沢氏は菊花賞の日微塵も勝てると思っていなかったためタートルネックにサングラスという格好だった
結局口取りはそのまま撮影し後できついお目玉をくったらしい レース前の評価からわざわざ京都までいってるだけで偉いと思ってしまう
ひょっとすると半沢氏、八大競走初出走だったりしたのかな
それ以前のレース映像であの勝負服を見た記憶がない >>94
幼馴染の定義を勝手に作るな
当人らが幼馴染って言えばそれは幼馴染だ
未就学児の頃から顔見知りじゃなきゃ幼馴染とは言わんみたいな勝手な論理をひけらかすな >>121
調べてみたら「スケルツォ」という馬が1勝してた
その時の鞍上がなんと岡部幸雄 大学生の大魔神が清原を飲みに誘って清原は門限破りで罰金。 金子ディープ活躍前
「馬見てもわからんし任せてるよー」
使用後
「馬の眼を見て決めるっ(キリッ」 小栗孝一さん
「人間五十年と昔から言うから、50歳になったら仕事を辞めて余生を目一杯楽しもうと馬主になったんだ。中央競馬の馬主資格が無かったからねー。笠松の佐橋さんに頼んだんだ。あの人とは賞金は折半でと約束をしたら見事中央でも連勝してくるたんだ。馬のぬいぐるみも佐橋さんの案で出品したらとても売れて儲かったよ。引退レースの有馬記念の時も名義は私ではないのに、みんなに胴上げしてもらったり祝勝会開いてもらったり大騒ぎだったよ」 アンブラスモア「欽ちゃんの馬で1番活躍したのに肉になりました」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています