岡部幸雄、田原成貴、河内洋、柴田政人、南井克巳、小島太
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田原がダントツやろ
岡部はいい馬乗ってた位の印象しかない 南井ってナリタブライアンとオグリのイメージだけで決してうまいとかは思ってなかった
太は今の横山父みたいなもの、時折神騎乗するが基本は人気を裏切りまくり 南井克巳は一流ジョッキーだけど
ナリブ基地が、無理やり下げるのは目に見えてるから
評価低いのは確定やろなw 岡部は遅漏だからな。
トウカイテイオーの大阪杯も「まだまだ!まだまだ!」と言ってたらゴール板過ぎてた。 田原 落馬がなかったら81年からずっとリーディング取り続けていたはずだ >>9
田原の全盛期ってのはリードホーユーの頃か? 岡部河内が1枚上で柴田南井がその下
柴田は事故で足の小指飛ばすまでは岡部と遜色無かったらしいがその頃は知らん
田原はタイプ的にはノリだけどハマった時は120点のノリと違って120点を狙ったとこで出す凄みがあった、ただ活躍時期の短さからトータルだと評価は低い
小島太は特殊なタイプで太を勝たせたいサクラのオーナーが良い馬を買い、太はカッコ良く勝つとこをオーナーに見せる為に騎乗してたから上手い下手で語れない
晩年上原厩舎とか若い調教師の馬に乗る事があったが、そういう時はそれなりに上手かったよそれなりに アグネスフライトの単100万は興奮したな
勿論ダービーな >>17
その頃だな
厩舎と主戦騎手の繋がりがまだ強い時代に
いい馬が次々に集まってきた 太は下手くそとかよく言われていたが
そうでもないよなと今更に思う 瞬間最大風速という点では田原かな
岡部、河内は安定感があった
柴田、南井はガッツがあってファンには受けた
やらかしも多かったけど
小島太は華があって勝った時は華麗だったけど
負けた時はクソミソだった 岡部、田原、河内の三人は競馬関係者なら誰でも腕は認めているでしょ。南井は遅咲きだし微妙かな 小島太より圧倒的に下手クソだったのがその頃の横山典
サクラローレルが小島太ならどれだけGI獲ってだろう >>25
よく覚えてるな
小田部と滝だけ覚えてたわ 田原は
河内さん、武豊、岡部さんはまごうことなき名手
横山典弘の騎乗技術はとても素晴らしい
南井さんも名手で技術ではなく勝負勘と根性で勝ち星を上げる
小島太さんは過小評価されてるが騎乗フォームといい追い方といい素晴らしい
というようなことを言ってた 河内って下手だったイメージだけど
飛ばしまくってたじゃん
オグリキャップも負けさせまくりだし >>38
岡部はルメールに近いな
本命じゃまず崩れなかったし
川田は太に近い
ダノンと蜜月なあたりがサクラとの関係に重なる 岡部は当たりが柔らかかったね
逃げから追い込みまでなんでも上手かった 南井ファンだけど、けして上手いとか達者とかとは思わなかった
ただなんつーか頼りにしてた、この馬むりくり2着以内にもってきてくんねーかな?なんて 太が下手なのかわからんけど右ムチ連打して左に寄れてく 小島太は境勝太郎の所の馬しかまず買わなかった。その程度だよ 岡部が昔「競馬最強の法則」で言っていたな
いつもフェアなレースをしている騎手が
人気馬に乗っていて後ろにいたら
そりゃあ進路を開けますよ
お互い様だからね
では小島太が後ろにいたら
もちろん絶対に開けない >>1
田原 岡部 相当上手い
河内 柴田 かなり上手い
南井 詰まりまくり 全盛期の福永より詰まる
小島 雨で顔が濡れるとやる気が消える アンパンマンと呼ばれていた よく分からんから、それぞれを今の現役騎手で例えてくれ 上手いの定義が難しいとこよな
イメージとしては
柴田政→戸崎
南井→岩田
田原→四位+池添
河内→いっくんとルメの中間
岡部→高知の赤岡
小島太→強化版柴田大
てとこやな
現役見てた身としては アンカツが言ってたが岡部はわざと馬をかからせながら走らせるらしい
そうすると馬群に隙間ができたときにスッと入り込める
こんな技術今の騎手には無いだろう ありゃ馬読めば全部書いてあるぞ
水田()は凄い、ここまで暴露するか 当時はGT〜GUか夏の北海道遠征以外では関東馬と関西馬が直接対決する事はあまりなかった。
私は関西なので田原、河内、南井はわかるが岡部、柴田人、小島は正直わからん。
関東馬に全く歯がたたなかった関西馬が突然強くなった時期なので馬での比較も微妙な時期。
関西の3人は天才田原、牝馬の河内、剛腕南井と呼ばれていた。その通りだと思う。
ただ南井はタマモクロス乗るまでは2流以下の扱いだったのでホント晩年型だったね。 しかし、調教師としてここまで揃ってダメだったのはどうしてなんだろな?
オグリ、スーパークリーク、イナリワンが種牡馬ダメだったのに近い 田原は波がある方だがG1ではしっかりキメにくるイメージが強い
過去のレースなんてG1しか見返さないから必然的に田原が天才的騎乗をしているシーンの記憶がどんどん補強される 南井は上手いって感じは無かったけど条件戦でも最後まで追ってくれるから好きだった 南井さんだけ根性とかガッツとか騎乗技術では語られないんだよなw
従って最下位確定 太の方が南井よりはうまい
政人よりは河内のほうがうまい
トータルなら岡部のほうが田原よりうまい >>63
オグリの騎乗はヤバすぎるな
岡とかの比じゃないクソ騎乗 初代J6
2代目J6
松永幹 四位 田中勝 後藤 蛯名 ? 岡部引退から藤澤ってルメール主戦にするまでG1一つしか勝ってないんだな
これだけで偉大さがわかる
シャブ中と比べんじゃねーよ >>45
これユタカオーやロータリーとかこれで骨折したからな
特に府中が多かった 岡部>>田原>>>>政人=河内>>太>>南井
ただ馬券相性は太ダントツで相性良かった 岡部の弟子が善臣先生と勝春というある意味人を見る目はあるな。岡部の地位を脅かす
存在ではないからか。 田原は安定感はなかっただろ
ハマった時の神騎乗はすごいけど センス→田原岡部柴田河内南井小島
巧さ→岡部河内田原柴田南井小島 >>54
ロイヤルタッチが京都新聞杯で終始掛かり気味だったのも、乙女藤田の前でウロチョロしてキレられて「殺すぞ!」言われたのもそういうことだったのか。 うまさはよくわからんが、馬券買う方からしたら岡部河内柴田やな、あと的場 >>81
一年振りのトウカイテイオーを有馬記念で勝たせたり、マヤノトップガンを脚質転換してサクラローレル、マーベラスサンデーを差し切ったりすごい時はすごかったんだよ 河内田原は南井と比べると活躍が牝馬に寄ってるのが、2人の上手さの裏付けでもあり、逆に南井の凄さの裏付けでもあるように思うな >>31
最大限に見積もって秋天連覇。それ以外無理。 >>85
テイオーで暴走ペースに着いていって掛かりまくってドベにした挙句故障させた事と、トップガンで掛かりまくって御せず大外から持って行かれて逆噴射した前年春天もあるし、
勝った時だけ持ち上げればいいってもんではない 柴田政人って、若い頃は岡部より評価高かったでしょ。
ルドルフ以降、逆転したみたいだけど。 >>89
馬乗りだけの技術なら政人はダントツだよ
だから野平は我の強いタイプだったルドルフを当初は政人に依頼した、しかし先約の為に断られて岡部になった経緯がある
レースセンスは岡部の方が上だからトータルでは岡部の方が上だがね
馬乗り技術S級、レースセンスB級の政人
馬乗り技術A級、レースセンスS級の岡部
レースセンスというのは戦術、狡さ、圧力のトータルだから
岡部に敵うものはいなかった ありゃ馬こりゃ馬の岡村はどこまで岡部の現実を反映してたのかね
あれだと岡村一人が黒かったけど、現実にはほかの騎手もそれなりにやってるのか
表も裏も一流ってのは、馬主や調教師からしてみたら頼りになるよな 新潟デビューだったから岡部
札幌が芝だったら北海道デビューだったでしょう >>91
そういうこと
ただ、上手いだけの騎手、営業力に長けた騎手、形振り構わず泥臭い勝利への執念のある騎手は相応程度の地位にはつけるが
その先は越えられないからな
その先を越えたのは岡部だけ、田原も精神を病んで道を逸れる程険しい道だった 昔、坂井千明へのインタビュー記事で坂井が直線先頭で走ってると後ろから
ちあきー!ちあきー!って叫びながら岡部さんが追ってきて怖かった
て読んだことある 正味の腕なら橋本美がとび抜けて上手かった
あとは団栗背 ヒシアマゾンの相手は河内1点200枚
アレは痺れたわ 馬事公苑の指導員曰く、
岡部1、柴田政10、福永洋100 >>83
10:00〜
田原が南井の騎乗を「流石に上手いですよ」と言って賛辞している
https://youtu.be/a1umbXrbjBo >>96
そんな河内洋が騎手生活の中で100%確実に勝てると思った馬はたったの一頭だけなんだと昔JRAの名人芸のコラムで言ってた >>96
そんな河内洋が騎手生活の中で100%確実に勝てると思った馬はたったの一頭だけなんだと昔JRAの名人芸のコラムで言ってた
ちなみにその馬はアグネスフローラって馬なんだってよ、意外な回答で驚いた そういえば、伊藤雄二が河内田原でなく柴田政人をチケットに乗せたのは何故なん? アンカツの頭脳って本だったかな
岡部以外にもいろいろ書いてある >>101
著書「伊藤雄二の眼」に全て書いてあるから自分の目で読んでみな
Amazonでも売ってるから
脚色されたムック本より、本人の著書が最も内情が書かれてるから >>100
そりゃ100%ならそうそうないだろ
必ず勝つ勝つ言う騎手がいるがそんなの適当に言ってるだけで
河内が言っている100%や確実って命を賭けたり負けたら死ぬぐらいの状況でも言える100%
武豊とかルメールが適当に軽々しく言っているだけ確実とは意味が違うやつなんだろう >>102
「馬を敢えて掛からせる乗り方」については当たり前のように田原と武豊が90年の対談で話してるから珍しい事ではないよ
それを当たり前と思っている騎手は敢えて言わない >>107
因みに河内は、サッカーボーイは確実に勝てると吹いたが
結果は存知の通り
記者によって脚色された談話記事なんて何も伝わってこないから信用しない方がいいよ >>97
騎乗技術としてはそうなのだろうな
ま、あくまで馬事公苑時代での話だろうし各々その後の成長はあるとは思う
そして乗り難しい場面でならその腕が反映されるがいかに乗りやすい状況を創り出来るかも腕というか騎手の能力の一分かと思う >>111
そういうのを信用するから間違った曲解を生む典型例
馬事公苑のレベルを知っているかね
馬事公苑指導員なんてのはその辺警備員と同じ立場で騎手の技量など何も把握してないのだよ
だから、馬事公苑から有名厩舎へ行くにはコネクションが必要だった
それが無ければ武邦彦でさえ何度も試験に落とされた時代
政人が語ったインタビューによると、洋一は運動神経が最下位で、とても馬に乗れるレベルではなかったと答えている
そんな洋一を武平三に紹介したのが武邦彦であり、平三は洋一を受け入れ、洋一はここで中央競馬とのコネクションを確立させた経緯がある >>109
おそらく>>100の言っているのは5年前ぐらいJRAの特集で騎手のコラムになっていたものだと思う
>>112
凱旋門賞も勝っているシュタルケ騎手はどういたしましょぅか?神ジョッキーで良いですか? >>90
先約というか、突然新潟デビューさせることになって北海道の政人は無理だった
なんでも巨泉が和田に「大物はゆっくりと育て秋の東京開催で」とかいったらしく、
カチンときた和田が急に新潟に出ろといったらしい
真偽のほどは不明だが、あの二人ならありえる話w >>90
それすごい分かるw
馬乗り上手い人とレース上手い人は別って田原さんが言ってた では、何故武平三が洋一を受けいれたかの話について
当時競馬界におけるエリートだった平三は、洋一の野性的な感性に期待したと聞く
技術では岡部らより劣るが、形振り構わず勝利への執念が洋一にはあったと
現代ならば岩田康誠に近い、息子祐一も岩田康誠に近い人だったのかもしれないと話したように
頭脳的な戦術は欠けるが、他を煙に巻く戦術と圧力に優れていた
記者や後輩らをトルコ風呂に饗す行為など、営業力にも長けていたのが洋一
だからこそ、彼があんな状態になっても、記者らは洋一を神のように扱い、後輩達もそうした 岡部 >>>>>>>>> その他
障害見れば一目瞭然 >>117
よく勉強したね、それが正解
洋一は平三のお墨付きがあったので他の陣営は手出しできなかった
その洋一がスランプになり、勝ち星が遠のいた時に「人と違うことをやれ」とアドバイスした叔父がいる
人と違うことをやって馬の事は考えるなとアドバイスした
それから洋一は、逃げ馬で追い込む、などの本来なら批判される乗り方を繰り返した
それも全て、平三と、武文がバックにいたからできたことなんだよね >>120
それじゃ真面目にレス返した爺さんが惨めになるからやめたれw >>116
うむ。
田原は
シングスピールが勝ったジャパンカップでも騎手の追い方としてはファビラスに乗ってた松永幹夫のほうがデットーリよりも正しいタイミングで鞭を入れていてスマートな乗り方だったが、
逆に言えばデットーリのようなガムシャラさがなくそれが馬にも伝わらなかったのではないか。
このように勝負の世界は単なる技術論だけでは語りきれないところがあるので難しいのだ。
みたいなことも言ってた。 >>126
それっぽいことを吹いてるだけ
4カ月後のぶっつけで
ドバイWC勝ってるような名馬だし
単に馬の差ですな 俺が競馬始めた頃は関西だとダントツで河内が巧いと思った
特にゴール前の攻防は小差でもキッチリ勝っていた記憶がある
武の乗り方もデビュー時から5年くらいは河内の影響がかなり強かった
後追いだが豊が親父・武邦に似ているとはあまり思わない 太と境勝太郎氏はラッパ吹いている馬は消しだったなw >>126
タヴァラは岡部は裏の技術も超一流とか某自監修漫画書いてたな
まぁ、関東競馬は元々そういう凌ぎ合いみたいな感じでやってたからな
加賀・郷原らの世代はホント怖かったらしい
関西の生意気なペーペーを挟んだり削ったりは当たり前みたくやってたからな >>120
素直でよろしい
君みたいなフラットに信じる人は、未来に伝えていく義務がある
コピペと素直に言うのは、君本来の考えが別にあるという事だと受け取るよ
そして君はそれを主張せずに、このスレの空気を読んだね
こういう人間こそ、競馬の未来に過去を美化し過ぎる事をせずに伝えていく資質がある フランキーはガムシャラも何もあのJCはエリシオ潰しの為のアクションだからな 同じ馬質の馬に乗ってたら
柴田、岡部、河内、田原、南井、小島
の順だと思うよ
柴田は馬の能力だけで馬を選択していたら岡部以上に勝ってたよ 小島マジで嫌い
ローレルをダメにしたイメージが凄い >>140
俺は岡部の方が嫌い
ケイエスミラクルのスプリンターズステークスとかな >>138
馬乗り技術だけなら政人はダントツだったが同じ馬に乗っても岡部の域には行けない
強い馬ほど、レースセンスが必要だからだ
強い馬というのはそれだけ難しい馬が多く、単なる能力だけでは勝てなくなる
そういった馬を勝たせ続ける事が騎手のトータル評価に繋がるのである
それには、レースセンス=戦術、狡さ、圧力という屋根の能力も必要
だからこそ、「岡部帝国」と言われ程の地位を築き上げた 柴田人の身体全体を使って馬の首根っこを絞り出す追い方
好きだったなあ 芹沢、宝来、村本、土肥、塩村、千田、菊沢、山田和、村山、佐伯 >>145
その中だと村本の実績が圧倒的だな
マックイーンに村本が乗ってたら(菊で内田おろすなら村本だったんだよね?)どうなってたのかは興味深い まあでも南井がG1で一番人気だと安心して軸に出来たよ
南井が乗っても一番人気だと思われてなら仕方ないが 南井は内をすくうのが上手い騎手だったから
特に京都なら、穴でも狙いやすい騎手だったけどね 政人は騎乗してる時のシルエットがカッコ悪かったな。
そのぶん岡部のシルエットは本当に美しかった。 >>133
田原は岡部はじめ関東勢の嫌がらせで潰されたからな
武豊は飄々と跳ね除けたけど >>39
福永洋SS
田原S
岡部A
武邦A
柴田政A
郷原オヤジA
河内A
南井B
小島太B ああ見えて小島太は一番人気の勝率は歴代トップクラスだったはず 外人が来たらどいつも歯が立たないと思えるゴミだよ
外人がいない時代にノウノウ生きただけの奴ら
なんせ田中勝春が戦えた時代wwwwwwwwwww
言わば、Jリーグが始まる前の日本のサッカー選手みたいなものだな
サッカーはあれから凄くレベルアップしたが
競馬の日本人騎手は変わらんけどな
育成がまるでなってないからな
競争がないからレベルアップするわけないんだけどな
おまけに脳味噌狂って男子落として女子取るんだから
JRAは何を考えてるか理解できないよね そりゃ上手いやつより話題になりそうなやつ採るだろ
有名騎手の御子息とか双子とか珍しい苗字とか スズカの宝塚見たら南井克巳が上手いなんて口が裂けても言えないだろ ベリエが94年から来日して初めてG1勝ったのはここのあたりの騎手が全くいなくなった2000年だぞ
外国人騎手でペリエ以降でペリエ以上の騎手なんていたか? 80年代〜90年代の競馬リアルタイムで経験してる人に聞きたいんだけど
名手岡部とか天才田原とかって結構聞いたことあるんだけど、ファイター南井って表現って定着してたんだろうか >>138
伊藤雄二『岡部を100とするなら、柴田政人は150の技量があった。もっとも同期には200点の天才がいましたから目立たなかったわけですがw』
と語っていたからな。 >>165
この天才と言う言葉の「ありえない程の軽さ」
日本のテニス界で錦織を天才とか言うか?
日本でトップでも天才なんて使わないでしょ?
たかだが数人の競争で「天才」と言う表現を平気で使っちゃうこの感買うが
JRA競馬村の己たちの低レベルさを認識していない現実がうかがえる >>54
ビワハヤヒデの春天
素人目には2週目4角まで掛かりっぱなしに見えたけど、実際は違うんだろうなぁ
いくらなんでも2700m掛かりっぱなしで直線あの脚が使えるわけがないよね 南井と太はちょっと違う気はする ただ、人間的に華がとにかくあった太と、とにかく泥臭さ満点だった南井
二人共、めちゃくちゃ好きだったなぁー >>165
岡部も柴田政人に関しては、著書の中で自分よりも数段上の天才だと称してたな
ただ、柴田政人がヨーロッパ的な乗り方を求めたのに対して、「彼がアメリカ的な乗り方を覚えたらどれだけ勝てただろう」と否定的な意見も書いてたけどねw >>166
ほんこれ
バイクに乗らせても白人のが圧倒的に上だしな >>37
河内がオグリに乗って負けたのって、タマモクロスに2回(秋天・JC)だけじゃないか? 増沢は1世代上だろ
加賀 郷原 野平とスレタイの騎手の隙間 俺が競馬始めた平成元年の小島は神がかっていた
クラシック路線でサクラホクトオーやサクラメグミが人気を集めて大惨敗
サクラチヨノオーもボロ負け
一番衝撃的なのは小島が乗ったらオープン特別すら勝てなかったイナリワンが武に乗り替わったら
GI連勝 >>164
どの程度定着してたか分からないけど、ファイター南井って新聞やら雑誌やらで表現されてるの見た記憶は割とあるな
逆に天才田原はあまり記憶にない
90年代だと天才武豊が一般的だった >>170
「ライバル上げて自分も上げる」
騎手ってこればっかりで嫌になるわ
田原とかの得意なやり口
実際は運よく馬事公苑で馬に乗ることを許されただけの
そこらの乗馬クラブのメンバー内での競争 石崎隆行>岡部幸雄>河内洋>柴田政人>田原性器>>>>>>>南井克巳>>>>>>>小島太
こうやぞ >>171
知ったか丸出しの馬鹿乙
一時期のイタリア人ライダーと今のスペイン人ライダーくらいだから
日本人ライダーの黄金時代もあったし。知ったか番町乙 >>180
日本メーカー圧倒的無双の時代に
日本人だから乗せてもらえただけですwwwww
恥ずかしい黄金時代ですねwwww >>182
馬鹿丸出しw
ドゥーハンとガチでやり合った岡田を筆頭に
原田、中野、加藤の250cc、125ccも連続王者
確実にあの頃は黄金時代だった。日本GPで500cc1位のドゥーハン以外
全部日本人ライダーで占めたからな。それをメーカーのおかげとか言っちゃう知ったか、ニワカのガイジw >>182
いや〜
さすかにお前のニワカっぷりが一番恥ずかしいと思うよ 福永の親父は神格化されてるけど実際はどうだったんだろうね
馬と会話ができるレベルとまで評されてたけど >>185
同期の岡部とかが次元が違うとまで言ってたくらいだからなぁ
特に的場とのエピソードが深いというか、ドラマのワンシーンみたいな感じ
洋一が馬の力を余すとこなく引き出のを見て的場が
「どうしたらその様な騎乗ができるんでしょうか?」って聞いたら洋一が愛想悪く一言だけ
「自分で考えてみるんだな」って言ったという
そしてそのインタビューを受けた時・・・1995くらいのギャロップくらいかな
「未だにいくら考えても答えは見えてないです。あの境地に追いつくには一生かけても無理でしょうね」と語っていた >>186
>「どうしたらその様な騎乗ができるんでしょうか?」って聞いたら洋一が愛想悪く一言だけ
>「自分で考えてみるんだな」って言ったという
福永洋一かっけぇ 当時から今の競馬のシステムなら確実に柴田政>岡部、南井>河内になってただろうな >>179
アンカツみたいに石崎がJRAに移籍してたらリーディング穫ってただろうな
岡部も武も横山も他の蒼々たるJRAの騎手達も調教師達もその実力認めてたもんな
招待競走とかでも芝のレースへアッサリ対応して結果出してたらしいし
>>188
だろうね >>186
乗馬クラブのメンバーが
恥ずかしげもなく
こういう気持ち悪い事を言うから
本当に気分が悪い
こう言う発言を許してきた競馬ロマン信仰は
本当に悪だと思う
圧倒的にシビアな視点が欠けている >>191
まあ、福永洋一は過大評価って意見も多いのは確かだよな
当時はジョッキーの国際交流もほとんどなかったし >>176
田原は競馬界の貴公子とか競馬界の玉三郎というのはちょくちょくみたな 田原が上手いと思うなら福永洋一はもっと上手いよ
完全な上位互換だからな
理詰めで玄人好みの岡部とは真逆に近いタイプ 上でも書いてる人いたけど
イナリワンだけ見てもいかに武が優秀で小島太がゴミかは分かる とりあえず武と田原はオグリラストラン、テイオーラストランでドラマを作ったから余計に記憶に残る騎手ではある ルドルフが当初の予定通り柴田政人が乗ってたら…
長らく関東のエースは柴田政人だったかもね >>197
そりゃあんなん見たら泣くわ
たとえ馬券外したとしても >>198
そんな事言っても意味なくね?… バブルガムフェローに蛯名じゃなくて相談役が乗ってれば、蛯名覚醒は起きなかったとか タラレバ言い始めたら、キリないだろうし 田原『祐一は無難に乗るけど、センスが無いし馬乗りも下手だし豊みたいな向上心がまるっきり足りない』 >>152
そらユタカしゃんは胴元の忖度がバックだったんだから最強やろ w
忖度が外れてから成績が極端に落ちたけどココ数年の自力踏ん張りは評価する 南井やら安藤やら剛腕と呼ばれる人は可哀想
技術的に乏しいって言われてるのも同然だしな
実際下手だったけど長く現役でいる手段は技術だけじゃ無いしな 岡部とかいうゴミのせいでタイキシャトルは有馬記念に挑戦できなかった
まあ藤澤が岡部なんかに意見を聞いて岡部に「駄目だ」って言われたらあっさり諦めたのが悪いんだけど
一々主戦騎手ごときの意見で決めるなよ。調教師ならポリシー持って自分で決めろ 南井はムチを使い過ぎ
オグリの毎日王冠→秋天→マイルCS→JC→有馬の5戦で200発ぐらい鞭打ってる >>206
おまえ年がら年中それ言ってるなw
こんなこと言ってるの一人しかいないから丸分かりw >>50
外回って早仕掛けしてたしな
それでも力が全然違うから勝ててたがな >>209
>>210
めっちゃ発狂してて草
IDコロコロ連投までしてダサ過ぎますよw >>54
ビワハヤヒデの有馬記念がそれやってテイオーに出し抜かれちゃってたな >>213
岡部ダサ過ぎるw
おっとこんな事書いたらまたこの岡部信者>>209が発狂しちまうかw >>88
93年はテイオーが勝ち取った勝利だと思うけど
前年はスタートから故障のまま後半のまま(一瞬下馬しようか思うぐらいであり、しかしそこまででも無い感じで)「押しても、引いても全く動いてくれなかった」とコメント。その後お正月明け温暖な鹿児島へ治療の為向かった。
93年、騎手が決まらなかった時に、一番状態の悪い時に乗った田原くんで良いのでは無いかと稲原さんの声もあり鞍上が決まった経緯もある。 >>78
まっさんが入るなら
郷原、武邦、加賀、福永父、大崎昭一、嶋田功あたりが比較対象になる >>214
ビワは輸送に弱いで済む話なので大丈夫です 岡部がゴミだなと思ったレースはオグリが勝った伝説の毎日王冠
メジロアルダンでゴール100mまで持ったまましてたら、オグリとイナリの2頭に瞬時に抜かれたんだよな
あれ、もっと早めに追い出してたらアルダンは勝てた 田原の全盛期なんて全く知らない
40代以下は全く知らないだろう
50代でも関東の人間だと知らないだろう
本人曰く、全盛期は落馬事故で腎臓取ったときまでなんだから 実際馬を勝たせる能力比べなら歴代騎手で小島太が1番だな
太の神業と良く言われていた
その神業を安定して発動出来ないから無知な奴等の評価は低いがな
安定して発動出来てれば武豊以上変わっての実績を残してる >>183
>ドゥーハンとガチでやり合った岡田
54勝 vs. 6勝
栗東と美浦の騎手くらい差があって草 実際に見てきた騎手で順位を付けると
1-武豊=実績は正直でダービー5勝とか勝負強さも抜群
2-安勝=全盛期の武豊に唯一対抗出来た職人
3-岡部=レースにチームプレイを持ち込んだ革命児
4-川田=馬を御する天才。テン乗りで結果を出せるのもそのせい
5-海老沢誠=仕事人。福永洋一の上位互換
6-柴田義巨=日本一美しい騎乗フォーム
7-四位=過小評価され過ぎ。和製ペリエ
8-藤田=レースの勝ち方を知っていてクリーンな騎乗もグッド
9-横山典=一か八かで勝負出来る騎手
10-岩田=勝ちへの執念が凄い
以下福永洋、内田、河内、的場、中舘、柴田政、戸崎 >>224
あのドゥーハンとやり合えたのは岡田だけ
糞ニワカのチンカスは黙ってた方がいいぞw
500にはノリックもいたし、250も125も全盛だったしな >>216
全盛期の腕に関しては小牧太>>>>>>>小島太だと思う >>231
数年前の記事で見つけたけど
1986年に小島太が1番人気に騎乗したときの勝率56.8%、連対率70.3%(騎乗37回)
引退3年前の94年でも勝率53.6%、連対率67.9%(騎乗28回)
から見ても騎手として強い馬を勝たせる技術はあったと思うよ
参考記録=2017年ルメールで一番人気で、勝率38.1%、連対率58.7%
武豊が年間212勝を記録した05年で勝率37.9%、連対率52.3%
だそうだ
サクラって当時、過剰人気気味になりやすかったこと踏まえれば結構、大したもの >>18
腎臓取るまでの田原は河内と同じくらいだったんじゃないかな? >>225みたいに騎手の名前もまともに書けない奴は信用ならん
蛯沢・善臣を書けないとか池沼レベルだと思う 正直
日本人ライダーは日本メーカーだから乗れてたと思うわ
もう忘れたけど日本人で日本メーカー以外で結果出したのって
アプリリアで250クラスに1人いたくらいだよな
あれを黄金期と言うのはな
実際そのせいでGPが少し空気悪かった時代だぞ
「下手糞が良い馬乗ってさ」って
今の岩田Jrみたいな感じだったよ いやーサクラの馬は太のせいでかなりワリ食っただろwwwあれはヘタクソだわ 小島太 90年前後はネタジョッキーとして扱われ本人も下手なのは認めていた
70年代当時の映像を観てもサクラショウリで菊花賞も春天も勝てないほど長距離が下手
「フトシの神業」の横断幕が異様に見えた
90年頃の田原は落ち目で良い乗り馬もなく
もう、過去のジョッキーといった感じ そこから92年はサンエイサンキューの坊主事件
さらにテン乗りテイオーで有馬惨敗
1年後の93年有馬はテイオーと共に田原の復活でもあった
テイオーがいなかったらその後の活躍もなかったはず
>>18
切断までは薬指 小指はなんとか付いてはいたようだ
その影響か鐙にかなり足を深くかけていた >>241
田原成貴に復活のキッカケを与えた馬はコガネタイフウとコガネパワー 岡部は競馬雑誌「競馬最強の法則」の常連で ”岡部ライン” がよく取り上げられていた
エージェントの松沢と共に紙面インタビューでJRAをよく批判していて
岡部は100円元返しに関して「絶対に10円でもつけるべきだヤクザでもあんなことはしない〜」
岡部の一番の特徴は巧さよりオーナーブリーダーを中心に乗り馬を選択していたこと
ブラックな馬主の馬は極端に嫌がっていた印象がある オグリ1回騎乗もそういうこと
シンコウラブリイにしても、あの頃は新興産業もまだトラブルを起こしていなかった
とにかく馬乗りは好きだがJRA〜日本競馬に対しては批判ばかり
そのあたりは岡部が調教師にならなかった理由の一因だろう 全盛期だけで言ったら、田原成貴がダントツ
でもここでの田原のレスは、トウカイテイオーやマヤノトップガンあたりのイメージで語られすぎ 南井は当時他ジョッキーからの評判はあまり良くなかった
岡部や武とは対極の重苦しく硬い騎乗で鞭を連打
ブライアンの騎乗も頭がガクガクと揺れて不安になったほど
南井は競輪の大ファンで競輪選手と一緒にチャリに乗ってトレーニングをしていたとか
濃い顔と筋肉質の身体、激情的な性格で本当は競輪選手の方が向いていたかもしれない >>246
タイムと言う絶対的な能力で選別されつアスリートの競輪選手と
馬に乗り慣れてれば誰でもなれるジョッキを一緒にするのは失礼だよ
騎手なんてなりたくてもいくら努力しても競輪選手にはなれないよ
女や老人と一緒にレ―スする競馬の騎手ごときを
オールド競馬ファンはあまりに神格化しすぎで笑っちゃうね >>247
>> タイムと言う絶対的な能力で選別されつアスリートの競輪選手と
>> 馬に乗り慣れてれば誰でもなれるジョッキを一緒にするのは失礼だよ
オマエが失礼だろが(笑) しかもおかしな文章だし
南井なんか神格化するかい >>247
無知すぎて笑える
お前なんぞ菜七子にすら腕相撲勝てねえよ
まともな日本語すら使えないチョンカスかよ
競輪選手だ?
他のプロ競技はその道を年少時代から一途に極めてやっとなれるのに対して競輪なんてもんは他の競技の落ちこぼれがちょっと頑張ればなれる1番お手軽なプロ競技だもんな
公然と八百長が行われてるのも競輪だけ 河内は良い人だが実は騎手界に睨みを効かせていると何かで読んだ記憶があるが、先日の安田康彦のスレで人格も何もかも最悪と言われていてかなり意外だった >>250
残念だけど騎手はその競輪選手にすらなれない
【自転車乗れます→合格】の世界じゃないからな
それどころか
JRAの騎手は馬に数回またがったことがある程度の女が
学校に合格して騎手になれるらしいけどなwww
昨日も勝ってたな
そんな女騎手がwwwwwwwwwwwww
こんなおままごとみたいな業界で
何が名手だw
何が天才だw
笑わせんなって感じ 河内の騎乗フォームは低くてかっこよかった
馬降りるとピグモンなのになw 田原の晩年の主戦厩舎は谷、島崎の他テイオーの松元省と今はすっかり浜中ファンの
オジサンと化した坂口正大で特定の所しか乗らない人だったから。むしろテイオー以後は
あそこまで目立った活躍良く出来たなと思う。 まあウイポに洗脳された輩が出てきたのか?
そいつら用の隔離板まで用意したのに何故こっちにくる?
お前コントレイルもグランアレグリアもそもそも勝馬投票券も1ミリも興味ないだろ 大川けいじろうは増沢が一番うまいと言ってたけど今になってその理由がわかる気がするわ 95年の年末回顧特番。
田原、小島太、杉本アナ、福原アナ、杉本アナ、井崎さん、そして舛添要一wwという超豪華というかキョーレツなメンツだった。
一応一年回顧の番組なのだがほぼ田原と小島太の自慢合戦で、例の「メリークリスマ〜ス」が3回も流れるという恥ずかしい構成だった。
あれ見ると二人は名騎手の範疇には入れていけない気がする。どっちも好きだけどね。 タマモオグリからの流れで南井(と武)がいわゆる王道を勝ちまくる流れになったのに、河内はそこで流れを失ったよな。イナリワンも先約で乗れなかったり
オグリ秋天以降いわゆる古馬王道のG1で1番人気の馬に乗れてない 大相撲中継でゲストに呼ばれるのはフトシだけ。懐メロ歌謡番組で呼ばれるのはマッサンだけ ありがとう友よー
さらばーハイザブキン
と言う替え歌が流行ったけど知らないだろうなぁ >>251
河内が良い人扱いされ始めたのは武豊の兄弟子としてメディアにクリーンな部分だけを工作して取り上げられたせい
実際、河内は権力主義者で兄弟子邦彦がいたから悪い事も数多くしてた
ニコニコしたオッサンのイメージだろうが汚い服で平然と女のいるキャバレーで飲み歩き、金は全てツケにして当時新人だった弟弟子に払わせてたのも有名
ジョッキーとしては上手い馬乗りだったが、調教師としては弟子の翼を干すなど問題のある人間 河内の私服はなかなか強烈だった印象がある
地味な顔だが、パンチパーマに太い金のネックレスやブレスレット
ジャンボ尾崎のような派手なセーター
安藤もいくらか近いタイプだが人柄は服装に出るからな 河内さんは橋口厩舎が軌道に乗り始めた頃セントシーザーとか蜜月関係だったのに
突然全く乗らなくなったよね
あの原因って何なんだろう
なんかこのスレ見てたら人格者のはずの河内さんにも問題ありそうだな >>270
パンチパーマといえば村本善之騎手
天皇賞春をニチドウタローで制した時の表彰式が凄いのなんのw >>271
厩舎との関係切れなんて名手級でも普通にあるよ
武豊しかり、関東の典、蛯名、善臣もそう 三浦君が3着内ならまぁまぁ金持ち 2着内なら無茶苦茶金持ち 頭なら脱糞
本日ヴィルシーナの子供から心中しました。。。 >>146
村本さんは源氏パイ藤田ポジだったからなw
福永息子をどやしつけたり、関西の教育係だった
関西の技術ラインが河内⇒田原⇒武豊⇒四位なら、
教育ラインは村本⇒藤田⇒川田 >>275
村本や藤田が教育係?
頭がおかしいだろ、腐った競馬村と同じ感覚
ヘルメットで殴る奴や恫喝野郎が教育? >>276
競馬の教育係はヤクザの若頭みたいなもんだからww 小島太はヤマトオーのディセンバーSの印象が強すぎて 南井は本当に下手だった
タマモクロスの金杯とか阪神大賞典は今見返しても酷い やらかしが妙にクローズアップされるが太はゴールドシップみたいなもんで実績は十分 >>221
ホントだ、ニワカ>>230がこんなこと言ってる 岡部>田原≧柴田>>>>>>>>河内≧南井>>>>>>>>小島太 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています