―残念ながら、最後はヨレてしまい、ソレミアに差されてしまいました。

 「とにかく悔しかった。スミヨン騎手に1回でも、調教でオルフェの危うさを体感してもらっておけばよかった。オルフェーヴルは、長い時間、1頭だけになると、我を忘れてしまい、コントロールができなくなる時があった。スミヨン騎手も映像で見て、危ないところがあるのは分かっていたと思うけど、実際に体感したものと、してないものとの差は、雲泥万里だったと思う」

―翌年も挑戦して2着でした。

 「肺出血(で宝塚記念を回避)があったりしたからね。12年の凱旋門賞が生涯最高の出来。その時の状態までにはもっていけませんでした」

https://news.yahoo.co.jp/articles/8379e9f823ba4a6cc9df9efdfb41047699773839