お前ら、漢文をどうやって声に出してる?
1.訓読(文中をいちいち上がったり下がったりしながら?) 2.現代中国語読み(発音全部辞書で引きながら?) 3.日本の音読み 4.黙読のみで声に出さない 日本語として習ってるからなあ 漢文を中国語と結びつけて考える必要はないと思う。 >>71 古語辞典で「をどる」を引くと、「はねる、飛び上がる」の意味が「舞踏」より前に出てくるわけで、 >日本語の「おどる」のイメージがまとわりつく。 ではなくて、<現代日本語の「おどる」のイメージ>というべきじゃなかろうか。 訓読は漢文を古文に翻訳することだから、現代日本語の意味に引っ張られないように気をつけないと。 >>112 宋代の朱子語類なんか読んでみると、現代中国語と同じ表現が多い。 当時でも古代漢語と話し言葉の距離が大きかった。 しかし、古代漢語の表現方式は、新聞でも散見され、現代でも用いられている。 古代漢語の「いわゆる」漢文は、漢代の人が読んでも分からないものが多かった。 だから、鄭玄らが注を施した。 論語の訳文が、訳者によって異なっているのは、基にした注が違うから。 確かに初心者が、安易に中国語読みで古典を読むことは、混乱を招く。 しかし、諸子・四書などのいずれかを中国語で暗記した後に、他の古典を中国語で読むなら、 理解度は全く違うものになる。 この「二つの言語」を獲得する上での過酷さは、並じゃない。 以上、酔っ払いの独り言でした。 >>115 中国語について根本的な誤解しているよ。 女真人はツングース系の言語を話す民族だったが部族間の方言(音)差があまりに大きいので 漢字を参考にツングース系の女真語を書き表す為の女真文字を開発した で時は移り元のモンゴル人は支配下に置いた変な字(失礼)を使う女真人を教養ある「漢人」として 優遇し、漢字の達人である南宋人を野蛮人としてこれ見よがしに迫害した。 これはモンゴル人が漢字を知らない馬鹿なのではなく、実は女真人の民族消滅を狙った策略。 この策略により「南宋人ですらこんなに迫害されるのだから明日はわが身」と恐れて 自ら女真文字を捨て去り漢語を採用する、それは部族間の意思疎通が不可能になり それは女真人の消滅を意味していた。 そこで女真人は時間をかけて女真文字の発音を統一した後に(京劇のようなもので標準音広めたのだろう) 女真文字一字一字と対するように漢字表記に切り替えた。 この統一女真語音が今の北京語音で、中国語とは漢字表記女真語の事 そのような歴史的経緯があるから外来語として南宋の言葉は多少入っていても 漢語と中国語は全くの別言語 >>64 の >「騰去(とうきょ)して天(てん)に上(のぼ)る」 って、ちょっとおかしくないかな。 須臾雷電破壁、両龍乗雲、騰去上天。二龍未點眼者見在。 「二匹の龍が雲に乗って、飛び去って、天にのぼる」 というのも、絶対無しとは言えないかもしれないけれど、 「二匹の龍が雲に乗って、上天に飛び去った(上天に騰去)」 の方が自然だと思うんだけど、どうでしょう。 実質「騰(おど)りて上天に去る」と同じではあるんだけど。 >>117 「騰去」の「去」を付属語的に扱うかどうかですね。 当時は、どう使っていたかの考察がなされないまま、訓読で有耶無耶にされてますね、 また「上天」が、名詞として通用していたかという考察も必要。 これも、有耶無耶。 >>117 「騰去」に関しては、「去」を実際に意味があるか否かの考察の違いによる。 「上天」も同じ。名詞と見るかどうか。 結局、確定できない。 >>117 「去」を実字ととるか、「上天」を名詞と見るかの違い。 難しいね。 / ̄ ̄ ̄\ >>64 の言い草がまことすっきりしてないことの証拠になってしまいましたなあ(w |.. | |:::: ●) ●)| そりゃ現代支那音で読めば一通りしかねえからすっきりするんだろが、 ヽ:::::::.....∀....ノ 『上天ー天』なのか、天に上るなのか、これは訓読をどの立場でするかという / ~つと) まことに奥深い読み方でありますわ。支那人はここをさーっと読んじまうので と__)__) 学部留学生あたりはアバウトな意味でわかった気になるが、精緻な解釈は 訓読のほうが優れているという証拠でもありますわ。 同じようなことを影山も岩本も言ってましたわ。 >>123 一番の問題は絶対にありえない解釈を正しいと思い込んでいる事じゃないかな 目を入れない事で辛うじて絵に閉じ込めてるのに成功している竜の絵に 目を描くのは破裂寸前の風船に針を刺すがごとし、 竜はやっと自由になった嬉しさから踊り狂いながら我先にと天空に上る >「騰去(とうきょ)して天(てん)に上(のぼ)る」 >も可能と指導案に載ってる。 それじゃ躍動感もへったくれもない駄文じゃん、後世に残らないよ 今も残っているって事でどちらが正しいか解るはずなんだけどな。 上天を音読する場合、「じょうてん」の「上」と「てんにのぼる」の「上」では、音が変わるんですか。 俺なんか適当に「上天に騰去す」って読んじゃうけどな。 それでも意味が理解できてないっことはないだろう。 >>127 そう読んではいけないし、意味合いが全く違った物になる。 この詩には明らかに不合理な事柄がある、絵師は二匹も目を入れる必要なんて全く無かった。 この詩を創った作者の思考過程は 1、目を入れた途端、絵師が竜に吹き飛ばされて(当然の結果として)死亡はいやだ 2、間に「雲」いれて時間差稼ごう→まったり感が出て大失敗 3、「雷」いれて「雷雲」連想させよう→それでもまったり感残る 4、いや待てよ、二匹に目を入れる時間が稼げたと発想変えるのはどうか? →二匹が踊り狂うイメージで臨場感バッチリ。 5、ああ、でも「一匹だけに目を描けばいいのに、この絵師は馬鹿か?」と冷笑が返ってきたらどうしよう? 6、元の案に戻すべきか、しかしこの臨場感は捨てがたい。 「5」と「6」の間を錯綜しながら何日も(あるいは、それ以上)思い悩んだと思われる。 「上天に騰去す」が正しいと言う人はその前にまず、「なぜ二匹に目を描いたのか」 に対する合理的な説明を行う責任がある。 ウェー、ハッハッハ ./ ̄ ̄ ̄\ |.. | >>128 |:::: >) <)| 安能務さんがインカネートしたんですか? ヽ:::::::.....∀....ノ ( つ ⊂ ) キャハハハハ と__)__) >>128 すまん、何の話をしているのか見当がつかない。 >この詩を創った作者 って何?この詩ってどの詩よ? 作者って張彦遠のことか?5、6の間で悩んでるって誰が? http://www17.big.jp/ ~kamokiti/sangoku/index.cgi 建国してくだちぃですm(__)m http://www17.big.jp/ ~kamokiti/sangoku/index.cgi ゲーム人数が少ないので宜しくです(TT) 中国英雄板に行けばいいのに。 ここでは無理だと思いますよ。 実をいうと、『エンプロイー(従業員)』という概念は、 近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。 本来ならば強い意思を持つ人間を、従順な従業員に変えるために、 二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、 それがどれほど成功したかを見ると、マルクスを知らなくてもぞっとする。 近代商工業化社会の職場が求めるものを満たすために、 人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。 ・ 生産物ではなく時間を売る ・ 仕事のペースを時計に合わせる ・ 定められた間隔で食事や睡眠をとる ・ 同じ単純作業を繰り返す これらのどれ一つとして、人間の自然な本能ではなかった。 したがって、『従業員』という概念が(また近代経営管理の教義の他のどの概念であれ) 永遠の真実という揺るぎないものに根ざしていると思い込むのは危険である。 経営の未来 P163 >>128 俺は適当に「トウ・キョ・ジョウ・テン」って読むけどな。 それで意味を理解してるつもりだけど。 英語講師の俺からすると、外国語を語順通りに読むのは当然のこと。 で、今の中国人の真似したくないんだったら、日本音読みでおk。 訓読と現代中国音でバトルなんて不毛な争いもいいとこだ。 画竜点睛は >「騰去上天」 となっていない文献もある。原典批判が大事だな。 或る本(名画記)では「乗雲上天」となっている。 「騰去上天」なら「奔り(又は「おどり」)去って天に上る」ぐらい。 「騰」は中国の辞典では「=傳=伝(説文)」、「=奔(楚辞、招魂)」「=跳躍(漢書李廣伝)」 「=乗(楚辞)」。 《全訳漢辞海》では1)はせる。馬が勢いよくはねる。躍る。Aあがる、のぼるB騎乗する C伝達する。D移る。の五つの解釈と読みを載せている。 「騰踊」という熟語もある。出典は漢書魏相伝「今歳不登、穀暴騰踊」。意味は物価が狂乱すること。 「物価狂乱」は福田赳夫総理時代のインフレ時代に出来た昭和の和製四字熟語。 《全訳漢辞海》は《荘子》逍遥游の章に「騰踊=高くとびあがる」の用例ありとする。 よく高校で学校指定の漢和辞典を生徒全員に買わせたりしてるが、全員同じ漢和辞典では こういったテキストの違い、解釈の違い、出典の違いを発見することはできない。 漢文の講師は「畫龍點睛」の授業の前に少なくとも「騰」など問題となりそうな字を 康煕字典で調べておくべきだろう。 http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE9ZdicA8ZdicB0.htm ↑の康煕字典のタブをクリック 「騰」の英訳は「fly; gallop; run; prance; rise」でdanceは無いことに注意。 >>137 う〜ん、痛い! テキストの問題と、ここで問題になってる読みの問題は別でしょ。 >>138 のような上司が居たら部下は浮かばれないな。 悲哀啊! ./ ̄ ̄ ̄\ |.. | 資料批判乙。 |:::: ●) ●)| m9:::::.....∀....ノつ ただね、単漢字の意味拾っても正解には近づかないとおもうよ。 (⌒) ノ 名画記成立の年代とあのテキストがあの形で流布した年代、そして キュム (_ノ 彡 その同時代に使用された天、もしくは上天の用例、そして 『騰去』の用例を全部さらってみてからでないと正解には近づかないとおもうよ。 今の問題になっている騰去上天というのは、 「上天」が一語(の名詞)なのか、「天に上る」という意味の語句なのか、どちらなのかということだろう? なら「上天」という語の出てきてる回数を調べて上天が一般的な単語かどうかが分かればいいんじゃないのか。 上天の例がごく少なければ「天に上る」という意味の可能性が高いと。 騰去の「去」はこの場合離れていくというニュアンスを足すだけの白話的な用法だよな? 撤去とか退去とかいうときの、元の意味を完全に残す去とは別だよな? >「上天」という語の出てきてる回数を調べて 何回出てきたら一般的な単語? >白話的な用法だよな? 何を根拠に? ./ ̄ ̄ ̄\ >>141-142 一回で書くこと。あっはっは。 |.. | いやいや、上天で天をさすのも、天に上るのも |:::: >) <)| 用例ならどちらもいくらでも出てくるのさ。 ヽ:::::::.....∀....ノ 経典にも正史にも両方普通にでてくるわさ。 ( つ旦) と__)__) >>144 おやもうそれが分かってるなら >>140 のようにもったいぶらなくても全部解説すればいいじゃないか。 たとえば唐代の上天の用例はどうなってる。 >>146 >>144 と>>146 は同じ人物じゃないよな?それを前提にして話すが、 おれは別にサボってるんじゃないんだ。 >>140 で他人に「正解には近づかないと思うよ」と言って、 >>144 では他人をあおってるわけだ。 そこまでいうならこの話について解答を提示するのが流れってものだろう。 >>145 >>147 ./ ̄ ̄ ̄\ ID:zgFnMDovちゃんがおむづかりのようだけど、単漢字だけの意味に |.. | これもこれもこれもこれもこんな意味もあるから、今回はこの意味でしましょう、 |:::: ●) ●)| なんていうのは正解からかけ離れた恣意的な解釈しか生み出さないよ、っていったの。 m9:::::.....∀....ノつ その指摘がおむづかりの原因なら、それはあなたが間違い、むづかる理由がない、だって (⌒) ノ そのやり方では平成トンデモ訓詁学にしかならないよ。これを煽りと捉えるとは短気にもほどがある。 キュム (_ノ 彡 方法論の初手がちょいとずれてるからそれを指摘したまでだよ、おむづかりのその態度はいけませんなあ。 そのうち手元にあるもんで用例一覧でもだすわいな、でも漢語大コト典でこうかいてあるから、ってやり方は 正解には近づかないとおもいますよ。御覧でもなんでもいいですが、龍の項全部みるのだって含まれますよ。 そして経書の用例全部、楚辞あたりの用例、正史の用例、全部あげるのに数分でできるわけなかろうもん そこまでやってようやく○の解釈が妥当じゃないの?という予想が立てられるわけで、漢字の意味がこうだから 今回はこうしましょう、こういう読みで行きましょうってのは、まるっきり上っ面しかさらってないアバウトな解釈の 域を出ないものです、そのことを指摘したんですよ、そんなにおむづかりになりなさんな、あっはっは 漢文ていうのは古来方言の多い唐土で時代を超越した公務員採用 筆記テスト共通一次二次三字の書き言葉なので 経史子集にない奇抜な用法はお呼びじゃないんだよ。 これ教えて >126 自分:名無氏物語[] 投稿日:2011/01/15(土) 14:38:45 ID:UBylN9FW >上天を音読する場合、「じょうてん」の「上」と「てんにのぼる」の「上」では、音が変わるんですか。 >>150 音は変わらないが声調が変わる。 「じょうてん」の「上」など形容詞、名詞は上声(北京官話なら第3声) 「てんにのぼる」の「上」など動詞は去声(北京官話なら第4声) >>151 ありがとう。北京官話とあるけど、唐代もそうだったのでしょうか。 それとも、あくまでも現代語の場合のことでしょうか。 >>152 唐代からだよ。 唐代の発音の規範となったのは韻書《切韻》(601年)を改訂した《唐韻》だった。 《切韻》も《唐韻》も散逸したが宋代の《廣韻》に引き継がれている。 《唐韻》は日本で十世紀前半に出来た「倭名類聚抄」に引用されてる。 明治大帝が煥発せられた五箇条の 御誓文の 「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ」の「上下」は 呉音「ジョウゲ」ではなく漢音(唐代後半の音読み)で「ショウカ」と読むように 唐代後半には濁音の清音化という現象が起きて 日本の仮名文学でも和語の濁音を清音仮名(濁点をつけない)で表記した。 (中国語学研究会編 中国語学新辞典 光生館1970年) ちなみに元の声調から新しい語義、品詞が派生する場合、新しい語は 「去声」で発音することが多い。 ソース:唐作藩「破読音的処理問題」 http://xuetui.wordpress.com/2010/06/02/%E5%94%90%E4%BD%9C%E8%97%A9%E3%80%8C%E7%A0%B4%E8%AA%AD%E9%9F%B3%E5%87%A6%E7%90%86%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%8D/ 中国現代文が読めるなら 王力老師の《漢語史稿》を読むことを勧める。 >>153 説明ありがとうございます。 リンク先のサイト、参考になりました。 中国現代文は、大学の第二外国語程度で、辞書を引き引きになるので、 漢語史稿を買うのは躊躇します。 >>155 聴いてみたけど、何か嘘っぽい。根拠があるのかな?この上古音って。 >>155-156 1m37あたりで「皆以大王之智慧也」の「也」がlaalとなるところは 東南アジアのマレー語訛り英語交じり中国語を彷彿とさせる。 「神」は日本に伝わった音では声母が全濁音だが 清音に聞こえたな。 「裳」がdjangか、裳の声母は「禅母」で全濁音だから妥当な線だ。 「華」の声母が現代中国方言や朝鮮音のようなhではなくて gだというのは日本人としては歓迎すべきだ。 ガ行全濁音の痕跡を伝えているのは日本の呉音ぐらだろうから。 訓読でいいと思うけどな。 訓読体は国語の格調高さに少なからぬ貢献をしてる訳だし。 それにこれは官見だけど、 訓読(国語)→北京語読み→漢文は中国語!→中高で勉強する必要ある?→大学で変態のみ専攻 ってならないか? 思想的文化的に重要な科目が教育から排斥されるってのは保守の観点からは到底肯定出来ない。 無論、個人で読む時は好きなように読んで下さい。 >>156 これ複子音説にもとづいてるね。うざ過ぎる。 也をraaってのはまあ正しいと思うけど。 漢文には漢文特有の「律動」がある。 その「律動」をうまくとることが出来れば、頭に記憶が残りやすくなる。 その為には、「歩きながら読む」という行動をとる。 こうすることで「律動」がうまくとれる。 >>160 その懸念はよくわかる。しかしそれなら、高校漢文はもう最初から読み下し文になっているものを古文として読んだらいいと思う。 白文に返り点を施して、それを上がったり下がったりしながら読むなんて、はっきりいって今の高校生はウンザリしてると思う。 思想的・文化的に重要なテキストは読み下し文で高校生にどんどん読ませて、それで漢文調の日本語にも習熟してほしい。 それに対して、大学生・社会人で本格的に原文に接したいと思う人は、少なくとも上から語順通りに読むべきだと思うよ。 >>164 > 高校漢文はもう最初から読み下し文になっているものを古文として読んだらいいと思う。 訓読に争いのある文章は教材から一切排除するのが前提なら、ありかと。 「有朋自遠方来」すら教材に入れられなくなるがな。 >>164 >少なくとも上から語順通りに読むべき んなこたないだろ。 訓読の良さは精密に一字一字の字義を確認する癖がつくことにある。 実際に、適当に読んで「意味が理解出来た」と思っていても いざ訓読してみると精密に読めていなかったことに気付く、 なんてことが多い。 俺は訓読自体は好きだけど昔は中国語の発音なんてなかなか学べなかったし そのまま読んでも理解するのが難しかったから便宜的に考えだされた方法なんだから 今の時代に訓読にこだわるのは無意味だと思う。 訓読するぐらいだったら現代日本語に翻訳されたものを読めばいいと思う。 何らかのかたちで、原文の状態が残っているのが望ましいと思うがな。 現代日本語に「翻訳」されたものを読むくらいなら、現代中国語でゴリゴリ発音した方がマシな気がする。 訓読は訓読で、リズムなど味がある気もする。置き字に関しては仕方ないけどね。 高校漢文は中国思想や中国史を学ぶんじゃなくて、 漢文訓読という日本文化を学ぶんだと思うよ。 だから、世界史ではなくて国語で教えるんだし、 現代語訳だけ読ませても意味が無い。 現代語訳で良いんなら、古文だって現代語訳で充分という事になるよ。 >訓読の良さは精密に一字一字の字義を確認する癖がつくことにある そんなことはない。 訓読では「矣」も「焉」も「兮」も読まない。これらの字を無視する癖が付かないかむしろ心配だよ。 他にも、複数の字を一つの訓読ですませてしまうことも多々あるよね。いちいち例は挙げないけど。 そもそも、母語に訳して初めて「字義が確認できる」というのは外国語学習の中では中級者までの話。 勿論、初級〜中級者はしっかり訳してきっちり理解してね。しかし最終的には上から語順どおりに読んで理解すべき。 上級者は最初から語順どおりに読んで理解するけどね。 英語に置き換えて考えれば分かるよね?"This is a pen."という英語について、 「『これはペンである』という日本語に訳さないと理解したことにならないんだ!」と叫ぶことのバカバカしさ。 もちろん、中級者までまずはそう訳してちゃんと理解したらいいよ。 でもその次はちゃんと"This is a pen"と読んで、英語として理解しないと。 だって、「である」という日本語からは、"is"が三単現であることは認識できないし、 「ペン」という日本語だけからでは、"pen"の前に"a"が付いていることを認識せず、これを無視する癖がついてしまう。 同じことが漢文でも言えるのは、上の例で挙げた通り。 発音は現代中国語音から上古音、日本音などいろんなやり方があるだろうけど、 原文を前から順に、一語一句ちゃんと声に出すのは外国語学習のいろは。 それを無視する訓読というやり方は、真の原文理解のための1つのお手軽な道具という位置づけを脱することはできないんだよ。 音読の是非は他の人に任せるとして、訓読を学ぶ意義は大きいと言いたい。 訓読を学ぶ意義は、固い表現を学ぶのに良いのだよ。 「〜するなかれ」「〜すべからず」「〜せざるを得ない/得ず」「〜する(こと)あたわず」 「すべからく〜すべし」「なかんづく」等々、 漢文訓読体から派生した文章語は多く、「言文一致体」が定着した現代でも 読書していて出会うことは多い。明治〜戦前の文章ともなると非常に多い。 でも今の中高生がそういう文(漢文ではなく近代の日本語)をぱっと見て理解できるだろうか。 現代文でも漢文訓読体から借用された言い回しを多用する固い文章があるが、読んでわかるだろうか。 ここに来るようなお利口さんの中高生は別として、大多数は「イミフ」「日本語でおk」のような 反応をするだろう。彼らをバカだゆとりだと片付けて良いものか。大人がそういう環境を作っているのだ。 ラノベやケータイ小説が彼らの話す口調に合わせて軽い文体を売り物にし、 純文学もそれに近づけようとどんどん軟化している今、「趣味は読書」と言う若者が 戦前の文学も理解できない、なんてことは珍しくないのだ。 ある大学の法学部の先生は「法律を学ぶならアタワズは知っておいてほしい」と会議で言い、 その学部の入試問題には漢文が復活した。固い日本語は生活にも必要なのだ。 漢文訓読を通じて近現代の固い日本語への理解を深め、固い文章に接して漢文訓読の重要性を 確認し、漢文の世界への関心を深める。漢文以外の日本語の文章も連携することで、 より豊かな国語生活が送れると思う。 >>170 直上のレスを読んでないのかな。 君の主張は、大学で中国文学なり中国思想を専攻する者に対して言うべき事。 しかも、音読・訓読それぞれに長所短所があって、音読すれば良いってものでもない。 それはさておき、高校生が古代中国語を言語として学ぶ必要はないから、 漢文を英語と同列に論じるのはナンセンスだよ。 高校漢文は、古代中国語の学習ではないし、 中国思想や中国文学の学習でもなく、倫理道徳でもなく、 漢文訓読という日本の伝統文化を学んでいる。 昔の日本人は隣の国の漢文に返り点を打って読んで、 そうやって日本文化を形成してきたんだということを学ぶ教科が高校漢文だと思う。 日本人として日本の伝統文化を学ぶこと自体にも意味があるし、 >>171 さんが指摘するような実用性もある。 >>169 漢文訓読という日本文化を学ぶんだと思うよ。 そっかなー。 私は、教科書にある論語の文で、 生徒に哲学的に生きることを教えているんだが。 また、管鮑の交わりという史記の教材で、 どうやって日本の伝統を教えられるのだろうか。 どこに帰結させるかの問題じゃない? 国語の授業として問うべきなのは、 結局は訓読という古来からの技法と、 それに基づく内容の適切な理解。 中国の思想を学んで、 それを生活にどう活かすか、 という点に帰着するなら、 哲学とか道徳の授業になるはず。 もちろん、内容を理解するには、 そういう思想を学ぶのも必要だけど。 「漢文」の題材が「思想・文芸(漢詩)・歴史」主体なのは 周知の事実だと思うがな。 >>174 「中国の」なんて言うから生徒が興味をなくす いろんな理由で「東洋」という概念が消失してしまったからだ 私たちの内面と社会が文化摩擦の結果であることに気づくだけでも意義は大きい >>175 その事と漢文訓読を学ぶことは何も矛盾しない 日本で古典中国語を学べる本はないの? 発音も含めて >>173 >また、管鮑の交わりという史記の教材で、 >どうやって日本の伝統を教えられるのだろうか。 史記の文章を訓読で読むということ自体が日本の伝統文化でしょ。 訓読という日本伝統の漢文読解法を、論語や史記を使って実践学習してるわけです。 だから、貴君は、「管鮑の交わり」を読んでるだけで日本の伝統を生徒に教えているんですよ。 この訓読の技法が戦前まで経済や法律や医学など、 あらゆる分野で日本の文化の基礎になっていたので、 訓読法は、中国の文献を読む専用ツールというわけではありません。 これが一つ。それと、もうひとつ。 漢籍を訓読で読んで、生き方を学ぶということを むかしの日本人はしてきたわけです。 「生徒に哲学的に生きることを教える」ということは、 むかしの日本人の在り方を踏襲しているわけです。 それが、すなわち日本人としての伝統を学ぶという事です。 内容が中国のことだからといって、中国の事だけを学んでいるわけではないのです。 内容だけで良いのなら、現代語訳して倫理や歴史など、 他の教科で教えればいいのですが、そうはなっていません。 国語で教えるという意味を一度考えてみて下さい。 日本人学古文吗?难吗?今天的中国人学古文挺困难的. メ獗獎トヨョヒニル?,ヒ萓ナヒタニ萼フホエサレ.----<タ?ノァ>ヌ?ヤュ(ウ)-----ホツシメアヲラワタモテ.------イツメサマツ,ヒ?ハヌハイテエメ簍シ,セヘオアイ簗ヤメサマツアセー豬トケナホトトワチヲ.(Guess,What'S the meaning of this sentense.It is a test for your ケナホトability.) 亦余心之所善兮,虽九死其犹未悔.----<离骚>屈原(楚)-----温家宝总理曾引用.------猜一下,它是什么意思,就当测试一下本版的古文能力.(Guess,What'S the meaning of this sentense.It is a test for your 古文ability.) >>日本人学古文吗?难吗?今天的中国人学古文挺困难的. そりゃそうだ。 簡体字を使ってるから、繁体字を別に覚えなきゃならん。 大変だ。 >>179 現場の教師は、史記を教えられるレベルではない。 指導書を見ても、トンチンカンなことを書いていたりする。 以前、史記會注考證を見て、やっと分かったこともあるよ。 >>185 そうだろうなあ。 教員免許取るために漢文の講義に出てた学生って、 ほとんど漢文読めてなかったもんなあ。 時間割の関係で国文の講義が取れなくて、 仕方なく漢文の講義取ってる学生がほとんどだった。 >>31 易経のように簡潔な文章だと、 読んでみても「読めた!」って嬉しさがないんだよね。 「これで通じるのかな?」って不安が勝る。 >>188 読んだよ。 専門がどこかによって、態度が違う。 高校の先生では、中国語で音読できるレベルは必要ない。 学術論文を書く立場では、中国語の訳や、漢代・宋代の解釈を必ず見る。 十三經注疏なんて音読できないと、やってけない。 最近では、中国語で論文を書けるようになることが求められている。 某大学の中哲文だと、第一外国語が現代中国語だったりするからな… >>171 >読を学ぶ意義は、固い表現を学ぶのに良い だから、それをやりたかったら最初っから読み下し文を高校でやればいいだけのこと。原文を上がったり下がったりして読む行為自体に国語を豊かにする要因はない。 >>172 >直上のレスを読んでないのかな。 >君の主張は、大学で中国文学なり中国思想を専攻する者に対して言うべき事。 お前いい加減にしろよ。 俺は「中級者までは訓読でどうぞ」「上級者は語順どおりに読むべき」と何度も書いただろ? >>164 でも俺は、高校生は最初から読み下し文になったものを読んだらいいと言った。高校生に古代中国語を外国語として学べなんて一回も書いていない。なのにお前は、俺がそう主張しているかのようにレッテル貼りをしている。詭弁者めが。 偉そうな口を利く前に、>>164 と>>170 をちゃんと読め。人の書いたこともまともに読めない分際で何が漢文読解だ。笑わせるな。 自分自身は訓読してるが、北京語読みでもインチキ音読でも好きなように読めばいいんじゃないかと思いつつ書く。 古代の音韻まで把握してる人は偉いと思うが…教材は何なんだろ。学研の「漢和大字典」に載ってるらしいが主要漢字につき暗記してるのか? >>193 >>188 のリンク先にもあるが、漢文で訓点を付ける作業は、英語で文構造を解析しているのに似ている訳だ。 「原文を上がったり下がったりして読む行為自体に国語を豊かにする要因はない」というのであれば、 英文和訳はどうして高校でこれまで主に行われて来たんだろうね。 あるいは、古文での品詞分解は何のために行われて来たんだろうね。 英文も古文も、別の言語として解析の対象としているから、文法的に把握して、その上で母語に変換していく作業に習熟するためだと思うんだがね。 > 「中級者までは訓読でどうぞ」 と >>164 > 高校漢文はもう最初から読み下し文になっているものを古文として読んだらいい は矛盾してないか。 ついでに言えば「国語を豊かにする」っていきなり言われても困るんだがな。定義で議論がボケかねん。 「コンテンツにしか興味なし」というなら、古典どころか、高校英語教育さえ止めていいと思うが。会話の役にも立たないし。 >>193 それをやりたかったら最初っから読み下し文を高校でやればいいだけのこと 読み下し文と、古文とは文調が違うぜよ。 「使之怒」 の訓読は、古典の書き方と違うぜよ。 ここでいう漢文とは現代中国語のことではないのでしょ? 日本人が読むには訓読が一番カッコいいと思う。 漢詩を中国語で音読して、韻を踏んでるんだろうけど 俺には何処がいいんだ?と思うだけ。 中国人も昔の漢詩を理解するのに日本流に解読するって どこかで見たけど、本当なんかしらね? >>196 文構造と語彙で違いがあるらしいからな。 >>188 も参照のこと。 >>196 中国人も昔の漢詩を理解するのに日本流に解読するって どこかで見たけど、本当なんかしらね? 大学院生の時、留学している中国人が漢文を読めないことが分かった。 伝統が途切れてるからだよ。 >>196 漢詩を中国語で音読して、韻を踏んでるんだろうけど 俺には何処がいいんだ?と思うだけ。 広東語は、古音をのこしているから、 漢詩は、広東語で読むべしという主張が香港人にある。 参考に。 >>199 文言と白話が乖離しているのは今に始まったことでなし >199 >留学している中国人が漢文を読めないことが分かった。 まじで!? と思ったが、よくよく考えれば俺等も平安時代の古文とか 何の勉強もなしには読めないよね。 >>201 文言と白話が乖離しているのは今に始まったことでなし そういや、俺、論文に載せた漢文を古音で読んだ。 「百?」を bǎiでなく bó と読んだ。 居合わせた中国人も、びっくりしただろうな。 台湾での読み方を下敷きにしたからだ。 上古音で読むのはダメじゃね。上古音は中古音にも頼って再構されている。 中古音はあくまで仮説。上古音は仮説にたよった仮説だ。 正確さは劣る。くわえて唐以前は上古音、唐以後は中古音ってのも大雑把すぎる。 理想的には詩経楚辞と楽府詩集で発音をかえるべきだ。 答大明皇帝問日本風俗詩 國比中原國,人同上古人。 衣冠唐制度,禮樂漢君臣。 銀甕儲新酒,金刀口錦鱗。 年年二三月,桃李一般春。 >>206 中国語で読んで、大体の意味が分かるアル。 >>205 で、お前は普段からその理想を実践してるの? たとえば>>206 を読むときも、いちいち何読みだのと拘ってるの? 理想論より、お前が普段どう読んでるのかを知りたい。 稀に何万もの発音をキッチリ覚えてる、まるで駆け魂でも憑いてるかのような記憶力を持つ奴もいるだろうからなあ… 上古音・中古音も再現されたものに過ぎない。 結局、マイナー。 上古音・中古音も本当かいなというもので、現代中国語は書いた人の発音とは別物。 むしろ日本の音読みで音読した方、なんぼか近い物もあるんじゃないかという気がする。 音読といってもそんな程度が限界。 そんなことに労力を費やすより、訓読で沢山読んで内容を理解した方が、よほど費用対効果が高い。 ただ、中国に留学する予定のある学生、国際学会なんかで頻繁に中国人やヨーロッパの研究者と交流する人は、 現代中国語で音読できないと困るんじゃないかな。 中国人も欧米人も訓読はやらないから。 留学したことないのでわからんけど。 訓読の場合、人によって読み方に違いがあって えらい先生ほど自分の読みに固執して理由も挙げずに押し付ける 違いの大半は音便の有無、連用修飾のつなぎ方切り方、 呉音漢音慣用音の使い分けと言ったもので解釈の違いに関わらない 要するに「どっちでもいい」ことにこだわりすぎる read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる