ググってきた。
<松(しょう)は、漢姓のひとつ>とのことで訂正。


北海の松贇は、強く激しい性格で、名誉と道義を重んじ、石門府隊正になっていた。
大業年間の末(615年頃)に謀反が起こり、楊(おそらく煬帝)にとても寵愛を受けていた人物が協力して乱を起こした。
北海県に攻めてきたとき、贇は郡の兵を率いてこれを討伐した。贇の軽騎兵がこれを覗いたところ、
厚が賊のりーだーであった。厚は贇に、城中にこう言わせた。「雲郡の兵はすでに敗北した。さっさと降伏しなさい。」
贇は嘘をついてこれに従うふりをした。そして城下にたどり着いたとき、大声で叫んで言った。
「私は松贇であるぞ!官軍が賊を覗き込んだら、捕らえた謀反人とはち合わせた。力及ばず屈服してしまった。
だが今官軍がたくさん来て、到着している。賊は少なくて弱い。もうこの謀反人を征伐するときだ。恐れるに足らぬやつだ。」
すると謀反人は刀を贇の口を突きつけ、彼を引きずって立ち去り、打ちのめして倒した。
贇は厚を罵ってこう言った。
「この謀反人め。どうして賢良なるものを辱めるようなことまでするのだ。災いが起きるぞ!」言い終わる前に、
賊はその腰を切断してしまった。
城中がこれをみて、誰もが腕を握りしめ涙を流し激しい感情はさらに強まった。だが北海はついに滅んだ。
煬帝は戶曹郎の郭子賤を派遣して厚を攻めさせて倒したが、贇が正義に殉じてわが身を亡ぼしたことに、
嘆き悲しむ思いがやまず、皇帝にこのことを奏上申し上げた。皇帝はありがたいおほめのお言葉を
お与えになり、朝散大夫、本郡の通守(という官職)をお贈りになった。