【道家】老荘思想
>>51
老は短すぎてつまらない
荘は、長くて、大きな泉から湧き出るように面白い 老荘思想がマイナー?
老荘思想ほど日本でメジャーな思想はないだろ
夏目漱石もそこから名前とったんだろうし、
兼好法師も鴨長明もそうだし、
平安時代から日本では老荘的な隠遁にあこがれる文人や貴人が山ほどいた。 >>58
んじゃあニーチェとかソクラテスとかよりメジャーなんかる?そんなわけはない >>58
バカAKI婆が無理するなw
漱石枕流の出典は世説新語だよ。マヌケ。 大学入試の現代文でも日本史でも世界史でも、老荘のほうが、ニーチェやカントよりもはるかに頻出するテーマ。ソクラテスもまあまあの頻度で登場するけど、ソクラテスをのぞいたら、老荘に迫るメジャーな思想はそうそうない。
欧米人があこがれる東洋思想といえば、禅にしろワビサビにしろ、自然との一体感にしろ、すべて老荘ゆかりのものがほとんど。 バカは人をバカと呼びたがるものだ。
学歴がないニートたちにかぎって、匿名掲示板で「低学歴」と繰り返す。
知性、良識のある人は、たとえ匿名掲示板であっても、人のことをバカとは言わない。 大学入試の問題ってそこにいる教授の専門分野から出るのよ 三流大の左翼系国文学科の教授たちは国学を嫌って老荘を好む癖があるんじゃないかな
メディアもたいてい国学嫌いの老荘好きだけど。 右翼と左翼だの、バカと良識人だの、カタムツリの角の上で何を争っておるのか
天地の広さに比べたらどれほどの差があるものか カタツムリの角の上って、先週中学生の国語(古典)の授業でつかった。 >>66
荘子の万物斉同説ですね
頭では分かっていても、体得するのはなかなか難しい 中国古典研究するのは国学のルーツを研究するようなものだぞ >>63
必ずしもそうとは限らん。
學歴がなさそう、知能が低そうな言動をすればバカと呼ばれる。
真理を述べる人が、知性、良識のある人。 それならAKI婆は社會人失格だね。
深夜2時3時4時に書き込むなんてまともな生活ではないし、
書き込みの內容も根據のないデタラメばかり。
バカ丸出しのマヌケ。 「それなら」って接続語の使い方がわからないようだな。
小学校4年の国語の参考書で勉強するといいよ。
分厚い参考書を使った勉強が苦手なら、小学4年の国語のドリルをいくつもやるという手もある。
なにより、わからない語は使わないようにするというのが手っ取り早い。 <いや、まともな社会人は、他人をバカとは呼ばない。>
に対しては、
「それならそれならAKI婆は社會人失格だね。 いつも他人のことをバカと呼んで
いるのだから。」
と書くのが正解。 日本語苦手なバカAKI婆が例の如く先生に刃向かってきたか。身の程も知らずに。
>>73
>「それなら」って接続語の使い方がわからないようだな。
↑
わかっとらんのはおまえだよマヌケ。
「學歴がなさそう、知能が低そうな言動をすればバカと呼ばれる。
真理を述べる人が、知性、良識のある人。」
「深夜2時3時4時に書き込むなんてまともな生活ではないし、
書き込みの內容も根據のないデタラメばかり。」
これがおまえがバカと呼ばれる理由。わかるかバカ?
>>74
>「それならそれならAKI婆は社會人失格だね。 いつも他人のことをバカと呼んで
いるのだから。」
↑
「それならそれなら」って何?バカ?
「いつも他人のことをバカと呼んでいる」?
おまえは實生活ではそうなのか。自己紹介ご苦勞。さぞ周りから社會人失格の烙印を捺されていることでしょう。 >>58 =お勉強が苦手な無理バカAKI婆
>老荘思想ほど日本でメジャーな思想はないだろ
>夏目漱石もそこから名前とったんだろうし
↑
新字バカAKI婆のマヌケ發言その19。
漱石枕流の出典は世説新語だよ。マヌケ。
原典を引用できるか?
おまえが>>73で言ったことは、おまえ自身が行うべきことだ。
「知らないことは言わないようにするというのが手っ取り早い。」 >>73
國語のドリルを解くのが好きなら、長文、特に論説文の問題を解きなさい。
おまえは讀解力も作文力も低いから。
小學校の國語すらできんバカに漢文は百年早い。
早稻田一文()の哲學科卒か英文科卒か知らんが、
學問の方法も知らずにデタラメほざいてもバカにされるだけなのよわかったかバカ! 深夜2時以降に書き込むのがまともではないと學んだか?
フンドシ連呼も恥ずかしいと思うようになったのであれば、
耄碌婆でも少しは成長したということか。 新字バカAKI婆の逃げパターン
知識もないくせにマヌケ發言をして人につっかかる(深夜)
↓
マヌケ發言を指摘されたら逃げる(深夜)
↓
一日以上經ってマヌケ發言を繰り返す(深夜)
↓
(以下、バカAKI婆が死ぬまで無限ループ) .
■ 荘子の万物斉同説とメビウスの輪
「メビウスの輪とは、長方形の紙を180度ひねって端と端をくっつけたものです。これは、紙
の表をなぞっていくと裏につながったり、裏をなぞっていくと表になったり表と裏が同時に
存在している不思議な特徴があります。」
https://nazology.net/archives/7913
https://3.bp.blogspot.com/-YulW4SMUt7Q/Wp1TPfk-URI/AAAAAAAADag/Q55yxybsHy0pBtvJTotdKYd9H13dYJskQCLcBGAs/s1600/MOBIUS%2BSTRIP.jpg
苦は楽につながり、楽は苦につながる。また、生は死につながり、死は生につながる。
荘子の万物斉同説−一切は等しい―とはメビウスの輪のようなものではないか。 ★新字バカAKIのマヌケ發言その1
>白川静…漢文学者、中国史家
>つまり中華思想の持主。日本を中国の属国にしたくてそう言ってるんでしょ。
>結局、繁体字大好きなのは、中華思想にとりつかれて、日本を見下している連中。
★新字バカAKIのマヌケ發言その2
>世界中の傲慢な華人(漢民族)や、香港等でも使われている「中国国語」の文字が繁体字。
★新字バカAKIのマヌケ發言その3
>繁体字というのはシナ文字のこと。
>朝鮮でも日本でも、繁体字はあくまで「古代文字」に過ぎない。
★新字バカAKIのマヌケ發言その4
>語法や文法を効率よく説明するためには、既存の文章を探してくるのではなく、ピンポイントで説明できる文を自分で作ってあげるのが一般的です。
★新字バカAKIのマヌケ發言その5
>"以"に他動詞の意味はありませんよ。前置詞と副詞の意味です。
★新字バカAKIのマヌケ發言その6
>支那国語表記における正しい書体が、日本国語表記における正しい書体とは言えないことは>両国言語の構造の差異を解するものであればまず否定しえぬ事実ではないか。
大漢和辭典
【正字】セイジ→字畫のただしい文字。もとの字。本字。俗字・譌字・省文即ち略字などの對。
【正體】セイタイ→ただしい形の書。正しい書體。
★新字バカAKIのマヌケ發言その7
>大漢和辞典ということは、それらは日本語ではなく漢語だということか。 ★新字バカAKIのマヌケ發言その8
>現在の国語教育の乱れは、漢字の増加によるものかもしれない。
「北海松贇,性剛烈,重名義,為石門府隊正。大業末,有賊楊厚擁徒作亂,來攻北海縣,贇從郡兵討之。」
★新字バカAKIのマヌケ發言その9
>北海の松(河)に贇は住んでいた。
>大業年間の末(615年頃)に謀反が起こり、楊(おそらく煬帝)にとても寵愛を受けていた人物が協力して乱を起こした。
★新字バカAKIのマヌケ發言その10
>台湾繁体字は平均的な日本人でもわかるような過去になかった
新字バカAKIのマヌケ發言その11
>台湾繁体字台湾繁体字とわめいているが
>それを見ている我々に使用フォントを代えろと一度たりとも言ったことがない
>フォントを切り換えると日本の漢字と台湾繁体字とは違う字がどっさりあるんだが
★新字バカAKIのマヌケ發言その12
>支那人って漢族の事なんだけど?
★新字バカAKIのマヌケ發言その13
>鮮卑も匈奴も蒙古、満州の民族な。
>元や清といった国々を建てるために、満蒙族が漢族の王朝と戦い
>繁体字は蒙古(満州)が建てた清王朝の時代に整備されたモノ。
★新字バカAKIのマヌケ發言その14
>褌とは、現代では常用する人間が少ない、一般的には常用が受け入れられないものの象徴。
★新字バカAKIのマヌケ發言その15
>スレを絲(糸)と表記するのは問題ですね。
>スレは章、欄、題などでなくては。 ★新字バカAKIのマヌケ發言その16
>世界史と日本史のどちらかを選択するということは不可能だろ?
>世界史の代わりに日本史とか、日本史の代わりに世界史という選択はありえない。日本の高校なら。
★新字バカAKIのマヌケ發言その17
>「〜がごとし」を「〜が若し」と書いたら間違いとされ、「〜が如し」のみが使われる
★新字バカAKIのマヌケ發言その18
>日本では繁体字は正字にはなりえない
★新字バカAKIのマヌケ發言その19
>老荘思想ほど日本でメジャーな思想はないだろ
>夏目漱石もそこから名前とったんだろうし
★新字バカAKIのマヌケ發言その20
>座→座席(名詞)
>座→正座(動詞)
>坐→坐上(名詞)
>坐→侍坐(動詞)
>どちらも名詞にもなり、動詞にもなる。つまり同じ意味。
★新字バカAKIのマヌケ發言その21
>「漢詩のニュアンス」って何?
の問に對して↓
397名無氏物語2019/07/09(火) 02:59:34.49ID:N+QgTyjM
>どうみても句読点外すってことだろ
癡呆老人無知AKI婆は死ぬしかない。 >親の職業や社会的地位で生徒を差別していた
元大阪府立高校の国語教師・村井正三は
もう地獄へ落ちただろな
そうかw 例えるなら俺らは産まれた時はまだ一枚の紙みたいなものだったと思う、
その紙が何度も折り畳まれいじりまわして親や学校や社会は折り鶴に仕上げようとする。
綺麗な折り鶴が完成するのが徳の完成とするのが孔子なら
その紙にははじめから天命が書かれてあって折り畳んでしまうと読めなくなってしまうとするのが老子だと思う。 視認的に面に字が書いてあるんじゃなくて、遺伝子に書いてある
マシンのようにスペックをあげるのではなく、植物のようにのびろ、ということ 科学は老子の徼(きょう)みたいなとこある気がする。もの(things)の名前がたくさんあって。 道となる道はいつも道ではない。
名となる名はいつも名ではない。
無名は天地の始め。有名は万物の母。
だから無はいつも妙を観ようとし、有はいつも徼を観ようとする。
この二つは同じところから出て異なった名前だ。
その同じところを玄(黒っぽいの)という。
玄の玄がふつうの人のあり方。
「老子」冒頭 追記。
玄の玄がふつうの人のあり方、ってか、ふつうの人のありかたへの入口、みたいな感じか。正確に訳すと、ふつうの人の妙のありかたへの入口、か。妙と徼は同じところから出てるって書いてあるけど、玄の玄は妙なんだよな。まあけど何となくはわかる。 「普通」って言葉の定義は無いんですよ
お解りですか ——瘋狂就這樣出現了。 之所以這麼說,是因為知性為了得到意志的歡心,放弃了其本性。
人總是想像著現在所沒有的東西。 話雖如此,這樣產生的瘋狂,
現在卻變成了忘卻難以忘懷的苦惱的萊特河。 瘋狂才是苦惱的性,也就是對意志的最後救治。
順便說一下,我在這裡敘述一下我的見解值得注意的證據。 卡洛·戈茨在戲曲《土耳其的怪物》第一幕·第二場中,
讓喝了帶來忘卻的魔法飲料的一個人登場,但是看了這個人的舉止,完全和狂人一樣。
囙此,根據以上所述,可以看出强行做某件事“從自己的頭上開始敲打”是瘋狂的根源。
然而,這個“從自己的頭上開始敲打”,只有把其他的事情“按在自己的頭上”,才是可能的。 比這個少的是,
經過反過來。 也就是說,“塞進自己的頭腦中”是第一位,“從自己的頭腦中消失”是第二比特。 但是,
要追溯到這樣的經過,就要考慮到“導致發狂的誘因”,不能逃避。 比如說,很多戀愛都是糾纏、色情狂的情况。
這種情況下,成為誘因的東西始終縈繞在頭上不離開。 再見。 從突然發生的令人驚愕的事件中發生的瘋狂情况也是如此。
這樣的患者,一旦陷入沉思,就會固執地執著於此,囙此,其他的想法,至少也不會想到與之對立的想法。
但是從這兩個過程來看,瘋狂的本質是一樣的。 也就是說,回憶不可能緊密相連。 然而,這樣的回憶是我們健康、
理性思考的基礎 根據以上所述,在瘋狂的發生管道中所見的對立,如果能很好地判斷並使用的話,
就不能代替將真實的妄想尖銳且深刻地分類的證據。