【擬古文】書くための古文【書かばや】
講読だけでは飽き足らず、古文を自分で書いてみたい人が集まり研磨するスレッドです。 >>48
> 諸君も須らく「快適仮名遣ひ」をこそ導入せざるべからざるなれ。
文語特有の表現を盛込まんとするの意図解せざるにはあらざるも,少しくやり過ぎなるべし。 われもまたうしらの教えにならひて快適仮名遣ひをなむ荷降ろし(たうんろおと)したる
言の葉の書きさまのゆたけきけこといやちこにしてげにありがたきかな 誠に御同慶の至りなれども、恐らくは「教へ」ならんかと愚考す。
入力は「をしへ」とせざるべからざるものなり。
老婆心を許されよ。 五十の書込みをしつる者にはあらねども、わづかなる過ちを言挙げして、したり顔
せむはみやびを知らぬ人にて、めのこも好まぬぞ。あなや、あさまし。
むかしの人はみやびにて、女にもて囃されけむぞいとうらやましきかな。 係り結びてふものを知りて
○○の一つ覚えのやうに使つて使つて使ひまくるぞ
われらの真骨頂なる。 係り結びを多用した文章はチョー馬鹿っぽくなるから注意 さこそあるなれ。
かかり結びぞ多くもちいるは禁ずべかりける。 あな、仮名遣ひ誤ちたるこそ恥なれ。我も又快適仮名遣ひを導入せばや。 古めきたる言葉つきにて書かれし文どもを好めども、
京伝馬琴種彦或ひは篁村紅葉一葉なんど、
近き世に書かれたる易しき新しき文をより好めり。
ゆゑにいにしへ人の残せし文のやさしきあてなるを真似むとすれども、
おのづから唐めきて四角なところあり、また江戸くさくもあり。
中古の文こそ擬古文の本体なるべきにや、わからず。諸兄いかに考へつるぞ。 アホウのすなる擬古文といふものをわれもしてみむとてするなり。 >>58
副詞ヨリは翻訳文体によりて生ぜるものなれば,擬古文にこれを用ゐんは適せざるべし。 ふみかくときからぶみよみくだしのふみのさまをまじふるはいとあしきことぞ。 平安の御代のことばこそいとどうるはしけれ。おほやまとは神の國にて、
ことだまさきふはふ國なり。さるに、今の人はふみにからことばをあまたまじへて、
才ありげにしたり顔すめる、あさましうなむ。ただ一つ二つ用ゐるばかり
ならば、さもあらぬを、「移る」、「終る」などと言ふべきところをわざと
「移動す」、「終了す」などと要らぬからことばをまじふるは、益なうて、
げに愚かなり。 >>63
げにようこそのたまうたれ。御国のことばの清らにたへにみやびなるかぎりを
ゑりいでてこそふみはかくべけれ。きたなき唐ことばをあまたまじふるは
いといとあさましう心なきわざなり。 「平安の御代」という言い方に違和感がある。
何か用例や出典があるのかな。
帝の御名や元号などを用いて、
自然に言い表わすことが、いろいろできると思う。
例えば「白河院のときめきたまへる頃より、
土御門殿、宇治の大臣の頃まで」とか。 早速、×白河院→○白河殿、だな。
何か例文が適切かどうかも疑わしくなってきた… ここに於いては擬古文といふを必ずしも平安の昔を真似るもののみにあらずとすべし。
この命題や如何。
そも源語勢語のごとき言葉のみでは今の人の心を書きつくすこと能はざるべし >>69
オマエみたいに擬古文調で文章を書いて得意がるバカがいるから文学全体がバカにされてるんだよ! >>69
では→にては
能はざるべし→叶ふまじ
など作りたればなほよし >作りたれば
これで教えたつもりで得意がるのが擬古文調で文章を書く阿呆の作文力。w 擬古文書くはげにあほうなり。さかしき人のすまじきわざになむ・。 「では」さすがにわろしな
擬古文書くはいにしへのこころばへうるはしきさまをしたへばなり
さかしきふるまひをし学をほこる料にはあらず
いにしへ人のこころは平安のみにつきるものかは >つまんね
バカにエンターテインメントが出来ると思うか?(笑) >>80
「足りず」はあしかりなむ。「足らず」とこそ書くべけれ。 いにしへぶりのふみ書かむ人は、こゝろもいにしへのみやびを知るべし。
人をいたづらにののしりて、煽り立つるは詮なきことにて、むかしの人はかくは
すまじき。おだしう、静かなればこそ、むかしの良き歌なども生まれたりけるなれ。 寝まほしく思はるままに、一刻ばかりうたた寝しき。
つゆ寝られず。 >>100
記念すべき百レスに過疎なりと書く、なんとのうすさまじきものあり。
せむ方なきことなれど。
(「記念」に当たる単語が出てこなかった) 教えてください。
「マドンナを頼りにすることができない受験生」を古文訳するとどうなりますか。
「頼りにすることができない」のところを知りたいです。 わがいほりに花咲きぬ。例ならず遅く咲きたるもなかなかにいみじくおぼゆ。 いはけなき稚児のいみじくしほたるを聞く、さうなくうしろめたし。 花の芽の
折れた枝をぞ
もちかえり
盆にさしたる
そなたはをかし
>>117
そは今の世の短歌にこそあれ。いにしへの文のさまにはあらずかし。 いにしへのをとめは、AKBを見ましかば、
いかにおぼゆらむ。
余は汝を欲するなり
余は汝を必要とせり
余は汝を愛せり
余が頭蓋内は
鐘のごとく 音曲が
重回転
炙りたる玉蜀黍が
弾けるがごとく
好むの文字は躍動す
汝が顔や声を
想うのみにて
居ること立つこと能わざる
かくも美き心地にならんとは
わが運の良きことよ!
>>120
せんかたなきことなり、後の世の人はその世のさまえ免れず
江戸の国学者だにそのかみのさまをぬけずになんありける いにしへは、AKBごときのやからは、
「かはらこじき」とて卑しめらるものぞ。 先日、超訳百人一首なるものを電視にて見けり。
業平のものがたり、いと面白し。 きはじかに見しときに用ゐ、けりは人づてに聞けるときに用ゐるべし 本日より擬古文にて日記をせむとて、縦書き用なるノオトをば買ひぬ。書出しに十数分悩みて、結局「本日、天気晴朗なれども雲多し」なる、パロディに似たる一文をのみ書ひて止みぬ。 昼暑かりければ寝て居りしに先程目覚めぬ。何と日も暮れおるにや。
今日一日なむいたづらに費やしつる。 葉月は、夏の盛りと言ふべけれど、さすがに季節の境なるべし。
されば蝉の息細く、松虫の音に隠るるも理か。 先に頼みし幸田露伴全集届きぬれど、分量の多かれば、読み始むるも億劫なり。
我が見栄こそ憎かれ。 >>144
あはれ、活用形だに忘るる我が身なりけり。 すさまじきもの。朝たかう鳴りたる時計。
鳥の声に朝くと思すに、兄の験無き目覚ましを聞くはさらなり。まいて、壁蹴れども音続くは。